深見東州の土曜神業録2(Vol.6)

じゃあ大正十何年に何があったかと言いますと、ここで中国に、道院紅卍字会という会ができたわけです。あるとき、出口王仁三郎は、こういう神様が来るんだと筆で書きまして、それは「太乙老人」と。北極の神様が出てくるんだと。みんな、こんな神様が来るんだ、来るんだと。

中国には千仏山という山がありまして、仙人のいる山として有名だった。日本では巫女さんが御神示を受けてやるんですけど、中国の場合には、この千仏山で昔からやられてる扶拈の法というのがあるんですよ。

例えば、AとBという人たちがこういうふうな棒を持ちまして、ここに筆をつけてね、こう砂がございまして、砂の上に字を書くんですね、こうやって。自然にもう字が書けて、それを読むんです。

何とか、何とか、何とかって漢字が出てきますから、読んでいく。そうやってやったわけです。こういうものを取り入れているのが、天道総天壇てんどうそうてんだん。この扶拈ふうちというのは、昔からあったわけです。

それであるとき、山東省の貧しい民家で、「私の赤ちゃんが泣いてるんですけど」と相談を持ちかけられると、扶拈で「あ、それはカンの虫だ」と答える。

「ほうれん草をたくさん食べれば元気になるよ」と。「私、真珠をなくしたんですけども」「それはおトイレの奥に入ってるよ」と。「私は夫婦仲良くなりたい」「あなたの奥さんがいつもいやみを言うからで、辛抱さえすれば仲は良くなるよ」とかね。

そういう、人間社会に一番密着した教えができたわけです。

それは尚真人という人なんですけど、あるとき扶拈していると、ある人に「いろいろいいことを教えて頂いてるんですけど、我々としましても、この宇宙を作った最高の神様に会いたいんですけども」と聞かれた。

宇宙を作った最高の神様はどんな神様でしょうかっていうんで、尚真人しょうしんじんは聞かれたわけですよ。

尚真人は悩みまして、「うーん、それは私ではちょっと責任が重い」というんで、南極老人という人に相談しますと「それ(宇宙を作った最高の神様)は北極老人というんですけども、あなたたちがそういう真心で、宇宙の本当の教えを知りたいと言うんだったら教えましょう」ということで、この南極老人の仲介で、北極老人が出てきたわけです。それが至聖先天老祖と言いまして。

これが、さっき言いましたところの、大きなミロクの世の仕組みの中で、明治以来、霊的にはこういうふうに神様の系譜が、天意の転換として来てるとい説明です。

至聖先天老祖という名前で出て来た。神様に元は名前はないんだと、このチョンの名前はないと。名前もなく、形もなく、色もなく、匂いもないんだと。しかしそれじゃあわかんないだろうから、仮に名前を付けましょうと。

北極老人がそういうふうに言ったわけですよ。

それは「至聖」聖至るところの、「先天」生まれる前のわかんないような、先天の「老祖」。老というものは中国で言いますと、尊いと。非常に尊いというのは「老」というんですよね。「我的老師ウオーダラオシー」っていうのは、私の先生だということですよね。

老というものは非常に尊いと。ですから、中国ではおじいさんを尊ぶんですね、老人を。その祖なんだと。聖至るところの先天の、尊いものの親なんだと。

その老祖さんが大正何年かに、今言ったような扶拈で、この世の中はこういうふうになって行きますよと出てきたわけですね。

ですから如来教、天理、金光、黒住、大本教、いろいろと宗門宗派に別れましたけども、正統を継いで、最後は道院におきまして、この至聖先天老祖が、扶拈によりまして、宇宙の真髄、北極真経というものを説きまして。

天道総天壇はこれを真似してると思いますね。それから、五井昌久さんもこの道院の中に入りまして・・・。

老子の教えというものは今あるんだけれども、後世の人たちがアレンジしちゃって、本当の老子の教えが伝わってないからっていうんで、老子の神霊が直接来まして、老子を解説しております。

それはパッとさわってみても、神気縹としまして、まさに、霊的には正統を汲んでるわけですね。

ですから、宇宙がこういうふうにあって、陰陽未発というもので、老祖様の次元はチョンではなくて、こういう炁胞に書かれてるわけです。「炁」というものはこういう字を書くんです。

これは神仙道にある教えですけども。至聖先天老祖とは何かと言ったら、名前もなく形もないんだけども、こういう炁胞でできてるんだと。これに形が出てきて、変わってきて、人間の後天的な、「神気」とか「気」ってありますね。これらはもう後天的なもんだと。形ができる前の先天の気というのはこれなんだと。炁胞。

神とは何かと言えば、神とは気の用なりというふうに言ってますね、気の働きだと。これが、いわゆるその、神々しいという、神霊の働きのことを言うんですけども。

老祖さんがその先天の炁胞という教えを出しまして、要するに人間の精気神三宝せいきしんさんぽうと言ってるんですね。天道総天壇でいうところの三宝と随分違うんですけども、後天の三宝とは精・気・神だと。

