深見東州の土曜神業録21(Vol.4)

【第二章】御魂の修業の進み方(昭和60年1月19日)

間なく断なく、恒をもって続けていく

【深見先生】それでは、パート2にまいりたいと思います。いいですか。

えー、神第一主義で一生懸命、いかなる場も実践しておりますと、徐々に徐々に積み重なっていくわけでございます。

やはり、老祖様の道も大切なことは、間なく断なくやることです。これを「恒」(板書)と言う。

合間をあけない、断たない。間断なく行えっていうことですけど、「間なく断なく」(板書)。

間をあけるから魔が入る。神第一主義でやっておりましても間が入る、霊的な間が入る。

あるいは魔が差しまして、男女の問題とか、仕事の問題とか、いろんなものがありまして、魔が差したって言うんですけど。「間があくので魔が入る」(板書)。あるいは魔が差す。

ですから、神様と自分の気持ちの間に、間をあけないことが、この修業を進めていく上におきまして、一番大事なことでございます。常に神様と私という精神的なつながり。

神第一主義でずーっと続けているんですけども、ポッと、間があいて、まったく一週間、酒ばっかり飲んでいたとか。

とにかく、間をあけますと魔が入ります。せっかく調子良く、こう積み重なっていくんですけれども、間をあけない、新たない。

この断を行いますと、そこに油切れ、油切れで「油断」ですよね。

神様と人間との間、精神的な、神第一主義の気持ちの積み重ねっていうのが大事なんですけど、そこに間隔をあける。パッ、間をあけるだけじゃなくて、しばらくやめちゃう。

油切れでございます、油断です。「あっ、油断してた」。間をあけるとか、魔が入ると似ておりますけど「油断」と。うまくできてますね。この油が、やっぱり怖いわけです。

そのように、間なく断なく行うということが油断があったり、あるいはまた魔が入ったりすることがない。すべからく、神第一主義の発願を続けて、間なく断なく行っていく。

間をあけないで積み重なって、いかなる時も、それを積み重ねていくということを、これを「恒」と言います。

前にも申しました。道を成就するのには、「堅、誠、恒」(板書)だと。「堅」は「堅忍不抜けんにんふばつ」(板書)。もう、こう思ったらどこまでもやっていくんだよと。

「誠」は、「真心と誠意」(板書)。

「大学」「中庸」の教えがありますけど、陽明先生は、四書五経の「大学」というものは、とにかく誠意、意を誠にするという教えなんだ。

自分の我を出さないとか、無欲であるとか、いろいろな無欲の状態。これも誠意を誠にする。

「大学」を一言で言えば誠意だと、陽明先生は言っておられます。一言で言えば誠です。

まあ、真心、意を誠にする、邪念がない、無欲だと。あるいは権力欲とか、そういうようなのもない。理屈とか、そういうものなくして、内面的な誠、考え方の誠意という、これが道を成就していくのに一番大事なことなんだと。

もう一つは「恒」ですね。前にも申し上げましたように、立心偏(小)は心、心が立心偏になりまして。

「亘」(板書)というのは、地面の上からお日様が出て、また沈んでいくのを表しています。朝、太陽が出てきて、また沈んでいく。

こういう気持ちというのは、「終日乾乾しゅうじつけんけん、夕べに惕若てきじゃく」(板書)。前にも申しましたように、「易経」にあるんですけど、終日乾乾、夕べに惕若。朝起きたら、さあ、乾。乾っていうのは、乾坤一擲けんこんいってきの乾。

乾というのは太陽という意味ですから、太陽に向かってカーツ、乾坤一擲の乾のように「さあやるぞ、今日も」。

夕方になりました。「ああ、一日、僕はああ言い過ぎた、これはよくなかったな」。

毎日毎日、この誠を持って反省する。

終日乾乾、夕べに惕若。また朝になったら、さあ乾乾、やるぞ。帰ってきたら、はー、一日無事にしたけども、ああいう言葉よくなかった、我が出てたな。

また、今日も続けていく。日に新た、また日に新た、日に新たと。これは「大学」にございますけど。そういう気持ちで生きていく。

お話は少し横にそれましたけど、そういうふうな気持ちでいくということが間なく断なく行う、これを恒という。

恒久平和の恒ですね。恒久平和とか、この恒。間なく断なく行っていくということが、お茶でも、お花でも、作曲活動でも、作詞活動でも、絵を描くにしましても、すべてに通じることでございます。

