心のせりふを分類していく
ところで、いわゆる哲学というものがありますが、哲学とはいかなるものかというと、哲学する心が大事なんです。
倫理とは何かというと、倫理する心が大事なんです。
哲学とか人生観とかいろいろありましても、自分自身の人生観とか哲学とか、宗教観とか神様観というのがありまして、それに基づいて心の中のせりふを分類するんです。
「あっ、こういうふうな考え方はよくない」「自分はこう考えていかなきゃいけない。こういうふうなことを考えたら、ちょっとあっちも駄目になるから、もっとこういうふうに考えていこう」ということで、御魂が発動いたしまして。
頭の力で、この揺れ動く気持ちというものを一定方向に人間というものを導いていくようにするわけです。
つまり、それぞれの人生観とか観念ではない、心の哲学を持っている人は、せりふにごまかされないで、ぴしっとした、いいせりふだけをプラスにいくせりふだけを分類して、余計なせりふ消していくわけです。
意志の力で、パッパッパッ。
ところが、人生観や心の哲学、心の教養がない人は、いいときにはいい方にすらすらっといくんだけども、ちょっとガッカリすることがあったら、それからそれへとマイナスの念がいっぱい出てきまして、あっちにふらふら、こっちにふらふらとして、定まりのない人間になってしまいます。
スポーツマンとか、芸術家とか、霊的に感性が敏感な人は、この心のひだが弱いために自分を駄目にしてしまう。そういう一般的傾向があります。
えー、そこでです。我々、特にご神業に来た場合は、こういうふうなせりふがちょっちょっちょっちょっ出てきます。見たり、聞いたり、感じたりするものによりまして、反応してマイナス的なせりふが出てきます。
で、ああでもない、こうでもないと言ってるだけだったら、まだいいんですよね。
霊的な道にいこうと思って、神様の道にいこうと思って、宗教とか、神法、霊法を勉強していこうという人間は、こういうふうなマイナス的なせりふ、例えば、前に言いました、霊界の法則で言いますと、冷たい、自己中心の考え方。
それから暗くて、なんでも消極的に考えていく。マイナス的な人の裏を見ていく。それからお金とか、自分はあれがしたいこれがしたいという執着心の重みですね。
重たい、暗い、冷たい。この「三たい」が地獄界に感応します。逆に慈悲の心、愛と真心があれば温かいですから極楽浄土へ行けます。
温かい言葉のせりふですと、天国極楽世界。それから、なんでも明るい考え方。楽天的で積極的で発展的なものの考え方の人は、明るいですから明るい天国世界。
それから執着心がない。そんな、お金がなかったらなかったときのことだと。あったらあったでいいと。
病気しても心は病まないということで、あまり執着心がない、前向きで。意志が弱いという意味ではなくて、心を着したり、グーッと何かに思いを持たないと軽いので、天国極楽へ行くわけです。
こういうふうなせりふの分類によりまして、そのようなせりふに合わせて、天国極楽の世界にいる守護霊さんとか守護神さんとか、霊的な存在がここに感応するわけです。
特にマイナス的な、暗い、冷たい、重いという思いに何が感応するかといいますと、まず、霊障が引っ掛かります。霊障といいますと家代々の霊障。
それから人様の霊障。そういうふうな心を常に中に持ってる人は人様の霊障も来ます。一番来やすいのは家の父祖伝来の霊障です。
もう一つ、すぐに来ますのは、動物霊であります。この心が動物霊を呼んでしまう。このマイナス的なせりふ軍団、心の中のマイナス的な、今言ったようなせりふ軍団に、この霊障がかかり、あるいは動物霊がかかるんです。
そして、この動物霊が道案内をいたしまして、天界の魔物を呼んでくるんです。天魔ダヌキとか、天魔ギツネとか、天界の魔物。天界の魔物がやってきます。
キツネ系統、タヌキ系統ありますけれども、天狗系統とか、こういうふうな天界の魔物がやってくるわけです。
金毛九尾とか、それから、天界ダヌキはなぜ来るかといいますと、何らかの動物霊が道案内をしている。あるいは霊障が道案内をしているんです。
なぜ、動物霊と霊障が来るかっていうと、お腹の中にありまするマイナスの言葉。ぶすぶすぶすぶす思っている、こういう言葉に感応するわけです。そういう心の状態に感応するわけです。
そうしますと、自分の心で最初そういうふうに思ってたのが霊障とか動物霊とか天の魔物がすくっと入ってきますと、自分はもう変だな、変だなと思いながら、変えるに変えられない。
「どうも俺はおかしい、おかしい、本当じゃ「ない」と思いながら、本当じゃない自分が毎日、今日も一日占領し、また今日も一日占領してしまう。その人の人生も全部狂わしてしまうわけです。
ですから、よほど、今言いました強い意志の力と人生観、心の哲学、心の教で、こういう心をビシッと断ち切らない限り、こういう天狗、魔物、動物霊、霊障というのは消えていきません。
それを植松先生は「想念転換、想念転換」と言っておられるわけです。これが、天の魔物が出てくる公式です。
