深見東州の土曜神業録9(Vol.4)

秘伝・御魂呼び出しの法

寝るときに手を合わせまして、こういうふうに、どちらでもいい、こんなんでもいいんです、何でもいいですよ。とにかく名前を呼ぶんです。名前禊したときに西谷泰人とか、七澤公典というんで、「な」から始まって名前禊します。そのときに、潜在意識が出てきます。

名前というものは、「せいめい(姓名)」と読むでしょう。名前のことを姓名といいます。だから、「生命は姓名にあり」といって、姓名判断というのは、姓名でその人の生命を判断する。

だから、その人の名前を呼び出しますと、御魂が飛んできますし、意識の中に何度もその名前を呼ばれながら来ておりますからインプットされている。不思議なものです、これは。

だから、西谷泰人、西谷泰人と自分で言うんです。植松先生が、「あなた、明日六時にこうしなさいよ」と言っている。

「誰に言っているんですか」

「私、自分自身に言って聞かせてるのよ」と言って、他人様のように(笑)。

だから西谷さんも「こら、西谷泰人、ばかもの。油を食べろ」と言って (笑)

例えば、「君は油というものに対して、オンアブラウンケンケール… (笑)、大日如来じゃないけれども。おかしいよ。何事もそういう目で見たらおかしい。君はどの食べ物を見ても、原子核の周りに電子が飛んでいるように見るんじゃないのか。プラスとマイナスで見ちゃだめだよ。西谷泰人」と、自分で言うんです。

「明日何時何分に起きて、御飯食べるときには、唾液がうわーっと出てきて、油こそこの世の最高の食べ物だ……………(笑)」と言って聞かすんです。そうして手相鑑定したときには、ふだんの実力の百倍ぐらいの力が出てくる。

「おまえには、これとこれの神様が宿っているんだから、おたおたすることない。金銭的に詰まってきても、修業なんだから。前向き、前向きに考えなきゃだめじゃないか」と言って、自分に言って聞かせるんです。そうしますと、実際ぐーんと油ものが食べたくなるんです、不思議に。

それから、女房とけんかしたら、名前は言いませんけども……。

「何とか何とか、何とか!おまえは神の御用のために生きているんだ。明日はぴしぴしっと起きて、御飯のときに、女房にはこうこうこういうふうに言わなきゃだめじゃないか。今度会ったら、こういうふうに言わなきゃだめじゃないか。何とか何とかの何とか!」と。

名前は言いませんけれども(笑)。自分の名前を呼ぶんですよ、どんどこどんどこ。

これは私が発見した法なんですけど、マーフィーのいいほうに想像するだけではなく、自分自身の御魂に言って聞かす。自分自身の潜在意識に言って聞かす。自分自身の名前を呼んで自分の御魂に言って聞かす。

だから、自分にできない欠点を克服しようというとき、

「おまえはこれとこれとこれと、こういう欠点があるじゃないか。これはよくない。こういうときにはこうあるべきだ。明日はこれとこれをやる。今度これとこれをやるときには、こういうふうにならなきゃだめだ、わかったか!」ということを、毎日自分の御魂に言うんです。そうすると変わるんです、自分が。自分が変わるんです。

「おまえは前世、こういうふうに、こういうふうになっている。

前世はこれだけの絵を描いているんだから、明日絵を描くときには、途中いつもおまえは切れるけども、もう少しというところで切れるけども、今度は切れちゃいけないぞ。前世は切れないで描いたはずだ(笑)。

もう少しのところでダメになるのは、おまえ自身が怠慢だからだ。もっと根性を入れろ、根性を!わかったのか」

萩原さんも、動物霊に言うんじゃなく、自分自身に(笑)。動物霊とか、祖先に対しては抜群に説得力があるんですけど、自分自身に言うんです、自分に。自分には何を言ってもいいんです。

そうしたら、「はい」という形で変わっちゃうんです、不思議に。

「人と会ってもいつも不愉快な顔をしているけれども、それ、よくない。人と会ったときに、特にこういう人に会ったときには、特に笑顔でにこにこっと。

今から俺がやってやるから、そういうふうにするんだぞ。こういう顔だ。わかったか。何とか何とか」と自分に言うんですよね。そしたら、その時にやっぱり、そういう顔になるんです。

催眠術などというのは、おそらく、どこかそういうようなところを応用してやっていると思うんですけど。まあ、マジックをやるT・Hなんていますが、タヌキつけているんですけどね。

