素の神様とは
次元界のお話、さらに続けますと、皆様、何々菩薩、観世音菩薩様とかって言いますよね。菩薩というものが、この四次元におきまして、この悟った境地なんです。その菩薩、菩薩が(上に)行きますと如来の位になる。何々如来。
えー、如来から上がこの神様の世界になるわけです。如来の位に立てば自由に、いかなる形にも方便をたれることができるというのが法華経に出ておりますけれども、このようにその菩薩、如来、神様という、こういう形でひとつの同じ神様でも化身する。
えー、素の神様の系統を、お話をしているんですけど、皆様、観世音菩薩様、観世音菩薩様ってよく言いますよね、観音様、観音様って言いますよね。
ところが観音様も次元界によりまして、ずいぶんお名前が違う。これを日本の神霊界とヨーロッパのと簡単に比較しますと….。
いわゆる仏教で、いわゆる観音様っていうのは、通常は観世音菩薩さんなんです。ですからこれは、四次元界に観世音菩薩さんという形があらわれまして、法華経普門品第二十五番に出ておりまする観世音菩薩さんはいろいろ化身しまして、現実界の人たちにあらわれている。
現実界、現実にこの観音様は、あの、いらっしゃるんですけども、観世音菩薩という形で四次元界でお働き。阿弥陀如来様の脇士にいらっしゃって、勢至菩薩、観世音菩薩という形で。
本当は、その観音様というのは、最初申しましたように、素の神様直系なんですね。まあ、素の神様といいますのは、最初チョンがありまして、宇宙ができましたときに「・」(チョン)が出るわけですね。宇宙はどうしてできたかといいますと、チョンが出たわけです。
点といいますのは、別に質量も絶対量、質量もございませんし、面積も体積もございません。点という概念ですから、あるようなないようなもんなんですね。
この点がつながりまして線になっていくんですけど、とにかく点だと。同じ点は点でもですね、この物質空間というんじゃなくて、この霊界の、次元界のいろんな次元のもとの点だと。これが無極と言いましたね。
無極の何もないところから、これは要するに絶対極です。無極の絶対次元から最初に「・」が出るわけです、点が。これは質量も物質量も次元界も何もないんですよ。
そこから「○」(丸)が出てきまして。点だと線じゃなくて丸が出てくるんです。これを我々は「・」(点)のときに素の神と。
ですから、植松先生がチョンの神様とか、素の神様というのは、この「・」(チョン)の神様のことですね、言っておりまして、もし漢字で当てはめるんだったら、この「素」の神と。
ここに味を入れたいんですけど、味の素の神になりますので(笑)、「味の素」の素の神だと。もう主というのは、エホバの神とかヤーヴェは、「主と精霊の御名においてアーメン」なんて言いますけど、これは主ということなんですけども、もっと詳しく、チョンから○が出てになるのを漢字一文字で表現すると「素」であります。
この「素」は「主」に「糸」が垂れた合体字であります。それから、がお母さんの腹の中の人間の子供の始まりのや、北極星の主宰神となる時のは、至聖先天老祖と考えていいわけです。例えばまこの老祖さん。点からこういうふうに老祖っていう形で、丸になります。添胞の形であり、白い卵形をした炁の根源の炁胞になるわけです。生命力とか、炁の根源ですね。それから、その第何次元、何次元という、色が出たり、波動が出たりっていう、波動とか色とかそういうものがない世界です、まだ。波動が出てくる前の世界なんですけど。
ですから、無極からチョンが出てきて、これ、素の神様。通常、ですから、これをあわせまして、点から出てきた働きの最初に出てくる、で、丸にチョン(
)となります。ですから、丸チョン印、これをスと言うんですけれども、これからいろんな次元界が、素の神様の直系と申しますのは、こういうふうに降りてまいりまして、第六神界では正観音になるのです。
「正」しいという字は「一」で「止」まると。正しいという漢字を分解しますと、一で止まると書きますね。
正しいことというのはどういうことかというと、一厘の一と、一番大事な真髄とかポイントに止まっているのが正しいと。人間として正しい姿というのは、一番大事なそのことに止まっていると。
