深見東州の土曜神業録16(Vol.5)

プラスの想念を口に出し続ける

駄目じゃないかな、こうじゃないかな、どうなってやってるんだ、心配だ、不安だと。

ですからですね、ちょっと不安になったら、フラフラフラフラッと自分の想念、お腹とか、後頭部から出てくる想念のまにまに、ちょっと心配だからね、相談しまして。どうですかねって言って、Sさんに相談してみるとか、あるいは、Hさんに相談してみるとか。

ちょっとフラフラフラという想念が出たときに、すぐに相談するという人間は、絶対に信念出ないですよ。

そういう想念っていうのは、動物霊が出たりですね、自分の煩悩が出たり、自分自身の尺度で見ててわかんないことなら、いくらでも出ますよ、そういうことは。その想念がフラフラと出たら、ああじゃないか、こうじゃないか、ああじゃないかと、フラフラフラフラしてるわけで。

そういう想念も出るかも知れないけれども、出たらもう、「いや、しかし、神様の道はこうだから、きっとこうなる。こうなる、こうなる、こうなる、きっと素晴らしくなるんだ」と信じて、俺はどんなことがあっても絶対にやるぞと、死んでもやるぞと。

そうだ、白隠禅師もああいう風に言ってた。臨済禅師もああいう風に言ってた。深見先生もああいう風に講義言ってた。それから、その、大日本帝国のときも、そう、そうだったと、ヒットラーもそうだったと。ですからここで講義が生きてくるわけです。

引っかけ材料がいるでしょ。だから、宮本武蔵だって死を決して行った、そうだったと。松本先生だってああいう風な形で言ったんだと、絶対にやるんだと。ですからその、ありとあらゆたとえ話を、いっぱいいっぱい呼び出すわけですよ。

そうだ、大死一番ということも禅宗であったじゃないか、そうだと。そうだ、問答でもそういう風に言われたしという形で、自分の知ってる禅の知識とか、あるいは、本田宗一郎もそうだったとか。

有名な人たちとか歴史上の人物、とにかく不動の信念を貫き通したという人、人のヒストリーを思い出すんです。あの人もそうだった、あの人もこうだった、あの人もこうだったと。

二時間でも、三時間でも、五時間でもですね、エネルギーと言霊の続く限り。あの人もこうだった、この人もああだった、だからお前はきっとやれるんだ、やれるんだという風に、もう念が強かったら、背後霊さんも、そうだ、そうだという形で(笑)、背後霊が来るんですよ、これで。

そうしまして、ウーン、やるぞという形で、エネルギーと信念が燃えまして。霊力が出てきて、やるぞという形で、不動の信念がつくんですよ。これを、この毎回毎回やり通す。

もういいや、これでいいや。こんなもんでいいや、あの人もああだったしな、この人もああだったしなという形で、これは、マイナスのほうのたとえ話ですね。

あの人もああだったし、この人もそうだし、どのみち僕もああだったし。過去の自分を振り返りまして、あの人、まだそういう風に言うけど、あの人だってああだったしなと。自分がなるべくマイナス的で、忍耐力が弱くなるというたとえ話。

あの人もああだった、お兄さんもああいう風だったし、テレビも見たしな、あれもああだったしなと。

それから、自分自身のわがままを許すようなたとえ話。あの人もああだったし、この人も、あの人だってああいう風にやってるんなら、ちょっとぐらいはいいんじゃないか。

あの人ああだったから、ちょっとぐらいはいいんじゃないかっていう形で。そういう風なたとえ話がマイナスに出てきて、出てきて、フラフラフラフラと心の中から出るはずですよ。

あるいは後頭部から出てくるはずですよ。そういうのでやっちゃったら、もういいやという形になるわけです。これで、もう信念がなくって、忍耐力がない人のジャンルに入っちゃうわけです。

だから、あ、これはマイナス的な想念だと。いや、こんなことではいけない。人がどうであろうと、僕は神様を信じてきたんだから、神様と私が大事なんだから、人はどうでもいいんだ。

前向きに努力をして協力はするけども、神様と私自身の問題なんだから、もう絶対にこうやるんだ。信じた以上はどこまでもやるんだと。荒魂が大事なんだから、もうどこまでもやるんだと。

