昭和五十四年 二月二十二日御神示(二)

人の生命は神により
神は人のまことによるところにあり。

中心がずれているから
悩み事が出てくる

いかなることも本があり、末がある。
本を忘れぬ心が誠であり
末を大事にする心が繁栄の心である。

地につかない足は本が切れ、枯れているからである
自在というのは、本から自然に出てくる観音の働きなり

転換期に大切なことは
時代の先を見ていく目を養うことである。

過去にとらわれず、自然の風情を見て、
先にあることを予知することである。

人の体にはその能力がもともと備わっている。
これが本来の神覚と謂われるものである。

自我が出るというのは
人の世界の感覚が鋭くなり
潜在せる神性より来る感性が鈍くなることなのである。

芸術はその感性の鋭敏さを培い、
みがくためのものであるべし

心というより感覚の世界が神に近い。
御魂の世界は神のいたわりとはげましを受けて、
開かれるものであり、
自分の努力は神に向けて為すべきである。

努力努力と言う人も
神に召されて行くときは
助け給えと祈るかな
神の弥栄の為にする努力は
自分の世界が拡まり
全てが生き生きとなり

安らかで、力みがないのである。

神の世界は広し
夢のごとき世界なり
地に雪が降り世界は白銀となる如く。

一夜春風、夢に入りて来たるなり。
神のごとくあるべきなり。

漂う気品と妙気、夢心地を人に与えるべし。
ことごとく、この世の憂いを感じさせない人格者であるべし。

全て神試しなり
神は剛に柔に人を試し
立派な神覚者に育てているのである。

できてはじめて深い神慮がわかるなり

あまり先、先考える人は
只今の神の世界を自らぶちこわしにしているなり。