生まれてくる子供の運命は、こうして決まる!
子供の運命はどうして決まるのかと言うと、その子供がおなかの中に宿った時のお父さんとお母さんの精神状態、文化のレベル、それから経済状態や社会的にどのように頑張っていたかという、お父さんお母さんの内的、外的な状態による。そうした状況に見合った子しか宿らない。
だから、ご両親がうんと頑張っていた時に授かった子というのはやっぱり優秀な子で、酒は飲み、浮気はしたとしても、努力家で根性があって、何でも頑張る。
もちろん勉強や仕事も頑張ってかなりのいい成績を上げる。
女性だったら、奥さんになっても男に負けるもんかというド迫力があって、積極的で、やり手である。
そんな風な、ともかく「世の中でひと荒れするぞー!」というような立派なガンバリッ子ができる。
例えば、田中角栄さんのバリバリ猛烈時代に作った子供、田中眞紀子さんのド迫力を見れば、そのすさまじいパワーの根源がどこにあるのか、お分りいただけるのではないかと思う。
いずれにしても宿った時が勝負で、あとでガタガタ言っても遅いわけである。
中には不思議な子もいる。大体、蛙の子は蛙だけれど、時々トンビが鷹を生んだような子もいる。
けれどそういう子供かどうかは一六歳になるまでわからないから、小学生であれば、あまりひどく荒れた学校だったら、いい環境のほうに替えてやるというくらいの気づかいでいい。
東大に行かせるために開成に入れて、そのために四谷大塚に入れて、そのためには、というようなプログラムでもない限りは、普通の楽しい幼稚園へ行かせたらいい。
あとは、荒れてたらどこかいいところに移す、というくらいでかまわない。
算数嫌いの子にしないために
ただし、予備校を経営していたことのある立場から注意したいことがある。小学校の算数の勉強についてだ。
ここをはずすと、算数嫌いの子供になって、あとあといろんなハンデを背負ってしまうのだ。
それは小学校3、4年に習う分数計算の覚え方だ。私自身すごく苦労したので、教育する立場から、この点だけは強調しておきたい。
小学校の3、4年になると分数計算を習う。分数計算は、「抽象概念」の学習だが、三月生まれとか、二月生まれの子には不利なのだ。
どうして不利かと言うと、小学校の3、4年くらいになってくると普通、抽象的な概念を扱う部分の脳が発達してくる。
発達心理学から言って、そうなるのだ。だから、いま学校では小学校3、4年時に分数計算や!とか出てくることになっている。
ところが、早生まれの子は一年近く遅いから、そこが未発達で1、2、3、4、5、はわかるけれど2分の1とか3分の1がわかりにくいのだ。1、2、3なら指で数えられる。
でも1の半分で2分の1と言われると、指が半分に切れるのかと悩んでしまう。私もそうだったから、気持ちはよくわかる。
3分の1、4分の1になると、指の関節は三つしかないのにどうなるんだろうか、と。1分の1はまだ分かる。でも、5 分の1というのはどう刻むのかな、なんて思って、非常に不思議だったものだ。
だからここで、算数嫌いの子供が半分できてしまうのである。
大体、算数嫌いがどこでできるかと言うと、この分数の理解ができるかどうかだ。
発達心理学に従って抽象概念の発達が間に合わない早生まれの子は、抽象概念である分数がわかりにくくてそうなってしまう危険が高い。
早生まれでない人でも、ゆっくり育つ子と、早く育つ子がいる。晩熟型というか、私は晩熟型プラス三月生まれだったから、学生時代は大変苦しかった。
なんであんなのがわかるんだろうか、と。その代わり、別の次元界には敏感だったけど、この世の次元界には鈍感だった。
そういうわけで、3年生で半数が算数嫌いになるから、三月生まれの子、二月生まれの子、早生まれの子の場合、親は気をつけてやらなくてはいけない。
とにかく、算数嫌いにしてしまったらもう理数系はだめで、国立大学に行くにしても苦労する。