これが、後天の三宝なんだと。

人間の精力は、お金があるかどうかでイライライライラしたり、あんまり女性関係があれですと、精力なくなっちゃって、気力がなくなって、神気がなくなっちゃう。早死にする。その精を蓄えまして・・・。

イライライライラお金のことだのストレスがありますと、これ、精力なくなるんですね。それで気力がなくなっちゃって、しんを損ねると。

だから、深刻になるっていうのは、神(深)を剋(刻)すんですよ、ほんとに。深刻っていうのはもう。その精・気・神、人間の生命力というものは、先天の炁胞によって充実されていくんだと。その老祖様の教えというのがありまして。

そして、人間の後天的なもの、後天的な見たり聞いたりするもの、それは何の喩えかと言いますと、さっきちょっと言いかけましたけど、卵子と精子がこういうふうにチョンがありまして、それから陰と陽が別れると()。老祖様は、扶拈でこういうふうに出すんですね。

人間は、細胞でいえば卵子が宿って陰陽分かれたとき、そこから細胞分裂が始まりまして…。赤ちゃんがおなかの中にいるとき、水気があるでしょ、羊水の中にいるでしょ。人間も天水によって生まれてきたんだと。

ですから例えていうならば、オギャーと生まれたときは、キリスト教で言えばエデンの園なんですけども。老祖さんの教えってのは、おなかの中にいる状態ですね。

ですから赤ちゃんが生まれますと、頭のてっぺんがペコペコしてますね。赤ちゃんは何故おなかの中でも生きてるのか、呼吸もしないのに。そういう先天の霊をここでペコペコペコペコ受けてるからですよ。

その炁胞に包まれていますから、だから赤ちゃんてのはウワーッてかわいいでしょ。生命力の根源で、理屈なくしてもうかわいーっていう存在でしょ。無邪気にアーッとしてて。

そして、知恵が出てきますと、徐々に徐々にそれが衰えてきまして、若さがなくなっていくと。ですから先天の霊を受けますと、人間がおなかの中にい先天の炁胞を受けている、そういう状態になるんで、若々しくなるんだという、生命の本質を説いてるわけですよ。

こういうふうなものを、五井昌久さんとか、あるいは笹目さんとか、今の新興宗教の勉強した人は・・・、してない人いますけれども、こういうものを受けて、それぞれなりにアレンジしていると。

そういう大きな、ミロクの世の大きな仕組の中で、天意の転換という中で、天理、金光、黒住、大本教。それから道院が出てきまして…。

ところが、こういう形でやってる人は、さん方というんですけど、一生妻帯しないで独身でいなきゃいけないと。それでやる人がいなくなりまして、本質的にはそういう不思議なもんじゃなくって、日本は日本で合う形でやんなきゃいけないということで…。

こちらの老祖様の方と、さっき言いましたように、真光文明教団とかいろんな形で、神様があっちこっちに出しているんですけども、この老祖様の元の太古のもっと最初に、日本神道。

本当は老祖様は日本に降りようとなさったんです。けれども、さっき言いましたように、日本は戦争してました。大正時代は混乱しまして、まだ封建的社会でしたから、黒龍が・・・。

ですから出口王仁三郎にしましても、大体その当時の霊能者ってのは、龍神が神がかりますんで、すぐに病気を治すんですね。予言能力とか、それからパワーがありますから。その当時は龍神時代でした。

ですから、権力争い、闘争、そういう社会でしたから、封建時代というものは。

ですけども、本当の神様はそうじゃない。太古のエデンの園であったときのような、穏やかな、拘束もなく、赤ちゃんのときのような・・・。太古の一番のやり方というものに元に戻していこうというんで、今度は。

ここでは名前もなく形もないんですけども、たとえて言うならばチョンだと。ですから植松先生はチョンの神様とか、の神様と。チョンていうんですよ。

チョンの概念というのは、今言ったような点ですよ。この点は全てのものを全部含んでるわけですね。森羅万象を作った創造の神様であるし、どの神様って、チョンだと。

チョンとやったら、八百萬の働きを止めがねしている働きだと。働かない働きだけども、全ての働きなんだと。点は全てにあると。最初の話に戻るんですけど。

それで、元素。たとえて言うならば、どんな名前でもいいんですよ。よく中国流で出てきましたんで、日本流で言えば、たとえて言うならば・・・。

(板書「御親元素大御神」)

まあ、天照大御神様のことを御親の神様とよく書いてありますけど、これと同じですね、聖至るのではなくて、親神様なんだと。親神様だというのは、天理教でも言います。天照大御神様のことを御親の神とも言います。

御親の、元の、素の、そのもっと元素の元の大御神さんなんです。たとえて言うならば。それで御親元素大御神様と。もし名前を言うんだったらそういうふうに言おうと。その系譜を引いております。

何をここ(の神の斎庭)でするかと言いますと、まあ老祖さんの場合にはこういう形で、炁胞で、こういう次元になるわけですけども、ここで言うのは、一言で言うと御魂。御魂の世界です。

御魂というものがありまして、たとえば御魂とは何かと。御魂というと、いろんなことが言えるんですけど、その人の持っている、例えば感性。感性であると同時にその肉体も霊体も、エネルギーも、魂というものを全部総合した、御親の元の素って。

