深見東州の土曜神業録7(Vol.2)

【第一章】御魂は見たまま(昭和59年10月6日)

御魂は見たまま

【深見先生】えー、坂本さんの質問に答えまして。知らない間にパート四になってますけど。

出口王仁三郎という人は、人間の身と魂と書いて「みたま」と読ませて、御霊さんと書いて「みたま」と読ますし、御魂と書いて「みたま」と。

これは上級講座の中に入るんですけど、植松先生の口からおのずから出てくると思うんですけども、御魂とは「見たまま」だと。これが植松先生の神様の教えで、御魂とは見たままだと。そうでしたね。

【植松先生】そうです。

【深見先生】人間の御魂は、どうしたらいい悪いがわかるって神様に聞いたら、それは「見たまま」だ、と神様がお答えになった。

それが…、出口王仁三郎さんは、人間の体と霊魂と全部を総称して、それを「みたま」っていう形で解釈しているんじゃないかと思うんですよ。こういう字(身魂)を書いていましたから。こうすると、御霊っていうのは、魂と魄とね、霊魂の部分と幽魂の部分と誤解しますので。

これ、僕が除霊するときの、「何々の御霊や」って言ったときは、この意味ですよ。「霊よ」という意味で。ですから、「祖霊の御霊屋」なんて言いますよね。ご先祖さんをお祀りしている、御霊様という意味ですね。

何々の御霊様という形で言えばいいんですけど、「祖霊の御霊や」と言う場合は、除霊のときの御霊と同じで、これです。「御霊や」と。

ところが、植松先生がおっしゃる「みたま」は、御魂であり、「御玉」と言ってもいいかもしれません。そして、御魂とは見たままよと。簡潔明瞭。負けましたって感じですね、これもね(笑)。

負けましたって感じですね、ほんと。「御魂とは何ですか」、植松先生が「見たまま。それがその人の御魂です」と。だから、御魂をきれいにしよう、素晴らしくしようと思えば、見たままを素晴らしくする。

血色がよかったらいい血色、真っ黒な体に・・・・・・、洋服とか衣服はいいんだけど、顔がどろんとしたら、その御魂、どろんとした御魂です(笑)。タヌキみたいな顔だったら、その御魂はタヌキみたいな御魂(笑)。

そうですね。見たまま、ありのまま。それが、その人の御魂ですよと。だから、肉体とか霊を全部総称して、その人のすべてを動かしている元のことですよね。

【植松先生】だからいつもね、喜びでね、感謝を持って生活をするってことが大事。だから輝きってのがあるでしょう?それでこう、その人の御魂っていうのはわかるの。

だからやっぱりね、あのこう、いつでもこう、人とね、お話ししても、目を常にこうそらしてね、人の話聞けなくって、話してもこう、そらしている人ね。やっぱりそういう人は、昔からね、心に何かあるから気をつけなさいっていう。

だから自分がこう、なんて言うのかしら、曇りがなければね、人のお話を楽しそうにこう、ねえ。

まともに見えるわけ、人のことがね。やましいことがあるからこう、泥棒なんかさ、見つめられると困るから、顔を覚えられると困るから、なるべくこう隠している。悪いことしてなかったらね、堂々としてるわけでしょう。