そうだ、あの人も、やり通した、この人もやり通したという、そちらのほうのネタをドンドコドンドコ仕入れてですね、言霊で喋り続ける。自分自身でなるべくなら口に出す。

なるべくなら口に出すか、お腹の中でドンドコドンドコ呟くんですよ。

そうすると、その背後霊様とか、自分自身の御本霊とか、潜在意識というものがウワーッと出てきて、そうだ、絶対にやるんだという形で、それやり通す。これが、この不動の信念。どこが違うか。台詞の多さです(笑)。台詞が多いほうが勝つんですよ。

不動の信念とは何かっていったら台詞の量(笑)。もう、これに尽きると思いますね。台詞に命を持ってると、これ、言霊になるんですが。

そういう風にやってますと、水がドンドコドンドコ出てくるように、やればやるほど、その種類の念が出てくるんですよ。ああじゃないか、こうじゃないか、いや、こうかも知れないけども、きっと失敗するのは成功のためにあるんだと。

失敗しても信じて念じ続ける

で、これ、典型的な例はですね、松下幸之助さん。「私はいまだかつて、失敗というものをしたことがない」。有名な言葉ですよ。私の出世したのには三つの原因があったと。私の出世の三条件。一つ、貧乏であったこと、一つ、病弱であったこと、一つ、学歴がなかったこと。この三つが、今日の私を出世させましたって言ってる。

松下幸之助さん、あの人は体が弱い。弱いんで、自分ができないから、もう仕方ない、皆さん任せるよっていうことで事業部制を始めたわけですよ。

全部が全部自分はできないからと。体が弱くてあれだから、とにかく頼みますと。それから、とにかく貧乏だったもんですから、何とか、その貧乏から脱却できるようになる方法というんで、利益というものを、もっと前向きに、いい考えしなきゃいけない。

日本人は利益に対して、ちょっと考えすぎだと。そして、学歴がなかったもんですから、まったくゼロから何でもやれたと。学歴がありますとどうしてもそれにとらわれますので。

松下幸之助さん、私はいまだかつて失敗というものをしたことがないということは、一見失敗に見えるのは、これはステップなんだと。

これがあって将来きっとよくなるために神様がしてるに違いない。前に言いました。今あることは、将来もっと素晴らしくなるために、神様がしていることに違いないと、こう信じたわけです。

あの人の歴史見ましたら、失敗だらけです。組合作ったときとか、いくつも電池作ったり…。それから、コンピュータもやり始めたんですけれども、ちょっとしたことの話を聞きまして、コンピュータを専門に研究するのはやめたっていう形で、弱電のほうにばかり進んでいったんです。

当初は、コンピュータ、コンピュータって、富士通なんかと歩調を合わせてたんですが、何千万、何億という研究費を無駄にしましても、あのコンピュータはやめたということで、弱電メーカーとして徹底的に研究したんですね。今はやってますけど、ある程度の市場性ができてからやってます。

だけども、いくつも失敗がありますけれども、失敗だったーという風には思わないわけですよ。これは将来のステップなんだと、あれがあったから今日なったんだという風に、絶えずそう考えてたんでしょう。

だから、一見、人々が失敗と思いそうなことが、将来のためにきっと役立つんだと。そう信じて、念じ続けたわけでしょう。

これは将来のためにきっと役立つ。天が私に、将来役立つために、こういう風なのを勉強させてくださったんだと。これがステップになって、素晴らしいことが起きるんだ、起きるんだ、起きるんだと、そう念じ続けたわけですよ。

だから、災い転じて吉となしてきたわけだから、過去、彼の歴史を見たら失敗っていうようなものはなかったと。ですから、その出世三条件、貧乏だったこと、体が弱かったこと、学歴がなかったこと。普通これはマイナス条件なんですけど。

