深見東州の土曜神業録17(Vol.2)

【第一章】天命とは最小限度の御魂の義務である(昭和60年8月3日)

一般的に天命と言えば・・・

【深見先生】それでは、始めます。八月の三日ですか。

八月の三日、土曜神業。本日のテーマは、五分前に決まったんですけども「天命とは最小限度の御魂の義務である」というのがパート一であります。

皆さんどうでしょうか?「私の天命は何でしょうか?」と、ちょっと守護霊様とか神霊ものの本を読んだ人なんかは、わざわざ九州から来たり、沖縄か来たりして「先生、私の天命って何でしょうか?」って。自分の天命が知りたいという人は割に多いんじゃないでしょうか。

そういうものも関係なく、日常生活をただ普通に生きて、普通に仕事をやって、前に申し上げましたように、ある程度、給料が良くって、芝生の上で今日もゴルフしているというね。

犬がころころ来て、「ちょっとあっち行っときなさい」なんて。

「お母さん、またこの子が、こんなところでフンをしようとしてるよ」って。

「ゴルフの練習する時にさあ、芝生がちょっと乱れてしまうから」「ああ、すいません。イギリスの犬なんだもんでね。躾がちょっとまだできてないもんで」なんて、いわゆるブルジョワの、とまではいかなくっても、中流階級の上の、ボーナスが二・五ヵ月以上出るような、一部上場の会社にいる社員のね。

だいたい、こういうふうな生活をごく普通にやっている人は、「果たして私の天命とは何なんだ?」とは、あんまり考えないようですね。

生活をいかにエンジョイして苦しみをどういうふうになくすことができるのかと。苦しみがあったら、苦しみをなくす方法はないものかと。病気でしたらお医者さんに行くし、法律的な問題ですと弁護士さんとこに行くし。

それで、どうしても駄目だという時に、なんかちょっと宗教に興味を持ってみたり、占いに興味を持ってみたりっていう人が多いようです。

そういうことで、勉強してって、いろいろと。そういう勉強していって「一体、何のために私は生きているんだろうか?」と、いくばくかの信仰心なり、生きていく意味なんていうことを考えます時に、やはり「天命とは何だろう?」と、考えませんか? ねえ、Fさんも興味があったでしょう。「私の天命って何でしょう?先生」。

根岸さんも。「僕の天命って何だろう?」みんな興味あったでしょう。

天命を知る方法はいくつもあるんですけども、まず四柱推命で命式を見てみますと大体その人のいいところと、こういうのに合ってるという才能ですね。それも天命といえます。

バイブルにも「天は我らがために勝りたるものを与え給うた」と。「ゆえに、心を尽くして狭き門より入れ」と。

「滅びに至る道は大きく広く、これを見い出す者多し。命に至る細道は細くまた狭い。これを見い出す者少なし」と。

「心を尽くして、狭き門より入れ」というのがありまして、それをアンドレ・ジイドなんかは、「狭き門」なんていうんで、文学にしてますけれども。

そういうふうに本当の命に至る細道というものは門が狭いけども、努力し心を尽くして狭き門から入りなさいということを言ってるんですが、その前提と致しまして「天は我らがために勝りたるものを与え給うた」。

天は私たちのために、何か人にない優れた要素、優れた才能、能力、人にないような素質、そういうものを与えたと。これが才能というか、素質だと。

それを磨いて努力して魂を向上させながら、人々にもコントリビューションする、益する働きをしていくというのが一つの天命ということが言える。それが生まれて来た意味ですから。

そういうことで、四柱推命の命式を見まして、こういうのに合ってますねっていうところに行きますと合ってるところなんで、比較的幸せで、充実した人生からみて、進歩向上にも不得意なものでやるよりはいいです。

非常に不幸なのは、そういう能力とか才能とか天性はあるんだけども、家族関係の葛藤としがらみで、あるいは配偶者がたまたま頑固でわがままだったから発揮できなかったというようなことあると、非常に不幸を感じますね。

まあ、少なくとも自分に合った生活と、得意とするところを伸ばして、努力して、まあ、苦労はどんな世界でもありますけれども、そういう苦労は実のなる苦労ですから、同じく人生歩む人でも幸せじゃあないか。

