深見東州の土曜神業録19(Vol.6)

【第三章】御魂の力は素の力(昭和61年3月8日)

素直とは理屈っぽいの逆

パート3、お送りしたいと思います。パート3は本日のテーマ「御魂の力」の結論でございまして、「御魂の力は素の力」。

いかなる場合にも「素」を作る人を、素晴らしい人、素敵な人、すごい人と言うと。素晴らしい、素敵な、すごい人になるためには、まずこの、「素」を作るということが大切であります。

これは植松先生がおっしゃいました。「素直」とは「主」から「糸」が出ている。

「主」の神様から「糸」が垂れて「直」になっている。あるいは、自らの御主人公、御本霊、御魂。御魂のありのままの自分(「主」)から「糸」が出てきて、それに「直」だという、素直という言葉であります。

「先生、素直とはどういう意味ですか」って。

たしか、橘会たちばなかいで、田宮さんが聞いた。

「素直ということは、どうですか」

それに対する植松先生の答えが「理屈っぽいの逆です」と。なるほどと思いまして、要するに理屈っぽいの逆です。Nさんを見てわかるでしょう。

なんとなく素直な感じがするというのは、理屈っぽくない。ほとんど笑っているから、理屈が出る間がないのかもしれませんが、なんとなく素直な感じがするという人は理屈がないわけです。

なるほど、理屈っぽいの逆が素直かと。橘会の一つの大きな成果でありまして簡単ですけど、なるほどと思いました。

それで、パート1、パート2と皆さまにお話ししておりますと、ここの共通項と申しますのが、確かに因縁を良くして、幸運になっていくためには、何とかなるんじゃないかと、人に対するマイナスの念を出さない。

競争心を出さない。いい念を絶えず自分が出しているようにすると、本人の運気が良くなる。

そういうことでありましたけれども、最終的には「いいなあ、いいなあ」という霊界でありまして、Cさんとか見ますと何かほのぼのとした感じがしますね。

それで、の神様と申しますのは、例えばヨーロッパ的に出てくる主神というのは、厳然とした、いわゆる厳しい絶対者という感じで出てまいります。

それから、日本の天照大御神様というのは、崇高な感じがいたします。非常に尊いという。それから至聖先天老祖というのは古いと。

宇宙創造の昔からいらっしゃって、威厳があって尊いものだ。昔からずっとわれわれを見守っていて、完成度が高いという感じがありますね。

安心という世界が御魂の一番いい状態

しかし植松先生に降臨されました、丸ちょんのの神様とはどういう神様なのかと言いますと、安心の気なのです。安心。安心という世界。

例えば、鳥の巣、蜂の巣。鳥の巣を見ておりますとですね、雄と雌がおりましても、巣箱がないと生みません、卵を。

本当かなと思ったのですが、巣箱があると、そこに何か集めてきまして、巣作りをして、そこで卵を産んでいるのです。

突如として、中からぽこんと小鳥が出たりして。ジュウシマツかな。インコかな。おうちで飼っていた時に観察しておりまして、鳥というのは巣箱がなければ出ないんだなあと。

恥ずかしがってできないのかなと思ったのですけども、巣を作るということが自然の本能というものは不思議なものだと思いました。それは蟻もそうだし、それから蜂もそうだし、鳥もそうだな。蜂の巣、鳥の巣。

人間は巣はホルモンの分泌するところで、人間も卵を産むわけです。卵を出すわけです。そこに何かが飛んでくるわけでしょう。卵があって、そこへぽこんと入ってしまったら、丸ちょん()ですね。

陰と陽が出てくる前の。それから、丸ちょんが減数分裂しまして、陰陽が分かれたこの次元が、老祖様次元です。扶拈ふうちでは老祖様はこういうマークで書きます。このマークが本来の出てきた意味なのです。ですからの神様というのはこの陰陽分かれる前のポチという。

「植松先生の神様って、の神様ってどんな神様ですか」

「私の神様はちょんの神様よ」

植松先生はいつもちょんの神様。ちょんの神様とおっしゃっている。

ちょんは点ですからね。最小限であるけども、最大になれるんです。すべての物事の起こりの最小限というのは点ですから、点が集まりまして、線になるわけですから。

線が集まりまして、面ができまして、面が起きてから立体ができるわけですね、こうやって。

ですから数学でいいましても、直線は点の集合と言われておりますので、始めは点から出てくるわけです。

まさに点のことを、天から具わった点と言いまして、てんでわかりませんけれど、そういう点には(笑)。

「天に坐します我らが父よ」と言いますが、本当に我らが父は点だと。点に坐しまする、本当にちょんなんですね。

それから丸ちょんとなりますと、これがちょんに丸がありまして、点から働きが出たという、初発でしょうね。太古。ちょんに丸がありますと、丸ちょんは初発でしょうね。太古。

