深見東州の土曜神業録18(Vol.5)

【第三章】気の位とは何か(昭和60年7月13日)

問題点は解決されるためにある

はい、パート3。えー、パート3は気の位について。気位が高いってよく言いますね。気位が高いって言いますとちょっと違う意味になりますので「の」を入れたわけですけども。

えー、人間はさまざまな問題点を抱えます。どうしたらいいんだ、こうしたらいいんだなんて。

さまざまな問題点を抱えますと、どうしたらいいのかわからないということで行き詰まりまして相談に行くわけです。経済的問題点、肉体的問題点、霊的問題点、頭脳の上の問題点。

ありとあらゆる問題点があります、世の中には。

こういう問題点というものは、何のためにあるのか。文学的に考えると、私を悩ませるためにあるんだと言うかもしれない。

こういうのは、太宰治的発想です。問題点というものは私を悩ませて、文学にするためにあるんだと。

しかしそれは違う。パート2で言いましたように、弥益主義の、全知全能の神様に向かう私たちは、やってくるありとあらゆる問題点、金銭的な問題、肉体的な問題、人格的な問題、親子関係の葛藤。

こういうふうな問題点はすべて、解決されるために目の前に来ているんだと。こういうふうにまず考えるわけです。

「問題点というものは、解決されるためにあるんだ」(板書)と。

そうすると問題点というものに押されない。問題点が来た時「わっ、大変だ。これできるのかな、どうするのかな」というのは、気の位が問題点よりも下になりまして、問題の方が上に来るからもう頭の中が一杯になる。

問題点で頭一杯なんですよぉ、と。違うと。問題点というものは、解決されるためにあるんだと考えますと、問題点よりも頭が上に来ます。

問題点、あっ、解決されるためにあるんだよと言いますと、あ、こういうふうに解決される、ああいうふうに解決されるということで、解決策がいくらでも出てくる。

これが気位。気の位ということなんで狸になる人は、どういう性格かと言いますと、強い人にポーンとやられて、 ハイハイハハイハイハイ、強い者にぺこぺこするわけです。

自分よりも上とか、強い者にはぺこぺこする。で、弱いのが来たら威張るわけです。狸の性質というのはそうです。

狸というのは「た」とは高天原の「た」で、尊いものが抜きになっちゃってるんです。

「た」というのは「立ち栄えていく」とか「立ち働く」とか、「高い」「尊い」「尊し」という「た」ですから。そういうものが「ぬき」になっているわけでございまして、だから狸は頭が悪い。

ぐるぐるぐるぐる堂々巡りして、いつまでたっても解決できない。物事を前向きにリードできないわけです。ぐるぐるぐるぐる堂々巡りです。

だから何かの問題点に遭遇した時に「困った困った困ったー」という形でやってきて、いつまでたっても、問題点を抱えたら横へ逃げて行くわけです。

蛇の憑いてる人もそうです。問題点を抱えると、あっちへ逃げこっちへ逃げ、前向きにこうジャンプしない。

龍神さんの方はジャンプできますけども、蛇の憑いている人は、ぐねぐねぐねぐね、ぐねぐねぐねぐね、悩んでばっかりいて解決できないわけです。気の位が横へ逸れちゃってるから。下にいるわけです。

気位を高くというのは、別にプライドを持てということじゃありません。そういうものに負けないということです。

ですから、どういう難問が来ても「ああ、いいですよ」と。まずは、どんな問題点があっても、問題点は解決されるためにあるんだと考える。

解決できると。やれると。すると、問題点よりも気持ちが上にいきまして、そうするとそういう霊界へ行きますから高い守護霊さんと感応して、答えが見える。

こういうふうに考えてほしいですね、まずは。そうすると、どんな問題が来ても問題が大きければ大きいほど、自分の気が大きくなればいいわけです。高くなればいいわけです。

頭山満の気の位

えー、こういうことが実際は一番大切でございまして。歴史上、これが一番素晴らしかった人というのは、たくさんいるんでしょうけども、有名なのは頭山満さんでございます。皆様ご存知ですか。

頭山満という人は、右翼の頭目でございまして、聞いたことあるでしょう。

黒竜会の内田良平と頭山満。右翼の大物です、戦争中の。頭山満さんは、靖国神社の前で羽織袴でパッと土下座して英霊にお辞儀してたなんていうのが、昔のグラビアなんかに出ておりました。右翼の有名な方です。

この頭山満先生という人が、柔術、柔の達人でございました。

「あの、頭山満先生、あの、色紙を書いて頂けますか」「あっ、いいよ」

っていう形で、もにょもにょもにょもにょと、前にも言ったと思いますけど、男性のですね、あれをこう描くわけですよね、大事なところを。

それで、「えーっ、先生、これあのどういう意味でしょうか」「よく柔に、よく剛に。誠に真髄を得ている。我が師なり」

と言って、こうお辞儀してるんだそうです。よく柔に、よく剛に。柔らかい時はあくまで柔らかく、堅くなるべき時には瞬間のうちに堅い。我が師なりと。

私の師匠だと言って、いつも、男性の一番大事なものに対してこうお辞儀しているらしい。よく柔に、よく剛に、我が師なりと。

だから、それを描くんだと。で、この頭山満先生、柔術の達人だったわけです。ある時、左翼の暴漢が来まして「頭山満、覚悟しろっ。もう絶対に許さないっ。右翼なんかも許さないっ、覚悟しろっ」と言って、実弾をピストルに入れまして、これは実際にあった話ですよ。

