神仙界に行く三つの方法(Vol.2)

【第一章】第一章「神仙界への道」を開くには?

第六神界から降臨された萬美大神

衛星放送をご覧の皆さん、そして現地の皆さんに、「どうしたら神仙界へ行けるのか」というテーマで今日は少し話してみたいと思います。神仙界への行き方・・・・・・いうなれば「霊能秘儀ウルトラ篇」といった感じですけれど、これについてちょっと講義することにいたします。

神仙界の行き方にはいろいろとありますが、大きくいえば三つの方法があります。その三つの方法について、私自身の体験を踏まえながら解説しましょう。

私が最初に神仙界に行ったのは、二十五歳のときでした。

その日、道院紅卍字会の根本先生という方がいらっしゃって、私の師匠である植松愛子先生と神様について語り合っていました。根本先生は神霊世界のことをものすごく勉強されていて、いうなれば知識の塊のような方です。

一方の植松先生は、知識に基づいて語るというより、何ものにもとらわれずに、「こうなのよ」と言って、天界から受ける波動をそのまま伝えられる方です。

そのため、おふたりの話はなかなか噛み合わず、次第にエスカレートして、ついには侃々諤々の激しい議論になってしまいました。

根本先生も植松先生も私にとって大切な先生です。そのおふたかたの激しい論争の板挟みになってしまった私は、ただただうろたえるばかりです。

皆さん、板挟みになったらどうなりますか。

たとえば、トコロテンが右の板と左の板にギュッと挟まれたらどうなります?

押されるままにもう、ツルンと上に行くしかないですよね。そのトコロテンと同じような状況に置かれた私は「ああ、いったいどうすればいいんだろう。神様、何とかしてくれー!」絶叫するしかありませんでした。

魂からの絶叫というか、もう悲鳴です。そして、いまでも思い出しますけれど、いたたまれなくなった私はトイレに飛び込んで、必死にお祈りをしたのです。

そうしましたら、天界の音楽というのか、妙なる響きが上から聞こえてきたかと思うやいなや、ふわーっとした優しい気と素晴らしい波動に包まれたのです。この気はいったい何だろうと、不思議に思って尋ねると、萬美大神よろずうつくしのおおかみであるとおっしゃる。

私はすぐにトイレから出ると、植松先生と根本先生に報告いたしました。「いま、おトイレで神様にお祈りしていたら、萬美大神という神様が降りてこられたんですよ。萬美大神って何の神様でしょうか」

すると、その場に同席されていた植松先生のお兄さんが、「萬美大神?似たような名前の御神名が、たしか竹内文献にあったぞ」と、奥の部屋から解説書みたいな分厚い竹内文献たけのうちぶんけんを持ってきて、その箇所を開いてくださって言いました。

「ほら、ここに書いてある」

たしかにそこには、国萬創主神くによろずつくりぬしのかみという神様の妻神として国創美神様くによろずつくりみのかみという御神名がありました。

「これだよ、きっと」

国萬創美神と萬美大神様。「国」と「創」が抜けているものの、たしかによく似ている。けれども、上から降りてきて私を包んでくださった萬美大神様が、竹内文献にある国萬美神様であるとは断定できません。

果たしてどうなんだろうかと思っているとき、植松先生がぽつりとおっしゃった。

「その神様は第六神界の神様よ。あなたに第六神界の神様が降りてこられたのよ。あなたにとって初めてのことよね」

二十五歳のときですから、もう三十年ぐらい前の話ですけれど、第六神界から初めて降りてこられた萬美大神というのは、国常立大神の妻神の第六神界に上がられたお名前です。

第六神界に上がった国常立大神のお名前が萬創主大神で、その神は萬美大神と申します。萬美しいものをつくっていくという意味です。

萬創主大神は、美しいものとはかぎらず、あらゆるものをつくっていかれる神様ですけれど、その神様が国常立大神。その妻神の豊雲大神が第六神界に上がったときのお名前が、萬美大神。本当にかすかな、清らかな、繊細な気と波動をお持ちになる神様でした。

神様が降りてくるときとか、神様が慈しんでこられるときというのは、自分の御魂が神仙界に、神の世界に飛んでいっているわけでしょう。

それからです。第六神界の神様が降りてこられるようになったのは。

神業に明け暮れた初期の十年間

それからの十年間は、ご神業とお弟子の教育、そして仕事以外何もありません。これといった楽しみもなければ、趣味もありませんでした。スポーツも一切やりませんでした。

私はもともと、まったくの文科系の人間ですから、子どものころからスポーツはやらず、せいぜい大学四年のときに、早朝ランニングとボディービルで筋力を鍛え程度です。

いまはゴルフとスキーをやっていますが、それは三十七歳のときに突如として「スポーツをやりなさい」という御神示が降りたのを機に始めたものでありまして、植松先生のところに来てからの十年間は、まったくスポーツとは縁がありませんでした。

ただ一つ、例外的にやっていたのはお茶です。植松先生の家に出入りされていた方にお茶をやっている方がいらっしゃって、その人から田中仙さんの大日本茶道学会の手ほどきを受けることはありました。

