叱られ上手と叱られ下手
重要なのは、失敗したあとの処理なんです。それを、「政治家が悪い」なんて言ったところで、そんなのは関係ない。
叱られたら鄧小平を見習って、「私が間違っておりました」と、素直に反省しなければいけない。
そして、「まだ私たちは七、八年は動けると思います。何なりと、どんなことでも申しつけてください。工場生活も楽しんでやっております」と、ホロッとするようなひと言を添える。
失敗したとき、失脚したときでも、立派な失脚の仕方があるのです。いつも成功するとは限りません。
失敗したときには堂々と立派に叱られて、「反省しております」と言うのがかわいいんです。
何でもかんでも成功している人間は、どこか生意気な感じがします。それよりむしろ、ときどき失敗して、うなだれている部下のほうがかわいいですよね。
だから、すべてに完璧を求めるのではなく、ときどきは上司のためにかわいく失敗してあげることも必要ですね。
そういうときには悄然として、いかにも反省しているという態度を見せなければいけません。
しかし、過度に悄然としていると、自殺するんじゃないかと心配するから、そのへんは適度に悄然としていなければいけません。
私の部下で、いつも叱られていた子がいます。その子は、まるで能面みたいな顔をしているんです。
「お前、なぜ銀行の残高を一千万円と報告するんだ。単位が違うだろ」
「お前、なぜ取引先にお金を払わないんだ。いつでもいいですと言われたからといって、一年半も払わないヤツがいるのか」
「なんで忘れるんだ、バカ」
みんなからさんざんに非難されるんですけれど、本人は、「単純に忘却というふうに忘れました」と、能面のような顔で言うんです。
ずっと叱られているから、叱られるのに慣れてしまっているんですね。厳しい言葉を浴びせられても全然、顔色を変えないんです。
だから、叱っているほうも、分かっているのか分かっていないのか分からないから、これでもか、これでもか、というくらいに叱るわけです。つまり、叱られ下手なんです。
叱られ上手は、打てば響くように叱られます(笑)。まず、悄然としてうなだれます。「そんなの自分だけが悪いんじゃないよ、上司の指示が悪いんだ」と思っていても、自分の失敗だから一応、悄然として肩を落とす。叱られているんですから、とりあえずはショボンとしなければダメですね。それを、ニコニコ笑って、
「この失敗を乗り越えて明るく生きていきたいと思います」
なんて言ったら、
「お前のために迷惑をこうむっているんだぞ。責任はわしが取っているんだぞ。
どういうつもりなんだ」と、際限なく叱られてしまう。叱られ上手は初めから悄然としています。
「お前、こんなことでいいと思っているのか」
「まことに申しわけございません」と、すぐお詫びする。
「あ、すいません」と早く言いすぎるのもダメ。
「まことに、申しわけございません」と、ゆっくり言わなければいけません。
しかし、まだ言うほうがいいんです。黙っていると、
「お前、悪いと思っているのか。自分がやったことが分からないのか」と、ボロクソに言われてしまいます。
「ケーキを食べるか」と言われたときは、「はい、食べます」とすぐに返事をするんだったら、叱られたときも、すぐに返事をしなければいけません。
いるんです、叱られても顔色一つ変えない子が。
そういう子はだいたい、お父さん、お母さんから絶えず叱られていた子で、叱られることに慣れてしまっている。
だから、顔色一つ変えないのですが、それでは、こちらの言うことが分かっているのか分かっていないのかが分からないから、いくらでも言われてしまいます。
パンチドランカーならぬ、叱られパンチドランカーになってしまっているんでしょうね。
それでは本人も大変ですけれど、叱るほうも疲れてしまいます。これではかわいがられません。そういう人でも、
「すいませんでした」と、一応謝ります。ところが、謝っただけでは済まないんです。
「お前、心がこもってない」
と言われてしまうんです。言葉で謝ればいいと思っているからか、知らず知らずのうちに態度に出てしまうんです。
