二月一日
平の修業は正心よりす
静の修業は邪無き愛念よりす。
平静を得て後後幽にあらば
黙の自然化身おのずからあり
慧地
日の本の神は無を超え
道を超えている
神位そのままの創造と幸を生むものなり
あらしふく中国は
文学と詩あれども
国柄は異なり。
安心と落ちつきと永続の徳至らざり。
学ぶべきことの意味は
一に正心 二に良心 三に専心を培うことなり
適当な運動は命の洗濯
過度な運動は喜びを
妨げる肉体の暴力
無感動なスポーツは体操に終わってしまうように、
学習にも、希望と感激がないと拷問ではないか。
(問)
晴ればれとして学習するには
如何にすればよろしいか。
(答)
ひたすら黙読して、曇った
気持の出るスキを与えないことである。
ひとのふり見てわがふり正す。
心すべきはその日々の行いの中に 優しさと軽やかさを
厳しい中髄より出だすことである。
祈りとは如何
まだ知らないうちのざれごとなり
※註:祈りは入口。 見性悟得の妙境こそが奥の道。これ知れば、祈りは自然にその真中にあり。
満ちたる潮は引かねばならぬ。
足らぬくらいで満足するのがこつ。
朝日のすがしさ、時々rt>じじに失なわぬ秘訣なり
正心誠意事に当たるというのは、
狂った自分をまず正す姿勢から始まる。