ですから、正しいというものは真髄に常に止まった状態。あるいは一で止まりますので、不動の、一つの一番大事なことでずっと止まっているから、不動の信念とか。正しいというのは「不動の」とか、「善」とか、「よい」とかという意味ですね。
真理の一番大事なところへ止まった状態でいるから正しいという。
これ、正観音様。富士山の頂上にいらっしゃいまして、ものすごい大きいです。富士山よりも大きいですから。ときどきここのご神前に、第六神界の正観音様あらわれますけど、こんなでっかい手ですね、ずぼっと。
大体この洋間全部が親指というか、掌といいますか。ときどき植松先生が、チンなんていって、たばこでやりますと、あっちっちっちっ何しょう観音という(笑)。
例えば、例えばですよ。ええ、そういう大きな手で出てくる。
五次元界では、この聖観音。神様と同じランクであらわれるんですね、第五神界。これは浅草の観音様これですよ。四万六千日ってございますけども、あの「ほおずき市」。
一度参りますと四万六千日行ったのと同じ功徳があると。私、一度参りましたけれども、富士山のその正観音様、神界のこの非常にスカーッと澄み切った大きな神霊がいらっしゃいます。
これは富士山から直接いらっしゃるんですね、あの四万六千日のあの「ほおずき市」は。だから四万六千回お参りしたのと同じだけの功徳がある日ですよというのは、確かにこのご神霊来ておられました。
浅草の観音様は、東京の中では一番やはりランク高いです。
それから、まあ、先ほど申しましたように、観世音菩薩というものは四次元界であると。ですから、直接そのご先祖さんなんかを救うのは、この観世音菩薩さんが救われるんです。
しかしまあ、こういう形で観世音菩薩、聖観音、正観音と言う。こういう形で、四次元、五次元、六次元と。これが、もう素の神様の直系の、そのまま素の神様が、宇宙創造神が、肉体を持ってあらわれたお姿がこれなんです。
だからM先生が、観音様、観音様とおっしゃるのは、まさにこれでございまして。仏教で言う四次元、仏教というのは心の世界ですから、仏教で言うところの観音様というのは、もう全部この観世音菩薩のことなんですね。
ここで出てくるのは、いろんな三種類の観音様、出てらっしゃいます。ときどき冬なんか、もう、そのお空に立った、お家の上にずーっとでっかいですよ、真っ白なお洋服・・・お洋服じゃない、観音衣装を召されて。
これは日本の神霊界、日本の神道で申しますと、これは木花開耶姫なんです、富士の神様。木花開耶姫様と申しますのは、ええ、木花開耶姫様、瓊瓊杵尊様の奥さんなんですけども、木花開耶姫命と。命ですね。
一度、肉体を持ってお出ましになったことがある方は、全部この「命」と、何々の命というのがつくんです。この尊いという字の「尊」は、人間として生まれてきたことのないご神霊の、形あるご神霊のことを尊と言うんです。
もっと言いますと、その何々大神と。例えば、伊邪那岐大神と伊邪那美大神というのは、宇宙とか自然界の働きとか現象とか、そういうご神霊のあれなんですけど、何々大神様と何々大神様の間に生まれたのは何々大神じゃなくて、何々の尊なんですよ。
これ、皆さん、基礎事項なんで、何々大神様と何々大神様との間で生まれたお子様は何々の尊と言うんです。その尊が人間に生まれかわりますと、この命になるわけです。通常、命と言う、生まれてきたときはこれなんですけど、こういう応化身という、応化身という神、ことがあります。
これはどういうことかといいますと、応じて化身した神。菅原道真公が典型的な応化身です。
通常、木花開耶姫命の系統の御魂を持って人間に生まれてきて、亡くなりますと、やはり四次元界の上のほうへ行くんです。
神霊界の五次元には行けないんですけれども、例外はあるんです。この応化身という場合が例外でございまして、どういうのかといいますと、天神様、天神様と言いますけども、天神様のフルネームは何かといいますと、天満大自在天神と言うんです。天満大自在天神。これがフルネームなんです。
雷ゴロゴロとか、いろんな何万人、六万何千というご眷属を従えておられるんですけど、この天満大自在天神という神霊界のフルネームをお持ちの方が菅原道真公っていう形で、人の姿でもって生まれていらっしゃったわけです。
僕は菅原だけど、ハッハッハッって。文太じゃないんですかという感じですね(笑)。