三時間でも四時間でも延々と叱られることもあります。そうなると、さすがに腹が立ってきますね。
「もう分かってるよ、二十回も三十回も言わなくても、一回言えば分かるわい」と。すると、
「何かお前、態度悪いな。こんな失敗して人様に迷惑をかけてるのに、反抗的になりおって。何か言い分があるなら言ってみろ」
「いえ、一回言われれば分かりますから」
なんて言うと、
「分かるもんか」と、また延々と言われてしまう。挙げ句の果てには、
「そう言えば君、いつだったか、こんなことがあったな」と、昔のことまで洗いざらい言われる。
「あのときも、すいませんでした」(笑)
「本当にそう思っているのか」
「もう本当に反省しております」と。
ですからこういうときは、ゆっくりと、情感を込めて言わなければいけません。
肩を落としてうつむき加減で、素直にゆっくりと「はい」と返事をする。「分かっているのか」と三十回言われたら、三十回「はい」と頭を下げながら返事をする。
四十回言われたら四十回、百回なら百回頭を下げて「はい」と返事する。そのときは、なるべく副詞を多く使うこと、これが肝心です。
「本当に分かっているのか」
「しみじみと、本当に、心の底から分かりました」
と、副詞を活用して言うのです。すると、
「うん。そこまで分かったならいいだろう」と。この台詞が出たら、もうそれ以上は言われません。
素直で潔い態度を見て、「ああ、言いすぎたかな、悪かったな」という気持ちになったら、もうそれ以上言われません。
ガミガミしょっちゅう文句を言う人間は単純だから、腹がないんです。すぐ怒る人間は、いい人が多いんです。
声が小さくて「ヒッヒッヒッヒ」なんて言うのは、腹の中で何を考えているか分からない。ガーッと言う人間は、感情を長くお腹にためておくことができないから、ガーッと一発言ったらだいたい終わります。
ただ、機関銃の弾は多いんです。その機関銃の弾をよけるには頭を下げたらいいんです。
頭を下げたその上を、弾がバババババーッと飛んでいきます。「そうでございますか、そうですか」
下げた頭の上を弾がバババババーッと、すごい勢いで飛んでいきますが、そのうち弾は尽きてきます。そのとき顔を上げて、
「これから前向きに頑張りますから」と言えば、「ま、いいか」となります。
弾ももうないから、それ以上撃てないんです。それが、機関銃がバババババーッというときに顔を上げると、顔中、ハチの巣だらけになります(笑)。
機関銃の弾が尽きるまで、ずっと頭を下げていればいいんです。そして、そろそろ弾が尽きてきたころを見計らって、
「いや、本当にすみませんでした。これから前向きに頑張りますから」
と言ったら、
「うんうんうん、まあいいんだけどね。失敗は誰でもあることだからね、君もこれを機に頑張らなきゃいかんよ」と、かえって励まされたりもします。
さっきも言いましたように、機関銃のようなタイプの人は、いい人が多いんです。
腹にためておけないから、言葉は激しくても人間的にはいい人が多いんです。
そういう人は必ず最後に、「言いすぎて悪かったね」と言います。口で言わなくても、お腹の中でそう思っています。
そうなったら、かわいいやつだと思われて、結果的に出世をするわけ。叱られ上手な人はそうです。リズム感、音感がいいんです。
ところが、能面のような顔で立っていたら、「その面をぶち割ってやるぞ!」と機関銃で撃たれるだけです(笑)。
逆に、あまりにも繊細すぎて、ブルブル震えて、
「あ、しまった。ああ、失敗しちゃった…………」
と言って、三日、四日会社に出てこなくなったらもう、「ああ、あれはダメだね」と、社員失格の烙印を押されてしまいます。
「あいつ、もしかしたら自殺するかもしれない」なんて思われたら、仕事がなくなってしまうし、頼むほうも頼めなくなってしまいます。
叱られるのを恐れすぎて、二日も三日も出てこなくなるような、傷つきやすい社員だとやりにくいですね。
そうかと言って、「ああ、そうですか」と言うだけで、顔色一つ変えないというのも困るから、叱られたときにはやはり、態度で示しながら何回も謝るしかありません。これには音感とリズム感が必要なんです。
