深見東州の土曜神業録11(Vol.3)

両方の要素を持っていた聖徳太子

植松先生とお話ししてたんですけど、この伝教大師、弘法大師の前には、やはりもっと素晴らしい人がいるんです。

この二人はどうしてこういう道を歩んでいったのかということを考えますと、やはり聖徳太子が出てくるんです。仏教を最初に日本にもってきましたのが聖徳太子さん。聖徳太子さんは皇太子という立場で、今の天皇制度をつくった方です。
前に聖徳太子のお話を講義でいたしましたけど、例えば蘇我氏と物部氏の戦の時に「もし、この戦いで私を勝たせてくださるのなら、四天王のために四天王寺を造ります」と言って、聖徳太子は蘇我氏に味方しました。物部氏は神道です。

惟神の神道を伝えておりました物部氏と戦をしまして、自ら参戦しまして、その物部氏をうち滅ぼしました。ですから、聖徳太子は政治家的な要素があります。

しかし、純粋な気持ちで、「国家に人材を。日本国よ、安かれ」という意味で、冠位十二階制度をつくりました。当時は、地位や名誉を重んじる世襲制度でしたから、身分のない者でも、立派な人が日本の国の官吏にならなきゃいけないんだと聖徳太子は考えたんです。

身分の低い人でも、十二クラスに分けて、官吏に登用しようじゃないかと。

非常に進んだ冠位十二階制度というものをつくりまして、あまり実行はされませんでしたけど、聖徳太子さんの理想でした。身分の低い者でも、優秀な人が国家の役に携わることが、国家を良くすることなんだ。家柄ばかりを重んじていたら、日本の国は良くならないと。

そして自らは、皆さんご存じか分かりませんが……。大阪府南河内郡太子町という所に叡福寺というところがありまして、聖徳太子さんのお墓があるんです。

聖徳太子のお母さんと聖徳太子さんと、膳君という聖徳太子の奥さんのお墓があります。そのお墓は、聖徳太子さんが生きてる間に造ったんです。

どういうお墓を造ったかといいますと、子孫が根絶やしになるお墓を造ったんです。これは文献で残ってるんですけど、聖徳太子さんは、「この子孫が!この子孫が!ああ、子孫が、子孫が」って呟きながら、そのお墓を造ったらしいです。墓相を研究しまして、「こういう墓を造れ」と。

聖徳太子さんは、天文学、歴史、文学、もちろん神道から儒教から、ありとあらゆる万能の働きを持っていました。

弘法大師さんの要素を、聖徳太子は持っております。伝教大師のように純粋だというのは、今申し上げましけれども、とにかく、それだけの能力がありまして、墓相を研究いたしまして、何を造ったかというと、子孫が根絶やしになるというお墓を造ったんです。

というのは、聖徳太子がそれだけの働きをしていたら「聖徳太子さんの息「子さんだから」ということで、自分が死んだ後、門閥制を廃止しようと子孫が言っても、必ず私の子孫を担ぎ上げて官吏の要職に就けることがあるだろうと考えたんです。

だから、子孫が根絶やしになって、初めて冠位十二階制度が成り立つ。身分や地位じゃない、本当に能力と才能がある人が国の中心に立たなきゃいけないんだという聖徳太子の精神を全うするために、自分の子孫が根絶やしになるお墓を造ったんです。

聖徳太子の息子に山背大兄王子という人がいまして、蘇我入鹿と戦がありました時に、みんな聖徳太子さんを崇敬してましたから、山背大兄王子を慕って来た。

蘇我氏の生き残りが結局クーデター起こし、いがみ合いまして、戦をすれば勝てた戦だったんです。もちろん、実際にはやってないから勝ち負けは分かりませんが、兵力にしましても、支持者にしましても、山背大兄王子があくまで戦うぞと言ったら、蘇我入鹿に打ち勝つことができた。

不可能じゃなかったんですけれども、山背大兄王子は考えまして、

「お父さんの聖徳太子さんの御心は慈悲の心だったから、戦をするなんていうことは、本当のお気持ちじゃない。僕が戦をすればたくさんの人が死ぬだろう。私の部下も死ぬだろう。相手の人も殺すだろう。殺生しちゃいけない。私のためにそんなに大勢の人が死ぬのは忍びない」

