【第二章】頭の中に善なる因縁を作る法(昭和61年11月1日)
人間としての努力は心や行いではない
【深見先生】はい、それではパート2の講義をしたいと思います。
さあ、パート2の講義はですね、「人間としての努力は心ではない。行いでもない。頭の中に悪因を作らないことである」というテーマであります。「人間としての努力は心ではない。行いではない。頭の中に悪因を作らないことである」という講義です。
これを裏返しますと…。「私は努力してます。努力しております」って言って、色々と心構えとか、「こういうふうに考えて…」と考えたり、自分で心構えを一生懸命工夫して努力している人もいます。
それから、行いです。一生懸命掃除したり、洗濯したり「お手伝いをしてます!」という気持ちで、自分なりに「こんなに努力しているのに」なんて思う人もいます。
本人は行いをしているし、心がけは神様の道に生きるんだと思って、本人なりに努力しているつもりなんです。
しかし、人間としての本当の努力は、それだけでいいのか。それも努力のうちの一つですけど本当の努力というのは「頭の中に悪因を作らない」という努力です。
この努力が抜けてるんじゃないかと思います。すべての努力に先行する努力は、これではないかという気がいたします。
心は一生懸命変える努力をしておりまして、それから、行いもやっているんですけども、絶えず頭の中から悪因を出している。
ガァーッと。絶えず悪因を出しているのに、心と行いだけはやってるつもりになってる。なぜ、心で努力しなければいけないか。
なぜ、行いでそんなに努力しなきゃいけないかと言いますと、頭の中の悪因を消していないからです。
せめて心で努力して、せめて行いで努力しなくてはいけないわけなんですね。
行いだけ努力するのは、どうして駄目なんですか。真心をもって心がけてるのに、なぜ駄目なんですか。
あのあたりの人達は思うかもしれません。
しかし、私から言わせて頂ければ、いくら努力しても、ちょっと来ないでほしい。一生懸命「お手伝いします!」と言っても、えらく迷惑です。
「自分なりに一生懸命頑張って、心構えを持ってやってます」「ああそうですか」と。
来ないでほしいと思ってしまう。
逆に、頭の中から善なる因縁がポコポコ出ている人は、いてもらうだけで何もしなくてもいい。
「もう、僕がします」と思います。
「ああ、いるだけで嬉「しいですね」と。いわばお花が咲いているようなものです。
頭の中で悪因を作らない、善なる因縁を作る人は、いるだけで人を幸福にすることができるんです。
その善なる因縁を頭から出している人が心がけたら、心の息吹や行いに善なる霊と善なる霊気、善なる波動が宿りますので、何をしても発展するし、何をしても幸福に結びつくんです。
頭の中にいつもいいイメージを作る
では、この頭の中の悪因とはいかなるものか。頭の中の善因とはいかなるものか。どうしたらできるんだ。どういう努力すればいいんだ。
これについてお話をしてみたいと思います。
例えば、自分なりに心がけて、行いも一生懸命しているんですけど、絶えず連想することはどんなことなのか。要するに、頭の中の連想です。
連想というのは、字の通り、想いが連なっている。
連なる想いですね。面白いでしょう。
想いがつながっているんです。つなつなつなつなーっと、想いがつながっている。
そうやって頭の中で描いていることが、霊界を決定しているわけです。連想というものから霊界が決まる。連想を別な言葉で言いますと、イメージですね。
私も何度も経験するんですけど、人から嫌なことを言われたり、ボロカスにウワーッと言われたり、自信を失くすようなことをウワーっと言われますと、「ハア~、もうお先真っ暗だ」と。そういう風になるわけです。
そういう時は、何かの画像がバラバラバラバラーっと、眼の網膜に写る画像が崩れ去るような感じです。
「私の夢は崩れ落ちた」なんてよく言うでしょう。「夢は崩れ落ちた」とか「もうバラバラよ」とか、「心はズタズタよ」なんてよく言うでしょう。
ズタズタとかバラバラとか、崩れ落ちるとか、真っ暗なんて言うのは、映写機のフィルムみたいです。
映像がズタズタになる。「もう夢も希望もないわ」という場合、夢とか希望というのは台詞とかテープレコーダーじゃない。
夢とか希望とかロマンというのは、映像化されているものなんです。
ですから、未来を予知する人は、映画のフィルムがパタパタパタパターって回っていくように未来の映像が見えるんです。
未来を予知する人は、そういう風に見えるんですね。スライドが、パッパッパッパッパといくように見える。
あるいは、スライドの登場人物が動いているわけです。未来空間を霊視したり、過去を見る場合も同じです。
過去、現在、未来という霊界って、そういうものなんです。
一方、心というのは胸です。胸の想い、ハア~というこの情感は胸にあります。
そして、行いというのは肉体です。しかし、イメージは頭の中なんです。
脳が、頭が、霊界に直接影響を持っているし、頭の奥に御魂があるわけです。
「御魂を曇らす」ということは、イメージを曇らすということです。
