深見東州の土曜神業録23(VOL.7)

神様がお出ましになる斎庭とは

この植松先生の働きを別の角度から言うと、「斎庭」と言います。斎庭と言います。斎庭という言葉はうまくできてますよ。

「斎庭」(板書)というのは漢字ではこういうふうに書きます。「斎」まつる「庭」と書きまして、「斎庭」と読む。

考えてみたら、本当の斎庭というのは「湯の庭」でございまして、お湯が温かくて安心でしょう。日本人は温泉が好きですね。

お風呂と温泉が好きですね。なぜか。元のの神様の次元に直結するから、「あんしーん」と感じる。日本人以外はお風呂で安心感というよりも、とにかく汚いものをきれいにウォッシュする。石けんをつけて、がちゃがちゃしてやっちゃう。

お風呂を楽しみ「温泉でも行って」と、たくさんのお金を出しまして休養とりまして、有給休暇を取って、貯金して温泉へ行ったと。お湯につかりに行くだけで、そんなに生涯の楽しみなことかと、日本のおじいさんおばあさんは。ヨーロッパ人にあるでしょうかね。

温泉つかりに行って、「いい湯だったねぇ、じいさんや」「ばっさまは、温泉に行ってお地蔵様と遊んだらしいよ」「おじいさんや、そんなに温泉につかりすぎて、湯疲れになってしまうかもね。知りませんぞ」

「ばっさま、そうは言うけども、温泉のムードちゅうもんはなかなかええもん」

皆さん「まんが日本昔ばなし」、見てますか(笑)。

こういうふうにですね、日本人はお湯が好きです。ですから、斎庭っていうのは、お湯のような温かくて安心するような、ほのぼのとするところにやはり神様がお出ましになる。

神を「斎」まつる「庭」と書いて斎庭。この言霊を考えると、本当にお湯の斎庭です。お湯があって、お湯のような温かい安心のムードが輪になっている。斎庭っていうのはそういう輪とも言えますね。

湯になっている輪。皆が温かくて安心してほのぼのとして、「温泉がいいですねえ」なんていうね。ですから、ご神業に行くときに、いつも温泉に行くとこういう斎庭を作る。元素の素の状態を作って醸し出すから、神様がお出ましになるんです。

レジャーを兼ねて行ってるわけではありません。まあそれもあるかもしれませんけど。

一番そういう状態っていうのは、高級神霊を受けるのにいい状態だから。これは植松先生がおっしゃったの神様の定義としてこうだと言われてるからでありまして、まさにこの斎庭というのは「斎」まつる「庭」と書いて斎庭と書く。湯のお庭であるし、湯の輪なんです。

こういうふうなのが元素大御神様の持つ世界でありまして、日本人にそういうものがあって、国体にこういうものが備えられてるわけですね。日本人の性質にそういうのがあるんです。

しゅんぶうたいとう

だから、あまりギスギスギスギスしないように、春風駘蕩としたような人間がいいなと思われる。ギスギス理屈を言うんじゃなくて、おおらかで何でもやりたいなというふうな、そういうムードがある人がいい。

神魂の要素と大国主の要素が両方あるのがいいという気がしますね。

女性はスを持っている

こういうふうにの神様というのは、元素大御神様というのはあるわけでございまして、これから発展いたしまして、の神様というのは生活に出てくる。ですから鳥の巣、蜂の巣というよりも、住まいの巣ですね。

素晴らしい。すごい。語呂合わせみたいですけど。素敵。鋭い。簡単に考えますと、「素晴らしい」というのは「素」が「晴」れる。

私たちの中にもこの安心のムードの世界がありまして、これは私たちのホルモンを分泌するとこですね。ですから肉体には卵巣というのがあります。

悲しいことを植松先生言われました。「男性には巣がないのよ」って。ですから男性には妙がない、神のものがないわけであります。

考えてみますれば、卵巣もうまく名前が付いています。鳥の巣、蜂の巣、住まいの巣。

卵巣はランスと呼んだらいいと思うんですけどね。アデランスってありますけども(笑)。ムードはここから出てくるわけです。ホルモンの分泌が良くなったらほわんとするでしょう?

