深見東州の土曜神業録10(Vol.8)

幸魂 ―― 愛念を先に立たせる

これに対しまして、もう少し具体的に、今度はお話ししていきたいと思うんですけれども。

例えば、邪気が出てくるとか霊障が出てくる場合。皆さんいろいろお仕事があると思うんですけれども。一生懸命、一生懸命仕事をやって、途中でくたびれて霊障にやられてしまってると。これは神様の警告だといっても、それをどういうふうに受け取るか。仕事を一生懸命、一生懸命やれば誰だってくたびれます。体力的にあれだからといって休憩しますね。

休憩しますとホッとしまして、気持ちがダラーッとしまして、どこまでもどこまでも、何日寝てもどこまで休憩しても、ますます休憩し、ますます寝ても回復しないんです。そのダラダラダラダラするのが、どこまでも続いていくんです。

だから、仕事仕事ってやったあとで、もう、しばらくちょっと休憩しなきゃという形で休んでもダメなんです。

仕事の場で一生懸命一生懸命努力して、霊障が出ておかしくなったという場合にどこが違っているのか。どこが違っているんでしょうか。

それはほとんどの場合は、仕事をせねばならない、「ねばならない」という感覚、つまり義務感と責任感がきまして、誠意が先に立たないからです。頭や知恵が先に立ちますと、霊障が余計くるんです。

ねばならないという義務感と責任感、あるいは「こうしたらいい、ああしたらいい」という仕事の感覚とか人間の知恵が先に立ちますと、霊障が出てくるんです。

どうしてかといいますと、知恵というのはどっちかというと、怜悧で冷たいものだからです。その逆は、誠意が先に立つとか、真心が先に立つ。

例えば仕事でも、明日こうやるから、こうしなければいけない、こういうふうにしなきゃダメだとかって、一生懸命努力はしているんですよね。ところが知恵が先に立ったり、「ねばならない」が先に立っておりますから、徐々に徐々に曇ってきます。

まあ守護神さんが自ずからリードしてはくれますけども、神人合一の道、神様の道に行くためには、やはり真心。「愛を以て帰一するを真心となす」という神法のお話を前にしましたけども。

こうしたらうまくいくとか、成功するとか失敗するとかっていう感覚では、絶対にダメなんです。

例えば本を出版する場合ですが……。一般的なCレベルの人は、自分がこういう風に思ってこういう風にしたことを、皆に知ってほしいという形で出版するわけです。

要するに、自己顕示欲というか、人に知ってほしいという。こういう人は、とにかく自己陶酔の中にいるんです。そして、きっとこうすれば売れるんじゃないかと考える。

ところがBレベルの人は、そうじゃない。今、売れているものはどういうものなのか。今どうなのかということで、別に自分自身を出そうと思わない。今時流に乗っているものを扱っていけばいいんだからという形で、それに合わせてやっていく。

だけれども、さらにその上を行くのがAレベルなんです。神様の道に一番合うのは、ただただ三昧の境地。みんなが喜んでくれるような、読んだ人が喜んでくれるような、よかったというような本ができたらいいと。

売れるとか売れないとか、知ってほしいとか知ってほしくないとかも関係ない。読んだ人が、「ああ、見てよかったな」と。

結局読んだ人が、「わー、よかったなあ」というものは売れるんです。本当に自分自身の真心、神様の部分というものが人に伝わるから、読んだ人はよかったなあと思う。

気負いとか我もないし、売るとか売らないとかっていう知恵が先に立っていないから。

真心でよかれと、みんなが、お客様が、読んだ人が喜ぶようないいものができますようにという、形じゃない感性が先に立っていく。真心の愛念が先に立っている。

この真心と愛念が先に立つのが、あの摩利支天でしたよね。気の先に立っていく摩利支天気というのは邪気も神気もありますけど、もちろんそういう真心という気の先に立っていくのが、摩利支天

それから、幸魂というのは愛情、真心ですけど、愛が先に立っていくから幸魂というんです。花が咲いている、パッと開花していくという幸魂。あるいは、先に立って進めていく、あるいはビリビリと割いていく。あるいは剣先。

