情熱の分解応用
人は言っただけでは動かない
第二部のテーマは、情熱です。「情熱の分解応用」ということについて説明していくことにしましょう。
なぜ、二部で情熱の分解応用の話をするのか。
「熊野灘御来光神業」に参加された人は分かると思いますが、あの問答の結論は「情熱がすべてを動かすんだ」ということでした。参加されなかった方もビデオを見たら分かりますから、そこから発展したかたちで、今日、このご神業をやりたいために、このテーマを選ぶわけです。
「情熱がすべてを動かす」ためには、情熱のエネルギーがいろんなところに分解されて応用されていかなければなりません。まず細やかなチェック、確認というところに情熱が向かっていく必要があります。
逆に言えば、細やかなチェック、確認ができてないということは、運営に向けて情熱がないということなんです。本当に素晴らしい運営をしようという情熱、「本当に、素晴らしい、今日のリーダー養成神業になりますように」という情熱があったら、
「いや、待てよ。熊野灘御来光神業のビデオを送ったけど、みんな見たんだろうか」と浮かんできます。電話で確認すれば、見ている人もいれば、見てない人もいることが分かるはずです。
事前に、各支部に、今度リーダー養成神業に参加する人たちで、「熊野灘御来光神業」のビデオを全部見ている人と、見てない人は何人いるのか、まず調査します。
それで全部見ていないということであれば、見てもらわなければならないのですが、運営が下手な場合は伝言だけで済ませようとします。
支部にファクスを送って、「熊野灘御来光神業のビデオをお送りしました。菅平のリーダー養成神業に参加される方は、必ず、見ておくようにお願いします」というかたちで終わりです。
入って、言ってするならもう何の苦労もありません。「人は言っただけでは「動かない」、これが原則です。だから、「伝言した」ということは、「動かない」ということです。言葉を伝えただけではダメなんです。
本当に情熱があるならば、その情熱が本物ならば、これがバババッと分解されていって、細やかなチェック、確認になるはずです。
ファクスで「お願いします。全員見ておくようにしてください」と送っても、それでは人は動きません。ですから、当日会場に来て、手を挙げてもらったら、四割ぐらいの人が、ビデオ見てなかったということになるのです。
では、ビデオを見てもらうためにはどうすればいいでしょうか。
「ビデオを見た人は、後で一万円もらえます」と言ったら、おそらく全員が見るでしょう。あるいは、「ビデオを見た人は、吉永小百合に会えます」ということなら、みんな見ます(笑)。言っただけではなく、ご利益やうまみがあるからです。これはプラスの要素です。
あるいは、マイナスの要素で、何か罰則を与えるという方法もあります。
「今度のリーダー養成神業のときに、熊野灘御来光神業のビデオを五時間全部見てない人は、全員先生の前で正座で座らなきゃいけません(笑)。そのことが分かった上で、覚悟して見ないなら見ないでもいいですよ」と。
言っただけじゃダメなら、ではどうするのかとなると、ご利益やうまみがあるか、罰則か。プラスとマイナス二種類の要素があります。
人を動かす三つの方法
ご利益もなく、罰もない場合、人は言っただけでは動きません。
「人は、言っただけでは動かない」というのが原則です。人を動かすためには、プラスの要素かマイナスの要素が必要です。しかし、実はもう一つ次の方法があります。何でしょう。ご利益もないし、罰もないんだけど、人が動く三番目の方法。
それは、何度も言うこと。しつこくお願いすると「しょうがないなあ」と、ちょっと義が動きます。しつこく何度も言うと、人は動くのです。
一、ご利益か、うまみがある。(プラスの側面)
二、罰則がある。(マイナスの側面)
三、何度もしつこく言う。
情熱があるのだったら、伝言だけではダメなんです。「お願いしますね」と言っても、人は動きません。言っただけで動くなら簡単です。
「君たち、頑張って神人合一しましょう。お願いね」
「はい、分かりました」
それで、五年たったら、全員、神人合一しているということはあり得ないでしょう。人はパソコンじゃないのですから。
パソコンはピッピッピッとパスワードを押して、指示をしたら百パーセント確実に動きます。何度も確認する必要はありません。 OKと言ったらもうOK で、必ず動くわけです。
だから、パソコンが得意な人、パソコンが好きでやっている人間というのは、まず人を動かすのは下手です。コンピュータは一回指示を出せば確実に動きますから、同じことをしつこく何回も言う必要はありません。それに慣れてしまうと、人間に対しても「こういうことですから」と伝言を正確に伝えるわけです。
一回指示すれば、ピピピッと動くのが当たり前になってしまっているから、伝言したら動くと思ってしまう。しかし、正確に伝言を伝えただけでは、人は動きません。
人は言っただけでは動かないのならどうするのかというと、たとえば、「焼きそばを一年分ごちそうする」というようなご利益、うまみがあるか、何か罰則があるか、あるいは、しつこく何度も言う。このように、三種類の方法があるわけです。
「しつこく言う」とはどういうことか
たとえば、「熊野灘御来光神業のビデオを、見ておいてくださいね」と伝言して、実際見た人はどれだけいるか。先ほど手を挙げていただきましたが、このように人は言っただけでは動きません。
ですから、それを徹底させようと思ったら、すなわち、本当にいい熊野灘御来光神業の中身を見てほしいという情熱があったなら、細やかなチェック、確認があるはずなんです。
「先般お願いしました件を重ねて申し上げます。熊野灘御来光神業のビデオは、五時間で長いんですけど、リーダー養成に参加する人は必ず見てください。今日、○月○日の時点において、参加する人たちの中で何人ぐらいの人が見て、まだ見てない人間は何人でしょうか。まだ見てない具体的な人の数をお知らせください」
私だったら、そういうふうにしつこく確認します。
では、そう言っても支部長の方から返事がない場合はどうしたらいいか。「しつこく言う」というのはどういうことかというと、電話というものは、日に三回以上するものと覚えておいてください。
一日に三回~五回電話をかけます。たとえば、午前中に二~三回して、夜にもう一回電話するとか。午前に一回、午後に一回、夜に一回というように、一日に三回電話をかけて、それを三日続けると、必ず返事が来ます(笑)。
