第一章 磐梯について ~磐神社参拝での講話 平成6年2月21日~
神坐す山、磐梯
磐梯の山々峰々は本当に風情があって美しいですね。福島のこのあたりは、夏暖かくて、冬寒くて、このバランスがいいです。ですから、樹木も引き締まっていて、きれいです。一枝一枝、樹木一本一本の風情がピシーッとシャープですよね。
それに、適度な暖かさと適度な涼しさがあって、適度にほのぼのとしている。そのバランスが取れているから、樹木に風情がある。優しさと厳しさのバランスが取れている。そして、山の峰もごつごつしていません。
スイスには神様がいらっしゃるということで、植松愛子先生と私と何人かでスイスにまいったことがありますが、スイスの山はただでかいだけなんです。
でかければいいというものではありません。高くてでかい山がドーンとあって、どこを見ても同じ景色なんです。それをご覧になって植松先生、「磐梯の山のほうがよっぽどきれいね」と。
大和地方に行きますとなだらかな山があります。しかし、大和の山はなだらかすぎて、ちょっと山としての大きさや迫力が足りない。
それに対してこの磐梯の山々は、山の一つひとつがなだらかすぎないし、変化に富んでいて、襞がある。あの山もこの山も色気があります。
私の母は、福島のここへ来たとき、「何と美しいところだろうか」とものすごく感動し、「あちこちいろいろと旅行したけれど、死ぬまでにもう一回、絶対に行ってみたいと思ったのは、この磐梯しかなかった」と言っております。きっと、ここにいらっしゃる神様の気をどこかで感じていたのでしょう。
それだけ、山々の風情に色気というか、美しさがあります。厳しすぎず、優しすぎず、なだらかすぎず、大きすぎず、ごつごつしすぎず、素朴すぎない美しさがあります。
これが磐梯山でして、明治の時代には爆発がありましたけれど、磐梯を巌の如きものにするための、厳しいときは厳しく、優しいときは優しくというふうに、バランスが取れていて豊かなんです。
桃もブドウもおいしいし、それからササニシキもおいしい。それに負けるかという形でコシヒカリが出てきたり、あきたこまちが出てきたり、いろいろなのが出てきますけれどね。
で、何度も何度も私たちがこうやって来ている間に、いろいろと荒らされてきまして、要するに開発が進んだわけです。開発が進むと物霊が出てくるので、人の心が次第に荒んできます。
未開のうちは人の心も素朴で、自然も破壊されないから神気が籠もっていますが、経済が発展してきますと、神秘的なるものが荒らされてきます。
よく東北に神様がいると言いますが、それはどういうことかと言いますと、荒らそうと思っても荒らせないようなところだからで、だからずーっと神様がいるわけです。
アルプスなんか、誰も荒らせません。荒らしたいとも思いません(笑)。京都にはすでに嵐山(荒らし山)というのがあって、あれ以上荒らせません(笑)。
そういう厳しい環境の中に神様も住み、人も住み・・・・・・というのがまさに会津磐梯だったわけです。
その自然が荒廃し、まあ荒廃と言うほどではありませんけれど、植松先生がいらっしゃった二十数年前(編集部注 平成六年当時)と比べてみたらやっぱり開発が進んで、こんもりとした神秘性を秘めたものが平たくなってきた。
そうしたら、ササニシキが取れなくなってきまして、「今年は不作よ」「今年もまた「不作よ」ということで、ササニシキが取れなくなってきた。
不思議なことに六十年に一度、竹に花が咲くときがあって、ここに大きな飢饉があったとき、竹に花が咲いて、その実を食べて飢えを凌いで生き延びたんです。だから、自然環境の破壊とか天変地異があったとしても、ここに逃げてきたらどんな食べ物でもあるわけです。
そして、一つの証がありまして、植松先生のご親戚がこのあたりに別荘をお買いになったんですけれど、そこには天鏡台、「天を映すこと鏡の如し」という意味の天鏡台というところがあって、そこから猪苗代湖を見下ろすことができます。
そこへ来たら目に見えない$7081胞が立っている、天の通路が。そして、天の香りがふわーっとして、植松先生、気に敏感な方ですから、「気持ちいいわ、いい香りがするわ」とおっしゃった。