一霊四魂の中では、知恵が先に立つと、冷たく怜悧になってしまってダメなんです。

あるいは和魂を先に出しますと、協調精神があるんですけども、本当の神様というのは開かないんです。それじゃあ、何を先に出すかと言えば、幸魂、愛が先に立たなきゃ絶対ダメなんです。だから、言霊で言いますと幸魂と言って、先に立つわけです。

もう全部、愛念が先に立っていく。知恵とか、ねばならないじゃない。こういうのが売れるか売れないかという、そういう議論の世界じゃない次元です。「読者が喜んでくれるようなものを…………」と切々と、ただただ三昧の境地で祈っているという。

そうすると、読者の皆が喜ぶから、必然的に部数も多くなるわけです。

だから、ねばならないとか、知恵とか、形のものが先に立ちますと、どうしても、この本質が動かなくなりまして。念の曇りの世界の中に入って、霊障や邪気が出てくるわけです。

常に、愛念が先に立ったら、自然に形が整っていく。愛念が先に立ちますと、守護神、守護霊、神様が動くんです。神様が動くから、全部がよかったねという結果で終わるんです。ハッピーエンド。これが一つの極意なんです。

すべての行き詰まりは神業の行き詰まり

だから、前にも言いました。抽象的でいいんだと。形がわからなくても、どうしたらいいんだという場合は、ただただひたすら、いいご神業でありますようにと祈るんだと。

誠心誠意真心でやれば、形はあとから整っていく。仕事が行き詰まるということは、何が原因かといったら、神業が行き詰まっているから。霊障が来ているということは、神業が行き詰まっているんです。

すべてにおきまして、行き詰まっているのは、神業が行き詰まるからなんです。内面的なものも、行き詰まったり、迷ったりするのは、神業が行き詰まっているんです。

それでは、その神業が行き詰まるとはなぜか。幸魂が、真心が、誠意が先に立っていったら、全部開くんです。

ところが知恵とか、「ねばならない」という感覚が先に立ちますと、霊障や邪気が出て、仕事がゴチャゴチャゴチャゴチャしてうまく進まない。幸魂がないから開花しない。目の前の物事に着さなかったら、スーッと何でもうまくいくんですけど。

やっているときは、出版の準備をする刻々が楽しいと。神様が守護と加護とエネルギーと知恵とパワーを下さいますから、やっている刻々が楽しいと。

「欲しがりません勝つまでは」とか「臥薪嘗胆」とかいうのは、まったく、惟神の道からは外れております。その刻一刻が楽しい、喜び。

実りがあったらよかったーと。これが惟神の道です。だから仕事仕事っていう形では絶対にダメ。誠意や愛念が先に立たないとダメなんです。

それは、抽象的な、軽いメルヘンの世界です。抽象的な、目に見えない世界が神霊世界ですから。自分の世界が明るくなればなるほど、神霊はたくさん来て、霊障以上に強いパワーを与えてくれる。

体も軽いし、エネルギーもあるし、すいすい道が整っていく。ですから、今のは出版の話でしたけど、どんな仕事でもそうです。

仕事仕事仕事と忙しくなったら、必ず霊障でやられます。それはなぜかと言えば、誠意と真心が先に立たないから。

例えば予備校なんかの場合でも、本当に生徒が喜ぶようなものができますようにと。本当に講師に喜んでいただけますように、親御さんに喜んでいただけますように。

謙虚な真心を刻々に発し続ければ、御魂が発動しますので、守護神、守護霊、神様が、どんどんどんどん、力とエネルギーとパワーを与えてくれるんです。

霊障以上に強い神力と霊力と霊覚、叡智が、あとから備わってくる。ねばならないことが自然にやれるんです。それから物を売る会社だったら、とにかく売上げを上げねばならない、こうしなければならない、こうやったら売れるんじゃないか、ああやったら売れるんじゃないかはダメなんです。

ただただお客様が喜んでくださるような営業ができますように。ただただ仕入先が喜んでくれるような仕事ができますように。ただただ社員が相互に喜ぶような仕事ができますように、という抽象的なお祈りをして、真心と誠意が先に立っていきますと、神様は必ず受け取られますので、自然にそういう形でうまくいく。