返事が来ないのは、電話をかける回数が少ないからで、これは不精なのです。「ちゃんと伝言しておいたんですけど」というのは言い訳です。「ちゃんと確認したんですけど」というのは、確認の回数が足りないわけです。
人を動かすのは、ご利益か、罰か、しつこく言うか、この三つのどれかです。ですから、会話の中にどこか、「ご利益」「罰」「しつこく」という三種類の要素が入っていたならば、人は必ず動きます。
それが細やかなチェック、確認というものです。本当に素晴らしい運営をしていこうという情熱があるのならば、その情熱は細やかなチェック、確認に現れてきます。言っただけでは動かないから、ご利益を考える、罰の形も考える、しつこく言うということを考える。
どういうふうに言うか。電話の回数。電話がダメなら、今度は手紙、はがき、チラシ、最後は電報。そうすれば「何ごとか!」と思いますよ。
人は言っただけで動かない。この原則を頭に入れておかないと、絶対にリーダーになれません。どんなに情熱があっても、素晴らしいものにしようという気持ちがあっても、それが分解応用されて働いていかないと、結果は出ないのです。
企画書の初歩的注意事項
皆さんにお配りした印刷物を見てください。「菅平神業に参加する皆様へ」とあるでしょう。今回の「リーダー養成神業」の企画書です。
今、皆さんにお配りしたのは十九ページあります。ちょっと百人ぐらい集まるだけでも、こういう企画書を用意しているわけですね。
本当に基本的なものですけど、注意事項を箇条書きにしたり、会場を地図化したりして分かりやすくしていますでしょう。これをやるのに、最低、それぐらいのものは用意してあるということです。
スタッフ用の資料もありますから、後ほど、それも皆さんの参考資料としてお渡しします。私から見れば、全然、たいしたことないものですけど、最低限度のものはあります。
これをお持ち帰りになって、皆さんが何か企画運営する際は、最低、リーダ養成神業でお配りした資料のようなものを作る。皆さんに渡したものと、スタッフ用の資料を併せて参考にしてください。これはA案、 B案、C案とまではまだいってないので、それ以上のものを作る。実際面として、皆さんに参考資料になるようにお配りします。
そこで、皆さんにお配りした資料の二ページ……。
これ二ページになっていませんね。資料があったら、どんな場合でも、必ずページを書かなきゃダメです。みんなで資料を見るときに、「えー、この日程の何ページ」と言わなければ分からないでしょう。
これは、もうドジな例ですね。必ず通し番号が入ります。
それから後で見たら分かりますけれど、どういうビデオを持ってきたのかというビデオの背表紙のコピーがあります。それを見たら、まず何を思うか。みんなが見るビデオのタイトルを、なんで手書きの汚い字で書くんだ。ワープロの活字でピシッとしておかないと資料にならない。たったそんなことでも細やかさがないし、不精者です。初釜神示にあったように不精者です。
ワープロでちゃんと打ってピシッと活字にしたら、誰が見ても見やすいわけでしょう。そんなことを細やかにチェックするわけです。
情熱というものは、いい運営をしようと思ったら細やかなチェック、確認のしつこさで出てくるわけです。これがない人間は、リーダーとして失格です。細かなところにいつも落ち度がある人間というのは、細やかなチェック、確認を徹底的にするぞという情熱が欠けているわけです。
スタッフ用の資料ができたようなので、皆さんにお配りします。――ちょっと時間がないから急いで、三倍の速度で配ってくれ。
今、坂井伸太郎君は、「あ、時間がないな」ということでテキパキしています。テキパキするということはどういうことか。自分の行動を素早くすることは当然ですが、リーダーだったら、たとえば下の者がゆっくり歩いていれば「おい、速く歩け」とか「急いでやれ」と指示を出す。
具体的に「何分でやれ」、「速足で行け」とかというような、檄が飛ばせる人間は仕事が早くなります。そういうふうに情熱が働いていかなければいけない。いい運営をしようと思ったら、細やかなチェック、確認というのが出てくるわけです。
その場合、人は言っただけでは動かないから、「おい、早くやれ」と言うだけでなく、具体的にしつこく、「何分で配れ」「時間がないんだ」「八時半から朝食だ」というかたちで何回も言うと、だんだんだんだん早くなります。
そういうふうに、途中で声がいつも掛かってくる。絶えず檄を飛ばす。その檄を飛ばせない人が上に立つと、運営がモタモタします。
具体的に、「何分で配るように」と、「三倍の速度で歩け」とか。そういうふうなことを言葉が、その都度その都度、出ていったらピッピッピッと引き締まった動きになります。
上意下達と下意上達
スタッフ用の資料で説明します。たとえば、「二月六日、七日」と書いているところの「二」を見てください。二ページです。
二月六日の上のほうに「深見先生とご一緒に大広間にてお食事」とありますが、全然、一緒にしません(笑)。
「食事後、全員で大広間の片づけ及び準備。そのまま大広間にて夜を徹してのご神業。内容は全く未定」と。それから「二月七日の十時から、全員大広間にて再集合。内容は全く未定」でしょう。これが許せない。これが間違い。
どうして「内容は全く未定」ということになるのか。これが今回の失敗のところです。「内容は未定」じゃダメなんです。 A案、 B案、 C案をここで作らなきゃいけない。なぜ今回、 A案、 B案、 C案ができなかったのか。
いろいろ不測の事態を想定するから、そのためにビデオをいくらか用意していて、つなぎで金曜の夜からいろいろビデオを見て、土曜日もまた見てということだったのです。
私のほうは、節分があって立春があって、それで金曜の夜も、そのまま、私の学校のほうの講師の先生方に会って、その後、機構改革の打ち合わせをしていました。それから、合格体験談のパンフレットを細かく作っておりますので、結局、私も翌日まで徹夜で行ったわけです。
ところが、「先生が金曜から来た場合」「土曜から来た場合」「日曜日から来た場合」「結局来なかった場合」というかたちで、A案、B案、 C案と用意してなかった。「全く未定」というのは深見先生任せだから、自分で努力してないわけです。人間としての努力をしていない。
A案、 B案、 C案と三つまで作って、初めて人間としての努力をしたということになるわけです。ですから、過去のスタッフ神業などを参考にして、「先生にこんなのやってほしいね」「あんなのやってほしいね」と言って、ミーティングをして企画を作っていかなければならない。
