誰がやっても運営が成功する法則はこれだ! ~神柱になれるシリーズ3~(Vol.2)


菅平リーダー養成神業

1999年2月5日~7日

※1999年2月、全国支部の代表者が菅平に集い、リーダー養成神業が行われました。前年の10月にヤングスターズ・エンゼル会(現・新青山塾)の代表者が集まって行われた「熊野灘御来光神業」とは違う角度でのリーダー養成神業です。


第一部 必ず成功する運営の八つのステップ

実地に現れた教訓

先ほど、皆さんに去年(1998年)の10月にヤングスターズ・エンゼル会(現・新青山塾)が行いました。「熊野灘御来光神業」のビデオを見ていただきました。

皆さんが見終わったのは、12時半ですか、12時ぐらいですか。

ちょうどそのぐらいの時、上からズシンと龍神が降りてきて「おい、おい」と言います。

「おいって何ですかね、あなたはどなたですか」と言うと、「菅平龍王だ」ということで、それでこの神示が出てきたわけです。

菅平神示 平成11年2月6日

われは菅平龍王
祝いの龍神ぞ。
年頭に参り、今また参る汝らは、神に生き、法に生き、道に生きんとする者か。
しからば鍛えよう。
何ごとも試練として
改めて感謝しておるか。
何ごとも良かれと思い
最善の努力を尽くしておるか。
以上が問題となるところ。
全くといって良い程 できておらぬぞ。

ヤングスターズ・エンゼル会の「熊野灘御来光神業(一九九八年十月二十四日)」のビデオは全部で五時間あります(編集部注:神柱になれるシリーズ2 「不可能と思えることに挑戦し、それを可能にするものを会得せよ!」をご参照ください)。今日は問答のところを見ていただきましたが、その前にすでに見ている人がいるわけですね。全部見た人、ちょっと手を挙げてください。全部見てない人は?

あのビデオには、ヤングスターズ・エンゼル会のみんなにとって、リーダーとしての一番大事な要素が全部入っています。ただ、あれはあれで、すでにビデオがあるわけですから、私としては同じことをここでやることはないのです。ですから、あれよりも発展したかたちでここはやるべきだということで、そこから先の話をしようと思っていました。

そこで、各支部に「熊野灘御来光神「業」のビデオを送って「リーダー養成に来る人たちは必ず見ておくように」と運営スタッフに指示しておいたのですが、それが徹底していなかった。さらに、他のものは用意をしてきたのに、そのビデオを持ってくるのを忘れてしまった。

ご神業が始まる前にいろいろビデオ見たのだけれど、熊野灘で行ったビデオは見せてなかったというのです。

当然、知っておいてもらわなければいけない内容ですから、また同じことを説明しなければいけない。しかし五時間あるからね。それで先ほど、問答の部分だけ二時間半見ていただいたわけです。

昨日、今日とあったこの問題点といえば問題点、ドジといえばドジ、へまといえばへま、頭が悪いといえば頭が悪い。これは主に運営側の問題点ですが、皆さんのリーダー養成神業の要素として非常に重要なものです。

それが、この菅平神示に示されている。

「われは菅平龍王 祝いの龍神ぞ。年頭に参り、今また参る汝らは、神に生き、法に生き、道に生きんとする者か。しからば鍛えよう。

何ごとも試練として改めて感謝しておるか。何ごとも良かれと思い、祈りに徹しておるか。」

これが本当に素晴らしいリーダー養成神業になりますようにと祈りに徹しておるか。参加者もそうだし、スタッフの一人ひとりもどうなのか。何ごとも良かれと思い、最善の努力を尽くしておるか。そこのところをよく振り返っていただきたいのです。

以前、「またふたたびの太平洋御来光大神業」を千葉の銚子でやりました(全国合同東州学校(現・新青山塾]一九九六年五月十七~十九日)。

運営のへまとドジとオーガナイズの悪いところを具体的に全部、毎回、具体例をもって、どこがどのようにドジで、どこがどのようにへまで、どこがどのように頭が悪くて、どこがどのように配慮がなかったかということを、企画、運営する側に一つずつ具体例を言った反省会が「またふたたびの太平洋御来光大神業」でした。