これから陰陽が分かれて活動が始まっていくということなのでしょう。おそらくそうじゃないかと思います。人間の生成化育を見てみまして。

ですけどもこれが出てくる前は、誰がこういうように卵ちゃんにこれが飛んでくるかといいますと、イライラそわそわしながら、男女もそうなんでしょうけども、鳥や蜂の巣を見ましても、厳しい目を見ながら巣作りをしているというのはありませんね。

やはりアットホームというか家庭の安心の世界をいうものを、巣を作るわけでしょう、鳥は。そこで卵を産むわけです。

ですから安心という世界が安心という霊界が、いわゆるの神様の、の霊界なわけでありまして。

ですからCさんのいいなあという世界の、さらに上は何があるかといいますと、安心という世界があるわけです。

安心というのが最高。安心という世界というのは理屈がありますと理屈っぽく安心している人はあまりいません。やっぱり素直な状態ですよ。巣作りの鳥は。雌鳥と雄鳥が理屈を言い合っているとか、喧嘩しながら巣作りしているというのはあまりないですよ。

やはり協力しあって、みんなが一丸となって、巣作りしているでしょう。安心という世界を巣の中に作ってから卵を産むわけです。

ですから生産活動をしていく、物事が生まれていくという時には、巣から生まれていく。

そのためには素直というのが主に直だ。素直で安心という世界。理屈がなくて安心という世界が、やはり御魂の一番いい状態。本人の素が発動している時、生産活動が行える原点だと、こういうふうにわれわれはご神業の目から見て、言えるのではないか。

パート2で言いましたように、「何とかなるんじゃないかあ」というのは、安心の世界に近いでしょう。「素晴らしいわ。いいなあ」という世界というのはいいなあという磐梯を見てきて、いいなあいいなあという霊界に行きましたね。

いいなあと同時に安心という世界は、なにかこのほのぼのとしたのがありまして、それが素の気なのです。

素晴らしいというのは素が晴れるんで、うわぁーっと理屈のない世界で感動している。

人は安心を求めている

ですから先程もパート2で申しあげましたように「調子いいぞ」とか「何とかなるんじゃないのか」とか、「いいなあ」という世界がありましても、外の世間では自信をほこんとなくされたり、あるいはやる気がなくなったり、挫折をしたり、絶望したり、思うことがうまくいかなかったり、ひどいことを言われたり、がっかりくるようなことを言われたり、本人の人格や存在を無視されるようなことを言われたり、せっかくいい状態を持っておりましても、この世の中というものは、そうじゃないようにさせていくという要因も多いわけです。

そういう人たちがいるので、ここに相談に来るわけでありまして、お医者さんもですね、励ますわけでありまして。

「先生。癌なのです。治りますでしょうかね」。「うーん。癌ね。大変だね。不治の病の一つだからね。もう二期だろう。うーん」などと言って、患者さんが落ち込んでいるのに、お医者さんが同じように悩んでいたら、絶対に救済できないです。

受験生を預かりまして「先生、合格するでしょうかね?」「うーん。大丈夫かな、どうかな」と同じように悩んでいたらだめです。こちらはそれを励まして救済する立場なのだから。

相手が明るかったら明るく、暗かったら同じように暗く悩んでいるっていうのは良くない。

暗いのを明るくしてもらおうと思って、相談に来るわけだから、お医者さんも受験生も除霊に来る方たちもそうですよ。

ですから相手が「これこうなんですよ」と言うのを聞いていたら、「それは大変ですね」と同情して同じように落ち込んでたら「本当にお大事にね」などと言っていたら、使命が果たせません。

人々は何を求めて病院に行くか。何を求めて除霊に来るか。何を求めて塾と教育事業とか人々に相談に行くかといいますと、一言で言えば、安心を求めているわけです。そうでしょう。

「安心いたしました」と言って帰っていくから、安心を欲しかったのだなと思います。「ご相談して、これで安心いたしました。希望に燃えます」という形で、魂が安心という状態が、素の状態にぴしっと落ち着くわけです。