彼がそれが出世条件だという風に言ってますから、問題点だという風に考えなかったわけです。信じて、念じ続けたわけです。

だから、どこまでもどこまでも成功し、どこまでもどこまでも成し続ける。

そういう松下幸之助さんの歴史を見て、彼は不動の信念があったと。松下哲学があったんだと思うかもしれません。

だけども、個々の場合場合に、きっとよくなると。これはプラスになるんだという風に信じて、念じ続けて動かなかったというだけなんです。

それを人は、あ、彼は不動の信念があったんだと、不動の信仰力があったんだと。それは個々、そのときそのときに台詞が多かったんですね。前向きの台詞が。もう絶対これだと思います。色々分析したんですけどね。

ですからそういう意味では、言葉数の少ない人だとか、プラスの念の弱い人というのか、自分自身に対して、こう言って聞かすのが少ない人というのは、フラフラフラフラしています。「あ、そうだなぁー」と言うだけで、人にも言えないし、自分自身にも・・・。

ですから、Sさんなんかは、こう思ったっていうので、いろんな本を読んだり、あれも読んだりしますけども。

一体、信念があって神様の道に来てるっていうのはなぜかっていうと、台詞の量が、あ、あれもああだったし、こうだったし、こうだったしと、ブツブツブツブツ言うか、念じるか、その台詞の量が多いからです。

西谷さんも、神様の道はというのがね、色々な台詞を、よく、たくさん仕入れてる。

だから、あの、苦しいな、あれは、でも、こうでこうだから、きっと神様はこれこうでっていうんで、色々なことを念の中で、こうプラスの念がね、神様のいわゆる信念とおぼしきジャンルの台詞が、こう、たくさんに頭の中によぎっておりますので。

だから何でもそうですよ。まさにこの言霊が、八百万の神々様を動かしているのと同じように、本人の持っている魂とか背後霊というのが、自分自身に言って聞かす、あるいは口に出す。この言霊の質と量で決定するということが言えますね。

悪想念と言葉で戦う

これができてない人っていうのは、感覚のまにまにやりますからね。いい感覚といったときには、フワッといい感覚に乗れるんですよ。

ところがマイナスの、邪気の感覚で来たときでも、そっちにもフワッと乗りますので。いいほうにも弱いほうにも、ただ敏感だというだけです。ただ感じやすいというだけです。

ですから、いいほうへフラフラッ、スッと乗れる人は、マイナスのほうに来たときには、マイナスのほうの想念の種類で出てきます。

キツネが憑いたり、邪気が憑いたり、霊障が憑いたりすると、マイナス的な、暗しい境地になって。暗い境地になるから、暗しい台詞が出てきます。駄目じゃないのかしら、できないんじゃないのかしら、また駄目だ。

霊障のまんまで続いて、十年もこのままいくんだったら、私は死んでしまう、どうなるのかしらなんていう風な気持ちになるわけですよね。

プラスのほうに乗るのはいいんだけども、マイナスの霊が憑いたときに、邪気が憑いたときに、暗くなる、恐怖が起きる、不安感が起きる。

そのときに台詞が出てきます、台詞。その台詞の種類を審神するんですよ。ハー、これはマイナス的な想念だなと、この想念の延長から言えば、信頼感がなくなるな。

この想念の延長していけば、相互不和になるなと。この信念がいくと、何かやろうという志が中途で駄目になるなと。こういう風に、その想念の種類を審神するんですよ。

「ああ、この想念の根源は邪気だな」と、思いましたら、この邪気を徹底的になくするためには、霊的にね、除霊をするということもできます。だけど、ちよっとその想念の出てくる霊を、除霊するんですが、いちいち除霊できないと。

そういうときには、その想念の種類の言葉に対して、言葉で戦うんです。

「そうは言うけれども」、自分自身の中に出てくる言葉、「そうは言うけども、本当の信仰心だったら、そういう風に思うのはおかしい」と。「そういう風な気持ちでやると相互不和になる」と。「そういう風な気持ちでやると、志が駄目になってしまうじゃないか」と。

「そういうことを思っちゃ駄目だ、駄目だ、「駄目だ」と。「本当はこう思わなきゃいけない、本当はこう考えるべきだ、本当はこうであるはずだ」という風にして、自分自身のフラフラと出てくる台詞に対しまして、もう徹底的に論争しまして。もう、負けましたという風にいくまでやるわけです。