ここ磐椅神社へ来るまでの細道に何本も神柱が立っているので、「天の香り楽しみツアー」もできますね。
ここに来たら、「ああ、天の香りだわ、$7081胞が立っているわ」と、みんなここでぐるぐるぐるぐると回りまして、しばらく動かないでしょうね。この人数ではちょっと難しいですが、炁胞が立っているところに何か印を入れて、順番にやると甘い香りがふわーっと降りてきます。
そういう炁胞が、ここの入り口から小さなせせらぎを経てここへ来るまでに、何本も立っています。
磐梯山は、至るところに$7081胞が立っています。神秘なる神なるものがこの自然に降りていて、ここでお茶を飲んだり、温泉に入っていたりするだけでその気を受けます。だから、家に帰って神人合一の神法は何かというようなことが、またパッパと出てくる。
磐梯の山々、峰々、せせらぎ、草木、風情そのものが神様です。神道は、汎神論ではないのです。すなわち、すべての自然に神性が宿ると考えて、路傍の石ころや庭の片隅の土くれにまで手を合わせたり拝んだりする宗教ではありません。
特別に美しい山、特別に美しい湖などに神を感じ、聖なるものとして手を合わせたり、拝んだりするのが神道であり、日本人の感性であります。その日本人の感性に照らし合わせてみると、この絶景なる磐梯こそは、神坐す山と言うことができます。
磐椅神社と神人合一の道
景色の素晴らしさがご神体であって、磐神社のお社は会津磐梯山を遥拝する形になっております。
この拝殿から奥へ向かって何があるかと言うと、会津磐梯山の頂上があります。ですから、ここから会津磐梯山を拝んでいるわけです。言うなれば、この磐神社は里宮です。
植松先生が初めて来られたとき、ここは無人の神社でして、社務所もなければ鈴もなく、天井には穴があいていて、雨が降れば水びたしになるような状態でした。
森もいまよりもっと深く、鬱蒼としておりました。
言うなれば、植松先生は何もないような神社にいらっしゃったわけですが、ちょうどその日は雨が降っていて、天井から雨が漏っておりました。それで、雨に濡れたお社の中に入っていったら、お鏡があって、その前にちょこんと座ったんですね。
そうしましたら、ご自分の奇魂がポンとお鏡のほうに行って、お鏡からご自分を見ているような状態になったんです。
まあ、次元の高い幽体離脱のような感じです。「あら!こんな不思議な現象があるのかしら」ということで神がかって、和歌が植松先生の口をついていっぱい出てきたのです。
そうやって、ご自分がお鏡の中に入って受けたことが一つの契機になって、何度も何度もここへ来てはご神示を受けるようになるわけです。
で、家に帰ったら神様がお出ましになって、神人合一の神法を一つまた一つと授けられていった。
「神人合一の法とはああじゃこうじゃ、ああじゃこうじゃ」というようなお告げがあったわけではありません。
目に見えない何かを受けたことはわかっているんだけれども、お家に帰って家の中の掃除をしたり、ご飯を炊いたり、子育てをしたり、いろいろとお片づけをしている中で「これはどういうことなのかなあ」とパッと疑問点が湧いてきたときに、「そうだ!」と悟って、それに対して神様が「そうだ、「それでいいのだ」という形で、一つまた一つとご自分で体験しながら体得されていったわけです。
この神社へ来たらポコッと神法が降りた、というものではありません。全体の概要を受けたんですけれども、家に帰って生活していく中で、一つまた一つと確実に自分のものになっていったんですね。
そうやって、神人合一の神法を会得していらっしゃったんです。
それはまあ生活の中における、一つの実践を経た体得ですね。体得しているから伝授できるわけです。
「上から来たお告げはこうですよ」と言ったら、ご神示だけで終わってしまう。あるいは、お告げを言えば終わってしまう。それは伝授とは言えません。
※
禅宗でも内的な悟りを伝えるのは以心伝心、教外別伝、不立文字です。教外別伝… 文字に立たず、教えの外に別に伝えるもの。直指人心… 人の心を直に指さして見性成仏。
