【第四章】「ことわけ」の秘伝(昭和59年10月21日)
次に、次にですね、はい、今の他力と・・・、まあ四番目といいましても、三番目の延長ですけれども、ちょっと西谷さんに前に言いましたけど。
えー、西谷さんも産土様でお参りしてから、突如として、誠をもってお金のないときにね、努力なさって、お蔭がパシパシッといっぺんに出てきましたけど、ご神霊と一つになったわけですけども。
みなさま、守護神さんとか守護霊さんとか産土様とか、まあとにかくちょっと働きの神様ですけれど、
の神様も全部そうなんですけど、神様に対して向かっていくひとつの要素といたしまして、人間社会と同じように「言別けて申さく」というやり方があります。言別けて。
どういうことかっていいますと、たとえば人間でも、「Sさん、ちょっとあれ、ジュースとってよ」とか、「ちょっと絵を描いていただけませんか」「ああ、いいですよ」という場合もある。
そういう場合に「ちょっとこういう絵を、似顔絵描いてくれません?」「ああ、いいですよ」っていう場合と、僕がピシッとスーツを着て、それから髪の毛をピシッとセットして、深刻な顔して、お礼にこんなに菓子折りをもって、「えー、言別けて特にSさんにお願いしたいんですけども、私の似顔絵を一枚描いていただけないでしょうか。ぜひお願いいたします」というふうにきたら、Sさんは、「や、や、まあ、そう言われてみてもですね、ちょっとまあ、いいですよ。似顔絵ぐらいいいですよ。お描きしましょ。ええいいですよ。ちょっと仕事がありまして、養護学校で遠足があるんですけど、まあとにかく帰りましてから早速に描きましてね、お届けしますよ。いや、これはわざわざどうもありがとうございました」というんで、「似顔絵描いてよ」「あ、いいよー」というかたちのときと、そういうふうに言別けて、特に謹んでこれをお願いいたしますというかたちで言ったら、全然気合いを入れて改まった気持ちでするでしょ。
だから今の他力と自力のあれなんですけども、神様に、たとえば産土の神様でも守護神さんでも、特にまあ神社仏閣行きましても、言別けて。いろいろとお願いいたします、お願いいたしますと言うんですけど、「言別けて申しあげます」と。
言葉を別けて。だから僕がお祭りのときにね、「言別けて申さく」っていうかたちで言いましたけど、言別けてというのは、もうひとつ言霊ではこういう、ね、(板書「事分けて」)いろいろありますけども特に、このことだけはお聞き入れくださいませと。
人間社会と同じです、ご神霊も。事分けて、これだけはお願いいたしますと。色々ありますけども、販売に行きましたときにこういうふうにしてもめごとがありましたんで、事分けて、明日これだけはお願いいたしますと。
色々お願いごとあっても、これだけはお願いいたしますと。
いろいろと鑑定をするんだけど、明日何時何分から大事な人が来るんで、守護神さん守護霊さんと、産土の神様に祝詞あげまして「言別けて、今日の三時から来るときは特別大事でございますので、お願いいたします」と祈ったら、ちゃんと神様が聞いてるんです。
「ことわけ」というのはものごとを事、事柄の事を分けるという場合と、言葉で別けると。言葉で、言別けて申しあげますというおことわりをするという二つの意味があります。
だからそれだけ改まった気持ちで来た場合と、謹んで言別けて申しあげますというかたちで、似顔絵を描いていただけませんかって来た場合のご神霊の動き方は違う。
人間もそうでしょ。どんな人でもそうですよ。普段とは違うというかたちの、お中元でもピシッとそろえて「お願いいたします」ってかたちに来たら、そういう気持ちで受け取りますよね。
「ああ、何倍にして返してあげよう」という気持ちでなります。同じ人間であっても、同じお中元であっても。
これは「言別けて申しあげます」という姿勢、態度、これがやはり神様でもみ仏でも、ご神霊と名のつく高級な方は、人間のその心の延長にありますから、お聞き入れくださるんです。そういう敬虔さ、真剣さ、ここには我見とか我執とかありませんし、怠りもないでしょ、「言別けて申しあげます」というのは。