まあひとつの天命っていうことは、四柱推命の命式のいいところ、別にホロスコープでもいいんですけど、これが天命というもの。本当は、一般はこれでいいんです。一般の人たちはもうこれでいい。

天命とは自らの心君に従うこと

天命というのは…。(板書「生命天命宿命運命」)

えー、天命というのがありまして。宿命、例えば、女として生まれてきた、男として生まれてきたというその宿命、宿った命。それを今、どういうふうに運んでるのか、運命というふうにして、命を運んでいくわけなんですけども。

まあ、命があってはじめてこれ、天命があるのでありまして、この生命が死んでおりますと、天命も何もないわけです。生命の命というのは、神様からの命令の命なんだと。

天の命を受けて生命を持って来たんでしょうけど、この命とは何かっていうことは、神様の命令だと。

私たちの感覚として、神様からの命令と何かしなければならないことがあって、何かもともとそれが決まってて、そういうものを受けて生命がありまして、天命を持って生まれて来て自分なりの宿った宿命があって、その通りに生きていくといいんじゃないか。

将来何をしていいのか。こっちともいえるし、あっちともいえるし、こっちともいえるし、どうしたらいいのかなあというふうにして、方針が分かんないから。
??一般的にそうですね。

もう、夢中で努力して頑張っている人というのは、俺の天命とは何だったのか?あんまり疑問に感じないで、夢中にやってますよね。

能力の得意な分野と自分のいいとするところを、どんどんどんどん磨いている人は夢中でやってますから、おのずから天命を行じている。

前に申しました、この天命とはどういうものか、ひとつの角度で見てみますと自らの心君に従うことだと(板書「自らの心君に従う」)。

自らの心君。心の君です。心、胸のところに、潜在意識の入り口があります。

ここに心君というのがある。心の君。この心君に従うということが、要するに仏教では、まあ仏性というのは少し意味が違うんですけど、ポーション(部分)のことですね。神様の分け御魂とか、あるいは、内なる仏だな。

それから、陽明先生は「良知りょうち」と言いましたし、あるいは、自己本来の面目。慧能禅師は自己本来の面目。最近は潜在意識なんて言いまして、おのおの厳密に言えば違うんでしょうが。

潜在意識とか自己本来の面目とか、陽明先生の良知とか内なる仏とか、こういうふうな自分の意識が、神様の命を受けて生まれてきていると。

だけども、それは何なのかということは良く分からないんで頭じゃない、自分自身の内なる本当の叫びというか、意識の奥にあるようなものが、おのずからこっちに行きたいとか、あっちへ行きたい、こうしたい、こうでなければならないとこう、おのずから思うところの何か、御魂ですね。

そういうようなのはこの心君、ここから出てくるわけです。だからこの心君に従うということが天命ということなんだよという定義もあります。

天命とは何か? 自らの心君に従うことだと。自らの心君、心の君に従う。コロコロコロコロ動いておりますところの、わがままに動いておりますところの、今の心じゃなくって自分の外に出ている心の奥の心ですね。

まあ、そういうのを、心君。

コロコロコロコロ、自らの心の赴くままにいきますと、ろくなことありませんから。もうそこには、ひた隠しに煩悩と欲望と虚栄と慢心と自分自身の人欲がひた隠しにされておりますので、心というのは、そういう形でコロコロコロコロ動いておりますから、心って言うんですけど。

そういう心に従うんじゃなくて、もっと内在的な、本質的な、おのずから自分の奥から叫び出るような、心君に従うことが天命。なかなかうまく言ってますね。

天命を知る方法

心君に従ってやってたら、自然に天命を行じているっていうことになるわけなんですけど、これを特殊な方法で知ろうと思えば、ランクの高い守護霊様か守護神様に聞けば、前世、今世、来世も全部だいたいご存知なんです。

前世こういうふうなことがあったんで、今生こういうふうに生きたいと、今度生まれる時はこういうふうに生きたいと本人も思い、神様ともお約束をして、そして産土の神様を媒介としてお腹の中に宿ってきて、今世行くわけです。

で、そういうふうにして生まれてくる時の天界とか霊界の入り口の様子は…。空港で入国手続き、出国手続きするのを見て、そっくりだなあと思うんですね。

あれいくつかチェック書いて、あ、どこの国、はい、ポーンと押すでしょう。パスポートで、ああいう感じで、あ、どこどこ、あ、どこどこ、フランスですかって形で、ポーンと届け出をしまして、そのカードに。