霊をひょっとつけてやっているんですけれどだけれども、一つの法則性であることにはまちがいないので、それぞれ潜在能力、潜在意識というものを、特に御魂が入っていますから。まあ、欠点を言う場合にはそうなんですけど、今度は上げたり下げたりしてみるんです。

「七澤の何とか何とか。君は、こういうことがあったじゃないか。君も神様だったら、高貴な慈悲の心を持っているはずだろう。ひらめきもいいはずじゃなかったのかね、君は」とおだてるんです。

普通、お経がございますけども、皆さんはお経は仏壇にあげたり、何じゃかんじゃと法会しますけれども、私の場合はお経を見まして、そんなことしないんですよ。

僕はどうするかと言いますと、お経をうわーっと読みます。そしてそのフィーリングで、全部自分自身でオリジナルのお経をつくって、自分自身にそのお経を読むんです。

「それ、観自在菩薩の何々にして、何々だった。汝はこの身だったんだから、こうしなければならない」と言って、自分自身にお経をいつもオリジナルで即興で書いているんです。

一切経とか、大蔵法典ほどじゃありませんけれども。ですから、自分自身に言っていますから、しょっちゅう。だから、浮遊霊とか先祖霊というのは、八時間でも十時間でも平気です。お経というのは、自分でつくって読むべきものです。

お釈迦さんが説いたお経のフィーリングを勉強して、自分もそのフィーリングで。だから、作詞の能力のある萩原さんなんかできると思います。霊界のありさまはこうだなんていうことを、お経を読んで悟るのではありません。お経の物真似しているんです。お経まね。

自分の性格を変えるには

【植松先生】自分にね、まず言って聞かせるということ。そうすると、必ず入るから。

【深見先生】そう、入る。ハイル・ヒットラーという人がいましたけど(笑)。常に継続的に。マイクロホンも、ラジオとかも、ハイル・ヒットラー、そういうふうになっちゃってね。みんなハイル・ヒットラーですよ。

しんがほつにゅう

とにかく自分自身に言って聞かせる。真言密教では、真我没入と言いまして、自分自身の自我の魂の中に仏様がいらっしゃる、いらっしゃる、いらっしゃる。

M教のあれでも、神のエネルギーが流れ込む、流れ込む、流れ込むという。神の慈愛が来た、来た来た、来たなんて言って。

そういうお経を読んでいて、あっ、来たのか、来たのかという気持ちになってしまったら、そういうふうに感覚の世界ですから、御魂の神霊の世界は。

ですから、そういう感覚を維持するために、いろいろなやり方はあるんですけども、本人の性格を変えるのは一番難しいことです。

性格。前に言いましたように、性格と申しますのは、性格の「性」という字(板書「性」)。この一字だけを楽しんでいる人もいますけれども・・・・・・。

立心偏は心を表します。「性」とは、生まれながらの心なんです。

「格」というのは、「格物致知」(板書)。

前にも言いました。格物致知という儒教の言葉がございまして、物格りて知に致る。これが朱子学の一つの格物致知の極意なんですけど「格」というのは、何々が格ると。あるいは格になっている。生まれながらの心がったもの。

生まれながらの心格るところのものが性格。

あるいは格というのは中心。生まれながらの部分が中心にこうなっちゃった。これが性格。性質の質というものは、これはコンデンスミルクのコンデンスですね。

質屋というのもありますけど。ミックス、圧縮したもの。生まれながらの心がこう圧縮して、凝結したもの、これが性質ですよ。これを変えようと思えば、生まれながらの心ですから、新しい心を常に植えつけていく。

「朝はこうこう。こういうときにおまえはこうだから、こうじゃないか。こういうふうにしなきゃだめだ」

「こういうつもりでおまえは神様の道に来たのではなかったのか。そんなところでふらふらしてどうするんだ。たったこんなこともできなくてどうするんだ」

「この間の講義でもあったじゃないか。待つ心、松心、需つ心で、Yさんでも三千日間、八年間やったじゃないか。少々奥さんと揉めごとがあったとしてみても、あれだけの求道心を持った観音様が来たじゃないか。それをどう思っているのか。

あの人にできて自分にできないことはないはずだ。こんなことで、志したんだから、目の前の生活とか、仕事が忙しいとか言っちゃだめだ。誰のためにやっているんだ。自分自身のためじゃないのか」というようなことを、七澤さん、眠れなかったらやってたらいいですよ。