この場合は見性成仏というよりも、体得ですね。目に見えざる神法を、「自然は神なり」とか「只今に生きる」といった短い言葉で体得実践をなさったわけです。
その後、私たちも植松先生の磐梯通いにお供して、何度も何度も通いました。まあ、同じように通っていても心の次元が違うんでしょうけれども、植松先生はいつもおっしゃいました。
「山に風情があるわね」と。そのように、私たちも自然を讃えなければいけません。
何の感動も情感もなく、ただ「あっ、山だ」と思ったり、黙って山だけ見ていても、行者じゃないわけですからね。
「ああ、この山の風情はとりわけ素晴らしいですね」
「いや、普通の山ですよ。こんな山、うちの田舎に行けばいくらだってありますよ」
そんなことを言ってはダメなんです。
「こんなに美しい山、見たことないですね」
「本当に素晴らしい山ですね」
そうやって山を讃えなければいけません。
そうすると、より一層、神霊世界に感応します。
磐梯に来ると感覚、感性が変わる
それからよく言われましたのは、雪景色の素晴らしさ。この磐梯山の雪景色はそれはまた素晴らしい。それを讃えながら、一歩また一歩と雪を踏みしめながら歩いていくと、胸の奥が感動に震えます。
雨だったら、「ああ、修業が足りないから雨が降るんだ」というような気持ちになるかもしれませんが、雨は雨でまた素晴らしい。雨にけむる磐梯の姿。これは普段見ることのできない素晴らしい景色です。
そういう雨の磐梯山を目の前にして、「素晴らしいなあ!きれいだなあ!感動的だなあ!」と思って見ると、自分自身の感性というか意識というか、感覚が変わるわけです。
それで家に帰ったらどうなるかというと、自分の中の感性が違っているから、いままで気がつかなかったところが見えてきます。
「あっ、こういうところがあったんだ」
「あっ、こういう欠点があったんだな」
「あっ、これはこういうふうに受けとるべきなんじゃないか」といったことが、わかってきます。
人様も変わらないし、生活も変わらない。
けれども、それを見ている自分自身の感性、霊界、意識が変わっている。磐梯の山々、峰々と自然の息吹と波動に触れ、目に見えない天の通路の中をずーっと歩いたり、車やバスで通ったりしているので、知らないうちに清められて、自分自身が変化しているのです。
これを「化する働き」と言います。神様の気によって内面が変わるわけです。磐梯の自然に触れ、神坐すところの気に触れて、食べたり温泉に入ったりしながら「素晴らしいね」と神を語り、そういう方向に意識を向けていったら、一層中身が変わってきます。
そして家に帰り、職場に行ったら、いままでの自分とは違っているので、見る角度が違ってきて、気がつかなかったところに気がつき、新しいヒントとか発想が出てきます。
それがまず、こういう神霊域に来る意味でありますし、ご神業の値打ちであり、意義ですね。
磐梯山の大爆発の意味とは
それから会津磐梯山の特色を申しますと、やはり大爆発です。大本教の出口ナオに艮の金神が神がかったのが明治二十五年。その前の明治二十一年に磐梯山が大爆発を起こしております。
国常立神が発動したことで、磐梯山が大爆発して頂上がバーンと吹き飛んだのです。
その結果、川が堰止められてできた湖が桧原湖なのですが、そのとき、村が沈んでしまいました。で、桧原湖は年に一度、透明に澄み切るときがあります。
そのとき、湖の底を覗くと村が見えるんですよ。人々の生活していた家が見えるんです。
それは恐ろしい話です。ボートを漕いでいくと、何々家代々の墓という墓石が湖の底に見えるんです。
それが何を意味しているかと言うと、天変地変という大変なことを経て、こんなにも風光明媚なところになるんですよ、ということを暗示しているわけです。
恐い話ですけれど、一発火山が爆発したら何カ村かがバーンと水びたしになります。そのあとに、こんなに美しい自然になるのです。
で、この近くに小野川湖という湖があります。小野川湖を見たらわかりますが、ヨーロッパの湖にそっくりです。
植松愛子先生も初めてご覧になったとき、「ヨーロッパみたいね」と。