「要するに僕さえ死ねば戦はないんだ」と言って、山背大兄王子は、自分で首をくくって死んだんです。自決して死んだんです。追いつめられて死んだんじゃないんですよ。

追いつめられて死んだんじゃなくって、自分で、それがお父さんの御心に叶うことだというんで死んだんです。それで、聖徳太子の子孫は全部絶えまして、一人も残っておりません。十四人の子供がいたんですけど、聖徳太子一家は根絶やしになって、亡くなっております。

これは非常に悲劇の要素がありますので、みんな一層聖徳太子さんのことを理想にしますし「聖徳太子さんのあの御心を」というふうに崇敬するんです。

伝教大師最澄もそれを崇敬して、聖徳太子さんを恋人のようにこよなく愛して、「聖徳太子の法華経の精神を私はなんとかして」という理想を持って生きた。

ですから聖徳太子さんは、伝教大師と弘法大師の二つの要素、純粋にそのために生きてきたという要素と、万能の天才的要素というものの両方があったんです。あらゆる時代の中で、永遠の恋人と言われてます。聖徳太子は人気があるんです。

平田篤胤なんかは、「聖徳太子さえいなければ日本に仏教は来なかった」と言ってます。平田篤胤は国粋主義、復古神道ですから、聖徳太子さえいなければ日本には仏教が来なくて、惟神の道が成就できたんだというんで、聖徳太子を目の敵にしています。

ですけれども、聖徳太子さんがいたから天皇制が守られたんです。当時は、天皇一家という一つの豪族でしたけど、日本国を統率はしてなかったんです。

天皇制を中心にして日本が固まるようにしたのは聖徳太子ですから。今日の天皇家があるのは、聖徳太子のお蔭です。ですから、日本の国が天皇を中心にしまして結束ができたわけで、まさに、日本の国体を作った一つの大きな働きを、聖徳太子はもっているわけです。

そういうことを考えますと、伝教大師は聖徳太子を崇拝しまして、法華経の精神をもってやっていった。

弘法大師は伝教大師がすでにそういうふうにしているから、大乗仏教を作ったって、もう仕方ないわけです。だから、当時、唐で一番流行っていた密教がまだ中心的でなかったので、そちらをやった。万

能の天才的要素ですね。国体もある程度できておりますので、聖徳太子と同じことを弘法大師がやってもだめなんでございまして、民衆に生きていく救済主、真言密教をそういう形でもっていったというのは、その当時そういうことをやってる人がいなかったので、その要素をやったわけです。

ですから、伝教大師弘法大師の二人で、聖徳太子の要素を二つに分けていたといえます。

これを見てみますと、皆さん、どうでしょうか?

弘法大師をとるか、伝教大師をとるか、どちらがいいかと言われますと、どちらも一長一短です。やはり聖徳太子のようになりたいですね。

両方の要素がある。聖徳太子が原型でありまして、それを分けてみたら、伝教大師のような「純粋な精神を貫き通した」という面と、弘法大師のように「半歩リードして、日本の衆生に愛されていった」という面があるわけです。

我々は、それぞれの立場、生活におきまして、伝教大師と弘法大師の要素を二つもって、「聖徳太子の庶民版」というような形で、やっていくのがいいんじゃないか。日本の歴史の中で現われてきた神人合一のパターンはいろいろありますが、伝教大師と弘法大師、そして聖徳太子は一つのいい見本じゃないか、お手本じゃないかと思うわけです。

聖は天を希い、賢は聖を希い、士は賢を希う

そういうふうに考えまして、最初の話に戻りますと、客商売、事務職、創造的自営業…いろいろありますけども、聖徳太子がもし客商売をしたらどういう感じなのか。

弘法大師と伝教大師の要素を持ったらどうなのか。理想を掲げるなら、純粋に生きるという面と、ただ今のお客様の心理を捉えながらやっていくという面の両方が必要です。

万能な要素と純粋に生きてるっていう要素というものが、やはり客商売でも、事務職でも、創造的自営業でも、教育家でも必要です。

ですからもし聖徳太子が、あるいは伝教大師、弘法大師が自分の職場に来たらどうなるのかを考えてみて下さい。イメージです。想像していただきたいんです。

まったく結びつかないかも知れませんけども、無理に結びつけてほしい。と申しますのは、「聖は天をこいねがい、賢は聖を希い、士は賢を希う」(板書)という言葉が「近思録』にございます。「近思録」と申しますのは宋学です。

宋の学問なんですけれども、前にお話ししました。周渓先生がいらっしゃって、程明道、程伊川という形で出てきまして、だいたいこの明道、伊川の説を朱子が体系づけたわけです。

