当たる予言、当たらない予言
それから、もう一つ、この仕組に関しましてお話ししておかなければならないことがあると思います。
先ほど申しましたように、まあだいたい予知能力・・・・・・大阪にこういう霊能者がおりまして、だいたい地震をよくピタピタ当てまして「何月何日に地震が、大きな地震がやってくる」と。
非常に世の中はもう混乱するというんで予言をしまして、チラシを打ったわけですね、新聞チラシで。で、何月何日にも地震がなければ、私は切腹していいということをチラシに書いて、新聞に出したわけですよ。
昭和何年だったかな、五十何年かな。昭和五十何年ですよ。ここに、東京に来てからありましたから。
ところがですね。何月何日の、自信満々で、必ず地震は来ると予言してたんですけど、地震が来なくって。それで実際に切腹したんですよ。ところが、パーポーパーポー救急車が来まして、命だけは取りとめたと。
それ何故そうなるかっていいますと、過去当たってたわけですよ。全然当たらなかったということないんですよ。一つか二つ、三つというのは当たってきまして、これで幾つかもう「僕も地震の予知は、何日に来るぞと言ったら、パッと当たる」と。
いいところまで当たりまして、「ここだ!大丈夫だ!」っていう形でチラシをワーッと出したら、スコーンと来なくって、切腹せざるを得なくなったと。
このタヌキちゃんはなぜその、小さな地震を予言できたかといいますと、さっき言いました、神界で起きたことが霊界に写りまして、霊界は現界に写る。四次元のこういうようなものをあらかじめ、現世で写し出される前にキャッチするので、わかるわけですね。
それでもっと大きな仕組に対して、予言、予知ということに対して、皆さんの正しい知識で持たなければいけないです。一番大きな、一つの・・・・・・前に基礎講座でお話ししたと思うんですけれども、Sの家。
Sの家ができたいきさつをお話ししたいと思うんですけども。
Sの家、M・Tさんは言いますけども、はっきりと。MTさん、それから世界救世教の岡田茂吉とか、植芝盛平ですか、合気道の。みんな、大本教の出口王仁三郎という人の側近にいたわけです。
まあこの人は、日本のノストラダムスとかっていう形で、最近はあちこちでよく(名前が)出てきますけれども、この超能力では、日本ではもうこれだけの人はいないなんて、いろんな本で最近また言われております。
だいたいその、出口ナオという人が一緒にいまして、これが開祖、(王仁三郎が)教祖と言うんですけども、大本教には二人教祖さんがいるんです。まあ、立正佼成会さんなんかは、長沼妙さんと庭野日敬さんという人が、二人
がやはり教祖の感じですけど、長沼妙さんが脇祖と。それから庭野日敬さんが教祖という形で、位分けしておりますけど。
出口ナオさんというのは、こちらのほうも神様の啓示があり、こちら(王仁三郎)のほうも神様の啓示があって、行きなさいという形で出会ったと。
まあそういう形で「西のほうに行けば神様が待ってる」と。こちらは、「東のほうから、化け物のような人間がやってきたら仕組が広がるんだ」ということをお互い……。
東のほうから化け物みたいな人が出てきたら、それが出てくる。出口王仁三郎は、西のほうへ行け、行けと言われながら来たわけです。
最初、そういう人が分かりいいように、スミという娘と、街道沿いに茶店を出しまして、そういう人が来ないか来ないかと言う形で、神様が、「もうすぐ来る、来る」と。こっちの王仁三郎は「あっちへ行け、あっちへ行け」で、どうなんだろうというんで。
初めてこの出口王仁三郎とナオ、スミというのが会ったとき、二人とも驚いた。なぜ驚いたかっていうと、出口王仁三郎が非常におかしな格好をしていた。
どういう格好といいますと、お羽黒を染めまして、陣羽織を着まして、下駄を履きまして、こうもりを持って歩いていたんです(笑)。
何という変な格好をしている人だ、この人はと。
「どうしてそういう格好してるんですか」