神第一主義になりましても、間なく断なく、恒をもって続けていく。

この恒をもって続けていきますと、神様の道でこれがやれる人というのは一芸に秀ずる者は万芸に通ずって言います。この恒がない人というのは、お茶でも中途半端、作曲でも、作詞でも、絵でも中途半端。

何をやっても中途半端、仕事も中途半端。

どんなものでも一流とか、ある程度のところにいこうと思えば、この恒の心がない人は絶対駄目です。

英語でも、最初は英会話やりたいっていう人がいるんですけど。

だいたい百人やりまして、九十人ぐらいまでは初級でもう終わります。英検二級ぐらいまでは誰でもいくんですけど、英検一級には、十パーセントいくか、いかないかですね。

何とか英検一級パスしましたら、それからまた間なく断なく、辞書引いてもまた知らない単語が出て。覚えたと思ったら、また忘れます。

もっと気の利い表現があるし、定冠詞の使い方、 a と the の違い、単数複数の使い、なかなか日本人じゃわからない。ハーッ、砂を噛むような時を経まして、ガイド試験に通ります。

これまた勉強しまして、今度は通訳、同時通訳。同時通訳になりましてから、また砂を噛むような内容とか見識を積んでいきまして。

松本道弘さんとか、國弘正雄さんとか…。

先日、松本先生がいらっしゃいましたけど、あそこまで行こうと思ったら、何十万人に一人です。

一つの道に行く人は、やっぱりこの恒の精神。堅、誠、恒。松本先生も、ご神業にいらっしゃいましたけど、やっぱりそれだけの誠意があります。

人の道というものを、ピシッとわきまえておりまして、どんなことがあっても貫くという、堅、誠、恒。

私の友人でNさんっていまして、上智のディベートで優勝した、私の先輩だったんですけど。まだ松本先生が有名になる前に、松本先生のご自宅に行きまして、飲みに行ったら「やっぱり半田君驚きましたよ」。

松本先生のおうち行って、もう二時三時まで、ワッワ騒いで、みんな寝たんだけど、パッと何か音楽が聞こえると。

松本先生は六時になったら、極東放送パチッと付けて聞いてる。夜何時に寝ても徹夜してても、六時になったらパチッと極東放送をかけて聞いている。

「やっぱり、さすが違いますよ」って言って、そのNさんが松本先生の自宅に泊まりに行きまして言っておりまして、あれだけの人になろうと思ったら、毎日毎日、一日も欠かさないで、どんなにくたびれてても、パッと極東放送を聞く。

まさに、この恒です。お茶も、お花も、看板とか、世の中で「ああ、あの、ひとかどの」っていうふうになるのには、絶対この恒がなければ駄目です。

何でも中途半端っていう人は、神様の道でも神人合一、まずできっこないです。もう同じことです。

講義に休まないで来ることでも大変ですよ、恒ですよ。

まさに、間なく断なく行う、これが恒という。堅、誠、恒のうちの、やはり何かを成し遂げた人というのは、この三つが全部ありますね。

御魂の修業の進み方

そのように、神様の道ということで志しまして、恒、間なく断なく、できてもできなくっても、「ああ、私ってまだ未熟だな」とか「鈍感だな」とか、あれだなと思いまして。

とにかく神第一主義でやっておりますと、修業の段階どうなるかといいますと、この間なく断なく、恒というのは二つの意味があります。

英語で言いますと、コンスタントリー(constantly)とサクセスフリー(successfully)の二つです。

例えば、朝から雨が降り続いておりますというのは、コンスタントリーですね。サクセスフリーというのは、バーッと降ってやんで、バーッと降ってやんで、バーッと降ってやんで、朝から雨が降り続いておりますという場合です。