「聖人学びて至るべきか」と。聖人というのは非常に理想の人です。聖のような素晴らしい人。この中国で言います「ひじり」と申しますのは、堯舜、それから湯王とうおう周公旦しゅうこうたん。そういう伝説上のいんとかという、太古に聖人でありながら、聖でありながら帝であった人々。要するに神人合一した、聖であるし、帝であるし、政治家でもある、一人が三つの要素を持っていた人たちです。

そういう聖人に、学んで学問することによってなれますか、なれますよと。勉強することによってなれるんだということで、聖人を目指して勉強するんです。渓先生が明道や伊川に対してお話をしている中の一つの問答なんですけども。

じゃあそもそも、その聖人とはどういうものなのかということで、簡単に書いてあるのが、「聖は天を希い、賢は聖を希い、士は賢を希う」。これは素晴らしい言葉だと私は思うんです。

聖人というものは天を希う。天の道に合わせた形で生きていきたい。天の法則に合わせて、この人間社会をやっていきたい。天の法則に合わせて、人の道を行きたいと。

中国では、神のことを天、天の帝、あるいは北辰と呼ぶんです。周濂渓先生というのは、「太極図説』という本を書いた方です。太極というのはこういうものだということで図解したのが「太極図説」です。聖人というものは天を希うものですよと。

要するに神様というものを常に希っている、これが聖人というものなんだよと。

植松先生はそうです。いつも「神様、神様、神様」とおっしゃってます。天を希い、神様、天地の法則、あるいは天の気を、いつも希っていらっしゃるんです。

日本では、聖人のことをこういうふうにも申し上げます(板書:聖)。

この聖というのが、この漢字がちょっと面白くないというんで、「日知り」(板書)と書くこともあります。あるいは、これでも面白くないと言うんで、「霊知り」(板書)とも書くんです。

この霊という言葉は、「霊妙不可思議な」とか、「予測のできないような素晴らしいもの」という意味です。

そういうふうな、目に見えないような微妙なものを知っている。あるいは神様、神霊を知っている。霊障を知ってるという意味じゃありませんけど、それも入るでしょう。いろんな霊を、「あっ、水子だ」なんて知ってるかもしれません。とにかく、天のまさしき神を知ってる。それが霊知り(聖)。

ですから、目に見える形だけじゃなくって、形の出てくる前の世界、形の奥に隠れた真理、そういうものをパッと分かることができる。だから聖は霊知りなんです。

あるいはこの「聖」という漢字を見てみますと、面白いです。いろんなことが言えるんですけど、天の言葉を「耳」にしまして、それを「口」から出す「王」様だと。「耳・口・王」と書いて「聖」ですから。

いろいろ説がありますが、我々が都合のいいように勝手に自分たちで解釈しますと、神様のおっしやることを聞いて、それを口で伝えていく。聖人ってそうです。

霊妙なものを知ってるから、こういうことを言える。「王」というものは、天人地を貫いているということです。

ですから、天の言うことを聞いて、そのとおりそれを口にし、実践していく。天地と一体となっていく自分を常に見ている、これが聖です。

これに対しまして賢人、賢者と申しますのは、要するに「賢い」ということですが、じゃあその賢人というのはどうなのかといったら、「賢は聖を希う」。

この賢人というものは、天を希っておりました聖人、聖人を希うんだと。堯や舜、例えばさっきお話ししました聖徳太子さん、伝教大師弘法大師。こういうふうな人を見習いまして、「ああ、一歩でも近づきたい。堯や舜のごとく、あるいは孔子様のような立派な人間になりたい」「顔回のような素晴らしい人に、少しでも見習いましょう」と。

賢者というものは、聖人を自分の目標にいたしまして、一生懸命研鑽を積んでいくわけです。

それから士というのは、中国で言いますと士大夫。日本で言えば武士でしょうか。位のある人たち、国の士というものは賢を希うんだと。

隣の村のあの人はほんとにいつも一生懸命勉強して、非常に立派な人だった、賢者だった。だからお母さん、僕もあの人を見習って一生懸命勉強するよ、というかたち。士は賢者を見習っているわけです。

こういうふうに、『近思録』の中で、渓先生が、程明道、程伊川さんに、「聖は天を希い、賢は聖を希い、士は賢を希う」と。聖・賢・士というふうに位を分けております。

日常生活の中で、賢・聖・天を希う

これを見まして、我々はどういうふうに考えればいいか。聖人になりたいから、我々は天を希うにしようか。そう思うんですけれども、果たしてそれでいいでしょうか?