怠りか油断か、あるいは我と慢心とがなければだいたい聞いていただける。自力と他力本願のマイナス点がないですから。これはそうですよ。
「言別けて申しあげます」「謹んで申しあげます」。「謹みて申さく」とか「言別けて申さく」とか、祝詞に・・・、天津祝詞にはございませんけども、ああいうお祭りごととかの祝詞の場合には、「言別けて申さく」と必ず出てきます、これが。そして「このたびの何とかの祭りごとの何とかは」とか、「言別けて何々のNさんが髪の毛が薄くなってるので(笑)よき薬はございませんか」とか、いろいろあってもこれは特にという。・・・たとえばのね、たとえばの話ですから。
こういうひとつの法則。人間社会でも人が動いていただくのにはそうですし、同じようにご神霊もそういうふうに臨みたい。改まった気持ちでいけば改まったかたちでって、今日植松先生がこのテープが入る前に言ってましたでしょ。
ちゃんとスーツ着て、いいところの十和田ホテルをとってその気持ちで行くと、そのように、それを何倍にもして神様が返してくださると。それを受けることができるんだっていうことを言ってましたよね。ひとつの法則だって言いましたよね、今日もね。
このテープがはじまる前に私がこのかたちで言おうと思ってたんですけど、植松先生は、十和田の話から関連してそういう話が出ました。とにかくそこへ行けばいいっていうより、その行き方が無理をして苦労しても、そういうところを特に分けて、忙しい中でもわざわざ来てやってくれたっていうことで、神霊は感応するわけです。もう誠ですよね。それが誠。
これは天界の神であろうと、炁の神であろうと、顕現神であろうと、仏様であろうと、お百度参りでも同じことです。言別けてこのことはお願いいたします、というその気持ち。
工夫してください、毎日の祈りの中で。神様に向かっていくひとつの姿勢として工夫してほしいところですね、これは。それはもう体得しかありませんからね、感触で。どういうふうに神様が受けるのか、感応ですから。頭じゃありませんから。これはもう体験する以外ないんです。
働きの神様は「言別け」で動かれる!
まあ特にこの中で言えますことは、言別けて申さくっていうかたちの話しましたけど、もうひとつ、これは今全体的にはあれなんですけど、働きの神様。
同じく神霊と一つになる法則ですけども、神霊にも種類があります。いろんな神霊がありますけども、一般的にいいまして働きの神様。
働きの神様っていいますと、の神様がいまして、宇宙とか天界とか日本の国家とかね。
三陸沖がどうのこうのとか、とにかく日本の国家とかという場合には、まさに至誠天に通ずで、大いなる祈りごとして、言別けて申さくっていう場合で、そういう大きな神様だけど、この一件だけをお願いいたしますというかたちで改めるんですけど。
要するにあの、音楽のあれです、サビですね、サビ。ピッとこう、長調から短調に変わっていくっていう。
要するに働きの神様ということは、現実界に直接動かれる神様であればあるほど、この言別けて申さくというものが必要になってくる。人間に近いですから、言別けて申さくと。
で、もうひとつの、この言別けての説明ですけど、同じ神霊でも働きの神様、次元が現実界に近い。
権現、なんとか権現、蔵王権現にしましても熊野権現にしましても、権現てのは、権というのは権禰宜さんとか、禰宜でも権禰宜さんてあります。
権というのは「仮の」とか。禰宜さんでも仮の禰宜という意味です。権現ていうのは仮に現われた神様。熊野権現とか富士権現。富士の神様が仮に現実に近いかたちで現れたという。
仮に現れたと書きます、富士権現、熊野権現。権現という、権現の起こりは熊野権現からですから、秋葉権現とか、いろいろ権現ありますね。仮に現実界に現われたっていう。
それから菩薩さんとかね、不動明王さんとか、蔵王権現さんとかね。荒神さんとか。とにかく働きの神様で、現実的にビシッと働く神様であればあるほど、この「言別けて申さく」という具体的に申しあげるということ。
具体的にこれとこれとこれで、明日は何時何分ございますのでこれ・・・、特に、守護神、守護霊でいいますと守護霊さんです。
守護霊となりますと、もう四次元界でございますしご先祖さんだから、霊だから四次元の、直接、人間様だった人。
