深見東州の土曜神業録15(Vol.6)

【第二章】現世における御魂磨き(昭和59年8月8日)

先祖の霊界が子孫に反映する

【深見先生】只今から質問でございます。

【Aさん】質問、その一。魂は地獄に落ちても、帰ってくることあるわけですか。

【深見先生】ですからですね、それはあの、地獄のレベルによりまして。根底の、こう真っ逆さまの一途の川へでずほっと落ちちゃった人なんてのは、何千年間、三千年間ずーっと地獄にいて、ようやく許されて。

【Aさん】その中で変わるわけですか、魂が。

【深見先生】変わってきます。何年か修業したら、また生まれ変わってくるんですね。

ですからもう、生まれながらにしてもう女は嫌いだと。おれはもう女を見たらぞっとするんだということ、言う人いますね。

女遊びがあんまり激しかったんで、七百年間、もう血の池地獄とか女によってグーッとのしかかられ、まあもっとそんなもんじゃありませんけど非常に苦しい霊界の、神経びりびりの霊界を三百年間とか五百年間とか続けられまして、もう女はこりごりだ、女はこりごりだと一日二十四時間思って、それを三百年間ですから。

そういうふうに、生きてたときに女遊びあんまりし過ぎて、生まれながらに女は嫌だと。やっぱり男のほうが(笑)、なんて、いますよ。

【Aさん】でも、現在ね、現在の魂の中に、結構善悪があるでしょう。葛藤するというか、そういうのはどこへ行くかわかんないんですか。

【深見先生】うん、葛藤するというのは、魂の中で……。

例えば生まれながらに守護してる守護霊さん、これ正守護霊っていうんですよ。正しく導いている。で、ご先祖さんの中でずぼっと落ちちゃってるのがいるんですよね。

それは子孫について同じく苦しんでるんですよ。だから何やっても不幸だとか暗いとか病気だっていうのは、生まれながらに……。

この間来た人なんかそうでしたね。(先祖が)たくさんの人を殺しちゃって、霊界に入って地獄の中で、真っ暗な地獄の中で、八本ぐらいの鎖でがんじがらめに、真っ暗なとこで、手をこう伸ばされて、鎖でつながれて何百年もいるんですよ。何百年も。その足はもう、足腰腐っちゃってますよ、座ったまんまの。

だから子孫もそれが……。それを副守護霊っていうんです。マイナスのほうへ導いて、だから本人も苦しい、苦しいと思ってるけども、子孫もそれが映ってますから、苦しい、苦しいと思ってるわけです。

それを(救霊で)すぱっとそれ、改心して、その霊界の病気を治して救ってあげますと、こう、立てなかったんですよ、痛くって。それがパッともう立っちゃって。

タクシーも乗れなかったんですよ。とにかく立つとか座るとかが非常に苦しかったのが、タクシーにぱっと座れるようになった。座ってから、「あれ、座ってた」というような形ですよ。そういうのは副守護霊って、子孫も苦しい。

先祖が苦しい霊界の檻の中で……。

【Aさん】じゃ私の中には、同じぐらい悪いのがいるわけですね。

【深見先生】そういうのが、自分の中の葛藤。前の方へ進んで行こうかなーという、自分がいます。前の方へ進んでやろうかというのと、だめだと。苦しい、苦しいと言ってる。それが祖先の、霊界のありさまというのが反映しているんです。

「根暗だ、何かあそこはじめっとして暗い家族だね」なんていう場合は、大体、ご先祖様はみんな地獄です。地獄に行ってるご先祖さんが多いおうちは、根暗家族ですね。

【西谷先生】最近の人はね、一つ、二つじゃなくてもう、二十ぐらい憑いてるんです。

霊界の恩赦はどんな時に出るのか

【Aさん】そういうのはどうしたらいいんでしょうね。

【深見先生】やっぱり徳を積む以外ないです。自分自身を磨いて、よりいいところに自分がいかなきゃいけないから。

そういう祖先、何でそういうところに生まれてくるんだと。人によってね、「もう私はお父さんも因縁が深いし、みんな病気だし早死にだし、結婚したらみんな離婚してるし、全員、家族は根暗だと。きっと家の因縁が深いんだな」と思うんですよ。

「どうしてそういうところに私は生まれてくるんだろうか。もっと明るくいいとこに生まれてきたかったわー」と、みずからの不幸を嘆くんですけども、大抵、そういう人は、それを作ったご先祖さんの代表が何とかやらなきゃと思って生まれ変わってきましてね、やるんで。

あるいは前世そういうことをしてきたから、それと合った形の家に生まれてくるんですよ。

まあ、そういう形の場合と、ご先祖さんが、もう一度自分がそういうふうな元をつくったんで、全部それをしょっちゃって、神様の道に生きなきゃだめだということを霊界で何百年も苦労して、生まれ変わってきまして、自分がその荷をしょってやろうと。

そして、苦しみとか不幸とか、艱難辛苦を乗り越えて、徳を積み、世のため人のために尽くしていったっていますね。病気をしたり離婚したりね、遭難に遭いながら、試練葛藤を続けていきながら、人生を全うしたっていいます。

そういうのは全部、すごい霊障、因縁と闘いながら、それに負けないで、もっとプラスの徳を積んでやってったっていう人が多いですよね。

【Aさん】そういうふうにしないとだめ……?

