【第三章】神業の初発の原点を忘れない(昭和61年7月5日)
ミュージシャン、宗教団体が陥りやすいプロセス
【深見先生】それでは昭和六十一年七月五日、土曜日のご神業でございます。
久方ぶりの講義で、本日のテーマは、「全ての源泉それは神業」という講義であります。
どこの宗教団体、どこの組織もそうなんですけれども、芸術家でもそうなんですけど、素晴らしき、良きご神業したい。
真実なものを求めている人が真実を発見して、真実を人に伝えなきゃという純粋な気持ちでしておりましたのが、徐々に信奉者が増えていって、何らかの組織にしなきゃいけないということで、宗教団体かグループになるわけです。
そうしてきますと、組織ができますので、この組織を維持しなければいけない。真実の道を伝えるために教祖とか開祖の御心に合うように、信者を増やさなくてはいけない。
それで、信者を増やそうとします。そして組織が拡大いたしまして、二代目になりますと教えと組織と信者だけが残りまして、それを維持していきます。
皆の心の拠り所を何とかしなくてはいけない。
それで、また頑張ろうということで、頑張るのはやはり、教祖の教え、私たちの信じてる教えは真実だから、世に広めようということで、信徒が一丸となりまして布教に当たっている。すなわち信者を増やす。
それから組織を大きくするということに、朝から晩まで汲々とするわけであります。
それぞれに得意、不得意がありますので、一番効率のいい形で役割分担が決まりまして、ある人は新聞配り、ある人は献金集め、ある人は接客です。
皆、一生懸命仕事してるわけです。どこの宗教もそうなってるはずです。
芸術家はどうかと言いますと、本当の素晴らしい音楽をしたいということで音楽を求めて、腕が上がってきました。どこかのコンテストで優勝しました。
レコードが出ました。テレビにも出ます。ラジオにも出ます。
レコードが売れました。ミュージシャンとしての実力がある程度評価されていって、一つの職業になってきます。
地位も名誉も財産もできて、それなりに立場を考えるわけです。
どういう曲を出していくのか。レコードが売れなきゃいけない。レコード会社は営利目的の企業ですから、テレビでアピールしなきゃいけない。どうすればいいか。
いろいろ研究していって、一流ミュージシャンの道を行くわけです。
こういうふうに、ごく普通の社会の中で、ミュージシャンにしましても、宗教家にしましても、まあ、将棋をやりたいという人でも、全て同じようなプロセスを経ているんじゃないかと思います。
では、その初発の原点は何だったのかと言いますと、真実の道を求めたい。
あるいは、素晴らしい音楽をやりたい。音楽が好きだという所から入っていきまして、一流のミュージシャンになる。
地位や名誉を満足したいために練習する人もいるでしょうけれど、実際はこういう人はあまりいなくて、最初は、十代、二十代は、純粋な気持ちを持ってるわけであります。
私たちも、どんなに素晴らしい神様の教えであり、どんなに素晴らしい神様の道であり、教えでありましても、お金が要りますし、人間がいますと葛藤があります。
ご飯も水も要るし、トイレも要る。お風呂も要る。洋服も要る。やはり、生きていかなければいけない。同時に、真実の道、素晴らしきものは世の中に広めなきゃいけないという、どんな宗教でも、同じ客観情勢を持っているわけであります。
ごく普通に私たちが、何の考え方のチェックもなく普通に努力していきますと、私が最初に申し上げたような、一生懸命お金だけ集めて、建物ばっかり大きくなって、信者ばっかり増えます。
目に見えない世界から言いますと、霊団霊がどんどこどんどこでっかくなって、黒龍とか狸軍団とか、邪気とか兇党霊が来る。
宗教団体はそれが務めだから、必ずやそういうふうに向くわけなんであります。普通どおりに行くと、当然そうなるわけであります。
それでは、我々は何のためにこういうふうに集まってやってるのかと、原点を考えますと、宗教団体の組織を作って税金を免れた。
組織っていいな思って来た人は、一人もいないと思います。
信者が増えて活動している。ビラを配っている。
あの瞬間が好きなんだな。あれがもう大好きなんだ。それで来てる人もいないと思います。
やっぱり、何だか知らないけど、魂が引かれるものがあって、いろんな宗教を見ても、どこにもない新鮮味があって、人間同士のヒューマンコンタクトと申しますか、他ではないような高度な神霊の体験、そういう知識、そういう教え、そういう霊域。
いろいろ魂が引かれるものがあって、価値を見出し、いいなと思ってるから集まってるわけです。魂が求めているわけです。
そこから、ある時は叱られたり、ある時は講義を聞いたり。ある時は磐梯に行ったり、ある時はどんちゃん騒ぎをしたり、ある時はお茶室で静かに着物を着て、おめでとうございますとか、しおらしい顔してたり。
ある時は自動車をどれが安く買えるか見たり、コーヒーの出し方がぬるいとか、いろんな形になっていくんです。
しかしまあ、源泉は私たちの魂が求めている所にあります。
知識とか体験と日常生活の中でしているものは、ひっくるめまして、我々は何のために生きているかと言いますと、ご神業のために生きているんだと。