今回のリーダー養成神業はAさんが運営の最高責任者だから、Aさんが言わなきゃいけない。言わずにやっていたら、次の責任者であるBさんが「ちょっとこれ話し合おうよ」と言うべきでしょう。
Aさん、Bさんがそのときの責任者だからということで、C君は何も言われなかったからそのままにしていた。これが無責任な下っ端というのです。
上が本来言うべきなのが、上が忘れた場合どうするか。ここで情熱が出なければなりません。情熱で一生懸命、下から上を動かすわけですが、この際、まず正確な情報の掌握というのが必要になります。
情熱の分解方法として、正確な情報を得ようという行為はどこから出てくるのかというと、「正しい判断をしよう」という情熱なのです。正しい判断をしようという情熱があれば、正確な情報を得ようという方向に向かっていくわけです。
ここで組織の運営について、原則的なことに触れておきたいと思います。組織というのは、上から下へ行く上意下達のトップダウン方式と、下から上に上がるボトムアップ方式のどちらかしかありません。
今までは、主にトップダウン方式でした。支部代表者会議で決まったことを各支部に下ろしていくかたちです。私があまり知らないうちにAさんとかが「ああです、こうです」と言って、支部の人が「はい、分かりました」とやっていました。
それが、「民主的に運営をやりましょう」ということで、ボトムアップ方式になってきたわけです。下意上達になってきたらどうなるかというと、文句ばかり出てきます。昔のいろんな意見を聞くようになると、それまでは、「はい」と黙っていた不満がどんどん引き出されて、下に行けば行くほど絶えず文句ばっかり言う体制になる。これを衆愚政治と言います。
民主的やり方の欠点は、下の人間が文句ばっかり言うようになること。それまで辛抱していたのが、不足を言い、不満を言い、文句を言う下意になってしまうのが、下意上達の欠点です。末端の意見が上に行く反面、衆愚政治に陥りやすくなります。
これに対して、トップダウン方式の欠点というのは、上意下達で上から下に言うわけだから、下の人間に行き渡らなくなってくる。それから、下の思っている感情が上にはね返ってきません。これは封建的なやり方です。ダイエーなんかは典型的なトップダウン方式でしたが、組織が大きくなって動かなくなりました。
上意下達も下意上達もそれぞれ欠点があります。一番いいのは、当然、これが両方なされている組織なんです。
では、民主主義の原則というのは何か。皆さん、これをトークにしてほしいと思います。物を売るにはセールストークがありますけど、リーダートークというのがあります。
リーダートークの組み立て方
リーダートークとして、組織の運営に関してどういうことが言えるか考えてみましょう。皆で、民主的運営をしていこうというとき、何が必要なのか。日本の国は、民主主義の国です。日本国憲法で基本的人権が保障されていて、国民は最低限度の人間らしい人生を送る権利があります。
民主主義においてリーダーは、みんなの意見を聞いて、もちろん、不満も不足も聞いてあげる。やってほしいことをみんな聞いてあげる。それで「最大多数の最大幸福」という原則に基づいて多数決で決めます。
多数決の原理――。多くの人間の意見のほうが、より多くの幸福を得るわけだから、多数決で決めるわけですね。「最大多数の最大幸福」を選ぶのが民主主義です。もちろん、少人数でもいい意見があります。ですから、不満もあれば、文句もあるのを聞いてあげる。しかし、最終的には多数決で決めるのが民主的な運営です。
同時に日本国憲法によると、権利があるとともに、同時に国民の義務も定められています。
民主的運営というものはどういうものかというと、下の意見が上に上がるわけですが、権利を主張すると同時に義務も果たしてもらわなければならない。
必ず、権利と義務になっています。義務というものを頭に入れずに、権利ばかり主張するということは、民主社会ではあり得ません。「権利を主張する」ということは「義務も果たします」ということなのです。
上意下達は、義務ばかりで、権利を聞いてあげない。権利無視です。民主社会というものは、みんなの権利を保障するし、聞いてあげるんだけれども、同時に義務もしてもらわなければ困りますよ、ということです。
日本国民は、納税の義務があります。税金を納めなければ国家が成り立ちません。それから、義務教育というのがあります。六・三・三制で、小学校と中学校は親の義務です。子供を学校へ行かせなければいけない。
日本は徴兵制度はありませんが、徴兵制のある国、たとえばイスラエルでしたら、十八歳になったら徴兵で軍隊に行かなければならない。
その義務納税の義務、義務教育、徴兵があったら徴兵の義務を果たす代わりに、権利も聞いて、国民の最低生活を保障しようということです。
そして、日本の国は法治国家だから、法を守っていく。法を順守し、その法に従って、みんなが生きていくルールです。
日本は民主主義であるとともに自由主義の国です。ですから、お互いが自由なんだけど、一人が自由を主張するために、ほかの人間が不自由になると困ります。ですから、「お互いの自由を認め合うために、お互い不自由をちょっと辛抱しましょうね」というのがルール、これが法律です。
お互いの自由を守るために、自由をエンジョイするために、人様の自由を侵すことがないように法律がある。最低限度の法律を守ってもらわないと、人様の自由を奪い取ってしまうことになります。ですから、ここの部分は不自由です。義務と権利になっているわけです。
最低果たさなければならない納税と義務教育と、それから法律を守る。その法律に従って裁判で裁かれるというように、やはり罰則もあるわけです。法律に従わなければならないし、嫌だと言っても、法治国家だから警察がいて連れていかれます。
支部の運営においても、この守らなければならないことを忘れて、自由ばかり言っていただけでは組織は成り立ちません。皆がそれぞれ文句ばっかり言うようになってきて、「これをやりましょう」と言っても動かなくなってしまいます。ですから、お互い権利と義務があって、「これは、果たさなきゃいけませんよね」ということを、キチンと言うことです。
だから、民主的なやり方でそれぞれの支部を運営していいわけです。リーダーは、みんなの権利を認め、いろいろな意見を聞いてあげる。しかし、民主的やり方には、権利と義務があるのですから、「意見があれば、何でも聞いてあげるよ。その代わり、君はどういう義務を果たすんだい」ということを、キチと伝えることが大切です。