【深見先生】ただし、神様の道に生きていこうとか、世のためにやっていこうなんていう、その気持ちがある人は、その魂がそれを成就するために、まあ特別に、その人の真心によって、百年か二百年やるやつを(救霊の)一時間ぐらいで。ここは一時間ぐらいですけどね。

でも、Yさんなんか、 A宗の准胝じゅんでい修業という、准胝観音さんで千日間。般若心経あげて、オンシャレイソレイソンデイソワカという、准胝観音の咒をあげまして。千日供養ということは、二年ちょっとか、三年弱。千日供養なんですよ。

千日間じゃよくならないから三千日、一日も欠かすことなく、お正月でもお盆でも毎日それやってたんですから。八年ちょっと。旅行に行ってても、宴会に行きましても、おトイレ入って二十分間、准胝修業。それでもあんまり治んなかったんですよ。それが(救霊の)約一時間ぐらいで。

それは、供養したってだめなんです。うれしいんですけども、救うのは神様なんです。神様が、その業が掟があるんだけども、子孫の真心とか、あるいは生きていたときにそれだけの徳を積んだ人は・・・・・・。

業を積んでも霊界で一生懸命苦労して、肉体がないから普通の苦労以上に苦労しますけど、そこで努力して自分が蘇ってきて、神様が救おうっという気持ちで、活躍する人もいますね、霊界で。生きていたときに修業積んだ人は、ある程度できるんです、霊界でも。

普通はそういう子孫の真心、世のため人のために尽くそうと私財をなげうったり。そういう徳を積むと「ああ、子孫があれだけやったからそれに免じまして」っていうんで、恩赦ですよ。懲役三十年のところを……。

とにかく、ひき臼の怠けの罪だけれども、子孫が努力してたくさんの人を救ったと。災害に困ってる人を、全部、田地田畑を売り払って、食べ物とか着る物を尽くして、徳を積んだので、おまえは子孫のあれによって、霊界から使者が来て恩赦が出たよと。

七百年のが百五十年になったよと。それまでの重労働だけども、今度は畳縫いに変えてやるよ。畳縫いを一生懸命、畳縫い修業に変えてあげるよ。御飯もあげるよと。一般的には救われます。それなりの子孫の真心と徳分に応じまして、恩赦があるんですよ。

だから神様の道に生きていこう、死んでもおれは生きていくぞっていう、例えば西谷さんの場合なんかだったら早かったです。一発で、連発でとれましたから。それは僕がとるんじゃないんですよ。神様が救われるんですよ。そうじゃないと絶対御魂は救われません。

神様に尽くす真心が一番大きな徳になる

【Bさん】あの、Yさんのことでお聞きしたいんですが。三千日供養ですか、

一日二十分ですか、毎日欠かさずやったということなんですが、例えば、その二十分を毎日英語に当てたとしますよね。これ十年間でしょ。そしたら今ごろもうべらべらで、その分人に教えたりしてこう尽くせば、ものすごくいろんなことができたんじゃないかと。

そうしたら却って、救われちゃったんじゃないかなって、そういうことはないんですか。

【深見先生】うーん。

例えばその、准胝のあれ、形にしましても……。神仏に対して向かった、一生懸命真心尽くしてやるってのは一番なんですよ。神様が受け取られる。守護神、守護霊が見てますから。

やり方が間違っても神様に対して何とかこれを「ご先祖さんとか、僕が何か罪があったんだったら因縁がよくなるにはあれしないかな」っていう、神仏に対して真心を尽くすというのは、英語ももちろんプラスですけれども、絶対時間じゃ割り切れないです。おそらく数百倍ぐらいの徳分があるでしょう。

その形は、A宗のやり方があんまりやれなかったんですけど、それは守護神、守護霊が見てますから、その努力と積み重ねというものは、必ず何らかの形で報われるんです。それだけ神仏に対して真心を尽くしていけば、何らかのことが必ずありますよ。

