第四章悪人よりも強い善人になれる秘法 昭和60年12月22日
悪人に勝つために、強いプラスの欲望を持つ
【深見先生】この講義は、今年度を締めくくる最高の講義でありまして。私が今年一年、研究に研究を重ねました結果わかった、「悪人よりも強い善人になれる秘法」です。
だいたい世の中は、善人の方が弱くできております。悪人に負けそうだけれども、最後には善人が勝つ。お芝居を観ておりましても圧倒的に強い善人ってあまりいませんね。
みんな悪人にやられやられて、最後に神のご加護で助かったなんていう形で。なぜ悪人はスタートから中盤、後半のぎりぎりまで強いのか(笑)。
考えましたね。やっぱり善と悪といったら、世の中ほとんど悪のほうが強いでしょう。善は弱い。
なぜかと考えましたね。たえず善人がやられています。そこで神様におすがりをするということで、ご神域を求め、神を求める人間は、やっぱり弱い人が多いです。いろいろ考えました。
そしてわかったことは、聖徳太子さんは善人と悪人を比べまして、善人は善を誇るから良くない。悪人は悪をひがんでいるから良くない。
だから、和をもって貴しとして、悪人と善人が仲良くなきゃいけないと言いました。本人も苦しんだんでしょうね。
結論から申しますと、なぜ悪人が強いのかという原因は、一言でいいますと欲望が強いからです。二番目に執着心の粘りが強い。第三番目に念力が強い。
欲望が強く、執着心が強く、念力が強い。しかも、物質の物事に拘泥している。
あるいは、ころころころころと化ける、化身する、カモフラージュする。要するに、これはタヌキ、キツネ系列になるわけです。
陽明先生の話でいきますと、もともと先天的に私たちは聖人であり、欲望がその聖人に覆い被さっている。だから欲望を取れば、先天的な聖人が出てくるんだ。
禅宗でも無欲になるっていうこと無になるっていうことが出てきます。
そういう宗教セオリーが永く定着していたものですから、どうしても悪人の方が欲望が強くて、あれもしたい、これもしたいという願望が強い。念力も強くて、俺は金持ちになるんだーと言いながら、なんとしても俺はやるんだーという形で悪知恵も出てきます。
ときどき、悪人よりも強い善人もいますけれども、圧倒的にシェアーは悪人の方が強いですね。
悪よりも強い善人ってのは、あんまりいません。
知恵の面でも悪知恵の方が、よくそんなに考えられるなっていうほど、悪は必死で考えているわけですね。
それは、必死の欲望と執着心の念力がグーとあるから、マイナスの阿頼耶識をギンギンに使っているので、いっぱい出てくるわけです。
それにキツネが応援する、タヌキが応援する邪気が応援するということで、強くなるわけです。
だから、善人が悪人に勝とうと思えば、もっと強いプラスの欲望を持つ。もっと強い粘りと執着心を持つ。もっと強い念力を持つしかないんです。
私はこれがわかってから、堂々として、僕が行くと全部パッと明るくなるんですよ。わかったわけです。陽明先生はあの時代だから良かったんだと。
今の時代、周囲がボケーっとしておりますと、いつ悪人に足もとをすくわれるかわからない時には、陽明先生とか禅宗のようじゃだめだと。
陽明学だめだと。弘法大師さんのようじゃなきゃだめだと思いましたね。陽明先生も禅宗も捨てる修業です。
確かに御魂の世界はそうです。御魂の世界は自分の欲を捨てなかったら、死後天界には行けませんので、御魂の世界は捨てる修業と言えます。
そのためには、素朴で素直でなければいけない。素朴で素直でなければ御魂の世界というものは到達できません。欲望とか執着心を持っていると、絶対に魂は曇りますので、欲を捨てなきゃいけない。
もちろん、この世の中がみんな素朴で素直だったらそれでいいでしょう。悪が全部味方してくれるんならいいでしょう。
しかし、御魂の感覚とか素朴で素直な人間がポコンと世に中に出て、悪がピピピピピーと言いましたら、「ふぇ傷だらけだー」という形で、御魂がパーになっちゃう。