我々は何のために生きて、何をしてるのかという原点は、神業を求めて来てるんだ。
これが原点であります。
ところが、一流ミュージシャンがたどるように、それが悪いとは言いませんけど、音楽に対する素直な気持ちが、職業の音楽、レコードを売っていく、売上の音楽に変わっていきます。
商業ベースの中で、ねばならないものですが、こうなっていくと、やはり本質からずれてるわけです。
宗教も道を伝え、神業を伝えなくてはいけないんですけども、その教えを伝えるために、本を配る、人を集める、献金を募る、ビルを建てる、本を売るというふうに、活動のほうになっていきますと、この原点が忘れられるわけであります。
そういう宗教とかミュージシャンの主客を逆にしないために、何が必要かと言いますと、やはり原点の神業というものが原点であり、同時に終着点なんであります。
原点であるし、終着点であるし、日々のプロセスが全部ご神業であって初めて、我々の当初来た目的と意義が全うできるんです。
当初の目的も、プロセスも、終着駅も、この神業、魂の求める永遠の教えをますます深くしていって、真実をますます体験していく。
その中で、自ずから出てくる前の世界を、絶えず見なければいけないんです。
漠然とご神業を求める気持ちを絶やさない
これを見忘れますと、植松先生が神業に「狎れ」が出ている、元を忘れているとおっしゃいます。
とにかく、仕事という世界の中に入りました時に、形の上では頑張ってやっているんですけど、それは最初に申し上げた、宗教団体、名前が出てきたミュージシャンと同じでありまして、神業じゃない。
神霊世界から見たら、活動はしているけれども、そんな活動はどこの会社でも、どこの宗教団体でも、どこの社団法人でも学校法人でもやってることです。
漁業組合でもやっています。
そんなことのために、おまえたち集まったのかということが、の神様の言いたいことなんです。
もちろん、私たちは神業さえやってたらいいわけではありません。
ご神業さえやっていれば、何でもうまく行くわけではありません。
ただ、抽象的で漠然としているご神業というものを求めているんだったら、どこまでも抽象的に漠然として、ご神業がしたいという気持ちが極まっていればいいわけです。
音楽って何かわかんないけど、とにかく求めている。音楽っていろいろあるし、どれがいいのか。
僕はロックがいいかな。いや、やっぱり……なんて探求してる。音楽の中にも種類がありますけど、音楽をやりたいという、漠然とした気持ちです。
後から形を考えるようなもんですね。それでいい。
このように、漠然と魂が乞い求めてる世界があれば、目に見えない世界は光明輝いて、生き生きしています。
ところが、そのためにこれをして、そのためにこれをしてと、主客が入れかわりますと、仕事の中で頑張ってる世界ができてしまいます。
そういたしますと、神霊空間は閉じてしまいますし、人間の我が出てきますし、最初申し上げた宗教団体とかプロのミュージシャンと同じ歴史をたどってしまいます。
ですから、予兆のうちに神様が戒めて、それを私たちに気付かせるわけです。それが先週の土曜日に起きたことです。特に私たちは、これを気をつけなきゃいけないということが、まず最初に申し上げたいことであります。
そういえば、植松先生が土曜日の前、木曜日に、何か本当の方向からずれてるような気がするとおっしゃいました。
それで、木曜日からずーと、スの神様に必死で祈りました。
何か、どこか違ってんじゃないですか。
私自身も含めて、本当の方向性とは違う、どこか別なほうへ、ぐるぐる回っているんじゃありませんか。
さんざん、二日間ほどお願いしておりました。
そしたら、朝起きて気が付きました。あ、Aさん、一生懸命やっているという、一生懸命霊界だ。Fさんも「あの、もしもし……」と頑張ってる。
Fさんも、はい、ぴぴぴっという感じでやってて、坂本さんもほおーっとして、しかも頑張ってる。
Nさんも七澤さんも皆頑張ってる。ああ、皆頑張ってる霊界に入ってるなあ。頑張って仕事してるなという感覚でしたね。
それが木曜、金曜と、僕にもあったわけです。そして土曜日に、やはり雷が落ちたわけです。あれは答えでしたね。
まあ、そういうことで春から夏にかけては、物事がどんどん成長していく季節です。
ですから、どうしても竹の子にもアクが出ますし、成長プロセスの時には、やはり、それだけのものが体からにじみ出てくるわけです。
出発もご神業、プロセスもご神業、最終目的もご神業です。
活動はしているけれども、漠然とご神業を切に求めて、ただただご神業を求めて、ご神業したいという気持ちを、私たちは一日も絶やさないようにしなければいけません。
そうでないと、最初に申し上げた、宗教団体やミュージシャンと同じプロセスを、知らないうちにたどってしまうわけであります。
特にこのグループは、神業を大切にするグループでありたいと言えるんじゃないかと思います。
これがまず、本日皆さんに申し上げたいパート1の講義であります。
しばらく休憩したいと思います。どうも。(拍手)
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深見東州の土曜神業録24(VOL.7)