だから、人に厳しく言われたり、「駄目よ」なんて言われた時に、「あー、駄目だ」と、イメージがぺちゃんと消えちゃった人は頭に悪因を作っているわけです。
あるいは、「もうお先真っ暗だわ」なんて言う人は、頭の中に悪因、黒の因がポコッと出ちゃう。
僕が一年間絵を描いていて分かったんですけど、夢と希望を失くしている時は、映像が全部消えてしまう。
御魂の光はあるんですけども、フィルムがもうないわけです。フィルムの世界というのは四次元、霊界と考えていいです。そのフィルムがもうない。真っ暗な世界で、もう映像がないんです。
何か素晴らしいことを聞いたり、素晴らしいことを思ったり、講義を聞いて「これから先の前途、未来はバラ色だ、ワァー」って言う形で、映像がキラキラキラっていう時に、スライドがパッパッパッパと入っていくんです。
ウワーっという形で脳の中に入っていく。因というのは要するにスライドがパッパッパと入っていくわけです。
イメージが弱い場合は、なんとなくの可能性なんですけど、このイメージが未来を決定したり、霊界に影響を与えているわけです。
ですから、色々な行いとか心がけをやっておりましても、頭の中で「人もよかれ、我もよかれ」というイメージを作ることが大事です。
そうでないと「人もよかれ、我もよかれ」と思いながら行動しているんだけども、必ずしも人から喜ばれない。
霊的にも進歩しない。あまり幸運の運気ではない。
そういう伸びない人は、頭の中に悪因を作ってて、善因を作ってないからです。神人合一の道というものを頭の中に作らないから、霊界で出てこないわけです。
結実しない。頭の中に善なる因を作るという、努力がいるんです。
すなわち、頭の中にいい画像といいイメージを作っていく。
もっと具体的に言いますと、「人も良くなっている、我も良くなっている、すでに良くなってしまった」というイメージを絶えず心と行いに先行させている人。この人が頭の中に善因を作っている人です。
「只今に生きる」の落とし穴とは
ところで、「只今只今に生きなきゃいけない」という言葉がありますけども、実は、只今只今だけを見ていたら駄目なんです。
体を動かして対象物に没入している時には、只今のことに集中すればいいんですけど、お風呂に入っている時、私はどうやって只今に生きようかと思いましてね。
それから、トイレ入っている時、どうやって只今に生きるんだろうかと、研究しました、刻々に。
チョロチョロという音に集中するとか、ゴボゴボゴボという音に、水が何グラム入っているんだとか…。トイレでどうやって只今に生きるのか。
それから、ふとんの中に入った時に、どうやって只今に生きるか。もう何にも考えないで寝ているのか。
あるいは、プラットホームで電車を待っている場合、体を動かさないですよね。
湯船につかったり、ふとんで寝たり、人を待っている時。こういう時は、どう生きればいいのか。只今に生きるってどう生きることなのか。只今の生き方を研究したんです。
まあ、仕事が忙しい時には、今の仕事に没入しますけども、余程何かに集中してやっている時以外は日常生活の中で二十四時間没入するって、なかなか難しいです。
実際にやってみると。例えば、人の話を聞いている時というのは、そんなに没我没頭できません。没我没頭で人の話を聞けないでしょう。
「何かお具合悪いんですか」「いや、只今に生きて聞いているんです」ってあんまりないです。
何か絵を描くとか音楽をするとか、文章を書いたり読んだりとか、一人の時には没入できます。
しかし、人様がいる場合は没我没頭がなかなかできないでしょう。只今に生きられません。
税理士さんとお話ししている時なんか、どうやって只今に生きるのか。税理士の話に没入すればいいんでしょうけど…。
その時どうするかというと頭の中に善なる因縁を作っている。
お話を聞いている時は、ああそうかと。いいお話があったら、それからそれへとイメージを先行させていくわけです。
このように、只今只今に生きていることには、落とし穴があります。只今のことしか考えてないわけです。
只今の心と只今の行いのことしか考えてないから、頭の中にいい因縁、善因を作ることを忘れているわけです。これは、「只今に生きる」の落とし穴です。
冷静に考えたら、二十四時間の中には空白時間も多い。只今只今のことしながら、同時に未来のことを先取りしていくと、自然に只今の行うべきことが来るんです。
霊界、神霊空間を只今以上に、未来に先走って、いいもののイメージ作りがうまくいっている人は、非常に善なる因縁と善なる霊界が動きます。
そこに、守護霊や善なる息吹や神気がやってくるんです。しかし、これを休ませている人が多い。
ですから、いくら心構えを変えても、行いをやってみても堂々巡りしてなかなか冴えない。そういうことを私は発見いたしました。
ですから、只今に生きながら、頭の中は善なる因縁をいつも作ってる。
ピッピッピ。絶えずいいスライドを自分で霊界に入れていく。そのスライドの中で、相手もよくなっている、我も良くなっているということを絵で表すんです。
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深見東州の土曜神業録24(VOL.5)