そうすると子供の可能性を奪ってしまうわけだから、お母さんは家庭教師をつけて、塾に行かせて、塾と家庭教師二本立てにしてでも手を緩めず、少なくとも算数が嫌いではない、というふうにしないと、子供が中学に入って苦しむ。もちろん、高校受験でも苦しむことになる。
私はいまでも、暗算なんてとてもできない。子供の頃は本当に野性児だったから、そろばんとか習わせてもらっていたらよかったなと思う。
電卓使っても一回で計算が合うという自信がない。ヘタをすると三回目か四回目にやっと合ったりすることもある。
だから、霊感で当てるしかない。これは冗談だが、難解な計算がパッと出せる人間を見たら神様のように見える。
本題からそれるが、運転免許がある人、これもすごい。あんなガードレールがずーっと続く道路を何時間もよく運転できるなと思ってしまう。
私なら、バーンとガードレールを飛び出し、それから宇宙へすーっと飛んでいってしまうのではないかと思う。
銀河鉄道スリーナインの世界などをいつも想っている人間だから、ついガードレールのほうに行きたくなるのだ。
だから、よく何時間も運転できるなあ、と思って尊敬してしまう。運転できる人とそろばんが合う人は、神様のように見える。その代わり、私は人にできないことができるけれど。
英語嫌いにさせないために
受験だけがすべてではないけれど、英語が好きと嫌いとでは、あとで差が出る。
そこで、英語嫌いにならないためのポイントを上げておこう。
中1の後半が第一のポイントだ。大体、中1の初めはドッグ、キャットと喜んでいるだけで済むが、中1の終わりくらいから非常に文法が難しくなる。
現在形はわかる。三人称単数にSをつければいい。現在進行形もわかる。INGをつければ現在が進行してる。
ところが現在完了形になってくると、現在が完了するってなんだ?現在が官僚体制だというならわかるが、現在完了とはどういうことか。
それだけじゃない。過去完了形というのまで出てくる。過去は完了してるのになんで過去が完了なのか。
もっと不思議なのは過去進行形だ。過去が進行してる?現在が進行するのはわかる。でも過去が進行してる?過去がなんで進行するのか、わからなくなるのだ。
仮定法過去とか、「もしなんとかだったらなんとかだった」なんて、理屈で考えたってわかりはしない。
こういう現在完了形、過去完了形、過去進行形とかいうのが、中1の終わりに出てくるのである。それがわからない。過去進行。
なんで過去が進行するのか。これを読んでいるお母さんだって、ほとんどわからないんじゃないだろうか。
それで、中1の後半から子供の半数が英語嫌いになるのだ。中1になりたての子は無邪気で、大体ドッグ、キャットとか、Do you have a pen? I have a catとか言ってたのに、中1の終わりくらいからあまり言わなくなる。
そのうちにちょこちょこちょこっとファミコンをやるようになって、もう英語は見たくもなくなってしまう。
こうなったらもう英語嫌いになってしまったわけで、高校受験の時うんと苦しむことになる。
そうならないためにも、中1の終わりの頃のケアを、親はしっかりやってあげなければいけない。お父さん、お母さんが英語ができないものだからと、放っといたらいけない。
大体、子供を見てると親がわかる。水泳のできない子の親は大体泳げないし、すご字の汚い子の親はやっぱりものすごくへたくそな字を書く。
日本人の英語ベタは有名で、親が英語を苦手なら、ほとんどの子供も苦手で済ませてしまう。
しかし、だからこそ英語が好きか嫌いかは、大きな差になる。だから、英語が苦手な親はそれだけ、家庭教師をつけるなり英語塾に行かせるなり、この中1の後半には専門のインストラクターにつけるべきなのだ。
中1、中2の時だめだとあとから地獄の苦しみになる
こう言っても納得いかない人がいるかもしれない。
