深見東州の土曜神業録11(Vol.2)

【第一章】仕事場でいかに神業を活かすか(昭和59年11月17日)

どんな職業も人間が相手

【深見先生】昭和五十九年十一月十七日。本日も賑々しくご来場いただきまして、ありがとうございます。

神霊と一つになるシリーズ。長い間続いておりますけれども、第一部は「仕事場でいかに神業を活かすか」。

ここは神人合一の道とか、神人合一の法を体得するとか、いろんな角度で物を見てるんですけれども、例えば仕事場に、どういうふうに神業とか神法、神霊と一つになることを活用していくのか、ということを考えてみたいと思います。

例えばお客様がある商売。お客様に一人でもたくさん来ていただくということで繁栄するという仕事でございます。

それから事務職。これは客商売ではありませんから、お客さんが来ても来なくても、とにかく固定的に給料を頂いている。

その場合はどうするのか。例えば、タクシーでも、一応決められた固定給料の中で、決められた所に行きます。ただしハイヤーとかいい会社ですと、あそこはほんとに礼儀正しくていいという評判が出るとお客が増えますから、一応営業精神を持ってるところはありますけど、その人の力量でお客が増えたり減ったりっていうことは、あまりない。

あるいは画家、作曲家なんかは創作的な自営業です。職人というと失礼でございますので、創作的自営業と私は呼ぶんですが。

というように、それぞれ職業はあるわけですけれども、どの職業でも共通しておりますことは、これは全部、人間社会で行っているということでございます。

ですから、その人間社会におきまして、お客商売の場合は、例えばどういうふうに神業を活かすのか。いかなる職業でありましても、人間を相手にしてるんですけど、お客商売の場合・・・・・・。

「ここは良かったわ」と言う人がいますと、また次の紹介から紹介、「これ良かったわ」と言う人がいますと、これもまた人から人へと紹介という形で広がっていきます。一人一人のお客様になるべく納得して喜んでもらう、お客様に喜んで頂くということが、繁栄につながるわけです。

ですから営業、セールスでは、とにかく対人関係で誠心誠意を売り物にする。

事務職は、どういうふうにすればいいかというと、もちろん事務能力は必要なんですけど、会社には上司がいて、人事考課というのがございます。上司とどういう関係を保っているか。

あるいは友人関係がどうなっているか。お客様とか上司の人とか、先輩、後輩、同輩ですね。そういう人間関係の中でどのようにやっているのか。

事務能力プラス人間関係の中で、健全なお付き合いができている場合は引き立てられまして、上から引っ張られるし、下から持ち上げられるし、同僚からも推薦されまして、役職が上へ行くとか、なかなかよくがんばっているからということで、ボーナスも多めにもらったり、いい結婚相手の紹介を受けたり、いろいろ……。

ですから、目上の人、同僚同輩、組織の中での自分というものをどういうふうにやっていくか。

そして、創作的な自営業の場合は……。とにかくいいものを創作すればいいのでしょうか。やっぱりそうじゃない。

とにかく美しい創作ができて、自分なりに納得できても「ああーっ、これは素晴らしいな」と、目の肥えた人が感動するとか、いろいろ音楽を聴いてる人が聴いて素晴らしいなあと感じる。それを見た人が喜ぶ、感激する、納得する。

そういう創作だったら、絵は高く売れますし、評価も高いわけです。

人の美意識にどれだけ訴えられるか。そういう感覚のある人たちにどれだけアピールするか。創作は創作でするんですけれども、値打ちがあるかないか、それによりまして、立場も決まるわけです。

もちろんすぐに売れるのがいいとは限りません。それが、人から永遠に愛される素晴らしいものかどうなのか、わかりません。

しかし、遅いか早いかはありますけども人々に認められまして、価値が認識されなければ、それはやっぱり独善的な自己満足に終わってしまうわけです。ですから、やはり人間社会の中で認められる、価値あるものを創作するのが理想なんです。

いろんな職業がある中で、たまたま今日はこれを挙げてみたわけなんですけど、どんな職業でもよーく冷静に見てみたら、その職業の相手というのは何かって言えば、全部人間なんです。

ものを買おうか、どうしようかっていう気持ちのときに、「ああ、いいなっ」と人間が納得したらお客さんを連れてきて繁栄します。

対人関係の組織では、パッと気を利かしてお茶を持ってくるとか、パッと気を利かして仕事を持ってくるとか、どれだけ気を利かして、「ああ、ありがとうございます」と周囲の人に喜ばれるのか。