そうだ、ほんとにそうだって言いますと、正守護神とか正守護霊とか、御本霊とかっていうものが、その台詞の延長線上にいるわけですね。

発展的であって、それは五ヵ条にかなっている言葉です。信仰心をどこまでも持っていく気持ちであって、発展的であって愛情があって、しかも調和があって、あるいは秩序があって平和の心であって、みんなを盛り上げていこうという風な、そういういい想念の世界ですよね。正守護神、背後霊様、神様の世界は。そういう風な台詞をウワーッと出してましたら、その台詞の波長に合った形の霊が、こうやってくると。

加勢してくれるんですよ、加勢。そうすると、スカッと想念が変わってって、本来の志というものに対して、ビシッと定まる。これ、不動の信念になると。

体熱くなってきましたね。色々考えたんですけども、この力がない人は駄目ですね。

冬のご神業なんかも、これで狙われますから。春夏秋冬、一年を通しまして、一生涯を通して、そういうプラスの想念の言霊がどこまでも打ち勝っているという人間は、絶対に途中で挫折しません。

この言葉が負けたときに駄目ですよ。「やっぱり酒がいいなぁ、飲もう」「駄目だ、酒飲んで、俺はこんななって。

こうじゃない、こら、酒を飲むことなんて。ここで死ぬ、酒は駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ」と。酒よりも、もっと神気がおいしいっていう形で、どこまでも言い続けますと、二、三十分ぐらいやりますと、もうパッと守護霊さん来ますから、酒なしでいい。

でも、やっぱり飲みたい、いや、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ(笑)。

自分流のお経を創作する

酒に酔ってどれほど自分が駄目になったかということを、自分自身に徹底的に言うんですよ。

お前は酒に酔って、何時間こういうふうにしてたんだ、一生涯の大切な時間を。それよりも、もっとすることがあるだろうというふうにして、私が言いましたようにお経ですね。

えー、前にも言いましたように、そのヒントはですね、法華経見たらわかるんですよ。法華経には、例えば、例えば、例えば、例えば、例えばっていうことが出てますね、いくつも、いくつも。

あれ読んでたら、なぜ法華経に功徳があるかっていいますと、あれほど素晴らしい台詞ですよ、言葉数。言葉数と、たとえと、台詞がいっぱい並んでいますよ。

あれを見て、聞いた人はですね、もちろん仏様も、はー、そうか、なるほど、あまりにもうまくたとえているから、なるほどなと思うんですが。

あれ、法華経は、生きてる本人が見なきゃいけない。あの台詞を何度も何度も語っているうちにですね、潜在意識とか、守護神、守護霊様に、あの台詞の出てくる波長の根源の世界に、こう近づくんですよ。

ですから、ですから白隠禅師が初めて見たときには、全然法華経は答えがありませんから、例えば、例えば、例えばですけど。

でも、あれを、こう真剣にあげていますとですね、なるほどなぁと思わせるだけの素晴らしい言霊の、量と質と配列があるわけですね。法華経の功徳は全部たとえですよ。なぜ法力が出るか、なぜ功徳が高いかというと、その言霊連発運動ですよ。

あれが背後霊さんと御本霊を引き出すだけじゃなくって、今度は法華経の、例えば、例えば、例えば、例えばというものをですね、一歩突っ込みまして、自分自身で常に法華経を創作する。

法華経の功徳はそれであるわけですから、今度は自分自身でお経を創作すると。それ、人類の発生というものは、こういう形であって、天命とはこうであって、人間はなぜ生まれてくるかというと、こういうふうな御魂修業で生まれてくるんであると。

一見そういうふうなことであるんだけど、お金とか地位と名誉とか相互不信とか、だんだんそんなものに、精神とは、その人生というのもごまかされないで。

生きても死んでも、御魂が、肉体がなくなったら霊体、霊界へ行くと。霊界に行っても、どこに行っても変わらないような、そういう徳を積まなきゃいけない。

たった四十年、五十年の短い人生で、何をガタガタ思って迷っているんだと。一刻たりとも、その天命に合った生き方をしなければいけない。

相手が悪いからといってブツブツ文句を言ったり、批判がましいことを言うような人間は、それはちっちゃいと。神様と私だけのために、御魂磨きというものはあるはずだろうと。