人間てのはお互いね、やっぱり表情でわかるのよね。悲しいときには悲しそうにしてるし、つまんないとつまんなそうな顔をしているもの(笑)。

【深見先生】なるほどね。つまらなそうな御魂だと(笑)。

【植松先生】でも、そのつまらなそうな顔が常に長かったらさ、その人の御魂ってのはどういう御魂かわかるでしょう。

【深見先生】つまらない御魂だと。

【植松先生】ねえ、陰りがあるからこうね、喜べないからね。

【深見先生】二時間の九分九厘の講座の後、ようやく出た一厘は、負けますね(笑)。

【西谷先生】素晴らしい。

【深見先生】こういうのはすぐに入るね、西谷さん。ほんとそうだね。

【西谷先生】今までの講義があったから、これが生きている。

【植松先生】だからね、自分がね、こう幸せになりたかったらね、常にこう、幸せそうにしてるといいわね。

【深見先生】はあー、なるほどね・・・・・・。男前になりたかったら、男前っぽい雰囲気で(笑)。

【植松先生】だけど美しくなりたかったらやっぱりね。美しくしてる。美しいことを考え、美しいことを行う。

【深見先生】そうか。作曲家になろうと思ったら、作曲家っぽい………………。

【植松先生】そうですよ、そうですよ。

【深見先生】なるほどね。なるほど。もう、キナ粉も食べられませんね。

【西谷先生】まずくて食べられません(笑)。人間が食べるもんじゃないですよ、あれ(笑)。

【深見先生】そうですね。これ、人間の食べるものを食べたら人間になる。ねー。神様の食べるものを食べてたら、神様になるのかなあ。

【西谷先生】御神酒もらいましょうか。

【深見先生】神様は偏食がないし。偏食がないということだね、やっぱり。【植松先生】そうそう、偏食ないわね。何でも味わってみなければね、その味がわからないでしょ。

だからよくみんなこう、食べず嫌いで、ね。だから、「人には添ってみよ、馬には乗ってみよ」っていうのがあるのよ。だから話もそうなの。神様を知りたかったらね、神様をつかみたいからとかよく言っているでしょう。そしたらこう神様の話をして、それに乗ってみるのよ。「鳴り生り成る」とかさ、そういう言葉があるでしょう。

「鳴り生り成る」をちょっと、そこに字を書いて説明してあげたら分かると思うのね。だから話に乗るとかその気に乗るとかね、相乗の気。

その気に乗らなかったらさ、わからない。おいしいものも、食べてみなくちゃわからない。聞いてみなくちゃわからない、ね。

【深見先生】御神霊が降りてくる場合は雷がバリバリッと鳴って……………。「なり」は?

【植松先生】どうでしたっけね。字忘れちゃった、私は。長い間、この話しなかったから。ちょっと待って、今思い出すわ。久夫ちゃん、覚えていない?

【吉塚先生】まあ、「なりなりなる」という言葉・・・。

【植松先生】言葉だけど、字があるのよ。やだ、忘れちゃった。随分久しいから、八年ぐらい前でしょう?

【深見先生】十二年ぶりですね。

【植松先生】あのね、漢字っていうのはね。漢字が使えるとね、必ず三つの種類があるの。

【深見先生】ああ、なるほど。これ、これですよ。なり、これ。(板書「鳴り生り成る」)

【植松先生】あ、そうそうそうそう。あ、そうね、必ず同じ読み方であるの。それを私、みんな「なり」ですけどね。私が発見してね。そしてそれがね、だから「さとる」でもそうだし。必ず三つこう段階があるの。ランクがあるのよ。

【深見先生】悟り、差とり、覚りね。

【植松先生】うん。だから三の数字ってのは、全部三、三から始まってるってことをね、そこで知ったわけ。そうやって、私勉強してきたのよ。ね。単純じゃだめなの。すべて多角面で物事を見たり、聞いたりしなきゃ。

だから、体中全部が感応できるようにね。

【深見先生】体中全部が感応?

【植松先生】そうですよ。こう、胸だけで感じたとかさ、頭だけで感じたんじゃだめなの。全部体ってつながってるの。

【深見先生】鳴って生まれて成ると、鳴り生り成ると。

【植松先生】そうですよね。

【深見先生】まあこれ、もっと神霊界から言いますと、雷でね、御魂が降りる場合には青龍が出てきて、うわーっと雷で神様というのが鳴って、天界で。そして生まれてきて、御魂が。そして、成就できると。

【植松先生】あのね。こういう、私の自分で自覚してる神様の言葉ってのは、ほんとうにこう、こんな短い、たったそれだけなの。

それに取り組むのよね。それをね、深見さんが全部こうやって、長く説明してくれるの(笑)。

でもね、やっぱり深見さんがね、そうやって説明してくれないとさ。これだけぼそっと言ったってわかんないでしょう。それをね、説明してくれる人が、神様がちゃんとね、差し向けてくれた。