こういう形で来るわけです。「頭山満っ」と。頭山満はピストルをここに突きつけられまして「覚悟しろっ」と。やる方は震えてますよ。人を殺すんですから。

それで、頭山満はその時、どういうふうにしたかといいますと、煙草を吸ってたわけです、こうやって。葉巻をこうやって。それで、「頭山満、覚悟しろっ」と来た時に、ピストルの先に煙草の煙をフーッ。「あ、どうぞ」と(笑)。

ピストルを撃とうと思った人間はこうやって、「はーっ、はーっ、はああ……」って言って。要するに気合です。

この気の位(板書)ですよ。もう手足もガタガタ震えまして、腰がふにゃふにゃふにゃとなって、撃てなくなっちゃった。「どうしたんだ、撃たないのか」。で、もう、撃てなくなっちゃった(笑)。

だからもう来るまでは必死でしょう。人を殺すなんてことは。右翼の大物を殺したら手柄でしょうけども、ガタガタガタガタッ。

一方、頭山満は生死の境を越えまして悠然としてるわけです。左翼の暴漢は、これは撃てないなと思って、瞬間に、見た瞬間に。もう立合いの勝負です。悠然と煙草の煙をピストルの先にフーッとこう吹きかけて、悠然としてるという。どれだけの肝っ玉でしょうか。

ですから、頭山満さんは、どんな会でも、頭山満が上に立つと、何にもしなくっても、会がうまく治まってるらしい。どういうわけか。安心なんですよね。

「どうしましょうか」って、「あ、いいんじゃないか、それで」と言っただけで、「あ、そうですか」という形で思い切ってやれる。揺るぎない、堂々とした信念があるからなんでしょう。

将の将たる器

えー、省みますれば、もっと昔の話で漢の時代に、漢の高祖というのがおりました。この人が天下を統一しまして、漢を作ったわけです。漢の高祖劉邦。しみじみと言いました。

「はて、考えてみたら、作戦計略に関しては、おまえはわしよりも数段優れている。物資の調達に関しては、数段おまえの方が優れている。部下の気持ちを鼓舞して、軍隊の隊列を整えて指揮することに関しては、おまえの方がもう数段優れている。果たしてわしはなぜ、天下を取ることができたんだろうかなあ」

漢の高祖は自分を振り返りまして考えた。そうしますと、家臣にいた者が、「閣下、閣下は、将の将たる器を持ってございます」

と、そういうふうに答えたというんです。「将の将たる器」(板書)。閣下は将の将たる器を持っておられますと。

将の将たる器とはいかなることか。『論語』にはこう書いてあります。「君子は器ならず」。有名な言葉ですね。

「将の将たる器」と言い「君子は器ならず」という言葉があります。これはどういう意味でしょう。

「将の将たる器」とは「君子は器ならず」と同じことを表しています。例えば、器というものは一つの物をこういうふうに入れまして、こっちへ流す。

例えば、こういう物資を調達する能力がある。あるいは人臣を一生懸命鼓舞してやる。それから物資を調達して物を集めてくる。作戦計略を立てる能力がある。

それぞれの能力、才能というものがある。器のように非常に役立つわけです。

ところが、君子というものは、それぞれの個性とか才能とか特性というものを生かす。

いろんな役割の人がいるわけですから、この将の将たる人というものは、その能力とか特性とか才能をうまくバランスをとって、有為な人を世に生かす、有為な人をその場に与えるわけです。

才能がある人がそのところを得て始めて、有為にそれを発揮するわけでございまして、こういう才能ある人をこういうところへ持ってきたら生きるだろうと。

この人はこういうふうに持ってきたら生きるだろうという、器でございます。だから君子は器ならず。

自分が器になっちゃったら、こちらの方の人は、器は器で生かせない。自分が全部やっちゃうからです。

そういうことで、君子というものは器ではない、器でないところの器を持たないといけない。

自分自身が器でないようになったら、器の人たちを才能がある人を、その才能に合った形の位と役割につけることができる。君子として、上に立つことができる。有徳の人と言われるわけです。

ですから、君子は器ならずという有名な言葉があるわけでございます。

才能はあっても、上に立っていると人が生きないなんていう場合があります。あるいは、今言いましたように、漢の高祖が「わしは何にもできないのになぜ天下を取れたんだ」と。

「みんなおまえ達の方が上なのになあ」なんて言ったら「閣下は将の将たる器を持っておられます」。将の将たる器。人々の能力や才能を生かしていくことが出来る。こういうことがあるわけです。