深見東州の土曜神業録22(VOL.9)

【第四章】霊層から見た善悪(昭和60年11月23日)

■霊層が高いほど善に近い

【深見先生】えー、引き続きまして、パート4になりますね。次は、「霊層から見た善悪正邪」です。粘るでしょう。この辺りはもう独自の世界ですね。最初の方は、幅広く勉強してる人だったらわかりそうなレベルですよね。この辺りからもう本当に独自の世界です。「霊層から見た善悪の話」というふうにいきたいと思います。今度は、炁の世界から離れまして、霊層から分析してみたいと思います。

えー、霊層が上に行けば行くほど、例えば、天国上段、第一天国の目から見たら、第二天国というものは、より悪になります。

第二天国からみたら第三天国は、ある程度善の世界の中に入りますが、第二天国より第三天国の方がより少し悪の要素が強い。それから、中有霊界の上段というのは、天国から見たらやはり少し悪が強くなります。

このように、これを霊層縦割社会で善悪を見てみますと、霊層が高ければ高いほど、より◎神の善に近い。下に行けば行くほど悪が強い。神の力徳から見てみますと、下に行くほど、悪のパーセンテージのレベルが増えてきてるわけです。神の力徳から見るとそうです。

もう地獄界なんかに行きますと、ほとんどこれがもう、悪が中心であります。

ほとんどもう悪が中心で、あくたのようなものですよ。悪が中心で、まだ少しは善があるという感じです。悪が主になって善が従になっています。

上の方に行くと、まだ善が主で悪が従になっているのですが、地獄界では悪主善従と申しますか。悪が主になりまして、善がもう微かです。

これに対して、霊層が高ければ高いほど善の要素がありまして、明るさがあるわけです。

霊層が明るくて、気も充実して、光が充実している。明るくて気軽で、軽やかな面がありますので、霊層の高い人がいると、善のエネルギーが高いので、霊層の高い人といるだけで、自分の善なる面が引き出される。

だから、霊層の高い人間と一緒にいると、自然に善なることを思ってしまう。「善がある」という霊界、「善」という霊界ですから、いるだけで何かいいことを考えて、何となく明るくって温かくって、伸び伸びとしてて、発展的な想念の世界がどんどこどんどこ出てきます。

逆に言いますと、善なることを思い、善なる想念を発しますと霊層が高くなっていく。もう善なる世界になりきっちゃって、口と心と行いがもう善のことばっかり思って、善のことばかりして、善のことばっかり口にする。

どこから見ても全部、想念の世界も、口も心も行いも善となりますと、霊層が高い世界に行ける。神様の御光と力徳に合わせた形で、霊界次元で見ますと、より高い世界へ行けるんです。

善を思えば思うほど、善が強ければ強いほど、悪と戦います。悪と戦えば戦うほど、善が磨かれて善が磨かれて、どこまでも善が浸透して徹底できるので、善魂として霊層の高い霊界に行くことができるわけです。

また、そういう人と一緒にいますと、自然に善なる面が引き出されます。

「朱に交われば赤くなる」と申しますけれども、悪人の中に入っておりますと悪い想念が自然に呼び出されまして、気もそうだし、明るさもそうだし、想念の種類もそのランクから出てくる悪想念を作ってしまうわけです。

地獄にいる人間というのは悪念界ですから、暗くって消極的で冷たくて、よしで、消極的で暗くて意固地で、ズドーンとした重いーという、重量感があ念です。上の方に行きますと、善なる念は軽やかで明るくて温かくて、伸びやかで発展的、積極的です。こういうエネルギーを呼び出しする想念の世界です。

こういうふうに、霊層から見た善悪というのは明るさと軽やかさと、伸びやかで発展的だというジャンルの中に入るのが、善の部類、霊層が高いわけです。

上に行くほどより善が多くて、下に行くほど悪の要素が強い。霊層が高いような生き方をしていくと、より善に近くなり、より悪から離れていくんです。

これは、一つの霊界基準としてピシッと決まっております。何が善で何が悪なのか。人間の世界には倫理もありますけれども、霊界では霊界法則という形で、ピシッと決まっているんです。の神様が霊界を統率するルールを設けられまして、善悪の基準がピシッとしてるわけです。