このように、雨が続いているという場合には二種類あります。この恒もですね、一番いいのは、まずコンスタントリー。

ずーっと思い続け八十五歳とか最高ですけど、なかなかそうは人はいかない。今日はちょっと腰が悪いとか、ちょっとやっぱり夫婦と喧嘩してとか、いろいろございますので、サクセスフリーになりますね。

しかし、一時は間をあけることがありまして、またお茶をやっていこう。

しばらく結婚とか出産がありましたけど、また子供が大きくなったらお花をやっていこう。作曲活動、少し何かあの、アルコールの世界に一時は行ったけども、また作曲やっていこう。

人間、何かと誘惑は常につきまといますけれども、コンスタントにやれば、最高にいいんですけども。

これを「上魂、中魂、下魂」(板書)と言うんです。上魂の人というのは、もう思ったら、バーッとどこまでも。

中魂の人は、やったと思ったら間断。下魂は全然動かない。中魂、やったと思ったら戻って、やったと思ったら、これ、繰り返し繰り返ししております。

とにかく、少し間をおきましても、それでも続けて、続けていくうちには、やがてひとかどのお茶の先生とか、作曲家とか、お花の先生。みんな紆余曲折ございますけど。まあ、上魂といいましても、少しはあきましても、どこまでも忘れない。

我々はこのコンスタントリーを目指さねば駄目なんですけども。

両方あるやというんで、間をあけても、まあいいやと言って。

二種類あると言いますと「私はこれ無理だから、サクセスフリーでもいいわ」という形で、なるべく甘やかしていく方向ということで、私自身も両方あるからっていうんで、まあ、これでもいいやっていう。

神様にあとからバッと結果を見せてもらいまして、非常に恥ずかしい思いをしたことがあります。どういうことかといいますと、例えば発願をします。

神第一主義で、毎日、毎日、毎日、毎日、コンスタントリーに積み重ねてきます。

生活も、参拝も、あるいは講義も、神様の朝夕の御祈願も、お掃除もっていう形で、一生懸命やっておりますね。そうすると、こういう形(板書:右上がりの真っすぐの線)で、修業というのはこういうふうにはいきません。

絶対こういうふうにはいきません。

ある程度停滞しまして、行き詰まるんです。「うーん、私は、もうどうしようか、どっか、お家に帰っちゃうか。もう神様の御用なんかやめた、どうしようか」っていう時に、何かのことがパッと開きまして、ポンと上がるんです。「あ、わかった」とかって形で、何か電話の声もよくなりましたねなんて。

そしてまた、そこから毎日、毎日、毎日、毎日、神第一主義でやっておりますと、続いていく。何か、また行き詰まる。そして、うーん、ああでもない、こうでもないし、金銭的にもあれだし、なかなか私も体力的にもどうのこうの、いろいろ迷いまして。

そして「ああ、もう駄目かー」と思った時に、パッと上がる。こういうふうに修業の段階というのは上がっていくんです。

必ずこういうふうにトントントントントンと。英語力とか、あるいは、お茶でも、お花でも、武術でも、だいたいこういう感じです。

作曲活動でも、ある時パッと弾けるとか。サッカーなんかでも、これだけやったらこれだけマスターできてるという。

単語力とか、熟語力ですと、こういうふうに覚えた分だけマスターしていきますけど。

ですから、黒住教の黒住宗忠という人は、「信仰というものは、お稽古ごとだ」と言っています。信仰はお稽古と同じですよと言っておられますけれど。まさにこういう感じで、またこうやっていく。

もっと具体的に言いますと、間なく断なくこれを続けていきますと、必ずや修業の段階で、苦しみ、葛藤がやってきます。例えば、これはゼロから始めまして、一、二、三、四、五、六、七、八九十まで来ます。

ここまでこう上がってきて、間なく断なくだと思ったら、実はこういうふうに来てるんじゃなくて、ここまで来たっと思ったら、また降りてきてると(笑)。

階段を降りてきてる。どちらかというと階段ですから、降りる方が楽なもんですから間なく断なくでも続ければいいやっていうんで、行ったり来たり、行ったり来たりしてるんですよね(笑)。

