頭の中に悪因が浮かんでも、すかさず善なる因縁を作る
例えば皆さん、明後日に控えておりまする講演会ですね。
じゃあ、どうやるのか。ただ一生懸命、只今只今の打ち合わせだけして、とにかく何だかわからないけども、一生懸命やるだけだ。
それでは、霊界のつっこみが足りなくて、頭の中に善でもない悪でもない因縁ができます。
それから「何とかなるだろうけども、ひょっとして……」というのは、悪因縁です。
「ひょっとして、こうなった場合は困るな。ウーン、心配だー。心配だー、心配だー」というマイナス的なイメージは悪因縁を作ってるわけです。
「ああ、あの時はああだった。こうだった」。
過去いやだったこと、過去失敗したこと、過去みっともなかったことを思い出して、「昔はああだった。あの時もああだったし……………」と言って、過去のことを絶えず頭にイメージしている。
そういう人は、過去の自分と悪因縁の世界を、グングングングン作ってるんです。ですから、心がいくら良くっても行いがいくら良くっても、頭の中に悪因縁を生み出しているもんですから、運気は全然冴えないし、神の微笑みもありません。お呼ばれもないし、才能も開かない。気も冴えないんです。
もちろん、最悪のケースというのは考えなければいけません。
しかし、「もしもこうなった場合は、困るから何としても」と頭の中で考えても「だけど、きっと良くなるんだ、これは。必ず解決する方法があるはずなんだ」と思って、「もう解決されてるに違いない」と。
そこに信仰力が表れます。「神様の守護があるから、この問題は必ず解決されるんだ。もう解決してるぞー」と喜んでる姿を思い浮かべますと、最悪のケースだけど最後にいいイメージの世界ができますので、こういう人は絶えず頭からいい気が出てるんですね、ピカピカのが。だから、善の因縁が動くんです。
逆にマイナス的な思考とか、悪い結果を絶えず連想する人は絶えず頭の中で悪因を作っています。
それから、ドジな人間はいつも注意されてますから、あんまりバラ色のイメージが浮かびません。ドジなことをしていつも叱られる人は、頭の中に絶えず悪い因を作っておりますので、現実界が冴えないし、また叱られるようなことをしてしまう。
また叱られるんじゃないかという因を頭に作りますから、叱られることが出てくるわけです。
子供の頃からしょっちゅうドジをして、いつも叱られてる人は、叱られてる時はあんまりいい因縁を出しません。
そして、叱られてきたという悪因が霊界にいっぱい溜まってます。
ですから、現実界でそういうことばっかり起きてきて、冴えない場所で冴えないことがあって、また叱られるというわけです。
ここで気をつけなくてはならないことは、いつも注意されるマイナス点をたくさん持っている人、いつも同じ所で注意される人は、いくら注意されても、頭の中に悪因を作らないことです。
注意は注意でされるけども、きっと良くなるんだと。
解決するんだと。
私の未来はバラ色で注意されたことも改善されてるんだという風にして、頭の中で悪因を作らない。
すかさず、善なる因縁を作らないと駄目です。
何にもない時は、只今只今に生きてたら、決して善なる因縁ではありません。
自然に悪いことを思ってます。自然に悪いことを思うので、努力しなかったら絶対にこれは駄目ですね。
これが、心の切り替えとか想念転換です。
想念転換というのは心の持ち方ではなくて「頭から出てくるイメージの画像作り」と言えると思うんです。
これは、僕が色々絵を一年間描いておりまして分かったことであります。
その画像作りがうまい場合には、注意されましても、その注意の問題点が最小限でとどまって、いいことはますますでっかく出てくる。