結局、いい大学に入ればいいんだから、高校の時にきちんと勉強すればいいんじゃないか、深見は予備校に関わっているから、子供を自分のところに早くから入れさせたいんだろう、などと勘ぐったりする人もいるかもしれない。
冗談じゃないのだ。高校受験の時の英語、つまり中学で習う英語がしっかりできてないと、大学受験の高2 高3で頑張ろうと思っても全く難しいのである。
私は実際、予備校の経験からわかるのだが、大学受験でどうにもだめな子というのは高校受験でしっかり英語をやってなかった子だ。
中1、中2、中3で教わる文法が基礎中の基礎で、だから中学の英語の学力がちゃんとあれば、外国に行って英会話で不自由するなんてことはない。
日本人の場合、東大の法学部にいるのに英語がしゃべれないという人がいくらもいるのは、いいお手本だ。
東大に合格するほどの人が、中学や高校で英語の勉強をしていないわけがないが、中学の英語を自由に話したり、自由に聞いたり、自由に書けるようになる勉強が欠落していたので、日本の普通の学校教育では、残念ながらこうなる。そういうわけで、英語が苦手な親御さんのお子さんが、中学で英語が嫌いなのに、高校で頑張って英語を身につけられるわけがない。
だから私の予備校では、大学受験の勉強としてハイトップの中2の問題集からやる。
それでもおおかたの子供さんは、半分も点数をとれない。中2の問題集からやって、それで英語の基礎が入ってから本格的に高校の勉強をし始めることにしている。そんな回りくどい、と言っても基礎ができてない子どもは地震で壊れたマンションみたいなもので、その上にいくら積み重ねても、積むそばから崩れる。基礎なしにいくら何時間勉強させても、それこそ砂に水をまいているようなものだ。
そういうわけで、だいたい高校受験までに英語の基礎をしっかりやってきた子は、高1、高2の時にさぼっていたとしても、高3から頑張っただけでバーンと成績が上がって合格する。
現役でも通るし、一浪してもいいところに行く。反対に、高校受験までに英語を怠った子は本当に苦しんで、一年浪人してもあまりたいした大学には行けないことになる。
そのくらい、中1の後期からの英語学習は大切な意味を持つのだ。
ポイントを押さえて、効果的なチェックを!
教育面で親が子供に直接してやれることはあまりない。だから、可能性を広げてあげるためには、いま言ってきたポイントをクリアできるようにしてあげることに尽きる。
それが最大のプレゼントだ。いまは文科系の大学でも理科系の大学でも、英語の配点が一番多い。
大学院に行くにしても英語はある。だから東大や阪大の大学院に外語大の学生がよく合格するなんてことも実際にあるくらいだ。
英語抜きで大学受験はできないし、高校受験もできない。文科系理科系を問わず、大学院まで英語はついて回る。
だから英語嫌いに育ててしまったら、本当に子供を苦しめることになる。
いっぺん嫌いになって、それでも御魂の顕現によって「やるんだ!」となって、高校中退したのに大検受けて大学を受験するというような人も中にはいる。けれど、それにしても英語が嫌いにならなかった人より何倍も苦しむことになるのは事実だ。
親が可能性を広げてやらなくても、這い上がっていく子は這い上がっていくけれども、親として可能性をより多く与えてやることはできる。
だから小学校の3、4年の分数計算のところと小数点計算でつまずき始めやすい時に早く、よく、厳しくチェックして、算数嫌いにならないようにする。
また中1の後半で英語嫌いにならないようにだけしてあげれば、ちゃんとした高校に行けるし、大学にも行ける。
親も子も、最小の努力で最大の効果を得られる。それには何よりも、このタイミングをはずさないことだ。
先輩の影響力をうまく使える高校に進ませる
高校というところは、子供の一生にとって本当に重要だ。なぜかというと、先ほど書いたように、一六歳の頃、つまり御魂が顕現する頃、子供は高校に入るからだ。