「いや、女がわしに惚れると仕組ができなくなるから」という(笑)。こういう格好をしてたら惚れないという、まあ逸話が残ってて、ちょっとまあ、変わってた人ですけど。
(出口ナオと王仁三郎の場合は)両方とも、この「お筆先」というので、ご神示とご神示でめぐり会った方なんですけども、長沼妙佼さんの場合には庭野敬さんが妙さんをお導きして、焼きイモを売りながら、クリーニング屋をやりながら、それから漬物屋をやりながら、庭野日敬さんが長沼妙佼というものを信者にして、それから神がかったんですよね。
ですからちょっと違う。(出口ナオと王仁三郎の場合は)純粋に啓示と啓示で来てるんで、こっちが開祖、こっちが教祖と言うんですけど。
そしてこの、出口ナオの「お筆先」というのが、これはもう後世・・・・・・如来教の「お経様」という、如来教の教祖さんというのが近代のこういうふうなものの一番の新興宗教のはしりをつくりまして、天理教よりも三十六年前ですか、黒住教よりも十二年ぐらい前にできまして。
金比羅権現のお告げで「世の中は変わり続ける」っていう、明治維新とか、大きな時代の変動期を予言した宗教だったんですけど。如来、黒住、天理、それから金光教。
如来、黒住、天理、金光という形であらわれて、大本教に連なってきたんですけど。
そこの、それと、あれですね。中山みきさんの「みかぐらうた」という、歌で出てますけども、あれと匹敵することですけど、予言が一番当たるのは過去の教派神道の中で、まあこれが、「お筆先」が最高だと言われております。
例えば、どういうふうに当たるかっていいますと、綾部の、非常に、ボロ買いしてたようなおばあさんに神様がかかったんですけども、まあ「三千世界一度に開く梅の花。梅で開いて松でおさめる神の仕組」なんていう、そこに仕組なんていうのが出まして。そんなもうおばあさんが、何だこれは、おかしいんじゃないかと。
それで、言い始めましたところが、えー、予言をいたしまして。
唐と日本との戦があるぞと。この戦は勝ち戦だ、神が陰から守護してる。その後、露国から始まりてもう一戦がある。最初、ですからね、唐と日本との戦いがあると、日清戦争を予言したんですよ、明治二十五年に。そんなことは・・・っていう形だったんですけども、日清戦争起こりました。
あれっ、あのおばあさんが、綾部のばあさんが言ったの当たった。唐と日本との戦があるなんてことは、まったくこんなおばあさんが、無学文盲ですから。全然字が知らないんですよ。
親孝行だということは有名だったんですけど、親孝行なおばあさんというだけで、全然学問教養も・・・・・・、学校出てないですし。お父さんの面倒、十何人の家族見ていたっていう人で。
唐と日本との戦があるぞって、この戦は勝ち戦だと。神が陰から守護してる。日清戦争の勝ち戦を予言いたしまして、有名になりました。
その後、露国から始まりて、もう一戦あるぞ。日露戦争を予言いたしまして、この戦も勝ち戦、神が陰から守護しておるぞ。日露戦争の勝敗も予言いたしまして、その後、あとは世界の大戦いとなるぞよと、第一次世界大戦を予言した。
その後、いつまでも日本も勝ち戦と思うなよと。一たん日本は顔が真っ青になるところまで行くぞよという形で予言がありました。第二次世界大戦の敗戦を見事に予言した。
まあそれで「お筆先」というものが、信頼性があるんじゃないかというわけです。=
出口王仁三郎はもっと予言が細かでございまして、だいたい、六大都市は全部焼け野原で、火の雨が、焼夷弾の火の雨。
「瑞能神歌」という歌を出しまして、六大都市は火の雨、焼夷弾の雨あられと。で、戦争末期になってきたら、お寺の釣鐘から、鍋、釜、釘の一本に至るまで全部出して鉄砲をつくりますっていうようなことを、大正時代ですか、戦争が始まる前に全部「瑞能神歌」で、ミッドウェーの戦いから負け始めるぞというようなことを全部予言しておりました。
全部当たりました。世界の人間が驚いたという。
で、そこで、この「お筆先」で、「大正十年に世の立て替え、立て直しが起きる」というような。