【深見先生】これおもしろいんですよね(図1参照)。物事が出ていくときに、運勢も、まず一白の北の位置にいるでしょ、これ胎ですよね。

胎蔵してて、北の定位だから、運気も北にあるときには沈んじゃってる。あんまり出ちゃだめだと。それやっぱり一白水星だから、陰部とかね、胎の。だから一白のほうへ行くと、心の迷いとか、女遊びしたくなるとか、いろいろ言われているんですけれども。

その次は、西南、坤の位置。二黒土星。西谷さんですね。だから営業とか。ですから、西南に入ったときに運気がよくなっていく。

これからですから、新しい仕事のかかわりの営業なんてのは、北から西南へ出てくるわけですね。西南。ですからここは坤で、物事を、天から受けたものを徐々にこう、地面から出ていく。大地という意味です、これね。

そして、三碧さんぺきの東になって、これは草木、草木となって萌えてくる。草木。

ですから、この東の三碧木星というのは、雷の定位ですよ。雷。ですから別名、これを震宮というのね。振動する。三碧木星。東というものは太陽のところで、植松先生は三碧ですけど、奮い立つ。

ががあーっ、雷とか、ですから音声ですから三碧の人というのは、声がいいから、ラジオ、アナウンサーだとか、声を使う。アナウンサーとかいいですね、放送関係、ラジオ関係、宣伝。派手に宣伝するとか、うわーっとやっちゃう。

声にあらわれる。それから振動する、振るう。三碧木星というのは。ですから、鳴り生り成るというこれ見てみたら、そしてその、三碧でがらがらーっと初めてこれが出てきて・・・・・・。

【植松先生】なんか言霊なの。

【深見先生】ね。そして、その三碧が行きますと、四緑。今度は東に行きますと、東南に行きますね、星がね。整うんです。四緑は全部大木となって大きくなっていくわけですね。これ、大木となって、そして、大きく物事を整えていく。

そして、整えていきまして、今度は中宮に入るわけです、帝位に。帝王の位。ですからこれ、三碧で鳴って(鳴り)、四緑で物事が出てきて整って(生り)、

五黄でもう完成すると(成る)。ですから帝王の位ですよね、中宮というものは。完成すると。

おもしろいなと思うんですよね。三碧、四緑、五黄で中宮ですね。ちょうど三碧、四緑、中宮のときは、運気が一番いいときには、西南のね、二黒に入ったときから運気が向上しまして、運気が今いいですねっていう、何か仕事を始めるとか、新しく運が動くとか現実界ですよは、北にいるときはまだ出さないほうがいいと。

胎のときだ、動いちゃだめだと。西南に入ったときに、いよいよ新しい仕事とか取引とか、縁談なんかも出てきて、それから東に行くとうわーっと出てますから、鳴物入りでがんがんがんばって、そして東南にいるときに整う。

ですから、東南に入ったときに、縁談が整う。縁談が整うとか、仕事が成就するとか、まとまるわけですね。そして中宮へ来る。

中宮に行くと、本命殺とかそれありませんから、悪く言えば八方塞がり、どこも出られないけど、よく言えばどこでも行けると。五黄、暗剣がないんですよね、この場合は。どこへもいい。

【植松先生】だからどこでもいける。

【深見先生】だから、中宮にいるときは、何かやりたくてしかたないとき。そして、西北に上がってこれ完成で、靴の。

しかし、「亢龍悔いあり」、『易経』にありますように、上り過ぎた龍は悔いがありますと。やがて落ちてきますと。だから、西北の定位に行ったときには、開花しちゃうんですけど、やがて散り始めるという。開花してもう散り始めていく。

だから西北にいるときに新しい事業なんか始めると、三年間は資金繰りで苦しみますよと。その乾のときの西北から、今度はまた次へ帰るのにどうやってそれを越すかと。西北から次に西に行くんですけど、西はですからもう、いわば西方浄土ですね、阿弥陀如来さんがいるところ。