例えば、菅原道真公としてお生まれになってお亡くなりになったと。そうすると、本人も自覚しない場合が多いんですけども、肉体がなくなりましたらば、「僕はほんとうは天満大自在天神だったんだ」という、これが応化神なんです。
肉体を持ってるときは人間様のようなんですけども、肉体がなくなりますと元の神様にぱっと返られる。要するに、神様が人間となって生まれてこられた特殊ケースですね。
生きながらに神様のようなものです。大体あの、少なくとも天皇陛下とか天皇様というのは、これは全部、天照大神様の応化身だと。天皇の位につく人はね。天皇の位についたら、ばっと、僕は天照大御神という形です。まあ、御魂の系統がそうなんでしょう。
こういうことはあるんですけれども、えー、端的に言いますと、その、木花姫、あるいは木花開耶姫大神とかって言ってもいいです。
同じことです。木花開耶姫というのは、ぱっぱっぱっと、こうやって、まあ、富士山。富士山にいらっしゃるのはそうなんですけど、これは全部素の神様と同じ、同じ名前にしてます。
じゃあ、ヨーロッパのあのキリスト教とかユダヤ教はどうなんだと。アラーの神様なんかどうなんだ。といいますと、全部、エホバの神様といいますのは時の神ですね。ここも、エホバの神様、お出ましになったことありますけども…。
【植松先生】この木花開耶姫も時の神。
【深見先生】木花開耶姫も時の神なんですね。
【植松先生】観世音菩薩も時の神。
【深見先生】観世音菩薩も時の神なんですね。テープレコーダーみたいですけど(笑)。
【植松先生】一瞬にこう、ぱーっとね。
【深見先生】ぱっぱっと瞬間にね、三十三相にぱっと化身すると。ですから、エホバの神様も、ぱっとあらわれて、ぱっとこう。
ですから、チャンスなんていう言葉で出てますけどね。チャンスという神様は、おでこが、髪の毛がこれだけしかないんだと。
来たときにぱっとつかまないと、もうつるりと、あとはあんまり、問題があるのでそれ以上、こちらのほうを向いて説明しませんけども(笑)。
まあ、そういうのあるんで、ぱっと髪の毛をつかまないと、「わあ、あら、ないですね」なんて言うと、もうだめになっちゃうと。だから、チャンスというものは二度ないから、来たときにぱっとつかまないともうありませんよと。これチャンスの神。
なぜこの、じゃ、ヨーロッパ、キリスト教の人も、ユダヤ教の人たちも、ヨーロッパの人たちも、宇宙創造神と。全知全能の神エホバだと。
「全知全能の神、天にまします我らが主よ、願わくば御名の尊ばれんことを」なんて幼稚園でやってますけども、幼稚園でなくてもやってますけども、とにかく、天にまします我らの父よと、全知全能の神よと、概念では、概念では全知全能の神と言われますからこれかと思うんですけれども、ヨーロッパ人の中の感覚の全知全能の神といいますのは、人格でございまして、非常にヤーヴェの神様というのは裁きの神様ですね。
最初のあの、旧約聖書に出てくる最初の、アブラハムはですね、アブラハムは神様の言うことを聞いて、犠牲で我が息子をこれにやって殺そうと思ったときに、エホバの神様の使いが来て、アブラハムよと。
これはおまえの神試し、試しただけだから殺さなくていいよ。そこまでおまえが、自分の子供まで命を断つほどに神様に忠義であるんだ、それが見れればいいんだと。おまえを祝福して七代先にまで永遠に祈りと水を与えよう。
言うことを聞かなかったやつは、その末代までひどい目に遭わせてやると。非常に裁きの神様で、はっきりしてるんですね。
日本の神様ですと、「いやあ一時はそうでしたけど、済みませんでした」「まあ、いいだろう、改心すれば許してやろう」と。だから、日本人の感覚としまして、相手が悪いと言っているんだから、もうそれ以上責めるなと。
「十年間パニッシュメントで毎月一〇%の収入から税金のつもりでわしにこれを払え」なんて言うと、あいつは陰険なやろうだと。
日本人の感覚ではあるんですけど、ヨーロッパ人ではごく普通ですね、それは。パニッシュメントというのは、もう常識的に、それはもうヤーヴェの神様がそうだから、裁きの神ですね。
愛を説いたイエスの革新性
ユダヤ教といいますのは、お話は変わるんですけど、非常に律法が、律法が激しくて、要するにモーゼの十戒はあるんですけども、これをベースにしましてユダヤ教では現在六百十三の戒律があるんですよ。