大正十年。そのときに、M・Tさんは、この出口王仁三郎の筆録者といたしまして、世界救世教の岡田茂吉、それからSの家のMTがそばで速記、『霊界物語」を。八十一巻を口述しておったんですけども、その大正何年の「お筆先」を見たときに、出口王仁三郎が、予言というのは神様が言っている。
天変地異はすぐ間近という形で言いまして。例えば、あのー、あれですね、だいたいバイブルでもそうですよ。
「天国は近づけり、汝悔い改めよ」と言いまして二千年経ってる。「天国は近づけり、汝悔い改めよ」というふうに言いましても、二千年経ってるんだけども、なかなかその、アフリカでもちょっと、大変な状態で……。
ですからマルクスなんかも、「天国は近づけり、汝悔い改めよ」ったって、全然天国来ないじゃないかと。
まあしかし、地球ができましてから、やっぱり何十億経っておりますので、四十億、地球創世の歴史から見ますと、二千年ぐらいというのはあっという間かもしれません。神様の目で「近いぞ」とかね、「まだまだ先だよ」というのは、尺度が違うもんですから。
ですから要するに、「お筆先」とかいう形のは、そういう霊界のあり様、神界のあり様というものをある程度伺い知って……、ちょうどこのころというのはエドガー・ケイシーが出たころですね。
エドガー・ケイシーは一九四五年に亡くなっておりますから、だいたい、出口王仁三郎、それからエドガー・ケイシー。
このあたりのときには非常な霊能力の人があらわれまして、そういう不思議なことってあるもんなんだなと、予言は当たるものなんだなというようなことが全世界でやはり出てきた。その当時の仕織人の一人ですね。
世界的にこういうふうな、ベトナムで言えばカオダイ教とか、スウェーデンとか、イギリスの神霊協会とか。
それから、ブラジル日伯何とか協会といいまして、ブラジルなんかでも、そういう霊的に、神様のお告げがあった、新しい時代が来るよなんていうことを、黎明時期にあちこちの世界の予言者があらわれまして、不思議なことをあらわしてきたという時代がやっぱりあったわけです。
ところがその、大正十年に、世の立て替え立て直しが行われるということで、さっき大阪のお話を、私、いたしましたけれども、M・Tさんがまず霊的に、まあ鎮魂法帰神術しておりましたんで、神様が降りてきて、確かに大正十年には大変な世の中がやってくると。
どこの神様とか産土神社に行きましても、「こういう世がやってくる」。
要するに、神界で起きているようなことを神霊から直接、まあ聞いてみてやるとか、あるいは霊界にいるところは自分で予知能力だと。
それから、世界の情勢を見てみても、大正デモクラシー、それから大正センチメンタリズムかわかりませんが、とにかく非常な動乱な時期が来ている。だから、これは間違いないと。どこの神様に聞いても、神に降ろして聞いてみても、これは間違いない。
大正十年には大変な世の中がやってくるだろうということで、M・Tさん文筆で始まりましたので、たくさん、さっきの大阪のあれと同じように、大正十年には世の立て替え、立て直しがやってくるというのをボンボン書きまして、日本中に配ったわけですね。機関紙に新聞にチラシに配りまして、日本全国、世の立て替え、立て直し、天変地異がやってくるということで。
それから、T教でもですね、教祖生誕して百年経ったら、とにかくT教の教会の前には死人の山ができるんだと。それまで、立教、教祖祭百年を目指してね、それでも信者を増やさなきゃいけない。少しでも広めなきゃいけないということで、とにかくまあ、今年が百年祭なんですよ。そのT教のあれで、解釈で言いますと、死人の山がね…。それは今年が、教祖百年祭なんだと。
それはいいとしまして、とにかくT教では、教祖生誕百年はこれと、今でもやっています。
そういう形で、M・Tさんも大正十年のときにもうバンバン宣伝したわけですよ。そして、みんなは何をしたかっていいますと、そのチラシと新聞を見まして、大変な広告をしたんです。