それから芸術家だったら、絵を見た人がどれだけ感動するのか、人が見てどれだけ素晴らしいと思うのか。

有名な話があります。ハレルヤコーラス(メサイア)を作りましたヘンデル。ヘンデルは、これこそ自分の大芸術だということで、いい曲を作ろう、作ろうと思って作曲したのがほとんど世の中に残らなくって、とにかく生活のために「もう仕方ない。生活のためになんとか早く曲を作らなきゃー!」というんで、三ヵ月ほどでチャカチャカチャカチャカと書いて、「はい、これでいいだろう」というのが、あの「♪ for the Lord God Omnipotent reigneth」のハレルヤハレルヤです。

クリスマスでやる、あの有名なハレルヤです。生活のために仕方なく、チャチャチャと三カ月で作ったのが歴史に残っておりまして、これこそはと言って情熱を傾けたのは全然残ってないです。まあ曲としていいんでしょうけども、感動しない。

例えば文学で言いますと、二葉亭四迷。二葉亭四迷は、「くたばってしまえ」なんて親に勘当されましたんで、それで「ふたばていしめい」。「くたばってし「まえ」から「二葉亭四迷」というペンネームつけたらしいんですけど、当時はロシア文学の第一人者でありまして、

それまでは近代的なロシア文学はなかったわけです。二葉亭四迷は『浮雲』という小説を書いて、文学的に非常にレベルが高い、素晴らしい作品なんですけれども、当時の人には全然売れなかったんです。

ところが、その二葉亭四迷に対しまして、当時有名だった尾崎紅葉が、新しい手法を考えました。

尾崎紅葉は、「来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らせてみせる」なんていうように、一人で部屋でお芝居をしながら、「貫一さん!」「お宮!」とか言って、一人で登場人物になりながら、「お宮」(笑)、「貫一さん、私のことを、ああー!」なんて言って、書いていたんです。

それが受けまして、当時、尾崎紅葉が人力車で通った時には、道ばたにいるファンが、「紅葉!お宮はどうなるの?貫一はどうなるの!!」と聞くなんてこともよくありました。

紅葉は「いやー、それは次回。お楽しみください」なんて言ってね。

ですから尾崎紅葉は、当時の文壇で半歩リードしたわけです。半分だけリードしたから、一般の人でも、ああいいなということはわかる。

二葉亭四迷は、文学的レベルとしては非常に高かったんですけども、一歩も二歩もリードしすぎておりまして、なかなか当時の人たちには相容れなくて、二葉亭四迷の文学というものが評価されたのは、彼が死んでからです。

真実のために戦い続けた最澄

ところで、まったく関係ない話のように思うんですけども、弘法大師と伝教大師を次に見てみると……。

当時、奈良仏教が非常に封建的で、戒律的で、法相宗とか華厳宗、律宗なんかがあったんですけど、その中で、小乗仏教には坊様の許可をもらえる壇があったんです。

仏教では十人の正式な僧侶がそばにいまして、初めて僧侶になる資格を得ることができるという儀式がありまして、その儀式を行う場所を戒壇と言うんです。

ところが、大乗仏教にはその戒壇がなかったわけです。伝教大師最澄は、なんとか、大乗仏教にもその戒壇を作りたい。どんな人でも、一定の修業をすれば僧侶の資格が得られるというようにしたいと考えました。そうじゃなければ、世の中良くならないんだと。

前にもお話ししましたように、国宝というものは、金銀財宝とか書画骨董ではありません。「道心」、「道心」、道心ある人間、これが宝なんです。そして、道心、道心があって、よくそれを人々に説明し、よく自分も実践できる人、これを国宝と言うんです。

最澄は、「私はこの比叡山で、国宝を生み出したいんだ。一人でもたくさんの国宝が生まれることを私は望んでおります」ということを、「山家学生式』という本の中に書いて、当時の桓武天皇に上表しております。

比叡山はこういうつもりで造ったんです。ですから、法華経の精神をベースにしまして、華厳、禅宗、それから密教の教えを中心にしまして、たくさんの勉強をここでやりました。

もちろん大蔵経も全部ありました。ですから、僧侶になりたいという人が比叡山に集まってきたわけです。これは、奈良仏教の人たちには非常に革命的なことでした。

伝教大師最澄は、桓武天皇には非常に認められておりましたけれども、当時の仏教勢力を真っ向から敵にいたしまして、論戦をはったんです。

当時、会津磐梯山のもとにおきまして、徳一和尚というのがおりまして、最澄はこの徳一とも大論争いたしました。徳一は法相宗の立場から、「前世功徳を積んできた人が浄土して仏になれるんだ」と。