実際は一から十まで来ますと、今度は二十の位に上がります。

一、二、三、四、五、六、七、八、九、十で、パーンとある程度、「あ、悟った」と。二十一、二十二、二十三、二十四、二十五、二十六、二十八、二十九、三十、「あ、また悟った」と。

三十一、三十の桁、四十の桁っていう形で進んでいきまして。そして、九分九厘、九十九まで来ましたら、また、大きな壁があるんです。

これが白隠禅師が「我、大悟徹底すること七度八度」とおっしゃいました。

「小悟徹底すること枚挙に暇なし」というふうに、前に講義したことあると思うんですけれども。大きく、大悟徹底。底が割れると申しますか、人間がもう変わってしまうというぐらい。

だから、それは御魂返しの時もそうなんですけど、人間が、もうガッと変わってしまうだけの、画期的な大きな進歩があります。これが九十九の桁から百の桁へ上がっている時。桁上がりです。

そしてこの百のレベルから、一、二、三、四、五、六、また続けていきまして、十八、十九。小悟徹底すること枚挙暇なしですね。今度は長いですよ。

いわばこれは、英語ですと英検一級のクラスから、ガイド試験、同時通訳、それから、上級英会話の先生とか、国際世界の同時通訳、さらには、同時通訳を養成する先生を目指していくようなものです。

そうして、この百の桁がずーっと続きまして、千の桁になるわけです。

千一、千二、千三。恐らく、白隠禅師の大悟徹底すること七度八度という、大悟徹底のこれ、ワッーとくるまでは、こう、チョコチョコチョコチョコ、こう積み重ねてきまして、それがポーンと上がったんでしょう。

ですから、御魂の修業方法っていうのは千の位、こういう形で登っていくわけですね。神人合一の道というのは階段。神人合一の階ということで、磐梯でも出てきたわけですけども。

まさに階段ですよ、まさに階段のようになっているわけです。

「仕組から外されるわよ」神様の御心とは

私、年末に、大晦日の時にパッと霊眼で見たんですけども。除霊済んだあと、何かの時にパッと見えた。昼間ですよ、夜じゃありません。夢じゃありません。

ファッと見たのが、売上がどうのこうのというグラフ、赤とか青の、コンピューターのグラフがありますよね。

こう四角く、こういうふうな積木のようになってる。これは点数が書いてあるんですよ、八十何点とか、六十何点とか、積木が並んでいるように、ずーっと並んでるんですよ。

ハッと見たら、自分の背中から、これがズルズルズルズルッと積木があるわけです。点数が書いてあるんですよね。

そういう形で、だいたい神様が大きく、この時この時、何歳の時にこういう修業っていうことで、大きくは仕組で決めております。

そして、一つの百の位とか、千の位になる時に、ふるいがかかるわけです。締切り日ですよ。前にHさんが「霊で本当に苦しい苦しい」と言ったら、植松先生が「仕組から外されるわよ」とおっしゃった。

神様が「仕組から外す」と言うのは、もう百の位の次には、点数が足りなくて落第しますよということなんです。

そういう時に、学校の先生はどうするかっていうと「もう、落第するぞ!」「いついつには試験があるんだけども、ちゃんとしなきゃ駄目じゃないか」と言いますね。

それで、「あー、しっかりやらなきゃ」と思う。

だいたい、その学校に入っているわけですから。入学試験を通って、その学校に来ているわけですから。ごく普通に勉強して、ごく普通に遊ばないで、一生懸命努力してたら、だいたい試験っていうのはパスするもんなんですよね。

その中で一番を取るか、何番を取るかっていうと、かなり努力が要りますけども。

それにしましても卒業できるということは、ごく普通の知能と努力を、ある程度積んでたらできるんですけど。

もう少し頑張ったら、この子は上位のレベルに入れるんだけども、まあ、こんなもんでいいやということで、成績は真ん中。

よく、「頭はいいんだけども、この子は無欲でね」。僕もよく言われたんですけど。やればできると思うんだけど無欲なもんですからっていって、真ん中ぐらいという。よくいますよね。