ですから、こういう霊界法則に基づくのが、善悪正邪の基準として、より確実なラインです。死後の世界から見てみた、霊界基準から見た善悪の基準、分別ですかね。この尺度で考えていった方が、より真実に近く、より絶対の善に近づいていくのではないでしょうか。

絶対の善というものはないにしてみても、より絶対善に近づく努力というのが、霊層世界から見ても言えることができると思うわけです。

より高い局面から善の一打を打っていく

この、霊層世界ということで善悪がわかりますと、もう一つの神様の面といたしまして、神様は囲碁の達人であるということがあります。神様は囲碁の達人です。

例えば、「このときにはこうした方がいい」、「こういうふうにした方がいい」、「彼にはこういう方がいい」と言う一人の人間がいます。

今遭遇している局面で、どういうふうに布石をし、どういう行いをしていくのか。囲碁三級のレベルの咀嚼力で言いますね。

その物事の局面を見ていく目というのか、咀嚼力と言いますか。それはいくら、絶対の善だ絶対の悪だなんて境涯が開いておりまして、太極におりましても、囲碁の腕のように、それだけの局面しか見えない人間は、これが善だと思っていても、そのレベルの咀嚼力です。

より腕の立つ人間がおりまして、上位の霊層から見て、知恵の面、善徳の面から見てみると、「いやあ、これはこういうふうにした方がいいんだよ、それは逆だよ」となるわけです。

より高い局面で見たら、こっちが善でこっちが悪になる。「そういうけどもこういうふうな局面から見た場合には、よりこれは悪じゃないか」。善だ、善だと思いましても、もっと大きな局面の目から見たら逆になる。囲碁の石の配列が、パチッと一個置くと、黒石と白石というのが全然逆転しちゃう。

白石と黒石の使い方、陣地の取り方で見る局面。上段者になればなるほど、局面分解というものがより深く深く、深く読んでいます。大きく深く、先々まで読んでるという、局面の分解密度というのが高ければ高いほど、より善に近いんです。

絶対善に近いということは、囲碁で言いますと、十段以上でしょうね。名人以上の神位ですね。神様の位に立ってる。神様の位の局面から何でも見ることができる。

すなわち、最高の霊層の世界から物事の局面を見ていって、善悪という囲碁の対局ができるというのが、より絶対善に近い善人であります。善人悪人というのは、その局面によって善になったり悪になったりという、囲碁の陣取りゲームのようなものです。

神通力でいいますと、漏尽通力の発達度合いに応じまして、より高い境地から、生きた善の石を打つことができる。善の一打を打てる。

ですから、その局面、局面で神様は善悪正邪を見ていきますので、なるべく大きな局面を見ることができるように、より深く局面を見ていけるように、我々は研鑽をしていかなきゃいけない。より高い霊層から見ていけるような目で見て、養っていかなきゃいけない。

これが、善に志す、霊層から見た善悪正邪です。霊層から見た善悪というものは、その辺りにあるんじゃないか。

ですから、そういう局面の世界と霊層の世界の、最高に位が高いものの見方を養っていく努力をすることが、善に向かう私たちの心構えではないかと言えると思います。

ということで、霊層から見た善悪の話、終わりたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)

今日も粘り強く、続き講義でありまして、いったんは終わったんですけれど、グレン・ミラー(註・アメリカのジャズミュージシャン)の「イン・ザ・ムード」みたいなかたちで……。

やっぱり我々は、霊層から見た善悪がわかったら、霊層が高くなるように努力するということですね。霊層が高くなった分だけしか善は積めません。

霊層が低い間は、いくらやってみても局面が低いし、見ていく尺度がどうしても悪が主になっているので、努力してみても大した善が積めない。やはり、霊層向

上と善根を施していくという大きさ、深さは比例していますから、霊層向上に心掛けたいと思うわけです。その分だけしか善根は積めません。ということが言えると思いますので、善根積みに励みたいと思います。

どうも。イン・ザ・ムード・レクチャーでございました。