それで、ガーッと言う人ほど人がいいと考えて、バババババーッと機関銃の弾が飛び交っているときは、ただひたすら頭を下げ続ける。そして、弾が尽きそうになったら、ひと言前向きな謝罪の言葉を述べる。
クレーム処理でもそうです。「おたくの商品、こんなこんなで調子が悪いじゃないか」と文句を言われたとき、「でも、おたくの扱い方もどうのこうの」なんて言うと、逆上されます。
ですから、そういうときには、ずっと頭を下げ続け、電話でも頭を下げ続ける。そのうち機関銃の弾も尽きますから、頃合いを見計らって、
「いやあ、私どもの商品を買っていただいて、ありがとうございました。いい品物と思い、愛していただいたからこそ、いろいろとご指摘いただけるわけで、何もおっしゃっていただかないと、私どもといたしましても、どこをどのように改善していいか分かりません。
本当に今日はありがとうございました。今後ともお引き立ていただきますように」と言う。
すると、「そりゃそうだ、気に入って買ったんだからね。分かってくれればいいんだ。
しっかりと改善して、次回ももっといい製品をつくってね」と言って、ファンになってくれる。
クレーム処理をきちんとすると、ファンになってくれるんです。営業は断られたときから始まると言いますが、クレーム処理が上手な人は、そうやってファンをつくっていくのです。
目上もそうです。叱られ上手は叱る側の気持ちになって、上手に叱られてあげる。ずっと能面みたいな顔をしていたり、「はっ、ああああーっ」と落ち込みすぎたり、「一回言えば分かるんだよ」みたいな態度を示したりしてはダメです。百回でも二百回でも頭を下げて、「分かっております」と。
「分かってますよー」ではなく、「よく分かっています」と情感を込めて、ゆっくり言わなければいけない。
そう言わないから、「こいつは分かってないな」ということで、何回も何回も、延々と叱り続けるわけです。
叱られ上手な人は、最小限度の弾でとどまる。三、四発で終わります。
ところが、いつも叱られ、何回も何回も叱られていると、パンチドランカーみたいになって、叱られることに慣れてしまう。
すると、叱るほうも顔を見たら叱りたくなる。「叱られ霊界」ができ上がってしまうのです(笑)。
叱られ上手な人は、叱られるとき、プラスに前向きに受け取っている。叱る側の気持ちになって、細やかな気配りを使いながら叱られる。
叱られ方だけでなく、電話のかけ方、手紙の書き方、挨拶の仕方、そういうところまで細かく気配りをしていく。
そういう人が、目上からも目下からもみんなからも愛され慕われ、多くの人々が「いいなあ」と思う基準に合致するから、引き立てを受けて出世します。
一般に、出世の仕方には、下からのし上がっていくケース、同僚から推されるケース、目上から引き立てられるケースの、三つのパターンがあります。
このうち一番早いのは、上からの引き立てです。やはり、知識があり、経験があり、権力のある人から引き立ててもらうのが主で、そして同僚ともいいし、下からも慕われているというのが、最も理想的な出世の仕方なのです。
下から慕われても、同僚からは嫌がられ、上からは煙たがられる、というのではダメですね。上からの引き立てを受けるのがまず一番なのです。
次に同僚からの推挙。「あいつ、仕事も抜群だし、人間的にもいいやつだよ」となると、かなり協調性があると判断していいでしょう。
加えて、部下からも信任が厚いとなると、これはもう最高です。要するに順序は、天人地とくるのです。
人たらしになるには、おべっかとゴマすりを、天人地の全方向に行う。
そしてハートを込める。次に、人間理解でどんな人間も許せる、と。自分の倫理観、道徳観、宗教観でかくあるべきだ、というのではなく、それよりももっと深い人間理解を持って、どんな人も許せる。
腹でも許せる、と。そして、細やかな気配りがあって、叱られ方一つ、手紙の書き方一つ、電話のかけ方一つ、お中元の贈り方一つ取っても、隅々まで気が配られている。
そういう気配りをするのが出世の大きな原則です。
これができている人は絶対に出世します。いろいろと周りを見渡しても、そういう人は出世しています。