そのときはまだヨーロッパに行ったことはなかったのですが、その後、私たちがヨーロッパに行って湖を見てみたら、本当に植松先生のおっしゃるとおりでした。小野川湖、ヨーロッパの湖にそっくりです。
桧原湖や小野川湖から見た裏磐梯の姿は、本当に美しい。もちろん、猪苗代湖から見た表磐梯も美しいです。
とくに、猪苗代湖の美しさは格別で、その美しさを象徴する場所として天鏡台というところがあります。
昭和天皇様が新婚旅行でこの会津磐梯山にいらっしゃって、猪苗代湖をご覧になったとき、あまりの美しさに「天を映す鏡の如し」とおっしゃった。それで、その場所を天鏡台と呼ぶようになったのです。
そのほか、磐梯の美しさを讃える話はいくつもあります。たとえば、植松先生はこうおっしゃっています。「初めて磐梯に来たとき、車に乗ってうとうとしていてハッとして横を見たら、自分の目線よりも上に猪苗代湖の水面があるように見えた」と。
反対側には田んぼがあって、春でしたから水が張ってある。そして、湖のほうを見たら、自分の目線よりも上に水が見えたとおっしゃるわけです。
植松先生が「そうだったのよー」とおっしゃるのを聞いて、「目線よりも上に水面が見えるなんていうこと、あるんだろうか」と不思議な気分になりましたが、実際に行って、車から見たら目線より下にありました(笑)。
おそらく、あまりにも美しいからそういうふうに見えたのでしょう。
それから何度も植松先生から聞かされた話。猪苗代湖の周辺にササニシキの田んほがありますね。
「田んぼに張られた水に太陽の光が反射して、キラキラキラキラキラキラキラキラ輝くのよ。
そして、風が吹くと、稲がワサワサワサワサワサワサワサワサと鳴るのよ。樹木も、ワサワサワサワサワサワサワサワサと風にそよぐのよ。それが何とも言えないほど美しいのよ」と、何度も聞かされました。
それを聞いて、胸がわくわくして、一刻も早く行ってみたい、と。それで実際にやってきたら、それほどではなかった(笑)。
八月とか、五月の下旬でしたから、季節が違っていたんですね。いずれにしても、植松先生の胸の中には、荒らされる前の、一番素晴らしいときの思い出がいっぱい収まっているわけです。
そして湖、湖の風情がそれぞれに違う。この磐梯にはだいたい大小三百ぐらいの湖があります。明治二十一年の大爆発でそれだけの湖ができたわけでして、五色沼もその一つです。
五色沼。本当に五色の色をしている沼です。その中の一つ、私たちがよく行く毘沙門沼はまるで青か緑の絵の具を流したような色をしています。
それから、緑とか赤とか白とか、五色の色をしているのが五色沼なのですけれど、植松先生曰く、「これから五色人が集まってくるのよ。いろいろな肌の色、五色の肌をした人がみんな集まって一つになっていく時代がくるのよ」
そのとおりになってきましたね、いま。
そういうふうに、磐梯には五色人だけでなく、世界中の景色にどこか似たようなところがあります。
ヨーロッパに似た景色、東洋に似た景色から、北欧に似た景色から、スイスに似た景色、台湾の日月譚に似た景色、ありとあらゆる景色が磐梯にはあります。
場所によってはオーストリアのウイーンの森にそっくりなところがあります。ウイーンの森に行ったら、「あら、磐梯にも似たようなところがあったな」と思うはずです。
東洋と西洋の代表的な素晴らしい景色が会津磐梯山にはあります。
全部、ひな型になっている。考えてみれば実に不思議なところですけれど、明治二十一年の爆発で、神様がそういうふうに新しくおつくりになったのです。磐梯とはそういうところですから、この場所すべてがご神体と考えていいでしょう。
『古事記』が改まっていく時代
何度も言いますように、この磐梯で神人合一の道の神法が降ろされたのですが、これからの新しい時代は『古事記』が改まっていく時代である、ということもしっかりと理解しておく必要があります。
『古事記』によると、天孫瓊瓊杵尊に木花開耶姫様が嫁がれたとあります。このとき実は、お姉さんの磐長姫様も一緒に瓊瓊杵尊様のところに行ったのですが、磐長姫様は返されてしまいました。