言わば、ご神業、あるいは人類救済の同志ではないかと。同志はお互いの欠点を補足し合いながら、長所を認め合ってやっていくものであって。

信仰対象というものは、神様と私でなければいけないはずだというふうにして。

今言ったようにですね、例えば何々も、あ、そうだった、例えば何々さんもそうだ、例えばあの講義でもそうだった、例えば昔ああだった、例えばという、昔の歴史上の人物をも。

例えば、例えば、例えば、例えば、例えば、例えば、例えば、例えばで、五時間ぐらい作っていますと、どんな邪気も負けましたといって(笑)。

要するに法華経ですからね、読みますと、四時間、五時間かかりますよ。ですから最低法華経一巻ぐらいは、あの、上がるぐらいの、そのお経をですね、自分自身で創作法華経、創作法華経をですね、

自分で作るんですよ。毎日そういうお経をあげている人は、すごい守護神、守護霊の力、御本霊の力出ますよ。

その法華経は、なぜ功徳があるかというのは、私、考えましたらですね、やはりこれに間違いないと。不動の信仰力というものが、法華経の台詞の量の多さ、たとえ話のうまさ。あの漢字とひらがなが、うまく、見たらわかりますよ。

何と、よくここまで言えるなと。あれは神様が言わしてますね。

ですから私はお経をあげるの大好きですね。もう、お経をあげるのだけじゃなくって、その、作ってますね、自分でね、毎日。それがもうくたびれて、もう台詞が出なくなって、お経が出なくなったら、邪気に負けます。

邪気の正体は、マイナス的な想念を誘発するような台詞であると、言葉であると。そう考えたら、邪気なんか憑かないで、神様の御神霊、背後霊しか憑けないような自分になれます。

これが霊障にやられない方法、ご神業が途中で駄目にならない方法。つまりは不動の信念というものを常に持ち続けて、物事を成就する方法。

つまりは、この、荒魂というものの修業をいかなるときでもそう考えて、いかなるときでもやりつつ、これで勝った人が荒魂が修養できたと。

勇気を持っていくときでも、そういうふうな状態に、もう恍惚とするまでにね。孟子とか陽明先生とか、それから吉田松陰先生のことを思い出して、自分に言い続けて。思い切ってやるぞというまでね、もう、どこまでも台詞を言い続けて、パッとやるんですよ。

特攻隊が、あれ、進撃していったのも、こうね、台詞の蓄積ですから。ですから勇気のときもそうです。というふうにして、荒魂の完成というものが見られるんだと。

これが、台詞の量の多さということで、あの、不動の信念を具体的に培いまして養成してやり通す方法ということで。パート2の講義を終わりたいと思います、どうもありがとうございました(拍手)。

【付録:講義終了後のお話】

【深見先生】体がカッカ熱くなってきましたね。ねぇ。やっぱり台詞が勝ちました、私の(笑)。やっぱり、言霊ですよ、ね。

だから、何にも思わなくて、しばらくボケーッとしてるときには、魔が入るんですよ。常に台詞を呟き続けてるときは魔が入らないんだ(笑)。

ほんと。自分は何のためにここに来たんだ、そうだ、これとこれとこれと、こうするの、こうするためにっていう。しょっちゅう暇があったら、そう呟いてるんですよ。

口に出なかったら、想念の中でこう言い続けるんですよ。これはもう、邪気にやられない方法でね、色々考えたんだけどね、僕ね。不動の信念とは何だろうかと。

【植松先生】邪気にやられないことったらさ、もう前向きでね、発展的にね、物事考えてさ。で、あ、これはこうするんだ、ああこれはこうだったから、こういうふうにしていこう、開いていこうっていうね。

【深見先生】そうですね。

【植松先生】要するに、開いていこう、開いていこうっていうね、そういうものの考え方してると、ほんとに邪気なんか入らない。もう過ぎてしまったね、昨日のことでブツブツ言ったってね、昨日は戻ってこないんだし。だから、明日に向かって準備したほうが、ずっといいでしょう。ねえ。そういうふうな気持ちで。