【第四章】身の内の動物霊を祓う法(昭和60年7月13日)
身の内の動物霊とは
【深見先生】えー、最後になりますが、パート4。身の内の動物霊を祓う法。まず、分類しましょう。
「身の内の理。身の内の狐」(板書)。それから「身の内の蛇。身の内の女郎蜘蛛」(板書)。
身の内の狸の人というものは、狸が憑いてるんじゃないんです。
もうその人の性格がまさに理なんです。さっき言いましたように、目上の人、ちょっと強い者にはぺこぺこして、目下のものにはこうじゃないかと威張りたくなって、酒を飲んで、とにかく堂々巡りで何が言いたいか、もう、皆目検討つかないと。運勢があまり良くない。
要するに、今言いましたように全部気なんです。全部、気の具合で、前向きに前向きに進歩発展していこうという精進努力。
精進努力して、気を高くして高くして大きくしていこう、大きくしていこうという発展性のないところは、狸の堂々巡りでございます。
本人が、気の使い方を大きく、高く高く向けていきますと、狸というものが消えていくわけです。
それから身の内の狐というのが不思議ですね、言霊で。気が常に張っていると。だからキーッとしています、狐ちゃん。で、コロコロコロコロ気が変わる。
本当に「気が常でない」わけです。身の内に狐が憑いてる人というのは、非常にお天気屋でむらっ気の人が多いんです。
だけども冷静に見てまして、狐が憑いてる人というものは、気が弱い人が多いんです。気が弱い人。気の弱い人というのは狐が憑きやすい。
前にも言いました、飯綱使(狐使い)の飯綱落としの法というのがあるわけですけども。
えー、あるところに狐がいたわけです。どこにいたかっていうとお屋敷です。武士の大きなお家があって、お屋敷の庭に、こんな大きな石があったわけです。その石の下に狐の親子が巣を作ってた。
ある時に、ちょっと庭をいじろうという形で、石をこうガラッと動かしたら、狐親子が下敷きになっちゃって死んじゃったわけです。狐は肉体がなくなって、腹を立てて、そこのお屋敷の奥様か誰かに憑依したわけです。
それで殿様が来た時に、グアーッと、「おまえらっ。この庭にわし達親子は巣を作っていたのに、石をどけて、踏んづけて殺すとは何ごとだっ、許せないっ」という形で、狐がこんな顔して怒ってるわけです、殺されたから。
普通ですと、さっきのように、気の位が低い人は、「うわ、どうしよう。狐がこんなこと言って。どうしよう、どうしよう、狐だ」なんて言っちゃうと、狐の思うままになってしまいます。
しかし、その武士は瞬間に、「何を一つ、このやろう」と気の位で勝って、バッと刀を抜いて、「魔物、人の庭に勝手に巣を作る、おまえ達の方が間違ってる」と(笑)。
「庭石をどう変えようと勝手じゃないか」と。
「不法侵入で無断で入ってるおまえ達の方が悪いから許せないっ、ばかものっ、この場でおまえを殺してやる」って形で、刀をこういうふうにウワーッと上げた瞬間に、ワーッという形で狐が消えちゃって、「あっ、何だ今のは、狐が逃げてった」と。こうやって、狐落としってやるわけです。
もう気が弱い人には狐がパッと入って自由自在に操るわけです。だから、もうとにかく狐と合体してるような人というのは、もうとにかく気が弱いです。
何かピンチがあったら、どうしようどうしようどうしようと言って、気で負けちゃっている。ですから嘘つくわけです。
少々のことがあっても大丈夫だというぐらいの太っ腹でいきますと、まあ行きすぎると狸になりますけれども、狐は憑けないわけです。
狐の憑いてる人間は、戦々恐々としてハラハラするから、あっちに嘘つき、こっちに嘘つきっていう形になりまして、気の弱い人が多いです。気が弱いから頭を使うわけですよ。
気が弱くなかったらですね、周囲に当たらないで、当たり散らかさないで、自分でグッとお腹に押さえてますよ。強い意志で気持ちをグーッと押さえてますから。弱い犬ほどワンワン吠えますね。