ご先祖だから、十四代か何代か前。人間の言葉も通じますし。神様も働きの神様、産土の神様。正神界でいいますと産土の神様。背後の霊でいいますと守護霊様。守護神よりも守護霊様。それから権現様。とにかく働きの神様。
現実界に直接働く神様であればあるほど人間に近いですから、ピシッと言別けて申しあげたらハッキリ出ていらっしゃる。
そのかわり、逆また真なりで。ピシッとやったときにはパシッと動かれるけども、ビシッとしなかったらあんまり動いてくれないわけ。
まあ稲荷の場合は、現実界直に動いてくれますけれど、ピシッとしなかったらタタリをする(笑)、これね。権現様とか守護霊様、たたりはしません。
ただし戒めたりね、警告はします。だから直接的に動かれるから、全然真心とか「言別けて申さく」とかいう気持ちでしないときには、ハッキリ動く逆ですから、ハッキリ動かないから全然結果が出てこなくなるから。
だから西谷さんも、産土大神ビタミンE説という、僕は。ビタミンというのはまああの、疲れたときにビタミン飲みますね。
しばらく飲まなかったら急にガクッとくるから、またビタミンは毎日つづけてね、とにかくあの、栄養補給剤として二万か三万か。
一ヵ月で一万五千円ですか。ビタミンというものを飲みつづけて、飲まなかったらダメになる。まあちょっと産土の神様、あったきとなかったときと見ますと、ずいぶん差がはっきり出ますから。常にその気持ちを持たないと、そのお蔭というものを維持できないわけです、逆に言いますと。
働きの神様の問題点はそこなんですよ。だから、ピシッと言別けて申しあげたら、一旦お祭りしたらご無礼がないように、ピシッとしなきゃいけない。
稲荷とか動物霊はたたりをしますけども、働きの神様っていうものはそうです。産土の神様にしましても守護霊さんにしましても、動いてもらうときとハッキリ動かないときってのは、ハッキリ出ますからね。
だからそこ、パッと気持ちを入れ替えて、「あ、言別けて申さく」という、威儀を正してピシッと申しあげるというものを戻せばまたもとに戻ってくる。ビタミンEが切れて、あ、ビタミン飲まなかったらいけないなっていうんでビタミン飲みつづけると、また元気になる。
ビタミンのお蔭で元気になってるのにね、おれは元気だと思ってビタミンやめちゃうと、何日かしたら動けなくなっちゃうから。だからビタミン飲むのも考えものですねっていうのはそうですよね。
しかしまあ私は、力のないのと運気の・・・、だからもともとすごい運気のある健康体の人、ものすごくビタミンも関係なくものすごく元気な人は「そんなのなくても大丈夫」っていうふうに言いますけど、虚弱体質とか、小さいときに赤痢したとかね、小児喘息で苦しんだとか、体力が非常に弱い人とか、運気が非常によくないと。
ごく普通に生きてたら、もう病気はするし、周囲は失敗ばかりするしね、ろくなことがないと。運の弱い人。何やっても失敗すると。へますると。頭も全然浮かんでこないという、もともと頭のよろしくないお方。もう常にお力をいただかなければ、叡智をいただかきゃいけない。
だめならだめで徹底してだめだったらもう、おすがりしっぱなしの他力本願を主におきまして、他力から出てきたところの自力という。
他力経由の・・・、まあ十和田湖でも、三沢の方からきたり、こっちから、山の登り口がありますから。他力の方から自力を磨いていくというやり方したほうがうまくいく場合ありますけど。
逆に自力でやっている人は、自分がある程度できるという自負があるから、なかなか神様と徹しきることができないという。そのかわり努力というものは、他力本願のマイナス点はないんですけどね。で、神力がなかなか出ずらいという人います。
まあとにかくビタミンEと同じように、虚弱体質の人はビタミンがなきゃダメなんで、運が特に弱いとか、金運が特にないっていう場合は、金運をもたらす神様が必要だと思って、ビタミンEだと。
近視乱視の場合は、治そうと思っても治んない人はもう、眼鏡をかければいいと。コンタクトすればいいと。
一病息災でいくと。だから常に新たな気持ちで言別けて申さくという、一日一回ビタミン飲むように、一日一回必ず働きの神様に言別けて申さくというかたちで向かわなければ、お蔭というものが常にいただけるということにならないわけです。