とはいっても、大学時代から裏千家をたしなんでおりましたので、お茶は初めてではありません。

それに、師匠の植松先生ご自身は、江戸千家新柳派という流派のお茶をされていて、弟子の私も当然、江戸千家新柳派えどせんけしんりゅうはですので、私のお点前は裏千家、大日本茶道学会、そして江戸千家とごちゃまぜになっております。

そうやって月に何回かお点前をする以外は趣味も何もなく、ただひたすらご神業に明け暮れていたのが、最初の十年間であります。もちろん、人材の育成にも全力を投入いたしました。

植松先生の下での修業が始まった二十五歳のとき、先生は私に何度も何度もこうおっしゃいました。

「これからは神人合一の時代なのよ。神人合一しなければやっていけない時代が来るのよ。だから、そのための人材を育成しなさい。神人合一の人材を育てなさい」そこで私は、大学のクラブの後輩を呼び集めることにしました。

大学のクラブ関係がメインですが、そうやって集まったのが総勢二十五名。たったそれだけの人数で、黙々とご神業に励み、神仕組を進めてきたわけです。

その二十五人の中には、梅村先生と奥様も含まれておりまして、やがておふたりにはカナエちゃんという赤ちゃんが生まれました。

「お名前、何ていうの?」「つがむらかなえ」「お年はいくつ?」

「三歳」「うん」「じゃあ、幼稚園に行っているかな?」「幼稚園で何を習っているの?」

「天にまします我らが父よ願わくば御名の尊まれんことを、御国の来たらんことを…ってお祈りするの。それからご飯を食べるの」

「ああ、そうなの。ご飯は何が好きなの?」「スタバッキー」スパゲッティーのことをスタバッキーと言うんです。

「これからおじさんとビタミントンするの」バドミントンがビタミントンになってしまうところが可愛かったですね。そんな愛らしかったカナエちゃんも、いまではすっかり立派な大人になりましたが、当時はそんな和気あいあいとした雰囲気の中で、ご神業に励んでいたのです。

予備校は、私が植松先生のところに来た翌年につくりました。そして、二十九歳のころだったと思いますが、商事部をつくっております。あの時期になぜ事業を始めたのかといいますと、それには三つの理由があります。

一つは、最初の一年間のご神業で学んだことを、社会という場で実践するということ。これが第一の理由です。

それからもう一つは、私たちお弟子の生活を支えていかなければいけないという現実的な要請ですね。これが二つ目。

三つ目の理由は、天母様からの御神示です。の神様の降臨に先立って天母様が降臨されたのですが、そのとき、「世の中の迷える子羊を救いなさい」という御神示がありました。

その御神示を実践する意味で予備校を始めたわけでありまして、いうならば社会への貢献です。

この三つの理由で事業を始めるようになったわけですけれど、事業に取り組みながらご神業にいそしみ、さらには人材の育成にも取り組んでいたのですから、いまから振り返っても非常に充実した十年間でありました。

ところが、三十五歳の冬神業のとき、植松先生が突然、驚くべきことをおっしやったのです。

「二十五人のお弟子たちを、あなたがどんなに育てたところで、神人合一なんかするわけないじゃないの。神人合一というのは自分との戦いで、ラクダが荷物を背負って針の穴を通るのよりも難しいのよ。

神人合一する可能性の低い人たちを、一生懸命に育成して何になるの。神様がそうおっしゃっているのよ。早く目を覚ましなさい」

お弟子の中には霊的に敏感で、直感力のある子はいるのですが、それと神人合一とはちょっと種類が違っていて、霊的に敏感だからといって神人合一するわけではありません。

やはり、自分とのギリギリの戦いに勝たなければ、神人合は極めて困難です。

そういう観点からお弟子たちを見た場合、可能性が低いと植松先生、いや神様がおっしゃっているというのです。そして、植松先生は続けてこうおっしゃいました。「お弟子を教育するより、あなた自身がいまの何百倍、何千倍、何万倍神人合一することを考えなさい。そのほうが仕組が早く進むでしょ」

これが三十五歳の冬神業の結論だったのですが、それまでの十年間、「神人合一の人材を育成せよ」という神様の命に素直に従い、死に物狂いで人材育成に心血を注いできた私にとって、その言葉は驚き以外の何ものでもありませんでした。

板挟みの境遇にあるとき、人は神仙界に行く

板挟みの話をするつもりが、いつの間にかずれてしまったみたいですけれど、修業時代の話をもう少し続けますと、植松先生のご主人は非常に真面目で実直、かつまた口数が少なく、食事のときでも一言も発せず黙々とご飯を食べるような方でした。植松先生が、「ねえ、パパ。これ、おいしい?」と尋ねても、黙ったまま食べ続けます。

「ねえ、おいしいでしょ。それともおいしくないの?」と、三回くらい言うと、「まずかったら言う」と、ものすごくエネルギーを込めた最小限度の言葉で返事をされる。その一言でもう、私たちは鉛の弾を撃ち込まれたような状態になるんですよ。