パスポートを見ますと、どこどこの国に行った、フランスへ行った、韓国へ行った、香港へ行った、アメリカへ行った、というのがいろいろめくるとありますね。

あれ、再生転生している過去のパスポートじゃないかと。ああいう感じですよ。

で、じゃあ今度はフランスで生まれてきますって言って、ポーンと出国許可証と入国許可証でちゃんと税金チェックされて、前世の罪はこれだけですね、これだけは関税かかりますから、あなたちょっと不幸のハードシップがありますよということで、だいたい何才何才何才の時に、前世悪い事したんで税金払いなさいと言って、艱難辛苦とか、ちょっと異性にはあまりもてないようにしておこうという感じで。

君のこと言ってるんじゃないけどね(笑)。

とにかくこれだけはちょっと課税対象だねと。まあこれは非常に軽い。あんまり罪ないからもう無税でいいよと、無関税でいいよと、荷物も少ないからいいねと。

こんなにあなた持って来たんだったら、当分は出国停止だと。とにかくどっか外務大臣の印鑑がもしあれば、許可しなくもないと。

そういうのもなく、許可なくいくと、これはもうギャングですので本当に正式に生まれてきに人じゃないから、そういう正式に生まれてきた人じゃない人もいるんですよ。

もう、変な人間もどきのようなのが入って生まれてる人もいますけど。あれ、そっくりですね。

そういう感じで生まれてきましたので、だいたいそういう形で、そういう星のもとで、宿命のお父さんお母さんの関係の何年何年というふうな関係の時に、ポッと生まれちゃうんですね。

四柱推命は生まれてきました時間で晩年の運勢が決まる。生まれてきた日にちですから。

日ですから。この日にちと月の関係、年の関係で、お父さんお母さんの関係見て、時間の関係で見て、バランスよく、その生まれた日の日とか日柱というんですけど、これで全部見るわけですね。

ですから、だいたいその年と月というのを四柱推命では大切にするんですけど、四柱の中で。日にちというのは、予定日から早かったり遅かったりしてかなり変化ありますね。

だいたい天の命の星の運行の一番合った時をこう見計らいまして、焦り過ぎず、ゆっくり過ぎずに、一番いい命式の時を待ちまして、ポッとその日に出てくる。

まあ、帝王切開するとどうか分かりません。帝王切開して、この日が一番いいと産む人もいるみたいですけど。

たまたま病院が混雑してて、一日ずれちゃったりすることもあるかもしれない。一番いい時狙ってきたんだけども、先生がちょっと風邪を引いちゃったんで、翌日に伸びて最悪の日支で生まれてきたとかっていうと、一生涯それでいきますからね。なかなかうまくいかないですね。

まあ、そういうふうに、こういう形でやりますということを、神様から許可を得まして、出国手続きを印鑑押してきまして、産土の神様の媒介で、その日にちと、月、日、時間で生まれてきて決まるわけですね。

そういうことで、天命というものが決まっておりまして守護神様に聞きますと、だいたいこういうようなことなんだよということが分かりますので、守護神様に天命を聞いてみて、こういう気持ちでお前は生まれてこようとしてきているから、今世はこういうふうなことの悲願があるはずなんだということで聞くと、「そうだっ」っていう形で、お腹のこの心君が飛び出すわけです。

これが、守護神に聞く方法。

もう一つは他心通力で、その人の潜在意識のこの心君ちゃんの奥の方へこう入ってって、「ところでおたく、今世何をしたいと思ってお生まれになったんですか?」と聞くと、「いや、僕は前世こういうことがあってね、こういうことがあった。

今世こういうふうに神様と約束して、それでいいだろうっていうんで、出国許可証を頂いて今世こういうふうに生まれてきて、こういうふうになる予定なんです」と知っているわけですね、自分自身も奥の意識で。

ですから、これに聞いてやると天命がわかる。潜在意識を同時通訳する方法です。

まあ、だいたいこういうかたちで、守護神様に聞く方法、それから本人に直にインタビューしてみる方法があるわけです。

これを全部聞いてみたのがエドガー・ケイシーですね。エドガー・ケイシーとは「眠れる予言者」って、自分で自己催眠かけて半分眠った状態になりまして、本人の潜在意識が相手の潜在意識に行って、それをリーディングするんです。