最後にその祈りが通って、御来光が見えたわけです。それが銚子で行いまし御来光神業でした。参加した皆さんは、覚えていらっしゃると思います。

同様に、今回、このリーダー養成神業でも、実地の中に具体例が示されました。昨日、今日とあったことを菅平神示に示された

「最善の努力を尽くしておるか。以上が問題となるところ。」という観点から考えたらば、「全くといって良い程できておらぬぞ。」ということになります。では、どういうところができてないのか。

皆さん、よく考えてみてください。この具体的な反省が今年一年の、エンゼル支部の運営、エリア本部の運営、ヤングスターズ・エンゼル会の運営にとって不可欠な要素です。組織を運営するリーダーとして考えなければならないことが、実地に示されたものすごい具体例です。

何ごとも感謝と祈りから

では、ちょっと、参加者全員の発願文を見てみましょう。支部をこのようにしたい、支部代表としてどうあるべきか、布教上の発願…。ご神業に先立ち、参加者には発願文を書いていただきましたが、冷静に考えたら、今回は「リーダー養成神業」ですから、まず発願なんか関係ないんです。

発願は発願でいいことなので、何回発願したっていいわけですが、ここでは関係ないと思ってください。リーダー養成神業をしようと考えたら、まず何をしなければならないか。

たとえば、皆さんがエリア本部で、関東エリア本部の皆さんで話し合って、「じゃあ、関東エリアでコミッティーおよびエンゼル会のリーダー養成神業しよう」と決めたとするじゃありませんか。

たとえば、関西は関西で、「関西のエンゼル会のリーダー養成講座をしよう」と決めたとします。

あるいは九州でもそうです。九州の北九州支部の中において、「じゃあ、北九州支部のリーダー養成神業をしよう」ということになった。

どこでもいいんです。高松支部でもいいし、北海道エリアであろうと各支部であろうと。あるいは、ヤングスターズ・エンゼル会、レディース・エンゼル会のリーダー養成講座。どこでも構いません。どんな組織でも同じことです。

君たちがコミッティーであり、リーダーであり、議長であり、副議長であり、支部長であり、何らかのかたちで上に立つ人間が、リーダー養成講座をしようと決めたとします。みんなが話し合って、「じゃあやろう」と決めたとします。では、次に何を手法として何から始めるのかということです。何から始めますか?これは仕事の進め方の原則なんです。

まず、この菅平神示にある、「何ごとも良かれと思い、祈りに徹しておるか。」ということですが、お祈りは皆さんしていらっしゃるでしょう。

ただ、祈るだけではダメなので、菅平神示を見たら分かるように、まず「やろう」と決めたときに「何ごとも試練として、改めて感謝しておるか」ということが大事です。リーダー養成講座がどういう試練になるか分からないけれどね(笑)。

その準備の段階、プロセス、終わった後、すべてこれです。

何ごとも試練として、改めて感謝して、「こういうリーダー養成講座というようなものを、運営、企画することができてありがとうございます。これらのものを通して学ぶものがありますように」と、まず思わなければいけない。運営する人も、運営を通して自分たちがやはり向上しなければいけません。となると、まずそういうことができることを神様に感謝することです。

運営すること自体が自分たちのご神業であり、試練であり、学びの場ですから、それを感謝して、「運営の中でまた学ぶことができますように」という祈りから始まるわけです。

そうじゃないと、リーダー養成講座をしなければならない、神書流布をしなければならない。それから、総会をしなければならない。というふうに「ねばならない界」が出てきてしまいます。「ねばならない界」ができてきたらどうなるかというと、ねばならない、ねばならない、ねばならないになってきて神業が楽しくない。ストレスがたまります。

仕事もしなければならないし、家のこともしなければならないでしょう。総会もしなければならないし、潮干狩りもしなければならない。「ねばならない「こと」がいっぱい出てきたらストレスがたまってきて、負担に感じるようになってきます。