だから、女性にしか本当の神様というのはないんで、いくら私が頑張りましても、これを持ってるということで植松先生には圧倒的にかなわない。

Nさんや皆さんにもかなわない。

があるから。

ですから、神魂神社の「かもす」があって大国主というこの方式は、一般的男性女性にも当てはまりまして、一般的に女性のほう次元が高い。

宇宙の最高のと直結してるわけで、理屈、観念を乗り越えている。知性とか腕力とかパワーで出てくるのは、男の次元でございまして、やっぱり現世に近くてワンランク落ちるわけです。

来世は女性で生まれてくればいいわけでございまして、男性は男性として生まれてきたことにおいては立派に大国主の働きでやればいいわけでございます。

ですから女性のほうが尊い。女性は◎を持っている。妙がある。

これがまた植松先生の独自なオリジナルなところでございまして、女性のムードをそうすることによって醸し出して「かもす」にして、ふわーっという斎庭ができる。

ふわーっという安心の世界に、女性が来たらふわーっと醸し出すものがある。この巣。ホルモンの分泌がよくなって、それをほおーっと、いるだけで家庭の醸し出すムードによって男性がやる気が出てくる。

大国主の神社のように、男性に「やるぞ。国づくりするぞ」というエネルギーとやる気と叡智が出てくる。

叡智が。これがないと男性は枯れてしまいます。だからすべての元はそこです、母体なんです。

というところで、理屈屋の女性は駄目だというのはこういうことでございまして、どちらかというとムードが良くて醸し出すようながあるから、素晴らしいんであります。

男性にももちろん男性の巣はありますけど、女性のとはちょっと違いますね。

ですから、素(が晴れるから素晴らしいと思うんで、安心の中にいて喜びの中にぱっと入る。

「素晴らしい」っていう形で、その人の体の中の素が晴れる。その人の境地の中の素が晴れる。

想念霊界の素が晴れる。素晴らしいという気持ちになる。「すごい」というのは「素」が「濃く」なる。なんか語呂合わせみたいですけどね。「すごい」と。

「素敵」というのは「素」が「適」する。ぴたっとその素が中心にはまってる。素敵、ぴたっ。決まってる。

「鋭い」っていうのは「素」が「留」まるのに「遠」い。

鋭いのはよくないと。鋭いっていうのは僕は本当に素から遠いんだなと。語呂合わせみたいなこと言いますけどね。

このように最高の神の次元というものがどこに現れているかと言いますと、理論とか観念とか、荒々しい力とか、働きとか、パワーとか、威厳とか、そういうものではなくて女性の、しかも女性の中の醸し出すようなムードとか、安心というふうな世界のムードの中にあるんです。

住まいというものがそういう世界を作り出す元であります。生活とは、まさに「生」(板書)かして「活」(板書)かすと書きますね。

この生活に、最高の神の御心と働きが内蔵されているんです。

スの神様は平凡な生活の中に出てこられる

の神様は平凡な生活の中に出てこられるですから、その家庭生活というものを、日常生活というものをびしっとすることによって一厘が入ってくるわけです。

このあたりを説いておりますのが禅宗であります。禅宗も穏やかな安心のムードの中にいます。ですから、荒々しいというのは本当じゃございません。趙州禅師とか、ほのぼのするような、安心の世界をもたらすような、そういう教えというのが本当でありまして、あまり理論とか、観念とか、あるいは荒々しさでは本当ではない。

強さのないような平平凡凡の日常生活というものを大切にして、醸し出していくようなムードです。

整理整頓とか、おうちをきれいにして、洗いものをしてなんていうことで植松先生がいつも生活修業と申しますか、生活禅と申しますか、よくおっしゃいますね。

それは本当に生活の中は住まいの巣だから。

宇宙最高のの神様は、家庭生活の住まいに出ていらっしゃる。それぞれのおうちの醸し出すムードの中にがある。

元素がある。だから植松先生が洗いものとか整理整頓、おうちをきれいにきれいにと、いつもいつもおっしゃるのは、こういう背景があるからであります。

植松先生はいちいち説明なさらないからわかりませんが、私が今日この機会に言いますけど、生活というのは生かして活かしていく。住まいのの宇宙最高次元の安心と醸し出すものがあるからこそ、生かして活かしていく。