その人自身、出世をしようとは思っていなくても、自然に上から引き立てられて、同僚から請われ、下から慕われて出世しています。
出世に一番大事な表現力
それで今日は、序論、本論と話を進めてきましたが、一番のメインのところ、出世の神様はどんな神様で、出世の神社はどこなのか、ということについて、これからお話ししようと思います。
いま、おトイレに行っている人、一番大事な話を聞き逃したら、運から見放されますね。ウンのために運を逃してしまいます(笑)。
その話を聞こうと思ってせっかくやってきたのに、聞き逃したらもったいないです。
それで、私は神様に聞きました。出世するのには何が大事ですか、と。そうしたら神様いわく、「一番大事なのは、表現力と根気だ」と。
一番大事なのは表現力、次に根気、三番目が運。運というのは私が足したんですけれど、これが陰陽、神助、天助。表現力と根気というのが大事なんだ、ということですが、これは陰と陽になっているのです。
今日は「人たらしの秀吉」の話をしましたが、人たらしとは何か。罪悪感を持たずにゴマをすって、おべっかを言って、しかもハートを込めて、そして、満遍なく人を幸せにし、楽しくさせる、心地よくさせる。これが表現力なのです。
そんなことは当たり前じゃないか、と思うかもしれませんが、この表現力というのは社会的表現力であって、社会は人々から構成されていますから、人々に素晴らしさをアピールする表現力なのです。
人々にアピールすることによって、人々から認められ、結果的に出世していくわけです。
ただし、何でもかんでも、「これ、どうですか。いいでしょ、素晴らしいでしょ」とアピールすればいいというものではありません。
あまりに没入感がありすぎると、かえって嫌らしいと反発されます。逆に、あまりに控えめすぎると、訴えるものがなく、人々から認められません。
つまり、強くアピールしたり、控えめであったりと、その強弱を調整する必要があります。
それは、芸術で言えば、豊かな表現力ということになりますが、豊かな表現力とは何なのかと考えたら、「満遍なく、かつ、あたたかいハートでゴマをすり、おべっかを言う」。
これが結局、表現力ということなのです。
社会的表現力のある人は出世します。反対に、地味な人で出世する人はあまりいません。
表現力のない人で社長や政治家や芸術家として出世する人はいませんね。
出世に必要な表現力とは、いま言ったように社会的表現力であり、出世しようと思うなら、人々の中で自分をアピールしなければなりません。
ただし、アピールしすぎてもいけない。やはり内面が伴い、言葉が伴い、行為が伴って、「ああ、素晴らしいな」と分かるわけで、内容もないのにアピールしたところで、すぐに化けの皮が剥がれてしまいます。
とにかく、出世のためには表現力は不可欠です。ですが、表現力といっても分かりにくい。
そこで、「人たらしの秀吉」の例を挙げて説明したのですけれど、それにはまず、罪悪感を持たずにゴマを大いにすることです。
朝から晩まで偏りなく、そしてあたたかいハートでゴマをすることが大切です。
それを持続するためには、人間を理解して、人を許さなければいけません。
どんな人が頭取になっているのかを調べたイギリスの銀行協会の調査結果を見ても分かるとおり、深い人間理解に基づいた、人を活かし組織を整えていく能力がなければトップにはなれません。
つまり、人事管理能力、運営能力のベースには人間理解があるのです。
それから必要なのが、細やかな気配りです。言葉、文章、叱られ方、叱り方、悲しみ方、喜び方… 人間行動のあらゆる面に細やかな気配りがないと、「あいつは気の利かないヤツだ」と言われてしまいます。
要するに、気配りに欠けると、理屈では分かっていても的を射ないわけです。
表現力を具体的に言うと、だいたい以上のようなことになります。
根気がなければ出世はできない
表現力の次に大切なのは「根気」です。
どんなに表現力があっても、一年か二年したら「もういいや」「こんなのやってられないわ」ということで会社をやめてしまうようではいけない。