ところが、伝教大師は、「違う」と。「いかなる衆生も救える。いかなる衆生も仏心を持っているから、精進努力して修業すればみんな仏になれるんだ」、ということを法華経の立場から主張して、徳一と大論戦いたしました。この徳一坊と伝教大師最澄との大論戦は有名です。

この徳一という人は、筑波で修業し、それから福島、磐梯山のあたりで、東北では随一と言われる霊場を作っていました。最澄は、真っ向から徳一と論争して、挑戦したんです。

本当のものはこうなんだーっていう形で、いわば二葉亭四迷のような人間なんです。一歩、二歩進んだ大乗の教えからみた、どんな人でも仏様になれるんだよという教えを主張しました。

奈良仏教も全部敵に回しまして、伝教大師最澄は、これが本当なんだ、真実なんだーと、純粋に潔癖にやったわけです。

二葉亭四迷も潔癖でして、今の一橋大学で学園紛争がありました時に、自分が全部首謀者で迷惑かけたというんで、学園紛争を全部ストップしまして、学生としてこういうことはよくなかったということで、自ら中退した一人です。

非常に激しい人で、責任を全うした。ですから、この二葉亭四迷と最澄は、よく似てるなと思いますね。

しかし、伝教大師さんの生きてる間に戒壇はできませんでした。大乗仏教の戒壇はできなくて、彼の死後、弘法大師が働きかけて、嵯峨天皇の許可を得まして、できたんです。

おそらく、伝教大師が霊界から導いたのでしょう、死の直後ですから。最澄は、桓武天皇がいた時は非常にバックアップされてたんですけど、桓武天皇が亡くなりましてからは、非常に苦労いたしました。

それで、弘法大師さんが働きかけまして、最澄が死んでから、大乗仏教の戒壇が国で認可されたわけです。

最澄は一生かけて論争を続けました。奈良仏教を全部敵に回して、たった一人で戦ってたわけです。当時仏教界では、もうまったく敵対視されてました。

最澄は、東北の徳一とも戦ったわけですが、それは真実を求めるという気持ちからの戦いだったんです。

一般庶民の中に入っていった空海

ところが、弘法大師空海は違っておりました。あたかも、尾崎紅葉のような方でございます。まあ、密教というものが、現世利益というものを追求しております。

人間には煩悩というものがございます。あれがしたい、これがしたい。美味しいものを食べたい、いい異性と一緒になりたいというような煩悩が、人間にはございます。

そういう煩悩を徹底的に最澄は否定して、澄みきった気持ちになった時に、本当のものができるんだと。伝教大師最澄の教えは澄みきるということで、あたかも天を映す台のごとし、で天台というんですけど。

ところが、弘法大師さんの密教の基本は、その煩悩を肯定いたしまして、いいんだと。そしてその煩悩を澄みきった状態にして、高度に上げていこうと。

否定せずに肯定いたしまして、人間の煩悩をいいほうへ上げていく。真言宗の『理趣経』とか『理趣釈経』というのは、基本的にはそういう理念でございます。

弘法大師さんは、現世利益というものを肯定して、それをベースにして徐々に上がっていけばいいんだからということで、半歩だけリードしていたんです。不思議な能力で現世利益を皆さんに与えたり、日本で最初にできた漢文の詩集『懐風藻」を編集したりしました。

それから、いろは歌もつくりましたし、綜芸種智院しゅげいしゅちいんという、寺子屋のもとですけど、最初の学校を作った。仏教では真言密教。土木建築、科学、天文学、それからお薬、医学・・・・・・。ありとあらゆるところで万能な能力を発揮して、現実に人々に恵みを与えていったんです。

ですから弘法大師さんは、一般庶民の中に入ってるんです。伝教大師は、もとより僧侶を大事にしてるんですけど、弘法大師さんは一般の庶民の中に入って、みんなの願いを叶えてあげようと。煩悩があっても、なんとかして欲しいっていうものを叶えてあげた。少しずつ良くなればいいんだ。

そういうふうに弘法大師さんは、当時半歩リードしていました。

当時弘法大師さんは唐へ行きまして、わずか半年ぐらいで、密教の奥義を伝授されたんです。龍猛から始まりまして、恵果和尚七代目、弘法大師が八代目で………………。

密教はインドから渡ってきまして、中国では唐の時代に、長安で最盛を極めておりまして、恵果和尚の門人も二千人以上いました。弘法大師さんが行った頃は、もうとにかく、中国では、密教でなければ夜も日も明けないっていう流行宗教だったんです。

日本に来るのがかなり遅れておりまして、伝教大師も遣唐船で天台宗の教えを見てきたんですけど、帰りにチョコチョコッと勉強してきた。しかし、本流ではなくって、亜流を勉強してきましたので、腰を低くして、弘法大師のところに密教を勉強に行っております。