ユダヤ教のラビというのは、一々、ラビットならかわいんですけど、ラビ、これを全部覚えているわけ、六百十三。もう、全部覚え切れません。「すいません、あの戒律どうでしたっけ、こういう場合は」と言ったら、しばらく待ちなさいという形で。
ラビの使命は、その六百十三種類の戒律に合っているかどうか。
安息日にはどんなことがあっても仕事をしちゃいけないと。今でもそうですよ、ユダヤ教は。安息日だといって、ああ何をするんだと。今でもイスラエル旅行しますと、何をするんだと。
靴なんか修理したらだめじゃない、きょうは安息日じゃないかって言うんですよね。靴を磨いてもだめだし、靴下を洗濯、何を、だめじゃないかと。私の家から出てきなさいと。安息日に靴下洗っているなんて。こういう、ユダヤ人の常識です。
安息日にはいかなることがあっても労働しちゃいけないっていうふうな戒律がありまして、非常に細かく分かれています。ラビ同士が、「君、戒律違反してるじゃないか、第何条に違反してるじゃないか」「そういうあなただって第何条に違反しているじゃありませんか」と。
お互いラビが、その十戒というんですか戒律をこう、あれは違っている、これは違っているとやり合っているというのがラビ。ラビの日常生活というか、趣味といいますか。
それだけ入り組んでおりまして、安息日にたとえ病気でも、子供が病気でもう命がないんですと、「すいません、安息日ですから、診療できません」と言って死んでいってたわけです。
イエス・キリストは、その戒律の、六百十三種類のある戒律をだめだと。愛があれば、安息日であっても、病気できょう死ぬという人は治せばいいじゃないかと。
戒律で安息日だからといったって、人を、人が命が求めたいというんだったらお話ししてもいいじゃないかと。
それがユダヤ教の人たちとパリサイ人の人たちと合わないところでして、イエスが迫害された第一のこれ。
何でそんな安息日にね、お話をしたとか、病気を治したからって、何ではりつけになるだけのもんなんだと我々は思うんですけども、当時のユダヤ教というのはそれだけ戒律という、安息日というものは、もう絶対のものだった。今日でもそうですから。イエスは、この戒律に対しまして愛、人間的な情愛とか愛というものから発しまして、高級な普遍的な愛、神の愛と。
こういうものを説いたわけですね。人間の戒律じゃないと。愛なんだと。愛から発した行為だったら、講義をしようと病気を治そうといいじゃないかと、神は愛なんだと。
このユダヤ教の戒律と律法と安息日、特に厳しい法律に対しまして、法律じゃなくって愛を持ってきたと。これがイエスの天才と言われるところなんですね。
宗教的なひらめきといいますか、おそらく仏教成立が紀元前五百年ですから、どっかで仏教の、お釈迦様の教えを勉強したんじゃないかと。アジアの文化がこのあたりも入ってましたから、じゃないかと思います。
まだこれは確証はありませんけども、イエスは外来の仏教的な思想を勉強して、ああ、これだというふうにしたんじゃないかと思います。
とにかく、その当時の人たちにとってみたら、非常に画期的な、信じられないような教えだったわけです、イエスの教えは。法律じゃない、法則じゃない、愛なんだと。愛があれば、そんな法則、それがほんとの神の姿なんだ。
ですから、エホバの神様というのは非常に厳しい、男神様のようなびりっとした面と、恋愛感情みたいな面ですね。そう、エホバの神様っていうと、恋し恋しいという女の子、まあ、男でもそうなんですけど、恋しいわーという思いがありますね、ビビビビッとするような。
まあ、別名、そういうのを秋波って言うんですけど。ああ、秋波だと。ピッと来るわ、そういう感情がと。二面性ありますね。ヤーヴェのこの二つの面があるわけです、戒律の面と愛の面と。だから裁きの神ですね、イスラエル。
それはいいんですけど。ですから、こういう人たちの観念の中には、宇宙創造神とか、全知全能というニュアンスはあるんですけど、その人たちの発想次元は「イエスかノーか」と。三十三相に化身してなんてことはありません。
厳しく、「これだっ」て。律法はこう。そうじゃなければ愛だと。いかなるときにも愛だと。イエスを信じて、神を信じてっていう、それだけの世界ですから、この人たちの、この世界の中の全知全能の神と思っているわけですね。