徳分が備わってきますと、思ったいいことがすぐに出てきます。
悪いことはほとんど結実しない。徳が積み重なってきますと、神の世界に近くなりますので、霊層が上がれば上がるほど、結実のパワーが強くなるんです。
だから、お祈りしたらすぐ叶う人と、なかなか叶わない人というのは、頭の中の悪因の積み重ねと善因の積み重ねの蓄積量が違うんだと言えます。
ですから運命が悪かった人は、冷静に考えたら、絶えずどっかで注意されてたか、いつも叱られてたか環境が冴えなかったかです。
頭の中にいっぱい悪因を作って、心構えと行いだけは良かったという人ですね。
まあ、そういう意味で、画像作りが下手な人は、やはり絵を勉強したらいいんじゃないかと思います。
頭の中の画像が崩れる時が人間が落胆する時で、夢も希望もなくなる時なんです。良きことを連想して、バラ色のイメージを浮かべながら落胆している人はいないでしょう。
イメージ作りの具体的なやり方
ここで私が最後に申し上げたいことは、その画像作りということです。
「人もよく、我もよく」と心でセリフを言うのもパワーがあるんですけども、「人もよくなってる、皆もよくなってる」ということを、いかに画像でうまく表現するか。
要するに、絵の才能ですね。
画像でうまく作っていく。これが上手な人は、頭の中で善なる因縁を作っていて、運が強いです。
非常に具体的に結実します。弘法大師さんが曼陀羅を描いてたのもこれです。
ですから、一つの実験材料といたしまして、明後日に迫っておりまする講演会があります。その画像作りを考えましたら、まず皆さんの頭のイメージの中では、330席全てに皆が座っている。
それだけじゃだめなんですね。赤や緑のいろんな服を着た人が座っている。で、お互いが「満席ですね、満席ですね」と言い合っている。
そして、ニーと笑っている。もう330人、座っているお客様は皆笑っている。こうやって、徐々に画像を作っていきます。
お客様は皆笑っている。おなかの所に「大感動」という漢字が二文字あります。次に、パッとライトがつきまして「大感激」という漢字が映っております。
それから次に「大納得」という漢字が出てくる。それから「大感心」という漢字が出てきます。
そういう風に、イメージの中で、カラーで皆が笑い喜んでいる。幸せだーと。 330人がびっしり詰まっている。
そして、ステージには大きな三文字で「大成功」という字がキラキラキラキラーっと、箔押しで出てくる。金の箔押しで出てきます。
これは、僕が絵を一年間やってて分かってきたことです。
こういう風にして、暇な時は頭の中で善なる因縁を作る努力をしなくてはいけない。ただ単に「ああ何とかで、あれで何とかさ・・」なんて言っていたり、チャカチャカチャカっと名簿を書いたりして、自分の心と体は動いてます。だけども、頭がストップしているわけです。
トイレ入っている時、お風呂に入っている時、寝床にいる時、道歩いている時、会話をしている時でもイメージは誰からも影響されません。
会話をしている時、相手の人が喜んでいるというイメージでお話ししてると、喜んで返ってくるわけです。イメージで善なるものを送ってあげれば、それが相手から返ってきます。
こういうイメージ作りのうまい人は、お祈りをしてすぐに成就する人です。運勢がどんどん開く人、善なる因縁がグングン回転していく人です。これは前に言いました。「阿頼耶識の動かし方」って言いましたけど、もっと具体的に、頭で因縁を作るんだということを、徹底してやって頂きたいと思います。
僕が空を見る時は空なんか見てないんです。空にイメージを作ってるんです。
人類が救われてるとかね。絶えずいろいろとイメージを作る。