その人のありのままの本質。本質と出てるもの全てと。これについては、植松先生からお話があると思うんですけど、前世から今世へ人間が生まれてくる、前の前の前の前の、要するに聖至るところの先天の尊い元の元ですから。

つまりは、道院では炁胞と言ったんですけども、御魂の、前世からずーっと太古に生まれてきて、人類という形に出てくる前の前に戻ってきますんで、この御魂というものを戻すと。

もっと別な形で言いますと、これは芸術的な感性。宗教とか、学問とか、科学とかっていう前の世界ですね、いわば。御魂から、例えばその神様の世界を求めていこうと思ったり、美の世界ですと音楽、芸術ですとか、学問だと。

御魂の世界っていうのは別に、宗門宗派は関係ないんですよ。ですから、時代が徐々に進んできまして、ホットな形で神様も出されてるんでしょうけども、御魂の世界は、音楽、芸術、感性ですね。

四次元の霊だとか、死んだ亡霊だとか、金縛りもありますけど、それは四次元の世界です。四次元といいますと、簡単に言いますと……。

三次元というものはこの物質世界ですね。時間、空間のある世界。四次元というものは、例えば、「ああ、今、黒澤明監督の『乱』をやってるなあ、うーん、僕も落馬したときああだったな・・・」と、目をつぶりますと、目の中の世界は大分県のあの撮影現場となり、時間空間を超越してますね。

ああ、落馬したとき、痛かったなあ、今、痛いよーっていう瞬間が、過去が甦ってきます。

だから、過去は甦るし、「将来はこうじゃなかろうかなあ」と、イメージの世界では未来が出てくるわけでして。人間の心の世界ってものは、距離を超越してますし、時間も超越してるわけです。

♪谷川を飛び越えて鬼ヤンマ追いかけたあの頃に帰りたい(笑)。イメージの心の世界では、子供の頃のトンボ取りの場所と時間が甦るわけですね。四次元世界というのはそうです。

しかも全部それは、三次元の現実界、現実のこの世界に基づいた世界です。心の世界ってものは、見たり、聞いたり、味わったり、感じたりした世界の奥の面ですね。肉体の奥にある世界、これは四次元です。

ですから、「クソー、残念だー」と思って亡くなると、念が残ってますから残念だという。

以前に霊障で出てきました。それは平家の落ち武者で、川を渡っていて、逃げなきゃと思いながら溺れ死んだ人は、「渡んなきゃー」と思いながら七百年間泳いでいるんですよ。七百年間。

泳がなきゃという想念のままで死んでますから、泳いでいるつもりで七百年いるんですよ。「もうあなた死んでんですよ。川岸を渡ったってあなた・・・」、と声をかけたいところですが、平家の落ち武者で、そのまま死んだのが残ってんですよ。

クソーと恨んでたら、そのまんまが残ってんですよ。地縛霊って言うんですね。他にも、死んだことを自覚しなくて、フラフラフラフラしてるのを浮遊霊って言うんですよ。

「俺は死んだはずなのに何やってんだろうな、おかしいなー。何やってんだろう」てんで、フラフラフラフラしてんのを浮遊霊って言うんですよね。

まあそういうんで、四次元というものは、全て三次元の現実界の、いわば表裏なんですよね。仏教というものは、この四次元の教え、心の教えです。

だから、心ってコロコロコロコロ変わりますから、「仏の教えはらっきょにさも似たり、むけどもむけども実はあらず」と言います。「例えば、例えば」で、もう心なんてコロコロ変わりますよね。

どこまで追っかけても果てしないから、仏教は流行るんですよね。どこまででもネタが尽きないから、流行る。三次元の道と言ってますのは、儒教です。人倫の道。「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」と。

「怪力乱神を語らず」と。四次元のような不思議なものは、孔子さんは言わなかった。あくまで人の道、人倫の道にいかに生くべきかということを、孔子さんは説いてるわけです。

そして、その五次元の世界というものは、結局神の世界でして、これは顕現神で、天照大御神様とか大国主さんとか、あの宇佐八幡さんとか、例えば氷川様とか、それから熱田神宮さんとか、こういう古代のお姿をとって、形を持った顕現神。ゼウスの神様なんてこういうふうに出てきます。

毘沙門天さんなん四次元ですけど、日本の御神霊、大国主命様という形を持った神様ですね、

これはもう五次元神界というわけです。日本の歴史を見まして、これをうまく使い分けたのが聖徳太子さんです。聖徳太子さんというのは、こういうお姿。手に持っているのは神道の笏でして、お祭りの順序が書いてあるんです。

第一番目に祝詞上げて、後に笛が鳴って、三番目に玉串上げて・・・ということで、全部書いてあるんですよ。厳かに見ながら、要するにカンニングしてるんですね、神道の。

衣装は儒教の衣装ですよ。聖徳太子の衣装は、儒家が着る衣装ですよ。説いてることは何かといえば、仏さんを説いてるんですね。神・儒・仏を使い分けている。