「君は、支部のエンゼル会員としての権利があるんだし、君の自由を尊重するよ。しかし、お互いが自由でありたいんだから、最低、これだけは守らなきゃいけないというルール、取り決めがあるよね。それから、義務を果たさなければ権利を主張する資格ないよね。日本の国もそうだし、民主的社会は全部そうなんだから、民主的運営をする支部は当然そうじゃなければ成り立たないよね」
「うん」
「じゃあ、毎月、弥栄の儀には時間どおりちゃんと来なきゃ。その代わり聞いてあげよう」
こういうふうに言って、意見をいっぱい聞いてあげればいい。意見を聞いて反映する代わりに、義務を果たしてもらわないと、組織は、支部は成り立たないわけです。会費を納めるとか、弥栄の儀に参加するとか、月一回のミーティングには、最低、来てもらうことです。
権利ばかり主張して、義務を何も果たさなかったら、その人の言っていることは意味をなさない。民主的やり方のルールに合わないわけです。
そういう人には、「君、どこか専制君主国家か軍事国家に行ったらどうだい」と。そういうふうに、支部の運営が今までは上意下達だったのが、今度は、下意上達になっていくと、皆が権利ばかり言いだすという問題が起きてきます。
そこで次に「義務を果たしましょうね」ということで、今度は上からも言う。上意下達と下意上達がバランスよく行くことによって、いい組織になってくる。いい組織にしなきゃならないわけですね。
それが物ごと、組織を運営する原則です。民主的な運営というのはそういう運営のことです。そうじゃなければあり得ないわけでしょう。組織が成り立たない、社会が成り立たない、グループが成り立たないではないですか。
だから、支部の支部長、エリア本部の議長、エリアのコミッティーになったら、この原則となるリーダートークを頭に入れて、皆さんにいつも言わなければいけない。そうすると、「いろいろ意見を言うと、義務を果たさなきゃいけないから」と、あまり勝手なことは言わなくなります。
その際、ポイントは、義務の部分をあまり初めから言わないこと。相手の意見をいっぱい聞いて、「うん、分かった」と受けとめてあげる。それからおもむろにこっちを言う。そうするとスムーズに行きます。
「君の権利も認めよう。しかし、お互いがやっているところだから、最低、これはやってくださいね。これは当然のことだから、お互いいい組織をつくりましょうね」というかたちです。権利と義務のバランスがあるわけです。
「義務教育のお蔭で、お父さん、お母さんが一生懸命にその義務を果たしたから、君は小学校、中学へ行って最低限の教育を受けたわけだよね。納税の義務があるから、道路があったり、橋があったり、公園があったりするわけでしょう。公園がなかったら不自由だもんね」と。
当たり前のことなんですけれど、言ってあげなければ分からない。言われて初めて、「ああ、そうだな」と気づくわけです。そうじゃないと、文句ばかり言います。そこを上手にもっていくことが大切です。
「食い下がりの情熱」が上を動かす
そういうことで、上意下達と下意上達の両方が必要です。組織の運営をよりよいものにしていく民主的な運営方法というのは、上意下達と下意上達がバランスよくいくことが大切です。
では、そうすると、今回の場合の反省点でどうなのか。
先ほども言ったように、「大広間にてご神業。内容は全く未定」というのは全くダメなんです。 A案、B案、 C案を作らなかったのがいけない。Aさんが最高責任者でBさんが次の責任者なのですけれど、AさんBさんの上位下達が適切でなかった場合、C君はそのまま黙って引き下がってはいけません。
「A案、B案、 C案を作りましょうよ」とAさんに言う。 Bさんに言う。C君が下意上達すべきなのです。
上は上の責任があるんですけど、下は下の責任がある。優秀な下は、下意上達の情熱がなければいけません。これを私は「食い下がり情熱」と呼びます。
「Aさん、これ、もうちょっといろんな場合を想定して企画を作りましょうよ」と、食い下がり情熱。
「Bさん。こんなのどうかな、あんなのどうかなというふうにして、深見先生に提案しましょうよ」というふうに、下意上達の場合は、上にどこまでも食い下がっていく情熱が必要です。
情熱の分解応用編。細やかなチェック、確認と同時に、どこまでも、どこまでも、食い下がって、食い下がって、「Aさん、これやりましょう」「B さん、こうしましょうよ」と。
もう一つ。先ほども触れたように、いい運営をしようという情熱を持っているなら、いかに正確な情報を得るかという方向に向かっていかなければなりません。
今回、C君にもっと情熱があったならば、正しい判断を得るために、「深見先生は、今、どこにいらっしゃって、どういう状態なんだろうか」という正確な情報を得る努力をしたはずなんです。そして、上から指示がなかったら自分のほうから食い下がっていく。
Aさん、Bさん、二人いるわけだから、しつこく食い下がっていく情熱があったならば、うまく上に伝わっていくはずです。 Aさんも「C君、どうなんだろうか」と言って、これはしつこく確認の情熱ですね。上位下達の場合は、しつこく確認する情熱があったら、運営というのは細かいことまで行き渡ります。
確認といった場合、「理念の確認」であったり、「情報の確認」であったりしますけど、いずれにしても、何度もしつこく確認することによって行き渡るようになります。上から下へ行き渡る、下から上へ行き渡る。この両方があれば一番いいわけです。
【情熱の三つの方向性】
一、正確な情報を得、正しい判断をしよう!という情熱。
二、上意下達、末端までしつこく確認していこう!という情熱。確認には、「理念の確認」と「情報の確認」があるが、いずれにしてもしつこく確認することで行き渡る。
三、下意上達の「食い下がり情熱」。つまり上が動かないときに、「ああしませんか、こうしましょうよ」としつこく食い下がっていく情熱。
情熱が足りないから不精になる
もっと具体的に言いますと、「大広間にてご神業。内容は全く未定」ということなんだけども、「どういうご神業になりますか」というふうに、誰からも全く私のほうに打診はありませんでした。今回はゼロです。下意上達は、ゼロだったわけです。ということは、いい神業をしようという情熱がないわけです。最低限度のものはしていますけどね。
これは何かというと、Aさんが不精。そのAさんをせかすべく下意上達の情熱がなかったBさんが不精。 Aさん、Bさんにしつこく食い下がる情熱がなかったC君が不精。これを三不精という(笑)。私は、全然、これを知らなかったんですから。