発端は、見たり聞いたり、ヘー、そうかとか、そんなことってあるものなのかーとか、あんなのっていいんだろうかなとか、気持ち悪いなあなんていう形で感じるところから始まる。
みんな、こういう方式であったはずです。これが、魔物が出てくるプロセスであります。
ですからここに、えー、せりふの出てきた段階で、自分の人生観とか、それから哲学とか、これはこうあるべきはずだと、こうでなければならないんだということがわかりますと、そういうせりふに対して、全部自分で処理できます。
心の教養と哲学、人生観に合わせて、想念をパッパッと転換できますので、絶対に霊障とか動物霊とか魔物なんかにやられない。
念の出づることを恐れずに、その覚ることの遅きを恐る
ですから、この心というものは本当に、難しいものであります。前にも何度も出てきました。「念の出づることを恐れずに、その覚ることの遅きを恐る」(板書)と言いました。
心の哲学、人生観と言いましても、もう少し霊的に突っ込んで言いますと、この覚りのやり方ですね。
えー、「菜根譚」という、暁の時代の有名な本があります。
この菜根譚にいわく、えー、覚りというものは何なのかと。いかなるものかといえば、これは「考え方の工夫」(板書)だというふうに言っております。
覚るとはいかなるものかと、いろんな解釈があります。だけれども、考え方の工夫ですと。これは、こう感じられるけども、こう考えるのやめようと。
こういうふうに考えることにしようと、これはこういうふうに考えようと。これはこう考えるほうが、積極的で楽天的で発展的で愛があると。
天国界に属するところの想念はそういう考え方だから、こう考えようというふうに工夫していくのが、その人生観なり、心の哲学なり、想念転換なりということの、もう少し一歩突っ込んだ意味でございます。
ですから考え方の工夫をしない人は、ワンパターンになっちゃって頑固になります。そういう意味で、この考え方の工夫ということでありますが、どうやって言葉を審神して、想念転換していくかといいますと、この「念の出づることを恐れずに、その覚ることの遅きを恐る」という認識が必要となってきます。
どういうことかといいますと、人間はどうしても、見たり、聞いたり、感じたり、例えば、臭いにおいをかいだら気持ち悪いと思います。
生きている限り、五感がある限り、心の状態というのは、いつも嫌だーとか、臭いーとか、えー、みっともないとか、なんだろうなんて思うわけです。
念がずるずるずるずる出てくるんです。だけれども、その念が出てきても「あ、またこんなこと思ってしまった、またこんなこと考えてしまった」なんて思わなくていいわけでございます。
念が出てくることは、まず、これはなくすことはできないわけですから。
山ん中に入るか、人っ子一人いないところに行くんだったら、念も出ないでしょう。しかし、普通の人間生活をやってるにおいては必ず出てきますから。
だから、その念の出てくることを恐れなくていい。いつまでもいつまでも、そのマイナス的な想念がずるずるずるずるといくことが恐いんです。
つまり、その覚ることの遅きを恐る。「あ、こんなこと自分は思ってる」「こういう考え方よくない」「これはマイナスのジャンルに入る考え方だ」という形で、パッと自分で覚醒して、その想念をパッと変えなきゃいけない。これを想念転換というわけです。
これは念をつまびらかにするということで、老祖様で言えば、「警思の箴」(板書)と言います。
人間の思いというものを警戒しなさいと。今、何を自分は思っているかという。老祖様の警思の箴。人間の想念、思いというものを警戒して、警告して、よく見張っていなさいよ、ということですね。
このように常に自分の念をつまびらかにして「あ、これ、こう思っちゃ「いけない」という形で、パッパッと想念転換をしておりますと、プラスの守護霊さんが感応し、今度はプラスの神様が出てきまして、プラスの天界の神々様が引っ張って、どんどん覚るし、どんどん御魂が向上するし、能力が開花していくのです。
これをやらない人は、ごく自然の日常生活の中で、霊障がかかり、動物霊が来て、天の魔物が来てしまう。想念転換をするかしないかで、右と左とに足が分かれていくわけですね。
これは刻一刻そうですし、一日一日が、やはり、この積み重ねであるということが言えると思います。
このように、人間の想念と思いというものは、こういうものだということです。
まず、刻々に出てきたものの念をつまびらかにしていって、自分がそういうマイナスの方へずるずるいかないというふうな心の哲学なり、人生観なり、考え方の工夫なり、一歩突っ込んで、その念を刻々に注意して審神をしていくという姿勢が、特にご神業をやっていく上におきましては重要なことなんです。
まずこれを心掛けなきゃいけないということがパート1の講義といたしまして、締めくくっておきたいと思います。どうもありがとうございました(拍手)