そしたら、みんな御飯をこう、非常食を蓄えまして、缶詰をつくりまして、それからもう、一年分ぐらいのお水を蓄えまして、それから山に土地を買いましてですね、逃げなきゃという形で、あっちにも、こっちにも、あっちにもというんで食糧を蓄えまして、全部が山の中にこう、大正十年にね。
いよいよだというんで、みんな山の中にこもったわけですよ、ほんとに。実際にあった話で。
そして、その大立て替え、立て直しというので、自分たちだけはそれを免れようということで、たくさんの人が山ごもりいたしまして、非常食がよく売れたと思いますね。
今、防災関係、何か出ていますけど、このときに出たらどれだけ売れてたか(笑)。毛布もみんな持ちまして、家族全部が引っ越ししてね、来たわけですよ。
そうしたところ、何にも来なかったんですよ。
それでM・Tさんは、その後、この神様というのは間違ってるとか何とかということで散々文句を言いまして。出口王仁三郎は、やめとけ、やめとけと。
やめとけ、やめとけというか、だいたい、この仕組のずれ、変わるということは、いろいろ私、本を読みましても、この例えが一番なるほどなと思うんですけども。それで、出口王仁三郎というのは大きな人でしたから、おまえ、まあ、そういうきっかけがあるからというんで、形よりもとにかく教えが広まっていけばいいんだからということでSの家をつくって。
大本教自身というのはあんまり難解ですので、彼の才能がやはり、MTはありましたので、出てったんです。
まだ、しかし、それはそれでいいとしまして、S教のM・Oさんのほうも同じようなことがあったんですけど、M・Oさんのほうを見ておりますと、「「お筆先」には……」って、出典を明らかにする。まだ良心的ですよね。
Sの家の場合、あたかも自分が全部つくったかのごとく書いておりますけれども、出典を全部見ましても、「霊界物語』の)八十一巻のこの説を自分なりにこう書いているのがほとんどなんですね。
まあそういうことがありまして、いたたまれなくなっちゃって、大本教から何人かの信者を連れて出ていったと。その神様の仕組というものは、人間の独自な解釈をしちゃいけないと。
仕組は変わる
それだけじゃないんです。一たん、神界で確かに、MTさんがおっしゃったような形で、仕組が神様ができたとします。
仕組が神様の形でできたとしましても、あらかじめそれを知りまして、霊的な方法か、ある特殊な方法を使いまして、それを人に知って、こうなるからっていう形の予言、あるいはその予知というものに対して、自分たちだけはその時も助かりたいという、結局、自己中心的な発想ですので、もし仕組がそのとおりであったとしましても、神様はこの仕組を変えるんですよ。
ところが我々が思い違いやすいのは、仕組というのはもう全部できちゃってて、非常に変わらないもんなんだと。
仕組というものはもう変わらないもんだと思っているんですけど、そういうまあ、こういう形で写ってまいりますけども、これを知りますと、たとえ事実であっても、人があらかじめそういう予知しちゃって準備しますと、神様は変えるんですよ。
だって神様は全知全能ですから。
すべての知恵とすべての能力を持っておりますので、そういうふうに神様がね、縦糸と横糸とやりましてもね、ちょっとぐらいずらすぐらい、どうってことないんですよ。
だいたい、何年何月っていう形にしておりましても、みんなが準備したらちょっと早めるとか、準備してたらちょっとずらすとか、こういうふうなことはもうお茶の子さいさいです。
ですから、こういう形で仕組しておりましても、ただいま、ただいまのその人の気持ちで、役者はありましても、例えば、あまりに出口王仁三郎の場合には、予言をあんまり綿密にやり過ぎまして、社会を混乱したわけですね。
あまりに見え過ぎて予言し過ぎまして。で、その社会を混乱しまして、仕組のあれなんで、植松先生のご神業の時に、「出口王仁三郎、神の権限を侵したるなり」と。
あんまりそう言い過ぎちゃったもんで、物語にして。みんながそれで混乱しちゃったわけですよね。
ですから、仕組だとか、世の立て替えだなんていうんで、同じような形で恐怖感を世間様にあおりまして、本人の霊的能力はすごいということはわかったんですけど、社会にかなり混乱をもたらしたことは事実です。