やはり我々といたしましては、まず一生懸命勉強している士大夫の姿勢を見習いまして、ああいうふうに一生懸命やって、少しでも近づかなきゃなと。

お互いそういうふうに思いまして、士大夫のように、賢いやり方というものを勉強してみようと。あるいは、会社員だったら、出世した先輩を見習うようにしなきゃいけない。それはいわば、会社の士大夫、会社の賢者です。

そして次は賢者のごとく、聖を希う。聖徳太子さんや伝教大師さん、弘法大師さんは、ああいうふうに生きておられた。あの時代でああいうふうに生きていくのは大変なことだったろう。

自分は昭和のこの時代にあって、伝教大師弘法大師、聖徳太子のようなかたちで、お客様と接するときに、どういうふうにすればいいだろうか。電話の受け取り、手相ではどうなんだろうか。

つまり私たちは、神を求めると同時に、賢者のように、そういう過去の時代時代に現れた聖人君子、賢者を少しでも見習うべく、勉強していかなければいけないんです。

ですから私たちは、聖、賢者、士大夫、三つの要素を全部、持って進んでいくべきだと思うんです。

そして、それぞれの職業、生活の中で大きな理想を描きまして、士大夫から進み、次に聖徳太子さん、そして神様というように、黙々と研鑽を励みながら生活している人は、やがて傑出した人物になります。

士大夫、賢者、聖人。こういう形で、我々はまさにこの生活の場の中で志ますと、傑出した人物になるのです。志さなければやっぱり近づけませんので、目標だけはしっかり持たなければいけません。

ですから、私なんかも仕事しておりまして、常に「ああ、聖徳太子さんでも、最後の最後までああいうふうになさったんだ。伝教大師でもああいうふうにしたんだ。だから自分も純粋なものを貫かなきゃいけない。伝教大師もああいう形で立派な弟子が出てきたんだから、自分は不十分であっても、弟子が同情して、立派に仕組をしていくかもしれないから、不完全でもいいんだ。どこまでも貫き通せばいい。伝教大師もそうだったから、僕もがんばってやらなきゃいけない」と言って聞かすんです。

賢者のごとく、聖を希いながら生きていこうと、自分に言って聞かすのです。

あるいはまた、一つまた一つと学んでいく時、ああ、弘法大師さんは、天文学から学問から、ありとあらゆる勉強した。

何分の一もかなわないけど、一歩でも弘法大師さんに近づくように、除霊する時も速やかにやらなきゃいけないと。パッとやれば何もないところから井戸水がパッと湧き出る、それに比べてみたら大したことないなと思って、精進を続けるんです。

そういうふうに、いつも弘法大師さんのことを思い出しまして「まだまだ自分はだめだ。もっともっと勉強しなきゃだめだ。全然足りない」と。いろいろな局面において先人の足跡を見まして、省みるんです。

またある時には、お釈迦さんと自分を比べてみるんです。お釈迦さんと比べたらまだまだだと。

お釈迦様は、王子様として生まれて、奥さんや子どももあった。生死の境とは何かということを考えて、奥さんや子どもも捨てて、どこまでも人類のために生きようと。

全然身分もなく乞食坊主だった人がするのとは訳が違います。ああいう王子様に生まれて、身分に何の不平もなかったのに、大きな人生の理想を描いて出家しまして、四十五年間も布教を続けていった。

あのお釈迦様の生き方を見たら、もう絶対にかなわない。

たった一つの道のために飛び出していったお釈迦様のあの求道心を考えたら、生活がちょっと楽になったからといって、油断しちゃいけないんだ。安定した生活を振り切ってまで道を求めたお釈迦様を見てみろ、全然だめじゃないかと言って聞かすんです。

またある時には孔子を見て、ああ、何と素晴らしいんだと。ここまで一つの道を、ビシッと人の道というものを説かれてきた、貫き通したあの孔子の精神。

これに比べてみたら自分の求道心は大したことない。四書五経を勉強してきた学問の厚み。「述べて作らず、信じて古を好む。窺かに我を老彭に比す」と。自分で作るんじゃない。

謙虚に、古の聖賢とか、本当の学問を勉強して、少しでも世の中がよかれと。

何の位もありませんでしたけれども、後世代々、今でも孔子の子孫は残っているんです。非常に立派な徳の高い人らしいんですけど、孔子の子孫は二千年以上経っても、まだ生きてます、中国で。