「深見先生。大広間でのご神業はどうなんですか。 A案、B案、 C案でたたき台を作ってみたんですけど、どうでしょうか」と、これがなかったからいけなかった。
それから、ビデオも、「こんなビデオを用意しているんですけど、どうでしょうか」というふうに、私に、報告、連絡、相談してくれたら、「いや、熊野御来光神業の次のをやろうと、今、思っているから」ということで指示を出したでしょう。少なくとも下意上達はありませんでした。
私の反省点とするならば、私が上から下のほうに確認しなかったというのは、少し私の情熱が足りなかったのかもしれません。自分のことを棚に上げて言えば、「君たち、なぜ言わなかった」なんだけど、自分のことも含めて言うと、上から下に「Aさん、どんなビデオを用意しているんだ」と確認しなかった。
返事がなかったら、何回も何回も「Aさんは今どこにいるんだ」としつこく確認ですね。それから一緒にいる人間に「どうなんだ」と聞く。何回も何回も電話をかける。電話の回数を多くして、上から下へ何回も確認したら伝わるわけです。
「それでどんなビデオを用意したんだね」
「こういうビデオを用意しております」
「それじゃあ足りないよ。熊野灘御来光神業の続きをやろうと思っているから、
少なくともあれは見てもらわなきゃいけない」
「あっ、ちょっと今からじゃ間に合いません」
「それじゃあ、必ずそのビデオを持って行って見るようにしなさい。それから、菅平の神様の意味についても、スタッフの菅平びらきのときの「菅平のご神業の歴史」のビデオがあるわけだから、あれも必ず用意しておくように」
「それはもう用意しております」
こういうふうに、私がもっとしつこく確認すればよかった。上意下達の情熱が、もっとあればよかったということです。
今度は、下から上の情熱がもっとあればどうなのか。
「こういうビデオを用意していますけど、先生、ほかに用意するビデオはありませんか」
「うん。熊野灘御来光神業の全ビデオと、それから菅平神業の神びらきの前に私が説明したあれは、必ずいるよね」
「あ、用意していませんでした。すみません」
こういうふうに言えば、ちゃんと用意できていたわけです。いずれかに情熱があったら、もっとちゃんと整ったことになります。
今回は、なぜそれができなかったか。 Aさんの不精、Bさんの不精、C君の不精。なぜ不精なのか。本当にいいリーダー養成神業しようという情熱が足りなかったからです。リーダーとしての情熱、およびその情熱の分解応用力が足りなかった。
情熱があったら、こういう応用形ができたら、ちゃんとビデオも持って来るように確認できてきたはずです。ここは、やっぱり反省点ですね。
正確な情報を得るために何をするか
もう一つ、今回の反省点。何かというと、これは面白い。
昨日は神事会場に皆さんが集まって、夜遅くなっても私が現れないので、運営スタッフが、「実は、立春祭でこういうことがありました」ということでお話をしたようです。それで、「じゃあ、みんな盛り上げよう」ということでいろいろ考えたらしいのですが、これは本当にばかな話です。
なぜばかなのかというと、この一の「正確な情報を得る」という情熱がないからです。私が来る来ないの問題ではありません。「深見先生は、今、何をしておられますか」と、なぜ聞かないんですか?
何も聞いて来ないから、神様が、「何もせずにほったらかしにしておけ」とおっしゃっていました。甘いっぱい忙しかったんだけど、聞いてくれば、当然、私のほうの状況を伝え、指示を出したでしょう。
金曜の夜に、「今、先生はどうしていますか」と、窓口にいるお付きのスタッフに電話を入れていたかもしれません。しかし、私は聞いていないわけです。お付きから私のほうに、「Cさんがこういうふうに先生にお伺いしてほしいと言っておられましたよ」という、最低、伝言でもあればいいのですが。伝言だけでは動きませんが、それもありませんでした。
電話を入れて、私の秘書から「先生は、今、こういう状態です」という説明があったとして、「ああ、そうですか」というだけなのです。規定どおり、メニューどおりに「ああ、そうですか」と。
私だったら、「ちょっと、深見先生に電話代わってもらえるかな」と聞いたでしょう。「いや、今、ちょっとこういう状況でございまして、なかなか代われません」ということなら、伝言してもらうしかありませんが、内容が正確に伝わるように、必ずメモをとってもらいます。
「うん、分かった。じゃあ、伝言を今から言うから書いてください。伝言。深見先生、今、こういうふうに準備しておりますけど、だいたい何時ぐらいにこちらに来る予定でございますか。正確でもなくても、アバウトでもいいですから、だいたい何時ぐらいに菅平にいらっしゃるかお知らせください。そのようにいろいろ準備します。また、リーダーの人たちは百十何人来ておりますけど、この方たちに伝言メッセージとか、特に指示するような内容はございますか」
こういうふうに秘書に言って、「はい、分かりました」と言っても伝えるとは限らないから、私なら必ず「復唱してくれ」と言います。そうして、抜け落ちている部分があれば、もちろん訂正します。
こうすれば、復唱した分だけ必ず情報は伝わります。同じ電話をするのでも情熱があれば、そういう細やかさが出てくるわけです。
「そちらの様子はどうですか」
「今、ちょっと先生は動けません」
「ああ、そうですか」
これで引き下がってしまったら、絶対に伝わらない。お付きの人間というのは、優秀だからお付きをしているわけではありません。見習いで修業しているからお付きなのです。秘書室の人間は優秀だから秘書室にいるわけではありません。
足りないから修業しているわけです。あるいはまた気がいいからとか、特殊技能があるからなんですけどね。一芸に秀でていますが、バランスよく全部できるという人は、あんまりいません。皆、私以上にはできませんから。
しかし、それ以前の問題として、とにかく、不精をしないで、本来は責任者が直接秘書に電話すべきです。そうして、私が電話に出られなければ伝言で、「リーダー養成の件に関して、いつごろ先生は菅平にいらっしゃいますか」とか、「こういうふうな状況ですけど、ビデオはほかに何かありますか」とか、確認すべきでしょう。
ダメな場合は、他の人が気を利かせて電話をして、責任者に内容を報告してもいい。でも、本当は責任者であるAさんが指示する。命令系統は、責任者が全部しなきゃならないものです。
それを忘れていたら、Bさんがしなければいけない。ダメなら三番目で、とにかくC君が何とか食い止めてやる。