あまり派手な性格で。ですからまあ、いいこともよかったけども、その分が神様にちょっとあって、王仁三郎さんも霊界でかなり反省してたみたいで。
ですからまあ、そういうものがありましても、人間があらかじめ準備してして、侵すべからざるところなんだというね。神様の侵すべからざるところというのがやっぱりあるわけなんですよ。
それを特殊なもので、これ見てみまして、こうして世間に発布するということは、結局は大きな神様のあれなんで、予定がパッと変わりますね。
タヌキの場合には、それで一番大きなところで変えてやろうということで、霊界の次元で見ますと、ヘビとかタヌキがついている人間というのは、ある程度ね、予知力というんですか、近い意味では予知力があります。
それで、ヘビとかタヌキですね。あんまり遠いところとか、天下国家の仕組なんてのは分かりませんけども、稲荷がついている場合にはもっと千里眼的な要素がありますけど、それでも一〇〇%ではないわけです。
まあ、そういうふうにして神様の仕組というのが、人間がそれを知りますと、たとえ事実であっても神様は変更されるということですね。絶対的なもんではないということで。これをよく誤解しないようにしないといけない。
陰極まった後、新たな希望が出てくる
というのは、ノストラダムスの予言がありますね。一九九九年には人類が滅亡するとか、人類は滅亡せざるを得ないのかなんていうのが出ておりますけども。
これを見てみますとですね、アーノルド・トインビーが「歴史の研究」という本を書きまして、まあ、このアーノルド・トインビーさん、「歴史の研究」ということで、とにかく、アテネの歴史。
アテネの歴史とスパルタの歴史ですね。
スパルタ教育のスパルタと、アテネの歴史を見まして、このアテネはアメリカに似ていると。
スパルタというのは非常にソ連に似ていると。そして、ペロポネソス戦争がありまして、ペロポネソス戦争でそのスパルタが勝ったように、きっとソ連とアメリカも戦をして、ソ連が勝つだろうと、こういうふうな予言をいたしまして。
そして、人類はもう滅亡せざるを得ないだろうという形で、一つの歴史のパターンはこう繰り返していると。
さっき一番最初に言いました仕組にあったように、繰り返しているんだということでトインビーさんは予言しまして、はあ、人類の歴史は暗澹たるもんでね、まさに人類滅亡するんじゃないかというようなことでトインビーは結論に至ったんだけども、あるとき、トインビーは中国の易経に触れました。
「易」というのは二種類の意味がありまして、変わり続けるというね、変わるという意味と、「明」という漢字。この「明」という漢字が、それからこういうふうになったと。「易」という字になったと。「明」がこういうふうになって、こういうふうに変わって、「易」というのは、天の命を明らかにする。
天地自然の法則を、芸術なり宗教なりあらゆるものを全部六十四の卦で、六十四卦で全部これを明らかにしているという。
もう一つ、これ「易」は、変わるという意味。ですから、易の真髄というものは、変わり続けるという。
植松先生が、最初に言いましたように、「たった一つ世の中で変わらないものは、変わり続けるということが変わりない」とおっしゃったことは、お釈迦様が遺言で、「世の中は変わり続ける。自らをともしびとし、法をともしびとして、修業を怠るな」というのとですね、これ、易経の変わり続ける。陰極まりて陽だと。
易を見ましても、六十四の卦を見ましても、最高にいいという「地天泰」という卦があります。しかし心おごりしてたら今度は「天地否」という。全然だめだと。
そして、その「大壮」とかもう大吉だという奥には、かげりが起きて心おごりするからだめだと。
一番悪いというけど、しかし、これを謙虚に持って辛抱すれば、やがてすばらしい光明にめぐり会うであろうという形で、易の教えを見ておりますと「絶対にいい」というものはありません。「絶対に悪い」というものもありません。