ところがこの時期、子供はどうしても親の言うことを聞かないで、先輩の言うことを聞く。
そうすると、程度の低い高校に入ると、程度の低い先輩が子供に影響を与えることになるのだ。
「俺さあ、プロボクサー目指してやろうと思ってんだ。大学って難しいだろう。
お前、俺と組んで、いまからストリートファイトで腕をみがこうぜ」などと言われて、「そうか大学って難しいんだ」と思ってしまう。先輩がそうだからと、自分の人生を低く決めてしまう危険が大いにあるのだ。
関西だと灘高とか甲陽学園とか、大阪なら北野高校とか天王寺高校とか、神戸なら神戸高校とか兵庫高校とか、それぞれの地域のいい高校ならこういう程度の低い先輩はあまりいない。
その反対に、絶好の効果が得られるのである。
ともかく、高校時代は友達の言うこと、先輩の言うことを聞くのだ。親の言うことよりもはるかに聞く。
だからその高校の先輩たちが京都大学とかに行ってると、親に言われなくとも「僕も京大を目指すんだあ、僕は東大に行くんだあ」となる。みんなそう思ってるし、友達もそう言うから、そういうもんだと思って勉強して、そういうもんだと思って通っていく。この効果たるや、何物にも代えがたい。
多少勉強嫌いでも、成績が悪くても、先輩が先にいい大学に入って、「お前も来いよ。なかなかの大学だぞ。いい女も多いしね」なんて声かけてもらったら、石にかじりついてでも合格しようと勉強を始める。なまじの進路指導教師より、先輩の一声である。
だからなるべく高校はいいところに行かせてやろう。
そうすると、それから先の大学などのコースもおのずと決まる。高校の位置というのは、一般に考えられているよりよほど重要だ。それは、子供がそういう特別な年齢層にさしかかる時期だからだ。
また高校受験までは、子供は親の言うことを大体は聞くものだ。お父さんお母さんの言うことをまだ聞いてくれる。
だから無理矢理にでも、とにかくいい高校に行かせたほうがいい。高校に行ったらもう、親の言うことをあまり聞かなくなるから、最後のチャンスのようなものだ。
自由放任がいいか、スパルタがいいか
子供の自主性を尊重したほうがいいか、それとも親の言うことを聞かせたほうがいいか、という質問もよく見る。
どうも、いまのお母さんは全面的に言うことを聞かせたいタイプと、まったく放任したいタイプに別れるみたいだ。真ん中のタイプが少ないのはあまりよくないことだが。
けれど、中学時代には子供の言うことなんて全く無視したほうがいい。
「がたがた言うな、おこづかい取り上げるぞ、ファミコンぶっつぶすぞ」「お母さんと勝負だ」と言って包丁までは持ち出さなくてもいいけれど、「やるのか」と迫力持って言ったち、ちゃんとうまくいく。
その時にお父さんも協力するともっといいんだが、まだ中学時代ならお母さんの言うことも聞く。でも高校になったらだめだ。もう体も違うし、パワーも違う。お母さんも自信がない。
教育家として見ていても、子供のあとのことはもうわからない。親として、教育者として子供の可能性を広げるだけ広げてきたら、あとはもう子供の先天のままに行くから、それまでは自分が好きなように躾けたらいいのだ。
バチバチ殴ってもいいだろう。それがいいのか悪いのか、それはわからない。あとは子供次第だ。子供のほうが強い場合は金属バットでやられるかもしれない。
ともかく子供の言うことを聞いて放任主義でやるなり、英才主義でやるなりスパル夕式で教育するなり、好きなように育てたらいいのだ。
それがよかったか悪かったかなんて全然気にしなくていい。そんなことは子供は潜在的にわかって生まれてきてる。
親が、子供が生まれたらこうしようと思ってる、というところを意識でわかって生まれてくるんだから、いちいち気にすることはない。これが教育の、子育ての原則だ。