ですから、生活に活かせない知恵というものは低い。生活の叡智がない人間は知恵としては二流三流の知恵です。

生活の知恵というものは、次元が低そうですけども、本当に動かしてるものはこれなんです。

ですから、生まれながらの家庭生活の住まいのムード、安心のムードの中で、すくすくと才能が伸びていく人もいれば、ギスギスギスギス夫婦がけんかしたり、浮気だなんだと言ってみたり、お母さんがちっともいなくて、巣がなくて、もぬけの殻になっちゃってる家はの神様がいません。

だから、日本の言霊では「うちのかみさんがね」なんて言うわけです。すごいですよ、言霊を見たら。「うちのかみさんがねえ」なんてありましたね、コロンボ刑事で。「うちのかみさん」は、うちの神様。

本当にうちの神、山の神。それから「奥さん」というでしょう。不思議ですね。奥に入ってるから奥なんでしょうけども奥義ですよ、本当に。

「奥様」といったら、奥にいらっしゃる神さんですよ。不思議ですね。

住まいというところに宇宙最高の神がいらっしゃって、奥様も神様ですよ。

ですから、そういうものを大切にしてムードをもたらしているという働きがあって、それから分析の知恵とか現界の知恵とか、銭勘定の知恵なんてというものがプラスされればよりいいですけど、このがなかったら値打ちがない。

女性の本当に素晴らしいところっていうのは、母であり、妻であり、女性であるんでしょうけれども、こういうの神様のものを受けているところが最も素晴らしいところなんです。

そういうことが分かれば、ですから、女性のほうが圧倒的に尊いんです。働きの次元とか知的、理論的世界に出てこないんですけども、こういうふうに神霊界の実相、本当の御親元素大御神様のというもののことを考えたら、女性の値打ち、価値というものに対して、新しい価値観が出てくるはずなんです。

これが新しく「天意の転換」といわれてるところの植松先生がおっしゃっているオリジナルな説なんです。植松先生のお伝えになったところというのは神様がおっしゃったことです。このようにユニークな独自な展開なわけですね。

日本のこういう言霊で、語呂合わせのように思うかもしれませんけど。

日本には、宇宙の元素大御神様が、菊理姫様や太陽の天照大霊女貴あまてらすおおひるめむちから、直接日本にこういうふうなものが下りてるので日本の言霊で自然に、なるほどなっていうことが分かる。ヨーロッパ人の想念の世界では、全くこういうことは分からないわけです。

禅宗の素晴らしいところというのは生活を大切にしている所です。

禅はインドや中国のベースがありますが、日本の生活に合う形に禅宗も近づいておりまして、男性的な荒々しいのよりも、趙州禅師とか沢庵さんとか良寛さんなんていうのは、まさにこういう方向ですよね。

道元禅師が言いました。明歴歴露堂堂めいれきれきろどうどう。明歴歴露堂堂として、宇宙の真理というものは、日常生活のありのままの姿にすべて出ているじゃないか。

人間がそれがわからないだけだよと。明歴歴露堂堂。

露出する、堂々と表してる。明歴歴露堂々と天地の真理を表している。

平凡な日常生活の中に住まいの中に、最高の真理というものがあるじゃないか。道元禅師はこのあたりを説いているわけですね。

禅宗の教えは生活を尊重し、足もとを照らしていく。高邁な論理とか、絶対者の教理経論、威厳なんていうよりも、こういうことを大切にする。

生活を大切にする。住まいを大切にする。そういう意味で家庭を大切にして国づくりができていく。これが日本の母の役割です。ですから、家庭と母親と教育がきちっとしますと、立派な男性、女性のいい人材が日本国家に出てきます。

世界の人たちもこういう要素を鑑みますと、これは普遍的な真理ですから、社会がよくなっていきます。このあたりからよくしていくのが、やっぱり社会をよくしていく最短距離であり、確実なラインではないかと思いますね。

というふうなところで、この生活実践。足もとを住まいをしっかりしなさい。整理整頓、きれいにしなさい。

そういう簡単な常識的な足もとに、最高のの神様の真理がありますよということで、植松先生が日ごろおっしゃってるのがお分かりいただいたと思うわけですね。

こういうことでパート1、パート2、パート3と分かれまして、の神様。

宇宙創造の神様、全知全能の宇宙創造の神というものに対する、ここで出ているところ、植松先生がおっしゃってるところの特徴といいますか、ユニークさというか、素晴らしさといいますか、お分かりいただいたんじゃないかと思います。ということで、本日の講演を終わります。ありがとうございました。