最高に悪いものは、やがていいほうへ変わっていくということで、その変わり続けるということの歴史が六千年間ずっと続いているわけですね。
これがその天地、森羅万象、すべて語っている易の精神であるし、このとおりに六千年間変わることなく続いてきた。
これに、トインビーさんが易経を知りまして、この易の精神というものを勉強したわけです。そして、ああ、これはもうペロポネソス戦争と同じくなるのかと言ったところ、易の教えを見まして、ああ、そうかと。
陰極まりて陽だと。「世の中の歴史はそういう形で天地自然の法則はなっているんだから、必ずやこのときに光明があらわれて、人類は人類の英知でこれを切り抜けることであろう」という形で、明るい世界の希望に移ったわけなんです、変わったわけなんですよ。
この易の精神がなければ、アーノルド・トインビーさんの「歴史の研究」の結論、コンクルージョンというのは出てこなかった。
まさにこれは神様のおっしゃっていること、そのとおりでございまして、その変わり続けるということで、陰極まりて陽であるということの、そのときにトインビーさんが、そのときは世界の人間というものは武力とか国家権力というものでやってたんじゃ、絶対にこれは変わり続けることがないと。
だから、人類の努力で、例えば日本の神道のような、こういうふうな主義主張とか、バイブルとか、教えとか理屈とかね、自分たちのバイブルのようなああいう、聖典というんですか、教えの本でこう理論的にやり合うものじゃなくって……。
「惟神の大和の国は言挙げせぬ国」というふうに言いまして、これはどういうことかといいますと、言挙げってのは「これが日本の神道だ」とか、「神道の歴史、真髄はこれだ、日本国こそ世界最高だ」というんで、あんまりね、神道の教えはこれでこれでなんていうことで言挙げしません、我が国とか、神道とか、天照はこれでと。
ですから、あまり右翼の人があまりに「神道は、神道は、神道は」という形でね、神様の教えはこうだこうだという、自己をあまりに主張し過ぎるということ、言挙げしませんと。
だから、生まれたときは宮参りに行きまして、結婚式はキリスト教でやりまして、死んだら仏教でやる。自分のところの教え、自己の主張があまり、我の主張が、主義主張がないわけですから、どんな主張もうまくそれをコンビネーションしまして、吸収することができるんだと。
だから、仏教もキリスト教もいろんな教えが入ってきまして、日本では共存共栄しております。まあとにかく、よかったらいいじゃないですかと。
ただいま、ただいまがよければいいじゃないか、みんなよくなればいいじゃないかと。よければいいじゃないかというので、それで大和の国、大いなる和を、大いなる和というものを大切にいたします。
前にもお話ししましたように、日本の神道の歴史というのは、七福神の教えに似ている。だって七福神の中で、えびす様だけがメイド・イン・ジャパンでございまして、それから、弁天様というのはブラフマン教です。
大黒天様もプラフマン教でございます。それから、寿老人というのは中国の、中国の賢人でございまして、それから福禄寿なんていうのは南極の精なんです。これも全部中国から。
毘沙門天さんというのは、これもやはりインドの武術の神様。
メイド・イン・ジャパンの神様というのはえびす様だけなんですよ。あと、どこの国かよくわかんないと。だけど、まあ、福の神なんだからいいじゃないか。
一つの船に乗って、七人福の神がいれば七倍のパワーが出ていいじゃないか。いちいち、君はインドじゃないかとか、中国じゃないかとか、わが日本の国に合わないなんて、そんなことは言わないんですよ。
だから、一つの船に乗って生きるという。これは大和の精神ということが、七福神思想の中にこれはあらわれている。日本の国は言挙げせぬ国っていう。
まあ、こういうふうなことをもっとお話しすれば切りがないんですけど、トインビーさんが、そういう日本の教えというものは、そういう意味で非常に世界宗教の様相を呈していると。