これが絶対にいいという教育法則はない。子供はある程度まで育つと、あとは先天で大きくなる。
どんなにやっても、一六歳から先は自分の好きなところに行ってしまう。親の希望と一致する場合も時々あるけれど、一致しない場合のほうが多い。そこは割り切らないと、親御さん自身が辛いだけだ。
どんな父親でも、子供にとってはいたほうがいい
テーマを元に戻そう。離婚問題だ。お父さんが気に入らない場合、別れたほうがいいのか、どうかだ。
結論めくが、子供にとってはお父さんはいないよりはいたほうがいいのだ。
あんな父親はだめだとか、あるいはよかったという基準が子供の中になかったら、その子の将来の指針もなくなってしまうので、お母さんとしては目一杯まで頑張ってみることだ。
それでもだめだったら、これがこの子の運だと思って、スパッと別れて再び顧みないことだ。これはこの子の運なんだと、その時は割り切る。それまでは、目一杯頑張ってみることを強くお勧めする。
ものすごいへんてこりんな父親がいたおかげで、それが魂の栄養になるなんてこともあるものだ。私の母もそうだった。
そしてその母のおかげで、私も成長の糧にすることができた。へんてこりんな父親がいたから、それが糧になって御神業に向かった。私にとってそれがよかったのである。そういうことが悪く働いていびつになってしまう子もいるし、それがよく働いて宗教家になる子もいるわけだ。これは、子供から見た場合だ。
奥さんから見たらどうか。めちゃくちゃな夫と暮らしたがために、それがよくて立派な人格を形成する奥様になったり、それが悪かったために男を見たらとにかく刺し殺したくなるような、ものすごいサディズムの、男は許すな的な女になる場合もある。それはわからない。
個々人の判断に関わるからだ。
別れるなら子供の年齢を考えよ。うんと遅くか、うんと早くか
子供のことを思ったら、どんなへんてこりんな父親でもいたほうがいいので、どうしても別れるのなら、子供の教育にあまり影響しない時期に別れるべきだ。
できたらだが、子供が高1、高2を過ぎてから別れるか、そうでなければ中2の前、それも小学校の小さい頃に別れるべきである。
早い勝負か遅い勝負かのほうがいい。中2の頃は子供が多感な時代だから、お父さんが別れていなくなると、うんと傷になって残ってしまう。
高校を過ぎたら子供もいろいろわかってくるから、「まあそういうことってあるよね、
うんお母さん、そんなに気にしなくても僕がちゃんとやるから頑張りなよ」なんて言うようになる。体が大きい分、お母さんには頼りになることもある。
小学校の小さい時は、お父さんが変わっても、何かよくわからないまま「お父さんが変わったなあ」とか、「あ、また変わったなあ」と納得してしまう。
「最初のお父さんがね、野球してくれてね。二度目のお父さんはサッカーでね。三回目のお父さんは殴るの」なんてちっちゃい子は言ってくれるのだが、同じ子供でも、中2の頃になるとそうはいかない。
ちっちゃい子と違って、この時期にもなると社会的関係に関心を持つ。けれども、社会経験はほとんどないから、周りの家族関係の変化はすごく不安になる。悪くすると、御魂が傷つくことになる。
まして、先に言ったように学業面では英語でも数学でも、基礎をしっかり固めなければならない時期だ。
この時期に精神的に不安だったり、動揺がひどいと、その子にとってあとあと悪く響くことになる。だから別れるんでも、この頃は避けたほうがいい。
すると、四人くらい子供がいて順番に中1、中2の子がいつでもいると、なかなか別れられない。
そういう家族構成だとしたら、それは別れないほうがいいということなのだ。
七〇点奥さんが一番
もし別れるのでも、なるべく頑張って家庭内離婚してたらいい。それで旦那の収入だけは頂いて好きなようにやってたらいいのだ。
そういうご夫婦は、案外多い。そこにいくと円満で理想的な結婚というのは、もうほとんどないといっていい。あったらそれは、もう奇跡、神の恵みというものだ。