ただ、いちいち寝なきゃいけないんで、魔物も入って来る。私は起きてやる「起きれる予言者」で、起きてやりますけども。

最低これだけはやってもらおうというのが天命

まあ、こういうふうに自らの心君に従い、神様の命令を持って、こういうふうにしていきたいっという形で特殊な使命を持つ場合に、今度はいろいろな前世の才能、例えば、音楽の才能、絵の才能、文学の才能、いろいろあると。

四柱推命でみたら、いろいろ才能がありますね、この人はといって。どの才能をどう活かしていいのか、私はどういうふうに生きていったらいいのか、自分ではこう生きたいという願望があるけども、どちらに行ってもたいして変わんない。

もし神様が「こういうふうに生きよ」という命令があるんだったら、それに行くほうが幸せだし、悔いのない人生が送れるんじゃないかと、そういう人生が送れるんじゃないかと思って、天命が聞きたいというふうになってくると思うんです。

そこでです、今日のお話は、こういうようなお話は過去は何度かしているんですけど、この天命と申しますのは一つは四柱推命の自分の長所を伸ばすという一般の方と、いろんな長所、短所あるけれども、宗教的な天命といいますか、特殊な、社会でこういうふうにしたい、今世こうしたいという天命もあるわけです。

例えばですね、西谷さんの場合ですと、三万人かな? 十万人かな?

【西谷先生】三万人です。

【深見先生】「三万人の人に正しい道を伝導して救う。そういう気持ちで生まれてきました」って、一生懸命、僕の手相見てもらってる時に、頭の奥から声が聞こえるんです。「僕はその天命で生まれきました」なんて言ってる。

それから吉塚さんのお母さん。一週間ほど前にお亡くなりになったんですけれども、死ぬ時に、どういう霊界に行くかも来世も、もう決まっておりまして、だいたい。150年経って中国に生まれて、学問を積んで、病弱な人たちのためにそういう活動を、十万人以上の人を救う。そういう予定です。

そういう天命を持って生まれるわけでしょう、来世は。そういうふうに、天命はあるのかと。

それだったらその方向にいくという形で努力はしていく。その方が、はっきりしていいということで天命を知る価値はあるわけなんですけど、ここで気を付けなきゃならないことがあるわけです。

それを今日の一番のテーマにしたいわけなんです。えー、本日の一番言いたいことというのは、これ以降の問題でございます。

つまり、例えば三万人の人を救うんだというのは、最低三万人なんですよ。例えば吉塚さんのお母さんですと、十万人救うって言いましても、最低十万人はやってもらわなきゃ困る。

例えば、前世にたくさんの人を苦しめて、だけども晩年に神仏の道に目覚めて、来世生まれてくる時はもっと世のために生きようと、そう死んだとしますね。

霊界で修業して清算しまして、生まれてくる時に、もう一回マイナスの点というものを反省致しまして。えー、まあ、二十五歳ぐらいまでは艱難辛苦で前世のあがないをする。

そのために、非常に因縁の深いお家に生まれてきて、親の因縁、母の因縁、土地因縁まで引き受けちゃいまして、浮遊霊まで引き受けちゃいまして、苦しみを経て、何らかの都合で除霊の先生に会うとかで、二十五からぱっと運勢が開いて生きていくと。

それはですね、最低、その苦しみとか艱難辛苦を経て、何歳から何歳っていう、大きなターニングポイントの骨子が決まってる。

だいたい何歳のこの時のという形で、神様は。そして、最低、これだけはやってもらおうというのが天命なんです。

その天命を果たすために、例えば二十代の前半というものは艱難辛苦だよと。三十代の終わりぐらいまではいろいろな宗教的なものに目覚めていくよと。

三十五から四十何歳ぐらいには、社会に出ていって、晩年はそういうふうなもののみやって、何冊かのいいものを世の中に残していくよという。神様っていうのは全部きちきちは決めてません。