このヨーロッパ人の三次元的な心の世界の中で全知全能。ですから、人間の言葉をはっきりと話しますし、非常に現実界に出てくる重い、重だるいという表現はよくないですけど、四次元で出てくる観世音菩薩さんと同じような感覚で出てきます。
五次元界のあの軽やかな感じじゃありません。ですから、はっきりと法則を出したり、愛がっていう形で出てきます。
この五次元とか、まあ、ここも愛ですけども、六次元ぐらいになりますと、神様の愛といっても、非常にもう清涼としまして、富士山の頂上みたいな感じで、人間の情とか、情けとか、温度とかって感じるもんじゃないんです。
もっとこう澄み切った、非常に微妙な世界です。
神様といいましても、次元がおりてくると人間界に近いし、息が聞こえるとか、どくどくと血液の流れが感じるというふうな神様ですね。
四次元の、例えばエホバとかヤーヴェとか、ヨーロッパ、インドのほうは、みんなこういう世界です。非常に三次元世界に密着した形ですから。逆に言いますと、四次元というものは現実界即表裏ですから、ですから仏教関係とか、霊障とか、エホバとかヤーヴェというのは、現実界に即影響出てきます。
ですから、キリスト教で出てくるエクソシストなんていうのは、机がぶんぶん飛んだり、お茶碗か何か、スプーンがぴゅんぴゅん飛んだりするでしょう。
非常におどろおどろしくって、この、はっきりと形で出てきて、出てきますよ。ということは次元が現実界に近い、低いということですね。まあ、低い高いというよりも、近いと。四次元であると。それで四次元界というのは、そういうふうな形で出てくるわけです。
ですから、こちらも当初はこういう世界(五次元、六次元以上)を説いておりましたんですけど、最近はこちら(四次元)のほうもよく行くようなんで、霊障も現実界がよくならないですから、もう最初はこれ(五次元、六次元以上)ばかりやってたんですけど・・・、最近は、もうこの、これ(四次元)もやろうと。全部やろうと。
はっきりとこういう形で、ああ、違うなと。体が元気になるなとか、苦しくないのが、明るくなったなと。霊界のことをやりますと、近いですから、わかりいいわけです。
ですけども、ほんとうはこちらの世界(五次元、六次元以上)を知らないと、死後の世界というものが、このあたりだけで終わっちゃうわけでして、もっとこういう世界のすばらしさというものを知りますと、人間生活というか、人生といいますか、物の見方が、もっとこういう世界に拘泥しないで、もっとおおらかで、もっと芸術的で、もっとその文学的で、微妙で、繊細でっていう世界です。
感性のほんとうに高級な世界です。これはもう、冬のご神業になりますと、こういう六次元の正観音様も大きな手がぼこぼこ出てきますし、表現よくないですけど、たばこで焼いてもいいですけど。
波動ね、しんしんとやってくる天母様の波動。それから、もう天界から来るような老祖様の波動。
もう、このお家がわーっと気に包まれる、それが毎回違って、香りも違うし、まあ、香りが出る次元はまだね、五次元とか六次元、こういう形ですけど、もっと上の色の世界とか、そういうものが冬の天界から直接来るご神業になりますと、もうそれはもう、どんな世の中の楽しみよりも最高の楽しみだというふうになります。
それを皆、楽しみにしまして、冬のご神業というんで心待ちにしているんですけども。まあ、次元界というものがおりてまいりまして、これが素の神様。
観音様は三十三相に化身する
これ、阿弥陀如来さんのそばに勢至菩薩と観世音菩薩さんいらっしゃるんです、阿弥陀様。
これ、どうしてかと。(素の神様の化身で)一番偉いなら、観世音菩薩さんが上に来て、阿弥陀如来さんは下に来なきゃいけないじゃないかと思うんですけれども、これは皆さん、考えてほしいんです。
茶道の真髄はそうです。例えば、家元さんという形で、ほんとうに内面的にすばらしくて、境地のすばらしい方が常に、私は家元でございますという形で正面へ出てこないです。
一歩退きまして、ああ、若手のこれでございますけど、まあ、ひとつお引き立てくださいませと、まだ修養も足りませんけれども、まあ、一応、家元の跡を継いでおりますのでというんで、隠居しまして陰で見ている。