それはもう、数百倍以上、同じ二十分でも値打ちあります。だから導かれて、あの人も短期間の間に、神様が何とか救おうと思ってなさったと思うんです。

それは別にここでなくてもどこでも同じことですけど、よりもっと大きな気持ちで持っておられる神様だから、力がね、強弱ありますけどね。

【Bさん】それから地獄のことなんですが、地獄の苦痛ですね。肉体があれば、まあその苦痛が極限に達すれば気絶するとか死んじゃうとかありますけども、それもないわけですか。

【深見先生】気絶しては起こされ、気絶しては起こされ、極限状態が連続して続くんですよ(笑)。

【Bさん】現世にいれば気が狂っちゃうとか…..。

【深見先生】気が狂う寸前の苦しみあるでしょう。気が狂っちゃったら後は楽

ですよね。気が狂っちゃった寸前の、ハアーッというのが、ハアーッが一日、二十四時間(笑)、一年三百六十五日で七百年間が続くんですよ。

【Bさん】ということは、魂は、そんなに簡単に衰えちゃわないということですか。

【深見先生】そうです。

【Bさん】肉体だと、そんな苦しみ毎日やってたら、どんどんどんどん痩せ細ってなくなっちゃいますよね。狂っちゃいますよね。

【深見先生】肉体というのは有限の世界ですからね。心の世界ではいくらでもイメージできますから。悲しい思いってのは何度でも再現されますよね、その景色が。

「はあーっ、殺される」、はっ、夢で見たというのは毎回出てきますよ。はっ、殺されるという思いが。死んだら「殺されるっ」という思いがずーっと続くんですよ。

【Bさん】耐えられるんですかね。

【深見先生】耐えられないところを耐えるから修業ですよね。地獄ですよね。

御魂の世界は感性の世界

【Aさん】先生、魂がね、この現世でね、減るというか何か、小さくなったりすることあるわけでしょ。本来持ってるはずのこう、大きさというかが、こう削られるみたいな、ああいうのはどういうことでしょう。

【深見先生】あ、それは今の話は四次元の世界、死後の世界ですけど、もっと御魂の世界ってのは感覚の世界なんですよ。心の世界ですけど、もっとそれを大きく包んでる御魂の世界という、感性の奥の部分ですね。

【Aさん】それは変わらない?

【深見先生】それはですから、感性がもうなくなっちゃうと。

「ああ、美しい」。こういうふうな芸術的な感覚とか、学問をしようとか信仰をしようという意欲とか気力がもう出ないわけ。

霊体はありますよ、霊体は。肉体を動かしている霊体はありますよ。しかし魂ってのはもぬけの殻なんですよ。ころーんと。だからもう、「ふーん、そうだなあ」ということで、腑抜けみたいになっちゃって。

その腑抜けの状態は、長く続きません。殻の状態ですから。タヌキが来るかキツネが来るか。あの、仮面ライダーみたいな、人間もどき。前言いましたね、土曜日の。「イーッ」なんて言うのがいます、ショッカー(笑)。

ああいう形ですよ。ああいうのがその、ふらふらしている状態に入って、すごい力を出すんだけど、人間の御魂じゃないわけですよ。

人間の中の元の元の元の、霊界が起きてくるもっともっと前の、御魂っていう世界の話が今度ね、しなかったらあれなんですけど一通りいつ死んでもいいように今は(笑)、死後の世界の話をしてるんです。明日死んでも生活設計はできてるというふうに、今お話ししてますけどね。

だから感性がなくなっちゃう。その話は、例えば一人の人に一生懸命、誠心誠意、目に見えない形で真心を尽くしているのに、全然報われなかったと。

即物的で、我良しで氷のように。地獄行きっていう。生きながらにしてもう地獄界を持ってるわけですよ、その人は。だからもう感性も意欲もなくなっちゃうっていうと、御魂が傷ついちゃうということなんですよ。

【Aさん】生きてる間に、それを戻すこともできるわけですか。

【深見先生】生きてる間に、そういう芸術的な感性とか感覚とか意欲とかね、自分自身が蘇ってきたら、蘇りますよ、御魂は。

しかし、年をとってきたら、「もうそういうものはいいと。

若いころは夢もあって、芸術的にも夢と希望があったけれど、もう年をとっちゃって、世の中はそうはいかないからね、やっぱりお金だわ。男女というものは要するにお金よ」というのは、もうおなかの中のほうで、御魂っていうのはもう消えちゃってるんです。

霊体は残ってますけども。霊魂は残ってますけども。その人の中の次元の高い部分というのはないわけで、下のほうの世界のままです。だからそれを、生きている間には御魂が、その霊体と幽魂というものを司っているわけですよね。脳を動かしているのは御魂ですから。