西に落ちちゃったっていうのは、もう爺さんです。もう、ですからお金が成るとかあれです。西のほうへ行くともう沈んじゃうから。西へ沈むでしょう、お日様は。

ですから、老人は歳をとったら西の吉方をなるべく使って、老後は安泰、南無阿弥陀仏という形なんですけども(笑)。東の方へ向かって、南無妙法蓮華経もあれですんで。

とにかく、西のほうへ行くと落ち着くんですよ。ですから、いかに西北の開花したときから、一から努力が始まるのは西から始まるんです。日没で、運気がもう日没っていう運気から、一から努力が始まっていくと。

だから西北のこのときに、調子いいけど、上り始めるので、ほんとうはこのときは危険ですね。開花しますけれども危険なんです、西北にいるときは。

だからほんとうはこのとき、鳴り生り成る、三碧、四緑、五黄という、東、東南、中宮ぐらいのところが一番活発で活動ですね。だから、この鳴り生り成るというのは、三、四、五と。

植松先生の簡単なことですけど、今ふと思い浮かんだんですけど、これやっぱり言えますね。六白金星のときに行ったりやっちゃだめなんですよ。これぐらいまで(中宮)なのね、新しい仕事始めようと思ったら。

これはご存じですよね。気学のもう、原理原則でございまして。植松先生はこれ(三碧木星)でございまして、私の場合は穏やかなんで、静かなんで。まああの、激しさ以外のあらゆるものが、おかまにもなれるという(笑)。

テープに入っていますけど。

悟り、差とり、覚り

【深見先生】「鳴り生り成る」とあと、「悟り、差とり、覚り」がありましたね。えー同じく、鳴り生り成る、鳴って生まれて……、悟り、差とり、覚り。

【植松先生】これ(鳴り生り成る)は下に降りてきて。悟りっていうのはさ、下からこう上がっていくわけでしょう。

【深見先生】あ、そうか。下から上がっていくか。悟り、それから差とり、それから覚りですか。こうですね。

これ、悟りというのは、皆さん、分解しますと、立心偏というのは心ということ。心というものが立心偏になっているんですよ。

だから、ね。性というのは、天性というのはね。生まれながらの心なんです、性質というのは。生まれながらの心が格物致知で格り、生まれながらの心ったものが、性格ですよ。

生まれながらの心がミックスして非常に濃度が濃くなった、コンデンスされたものというのが質になってる。性質ですよね。だから人間の性質とか性格とは何かって、生まれながらの心が蓄積されて、中心になっちゃってる。これ性格ですよね。

だから、立心偏の悟りというのは、吾が心ですよ。吾が心。自分の心というものを一つ一つこう考える。

明の時代に洪自誠こうじせいという長くなりますけどね、明の時代に洪自誠という人が、『菜根譚』というものを、皆さんよくご存じだと思うんですけど、『菜根譚』という本を書きまして。

この中に・・・・・・。『菜根譚』という、最近経営者なんかがよくやっている、この『菜根譚』の中にこういうのが。「悟りとは考え方の工夫にある」と。(板書)。

私は非常に感銘を受けた言葉ですね。悟りというものは、考え方の工夫なんだと。

菜根譚』で、非常に僕は感銘を受けましてね。ああ、そうかと。悟りというものは考え方の工夫かと。じゃあこういうふうに考えていこう、こういうふうに考えたほうが自分が幸せだから、こう考えることに努力しようと。

ああ、人間というのは苦しい、だけど、苦しいじゃなくて、これは前世からの因縁だから、人のせいじゃないと。自分が持ってるもんだから、努力してやればいいんだと。

そう考えようと。そう考えたほうが積極的だし、そう考えたほうがメリットが多いし、人様にもプラスだから、そう考えることにしていこう、考え方を常に工夫すると。悟りとは考え方の工夫だと。

だから、植松先生が言うのには、想念転換ですよね。想念を転換することによって、「あっ、そうかっ」て悟る。

ですから、その悟りを続けることによって、本来の自分の内在する、自己本来の面目とか、内在する自分自身、あるいは天の法則、神様の御心と人間の心と、あるいは悟った本来の自分、御魂の部分ていうのと、顕在意識と潜在意識ですね、の差を徐々に徐々にとれていく。