言われませんでした、みなさん?とにかく勉強はできて頭はいいんだけど、勉強に対して無欲でのんびりとしている。

そういう場合に、お父さん、お母さん、先生は、「ああ、この子、能力あるのに、もうちょっと頑張ったら上位クラスに入れるのに」っていう時に、「頑張らなきゃ、あなた、上位から外されるよ」と。能力があるから、頑張ったら行けるよという励ましの愛ですよね。

あるいはまた、もう一言だけ別な角度で言いますと、原稿締切り。

だいたい何月何日までにっていう形で、原稿締切りがないと、いつまでたっても、ああでもない、こうでもないと言って書き上がらない。

英単語の試験でもそうです。この夏休み中に三百語覚えてきなさいって言ったら、だいたい前日か三日ぐらい前にやるんですよ。

私は英単語の生徒にいつも言うんですけど、だいたい英単語で覚えるのは、何が一番いいかというと「三百語、明日のお昼までに、ここで全部を覚えなさい。今から一日で。もし一つでも間違ったら、大変なことになるからな」と言ったら、全部覚えるんですよ。英単語を覚えるのに、これが一番なんですよ。

絶対に一年あっても、夏中に三百語なんて絶対やりません。一週間か二、三日前ですよ。暗記ものっていうのはそういうもんなんです。だから、「いついつまでにやれ!!」って言うと必死になって覚えて、スラスラスラスラと、ハー、ハー、覚えたと。

記憶力っていうのはそういうもんですね、集中力っていうのは。

これはSさんから聞いた話ですけど、デザイナーでもアマチュアのデザイナーっていうのは、楽しそうに、こういろいろデザインを朝から晩までやっているけども。それはあくまでやってるだけでして。

まずデザイナーっていうのは、まず仕事を取ってきなさいと。そして納期がありますから、何日までにしなさいと言われるわけですよ。コピーライターでもそうですね、何日までにしなさいと。

そうしますと、その締切りギリギリまでに、自分の能力というかセンスというのを磨きに磨いて、ギリギリまでやって、これですと。

それで何社かありまして「ああ、君、デザイン、こちらの方がいいね」っていうことで、仕事がもらえる。

そこで最高のものが出せない人は、デザイナーとしてはもう駄目です。もう頭打ちです。

そしてまた、次の仕事があって、この仕事にアイデアを出しなさいと言ったら、もう締切りまでギリギリで、全知全能を振り絞りまして、パッと出す。

何回出しても、その時のテーマで、センスというものが磨かれるわけです。それで、デザイナーの腕というのは、どんどんどんどん上にいくんですけど。

ところが、アマチュアで、いついつまでにしなさいという形でお金をもらわない人は、ああでもない、こうでもない、楽しんで。能力も才能もあるんでしょう、努力もするんでしょう。

しかし本当のデザイナーとしての腕は、いつまでたってもつかないで、ますますその差は開いていくのみです。

Sさんがそういうふうに言っておりまして、まさに同じですね。「いついつまでにしなくては、仕組から外されるぞ」というのは、原稿締切り、デザインの締切りと同じでございます。

締切りがなければ、原稿なんていうのはなかなか書けないですし、デザイナーというのも、ああでもないこうでもないっていう形で振り絞るもんでしょう、自分自身の内面性から。締切りがないと絶対にできないんですよ。

「フジ三太郎」のサトウサンペイさんなんかそうでしょうね、あの漫画。毎日毎日、よく描けるなと思って(笑)。

死ぬような思いでしょうね、締切りまで。ウーッとやって、パッと描くんでしょうね。漫画を見る度に、よく思いつくなあと、毎日感心しますよ。神人合一してるんでしょうね。恐らく締切りがあるからできるんですよ、そこで磨かれるんですよ。

