深見東州の土曜神業録19(Vol.2)

【第一章】ぶつぶつ霊界が運気を下げる(昭和61年3月8日)

運勢がいいことが大前提

【深見先生】昭和六十一年三月八日。僕の友人で三月八日が誕生日の人って多いです。本日のテーマは「御魂の力」。副題は「因縁と運命を良くする」というテーマで、お送りしたいと思います。

神人合一のテーマをここは貫き通しているのですが、彼は神人合一していて未来のこともよくキャッチし、どんなこともうまくやりこなすことができると。

信じられないような不思議な才能はあるけれども、たった一つ運勢が悪いという人があったとしましょう。この人は神人合一しているかと言いますと、神人合一っぽいけれども、決してこれは神人一体とは言えません。

やはり、神人合一している人で運勢が悪いという人は困るのでありまして、神人合一して人を幸せにすると神人一体になりまして、人々を幸せに導き、社会を良くしていく。

こういう人でなければ、神様の仕組に役立つ人とは言えません。いくら神様の役に立ちたいと思いましても、その人が役に立ちたいと思って来れば来るほど、周囲の運気が悪くなりまして、不幸が続出するというのではしょうがありません。

そういうふうに運勢の悪い人というのは、神様の役に立たせていただきたいというふうに思いましても、神様の方といたしまして、まず運勢から良くしていただきたいと。

人を幸せにする前に自らを幸せにしてほしいと。

やはり本人が幸せで、運勢が良くって、物事を素晴らしくする人でなければ人様も決して幸福に導くこともできませんし、ましてや社会を幸福に導くこともできないわけであります。

ですから神人合一を目指す人は、まず運勢がいい、まあ少なくとも運勢が悪くはないというレベルでなければいけないというのが大前提ではないかという気がするわけです。

御魂の力がありましても、御魂にすごい力があって、運勢が悪いと。素晴らしく御魂の素質があって、パワーはあるんだけれども、信念も貫き通すのだけれども、行く先々で不幸な人が続出し、本人も不幸だったと。

これはいくら御魂の力がありましても、御魂の力とは言えません。

御魂というのは神界から来ておりますので、御魂の力があって運勢が悪く、本人も人も不幸だというのは本当の御魂の力とは言えません。

やはり本人も幸せに、人も幸せになっているという、幸運、運勢が良いということを魂の力にいたしましても神人合一の道にいたしましても、神様のご用に役立たせていただきたいという人もですね、世の中を良くする前に、このあたりをまず解決していかなければだめだと思うわけです。

今度の私の「強運」という本も、運勢がいいという、ツキを呼ぶとかいうテーマに絞った本なんですけれども、そこでは少し書けなかったことを今日は講義します。

皆さまもこれから友の会を作ったり、こんどは十日会があさってありますけれども、そういう人にまずならないと、人様のことは言えませんと言いたいわけです。

生霊の餓鬼霊が人の幸運を食べる

最近私はよくこう思うんですけれども、前にここに女優さんが来ましたね。 S子さんですか。

S子さんは、ある時はNHKの番組にも入り、火曜スペシャルなんかにも出て、除霊も来たわけです。

ここで守護霊さんなども出たりなんかして顔もぴかぴかして、何とまあきれいになって、かわいくなってということで守護霊の鑑定直後に、お芝居の竜宮城の乙姫様になりまして、お芝居の主役をもらったわけですよ。

「わあ、先生調子がいいんですよ」と。

ところがそのお芝居に行きましてNHKも出ていたしというので、うらやましいな、うらやましいなあという、要するにうらやましいという念ですね。

生霊もいろんな生霊があるんですが、生霊の一種ですが、うらやみの念というのがあるんです。うらやましい。これが何かこういうふうでグルグルの念になってしまって、「うらやましーい」という。

植松先生がおっしゃるのは、これは餓鬼霊ですね。餓鬼霊というのは、ご飯も食べられなくて霊界をひょろひょろひょろひょろしているああいう餓鬼みたいな、餓鬼道に落ちている餓鬼霊もいますけれども、生霊の餓鬼霊もあるわけです。