やはり、持続しなければいけないわけです。人を育てるにしろ、ゴマをするにしろ、おべっかを言うにしろ、真心を込めるにしろ、根気よくやらなければダメなのです。
そのために必要なのは、忍耐力というより根気です。
秀吉の場合は、子守をすることによって根気を身につけた。その根気によって、感情がコロコロ変わり、いろんな趣味を持つ人間でも、粘り強くお付き合いできるようになったわけです。
根気がなければお接待もできません。ゴマもすれません。
表現力がどんなにあっても、続けられなければ意味がないし、どんな場面でも上手に表現するためには根気がなければできません。
だから大変なんです、ゴマをすって出世するというのは。逆に言えば、表現力と根気があれば、ほかの人ができない分、非常に高い確率で出世が可能になる、ということでもあります。
そして第三番目の運。運もまた、出世には必要な要素です。
ラッキーなことに、上司が出世して空席になったので、自動的に昇進したとか、たまたま来社した人からお誘いを受けたビジネスが時代のニーズに合って
いたとか、そういうことは、ビジネスの現場ではよくあります。
出世の神、弁才天
絵や音楽の世界でもそうです。先生に出展しないかと言われて出したら入賞した。
あるいは、教えてくれている先生が審査委員長になったので入選したとか、そういうこともあります。
出世に必要な要素はいま言ったようなことなのですけれど、第一番目のゴマをすって、おべっかを使って、ハートを込めて、偏りなく、満遍なくできるという社会的表現力というのは、弁天様をよく見たら分かります。
弁才天というのは弁舌の才なんです。弁舌の才というのはゴマすり、表現力。
弁才天はまた弁財天とも書きます。財という字は貝に才と書きます。貝はお金。その貝をあちこちあちこちに持っていく、あちこちに動かす才能が財。弁
才天と弁財天、同じことです。弁舌、言葉がパーッと滑らかに出てきて、スラスラスラッとゴマをすって、「素晴らしいですね」とおべっかを言う。天人地と満遍なくハートを込めてゴマをする。
弁才天というのは男ではありません。女性です。愛嬌よく、ニコニコニコニコとしています。
そして、チャンチャンチャンチャンチャンと琵琶を奏でる。
そのリズム、音感が必要なのです。叱られたときは、「まことにすみません。ごめんなさいね」と言ったら、「まあまあ、いいだろう。君もかわいいヤツだな」と、逆に引き立てられます。
弁才天は、七福神の中で唯一の女性です。あとは、やたらと頭が長い神様とかずんどうみたいな体型の神様とか、デブの神様、ハゲの神様、そんな神様ばかりでしょう、七福神は(笑)。
その中で唯一、弁天さんだけが女性で、楽器を持っている。寿老人は鹿を持っていたり、大黒天なんかはめでたい顔をしているけれど、不格好なじいさんばかりですよ(笑)。
弁天さんだけ、ときど胸の膨らみをちょっと出したり、セクシーで愛嬌があります。だから、みんなが寄ってくる。これ、本当の弁舌の才、弁才です。
だから、ゴマすりとおべっかは弁才。それで愛嬌よく、チャンチャンチャンチャンチャンと琵琶を奏でて、「さあ、皆さん行きましょう」と。弁天さんがいるから七福神の船は明るいんです。
もし弁才天がいなかったら、じいさん連中が船に乗っているだけで(笑)、お互い、
「年金はいつごろおりますかね」(笑)とか、
「歳取ったから腰が痛くって」
「何か貼りますかね、サロンパス」
「匂いがするな、エアーサロンパスの」(笑)
などと言っているのではないかと思います。でも、弁天さんがいるからチャンチャンチャンチャン、「明るいですなあ。さあ、船出じゃ」と行くわけです。
要するに弁舌、表現力、そして愛嬌があるわけです。「大金運」にも書きましたが、愛嬌は出世するための大切な要素です。暗い人はやはり出世していません。暗い人はダメですね。
弁天さんを見てください。チラッと胸元を出したりなんかして、芸者さんみたいなところがあります。
いいですよ、芸者さんは。チャンチャンチャンチャンチャン、三味線を奏でるでしょう。
そして、愛嬌とかわいらしさと美しさがある。
だから、男どもがいいなと思って、すり寄ってきたりするのです。