秘書に電話をして、「今、先生はこういう状況でございますけど」という返事があっても、私のほうには通じません。「菅平の何々さんから、何時何分にこういうかたちで連絡がありました」と言って報告するとは限らない。勝手に秘書の判断で、そのまま黙っているということは多いわけです。
繰り返しますが、私のところにいるお付きというのは、優秀だからいるわけではありません。ろくにできない人間に、一つずつ「お前、何でこんなだ」と言って仕込んでいるわけです、教育訓練しているわけです。だから、何回も言っているのですけれど、「できない」「不完全」ということを覚えておいてください。
何ごとも規定どおり、メニューどおりではないわけです。結局、私のほうには全く伝わっていません。君たちのやっているところも私に伝わってないし、当然、私の意向も伝わっていない。
なぜ伝わらなかったのか。下意上達の、しつこく食い下がるという情熱がないから伝わらない。正しい判断をしようという情熱がないから、正確な情報が得られてないのです。
本当に忙しくて目いっぱいやっていましたが、私は、同時並行でいくつもできる人間ですから、私に伝われば必ず指示を出します。
なぜ、秘書を通して移動電話でも私に伝言を言わないのか。「先生に伝言をお願いします」「復唱してください」と。
私だったら、その後、数分間たったらもう一回電話をかけます。
「それで先生はどうでした。伝言をお読みになって何とおっしゃっていましたか」と。
秘書から返事が来るまでずーっと待っていて、その秘書の能力がなかったらどうするわけですか。
たまたま出たお付きの人間がポッと忘れていたり、お付きが不精だったために、百何十人の人間に対して正確な情報による正確な判断ができないということは、責任者の責任を果たそうという情熱が足りない。細やかなチェック、確認が足りないわけでしょう。
担当する人間が、たまたま有能だったらいいかもしれません。しかし、有能でも、仕事をしたら同じような失敗を繰り返す場合があります。だから、規定どおりに動かないと思うこと。「先生は、今、ちょっとお忙しそうです」と言っても、それで引き下がっちゃ絶対にダメです。
もうすこし、規定どおりに動かないという頭を使わないと、絶対にネゴシエーションはうまくならない。その情熱というのは、頭の使い方の原則なんです。私にそういうふうに伝わっていたら、必ず、「いつごろになるでしょう」ということは言います。いつごろになるか、分からない場合もありますが、そのときも「じゃあ、分かり次第教えてくださいね」と言って、ただ待っていてはダメなのです。
返事がなければ、自分のほうから電話をする。「午前中にいらっしゃるでしょうか。それとも午後になりそうですか」というふうに、何回も電話する。電話の回数を増やせば増やすほど、正確な情報が得られるわけです。
立春祭の出来事
正確な情報に基づく正確な判断ができていれば、別に皆さん、今回のように無駄なことをすることはなかったわけです。神事会場も、いろいろ準備をしたけれど、そのときには、まだ私はここ菅平に着いていません。目いっぱいやって、着いたのは四時ぐらいです。
今回の判断の間違いというのはどこから来たのかというと、三つの誤解があります。何かというと、節分祭や立春祭のときとは、状況が違ったということです。
節分祭のときは、いろいろな神様が降りてこられましたが、肝心な国常立大神様と菊理姫様がなかなか降りてこられませんでした。そこで、もっとみんなで祈りの誠を極めようということになりましたが、もちろん、そこに私が居たわけです。
一生懸命みんなでお祈りして、どうしたらいいだろうかと考えて、私の指示が出て、一丸の祈りの誠で大蔵祝詞を九回あげたときに、国常立大神様が現れ出てこられた。ワーンと降りてこられたわけです。
神事会場で神様に動いていただこうと思ったら、私の指示によって一生懸命祈らなければいけない。大蔵祝詞は、一丸の誠でもって一生懸命祈らないと神様は動きません。逆に、執念があまり出すぎてもいけない。祈りの誠を極めないといけないわけですよ。神事会場において神事をする前は、そういう約束事がいります。
皆さんが菅平の神事会場に集まって、先生を楽しませようとか、先生を何とかしようというかたちで、あんなことをしても神様が開くわけない。まだ私は菅平に来てないのですから。
もう一つの誤解は、立春祭であったことから来ています。節分祭から立春祭のときは、私はずっとその会場にいました。あまりにも強烈なストレスと、あまりにも強烈な神業の後の反動で、痛風が出て足が痛んで、ずっと二階で倒れていたわけです。
みんなはみんなで、節分祭から続けて立春祭に来たスタッフもいれば、立春祭のためだけに来たスタッフもいるので気が揃わない。節分祭から来たスタッフは気がずーっと凝結しているんだけど、立春祭だけに来た人も半分ぐらいいて、気が不揃いでした。
だから、ビデオを見たりして気を整えていたわけです。そのときに、実は正確な情報を得るために梅村先生が私のところに来ました。「節分祭から来ているスタッフと、立春祭だけ来たスタッフは半々ぐらいです。一回、解散をして十時にまた集合しているんですけど、深見先生、どうでしょうか」
そういうふうに言って、私がペタンと横になっているときに、栂村先生が正確な情報を得るために、私にちゃんと聞きにきているわけです。私の枕もとに来て、「深見先生、どうですか」と。
「うーん。なんか行こうかなという気もするけど。やっぱり節分祭から来た人と立春祭から来た人の気が、まだ不揃いだから、嫌」(笑)
そんなふうに私が言ったら、栂村先生はなおも言うわけです。
「北海道から来たスタッフもおりますし、九州から来たスタッフもおります。いい立春祭をしようと思ってみんなが来ていますから、先生、何とか下に来ていただけませんか」
栂村先生が、ちゃんと私に言うわけです。
それでも私は「嫌、嫌、嫌」と。しかし、栂村先生が下意上達の情熱でしつこく食い下がってきます。
「だけども、先生が下に来てくれないと、立春祭が始まりません。それを楽しみに、はるばると北海道、九州からも、百七十人、わざわざ来たのですから、先生もお疲れとは思いますけど、何とか下へ来てくれませんか」
三回目にそう言うわけです。
それでも私は、「嫌、やっぱり嫌。」と。「節分祭、もう十分に目いっぱいやったよね。今、痛風で足、ビリビリだ」とかと言っているわけです。三人ぐらいで足首をさすってもらいながら。お医者さんにも診てもらって。
しかし、そうやって、梅村先生が来ていてくれて、三回、四回と話した結果、ヒントが出てきたんです。