お花が外へ出ましても枯れてしまう。つまり、御魂はお花のようなものです。お花の下には根があります。根っこの世界があります。根っことお花の両方あるのが自然界です。
神はその両面を創ったんです。お花ばかりじゃない。地面の中にはミミズちゃんもいるし、ヘビもぐちゃぐちゃいます。
昔の貴族だったら、善人ばかりでよかったこともあるかもしれません。
しかし、巷に生きている人間は黙ってボケーとしておりますと見たり聞いたりするものも周囲にいる者もみんな悪人ですので、やられてしまって、御魂が傷ついてしまう。
ですから、道というものをおなかの奥に持っていて、素朴で素直でありながら、現世に向かっていくときには心の力でいかなきゃいけない。私が考えておりますのは風邪ひきの薬というものは、一重はよくない。やはり三層式か二層式でなければ、風邪はよく治らない。
だからやっぱり私たちも、神人合一の道というものは、二重構造の風邪薬のようでなければ特効薬といえません。
素朴で素直な御魂の世界、愛だ真心だときれいなことがいっぱい書いてある。真心、愛なんていう、歯の浮くようないいことがいっぱい書いてある。これは御魂の世界です。
死後はこれでなきゃだめです。最終的に、この人間が勝つわけです。
悪にやられましても死後はどちらかと言いますと、善人の方がハッピーですね、三百年。だから六十年くらいは苦しむけれども、がんばっていけば、阿弥陀浄土に行けます。
しかし、本当の神というのは伊都能売の働きで、みろくの世は精神と物質の両方がなければいけない。そういう人が霊界でも最高のところに行くし、現世でも最高のところに行くんだ。
第一天国というのは、まさに透徹した信仰力と御魂を持ちながら、現世では地位と名誉と富と財産、全部を持っていて、道のために、人々のために活用している人が第一天国に行く人でしたよね。
そのためには、ご神業の精神を主にいたしまして、現実界では心の世界を極めていかないといけない。ですから、ご神業だといいますと、スーと素直で素朴になりまして、御魂がピカーとなっている。
現実界では、今度は心の世界ですから、グーと雲を出すわけです。
絶対に負けるもんか、こうなるんだーという形のプラスの欲望を出すんです。ガンガンに目標にがんばるぞー。
絶対に負けるもんかー。粘って、念力をグーと「よくなる!、すでになっている!」という形で心の世界で雲を作っている。
道を歩くとバババーと雨が降ってくる、雹が降ってくる、雷がお尻からパパパーと出てくる(笑)。
それだけの心の力が結局霊力なんです。霊力とか超能力は、心の力なんです。阿頼耶識の力なんです。ですから、真心や素朴な御魂は伊勢系で、現実の心根の世界は出雲系です。
出雲系というのは、「いずる雲」なんだ。雲を作るのが上手いから、嵐を呼び、富を呼ぶ。
だから食べものでも、伊勢系は菜食主義。ちょっとしか食べない。例えば玄米です。これに対して、出雲系の食べものは、まず焼きそば、お好み焼き(笑)。
ステーキ、ニンニク、餃子、脂っこいギラギラしたもの。モツ、タン、下手物でもなんでもバリバリ食べる。だいたい出雲系はそういう食べものが多いですね。酒は飲んでステーキは血の滴るのを食べて、ワッハッハッハーと笑っているのが出雲系でしょう(笑)。
僕も体型がほっそりして伊勢系だから弱いんだと思って、はやくデップリしたいなと思って、豆乳をがんがん飲んで、本当にデップリしてしまって、反省して今は中肉中背ですけれど。
だからやっぱり、出雲系と伊勢系の両方があって伊都能売の働きができる。だから、午前中は野菜だけれども、夜はむちゃくちゃ脂っこいもので。
物質次元に顕現していく力は食べものも出雲系にして、プラスの欲望と執着心をギラギラに燃やしていくという。バランスよく十字に組まないと本当じゃない。
弘法大師さんはそれができていた。日蓮上人もできていたんです。そういう意味で、人間のこういう両面を見ていたから、弘法大師さんはやっぱり頭がよかったなと思うんです。