それはよく弘法大師の映画なんかでも出ておりますけども。

とにかく、唐では、真言密教は非常に人気があった。もう真言密教がないとやっていけないという、皇室から一般庶民までみんなに人気がありました。お弟子さんが二千人もいたぐらいですから。弘法大師は、それをわずか半年ぐらいで、マスターして参りました。

そして、日本へ来ましたら、日本の流行宗教になったんです。弘法大師空海は、バチバチと奇跡を顕わしていくので、「弘法大師さん、弘法大師さん、お宮はどうなるの、貫一はどうなるの」。みな、「弘法大師さーん、弘法大師がいる!!」というように、みんなの憧れでございました。スーパーヒーローです。

弘法大師さんは時代を半歩リードしておりまして、民衆を味方にするだけじゃなくて、奈良仏教も、全部味方に引き入れております。伝教大師最澄は、自分の信念を貫くために、敵に回しておりましたが。

弘法大師は、「うん、いい、華厳宗もいいねえ、律宗もいいねえ、法相宗もいいねえ、みんなそれぞれにいいねえ」「要するに法相宗はこういうことだろう、華厳宗はこうだろう、法相宗はこうだ」。

みんなそれぞれに肯定いたしまして、「要するにこういうことだね。しかし、その一番上に密教があるんだよ」と。

法相宗はいいけれど、密教を勉強すればもっと良くなるよ、密教を勉強することによって、法相宗の極意がますます良くなるよと。

だから、法相宗をやりながら、華厳宗をやりながら、みんなが密教を勉強しに来ました。弘法大師さんは、絶対に奈良仏教を非難しませんでしたから、皆が味方になったんです。僧侶から一般庶民まで、全部味方に引き入れました。

だから、弘法大師空海は、時の大衆文学の尾崎紅葉、「紅葉さ$301Cん!」という感じですね。まあ、人力車は乗ってなかったと思いますけど、弘法大師さんは。

最澄と空海、どちらが上なのか

同じ仏教界でも、こういう目で見てみますと、弘法大師と伝教大師は非常に個性が対称的です。弘法大師は大衆を、伝教大師は真実を対象にしていた。

しかし、伝教大師さんの場合は、志半ばで亡くなられた。あそこまで奈良仏教を敵にして、徳一さんとも戦いながら、苦労して、生きている時には戒壇ができなかった。

最後まで「頼むよ」とおっしゃった。お師匠さんができなかったところを私たちがやらなければと、弟子が非常にがんばりました。

そういうことで、あとで、道元さんも、法然、親鸞、それから栄西、一遍上人、日蓮さん、たくさんの名僧が出てきました。

伝教大師の教えを一歩発展して、時代に合った形でやっていこうじゃないか。伝教大師のお志を継いで我々は我々の時代に合う形で、やらなきゃいけない。

「お師匠さんは足りなかった、我々ががんばろうーっ」という形で、弟子ががんばったわけです。

あまりによく出来すぎた完璧なお父さんには、あまりろくな二世ができないと言いますけれども、真言密教でも、大した人はあまり出ていません。

覚錢上人ぐらいです。弘法大師があまりに素晴らしすぎて、後の人が光がないんだというふうに言う人もいますけど。

そういうふうに、伝教大師さんは足りないがゆえに、人材はまさに国宝だという気持ちでいましたので、この志は、引き継がれております。

弘法大師さんが亡くなりましてから二百年ほど、高野山は寂れておりましたけど、今は、真言宗は信者さんが一千万人おります。天台宗は、ちょっと私は数を知りませんが、それほど多くないんです。

ただし、素晴らしい国宝のような人材が出ております。道元もそうですし、栄西もそうです。禅宗は全部比叡山から出てます。日本は、浄土宗、浄土真宗の信者は多いですから、間接的には信者が多い。ということを考えますと、間接的には伝教大師さんのほうが日本国家に役立っているということになります。

ところで、ご神業をやっていこう、神様の道をやっていこうという私たちは、弘法大師さんのようにあるべきなのか、伝教大師さんのようにあるべきなのか。ここを考えてみたいと思うんです。

いかがですか?伝教大師のように、当時の人と戦いながら全然浮かばれずに、死後、お弟子ががんばって、名前が残ったと。あるいは弘法大師のようにスーパーヒーローになりまして、当時の人たちを全部味方に引いたけども、やっぱり歴史家から見たらちょっと弘法大師は・・・と。

弘法大師と日蓮上人は、あまり好かないという学者も多いです。どうも人間がずるい、伝教大師のほうが人がいい、愛すべき人だと。どうでしょうか?もちろん両方素晴らしいんですけど。