安心という中にいて初めて、やるぞーという英気が出てくるわけでしょう。

男性もおうちに帰って巣箱というのか、安心というのがないと、殺伐として帰って来てエネルギーが湧いてこない。すなわち、御魂の世界というものが安心という世界ですので、の神様が。そういう磁場ですので、その安心というもののない家庭は、やはりやる気が出ないし、エネルギー、魂の力がなく、殺伐とするわけです。

安心という世界がある人間は運勢がいいわけです。やはり幸運とか運勢というものを考えました場合、安心の世界を絶えず持っている人間、これは運勢いいですね。

理屈が多いと戦々恐々としていて、自分で理屈で悩んでいますから、安心じゃない。「何とかなるんじゃないのお」というのは、どこか魂が安心の世界に、安心立命の世界にいるから、自然に「何とかなるんじゃないのお」という気持ちが出てくる。

安心というベースがあるので、いいなあという世界がどこまでも貫ける。ベースは、これがなかったら、そうはならないんじゃないかと思います。

いかなる場合にも自分で素を作っていく

この逆が不安と恐怖です。不安と恐怖というものは、やはり悪魔の世界です。不安と恐怖の中でも、絶えず信仰力で、神様に対する悟りで、安心という世界を失わないで持ち続けることができるかどうなのか。

試練というものは不安と恐怖ですね、考えたら。不安と恐怖の中で、どのように生きていくのか。

御魂の力はすなわち、いかなる不安、いかなる恐怖の状態がありましても、安心というものを絶えず信仰力で持ちまして、それをばねにして伸びていく。こういう人が、やはりリーダーになるわけです。

本人が幸運でなければ、人を幸運にできないということをパート1で申しあげましたけれども、実際は、本人が絶えず安心の世界を持っていて、いかなる恐怖、いかなる不安、いかなるピンチの時でも、大丈夫だという安心感というものがないとだめです。

神様に守護されている、神霊が応援してくれている、守護霊がバックアップしている、本人もやるんだと頑張るんだと、安心の上に立っている積極性。夢と希望とロマン。

こういうふうなものがいかなる時でも持てる人間でなければ、人様を救済することはできません。

人様は不安と恐怖だから相談に来るわけでありまして、本人が「そうですね」と言っていたら、人をリードする人間にはなれません。

ですから、御魂の力がある人間というのは、素()の力がある。すなわち、いかなる場合にも、素を作る人。いかなる場合、特に恐怖と不安感、絶望感の中でも、素を自分で作っていける人。

こういう人でなければ、人々に素を与えることもできないし、幸運を与えることもできないし、運気を引っ張っていく人ともなりません。

すなわち神人合一の道というものをいくら目指しておりましても、最初に申しましたように運勢が悪くてはだめ。神人合一の道をいくら目指しておりましても、不安と恐怖に絶えず悩んでいる人間というのは、絶対、神人合一できません。

神人合一して絶えず幸運、神人合一して絶えず御魂の力を発揮する。すなわち素の力を常に作る。神様が支えになっておりますので。

「大丈夫だ」ということを、自ら鼓舞できるわけでしょう。たった一人になっても、素の力を持っているわけで、「大丈夫だ、神様が守護しているから大丈夫だ」という安心感がどこかにあるわけです。

これは御魂が生きている証拠ですね。これから全てが生まれます。

そういうことができる人にして初めて、素晴らしい人と言えるわけで素敵だなという人であって、すごい人だなというふうになれるんだと。こういうことです。

どうでしょうか、皆さん。あの人素晴らしい人だなあという人で人々に安心感をもたらさない、絶えず人に恐怖と不安をもたらす人で、あの人は素晴らしいというでしょうか。

素敵だわという人はやっぱり、体に明るさが満ちていて、霊層が高い人。

安心をもたらすような人。だからすごい人というのは、素が濃いわけでありまして安心を乗り越えて、人々に幸福感、満足感、幸福と満足を与えるから、商売しましても繁盛しますし、芸術を出しましてもみんなが感動するわけです。

戦々恐々とか恐怖や不安の中に入っている人間は、絶対に素の力が出ませんので、本日のテーマの「御魂の力」ということを考えました場合に、本日の講義の締めくくりで素の力を絶えず出す。

そういうふうな日々の工夫と、何かショックがあった時でもすぐに立ち直れるような、自信と魂の力。素を作り出す力っていうことを私たちは気を付けなきゃいけない。

これを私たちの、信仰力の一つの目標と申しますか、運勢を良くしていく一厘と申しますか、考えていかなきゃいけないのではないかと思います。

ということで本日の講義「御魂の力」パート3を終わりたいと思います。

どうもありがとうございました(拍手)。