神様の御魂の世界だけでなく、両面できなかったら、伊都能売の働き、現実界に定着しないですからね。とにかく、伊勢と出雲の伊都能売の働きをしないといけないんで、食べものも両面ないとだめなんです。
欲望というものを肯定する
それから、高野山に行きましたときに、後醍醐天皇がお参りしていたという愛染明王のお堂がありました。
愛染明王に後醍醐天皇は祈願していました。
建武の中興がとことんうまくいかなくなって、最後まで粘って祈っていたんです。
それで、ガイドさんに聞きました。
「なぜ後醍醐天皇は、愛染明王に祈願したんですか。降魔調伏だったら大元帥明王の方が強いし、不動明王の方が強いんじゃないですか。
後醍醐天皇が建武の中興で、天皇様が直接に政治をするということに憧れて、なぜ愛染明王にご祈願したんですか」と聞いたんです。
しかし、ガイドさんは「さあー、わてに聞かれましてもわかりまへんな。それは」と言って、知らなかった。
ところが、その後それがわかったんだ。愛染明王はどういう仏様かといいますと、人間の煩悩ですね。煩悩というものを肯定している。
無欲になれなんて言わない。食欲、性欲、物質欲を肯定している。その人間の持っている欲望というもの、煩悩を肯定して、それを堪え忍んで良い形でそれを燃やしあげて、人もよし我もよしというふうになっていこうと。
愛染明王は欲望を否定していないわけです。
だから後醍醐天皇はなぜ愛染明王にご祈願していたのかって言いますと、無欲だったら別にそういうことをしなくていいんですけれど、やっぱり天皇様のプライドがあったんでしょう。
とにかく私が天皇になって、日本の国を天皇様が治める政治にしたいんだと。自分でもそれは煩悩だと思っていたんでしょうね。これは自分の欲望だと思っていた。
後醍醐天皇は、歴代の天皇のなかでも何番目かに入る聡明な方ではあったんだけれども、欲望が強かった。新田義貞とか楠木正成なんてのはかわいそうだったんだけれども、無欲で徹し切りました。
楠木正成は名前は残りましたけれども、当時はみじめな目に遭っていたんですね。後醍醐天皇様は、これは欲望だ、煩悩だと思っていた。天皇様の位を得て、天皇が中心になった世の中にしたいんだと思っていたわけでしょう。
そのために戦争を起こしたりなんかして、死ぬ人も出るんだけれども、だけども愛染明王に祈願をして、やりたいんだーという形で、頑張っていた。
それを肯定してくれて、いいものにしてくれるという、愛染明王様におすがりしたわけでしょう。ああ、それでかと思いましたね。
後醍醐天皇が祈ったということは本人も煩悩だとわかったうえで、それを捨てられないから前向きにしていこうと。
こういう気持ちだったんだなあと、最近わかってきたんです。
弘法大師さんの教えでは、人間の性欲も否定していません。本質的にはいいものだから、これを肯定して、そして愛し愛されているところに菩薩の悟りがあるんだと「理趣経』に説かれています。
これは誤解を生みやすくて、売っている「理趣経』を僕見たけれども、キツネとヘビがピュンピュン飛んできました。欲望につぐ欲望になっちゃいます。
弘法大師さんが言ったのはもっと深い意味なんだけれども、それを巷の人たちは誤解しやすい。
しかし「理趣経」は、真言密教で一番の中心のお経です。
みんな理趣経をあげています。人間の欲望をむげに否定しないで肯定したうえで高くしていこうと。神様が与えられたものだということで、そうしているわけです。
ですから、精神の奥は伝教大師のように清らかで、現世に向かっては、弘法大師の要素が必要です。そうでなければ、清らかで潔癖で、現世では何もしなかったけれども、来世はよかったということになります。しかし、そういうわけにはいかないので、現実にこれだけのものがいるなかで、悪人にも強い善人になろうと思えば、欲望というものを肯定する必要があります。
グーと強く欲望の雲を出して、最後は神様にお預けする