孔子の直系の子孫たちが生きてるんです。

ああ、孔子さんというのは、あれだけのものを貫き通して、それが二千年以上も残っている。子孫もまだ生きている。どれだけの功徳を積んだことなんだろう。だから教育者たる者、孔子さんのようでなきゃいけない。

というように、とにかくただ今置かれている生活の中で、自分が負けそうになった時に、そういう人たちのことを思い出して、見習うんです。

深い学問が心の襞になる

神様のことは常に希っていても、そういう深い学問、すなわち心の襞がなければならない。そういう心の襞を常に持っておかなかったら、いくら神様に祈っていても、素晴らしいものとの出会いがあっても、なかなか続かず、途中でグラグラしてしまうんです。

感覚だけでやっている人というのは、最初、神様の道とか永遠の道とか、目に見えないものを求めていても、途中でちょっと何かあったらすぐにグラグラグラしてしまう。

ちょっとした神試しにあったり、生活に困ったり、行き違いがあったり、あるいは家族のことがあったり、親戚のことがあったり、ちょっとしたことがありますと、この学問の積み重ねというものがない人は、グラグラグラグラするんです。

そういう時に奮い立たせるのが、ああ、孔子様もそうだった、弘法大師さんもそうだった、伝教大師もそうだったというように、古の聖人のことを希うというやり方なんです。

どういうふうに比較したって、お金はかかりませんから。例えば、自分が一生懸命やったことが、人にわかってもらえなくても、ああ、二葉亭四迷だってあの時ああだったじゃないか。

僕だって、死んでから名前が出るかもしれないと、孤独な時はそう思うんです。

しかし、いざ商売となって、売れ始めてきたらどうか。弘法大師も、尾崎紅葉も、人の心をうまく掴んだ。ああいう要素もなきゃだめなんだ、売れないんだ。

一歩リードしている自分の理想感覚はいいけれども、半歩リードしてやらなければ、やはり大衆に受けない。大衆に受けながら理想のものも持ってるという形が、理想だなと。

そういうふうに、いろいろな形で先人たちの足跡を自分自身に引き込むんです。

そういう心の襞。神様の道というものを成就していく場合、信仰生活が長く続く場合、あるいは神霊と一つになっていく場合、それぞれの生活、それぞれの立場があるんですけれども、とにかく、そういう深い学問というものを常に心の中に持っておりまして、自分というものを奮い立たせて、道を成就していく。それが心の厚みですし、心のひだ/rt>なんです。

こっちにポーンと転びましたら、いや、あれはああだった、こういうふうに考えよう。こっちにパーンと試練がありましたら、いや、それはそうかもしれないけどもこういうふうに考えていこう。

こっちにポーンと来ましたら、パッと波は来るんですけど、いや、待てと。しかし僕はこういう気持ちで神様の道に来たんじゃなかったのか。

弘法大師さんだってこういう試練の時を何度も何度乗り越えてきたんだと。波切不動尊で嵐も乗り越えた。だから、自分もこれは神試練なんだと思ってやらなきゃだめじゃないかと祈っていくわけです。

前からポーンと来て倒れても、いや、聖徳太子さんがそうだったと。上杉謙信公だって、戦国時代に生まれてきながら、最後まで僧侶の生活をしていたんだ。

ああ、彼も苦しかっただろう。私も、会社の経営と、純粋な神の道ということで苦しいけども、いわば戦国時代に生きようとした上杉謙信のようなものだ。

だからがんばらなきゃいけないんだ。そうだ、謙信公だってできたんだから僕にできないことはないんだ、がんばろうと思うんです。

そういうふうに、こっちから来てもあっちから来ても、風雨、試練はあるんですけれども、ピョンと元へ戻る。こういう柔軟な心の襞を持っておりますと、何が来ても平気なわけです。

ところが、多くの人たちは、最初は「この道を行くんだ!」と思うんですけど、一歩ポーンと壁にぶつかりますと、ペキッと折れちゃうんです。

挫折のない生き方とは

信念によって生きている人っています。一般の人たちは信念によって生きているんですけど、これの問題点は、何かを信じて念じているわけです。

ところが何か壁が来ますと、挫折するんです。失敗して、成就できない時には、信念が打ち砕かれて、挫折が来るんです。そしてその後に、今度は絶望が来るんです。

信念を持つ人は、どこまでも信念を貫くんですが、ある時、自分の実力、能力、それから立場、経済力、あるいは体力など、あらゆるものの限界にぶち当たって行き詰まると、挫折して、絶望してしまう。これが一般の人たちです。