ですから、そうではないんだと。ねばならないんだけども、そのこと自体がご神業で、神学びであり、試練なんだというふうに思わないと、運営している人間は疲れてきます。

そのこと自体がクラブ活動であり、サークル活動であり、お稽古事であり、習い事であり、自分たちの進歩向上の教材なのです。ですから、絶えず「ねばならない」という世界から、ご神業の原点に返してあげるように持っていかなければならない。必ず、それを忘れないようにしなければいけません。

そういうふうにリーダーがちゃんとしていると、下の者たちはやること自体を喜びとし、やること自体が神業で、やれること自体が試練であり、神学びなんだと思うようになります。そうなると、結果はどうあれ、やること自体が有意義ですね。しかも、いい結果が出たらもっと嬉しいわけです。

人間としての最善の努力は何に象徴されるか

では、そういうことで、リーダー養成神業しようと決めた。祈りから始まった。次にどうするかです。

一、神業をやろうと決める

二、祈りに入り祈りに徹す

三は何なのか。手順として三番目は何が来るでしょうか。

これは、この菅平龍神のご神示を見たら分かりますように、「何ごとも良かれと思い最善の努力を尽くしておるか。」ということですから、何ごとも祈りがあったら、次に人間として良かれと思う最善の努力の要素がいるわけです。

だから、どういう努力をするか。「最善の努力を尽くしておるか。」ですから、三番目は、どういう努力をするかです。一つのものを運営していくには、原則的な手法というものがあります。

それが頭にパシンと入っていたら、何かやろうと決めたとき、パッパッパッとその手法どおり、原則どおりに進んでいきます。これが頭に入ってないから、 進め方が鮮やかじゃないし、緻密じゃないし、正確じゃないのです。

当初からのスタッフには、私は皆、こうしたことを教えてきました。「鹿嶋海原びらき大神事」でも「伊勢岩戸びらき大神事」でも、箱根の神事でも、すべてこの原則に基づいて運営されています。ですから、それはやれているはずなのですが、今回は十分ではありませんでした。

祈りというのは、目に見えない世界を神様のご意向に合うようにするわけです。物ごとがうまくいくように目に見えない世界のものから始めて、だんだん現実界に凝結させていくわけです。ですから、次に、良かれという最善の努力が必要になります。

人間界の中で、じゃあ何をするかということなんです。ミーティングだとか、資料を作るとか、情報収集するとか、理念を確立するとか、いろいろ具体的に必要なことはあるわけですが、人間としての最善の努力というのは、いったい何に象徴されるかなのです。

伝統が継承されていくために

ちょっと考えてみてください。たとえば、あるエリアに非常に優秀で立派なリーダーがいたとします。

その人を中心にミーティングをして、会場の設定、どういう資料を用意するかとか、何人ぐらいの人を対象にするかとか、どういう運営側のメンバーでやっていくかとか、いろいろなことを決めてうまく進んだとしましょう。

ところが、突然、その人が仕事でニューヨークに行くようになってしまった。

副議長もまた、沖永良部島営業所に行ってしまった(笑)と。

あまり経験もなく、年齢も若く、頭も企画力もリーダーシップも弱い人間がエリアの議長になり、副議長になったときに、また養成講座をやろうかとなったときにどうなるか。養成講座とはこういうふうにやるものだと、前の議長がアメリカからその人間を養成しにいくのか。

議長も副議長もどこかいなくなって、それで十年ぐらいたったら?議長がアメリカに行っていなくなって、副議長が沖永良部島に行っていなくなって、コミッティーも十年ぐらいしたら全部入れ替わってしまったときに、そのエリアはどうなるでしょうか。

毎年毎年、やはり物ごとを良くしていかなければならない。たとえば、リーダー養成講座をやろうと思ったならば、一年目よりも二年目、二年目よりも三年目、三年目より四年目、運営が素晴らしくなければいけないし、毎年毎年、進歩向上しなければいけないですね。