酢ガキ、生ガキはおいしいですが生き餓鬼という、生きている生霊の餓鬼霊もあるわけです。

人の幸運をうらやむ、いいなあーと。

それから、天邪鬼なんかもそうですね。反対ばっかり言う。

今日来る前に「ゲゲゲの鬼太郎」をやっておりまして、天邪鬼というのがおりまして、人の心をパッとキャッチしちゃうという。人の心に住んでいる。

みんなそうです。人の心に住んでいるんですけど、不動明王さんも人の心に住んでいる。

不動明王のお経を見ておりますと不動明王はどこに住んでいるかといえば、人々の心の中に住んでいるというふうに言われています。

不動の精神の人間は、まさに不動明王は心の中に住んでいるんですけど、うらやましいという心が人の心に住んでおりますと、これは生霊の餓鬼霊。

これがです、人の幸運の運気というのを食べちゃうんです。仏教でいいますと今言った天邪鬼。前、書きましたね。

天灯鬼てんとうき竜灯鬼りゅうとうきというのはこのように、人の幸運というものを食べちゃっている餓鬼ですね。

人間の心に住んでいるんですよ。そういう天の灯し火とか、発展していくよというふうな青龍のような幸運。そういうようなものを食べちゃう。

こういう霊が憑いておりますと、なにかこう冴えない。

それから人々が絶えずぶつぶつぶつぶつ文句言っておりますと、天灯鬼、竜灯鬼、天邪鬼などというものを自分の心が作ってしまう、ということがあるわけです。

そういうふうに人間の心はそういうものを作り出すわけでありまして、これが慈悲慈愛を持ちますと、心に観音様とか女神様とか菩薩様なんかが出てくるわけです。

みんな自分の心から作り出すものです。ですから心が作り出すので、その塊の大きなやつが飛んできたりするわけです。霊界の魔物が。だから、いい神様を呼ぼうと思ったら、絶えず自分の思いがいいものを作っておかないと、相応の理でいい神様と感応いたしません。

そういうことで、皆さんも俳優やっていた人はご存知かもしれませんけど、なかなか役がもらえなくて、アルバイトなんかをしながら好きなお芝居をやりたいなんていうので貧乏でバイトをして、ハードなバイトをしてて、お金を出してお芝居をやりたいがためにやるわけでしょう。

やはり、主役というのは、みんながうらやましい。羨望のまなざしですね。みんな「うらやましいなあ。いいわね。あなたいいわね」って。「うらやましーい」という念を、周囲の人はもう行者さんみたいですね。

アルバイトしてその貧しい中でもう必死で、お芝居の道に行くんだなんて思っています。

私ども、一度お芝居を志してた人をお家にお預かりしていたことがあって、演劇をやりたい人というのは、よっぽどそういうことがないとなあ、ということで。いるでしょう。好きだっていう人が。

S子さんはそういう人たちの強い念の凝結をもらってしまって「先生ちょっと冴えないの」と来た時に、顔がぺしゃーんとしている。輝かしいような、運気が良いなというような、ほのぼのとしたような運気というのが消えまして、何かこう冴えない。

お肌がぶつぶつ吹き出物のようなものが出たりなんかして、そういうふうに運が冴えないというような顔色になっているわけです。

それでうらやましい霊を除霊いたしまして、もっと心を強く持ちなさいというので自分がもっと幸せになっている像を、マーフィーとかいろいろ言われておりますように、幸運になっていくように、運気を運勢を呼び込むような想念を持ちなさい。いわゆる想念転換の話をしたわけですけども。

それでもまた今度は「君、どっか行かない?」。今度は男の子が交際してほしいとか、付き合わないとかっていう、男の子の生霊がまた来ちゃっているわけですよ。

いくらやっても冴えなかったわけ。またしても「先生、冴えないの」。

そういうふうなものだから相談に来るんでしょうけど、その子をよく見ておりまして調子がいい時はいいんですよね。

だけれど、いったんちょっと調子が悪くなると、調子が悪いというのが続くわけですよ。耳が痛い人いますね(笑)。

調子のいいときにはパーっと良くなるのだけれど、なにかちょっとぺちゃんっとなると、絶えずずっとぺちゃんとなっていると。なかなか回復しない。調子のいいのが長続きしないと。こういう人いますね。

ぶつぶつ文句を言う霊界ができている

それでですね、なぜかなと僕は見ていたわけです。そういたしますと、その子の環境を見てみますと、お父さんとお母さんはいつもぶつぶつぶつぶつ仲が悪くて、ぶつぶつぶつぶつ言っているわけですよ。

お父さんとお母さんが仲が良くて明るい家庭といいますと、放ったらかしにしておきましても明るいです。

Nさんなんかを見ましても、お父さん、お母さんが明るいですから「うん、まあ何とかなるんじゃないの」と言うのが、お父さんのひとつの一貫したテーマで、お母さんが「まあ何とかなりますわ」と言って、チャカチャカチャカチャカ頑張って、明るいと。だからチャカチャカチャカチャカ頑張っている面と、何とかなるんじゃないかというのがうまくバランスされまして、今日のNさんを形成しているわけです。