また、私が植松先生から大事にされて、みんなと和気あいあいとしていると、植松先生のご主人は冷ややかな目でご覧になるのです。反対に、食事の後片付けが遅いとか、部屋の掃除がなっていないとか、植松先生から厳しく叱られると、ニコニコしながら、「晴ちゃん、頑張ってるね」と。

頑張っているのではなく、ボロクソに叱られているんですけれど、それをものすごく楽しそうにご覧になるのです。

そういうことで、最初の十年間はずーっと植松先生とご主人の板挟み状態で、どうしようもなくなって三回ぐらい家出したことがあります。といっても、自転車に乗って近所をぐるっと回ってくるだけのことなのですが、そのときの心境といったらありません。

御神前で、「ああ神様、どうすればいいんだあ!」と、何回も絶叫しました。

そういうときが神仙界へ行くチャンスなのです。右と左の板に挟まれると、ツルンと上に上がるか、あるいは、ツルンと下に落ちるしかありませんから、現実界において板挟み状態に置かれたときこそ千載一遇のチャンスなのです。

ですから、支部長さんとかコミッティーとか、責任ある立場の人は神仙界へ行くチャンスが多いと考えて、喜ぶべきですね。家に帰れば奥さん、あるいは旦那さんと子どもとの板挟み。

支部と家との板挟み。会社と自分との板挟み。会社と支部と自分との板挟み。お父さんとお母さんとの間の板挟み。ご神業と仕事の板挟み・・・・。

支部長さんではなくても、ご神業と会社の板挟み、上司と同僚の板挟み、同僚と同僚の板挟みなど、苦しみ葛藤はいろいろありますけれど、右と左から板でギュッと挟まれたら、御魂は風船のように、ゴムまりのようにツルンと飛び上がる。飛び上がってどこへ行くのかといえば、もちろん神仙界なのです。

そう考えたら、神仙界へ行く方法は簡単です。まず、積極的に板挟みになること、これが第一です。

皆さん、板挟みになったとき、愚痴をこぼしたり嘆いたりすることが多かったのではないでしょうか。でも、これからは愚痴をこぼしてはいけません。

「うん、これはチャンスだ。さあ、神仙界へ飛び立つんだあ!」と、ニコニコと板挟み状態を楽しむようにしましょう。

板挟み状態に置かれると、実によく神仙界に行くことができます。自分の心の奥の奥の奥から板で挟まれているから、「神さまあ!!」と叫ぶではないですか。その魂からの叫びが、神仙界へと引き上げてくれるのです。

板挟みの連続の日々

私が絶叫したのはそれだけではありません。植松先生と私の父との間の板挟み、これも言葉では表現できないほど強烈なもので、それによって何度絶叫したかしれません。

植松先生は、刻々に移り変わる天の動き、あるいは教えを直に受けられる方です。人が何と思おうと、何と感じようと、あるいは現実がどうであろうと、そんなことには一切関係なく、天から来るものを素直に受けて、そのままパッと出されるのが植松先生です。

人の気持ちやこの世のことを考えていたら、天から来るものは受けられません。だから、いつも天から来るものに素のままで生きていらっしゃるわけです。

一方、私の父は徹底的に現実界に生きている人です。神様だとか霊界だとか、そういうものには関心がないというか、大嫌いな人です。

そういう父ですから、当然のことながら自ら進んでご神業に加わったわけではありません。

予備校や商事部の事業を進めるうえで、父の存在が不可欠だからということで、私が無理やりに引き込んだのですが、とにもかくにも、私の父はこの世的なものの考え方、見つめ方をする人でした。

ところが、客観的に見ると父はものすごいレベルの霊能者だったのです。初対面の人でも、パッと顔や姿を見ただけで、「あいつはこういう奴だから信用できない」とか「あいつはなかなか義理堅いやつだ」とか言うのです。

そういうふうに言う人は、世の中には結構たくさんいますが、父の場合、ほほ百パーセント当たっているのですから、驚きです。

それから、仕事の関係で電話をかけて、しばらく話をして電話を切った途端、「あいつは最近おかしい。注意したほうがいい」と、電話で話をしていた相手とは全然関係のない別のスタッフのことを言ったりするのです。しかも、それがズバリ当たっているのですから、それはもう恐ろしいばかりの霊能者です。

「おれは霊能者なんかじゃない。それよりお前のほうこそUFOだ、四次元人間だ、動く幼稚園だ」と、ボロクソに言っておりましたけれど、そう言っている本人が一番の四次元人間で、ものすごい霊能者でした。

しかも、神様や霊界を信じない現実界一辺倒の人ですから、◎の神様の一厘で生きていらっしゃる植松先生とは水と油。どう考えても合う道理がなく、どれだけふたりの板挟みになったでしょうか。

この場合は私一人ではなく、私の母と栂村先生も一緒に仲よく板挟みになりましたので、三人とも神仙界に行ったのではないかと思います。客観的に考えたら、宇宙空間へ飛び出したのは私だけでしたが、とにかく、板挟み、板挟み、板挟み、板挟みの連続でした。