昔から僕の癖がありまして、道歩きながらクックックと笑っている。自分で連想して、こうなってああなってということで、自分のイメージの中でジョークが出てくるわけです。
それで自分で笑っている。電車でも道歩いてても、大声で笑っている(笑)。
ずいぶん人様から誤解されましたけど、やっぱり奇魂が発達している人はそうだなあと、今になって分かりましたね。
何でも、頭でイメージを作ればうまくいくんです。
例えば生徒だったら、受験生の何々君がどこどこの正門で「先生!!」と、合格のあれを持ってくる。
暇な時には、イメージを作ってたらいい。
掃除でも洗濯でも、頭の中は休憩しなくていいでしょう。一日のうちの空白時間には、頭で善因を作ろう。いいイメージを作ろう。
最終的に皆が喜んでいる。皆が幸せになっている。上のほうに神様が出てきて、神様も喜んでいる。横尾忠則さんの作品のようですね。
何だかわからないようなのがいっぱい出てきて、ピカーっと光ってたり、こっちから手が出てきたり、あれが霊界の像です。上のほうから天使が降りてきて笑っているとか、ああいうバラバラなものが霊界の像となって形成されるわけです。
こういう所を皆さん、どれだけ努力しているでしょうか。
どうですか。頭がグルグル動いてきたでしょう。こういう風に絶えずいいものばっかり描いている人は、ものすごく気分がいいし、発展力、パワーがあるわけです。
今度の講演会も、自由にイメージを作りましょう。漢字を自由に入れてみたり、英語でも何でもいいですから、頭の中にいい因縁を抱いて、暇な時はどんどん善因を作るんです。
あるいは、注意されて落ち込みが来た時。真っ黒になった時には、ゼロから描いていきましょう。
ガーンと言われたり、ガーンと失敗したりして、ドーンと落ち込むんですけど、今度落ち込みましたらゼロの時点から新しくイメージ作りをしましょう。
明日はきっと良くなるだろう。きっと良くなるだろう。自分も幸せになっている。自分が幸せになって喜んでいる。そういう霊界に感応していきます。似たような霊界を作るから、いい霊界を呼ぶんですね。
絶えずいいイメージしか湧かない。ゼロの時点だったら自分で白のキャンバスの上に描いていく。これが努力です。
そうしたら、やる気が起きてきて、神様にお祈りしようかという気持ちが出てきます。
もう駄目な時は、神様にお祈りしようという気力も起きてこない。神様に祈ろうということも面倒くさくなって出来なくなります。
僕がお祈りし始めたら強くなるんで、邪神界の水際作戦で、僕にお祈りをさせない。
フラフラにして、お祈りする気もなくすというのが、邪神界の水際作戦です。
それに対して僕がとったのはイメージ作戦。フラフラで、口もろれつも回らない。寝不足で肝臓も腎臓も腫れまくってる。
だけど、イメージの中では、僕がすごく元気で頑張ってる。もうすでに起きてやってるぞ。活動してるぞ。皆も待っているから、頑張らなきゃいけない。
もう頑張ってるぞーと思ってイメージを作ると、頭が元気になってきます。
ブルブルブルブルブルブル(笑)。イメージで自分を取り戻すわけです。
そうすると、真っ黒の霊界から、明るくなってきます。
それからビビビーと来まして、神様にお祈りが始まって、お祈りが始まったら強くなります。
ウワーンとご神霊が動きます。しかし、お祈りをして神様にビシッと向かう所までの、自分の立ち上がりは、頭の中で作らなくては駄目です。
ろれつの回らない状態で、どこから入っていくかというと、イメージから入っていく。それで絶対に自分を蘇らせるんです。
イメージ作りが自力の始まり。そこに他力が加勢する
それから最後になりましたけども、私の「風の出る絵」があります。
あれは、どうして風が出るか、皆さんご存じですか?