だから大体、死ぬ前なんかだったら、「影が薄いですねー」という。「影が薄いですね」ってのは御魂が抜けちゃってるんですよ、もう。

「うん、もういい、これで私も何かほっとして、お世話になりましたねー」なんて言うと、「何か気持ち悪いわ、あの人もう死期が近いんじゃないの」という感じで、「ほんとにお世話になりましたねえ」。ふだん言わないのに「お金あげるわ。君には世話になったねえ」。

何か、影が薄いなんていうときは、もう抜けちゃってるんですよ。霊体だけが残ってますから、命はまだあるんですけど、魂はもうない。御魂がないわけ、ご本霊は。霊体だけ残って、意識はあるんだけど。ふわーんとなってる。

だから、体はあって、霊体はあって生活しているんだけど、何かもぬけの殻みたい。気力とかやる気とか、何かぽっかり……。

「私の胸の中にぽっかり穴があいてしまったわ、あの人とあのとき、あの夫婦生活、三年間の恋愛のあった後、私の心には穴があいてるわ」

ってよく言うでしょう、メロドラマにあるみたいに。尽くして尽くしたけども、裏切られた、がっかりしたというときに、傷ついちゃってるんです、御魂が。感性が傷ついてるんですよ。

そんなことはあっても、「いやあ、人生はやり直しだ。さあやるぞ。もう一回恋愛するぞー」というエネルギーと(笑)、その芸術的な感性がますます冴えてくる。学問をどこまでもやるぞと、信仰心をどこまでも持ってやるぞと。

何歳になってもやってやるという、そういう人は御魂がぴかぴか光ってます。そういう人は霊体も何も、一途の川でぱーっと神上がりしていくんです。これは御魂の世界なんですよ。

少女のような感性で神霊界に入る

【Aさん】それって、生前にそういうふうに変われないものなんでしょうか。【深見先生】うん、それは自分が変われば変わりますよ。

だから、大体若い間はいいんですけど、年をとってきて、もう生活、お金。年をとってもロマンがあって、いくぞっていう人は、魂はぴかぴかなんですけど、普通はもう、御魂は傷ついちゃってたり、もういいやと思うときは御魂だめなんですよ。

だから神様の世界、五次元以上の神霊界に入って行こうと思ったら、少年のような希望、純粋性、感性がなきゃだめなんです。

それを妙というんですね。妙。知らない間に講義に入ってるけど(笑)。

妙というのは少女と書きます。少女のような純粋性、少女のような夢、少女のようなロマン。どきどきはらはらしながら、一生懸命やっていこうという、努力してやっている。大体、十七歳から十八歳ぐらいのころですね。

少女のような、胸のときめきと感性、感覚を持っておりまして、やっていく。これが最後まで続いて行く人は妙があるわけです。こういう人でなければ絶対に神霊界に入れません。

だからお金お金とかなんて、行者さんなんてそれ(妙)はないですよ。国家のためにとか、すばらしい音楽をつくって、すばらしい手相を見てと。

「すばらしい歌を歌って、これで人々の心にお花を、私は目に見えないお花を投げるんだわー」

なんて思いながら、トラーなんて歌う場合は、少女の妙がぴかぴか光っちゃってるから、神々様来るわけ。

「これでやんないとマスターから見られて、今度いつこの場所からやれるかわかんないから、いつやめてもいい。一時間何分で、お客様がよかったっていう形で、金銭感覚でやっても十二分値打ちあるような歌を歌わなきゃいけないから、もう少し感情込めて歌わなきゃいけないと。

そのためにはレッスンして、♪ラー」っと頭の中にはお金がちかちかちかちかして(笑)、生活設計がちかちか、ちかちかしてると。どちらかというとこの妙も、かすれがち、曇りがち。魂の世界は四十五歳っていう感じですよね。

だからこの妙がなくなっちゃあだめなんですよ。摩訶不可思議なもの。妙というのは摩訶不可思議な霊妙って意味ですけれど。

だからここでは、「青心童女せいしんどうじょ」(板書)とか….. 青心童女ってのは青い心、青い心の童の女。あるいは、僕なんかでは笛吹童子が来るって言うんで、別に笛吹かなくていいんですけど。童子のように。

だから、そのまあ笹川良一さんなんかもね、帰ってきたら「僕、ただいま I」なんて言ってね、「良ちゃん、良ちゃん」なんて言って、家に帰ったら子供みたいだそうです、無邪気で。あれだけの人でも、非常に気持ちが素朴ですよね。うちに松本道弘さんもいらっしゃったけど、少年のような感じですよね。

こういう霊障の、恐山のこういう、うわーっ、恐山にこんなこといるのか、へえーっなんて言いながら夢中になって聞いて。あれだけ名前が通ってる人ですけど、非常に素朴なんですよ。