もう黙って本当に気の強い人っていうのは泰然自若としてますよ。気が弱いから、ああでもない、こうでもないっていう気持ちで、自分が思い通りにいかなくなったら、辛抱が出来ないんで周囲に当たり散らかすわけで。
本当の信念を持っていて「こうだ」という人は口に出さないし、周囲に当たりっぱち出さないはずなんです。
それから身内の蛇。くねくねくねくねして、しょっちゅう悩んでる人。蛇はぐるぐる、あんまり高いところにいません。蛇は下の方をうろうろ徘徊してます。
ぐるぐるぐるぐる悩んで悩んで、悩みすぎるという人が、身の内の蛇の状態です。
それからその身の内の女郎蜘蛛というのは、とにかくもう○○が大好きで、今日もあれしたい、明日もあれしたいっていう形で異性をこういうふうに、ねえっというふうに言いたくなると。
身の内に神様を置く努力をする
そういうことで、身の内に神様がもしいらっしゃるとどうなるでしょうか。
身の内に神様を置こうと思うとどうなるかといいますと、常に愛念を出していってパート1で言いました、常に愛念を出して何でも物事が愛念で出ていって絶えず進歩努力に心掛けます。
神様の入っている人は。そうして、高貴で素晴らしいものをやっていこうという創造意欲がありますね。
美しいもの、素晴らしいものを作っていこうと。こういうふうな意欲が絶えず絶えず出てくる人なんです。これは神魂がある証拠です。
ですから、物事に偏らないで、ここ一番っという時にはガアッと辛抱して、気が弱くない。物事の困難があったら積極的に前へ前へ乗り越していこうという働き方。
藤山寛美さんか君原かは知りませんが、そういう精神力でグッーと堪えて、グッと堪えただけじゃなくって、それを前向きに前向きに前向きに前向きにっていうことで創造発展意欲。
物事を美しく芸術的に創造していこうと。発展意欲が絶えず前に出てる人は、神魂が絶えず発動しています。ですから身の内で神様が御魂がどんどん出てくる。
御魂っていっても神様の姿をしてますよ。男神様は男神様らしく、女神様は女神様らしく。そういう働きが身の内から出てくるわけですね、おのずから。
そういう人は身の内に、神様がちゃんといらっしゃいます。そういう人いますよね。そういうふうな生き方をしてる人はパッと座りまして御魂を見ますと、ウワッと神様がでてきます。
そういう生活をしてる人は、もう御魂調べしなくても、目の前にパッと座るだけでバーッと出てきますよ。
まあ、J社長もそうでしたね。ああいう前世の、何万年か前の神魂が短時間でパンと出てくる人は、絶えずそういうふうな考え方でしょう。絶えず進歩して絶えずいい物を作っていこうと。
少々のことがあってもくよくよしない。大きな借金を使いきっても悠然として、くよくよしないと。そういうふうな基本的な性質の人はもう、神魂が出てるわけですよ、絶えず。
まさに神は身の内にありと。身の内に神ありというふうに、植松先生から言われましたけれど、一体身の内の神とはどういうものかと。
どういうふうな形で出てくるのかと言いますと、今言いましたような、そういう出方ですね。
神気が充実するような想念の出し方とか、気を受けて行きますと、こういうもの(動物霊)は絶対にいたたまれなくなっちゃって出て行く。
もう住めなくなっちゃって出て行く。人間のそういうふうな性格、そういうふうな気の種類をこちらの方に変えちゃうと、神様がいらっしゃって、動物霊は出て行くわけです。
ということで、パート4は簡単ではございますけれども、パート3が本日のメインなんですけれども。身の内の神様とはそういう姿だよと。
神様を身の内に絶えず置くような努力をして下さればいいじゃないかと。
神人合一と言いますけど、身の内の神というものを絶えず尊重することによって、神人合一の道に近づくわけです。
こういうふうに身の内に神様が出ている人は、天界とか神々様っていうのは同じ世界にいますから、絶えず神様に守られて、神様に大きく包まれながら、神人一体の道を、最短距離で行ってる人ということが言えます。
まあ、ということで、パート4を終わりたいと思います。
どうもありがとうございました。(拍手)