販売先も、仕入先も、社員のみんなも喜ぶと、何か知らないけど活気が出てくるんです。真心が先に立って、幸魂が咲いている。

だから自然にお客様も喜ぶ。故障も少なくて、商品もよくて、ほしいなあと思うときに、パッとできるんです。「あ、ちょうど言おうかなと思ったときに来たね」と。

そういうふうに、非常にうまく、円滑に、仕事というものが進むわけでございます。

真心を先に立てると、すべてが御魂の恩頼になる

さらにつけ加えて言いますと、この真心と誠意、幸魂が先に立ちますと、神様が受け取られなさって、神気と霊力、神智と叡智が与えられるって言いましたけども、真心を先に先に立ててやったねということで、神様はご褒美に徳分を与えてくださるんです。

徳分、あるいは功。よくやったねということで、その御魂に恩頼を与えてくださる。

仕事がうまくいくだけじゃなくって、ご苦労さんだねということで、その御魂に天の徳、神徳を与えてくださいまして、何だか知らないけども明るくなるし、叡智や悟りをいただいて、御魂の位が上がっていくわけです。

だから、あれもしなければ、これもしなければと忙しかったり、単調な仕事が続いたりしても、やはり誠意と真心を尽くすしかない。

私も同じような除霊がずっと続くと、ああまた除霊か…と思ってしまうこともありますけど、いや、違うと。毎回毎回三昧の境地でありながら、相手もよかれと思いながら、誠意と真心でやるんです。そうすると、ご苦労だねということで、功を頂けるわけです。

話は少し変わるんですけど、この間A・Kさんの本を読みました。水と生野菜は体にいいなんていう内容で、言ってることもいい。いい線いってるんですけども、水をガブガブ飲むと、あ、やっぱりヘビだと。

トニーの神霊手術とか、ああいうのは全部ヘビがやってるんです。ヘビといっても、神様のお使いのヘビで、悪いヘビとは言いませんけど。0教会も、運命がよくなったり、病気が治ったり……。

神霊治療で、物質に近い次元です。神界とか神人合一のレベルにはいっていないんですけど。だけれども、A・Kさんのいいところは、たくさんの人がよかったという気持ちで、慈悲の気持ちで病気を治してよかったという気持ちなんで。二億から三億ぐらいの功を積んでいるんです。

前に言いました。家の因縁が深いということなら、何千刧といって、刧という数値で出てきます。神様、因縁が深いったって、どれだけ深いんですかねって聞いたら、何千刧とか、何万刧とかいう数字で出てきた。

逆に人を幸せにすれば、それは功を積むことになる。ですから、A・Kさんは、三億の功を積んでいるよと神様はおっしゃった。次元はあまり高くありませんけれども、具体的に人を幸せにしたという徳は積めてるわけです。

だから、今日も徳を積ませて頂いてありがとうと。真心をこめてやって、よかったねという結果が出たら、神様がお手柄を立てたねと言って、ご褒美を下さる。

もちろん、物事を成し遂げただけではダメなんです。人が幸福にならないとダメ。

単調な仕事が毎日毎日続く場合には、今日も神様、徳を積ませていただきましてありがとうと。神様はちゃんと功として、徳として、カウントしていますから。

やった分のことは全部、御魂の恩頼になっている。今日も単調なお仕事を通して、御魂磨きさせていただいて、徳を積ましていただきましてありがとうございましたと。

神様にそう向かえば、必ず、全部記録しております。そして、一番辛い、一番苦しいときに、それが開花するわけです。

吉塚さんのお姉さんの時もそうでした。もうお母さんの寿命がないのが、一生懸命、単調な仕事してたんですけども。

ちゃんと神様が記録していて、一番大変なところを、その徳分によって、きれいに幸せにしていただいて。

神様は絶対に裏切りませんから。こういうふうな生き方というのが、霊障よりもさらに上回るし、叡智と神気とエネルギーとパワーを頂く。それだけじゃない。

プラス、天徳と功というものを与えてくださって、幸福にしてくださる。しかもそれは自分でつかむんじゃなくて、神様のほうから与えてくださるんです。

ですから皆さん、真心と愛念を先に立てていくということが、いかに大切かということがこれで分かったと思います。

そういう生き方で毎日を過ごしていけば、霊障にやられることはないんです。

ということで、これで「霊障にやられない方法」というお話を終えたいと思います。

どうもありがとうございました(拍手)。