なぜなら、磐長姫さんは木花開耶姫ほど美しくなかったからで、妹のほうをより好もしく思う、ということで傷つけずにお父さんのところへ返したわけです。
それを知ったお父さんの大山祇神様が、「皇室が千代万代までも弥栄えていくことを願って二人を嫁がせたのに、磐長姫を返してきた。
ああ、皇室の命運は木花が咲いて散っていくが如く、有為転変として止むことがないだろう」とおっしゃった。
歴史はまさにそのようになりましたが、このたびは、その『古事記』の歴史が改まって出てくるのです。
すなわち、磐梯山は磐長姫なのですが、「何も言わずに、長くじっと耐えて秘めている」というのが磐長姫。その磐長姫が、もう一度出てくるのです。
木花開耶姫は、外へ向かってブワーッと出ていく。あるいは自分を派手に表現する。そういう意味では語学の神様でもあるわけです。
その木花開耶姫様と、じっと長く耐える磐長姫様とで陰陽になっているのですけどこの磐梯からは木花開耶姫様の要素と磐長姫様の要素を両方備え持った姫様が出てくるのです。これを「木花姫」と言います。
要するに、木花開耶姫と磐長姫、両方の要素をバランスよく持って出てくる。お姉さんと妹の両方を兼ね備えたお姫様で出てくる、ということです。
それから、「古事記」を読むと、伊邪那美命が黄泉の国へ行きましたね。
その伊邪那美命を追って伊邪那岐命が黄泉の国に行ったら追い返されて、黄泉津比良坂のところで伊邪那岐命が桃を投げて、「もう来ないで」と言ったら、追いかけてき化け物みたいなのが帰っていった。
それで、桃がお手柄を立てたからということで、ことほぎ祀った、と。
つまり、桃が観世音菩薩様になったわけですが『古事記』にはそこまでしか書いてなく、磐長姫がその後どうなったのか、伊邪那美命がその後どうなったかについては、何も書かれておりません。
ところが、この磐梯の仕組になってきましたら、その磐長姫さんが出てくるだけでなく、黄泉の国に行ってしまった伊邪那美命がまた帰ってくるのです。
それが救霊のときに出てくる月光観世音菩薩。月の国にいらっしゃる黄泉の国の伊邪那美命が新たに月光観世音菩薩となって、御魂の救済に現れていらっしゃる、と。
要するに、埋没神というかお隠れになられた神様、および不遇だった神様がもう一度、帰っていらっしゃるわけです。
豊玉姫もそうです。すでに帰ってしまったのに、また出てくる、と。「帰ってきたウルトラマン」とか「帰ってきたヨッパライ」みたいに帰ってきて、新しい「古事記」が生まれ出てくるんですよ、というふうにおっしゃったんです。
ここで磐長姫、木花開耶姫が合体して、「古事記」の歴史が新しく塗り替えられていくんです。すごい話でしょ。
ですから、ここへ行きますと『古事記』の歴史、およびその人の持っている潜在能力、潜在意識…頑固な汚れもザブで落ちるような洗剤能力と言うんですけれどね(笑)。
そういう潜在の力が出てきます。自分の持っていた運命とか意識とか能力とか才能とか、そういうものがここへ来ると新しく塗り替えられて、バランスを持った自分が出てくるわけです。それが神人合一です。
天と現実界をつなぐ梯子
磐梯の磐は巌の意味です、梯は木偏に弟と書いて梯、つまり階のことです。その階はどこへ行く階かというと、天へかける梯子。その天へかける梯子が磐橋であり磐梯なのです。
磐梯のここには皆さん、天への梯子がかかっているわけです。その梯子を一歩一歩登っていって神人合一していくわけです。
現実界ですと、生活の中に生きて生きて生き貫く現実の物、その物の物性と個性の中に神性を見い出す。岩根の如く生活を充実させて、そして、その生活に根ざしたところから階段、階が立って、階段を登って天界へ行く。
神人合一の道というのはすなわち、天へかける梯子の如し。その梯子がかかっているのです、ここには。
ただ神社に来て拝むだけでもご神霊が来ますけれども、どういうところなのかということがわからないと、意味がありません。
いずれにしても、天へかける階梯子なのです。その梯子を登っていくための法理法則と理。それを教えるのが至聖先天老祖、北極老人なのです。