後から代わった人間が、少しぐらい資質が変わっても、前よりもまた、さらに一つの東北エリアとして、あるいは北海道エリアとして、関東、関西エリアとして、毎年毎年、運営も中身もあらゆるところが進歩向上していかなければ発展にならないし、伝統づくりにもならないでしょう。

それをちゃんとしてないから、三年たっても五年たっても、ある年は良かったり、ある年は悪かったり、イマイチだったりするわけです。三年前は良かったんだけど、今年はリーダーが代わってダメになりましたと。原始人の文化みたいになってしまいます。進歩向上していないわけですね。

リーダーの資質によって変わるとかというのは、もちろんあります。しかし、一定以上は落ちないというのが、たとえば学校だったら学校の伝統です。校長先生が代わっても、学長が代わっても東大は東大、開成は開成、麻布、武蔵は、麻布、武蔵。灘高校は灘高校。

それぞれ進学実績とか、校風、学校の伝統というのは継承されていくわけでしょう。校長先生が代わろうと教頭が代わろうと、継承されていくということが大事です。

そうじゃないと、それぞれのエリアの中にご神業文化とか、ご神業の足跡が残っていかないではないですか。それは三番目がやっぱりピシッと頭に入ってないからです。だから、リーダーが代わると全然ダメになってしまったということになってしまう。

大学や高校を例に挙げましたが、あるいは真如苑とか創価学会とか立正佼成会とか、担当が代わろうと、積み重なっていっているいいものはいいもので、ずっと残っていっているわけです。

なぜ残るのでしょうか。一年目よりも二年目、二年目よりも三年目、三年目よりも四年目と回数を重ねるごとに素晴らしくなっていき、リーダーが代わろうと議長が代わろうと、良くなっていっているというのは変わらないというのが正しいわけです。

これが一つの組織の運営の仕方の原則で、それをちゃんと分かってやっている人が、ちゃんとしたリーダーなのです。リーダー養成神業も素晴らしいリーダーがやると、そういうふうに伝統が継承され、毎年さらに良くなっていくはずなのです。

企画書の中にすべてを盛り込む

「リーダー養成神業をやろう」と決めました。次に第二段階、「祈りに入って祈りに徹します」。

では、三番目に何をするか。

「何ごとも良かれと思い最善の努力を尽くしておるか。」ということですから、人間としての最善の努力を尽くすためにはどうすればいいか。

いろいろあると思いますが、手法として何が必要かというと企画書作りなんです。計画書でもいいです。人間としての最善の努力を尽くそうというふうになってくると、企画書を作らなければいけない。

一、神業をやろうと決める

二、祈りに入り祈りに徹す三、企画書作り

三、企画書作り

企画書を作り、その企画書の中に、すべての要素を盛り込んでいくわけです。どんな人間で構成し、誰をどんな役割に配置していくのかという人事の配列、話し合いを通して、「リーダーとはいかにあるべきなのか」という理念、コンセプトもみんなで考え、企画書に盛り込みます。場所をどういうふうに決めるのかというのも、企画書の中に全部組み込まれる。

一つのことを企画運営していくためには、さまざまな要素が出てきます。場所、日時、それから会場、費用、いろいろ物理的に決めなければいけない。

では、企画書を作る段階で最初にやらなければならないことは何でしょうか。もちろん、理念とかコンセプトも大切です。

ただ、理念、コンセプトというのはいろんな人の意見が出てくるわけですから、まず、組織をつくらなければいけない。企画書でまず大事なのは何かというと、誰がどういう役割をするのという組織づくり。組織図とか組織表です。

ですから、「人間として最善の努力」という企画書の中身は、まず、より良組織をつくること。誰が何をやったら一番いいのかという適材適所の人事の配置を考えた組織づくりが最初にきます。

それから場所と日時。

場所は、みんなにとって生気天道月になるような吉方位のところを選ぶのがベストでしょう。少なくとも暗剣殺、五黄殺は避けなければいけません。生気天道月になるところの方角は、みんなにとって吉方位になりますから、まず成功します。今回、菅平は生気天道月ではありませんが。