だから、神仕組ということで、ふるい落とされるよとか外されるわよとか、何時までにしなさいという厳しい神様は、まさに厳しいんですけど。

なぜ厳しくするかと、なぜふるいに落とされるよというかということは、結局、原稿締切り、納期と同じで、こういうところまでやってみなさいということなんです。

でなかったら、デザイナーでも、ライバルいるわけですから駄目なんです。

原稿も書く人もたくさんいますから駄目なわけです。試験もやっぱり優秀な方が通っていきます。これはもう自然界の法則です。

だから、その人のことを思うし、何とか才能を開花してあげたいから、神様がそう言っているのであって。その神様の御心を受け取らなければ駄目です。

「ああ、神様が、そうおっしゃってるから、頑張らなきゃ」と。

もう駄目だと思っても、とにかく頑張るだけは頑張るんだと。あとはもう天命を待つ、人事を尽くして天命を待つというぐらいに頑張ってやった時には、妙力が出るわけですね。この階段が越せるんですよ。

神第一主義でやり続けていくと、壁を越える

できるかできないかわかんないけども、やるだけやるんだー。死んでもやるんだ。どんなことがあってもやり通すんだー。

神第一主義で、これを思って思ってやりますと、ポーンと越せるんです。「ああ、こんなことが僕に、できるようになった」と。

私の修業の時も、植松先生も誰でもみんなそうです。共通した修業のプロセスです。こういうふうになっているのは、誰でも、どんな道でもそうですから。

別に神様の道が怖いなとか、大変だなということではないわけです。デザイナーでも、原稿を書く人でも「フジ三太郎」を描いているあの人でも、漫画家でもそうですよ。

毎回毎回の原稿締切りに間に合わせて、ピシッとやる。そこで最大の実力を出せるように、大きく神様が仕組をしている。私が年末に見た時にも、階段を何点で越したかという点数が出ていました。神様の目から見て、何点で越したかということ。

だから、絶えず絶えず神試し、毎日毎日、精一杯努力してやっていくということで、私自身も鍛えられてるわけです。

もちろん、誰でも神試しというのは死ぬまであるんです。そして、乗り越す乗り越し方というのは共通しております。神第一主義。どんなことがあっても死んでもやるんだーと。

「大死一番」(板書)。前にも言いましたように、この大死一番だけじゃ駄目なんですよね。

これが積み重なってきて、ウー、ポン、ウー、ポンと乗り越える。こういう形のが、何度か何度か繰り返しまして、百の位、千の位と。

それで、神人合一の道ということで神第一主義で歩んできます。こういう形で修業の段階はあるんですけども。階段を上がってみたり、降りてみたり、一進一退、何年も繰り返す人がいて。

上がっていかなきゃいけないんですけど。神人合一っていうのは、いろんな角度がございますけれども、ここで言う神人合一の道は、最低、神様のご神示が受け取れる。

神様のご意志がわかる。これが一つの神人合一の大きな関門です。百の関門か、千の関門かわかりません。

百の関門か、千の関門かはわかりませんが、神様の御心、神様の方からこうだよと、耳なり、胸なり、心なり、目なり、こうだよ。こうなるよ、君はこうだよと、神様の御心が受け取れるように、最低ならないと。

神様の道に行く一つの修業段階といたしまして、神様のご神示を受け取れる。

あるいは、御心がわかる。神様でなくても、守護神、守護霊さんの気持ちが受け取れると。これが一つの大きな目標です。

これが一つの位がポーンと一進一退で越しますと、百のレベルに越しますと、今度は神様から来るものには、正もあれば邪もあります。

正しいものと邪なるものをピシッと見分けて、魔にやられた時にはこうだと。魔の手口を全部知りまして。それを日常生活で応用していって、今度は除霊とか、芸術方面とか、御魂返しとか。

あるいは仕事におけまする、神法の応用とか。あるいは作曲とか、作詞とか、いろんな角度の中で、ご神霊と一体となってやっていく。

少なくとも、そのレベルを乗り越さなければ神人合一の一つの目標をクリアしたとは言えないんじゃないかと思います。

そこに行くまでには、とにかく神様第一でやり続ける。間なく断なく続けていきまして、絶対にやめない。

修業の段階では、苦しいことや葛藤もありますが、それでも続けていると、ポーンと上がりますから。

ということで、皆さん、神第一の信仰生活を続けていただきたいと思います。ありがとうございました。(拍手)