それに対して、現実界に生きていく智恵を持って戦っていくのが毘沙門天。毘沙門沼にはそういう神様がいらっしゃるわけですが、八百万の、あらゆる神様がここに総出で出ていらっしゃる。そして、生活に出てくる。
生活に関係ないところにいらっしゃるのがアルプスの神様です。国家とか、もっと大きな局面に出てきます。
それに対して、ここは人を教育する場。神人合一の道が降りていて、天につながる階を登って行くところで、生活に根ざした神人合一の道を教育していくところ。それが磐梯であり、磐梯神業なのです。
ですから、昭和五十二年に神人合一の道が降りてからの一年間は、ただひたすらに「神様!神様!」と神様の道を追い求める一年間だったのですが、その翌年の五十三年には「これからは実践よ」ということで、商社をつくったり予備校をつくったり、生活に根ざした神人合一の道を歩まされたわけです。
そこからの十年間は、まさに岩根の如き地盤づくりの基礎訓練期間でありました。
磐梯の仕組で神人合一の道が降ろされたのですけれども、それを現実界に磐石なものとして降ろしていくために、会社の運営だとか、人間関係の葛藤だとか、自我を抑える訓練だとか、神人合一して生活の中に生き貫くための根性づくり、眠っている能力と才覚を出していくための一つの厳しい修業の時期。それが磐梯神業だったんだ、ということがあとになってわかったわけです。
植松先生がおっしゃるには、その会津磐梯山そのものが私である、と。「深見さん、あなたは会津磐梯そのものなのよ」と、よく言われました。
こっちにはヨーロッパ風の湖、こっちにはアメリカ風の湖というふうに、いろいろな湖があって、コンコンと叩けば、打ち出の小槌みたいにいくらでもポンポンポンとアイデアが出てきて、困窮すれば困窮するほどまた脱皮力が出てきて、叩けば叩くほどいろいろな才能、能力が無尽蔵に出てくる。
「あなたがね、会津磐梯山そのものなんですよ」と言われました。困ったときには竹に花が咲き、ササニシキが実るわけです。
「会津磐梯山は宝の山よ、笹に黄金がなりさがる」と歌われていますが、宝の山とは何の宝なのか。目に見えない宝物を生み出す神様がびっしりつまっているのです。しかも、バランスよく。
ですから、ここへ来ると、いままでの自分の知識、やり方、考え方、能力が超能力になり、超能力を超える超々能力になって、菜の花の上を飛んでいく、と。そのために木花開耶姫、磐長姫様の両性を持った神様が出てくる。
ここから新しい『古事記」が出てきます。
磐梯おろしは鬼より恐い
木花開耶姫と磐長姫のお父様に当たるのが大山祇神様ですが、その大山祇神様ですが、その大山祇神様が磐梯山に住んでおられるのです。だから、植松先生がおっしゃった。「磐梯おろしは鬼より恐い」と。
昔、神人合一の道とか神法とか秘めたるものが植松先生のところに降りていることを察知した行者さんが、何人か来たことがあります。
「何かあるでしょ。何かあるでしょ。あなたには何かあるはずだ」
「$7081胞が降りているので、何かわからないけれど、ここにはきっと何かあるはずだ」と、突然訪ねてきたり、電話をかけてきたりするのです。
「なぜ、電話番号がわかったんですか。電話番号帳に載せていないんですけど」
「神様がおっしゃったとおりに番号を回したら、お宅につながったんだ」と。そういう霊能者もいるわけです。
あっ、風が吹いて来た。修業させてあげようと思ってね。ほら、厳しいでしょ。これです。「磐梯おろしは鬼より恐い」。ゴーッと音がしていますね。
ま、そういうことで、そういう行者さんが磐梯山へ来て、この磐神社にお参りしたりすると、傲慢な人、「我こそは」と天狗になっている人はブワーンと吹き払われて、ふと気がついたら誰もいなくなってしまった、と。
お互いにいがみ合ったり、内部抗争したりで、とにかく我と慢心と我こそはという生臭い人は、続かなくなって、結局いなくなってしまう。
植松先生のご神業の歴史の中で、そういう人が来ては去り、来ては去りして、残ったのは若くて純粋な人たちだけでした。