そうして、何度も何度も絶望しましたら、「まあ生活さえできればいいんだ」 という人生観になりまして、個人商店、タバコ屋さんだけやって、まあまあいいと。

信念を持って会社を経営してたけども、途中で倒産しちゃって、挫折して、絶望的になって、それからあとはタバコ屋。生活さえできればいいじゃないかと。そういう人はたくさんいます。

ところが、信念に生きないで、信仰に生きるとどうなるか。(板書:信仰に生きる)

信仰というのは、何かのことを信じて仰いでいるということです。神様、仏様の永遠なるものを信じている。永遠と絶対なるものを信じて仰いでいます。

実力や経済、あるいは肉体的な何らかの挫折が来ます。行き詰まります。しかこの挫折した時に、絶望しないんです。挫折した時に「あっ、これは、天が私に与えた試練だ」と受け取るんです。挫折することによって、「ああ、自分の我があったんだ。神が私に与えた試練なんだ」と受け取るわけです。

「これは、神様から与えられた試練なんだ。だからこれをしっかり乗り越えて、神様の試練に打ち勝たなきゃいけないんだ」と。そこで信仰力が試されるんです。

信仰力がここで試される。どれだけ神を信じてるか。永遠なるものをどこまで信じてるのか。神様は人を見捨てないですし、その人も神様の愛だということを信じている。

だから、試練にあうことによって信仰力が試されまして、この試練を得て、ジャンプするんです。絶望するかわりにここで悟りを得まして、「そうだ!これは神の試練だ。がんばらねばならない」と思って、また立ち上がる。

日蓮宗を見ておりましても、あるいはキリスト教でも法難があって、迫害されれば迫害されるほど発展するんです。

信仰に生きてる人間は、挫折したあと絶望するんじゃなくて、それを神試しとして受け取りまして、挫折すればするほど、失敗を成功に変えていく。神試練だ、神鍛えだと思って生きていく。だから、挫折すればするほど強くなるんです。

「ああ、会社が倒産した。我があった、慢心がよくなかった。経済分析が甘かった。いや、そうじゃない」と。

「神様は僕に、もっと別なほうへ行きなさいと言っているんだ。あるいは、この業種一つだったら行き詰まっちゃうから、もっと新しい仕事をしなさいという天の試練なんだ。だからもう一度やり直して別の業種でやり直せばいいんだ」と。

受け取り方はいろいろですけど、そのことがあってさらに大きく飛躍する。これでなければ、絶対のものを信じてるとは言えません。

挫折を試練として受け取りまして、信仰力を試されているんだと思って、ジャンプするかどうするかというのは、先ほど言いました心の襞です。

「そうだった。日蓮上人も、松下幸之助もそうだった。ああ、そういえばああいう人たちも試練に遭いながら、やられればやられるほど強くなったじゃないか」と。

ですから、法華経の人は強いです。日蓮さんを見習ってますから。いかなることがあっても乗り越えてきた足跡を信じてますから、本当に試練に強いんです。

そのように、信念に生きてる人は、挫折した場合に絶望するんですけど、信仰に生きてる人は、挫折があればあるほど強くなる。心の襞が違うんだということです。

ということで、パート1がずいぶん長くなりました。パート2でもっと違う面で分析しますけども、一応、信念と信仰というところで締めくくりにいたします。

自分たちの心の襞、信仰力を高める意味で、弘法大師さん、伝教大師さん、そしてその奥にある聖徳太子さんを見習っていく。

それは「近思録」にありますように、一つのものを成し遂げた人、本当の学問を会得した人、本当の信仰心というものを会得した者は、同じく、聖を希い、天を希い、士、賢、聖という形で、自らを磨いてきたということでございます。

パート1をこれで終わります。(拍手)

【植松先生】いつもいつも、だいたい十二時過ぎてくるとね、気がすっきりなってくるのね。夜明かしなんていうのなんでもなくなってしまう。それよりもね、その一遇のチャンスっていうほうが気になってくるのよね。

だからね、眠いとかね、くたびれるとかね、ああもうこの時間まで大変だなあとかっていううちはね、講義が続くわけ。ウフフフフ、フフフ。

講義でね、少しでもこう、内容をね、積んで差し上げましょうっていう。何かねえ、聞きたいことがあったらね、どんどんこう質問してね、どんどんどんどん。

こんなこと言ったら笑われるかしらなんて思わないほうがいいのよ。