どうしてもしようがない場合には月合とか。お祈りをした祈りが通るというのは、月合の吉方位が一番です。みんながいいというのはそういうところです。(編集部注詳しくは「ネコにも分かる気学入門」(たちばな出版刊)をご参照ください)

暗剣殺、五黄殺は、全員共通の凶方位ですから避けてください。それから、会場もお墓のそばは避ける。墓そば、次に稲荷そば。いなりうどんというのはありますけどね(笑)。いなりそばにいなりうどん。稲荷は避ける。会場はお墓のそばとか、稲荷神社のそばは避けましょう。これが場所と日時を決める際の注意点です。

費用は、最低でも、いろいろ経費を引いて、集めた費用と出た費用でちゃんと余裕が残るように考えなければいけません。そうなるように経費を計算します。また、振り込み方法、支払い方法も、銀行振り込みか、持っていくのか決める必要があります。

もちろん、このたびのリーダー養成神業は、全額、ワールドメイト負担です。

リーダーの皆さんは、いつも神業とか神事に費用を出しておられますから、そのいただきました玉串を、一番ご苦労になった皆さんに還元しようということです。ある程度、地方からここへ来るまでは負担してもらうけど、全部、私たちが負担させていただきました。それはコンセプトです。

コンセプトというのは、平たい言葉で言えば狙いです。「このリーダー養成神業の狙いは何なのか」ということですね。

もっと分かりやすく言えば、主題とかテーマ、あるいは理念。要するに「な「ぜするのか」ということです。リーダー養成神業をしようという動機。動悸、息切れというのがありますけどね(笑)。

これは英語ではモチベーションです。なぜこのリーダー養成神業をやろうということになったのか。皆、リーダーの養成が必要なのは分かっているのだけれど、どういう理由でやるのか、なぜやるのかというのがモチベーションです。

このモチベーションが狙いです。あるいは主題です。企画書には、そういうコンセプトがいろいろなかたちで盛り込まれていきます。

この企画書を作り、活字に残していくことで、初めてその足跡が残るわけです。組織、場所、日時、会場、費用、いろいろコンセプトを踏まえて決めて、後に活字の歴史が残っていくことになります。

そうすると、リーダーが代わっても歴史が残っていく。企画書が残っていきますから、「こういうふうな企画で、こういうことがされたんだ」ということが全部分かります。

たとえば、会場だったら何ホテルか。ここだったら、ホテル○○はどんなところか。そこに住所、電話、必要な情報を全部書いて残しておくこと。そして、必ず書いておかなければならないのは、担当者の名前です。

何という担当者と、どういう話をしたかということが書いてある企画書が残っていると、議長や副議長がいなくなって、次の人に交代しても、次に行くときには電話して、「以前は、担当者の○○さんと、こういうふうなかたちでやりましたけど」という話ができるわけです。

その担当者が社長になっていたり、あるいは左遷されていたりしても「ああ、あの人ね」ということで話が通りやすくなります。

「そのときはこういう費用でやってもらったんですけど、なんで今回はこんなに高いんですか」というふうに、全部記録に残っているから交渉もできるわけです。

これがずっと残っていくと、一年目よりも二年目、二年目よりも三年目、三年目より四年目というふうに積み重なっていきます。企画書が残っていれば、誰が、いつ何をしたのか、どんな場所で、どういうコンセプトで、どういう狙いで、どれだけの費用でやったのかという記録が全部残っていくわけです。

ですから、より良き場所、より良き日時、より良き費用、より良き運営の中身が、担当者が代わっても議長が代わっても引き継がれていきます。今までの資料を集めてどうのこうの考えたり、ビデオを見るのはうんと時間かかりますが、過去の企画書を見たら一目瞭然で全部分かるわけです。

そういうことで、海原びらき神事、伊勢の神事、箱根の神事でも、全部、企画書が残っています。とにかく、企画書を作って、必ず活字に残すことが大事です。

企画書を作るためのミーティング、企画書を作るための話し合い、企画書を作るための資料を集める。

資料をどんなに集めても、どんなミーティングをしても、お互いどんなに話し合っても、場所を探してみても、企画書に残らなかったならば、伝統にならない、足跡にならない。積み重ねにならないわけです。