だいたいこのポイントだけは絶対にクリアしてもらわなきゃならないという最低ラインがありまして。

この時に、守護神様が出てきたり神様が出てきて、方向が違ってるんだったら、ぐーっとこういうふうに戻すわけです。で、これが要するに試練なんです。

神様は大事なところで軌道修正される

だいたい、試練を受ける人っていうのは、はっきり言いまして我が強い人が多い。試練なく生きていこうと思ったら、素直で素朴で生きていけばあんまり試練がない。

まあそうとばかりも言えませんけども。だいたい試練があるとか、神の戒めをくらいましてっていうのは我が強い人が多いです。

しかし、我がなかったら、物事を貫き通せられないんです。

これも矛盾するものでして、我がないというと、はい、何でも私が悪うございまして、あれでございましてって言うと、全然自我がない。ということは、あっちに言われたら、はいこっち、あっちに言われたら、はいこっちで、一つのものを全く成就できない。

ですから我はなきゃ駄目なんです。しかし、我があり過ぎますと、神の道からも失墜しますし、真っ逆さまに地獄に落ちる。我はなきゃならないけども、あり過ぎても良くないということで、非常に難しいんですけども。

それから、強い意志を持ちながら、アクを出さないで貫き通す精神を持って、だけども、内面的は素朴で素直な人というものは、神様と約束しました最低ラインの天命のミニマム・デューティ(最小限の義務)というものをクリアできる。

全部が決まってたら、人間の自由意志というのか、ゆとりがないもんですから、何かロボットみたいでね。神様の分魂分霊の高級神霊を受けておりますので、自由な選択意志があるわけです。

例えば猿と蜻蛉かげろう、どちらが高度な動物かというと・・・。

例えばこっちの方で野猿でやってたり、檻を出まして、どっかの伊豆のあたりで人のものを盗んだり、あるいは猿回しをしながらエンターテイナーとして一生終わる猿もいたり…。

蜻蛉っていうのは、ぱっと朝生まれてきまして、夕方死んでいって、ぱたぱたばたっと飛んでいって、どっかの木のお汁を吸って死んでいくという、それだけのもんですよ。

トンボの方はまだまだ、赤とんぼなんて歌にも歌われまして、まあ、それなりに文学性もあって。シオカラトンボなら、子供が「あっ、シオカラトンボだ」と、まだ狙って頂けるだけいい。蜻蛉なんか誰も狙いませんよ。「ああ蜻蛉だあ」なんて(笑)。

だから、かわいそうだから、『徒然草』で兼好法師が「蜻蛉の如し」なんて、みじめな哀れな存在としてようやく扱われたという程度で、子供たちにも狙われないですよ、

蜻蛉は。選択権がなくって、一日しか寿命ありません。朝生まれて、夕方死んでいく。仏教の無情感をいやがうえにも強調するので、蜻蛉というものは、神様の教えと哲学の媒介にはいいでしょうけど。

トンボの方がまだ自由がありますね。

だけども、猿はもっと自由があります。トンボは演技できません。猿はまだ、こういうふうにやりながら、こういうようなことしたりなんかして。

脱走しますと、人の物、高級なお菓子なんかでも取ったりなんかして。やっぱり知能が発達してるということは、自由の選択権があるわけです。

ですから、人間も万物の霊長として命を持っておりますので、天国に行くのも自由だし、地獄に行くのも自由だよと。只今只今に自由。天国に行く自由もある。

地獄に落ちるのも自由の選択意志を与えられているから、高度な生き物なんです。神様の子であるし、神様の分魂を頂いている。だから、神様はあんまりに全部全部決め過ぎない。

人間の自由なる意志を尊重なさるわけです、正神界の神様は。

それから龍神さんとか天狗が付きますと、「お前はああせえ、こうせえ」って言って、いちいち神の命令で動かされているという。これは低級霊なんです。

お稲荷さんなんか憑くと「こういう修業せえ、ああせえ」って言う。

僕なんかは、徹底した個人指導していく方が修業が上がるんじゃないかと思うんですけどね。高級神霊というものは、その法則をとらない。

自分で目覚めるのを待ってる。目覚めてやればどんどん修業するけど、目覚めなかったら、とことんまでほったらかしにしているわけです。

そういうことで、最終的に、最低これだけはしなきゃいけないって、神様がポッとこう来るんです。ああでもない、こうでもないと言いながら最低これだけのことは神様がパッとここだけで押さえられる。

大きなターニングポイントで守護神様がバッと出ていらっしゃる。このターニングポイントの大事なところです。大事なところに差しかかりましたら、神様が軌道修正をされるわけです。