守護霊さんもそう。まあ守護神さんは大きなかたちで、何かあったときにパッと来ますけど。基本的な内面的な基礎体力というものを、ご神業とか、今度は潜在する自分の能力がないと、こちら、言別けて申さくっていうのはね、働きの神様いいんですけども、そういうことがあるわけです。
だから私は、産土の神様、決して自分たちの力っていう、全部がもっている因縁の重みがありますから、産土の神様の助けによって、いつもぎりぎりのところで助けられて、コンスタントにできてるから。
もうビタミンEだと思って私は毎日祈ってる)。表現よくないから産土様に叱られるかもしれませんけど、たとえていうならばですよ。
お蔭で自分はできてると思うから、その感謝を忘れないんです。必然的にお祈りが長くなるという問題があるんですけども、まあ大したことないです。何分ですから。
忘れないということ、大事ですね。これは神霊と一つになる方法の言別けて申さくですけど、働きに近ければ近いほどこういうことあります。
大きなご神霊の動かれ方
この権現様とか守護霊とか、働きの神様動く法則はそうなんですけど、もっと働きの大きい場合、天照大御神様とか、天御中主とか、宇宙創造神とか。
こういうふうな方は別にお願いしてもしなくても・・・してもすぐに結果が出ないからわかんないんです。「聞いてはくれてるんだろうけども・・・なぁー…・・」という。
「まあ、とにかくやる以外にないや」と。大きなかたちで出てきますけど、目立ったお蔭というのはないわけです。だから天界から見てて、現実界の細かいことわかんないですよ、大いなる神様は。
産土さんに行きますとその日の午後からお蔭が出てきますけど、伊勢神宮にお参りしたら三月から半年ぐらいたってから大きく人生の波が変わっていくというんで、すぐに伊勢にお参りしたから熊野にお参りしたからっていうかたちで結果は出ないんです。
だから、遠くの立派な神様よりも、近くの産土様というものを大事にするというのが正神界の神様のお祭りするひとつの法則なんです。
中心に天照大御神様の輝きがあるから、働きの神様っていうのは十分に働けるわけです。光明、輝きですから。だから遠くの立派な神様よりも近くの産土様が、直接的にその人たちの生活とか、身の回りのことを聞いてくださるわけです。
だから私は、産土の神様、決して自分たちの力っていう、全部がもっている因縁の重みがありますから、産土の神様の助けによって、いつもぎりぎりのところで助けられて、コンスタントにできてるから。
もうビタミンEだと思って私は(毎日祈ってる)。表現よくないから産土様に叱られるかもしれませんけど、たとえていうならばですよ。
お蔭で自分はできてると思うから、その感謝を忘れないんです。必然的にお祈りが長くなるという問題があるんですけども、まあ大したことないです。
何分ですから。忘れないということ、大事ですね。これは神霊と一つになる方法の言別けて申さくですけど、働きに近ければ近いほどこういうことあります。
宇佐八幡に行きましても、近くの井草八幡さんに行くことによって、本当の直接的な動きというのが出てきましたよね、西谷さん。これはもう、この法則だから。必ず働きの神様、言別けて申さくっていうかたちで。
今度はもう、「言別けて」っていうかたちで全部聞いてくれますよ、誠があるんだったら。
まあそういう意味で、大きな神霊、天界とか宇宙界っていうものは、すぐにハッキリとしたかたちで出ないんですけど、全体的に大きなかたちで返りますから。
それでも、「言別けて申さく」というのは聞いてくれます。でも、働きの神様をとおして出てくるという経路をとりますから。
直接そのご神霊が来てやるというかたちは、よほどの場合です。日本国家がどうだとか、人生におけ大きな変化のときとかという以外には出てこないわけです。後ろでずっと見てるわけ。
そうですよね、会社でもいちいち社長が出て伝票処理なんかしませんから。やっぱり担当窓口の営業だったら営業部、経理だったら経理の担当窓口の人が、直接的には動いてくれます。担当官大事にしないと、なかなか商売、仕事くれない。