これさえ残せば、担当官が代わっても、次に必ずより良きものがつくれる足がかりができます。だから、そうやって海原びらき神事も伊勢の神事も箱根の神事も、とにかく活字に残しているのです。

責任の所在と指示系統

先ほども言いましたように、企画書を作るときに最初に考えなければならないのは、組織図、組織表です。まず「誰が」「どこで」「何を」という指示系統をはっきりさせること。誰が何係で、どこで何をするのか。そのときの一番の責任者は誰なのかということを明確に決めておく必要があります。

そうしておかないと、何かあった場合、こういうときは誰に言ったらいいのか、というのが分からないことになります。

伊勢や鹿嶋、箱根の神事のときは、はっきりしています。最初にピチッと私がこうやって教育し、訓練しましたから。しかし、どのような企画の運営であっても、「誰がどこで何をしているのか」が、一目瞭然で分からなければいけない。

何々さんはどこの部署にいて、何月何日の何時はどこで何をしているかということが、企画書を見たら全部分かるようにしておく必要があります。そのために、組織図、組織表を作ることが、まず大事なんです。

場所、日時、会場、費用、そこの担当者の連絡先、ここに全部資料が入っています。資料を調べてもそれだけではダメで、あらゆる情報を企画書に盛り込むことが大切です。

ここ菅平で、年頭にスタッフが集まって正月神業を行いましたが、その際も、最初にこのような企画書作りがありました。まず、誰がどういう役割をするのか。誰々が食事係で、誰々が神事の何とか係でという組織図があって、場所は菅平で、会場は○○ホテルで、一人ずつどこの部屋に誰が入るのか。

担当者が下見に何回か来て、どういうふうにやっていったらいいだろうかと考えて、車は何台あるのか、どういうふうな手配で、誰が運転して、ドライブインはどこに止まるのか。細かいところまで全部企画書にしています。

菅平の歴史や自然環境も調べて、どんな鳥がいるのかというようなことまで書いてあった。正月神業をここでやりましたときには、綿密な企画書がありました。

ところが、このたびのリーダー養成神業の企画書を、私は見たことないんですね。始まって今日で二日目になるんですけれど、それを見たことがありません。どういうふうになされているのかという企画書を私が見ないで、どうして私がやれるのでしょうか。おかしいと思いませんか。

このたびの、リーダー養成神業の運営の最高責任者は誰なのか。私が企画書を見てないということは、最高責任者の責任です。

会社だと、「ばかやろう、お前は」と社長が会長に怒鳴られます。会長はといったら、株主総会で株主に怒鳴られる。株主の皆さんも取引先の銀行とか税務署さんに「これは……」なんて言われるわけですよ。

税務署はどうかというと、大蔵省(現・財務省)に言われるわけです。大蔵省の役人は大蔵大臣(現・財務大臣)に言われる。大蔵大臣はマスコミに言われます。マスコミは王者ですね。いろいろ力関係があるわけです。

だから、まず、どんなものでもやるときには、最高責任者は誰なのか、命令系統はどうなのかを考えることが大切です。どんな小さいことでも、組織図をはっきりとさせ、企画書を必ず作ることです。

企画書を作る段階で、いろいろな意見を出し合えばいい。ミーティングをせずして企画書はできないわけだから、そこに、今言ったものを全部盛り込んでいきます。

ミーティングはミーティングでどんなにやっても、ミーティングしたものが全部、企画書の中に活字で反映されて、一目瞭然でみんなが分かるようにしていかなかったら、全体行動、一斉行動が取れないわけです。分かりますか。正月神業でもそうやって、ものすごい分厚い企画書ができました。それが、こういう運営をする一つの大原則です。

やろうと決めて、祈りに入り祈りに徹したら、次に、良かれと思う最善の努力というのは、企画書作りの中にすべて盛り込まれていなければなりません。素晴らしい企画書だけど、その企画どおりにやったらもうバラバラだったというのは笑い話ですね。企画書というのは、中身が文学的に素晴らしくてもダメなんです。企画書の良さというのは、その実行で出てくるわけです。