植松先生がいつも言っているように、神様のいいことに対してはもっと欲張りになりなさい。いいことに対しては欲張りになりなさい。
きのうの夜、ご神業を朝六時までやってたわけなんですけれども星ツアーで木星の願立神社に連れていきました。三十二歳で会社を四つぐらい経営している人だけれども、その人を願立神社に連れていった。
なかなか行けなくって、最後に黄金姫様が出てきて「あのうー、お金にちょっと困っているもんですから、小判一枚で結構です」って言ったら、小判を一枚くれたらしいです。
その後に「よく考えたら、もうちょっとあってもいいんじゃないかと思いまして」と言って、二枚くれた。「これ全部使ったら、あとでまた返しに来ますから」と言って帰って行った。遠慮してますね。
逆に、金塊をいっぱい龍に乗せてきた人いましたね(笑)。Yさん(笑)。
重くって入りきらなくって、カバンに入れてきた。神様って大きいから、こちらが望めば、良いことだったら、よしよしってくれるわけです。
「一枚で結構です」なんて言って遠慮しなくていいわけです。
自分が素晴らしくなること、人の素晴らしくなること幸せになることだったら、どんどん大きくお願いして、どんどんプラスの欲望をもって祈っていい。
我よしだけだったらだめですよ。人もよし、我もよしで。そうしていくと、悪人より強くなります。無欲ってのは弱いですね。強ければいいってものではありませんけれども。
それをいい形で向けていくようにして、人もよし、我もよっていう形の願望を、もっとガンガン出していく。
欲望もいい形で。そして、必ずやるんだーと粘って、執着心をもっと持つ。もっとやるんだーという念力をガンガン出す。
しかし、気を付けなければいけないのは欲望と執着心と念力が強いというのが悪人の強かった原因ですが、こちらはプラスのほうに向けるんですけれども、これがあんまりいきすぎて問題点というのもある。
やっぱり我力のほうになっちゃって、神様を忘れてしまう場合があります。しかし、九分九厘で神様の道に戻る方法があるんです。
それはなにかと言えば「というふうに必ずしてください、神様!あとは「お任せしますよ」と言って、九分九厘までグーと強く祈った後、一厘をパッと神様にお預けする。
神様にお預けするという要素がないと自分の思い通りにならなかったら「なーんだ神様は」と思っちゃって、神様に対する不信感が出てくるんです。
だから、神様にお預けする。
神様にお預けすることによって、一厘で我力の世界とか欲望、人間が主にならなくてすむわけです。この心の法則がわかれば、グーと強く欲望の雲を出していけるときは出して、パッと神様の世界には素直で素朴にいつでもなれる。元へ戻れる。
外へ出るとき、現世の仕事をしなければならないときには、ウワーと雲を作って強い念力を出して、どんどん成就していく。それだけの逞しさというものを、肉食をすることによって作っていただく。
そうしたら現世で強い人間になれますよ。
悪人よりも頭がぐるぐる巡って、悪知恵の限りを尽くした以上に、相手が神様の叡智をいただいて粘り、どんなことでもやるぞーというようになります。
相手が悪の強いパワーできてもやられない。
心はウワーと雲を呼んで、今日も雨を降らして相手をびちゃびちゃにすることができる。運勢というものを呼び込む。物質化するようないいものを呼び込むという現世のパワーを出すことができるわけです。
これのない人間は、御魂はきれいだけれども役立たずです。素質は良くて、神様の道には御魂はきれいだけれども現世ではいつも悪人にやられっぱなしで、ワーと集団になって、何とかーと神様におすがりしている状態です。
これではなかなか現世に生きておりまして、地位と名誉とお金と能力とパワーを会得するという、弘法大師さんや日蓮上人のような超能力や法力を出せないですね。
霊障よりも強いプラスの念を出す
この法則がわかったら僕なんか木星に行ったら、もっと神様には欲張っていいんだと思ってそう祈ります。植松先生のいうことは、まさにこのことを言っていたんだ。わかってきましてね。木星行くと、じゃあなんでも欲張っていいんだ。