それから「匂いの出る絵」。パって匂いが出てくるでしょう。なぜ匂いが出るのか。
それは、もう絶対に風の世界が来てると思う。要するに富士山を描きながら、富士山の中に入ってるわけです。
自分に曇りがあったら出来ません。富士山の中に入って、富士山か自分かわからなくなる。
ここに富士山がいると思って、強く強烈に確信して念じるわけです。
もちろん、ただ念ずるだけじゃ駄目です。
「神霊界」にも書いてありましたけど、イメージを強烈にグァーっと確信して、それがカラーを帯びてきてピカピカになって存在感が出てくる。
それで「こうなるんだ!!」と脳にものすごくパワーをぎゅーっと込めますと、本当の風が出てくるわけです。
本当の匂いが出てくる。霊界が結実するんです。
ですから、不幸なことがあった場合には解決されたイメージを絶えず描く。
体が苦しくても、ボロカスに言われても、失敗しても、イメージだけは絶対に曇らせない。
これがすなわち、想念の曇りがない。映像の曇りがない。そして、イメージを凝結させると霊界が結実するわけです。
しかし、これの問題点は、あまりやりすぎますと、自力本願になりすぎまして、我力を出してしまう。ですから、神様があんまり喜ばなかったわけです。
ところが、ろれつは回らない、体はフラフラ、祈ることもできない時はどうしたらいいんですか。
神様にお祈りできれば、真心の祈りを捧げるんですけども、祈る前に自分が崩れますとそれも出来なくなります。
だから、イメージで自分を蘇らせるわけです。神様にお祈りして向かうまでの自分を、そのような形で作るんです。
つまり、我力と神様の他力を十字に組む方法を、私は思いついたわけです。
それから立ち上がりが早くなりました。風の出る絵も成功していったわけです。
大脳の動きでどうのこうのだとか、イメージを凝結させるとか、他の人の本には色々書いてます。しかし、風が出る絵まで描いた人はいなかったですね(笑)。
それは自力だけだからです。自力のイントロダクションに神様の力が入って、十字に組まないから出来ないんです。
自分なりの努力、頭の中の善なる因縁を作る努力の上に、神様に対する至誠を向けて、他力が備わって初めて出来ることなんです。普通の行者さんとかヨガとか、イメージコントロールなんかは、自力だけの世界です。つまり、神力を動かしてないんです。
ところが、逆に、何でも神様にお願いする人は、自力の脳の善因を作らないから、神様にお祈りは捧げているけども、霊力が弱いわけです。
現実界を動かすだけの強い善なるパワーが弱い。
悪霊が来たらフラフラフラ、善霊が来たら頑張るけども、またしばらくするとずれちゃう。
脳みそに主体性がないわけです。自分自身の脳みその中に善なる因縁を作る努力をしてない。
それなのに、なんかちょっとあったら、ずれましたとか、悩んでますとか、苦しんでますと言う。自力で蘇る蘇生力がないわけです。
それでまた、人に相談する。そういう、子供じみた世界からちっとも独立できない。
真心と行いだけは一生懸命してるんでしょう。しかし、頭の中に悪因を作らず善なる因縁を作り、それから他力と自力が十字に組んで皆を幸せにする。
自分も豊かになるという所まで行ってません。心の粘りが足りない。やっぱり何でも、ここまでやらなきゃ駄目です。そういう努力、そういう工夫をしていく。
暇だったらずーっとやり続けることですね。ほとんどの悩み事は、これで消えちゃうと思うんです。
金粉を出すとか、いろんな行者さんがいます。行者の力というものが、現実にあるわけです。
その力を、いかにいいほうに使うのか。
神様の道に合ってる方法を探求していたわけなんですけど、結局は十字に組むやり方しかない。
ロバート・シールズさん(註:当時、全米ナンバーワンの天才パントマイマ 1)に会っててもそうですね。
僕たちが魚をこういうふうに釣っているパントマイムをしてて、自分がその世界の映像の中に入ってるんですけど、彼の場合、釣られた魚の身にもなってるわけです。
やっぱりプロだなあと思って…。
それで自分にも人様にも対象物にも、どのようにもなれるような画像作りの幅ができてから、非常に回復が安定してきました。
それは絵の才能と画像作りの才能。強く念じる工夫。それがありますと、産土の神様を動かしたり、神に祈りを捧げる時にも、もうちょっと、皆さんの善なる祈りのパワーが結実化するんじゃないかと思います。
自分の願望だけでは駄目ですけど、神様の御心に叶い、昔も幸せに、自分も幸せにという祈りだったら、どんどん作るべきだと思います。
そういう努力の方向性。これ、今まで気がつかなかったところです。皆さん、ぜひ実践して頂きたいと思います。
嫌なことを聞いた時は、誰でも嫌なイメージを抱きます。
ですから、嫌なこと聞いてもイメージはいいというのが、日常生活の工夫のポイントです。
どうですか。頭の中がちょっと軽やかになったでしょう。脳みその中で芽生えてきましたね、今。
七澤さんの顔…って、七澤さんの顔まねです。似てる?(笑)
ということで、講義を終わりたいと思います。(拍手)
各ページ
深見東州の土曜神業録24(VOL.6)