逆に、飯頭って形でお掃除したり、お掃除はしないかもしれませんけど、受付をしたり……。
創設者ではありましても、一番偉い方なんですけども、まあ、水戸のご老公のような形で、会長さんはあんまり出てこないで、総務に行って一緒にお手伝いしたり、いかがでございますかってお茶、何かあったときには、一応、社長を立てましてやるわけです。
いわば天照、日本の神霊界もそうです。木花開耶姫さんてメインじゃありません。天照大神様が高天原をぱしっとしておられるんですけども、仏教でも大日如来様が四次元の姿ですからいらっしゃるんですけども、それは代表取締役高天原株式会社と・・・・・・の中心ですね。
会長さんは、もう陰で隠れまして、横でついてお手伝いしてると。もう監査役になってるわけです。
ですから、最も高級神だからこそ、そういうふうに代表でなくっても、陰に隠れていろいろなことをやるわけです。
素の神様というのは、最も高級神霊ですから、ほんとうに高級な教養と、魂のあれが、次元界ありますとへりくだることができると。
自分、自分というふうに前に出なくっても、陰で三十三相に化身して、浅草みたいなとこにぽこっと出てきまして、こんな小ちゃいんですけども、まあ、どんなおばあちゃんでも、おじいちゃんでも化身しまして、三十三相に。
素の神様だから、あるいは天大将軍の身を以て衆生済度せんとするときは天大将軍、将軍様で、戦のときには将軍だって。
小さい子供を救うには、「僕、ね、元気」っていう形で、子供に出て。商売人が苦しんでたときには、「僕は、これからのあなたの財務分析するとこれが足りないと思う。これからの商売はこれですよ。水商売ですよ」っていう形で、商売人が苦しんだら観音様は商売人になって出てくると。
三十三相、いかなる姿にも、その人に合う形で化身して救うんだと。なぜ救うかっていうと、すべてこれは大慈大悲。大きな大愛があるからこそ変化なさるんですけど、大きな愛をもって変化なさる。
だから最高神で、愛が大きいから何種類にも化身できるわけでして、どんな神様にもなれるわけでして。創造主ですから、どんな神にもなれるわけです、観音様は。
だけども「おれは、創造神だ」という顔しません。お父様でありますし、創造神ですけども、天照大神様とか、大日如来様とか、阿弥陀如来様を立てまして、その背後に立って手柄を立てさせてあげると。
これが、観世音菩薩さんがなぜ、素の神様の直接のお姿、素の神様の直接の化身なんですけど、中心にいないでサイドにいるかと。これはヨーロッパ人の発想ではちょっとできないとこですね。インド人の発想のちょっとできないとこですね。
中国人の発想でもできないとこです。日本人の発想ならわかるわけです。それは日本の神霊界の奥にいらっしゃる方だから。
だから素という、そういう発想ができると。日本の神霊界が奥深くって、神霊界としては一番次元が高いっていうのはそういう意味なんです。次元が高いって、はっきりと現実界にあらわれるという意味じゃないですよ。
内容とか、厚みとか、境地のレベルにおきまして一番深い世界があると。これだから最高だと次元界におきましてはそうなんです。これが、まあ、観世音菩薩さんがそばにいらっしゃるという意味ですね。
おわかりいただけたと思んですけど。ですから我々としましては、三次元の我々はですね、最高を目指そうと思ったら、この観世音菩薩さんのような形で、どのようなことにもできると。
会社の社長さんといいますと、経理も、販売も、労務も、税金対策、資金調達、全部できまして、そして自分自身は何でもできるんだけど、一応は人様に譲りまして、オールラウンドな要素がなければできないです。
まあ、ですから、人間界の最高というのは、どんなことでも、要するにポイントを押さえて自在の働きができるというのがあれなんです。
これに目指して再生、転生を繰り返しながら御魂を修業しているわけです。今世は音楽家、その次は武術家、その次は商売人、その次は文筆家と。
いろいろと再生、転生繰り返しまして、これを御魂が観音様に近づいていくような形で、どんな諸賢諸菩薩も一生懸命修業しているわけです。
まあ、そういうことでございまして、これが本日の初級講座の六十分一本勝負の中で一本が終わりそうなんですけど。
次元界というお話でした。(拍手)