「弁天さん、ちらちらっと見えていますよ」「あら、まあ」なんて言いながら(笑)、えへえへと笑っているじいさんたちを、船に呼び寄せるわけですよ(笑)。
弁天さんがいなかったら、七福神、ダメですね。まさに紅一点。だから弁才天は、出世の神様なのです。
出世を約束してくれる神社はどこか
その弁天さんを祀っているのが厳島神社です。平清盛が祈りを込めたことによって、平家があれだけ出世した。
ところが、厳島神社の弁天さんをお祀りする前、あそこは神坐すところだった。
すごい黒龍で、頭が九つある九頭龍がいるんです。怖いんです。
その黒龍が傲慢な人間をぶあーんとぶった斬る。だから、どこまでも謙虚でなければいけない。ところが、平家は文字どおり、「驕れる平家は久しからず」だったので、裁かれてしまったのですが、驕るほどまで出世させてくれたのが、安芸の宮島の弁天さんなんです。
出世の神様は弁天さん。出世というのは弁舌と才と愛嬌。秀吉みたいに愛嬌があって、「いやーっ、いかがですか、皆さん」と天人地、偏りなくゴマをすって、ハート麗しく、明るく楽しくおべっかを言う。
それが弁天さん。弁天さんを祀っている厳島神社、これは出世の神様です。
その元をたどると宗像大社。田心姫、湍津姫、市杵島姫の宗像三神も出世の神様で、弁天さんの元です。
日本の三弁天と言うと、安芸の宮島の厳島神社、琵琶湖の竹生島弁天さん、それから江ノ島弁才天。これが日本三大弁天です。
それから、天川弁才天というのもありますけれども、ちょっとあれは種類が違うので、天川に行っても出世できるとは思いません。何か暗くなっている。
役小角の大峰って感じです。大峰は蔵王権現のほうがメインですし、天川弁才天はあまりお勧めできません。
出世ということに関してはやはり厳島神社、竹生島、それから江ノ島の日本三大弁天です。中でもとくに厳島神社が一番強い。これはお勧めの神社です。
それから、表現力でもう一つお勧めできるのが木花開耶姫様です。木花開耶姫というのは表現力の神様。
浅間神社です。語学の神様でもあります。
木花の咲くが如く言葉がほとばしる。だから、木花開耶姫は言葉の表現力の神様なのです。
神社で言えば浅間神社。木花開耶姫を祀っているところ。これが陽で開いていく。
しかし、開いても持続しなければ意味がありません。持続させるためには、やはり根気が必要です。
「人たらしの秀吉」でも説明しましたが、人間理解というのは本当に忍耐が要ります。女狂い、酒狂い、出世欲に狂う人間、強欲な人間、理不尽な人間、冷たい人間、バカな人間、怠りの人間、増長魔の人間は不愉快ですよ。それでも、理解して許してあげるには、根気と忍耐が要る。だから、人間理解という二番目は陰の部分なのです。表現力が陽とすると、これが陰の部分です。
この忍耐力、根気に関しては、「成功経営の秘訣」(たちばな出版刊)を見てください。西宮の戎様。原健三郎さんが二十二年間ずっと奉納演説をやり続けた。
そして、戎さんに祈りを捧げて、衆議院議長になったとき、中に入って土下座して感謝したという、実際にあった話が書かれています。西宮神社が忍耐根気の神様なのです。
人間理解もそうです。根気があったら必ずできるんですけれど、普通、十年、二十年も待てないんです。
もうちょっとのところで失脚したり、ダメになったりすることが多いのです。
粘り強さ、根気強さが、出世をするための陰の支え。
一番の高級魚と言われる鯛を釣るときにも根気が要ります。ところが、忍耐のない人間はベラやハゼを釣って帰ってくる。
それに対して、鯛を釣る人は、釣れない日があっても、「ありがとうございます」と海の神様に感謝する。こういう気配りが必要です。
そういう忍耐と根気で、鯛という大物が釣れるわけです。
これは出世です。
めでたいなという出世には、陰の部分の根気が要るのです。十年、二十年と根気強く、部下、同僚、目上にお仕えし、理解してあげて許す。
その度量の大きさ。戎さんは耳が遠いというんだけれども、嫌なものを見たときは、見たものを忘れなさい、聞かなかったことにしておこう、ということで、いつもニコニコしている。堪忍袋の堪忍、辛抱の神様です、戎様は。