「どうしたら来てくれますか」
「いや、何か一丸となるというヒントだ」
さっそく栂村先生が階段を下りていって、「皆、一丸となるということがヒントですよ」ということでスタッフに伝えている。それで、ああでもない、こうでもないと言って話しているわけです。しばらくして、また村先生が私のところに来ます。
「どうですか。今、いろいろ下で話しているんですけど」
「いや、一丸となるだけじゃダメだな。体が動かない。行こうかなという気持ちにはなったけど、動かない」
「まだダメですか」
「次のヒント。御魂が発動するというヒントがいる」
そういうかたちで、また梅村先生が階段を上がったり下りたり、行ったり来たりして、上意下達、下意上達を何回もしているわけです。
それで、栂村先生が伝えてくれたヒントを、七澤先生が中心になって皆でいろいろ話をして考えたのが、「取りあえず原点に返って、十五分間お掃除をしよう」ということでした。百七十人、みんな一生懸命お掃除した。
それで、十五分程たってきたとき、私は体がふわんとなってきたんです。「よし!」ということで、体もひょいと浮かんで動けるようになったんですね。みんなが一丸となって一生懸命お掃除して、御魂が発動した。七澤先生は富士クリーン化運動で目いっぱいやっていらっしゃるからね。それでみんなが動いて、御魂が発動してきたときに私も動けるようになった。
気持ちよくなって、ルンルンルンルルンルルンなんて歌い始めて、「みんなにご飯作ってあげよう」と浮かんできました。それで、みんなのお掃除が終わったけど、「もう、一時間待て」ということで、私が、百七十人分の夜食を作ったわけです。
ぶっかけご飯と、みそ汁と、九頭龍さんのお祭りのために置いていたスルメ五枚に、しょうゆとみりんとお酒で味付けしておだし作って、一時間半立ちっ放しで三種類の料理を作りました。
立春祭ではそういうことがありました。しかし、今回は、まだ私が菅平に着いてもいない。また、梅村先生の役をするように、何回も私に聞きにきて、「ああだよ。こうだよ」というかたちのやり取りはありませんでした。誰も私にコミュニケーションしないし、伝言もしていない。
それなのに、「立春祭のときは、みんながこういうふうな状態で、こういうことがあったんだ」というのは、大事なことが抜け落ちています。あのときは御魂が発動してそうだったかもしれないけれど、その前に栂村先生の存在というのがあったわけです。
「皆が一丸となり御魂が発動するようにと先生は言っています。ですから、皆さん、お願いしますよ」という私が言った情報があり、それをヒントにいろいろ考えたわけでしょう。それを伝えてくれたのは栂村先生で、その前に栂村先生は、私からそういう情報を引き出す努力をしているのです。
「お願いします。みんな待っていますから。どうすれば来ていただけるでしょうか」ということで、村先生は、私の枕もとに、三回も四回も言いにきています。それで、「ああだよ、こうだよ」というやり取りがあって、今度は、私の意向を、栂村先生がみんなに伝えてくれたからできたんです。
上下のコミュニケーションが運営の基本
立春祭のときは、七澤先生を中心にみんなでお掃除をして、一応成功だったのですが、「もし、私が七澤先生の立場だったら、あの状況でどうしたか」というようなことを、そのときに少し話しました。
たとえば、私だったら百七十人で千羽鶴を折るとか。一人五羽折れば、二百人いたら千羽鶴が折れるし、一羽ずつでも二百羽鶴ができます。それに針で糸を通してつなげれば千羽鶴になりますね。
そして、縦一列でジェンカで、レッツキスのリズムで、ピッピッ、ピッピッピッとやりながら、ドン・ドン・ドドドドンと階段を上がってきたら、私が倒れていると「何だ?何だ、あの音は」と思うじゃないですか。
ドアをドーッと開けたら、千羽鶴を持って、みんな縦一列に列になっていたと。
「先生、首を長くして待っておりますよ。鶴は通ずるだから、神様と先生の御魂に通ずるでしょうか」などと言われたら、皆一丸となって御魂が発動して、そこまでよくやるなということで私は感動して、目いっぱいいい神業してあげようと思うではないですか。
「先生、下に降りてきたら、神います森があります」
「何だ、それは」
「それは見たら分かります」
「どんなものだ」
「いらっしゃれば分かります」「うーん」
ちょうど、「岩戸びらきの段」のような感じですね。天照大御神が岩戸にお隠れになったとき、神々が集まって岩戸の側で楽しそうに何かやっている。天照大御神様が気になってちょっと戸を開けたら、
「あなたよりもすごい神様がいますよ。だから、みんなにぎわっているんですよ」
「そんな神様がいるんだろうか」と、天照大御神が身を乗り出したときに、鏡でピカッと光を当てて、その瞬間に、手力男がガラッと岩戸を開けて引っ張り出した。
そんな感じで私が「それ何なの」と見に降りていったら、全員が割りばしを持って立っていて、「青龍神だ」と言いながら順番に割りばしを倒しながら、あたかも風が吹いて樹木がなびくがごとく、「金龍神だ」と。そういうふうにやったら楽しいじゃないですか。
ただ、それは「私だったらそうい”ようにしていたのにな」という話をしただけのことですよ。
たぶん、そういうことを話されて、一生懸命みんなも考えたんでしょう。しかし、その前提条件が抜けていた。私が、ここへ着いてないんだから、そんなことをどんなに準備したって、私が発動するわけがないではないですか。
「いつごろ着きますか」とか、「来ていただけるのは、何時ごろになりますか」というようなことを私に聞くわけでもない。お付きの人間に伝言したかもしれないけれど、私には伝わっていません。「伝言をお伝え願えますか」という電話もなかった。要するに、私から言えば不精だと思うのです。
正確な情報を、まず、得るという努力をしていなかった。「深見先生はどこにいらっしゃるんだ」「いつごろいらっしゃるんだ」という情報もなければ、「今、どの辺りを運転しているから何時ぐらいに着くな」という計算もなかったわけですね。
私が、「そういうふうにしてくれれば、行くんだけどな」と言ったのは、立春祭のときの話です。栂村先生が私のところまで何回も来て、上意下達、下意上達のやり取りをしたので、そういう情報があったわけです。
ただ一丸となっ御魂が発動してお掃除したから、私が元気になって二階から降りて来たわけではありません。栂村先生とやり取りがあった中で、パッとヒントが出てきたわけです。しかし、今回は何のやり取りもない。