「若者よ、大いに結婚したまえ、それが素晴らしい結婚ならばあなたは幸せだ。それが最悪な結婚ならば、あなたはソクラテスばりの哲学者になるだろう」だ。皆さんはもう、哲学者になれる。
だから、家庭内離婚は非常にいい。夫の収入から、生活費だけはできるだけいっぱいもらってそれで好きなようにする。
だから七〇点の奥さんでいいと、私は言うのだ。ご主人に、お前は大体はいいけれど、どうしてここだけ直らないんだというくらいの奥さんがいいのだ。
買い物ばっかりしたり得体のわからない模様のあるようなメダルばっかり買ってきて、「わしが家にいる時にはなかなかいなくて、いない時に家にいて」と、文句を言われていたほうがいい。
その三〇点が思いどおりにならないということは、その分だけ奥さん自身が自分で満足してるということだから、それで三〇年四〇年続いていく。そのほうが子供にもご主人にもいい。
百点満点の奥さんであろうと思って、あるいは九〇点の奥さんであろうと思っていると、息が続かなくなって、ズバーンと別れてしまったりする。子供はやっぱり、可哀想だ。
だから、三〇パーセントぐらいはわがままでやりたいことやっていて、ご主人と言い合いしながら長続きするのがベストなのだ。
「お前、なんとかならないの」っていうところを三割確保しておいて、それを自分の幸せと充実に当てるのである。
だから、百点満点、九〇点、八〇点の奥さんとなろうとすることはないのだ。
七〇点でいい。自分の三〇点はもう、お金も時間も好きに振る舞う。そのほうが幸せで、男のために一〇〇パーセント尽くすことはない。どうせ向こうも、女房一人のために自分のすべてを捧げようなんて思っていないのだ。
ご主人に奥さんの時間の三割を諦めてもらうというのは、無理でも何でもない話だ。かえって、夫婦とも七〇点同士でやっていたほうが絶対にうまくいく。
大体、長くつき合ってるけど相手のことでまだわからないところがある、というくらいの関係のほうが、お互いに恋人同士みたいで新鮮というものだ。
そうじゃないから、飽きがくるのだ。
ただし、七割はまあまあ。四分六でも何とかなるものだが、七三が逆になって三七、つまり七割自由三割相手のためとなると最悪だ。
旦那のほうは、絶対に女房に男ができたと思う。それで、俺の稼いだ金をどこかのキムタクみたいな奴に貢いでいるんだ。
それで、ムムム、となって、頭に血がのぼって、サリンをつくり始めたりする。
そうならないためにも、七三でなければだめ。そうすれば向こうも奥さん一人のために尽くさなくていいし、その代わり、三割はご主人に諦めてもらう。
そういう関係をお互いに確認するのは、そう簡単ではないかもしれない。それとなくつくっていくしかないだろう。
でも、こうやってお互いが距離を設けて、満足して長くやっていくほうが、結局いいのだ。
離婚のタイミングは大事だ
ただし、何でもかんでも長く夫婦をやっていたらいいかと言うと、それも相手によるということがある。
どうしてもだめだ、この男とは一緒にいられないという時には、天の時来たれりで、スパッと別れることもある。ただし、そうなった時は、二度と振り返らないことが肝心になる。
別れるとなったら、子供がいたとしてもクヨクヨしてはだめなのだ。
父親と別れることになったのも、それもその子の運ということで、「あんたが立派にやっていけるまではお母さんが育ててあげる、その代わり、将来は母さんをちゃんと養ってね」と躾けるのだけれど、別れるのなら子供の年齢を考えに入れたほうがいいということは、前に書いたとおりである。
子供にしても高校生ぐらいになっていれば、「お母さんわかるよ、あんな親父と別れちゃいな」と、その離婚が正解ならの話だが、わかってくれるし、子供が味方になってくれる離婚ならいい離婚というものだ。だが子供が中学1、2年だったら、ちょっとやめといたほうがいい。