自然崇拝をするというのは、原始宗教の形態でございますので、山が神様だとかっていうのは、インディアンでも言っておりますし、アフリカの人でも、うわー、何とかというので拝んでますな。
お山が爆発したら、「おお、神よ、怒りを鎮めたまえ」なんていうので太鼓をたたきまして。
同じように、自然崇拝のっていうんで、神道というものはそういう民族的な宗教ということだったんですけど、その本質を研究すればするほど、世界宗教の要素を持っている。
そこは、例えば日本の宗教、神道のような形が世界の人たちの世界宗教となれば、このスパルタとアテネのあったような形のものを回避して、核戦争を回避して、世界には平和がやってくるだろうと。
いや、きっと日本を、人類の叡智でね、これを切り抜けることであろうと、トインビーさんが結んでいるわけです。
例えば、そのときに日本神道という形で言っているんですけど、日本の右翼の人たちは、トインビーが言っていると。日本の神道こそこれがもう最高の教えの世界宗教なんだというふうに。
例えばというふうに控え目に書いてるんだけども、トインビーが言ったなんていうことで、あまりに、神道思想をあまりに言い過ぎるという形は、本来ならばこれ、合わないわけなんですけども。
まあ、ちょっと右翼の人たちは極端にここを言い過ぎているという点はもちろんあります。
ですけれども、まあそういうことで、この一九九九年というノストラダムスの予言で、人間がだめになってしまうかと言いますけれども、トインビーさんの歴史の結論のように、これ、陰極まりて陽です。
おもしろいですね。一九九九年に、陰極まりて陽。ポチ一厘入りますと、これ、二千年になるわけですね。
ですけども、ノストラダムスというのは、ある点でこういう形の仕組を見たわけでしょうね。しかし、予言しまして、一九九九年に全部人類が滅んでしまうだろうという予言をしたら、もうこれ、完全に神様は仕組を変えます。
ノストラダムスは全部当たってるからね、一九九九年にはだめになるんじゃないかという悲観的な見方をしますけど、それはさっき言いました大阪の予言者とかMTさんと同じように、これは変わります。
私たちがそれを変えるのです。それから、えー、トインビーさんが予言して、陰極まりて陽になったような形で、どん詰まりで苦しいときには必ず、易の精神から言いますと、陰極まりて陽で、こういうふうにだめだった後には新しい希望の光が出てきて、世界の歴史の新しい仕織りというんですか、出てくるわけです。
こういうふうな形で、易の教え、トインビーさんの教え、それからその、仕組とか神の予言、予知というものがいろいろと、お芝居とか。
お芝居の台本とか、あるいはその、きょうは機織りの仕組で縦横の話をいたしました。
それが神界、霊界、現界という形で写されていくっていう、そういう形をお話ししましたけれども、最終的にはそういう形で、人類の歴史というものは悲観的にならないで、前向きのほうへ向かっていく一つの大きなプロセスで、仕組がどんどん進んでいってると。
我々はそういう仕組の中で、ここの、本日の結論ですけども、まあ、簡単に言いますと、こういうふうな新しく大きな時代が来て、陰極まりて陽の時代に行くときに、神人合一した人、神様と人とが一体になっておりますと、少々天変地異がありましても、少々動乱がありましても、「あっ、こっちに地震が来るな」と。
だって、あの、ネズミでもね、沈没しそうな船からはパッと船から出ちゃうし、トンボも、地震が来るなというと、あっちへパッと移動しますから、そういうものがパッと直感でわかって、逃れていくような力というのが出てくるわけですね。
まあ、これからの時代は、そういう時代の神人合一の人の種人づくりをするという仕組に、まあはっきり言いまして、参加させていただいていると。
そういうことで、途中でいろいろと、いろんな、仕組の途中に騒音が入ったりなんかして。
それもまあ、それでも仕組は、「絶えたりと思う道にもいつしかに講義する人がんばりにけり」ということで、終わりたいと思います。(拍手)