節分祭は節分祭、立春祭は立春祭。そして、菅平神業のリーダー養成のときの菅平びらきは菅平びらきなんですよ。菅平神業は菅平神業なので、立春祭と同じであるはずがないし、節分祭と同じはずがあるわけないですよ。
「立春祭のときはこうだった」というのは考え方なのであって、私が主でやるわけだから、「深見先生はどう考えているんだろうか」ということを、情報として得る必要があるわけです。上がどう考えているのかということを、なぜ確認しないのですか。
立春祭のときは、栂村先生が何回も私のところに来て、正確な情報を私に教えてくれて、いろいろ村先生とのやり取りがあってから、七澤先生の段になって「お掃除しよう」ということだったわけです。
七澤先生は自分の「お掃除をしよう」というかたちでやったこと、私が「たとえば、私だったらこんなかたちにしたなあ」という先ほどの話は、頭にあったかもしれないけれど、村先生のなさったことは頭にない。そこが、理解の欠落したところです。梅村先生という存在があったから、立春祭はそれで成功したわけです。
だから、栂村先生の分だけBさんが自分で私に言うか、Aさんがそれを言うか、あるいはC君がその代わりに私とやり取りをして「先生はこう言ってい「た」という情報を伝えればよかったんですね。「何分ぐらいに着いて、こうだったら、立春祭のようにしてくれ」と私が言ったらやればいいわけです。
ところが、私と運営する側の間に一本の電話もないし、伝言もないし、私の意向も確認してないのに、勝手に「こうじゃなかろうか」と考えて、みんなも「じゃあ、こうしよう」というかたちで盛り上がっていたわけです。
しかし、私の意向を確認せず、コミュニケーションが何も通ってないところでやったって、生きないから無駄になってしまったのです。分かりますか。なんで無駄になったのかというその反省をしていただきたい。皆さんももちろんそうです。
節分は節分、立春は立春、この菅平神業は菅平神業です。その確認、正確な情報の掌握というものがあったら、失敗はなかった。そこには、栂村先生の存在というものがあったわけです。
それから、節分祭のときは、私が「この国常立神様がまだなんだ。大祓をみんなあげてくれ」という情報を与えているから、「じゃあ、あげましょう」ということで、九回目に神様が出てきた。ちゃんと、正確な情報の伝達ができているから、すべて成功している。
今回は、なぜ失敗だったのか。不精だったからです。なぜ、不精なのか。情熱がなかったから、そういったことが正しい判断なのかどうなのか分からなかったわけです。ですから、これは、この運営をするスタッフ側の全体責任です。
神様に対しても確認が大切
私も、いつも自分が考えたり、いろいろする場合、「本当にこれでよろしいんでしょうか、神様。神様の意向はどうなんでしょうか」と必ず確認しながらやっています。
「神様、みんながこうですから、こういうふうなかたちで神様の素晴らしいお智恵と御働きをお出しいただけませんか」と、梅村先生が、私に何回も何回も言うように、私は神様に何回も何回もお誘いしているわけです。
菅平の龍神にも、「龍神さん、せっかくみんな百何人が行くんだから、素晴らしい功徳を与えてください。素晴らしい景色を見せて、いい神業にしてくださいね」というお祈りはちゃんとしているのです。龍神さんとか神様に私も何回もお願いしています。
「本当にこれでよろしいですか。正しい判断になっていますか」と言って、必ず、ご神霊に、
の神様に確認しているのです。
だから、節分祭でも正確に大祓祝詞になったら、国常立神様が出てくるわけです。なぜそういうことが分かるのか。神様に私の上司ですよ。植松先生はときどきは出てこられるけど、現実面での運営では上司ではないわけだから、私の上司は神様です。
神様に必ず提案し、意見を聞き、ご神意というものを細やかにチェック、確認しているのです。そうして正確な情報を得ているから、そのとおりにしたらビシッと神様は動く。自然現象も動くのです。私は、そうやっていつも確認を怠らないのです。
だから、皆さんは、私に「どうなんですか」と正確に確認しなければいけなかった。今回は、この企画書も見せてなかったし、「いつごろいらっしゃるんですか」ということも聞かなかったし、「今はこういう状況でございます」という報告もないし、「ビデオもこうですよ」ということもないし、何の連絡もないし、何のお伺いも、何のお願いもない。
立春祭のときは、梅村先生がいらっしゃったんだけれど、梅村先生がいなければたちまちできてない。私に連絡がつかなかったら、窓口に聞いたらいい。
「直接、電話、代わってください」と言ったらいい。自分の個人の願いじゃないんですから、ご神業上の願いなんですから。
「先生に電話代わっていただけますか」
「いや、ちょっと、今、難しい」
「じゃあ、伝言をお願いいたします」と。一回言っても返事がなかったら、「どうなんですか」と何回も連絡すれば必ず通じます。そうしたら、こんなミスはなかったわけです。
「いや、君たち。そんなことしなくても、私はまだ着いてないんだから、そんなのはやめて、部屋で休んでいてくれたほうがいいよ」
そういうふうになっていたはずです。しかし、私の意向も確認も何もせずに、皆さん盛り上がっていた。
みんなには罪はない。しかし、皆さんがもっと祈っていたら、スタッフに神懸かって、「電話しよう」ということになったかもしれない。分かりにくいスタッフでも分かる、というほどの霊力がみんなにあったらね……。しかし、ほとんどの皆さんには罪はないです。
しかし、みんなもそういうミスをしているわけです。一般のエンゼル会員が支部長に、支部長がエリアの議長に、あるいはコミッティーがコミッティーの議長に、というふうに正確に情報を提示し、「どうなんですか」というかたちでしつこく聞かなかったりね。
情熱というものはいるんだけど、「情熱がすべてを動かす」ためには、情熱のエネルギーがいろんなところに分解されて応用されていかなければいけない。分解応用して細やかなチェックになっていくわけです。
一、まず情熱は正確な情報を得て、
二、上から下も本当に粘り強くし、
三、下から上も食い下がりながら行く
この三つのものがちゃんとできていたら、運営というものはコミュニケーションがよくできているから、正しい判断ができて無駄がない。
これが、みんなどこか足りないと、行き渡ってなかったとか、上が知らなかったとか、下では下で判断して勝手にやっていた、ということになってしまうわけです。
私もそうやって、ご神霊に対してこの三つのものを気をつけています。