原健三郎さんは、忍耐強く辛抱しました。そして、九十歳になっても衆議院議員をやっていました。その粘り強いことと言ったらありません。あの根気強さは、根気の神様である戎様の功徳の賜物以外の何ものでもありません。
西宮神社の権宮司さんも、江戸時代の古い地図を復刻したり、あるいは、梅田駅から三宮駅まで、電車から見える景色をずーっと描いていらっしゃいます。
そんなことをして何になるか分かりませんけれど、梅田駅から三宮駅まで、電車から見た景色を全部スケッチして、町並みを描いているんです。根気がなければできないことです。
西宮戎の権宮司さん。会館の屋根裏に行くと彼のコレクションがあります。ご祭神の顔にも似ているし、あの権宮司さんこそが、根気の権化のような方ですね。
これがやはり商売の極意。出世の極意と同じです。人間理解というのは忍耐が要る。
人の教育も忍耐が要る。「和光同塵」も「同事」も忍耐がいる。その忍耐力を与えてくださるのが西宮神社の戎様です。
根気に関しては鹿島の神様も力になってくださいます。「俺はもうダメだな」と思うとき、鹿島神宮の神様が、意志の力、剣の力を強くしてくれます。
それから、仏教では不動明王。これがやはり根気の仏様です。毘沙門天は根気とは限りません。根気というよりは、勝つか負けるかという戦略に関する智恵の仏様です。
だから、出世とは限らない。出世ということに関する限り、やはり鹿島です。鹿島の神様のご神徳は、社会的な権力を維持していくことですから、出世をも維持していく。
根気に直接働くのは戎様です。鹿島の神様というのはもっと発展的に、根気強さ、忍耐強さ、意志力を持って、「よし、十年、二十年やっていくぞ!」という気持ちにさせてくれます。
忍耐力を養ってくれる神社、運を与えてくれる神社
最後は運。もちろん、すべての神様が出世の運とか才能を与えてくださるし、輝きを与えてくださるのですけれど、出世というのは社会運です。
社会運とは要するに、人と人とのつながりの中で運が開いていくものですから、この出世運に関しては、何と言っても出雲の神様が一番です。
出雲大社。出雲の大国主。大国の主になるくらいですから、出世の神様であるし、出世の運を司る神でもあります。
出雲の神が与えてくださる運とは、要するに、人からの引き立てを受けられる運です。
たまたま言ったことがツボを得ていて、対人関係がうまく運び、出世の道が開かれた、というような運。これを大国主、すなわち出雲の神様が与えてくださるのです。
それと熊野の神様を忘れてはなりません。熊野の神様は、ここ一番というときに社会的な表現力を与えてくれる。
運を与えてくれます。
須佐之男の海原をしろしめすという権利を、大国の主に与えたわけですから、弓矢を。
だから、御祭神の性格からしても、出世の運、出世をしていく最終的な運をつくってくれるのが須佐之男命と大国主命。この地上における、人々の中における、社会の中における成功と繁栄が出世ですから、その出世の運をつくってくれるのが須佐之男と大国主。
すなわち熊野本宮と出雲大社。出世の運をつかみます。しかし、運だけつかんでも、実力が伴わなければ仕方ありません。
だから、まず一番に弁天さんなのです。弁舌の才が出てくるし、愛嬌が出てきて、何か人に好かれる。
そして、文学とかお金のやりくりをどうしていくのかという、緻密な頭脳が出てくる。
こうしたほうがいいな、ああしたほうがいいな、というときに明確な指針が出てくる。それに何より、表現力が豊かになって、人間の能力を高めてくれます。
弁天さんみたいな性格になって、チャンチャンチャンチャン、ちらっと胸元を見せてニコニコしながら、「さあ、皆さん」とやっていく。そう説明いたします。
やって、天人地にゴマをすって、ハートもよく、「仲よくやっていきましょうよ」という出世の一番大事なところを守り導いてくれます。
出世祈願のポイント
出世の神様と神社はいま申し上げたとおりですが、次に祈り方のポイントを祈り方のポイントを言いますと、「出世できますように」というふうなお祈りはしないほうがいいです。
欲心が立つと神様が動かなくなるからです。それでも守ってくれるのはご先祖様。「出世するぞ。出世がしたい。