神様と自分との間に間があったのがとれていく。そして、ぱっと、覚り。覚者。

覚者というものが、仏陀ですかね。仏陀とは何かっていうと、覚者と書いて仏陀ですよ。覚った人、もうこれは直覚力です、直覚力ですよ。直覚力というんですけど、こういう言葉があります。直覚。

小林一三という人が、阪急の創設者で、今の宝塚の宝塚歌劇をつくった人なんですけど、いつも小林一三というのは薄目をあけてましてね。会ったことありませんけどね、らしい。

いろんな人の話も、「ああ、鉄道というものは、いわば昔の雲助だ(笑)、人を運んでいるだけだ。これはだめなんだ。鉄道があって、そこに歌劇団がなければいけない」という、宝塚歌劇をつくった(笑)。

そして、鉄道を中心にして宝塚、阪急ビルとか、それを……………。ほんとですよ。小林一三という人が。だから、そんなもの、鉄道だけっていうのは、それは雲助と変わらないから。今の西武グループなんかも、鉄道がグループになりまして、野球をしたり、いろいろ多角面の経営していますね。

阪急電鉄もどこでも。そのもとは、この小林一三のやっぱり発想ですよ。だから、非常に薄目を常にあけてましてね、ぱぱぱっと。

いろいろ考えない。いろいろの人が言いましたもの、ぱっと「これだ!」と。考えないでぱっと、お話し中に瞬間にぱっぱっと出たらしい。小林一三。有名な財界人ですけど。

この人は直覚力ね。直にぱっともう覚ってる。くねくね考えない。そういう人だったんですね、事業家として。だから、宝塚歌劇なんか阪急電車のそばにつくるってなかなか、阪急何とかセンターね。

そういう遊業施設をつくることによって、宝塚歌劇をつくることによって、鉄道をはやらせると。鉄道もはやるし、宝塚歌劇もはやるという、そこへ来るべく人を運べばいいんだという発想ですよね。

鉄道があって収入を得るんじゃなくって、宝塚歌劇というものをつくって、電車を持っていく。直覚力ですよ。

だから別に、神様の御心とか、自分自身の内在するものをぱっと、覚るっていうのは瞬間ですよね。もう差がとれちゃってるから。一体となっている。

【植松先生】だから目覚めなきゃね。

【深見先生】目覚める、そう、覚醒すると。言葉が深いですねえ。覚醒。御魂が目覚めるんですね。差がとれて、だから、悟り、差とり、覚りと。

これ、まああの、上から行く場合は、御魂が目覚めて、いろいろ現実界のさまざまなことを経験していくので、人間として悟りが深い人、ね。あらゆることを内包してるという。御魂、人の道。

【植松先生】でも、悟りの場合はね、上から来ることないのね。やっぱり下から。

【深見先生】下から。

【植松先生】そう。

【深見先生】なるほどね、汲み上げ式で(笑)。なるほど。鳴り生り成るは、上から下に降りてきて、万物創造の神が働く。

【植松先生】そしてまた、下からも見れるわけ。

【深見先生】ああ、なるほどね。成り生り鳴りて鳴り上がると。鳴り生り成りて成り下って、下痢をして、香港の入院という。

【植松先生】その落ちが悪いね(笑)。

【深見先生】やっぱり、一厘が足りない(笑)。

【植松先生】御魂とは見たままですよ、深見さん(笑)。

【深見先生】御魂とは見たまま(笑)。

えー、そうですね。鳴り生り成る。悟り、差とり、覚り。ほかにございませんでした?

【植松先生】たくさんあるからね、その気に触れないと出てこないのよ、私は。必要なもんだけ出るの。

【深見先生】「御魂とは見たまま、姿とは素の型」ってありましたね。

【植松先生】うん、そうですね。ああ、それね。

【深見先生】だから、きょうは素の話しようと思ったんですけど、聖徳太子が出ちゃってね。紆余曲折があっちゃって。今度こそ、素の話しましょうね。【植松先生】それは大勢集まったときにね。