企画書作りに必要なこと

何かやろうと決めたら、まず祈りに入り祈りに徹して、次に企画書作りです。その中でミーティングをして活字にしていくというように持っていかないものだから、行き当たりばったりになったり、片面だけは見えているんだけど、片面に落ち度があったりする。あるところはできているのに、あるところは抜けているわけです。

自分の意見やバーッとひらめくものがあれば、それが全部、企画書の中に活字で残されていかなければいけない。海原びらき神事、伊勢の神事、箱根の神事、正月神業の担当者は、ちゃんとこれをやっています。

しかし、それ以外のところにもできてなければいけない。誰も言わなくても頭にピチッと原則が入っていて、パッと行く習慣ができたら、もっと緻密な、もっと正確な、もっと細やかな、もっと体系づけた、もっと機動力のあるものができる。一辺倒な運営にならない。分かりますか。

第三段階は企画書作りなんですけれど、企画書作りをするまでの中には、当然ミーティングが入っているし、資料作りも入っているわけです。下見に行ったり、資料調査も含まれますね。いろんなものが含まれます。

それから今度は、やる人たちが分かりやすいように、ビジュアルな効果を考え、イラストを入れてみたり、分かりやすい活字、図解、地図、それから電話や住所などの一覧表を作っていく。運営する人間が分かりやすいように工夫することも必要です。それが企画書にすべて盛り込まれていく。

「企画書作りのための作業」として、当たり前のこととして、その中には、

a,ミーティングがあり
b,下見に行ったり
c,資料の調査があったり
d,今度はマッキントッシュで-別にマッキントッシュでなくてもいいんですけど、ウインドウズでもいいんですけど、より図解の法とかイラスト化はマックのほうがよくできていますから活字化して、図解化して、地図化して、一覧表化していく。

そうしたら、一目瞭然で分かりますから、みんなが動けるわけです。

これができたならば、議長が代わっても、次の人が同じようにできる。もちろん、リーダーの資質によって、指揮権、コンダクティング、キャパシティーが違うから、若干は違うでしょうけども、ある一定以上の質は保てるわけです。人間的な努力だけではダメなのです。

企画書作りのプロセスの中に、当然のことながら、人間的努力の最善がなければならない。人間的努力だけじゃない、最善かどうかなんです。最善の努力かどうかなんです。

一、神業をやろうと決める

二、祈りに入り祈りに徹す

三、企画書作り

それでは、四番目に何が来るのか。人間としてのあらゆる努力ということを考えたら、企画書を作っただけでは、人としてあるべき最善の努力とはいえません。

最善の努力をしたといえるためには、具体的にどうすることが最善の努力になるのかですね。さあ、皆さんどうでしょう。

アクシデントへの対応を考える

第四段階です。どんなに完璧な企画書を作っても、実際、物ごとというのは現場で何が起きるか分かりませんね。何かアクシデントがあったときにはどうするのかという準備がいるのではないでしょうか。あるいはアクシデントがあったときのための企画がいるのではないか。

リーダー養成神業をやろうと決めました。それを、より良きものにするために企画書を作るわけで、企画書を作ることが目的ではないわけです。企画書を作るためにいろいろミーティングをしますが、ミーティングするためにやるわけではない。本番を成功させなければいけない。

シミュレーションして、一応こういうかたちで行こうというのは、いいと思うのです。しかし、本番というのは何が起きるか分からないから、自分たちが企画したとおりに行くとは限りません。

たとえば、雪が降った場合はどうするか。雨のときはどうするか、台風のときはどうするか。交通渋滞があったときはどうするか。参加者が少ないときはどうするか。参加者が多いとき、少ないとき、少なすぎるとき、多すぎるときどうするか。