「すみません。木星にある金を全部いただけませんか。それを持って帰って人類を救済しようと思うんです」
「ああー、是非どうぞ持っていって下さい。その代わり、これをしなければできませんよ」
このように願望を達するのなら達するだけの努力の方向性が示されますけれども、どんなに大きなことを祈願してもいいわけです。
それを成就するべく、護霊さんが応援してくれますから。志が大きくって強いプラスの欲望、執着心と念力、あまりいい言葉ではありませんけれども、こういうふうなものをもって最後までやり通す力があったら、守護霊さんはどんどん力を与えてくれるし、どんどん叡智を与えてくれるし、どんどん運勢や運気を与えてくださる。
金運でもなんでも与えてくれますよ。健康運も。悪人に負けない強い善人になるには、絶対にこれしかない。お祈りは、おすがりのお祈りではない。
これが弘法大師さんがあんなに霊力を持ち、日蓮上人があれだけ法力を持って、どんな人間と戦っても堂々と無から有を生じ、成し遂げられた理由です。
心の法則というものを、うまく活用できる人はそれができるわけです。
マーフィーの法則やヨガなんかでも言っていることと共通しているところだと思います。ですから私たちは、精神的なものは素朴で素直の神一厘と御魂の世界をどこまでも追い求めなければいけない。
その御魂をカバーして補って傷つかないように、心に雲を出していく。
白雲紫の雲です。黒雲じゃないですよ。ときどき黒くても黒い中から紫に光っている。不動明王なんかは、黒光りする紫という色をしてるでしょう。黒色の紫ですよ。
四天王なんかものすごい色してますよ、黒い。
蔵王権現でも三宝荒神でも見て下さい。
大黒天さんは金にピカピカだけれども、パワーが弱い。
パワーが強いのは黒くって紫の色、黒紫がグワーっとしてますよ。強いですよ、荒神さんも蔵王権現も。だから僕なんかも念力で、黒色紫パワーを出せるように訓練しているからね(笑)。
だから霊障がきても負けないわけです。気持ちがだめだなー、へなへなとなったらいっぺんに霊障にガーンとやられます。
動物霊に。それでわかったわけです。黒色紫にグーンと心をしたらキツネはぴやーんと逃げます。
霊障というのはなんであんなに強いのか。ウーーーン、グワーーーンという欲望と怨念と念力と執着心があるから、霊障はあんなに強いわけです。
わかるでしょう。なぜあんなに霊障は強いのか。死後に至っても、あれほど私たちの肉体と運勢を狂わすということは、それほど欲望と執着と念力のほうが黒と紫が強いわけです。
だから霊障に勝とうと思ったら、プラスの念で霊障よりも強いパワー出したらいいわけです。
神様がついているんだっ!というすごい信念で、前向きにやっているぞー!という心の力の強い人が勝つわけです。
人生の勝負はそれだけです。ということで、神人合一の道を歩んでいる僕たち、十二月二十二日、冬至の時にですね、伊都能売の神業につきましてお話ししました。
今までは御魂、御魂だけだったわけですけれども、御魂の世界を大切に持って傷つかないように心の世界だけで埋没して死後地獄界に行かないように。
自分も人も幸せにして、神業完成成就。縦横十字の仕組で出ております。
考えたら、私の欠落している部分が後者の方だったということで、最近はそちらの方を研究テーマにしております。弘法大師さんが出てくるって、本当にそうだなあと。日蓮上人が身延へ行ったのはそうだったんだなあと。
伊都能売神業。これは昭和六十一年、来年度からのテーマです。
皆さま、こういうことをよく知って、現界でも強く、御魂は清らかで生きても死んでもハッピー。
悪人よりも強い善人。絶えず良い因縁と運勢の良い人間。そういう人間になりまして六十一年の大台をクリアーして頂きたい。
そういうことで今年度の講義を締めくくりたいと思います。どうもありがとうございました。