そのくらいだと、お母さんの大変さがわかってもらえないからでもある。
だから、子育てに関して、神経質になりすぎることはないし、悔やむこともないということだ。
親の責任範囲はしょせん、子供の可能性を大きくするのか小さくするのかであって、子供が自分の先天の運に気がついたら全部、自分で越えていく。その先のことは親がどう苦しんでも、子供が勝手に越えていく。
どんなにいい物を与えても、子供が先天の運で動き始めた時には、生きない場合も多いわけで、そんなことをくよくよ悩まないで、私の子はこうなんだと決めて、自信を持ってやればいいのだ。苦労して育てるわけだから、お母さんも満足がないと続かない。
しかし、あまり子供に気を使いすぎることはない。
これが、子育ての原則だ。離婚する時の原則でもある。
誤解されては困るが、何も離婚を勧めているわけではない。なるべく仲よくいっていただいて、ご主人に「うちの嫁さんはこんなもんだわ」と、諦めさせる工夫を成功させて、うんと幸せになってもらいたいというのが私の本心なのである。
それには、まず発願が必要だ。ご主人の思惑と、奥さんの思惑が違ったとしたら、念力の強いほうが勝つからである。
その為にはまず、「必ずこうなる!絶対こうしたい!」という発願をすることである。
そう念じていれば、ご主人が寝てる間にも、ずーっとその意識の内に訴えかけることになって、少しずつでも、奥さんのペースになってくる。
夫がこうだからだめなんだわ、夫にはこれは無理なんだわ、なんて思ったら、夫のペースだ。
これでは勝てない。奥さんとご主人、念力の強いほうに夫も家族も行く。夫も賛成させる、子供にもわからせてやる。そうなんだと思い続けていると、「もうお前わかったよ」ということになって、奥さんの勝ちだ。
だから、志を立て、発願をして、思い続ける。毎晩お祈りして、三年、五年、六年、一〇年たったら霊界ができて思いも叶う。
つまり七割奥さんで、家のことは七割こなして、後の三割を自分の好きなことに当てても、誰も文句を言わないようになるのだ。志を立てると、その志の念波が家中に行き渡るからである。
念波が行き渡ると霊界ができて、時間がたつと成熟してくる。熟してきたら、水蒸気が凝結して雨が降るように、化する働きで必ず現象面でチャンスが出てくる。
この働き全体を総称して、機運が動くという。機運が動き、機縁が生まれるのである。
そうなると、不思議なほど、ものごとが思いどおりになっていく。それもこれも、まず発願からだ。
だから、いまが大変だからできないということはないのである。いまというのは過去の自分の結果でしかないから、いまは直らない。しかし、未来はいまの自分を変えれば変わる。
だから、いま現状がこうだからダメということはないのだ。未来に向かって機運と縁をつくるために志を立てて、毎日発願し、祈り続けていくと、少しずつ、少しずつ、環境が変わっていくのである。
未来は変わるものなのであって、何もだめと決めつけることはない。
どんどん環境が変わっていくのだから、やり方次第で未来はいくらでも明るく、楽しく変えられるのである。
人に文句を言うのではなく、未来のためにいまできる努力をする
いまというのは、過去の結果であると同時に未来の因をつくる瞬間でもある。だかいまはブツブツ嘆くことはない。
自分がこの世で努力した結果や、あるいは前世に自分が思い描き、行なってきた結果が今世の環境なのだ。
これすべて、自分がつくったもので、誰のせいでもない。だから文句のない環境にするには夫に文句を言ったり、自分の顔にも文句を言うことはない。
顔ならメイクしたりすればいい。いまの自分が新しい因をつくっていたら、未来は変わるのである。
いまは、過去の果(結果)であると同時に未来の因(原因)だ。このことを忘れないで、いま、頑張っていただきたい。