社長の許可があったらいいけど、いちいち社長ができないから、お願いしてても担当官に振り分けるでしょ。「あ、じゃあ経理の何々に言ってくれ」っていうかたちで。
だから天照様とか、天御中主とか、高級神霊、大きなご神霊にお願いしても、担当官に振っちゃうんですよね、受け取って。
ただし、社長のお墨付きがポンとありますから、担当官でも一生懸命やってくれる。社長だけに言ってたって、担当官に全然言わなかったらやっぱり動かないです。
だから通常おうちでは、天照大御神様をお祭りして、左の方に一の宮のね。そして、一番近くの産土様を右にお祭りしてるわけです。そうして神棚というのはできているわけです。
そうすると大きなことも身の周りのことも、両方やってくれる。担当官と社長の、経営者の許可を常にもらってやってるから仕事がうまくいくと。こういうかたちなんです。すべて働きなんですよね。
その法則というものがひとつの大きな原則でございますので、神様にお願いする場合も、神霊と一つになっていくっていう、第四番目の大事な基礎という働きの神様ってのは産土さんですけど、産土さんにもご眷属がありますからね。
産土さんに、井草八幡さんにいる龍神さんとか、井草八幡さんのお使いの天狗さんとか、正神界のね。ご眷属の方々ってのはもっとはっきりですよ。
だからこの愛とか何かより、するという力だけだから、悪い稲荷なんかだったら、ついてる念力でね。背後にいる眷属がついてるわけです。
ご神霊じゃないから、もう帰らなきゃだめだよと言わなければいつまでもたたりしてる。あるいはたたりと言うよりか、はっきり言ってあげなきゃわかんないわけです、眷属の場合は。
だから働きの次元がもっともっと近くなればなるほど、言葉数を多くしてやらなきゃいけない。宇宙創造の神様だったら、お願いしますという一言で全部わかってるわけです。
もうこっちの心の奥の奥の奥までわかっちゃってるから。植松先生なんかは、大きな神霊でいちいちお願いなんかしないです。もう常に一体となってるわけです、宇宙の神霊と。
神と。だから僕みたいにお祈りをブツブツブツブツ、「言別けて」なんて言わなくっても、一体となってるでしょ。
全部の働きの、そのかわり僕がそれがあるから働きでバタバタバタバタ、何時間もお願いして、働きに千変万化でやれるんで。
(植松先生の場合は)仕事はこうしたらいいなんていうことはもう、全然、任しちゃってるわけ、働きに。一体となってます。だから別に神様をといったって、もう非常に近い感じで、「言別けて申す」なんていう、「謹んで来る」なんていうふうなことでなくって、もっと大きな中に包まれてるっていう感じでいらっしゃいます。
接霊して、神霊と一つになるっていう方法っていうテーマですけど、神霊の種類が違うんです。働きの次元が違うんです。これがわかんないと。ワンパターンじゃだめなんですよね。それを使い分けできないと。
どちらかといいますと、女性は高級神霊の宇宙神というのか、家全体をワーッと包むという、そういう神様と一体に…。
男性は働きですからね。ピシッとしたかたちでご神霊、働きの神様と常にともにしないと、全然、雰囲気はいいけども何もできないという(笑)。「彼は気はいいけどもね、何もできない」と。
だからその男性も、社長になるとか会長になるとか、働きを全部下にまかせる場合には、それなりの次元の神様と一体とならないとだめなんです。なんでもかんでもよく働く社長ってのはだめでしょ。下が動かなくなっちゃうから。
そういうふうに次元によって神様が違う。神霊の基本法則を言いましたけど、これは今言ったようなかたちで、女性、男性、男性もおかれている地位と場所によりまして、工夫しなきゃいけないと。まあこういうことです。
ということで、本日の講議は終わりにいたします。(拍手)
★神社の神様にご祈願する方法について、さらにくわしく知りたい方は、深見先生の名著『神社で奇跡の開運』をご参照ください。
★また、神を動かす祈りの秘伝について、よりくわしく知りたい方は、神法悟得会「入門篇」、富士箱根神法悟得会「初級篇」または伊勢神法悟得会「初級篇」をぜひお受けください。