信仰に生きる純粋な人たちだけが・・・・・あっ、香ばしい松葉のいい香りがしてきた。
ほら、皆さん、香ばしいいい香りがしてきませんか。いい香りがしてきた人、手を挙げてください。ね、してきましたでしょう。ようやく出ていらっしゃいました。
ああ、いい香り……。
会津磐梯山は鬼より恐いと言うけれど、何が恐いか。大山祇神様がいらっしゃるからです。その大山祇神様というのは国常立大神様のご変名です。
国常立大神が山を守護するときのご神名です。山を統括する神様だから、お山の大将が来たらボイーンとやられて、「すみません!」と。山を統括する神、山の神ですから厳しいわけです。
その会津磐梯山の磐梯おろし、ウワーッとブリザードが吹き荒れますと、たまったものではありません。それで教育したわけですね。邪なものを払いのけて、我と慢心と増長魔になっている者をガーンとやる。
そして、「すみませんでした」と言って反省し、巌の如き人間となって現実界に生きていく。そうやって、生き貫いていく人間性とか魂の基本が練り上がっていくわけです。
練り上がるための主になるものが、この大山祇神様、会津磐梯山。その前に立って教育なさるのは、その地に降りる化身の猿田彦さんです。大山祇が親玉で、現場監督が猿田彦です。
その神様が、植松先生の弟子である私たちをしごいて、どんなことがあっても揺れ動かない信仰力と、どんなものにも挑戦していく求道心、チャレンジ精神を磨かせているのです。
そして、愛をもって必ず帰一していく。神人合一の道をどこまでも全うしていく。
磐梯を象徴する野口英世
そういう事柄を象徴しているのが、会津磐梯山を見ながら育った野口英世です。
野口英世が「志を得ざれば再び此地を踏まず」と刻み込んだ柱が、野口英世記念館に残っています。ノーベル賞をいくつもらってもおかしくないぐらいの方だったのですが、当時は白人至上主義でもらえなかった。
北里柴三郎もノーベル賞をもらうはずなのに、柴三郎のやり方を踏襲した弟子の西洋人がノーベル賞をもらって、北里柴三郎は東洋人だからもらえなかった。
それでも、野口英世の業績はいまなお高く評価されています。その野口英世が「志を得ざれば此地を踏まず」と、柱に刻み込んでおります。
この会津磐梯山を朝な夕なに眺めながら、「頑張るんだ、頑張るんだ」と勉強したのが野口英世。いま、世の中のお母さんが子どもに買い与えるベストセラーナンバーワンは圧倒的に野口英世の伝記です。
少しでも勉強してほしいと思うから、野口英世の伝記を読ませるわけです。
ここから遥拝する会津磐梯山は恐い方なんですけれども、愛と真心をもって精進するときには、階を上げてくださる。
そして、冬になったら、国常立神の北極次元ですから、至聖先天老祖が降りてきて法と理を教えてくださる。
しかし、生活の中に生きなければやっぱり意味がありません。法と理も理屈のものですし、「無法の法、無法の理」が本当のもの、本当に体得したものですから。
なぜここに出てくるのか。表と裏があるんです。表は大山祇、裏は老祖様でしょうか。法則と理を持ちながら、表では巌の如く厳しく訓練する。
そうやって、この磐梯の神業が始まって十年たってから仙台に移った。神仙の世界、神仙の台。その神業に移ってから、救霊とか秘儀がどんどんどんどん神様から降ろされるようになったわけです。
しかし、この磐梯で十年の修業ができていますから、秘儀ができるようになったからといって傲慢にもならないし、増長魔にならない。
術に使われない。いろいろと神秘の能力があっても自慢しないし、そんなものには本質はない、と。あくまで救済する手段なんだということを忘れない。そういう磐石な心構えができたのも、この磐梯神業のお蔭なのです。
そういうことで、皆さん、ここはそういう神域ですから、いまからお参りして修法をする間に、巌の如き信仰心をここで固めて、自分の中で眠っている潜在能力を引き出していただきたい。
修法が終わって家に帰って仕事場に行ったら、ものごとが違って見えます。輝いて見えます。それは神様の教えだ、と。神人合一のために自分が変わっていって、階段を登らなければいけませんからね。