おそらくMさんも自分じゃわからないような明るさがありますが、両親がやはりある程度仲良く、明るい方でしょう?仲がいいでしょう。

そういうムード、仲いいというムードが、仲いいというムードになってしまうので、物事の発言が絶えず明るい。

それに対してお母さんが絶えずお父さんのことをぶつぶつぶつぶつ言って、お父さんもお母さんのことを、絶えずぶつぶつ言って、お姉さんがぶつぶつ言うのを、妹がぶつぶつ言いながら、妹がぶつぶつ言うのを聞きながら、またぶつぶつ言っているという。要するにぶつぶつという霊界ができているわけです。

本人はわからないんですよ。

それで私が「あの、S子さんね、あなたの話よーく冷静に聞いててね、いつ会ってもあなたそういうことばっかり言っているでしょう。自分では気が付かないんですよ」。

で、特に彼女が心配している点というのは男性マネージャーだったわけです。その男性のマネージャーが番組をいろいろ取ってきてくれたんだけど、都合で大阪に行きまして、そこの事務所を辞めたわけです。

だから女のマネージャーになってから、全然仕事を取ってくれないんで、だからだめなんだ、だからだめなんだと。

聞くと「芸能界ってなかなか厳しいんですよね、先生。仕事ってなかなか来ないんですよね、先生」と。聞きますと芸能界は大変だと。

仕事をもらうのは大変だと。役をもらうのは大変だと。それは一般にそうでしょう。

芸能界で役をもらうのが大変だと。その中でもNHKに出たり、火曜スペシャルに何回か出たりというのは、そういうこともなく埋没していく人も多いわけですから、幸運な方です。

芸能界が大変だというふうな目でみれば、確かに大変でしょう。

では、大変なのは芸能界だけかといいますと塾業界も大変でございまして、商社も大変でございまして、作曲業界、作詞業界、手相業界も大変でございまして、どこの業界もみんな大変なんです。

大変だという目で見ていくからみんな大変で、いいなあというところはすぐに新規参入が起きまして、そこに競争が起きます。

いい商品で安くってサービスが良くてというところが生き残っていくわけでありまして、旨味のあるいいなあという世界にはみんなが来ますので競争が起きてきます、当然。

いいものというのはしばらくしますと、マーケットが成熟いたしまして、競争が起きてくる。

そこで大きな資本がある大会社の寡占状態が起きてくるというのが、近代経済の一つの原則であります。

そして大きなものと小さいものは、徹底的に小さい零細と大きいものがどんどんどんどん合併していって、二元化していくという寡占理論というのが経済原則なんですけど、同じです。どこの業界もどんな仕事もそうです。

ですから芸能界も大変かもしれないけども、大変なのは芸能界だけではない。みんな大変だ。

旨味があるのは、ラッキーだなあというのは、芸能界だけではなくて、どこもラッキーが、やはり通用するわけでありまして、そういう不況な業種の中でも、繁盛しているところはあるわけであります。

どこが違うかと。 繁盛している業界でも絶えず繁盛し、いい業界でもだめな人間はだめであります。生き残れない。

どこが違うか。それはやはりですね、運勢のいい人が残っている。運勢の悪い人は残らない。運勢だけじゃなくって、努力もしている。ある程度の法則性があるわけです。

いくつか法則性がある中で、そのS子さんの場合は僕が冷静に見ておりまして、ある程度、運気も持っているし、実績も少しはあるわけです。

いまいち開ききらないのは、マネージャーが出たときでも、絶えず、「大変なんですよね。なかなか女性のマネージャーって取れないんですよね」

「大変なんですよね。先生どうでしょうか」と。だから「あなた、もう相談に来ない方がいい。相談に来たら、絶えずマイナスのところを確認するから」。

特に彼女の場合には、親しい友人にMさんという女の子がいまして、その子はすごく明るい子で、何でも割り切っちゃう子で、その子がいつも「S子さん、芸能界でよかったのよ」と。

(S子さんは)絶えず電話で二十分でも三十分でも四十分でも、ありのままの自分の気持ちを言うわけです。

その子は「そんなことないわよ。あなただって出たんだから、きっといいのがあるわよ」と、励ます方なのです。

励ましている方は全然残らないから、絶えずいいことを言っているから、運勢はわりと、何だかんだといっても調子いいわけです。

もう一つの方の相談する人は冴えないわけです。確かにストレスを発散するのにはいいでしょう。

不安感が一掃されて、さっぱりするんでしょうけれども、その時には自分がマイナス状況にいるということを認識しまして、深く認識いたしまして、その魂の中に入れてしまうわけです。

妹にも「今これ大変なのよ。芸能界ってなかなか仕事がなくってネ。どうすればいいか。マネージャーも女の人で、男の人いなくなっちゃたしなあ」と言って。

いい時には今調子いいのよ。悪い時は悪いのよ悪いのと、どちらにも正直なんですね。だからちょっと良くなった時にはいいけど、悪い時はいつまでも悪い。