何とか出世できるようにお願いします」と、お墓や仏壇の前で祈って守ってくれるのは、ご先祖の霊です。
祖霊は、肉親の情で善人でも悪人でも罪人でも守ってくれます。そういう、どろどろしたことをお願いしたいときは先祖霊。墓参りをしたり仏壇で拝んだりすると聞いてくれます。
神社の神様はそうではなく、もっと大きなところで、愛と真心で祈らなければ動いてくれません。大きいんですけれど、肉親ではないのでどこか冷たい面もあります。
とにかく、志がよければ守ってくださいますが、その志は、「愛と真心」でなければいけないわけです。
では、出世の祈り方のコツは何かというと、「目上の皆さんに喜んでいただきますように」と、上のゴマすりをする。
そして、「同僚のみんなにも喜んでもらえますように。目下のみんなにも喜んでもらえますように」と祈ると、弁天さんが動かれます。
「目上も同僚も目下も喜んでいただきますように。販売先も仕入先も喜んでいただきますように」という、喜んでいただくという祈りが大事なのです。
商品開発をする人は、「お客様に喜んでいただけますように」というふうに祈る。
要するに、「目上、同僚、目下、販売先、仕入先、お客様に喜んでいただけますように」と、天人地にゴマをすればいいのです。
それを自然に言わなければいけない。自然になっているのが本当なのです。
「神法悟得会入門篇」の祈りの原則ですけれど、愛と真心で、「喜んでいただけますように」というのが愛念ですから、とにかく、「喜んでいただけますように、幸せになっていただきますように。納得していただきますに」と祈るのが一番のポイントです。
少し付け加えるならば、「ここ一番のときに幸せになっていただきますように」とか、「感激してくださいますように」とか、こんなふうに祈るわけです。とにかく、「喜んでいただけますように」というのが一番です。
こういうふうな祈りを、目上、同僚、目下、販売先の皆さんというふうに分類し、「愛の要素分解」で祈るのですけれど、会社においては、目上、同僚、目下と、三方向に祈る。こういう祈りをすると、心が愛だから気持ちよくなります。
そして、愛と真心に基づくから神様が聞いてくれて、自然に出世します。「我を出世ならしめたまえ」というのは欲心だから、神社ではイマイチです。そういう祈りは仏壇とお墓でやることです。肉親ですから、「おお、そうだ、出世しなきゃいけない」と言って守ってくれます。モロの欲望に基づくお願いごとは、ご先祖様にやってください。
これが、絶対出世できる祈り方です。神様だけがありがたいわけではありません。肉親の先祖霊はそういう意味でありがたいですね。
ギラギラしたモロの願いでも、仏壇に供え物をし、お経を上げたら、「そりゃ、そうだろう、そうだろう」と聞いてくれるのですから。
神様への祈り、先祖霊への願い。この二つの方法でお願いいたします。
それから、出雲大社でお願いする場合は、出世をお願いするより、「開運のチャンスを与えたまえ」「運を開く端緒を与えたまえ」とお願いすべきです。
「出世できますように。愛の心に基づいておりますので、よろしくお願いします」などとごたごた言わずに、「開運のチャンスを与えたまえ」と祈ったほうがいいのです。
というのも、出雲大社の神様は大国主だから、出世のチャンス、出世の端緒を開く神様なんです。
弁天さんは名声と弁才ですから、もちろん運を与えてくれます。
しかし、運そのものを与えてくださるというよりも、運が開かれるような雰囲気を与えてくださいます。
運も与えてくれるけれども、雰囲気を与えてくれます。
弁天さんにも、「喜んでいただけますように」と祈る。
これを、弁天さん、木花開耶姫様に祈ると、スラスラスラッと言霊が出てきます。
そして、気が利くようになるし、「あっ、いまはこういうふうに言ったほうがいいな」という叡智をいただき、ピタッピタッピタッとツボにはまるようになります。
そういう祈りを弁天さんにしてください。
祈り方のポイントはそういうことでございます。ということで、本日はこれで終わりたいと思います。どうも。(拍手)