そうすると、そうだ、そうだと言いながら寝ますよ。朦朧としますから。朦朧としたときというのは、一番神様と接触しやすい時間ですから。入ります、どんどこどんどこ。

ぜひこれで油を征服してほしいし、毒舌の人は言葉がやわらかくなる。せっかちの人はのんびり、のんびりし過ぎた人はぱっぱっぱと行く。それから、縁談が遅れている人は、明日にでも……。

これはマーフィーの法則で、「いい人と一緒になっている、こうなっているんだ。今まで遅れていたのは、よかった。

早く結婚しちゃっていたら、かすをつかんでいた。因縁がきれいになってきたら、前のよりグレードアップしたから、よかったんだ」と自分で言って聞かすんです。

そうしたら、「私は、若い人よりもじっくりと自分自身を培ってきた人のほうが、実はよかったんですよ」という人に会うわけです、本当に。そう思っていたら、そういう波長が出ますから、はっちょっと波長が合ってくる(笑)。

受験生の親は、子供が合格するか不合格かというのでいらいらします。きっとその子に合ったところに、通っている、合格しておめでとうと。

パーティーで飲んで、いやあ、おめでとうと。自分もご祝儀もらっているなんていうような、いいイメージをいつも描いている。

きっとそうなりますようにと。そういうほのぼのとした、前向き前向きの想念を優先させていく努力をしますと、そういうふうになってしまうんです。

この自分自身に言って聞かせる法は、欠点をなくしたいときとか、信念がぐらぐらするときとか、あるいは性格を変えたいときにやる。

性質を変えていこう。それから、自分にできなかったことをやれるようにしていこう。ジャンプしよう。あるいは、運勢を変えていこうというときに、これをやる。

そういうイメージを、毎日毎日毎日毎日、千日か三千日かわかりませんが、継続しますと、ぱっと変わります。絶対変わります。

守護神、守護霊に言うのもいいんですけど、ご本霊(自分の御魂)に言って聞かす。自分自身の守護神、守護霊、ご本霊に言って聞かせるんです。

ここ一番の時の応用策

この自分自身に言って聞かせる法は、他人にも応用することができるんです。ですから前に、Aさんも、何かちょっと困るなというときには、相手の名前を呼びまして、この応用の秘法をしていました。

吉塚さんも学校まわりのときに、明日会う人の名前がわかったら、「何々何々さん、何々何々さん、何々何々さんの守護神さん、守護霊さん、御魂様」と。御魂様っていうのはご本霊ですね。

三つあるんです、守護神、守護霊、本人の御魂と。名前を呼びまして「明日、こうこうこう、こういうわけで、こういうふうに私はしようと思っていますんで、一つよろしくお願いいたします」と真心をもって言いますと、その人とお話ししたときに、「あっ、いや、いいですよ」っていうように、ぽっとすぐ言ってくれる。

ぜひこの人は、なんていう形でお見合いする時とかね、何かここ一番という時には、名前を呼び出しまして、これをやります。私が編み出したんですけれど。そうやりますと、今や揉めるかっていうときに、もうダメかというときに、ぱっと解決するんです。

姓名とは生命だと。不思議ですよ。自分自身にも言って聞かせられるということは、自分自身に言って聞かせるように他人様にも言って聞かせることができる。

萩原さんなんか得意じゃないですか。ぱっぱっぱっと言霊がばんばん出てきますから。的を射てますから。一つの応用策としてあるんです。

だから、自分自身に言って聞かせる方法ということを、一つの大きな潜在能力、潜在意識、身のうちに神様がこういらっしゃるんだったら、それをフルに活用する。

言葉は悪いですけども、十二分に動いていただくために、この方法を。寝ながらですから、簡単にできます。ご神前も要りませんし。

毎日寝ますから、人間は。毎日できます、これは。Yさんなんかは三千日間なさったんですから、これはもうどこへ行ってもできます。道具がなくても。

だから発願をするときでも、こういう時(寝る前)に発願をしたらいいんです。前に発願、発願と言いましたけれど。発願をして、「何々よ(自分の名前)、

酒、たばこは、明日一日、絶対にだめだぞ。今日は危うくたばこを吸いそうだっただろう、君は」と。そういうときなんかも、この方法はよく効くんです。