【深見先生】大勢集まったとき。まあ、いろいろあっていいですよ、テープライブラリーつくったつもりでね。

【植松先生】でもね、深見先生があれだけのお話をするのはね、あれだけお話しできるってことは、ものすごい勉強してるからね。

【西谷先生】そうですね。天才ですよ。

【植松先生】この若さでねえ。

【深見先生】いやいや……。

【植松先生】それだけのご本見てもね、とらえどころが違うから。その一厘の修業してるからね。これを、きょう聞いた話だけでもさ、これだけのことをわかろうと思ったら、自分でもうどれだけの本を読まなきゃなんないか。年数だけでも大変よね、死ぬまでかかっちゃう。

【深見先生】ああいうものはすぐ覚えるんですよね。

【植松先生】ポイントをね話してもね、聞いているんだからね、ポイントだけわかればね。後は読みたかったら読めば、ポイントさえわかってれば読めるでしょう。

読むとおもしろいわよね。だけど、わからない人が読んだら、二、三ページで眠くなったりね。よほど興味のある人じゃない限りねえ。あんな難しい本を……。

【深見先生】だからまあ、いろいろああいうのを勉強してたら、いかにこの簡単に出るのがすごいかと。

その簡単な言葉の中に「あ、なるほどなあ……」という形でね。感動が大きいですよね、一厘以外のことを勉強してたら(笑)。これだけ聞いたら、そうかっていう形で、ありがたみがわかんないんだね。

【植松先生】そうそうそう。全然通じないのよね。

【西谷先生】境地がついていってない時はだめですね。

【植松先生】それがね、私にとっては不思議なのよね。どうしてあんな簡単なことがわかんないのかしらと思って(笑)。

【深見先生】だからほんと、そうですよね。

【植松先生】あんまりだからみんな勉強し過ぎちゃってんのよ。

【深見先生】そうそう、ね。ほんと、言えます。

【植松先生】もとから離れ過ぎてんの。私はもとだけだから。

【深見先生】ほんとう、離れ過ぎましたね。

【植松先生】神様は私に「お前は基だけ知っておればよい。基が本質であり、一厘なんだ」って。

【深見先生】ほんとにそうですね。ところで植松先生は戦争中、尋常小学校が国民学校になり、終戦後、教科書にいっぱい黒い墨で直しが入ったりと、充分勉強できる環境になかったんですよね。

【植松先生】そう。英語の先生も居ないし、ゲートル巻いた戦争帰りの兵隊さんが、たどたどしく英語の授業したりねえ。国語の先生にもいろいろと聞いてもね。

それじゃ物足りないでね、もうしつっこくこう、なんて言うの、教えを乞うてね。哲学みたいにこうね。そして、自分がわかると思っちゃって、出場所がわかんなくなって。私たちはさ、お勉強に飢えていた時代だから。

【深見先生】はあ、なるほど。

【植松先生】そう。だからもう、そういうのでぱっと聞けてね。神様に向かったらさ、もうそれだけでね、十分なのよね。もう何でも生まれてくるの、そこから。子供だってそうよ。

おもちゃをね、たくさんあるからさ、遊び方がわかんないし。だけど昔の子はね、おもちゃなんてねえ、でんでん太鼓一つでこうやってね、結構それで何歳までも遊んでいるのと一緒でね。それは自分の中に創造性がすごく、ね。

だって振るだけでもさ、こうしてみようとかああしてみようとかその音でいろいろとこう、頭の中でね、いろんなこう、音楽をつくってるわけでしょ。子供は子供なりに。

【吉塚先生】積み木みたいですね。

【深見先生】人間が飢えてるときには、どういうものがあっても、すぐにもうその中に吸収されて入っちゃう。そうすると、上のほうにこう向上できるということになっているわけ。

【植松先生】でもね絶対ね、飢えさせなきゃだめ。ある意味ではね、豊かさがなくちゃだめなのね。豊かなものがあって、一つは自分で飢えなきゃだめなの。飢える部分がないとね。

【深見先生】入ってもね、定着しないから。

【植松先生】だからね、昔の人のほうが生活の知恵が上ね。要するに、生活の知恵なのよ。だからこの現界はね、生活の知恵がなかったらね。一人では生きていけなくなるの。