深見先生に出てもらう場合、お倒れのときはどうするか。お倒れが短い場合、短期お倒れ、長期お倒れ、ずっとお倒れ。本番は何が起きるか分かりません。

不測の事態で考えておかなくてはならないのは、まず、天候です。お天気がいいとき、雨のとき、台風のとき、交通渋滞があって時間に間に合わなかったとき。

ホテルに何時に到着し、夕食は何時、お風呂はいつ入ると企画して決めたとします。でも、大雪で車が皆それぞれ来られなくなりました。三時間遅れました、四時間遅れました。そういう場合どうするのか。何も考えてないからパニックですね。だから、やはり企画が甘いわけです。

お天気が変わるとうんと変わりますし、先ほど言ったような想定されるアクシデントがあった場合、あるいはまた事情が変わった場合どうするのか。

ですから、不測の事態が発生したときはどうなのかというところで、「最善の努力」ということを考えた場合に、どういうふうに具体的に出てくるかというと、企画書というのは、A案、 B案、 C案ぐらいまで考えなければダメです。

そのためにシミュレーションをしたり、シフトを変えることを考えるわけです。 A案は普通のとき。不測の事態が発生したとき、どうするかということでB 案。あるいはC案で、こんなものも面白いんじゃないのかと。そういうことで、企画書というのはA案、 B案、 C案、だいたい三つぐらいまで作ります。

その準備をしていないと、不測の事態が起きたときには、「ああ、それ持ってこなかったんです」ということになってしまう。「それはありません」と言ったらやりようがない。だから、ちゃんと準備して、無駄になってもいいから持ってくることです。

ビデオの準備にしてみても、こうした場合はどうなのかということを考えて企画して、用意するビデオをちゃんとラインナップしていれば、「それ、持ってきませんでした」とか「忘れました」とかはないはずです。

本番は思ったとおりに行かないものです。

ですから、企画は必ず、A案、B案、 C案を作る。第一プロジェクト、第二プロジェクト、第三プロジェクトでもいいです。映画の「アルマゲドン」みたいに「第二のプロジェクトが動き始めた」と。

一つの企画だけでは、それがダメだった場合は、全部パーになってしまいます。ですから、絶対ダメにしないためにA案、B案、C案の三つまで考えて、不測の事態が発生したとき、必要なものを用意しておく。三つまで用意して、

準備の態勢を整え、持っていくものをそろえておかないと、企画したことになりません。準備したことにならないわけです。

あらゆる事態を想定して、こういう場合はC案で行くと決めておきます。本番で事情が変わったときは、「C案発動!」ということで切り替えていけば、運営は成功するわけですね。ここまでやって初めて、「人間としての最善の努「力をした」というふうに言えるのです。

今回は企画書を作ったのか知らないけれど、少なくとも今の段階で私は見ていません。しかも、その企画書が、 A案、B案、 C案とまで行かない。

我々の当初からのスタッフは、正月は伊勢の神事に行っていますから、ここの神業の準備の段階においては関与していないでしょう。企画書作りの段階から、責任者がちゃんと手を染めて、一緒にミーティングして全部やっていたら、頭にすべて入っているはずです。

しかし、最初から参加できなくて全部頭に入ってなくても、少なくとも活字にした企画書がA案、 B案、 C案とあって、それを見ていたなら、どういう場合はどういうふうにしたらいいかという指示が適切になります。

それをやってないし、また、活字にして企画書になってないものだから、全体が掌握できない。だから、決断したことがどこか間が抜けている。ある面は正しいけど、ある面は間違っていたり配慮が浅かったりするのです。それでまた、私に言われるわけです。

やはり、頭の使い方、脳の使い方が、シャープで緻密で用意周到でなければいけない。どうしたら、そういう頭が出来上がるのか。どうしたら、用意周到になるのか、緻密になるのか、賢くなるのか、決断がバチバチッと行けるのか。それは、企画書作りの中のミーティング、話し合いをやっていくプロセスの中で脳みそが磨かれていくし、情報量がいっぱい入ってくるわけです。だから、 AがダメならB、BがダメならCまで行こうと。そういうことで企画書は、必ず三つ準備します。

一、神業をやろうと決める

二、祈りに入り祈りに徹す

三、企画書作り

四、企画書は、 A案、 B案、 C案の最低三つ考え、準備する