深見東州の土曜神業録11(Vol.6)

正神界の神様を動かす究極の一厘

ところで、この真副控の三つの神様に関しまして、大事なことがございます。これは正神界の神様に動いていただく、一つの重要な掟です。

正神界の神様に動いていただく掟。稲荷とかタヌキなんかは、お願いしたら何でも聞いてくれるんです。

ところが、正神界の天照大御神様とか産土の神様というのは、正しい正神界の神様としての存在ですから、動いていただくには重要な掟が一つあります。それは仕事場において一番大事なことなんですけど、何だと思いますか?

天照大御神様、産土大神様に動いていただく重要な掟、神法があります。なんでしょう。

Hさん、分かります?いくらお願いしたって、この掟というものを押さえておかなけば絶対動かないんです。今日のお話で一番大事なところで、私が強調したいところなんですけども、分かりますか?

このポイントを逃しますと、絶対に動いてくれない。だけどこのポイントを押さえてたら、絶対に動いてくれるんです。

天照大御神様の許可を頂くといいましても、このポイントを押さえなかったら、代表取締役の印鑑をポンと押してくれないんです。

これがなかったら、代表取締役の光明は与えてくれない。産土の神様も、お参りしてお玉串出せばもちろん受け取りますけれども、受け取ってるというだけで、本当の意味では動いてくれないんです。

これは正神界の神様、仏様に全部この掟、ポイントが当てはまります。これを逃したら絶対動いてくれません。分かりますか?西谷さん。ポイントなんですよ。分かりますか? 田宮さん。

これが、正神界と邪神界を見分ける一番のポイントなんです。

どうですか?このポイントさえ押さえてたら、絶対に邪気にやられないで、いつも正神界の神様が守ってくださる。いつも正神界の神様が動いてくださる。この真副控は絶対に動いてくださる。

分かります? 坂本さん。

【坂本さん】まちがってるかもしれないけど、真心みたいな……。

【深見先生】んー、そうですね。

【坂本さん】神様に好かれる。

【深見先生】そうです、真心です。

「愛を以て帰一するを真心となす」という神法のお話を前にしました。言霊でみると、「あい」とは天の意志という意味です。

「あ」は「天」ですから「天」という意味があります。「い」というのは「意志」ですね。だから「あい(愛)」とは、「天の意志」という意味なんです。

愛というのは。ですから、人間が愛を以て何でも帰一する時には、天の意志に合ってるわけです。

正神界の神様も全部これなんです。日曜祭日もなく、夜も昼もなく、厚生年金もボーナスもお給料もなく、ずーっと働き続けているこの産土の神様は何が原動力で動いているかっていったら、少しでも氏子たちよ、良かれと、幸せあれかしという気持ちで動いてるんです。

前にも言いました。バイブルを富士山の高さだけ積み上げたのと、太陽の一分間のエネルギーの放射は、どちらの功徳が人類に貢献してるかといいますと、一分間の太陽エネルギーのほうが何億倍も貢献してますよと。感謝しても感謝しなくっても、相手が喜んでも喜ばなくても、太陽の光というのは、ただただ与えるのみです。

ところが、空気と太陽に感謝して生きてる人は、あんまりいません。

太陽のあまりにも大きな存在なるがゆえに、あまり感謝する人がいないんです。「ああ、バイブルのお蔭で自分は」なんて言いますけど、「太陽のおで自分は生きてる」なんて真剣に考えてる人はいません。

しかし冷静に考えたら、太陽というものは惜しみなく与え続けて、その見返りを望まない。太陽というものは、まさに絶対の愛というものの象徴であると思うんです。

だから、絶対に愛で帰一しなかったら動かないんです。霊力とか神智とか叡智が非常にありましても、そこに愛があるのかないのか。金毛九尾なんかは、同じような神様の姿で出てきます。

でもその光とか輝き、言ってることに愛があるかないか、それを魂に感じるんです。本当の神様は、愛がなければ絶対に動きません。

仏様もそうです。不動明王でも文殊菩薩でも、全部これでなければ動きません。ということはどういうことかと言いますと、天照大御神様、産土の神様にお願いをしまして許可を頂きます。

例えばお客商売でございますと、最初に天照大御神さんに祝詞あげまして、愛を以て帰一して、「どうぞ、今日、我が社にご縁のある人に、どうぞ喜んでいただけますように。電話の応対できますように」。

西谷さんだったら、「手相の鑑定をすることによって一人でも人を幸せに導くことができますように」と。

あるいは出版社ですと「「西谷さんの本を載せて良かったな」と言ってくれるような原稿ができますように。出版社の人に喜ばれるような原稿でありますように」と。

これは、出版社の人に対する愛です。そして、「読んだ人が少しでも良かったなと思ってくれて、その人の人生がより良くなるような原稿を書かせてくださいますように」と、天照大御神さんにお願いするんです。

そうすると、そのお願いしてる元は愛で始まってますから、「よろしい」と、代表取締役がオッケーをくれるわけです。そうすると活力、やるぞーという気力が出てきます。だから邪が来ない。自分の御魂が発動するんです。

事務職の場合も同じです。「どうぞ、今日も、自分の上司、同僚、そして後輩が、「あー、君がいてよかったよ」と喜んでくれるような仕事ができますように、天照大御神様、お願いいたします」とお祈りすると、「よろしい」と代表取締役印鑑くれます。

やる気がワーッと出てきます。活力、エネルギー、発暴力が出てきます。自分の御魂が発動するし、人の御魂も発動するんです。

どんな仕事場でも、最初言いましたように、相手となる人間がいます。その人間が喜んでくれますようにという愛で締めくくるんです。そうしたら天照大御神さんが「よろしい」と許可をくれます。

仕事に心を向けちゃ失敗するんです。仕事に心を向けますと、稲荷が来たりいろいろ来ます。絶対仕事に向けないで、仕事をしている時の人間に心を向けるんです。

「一人でも多くのお客様に喜んで頂けますように。お客様によかったなーと喜ばれるような営業セールスができますようにお願いいたします。天照大御神様」と、愛で帰一すると、「よろしい」と印鑑をくれるんです。

そして、自分のお腹の中の中心部分に、仕事の中心がバシッと定まる。天照さんは絶対にこれでなければ聞いてくれません。というのは、ご自分がそういう存在だからです。

我々は、ですから、神様にお願いするのに神様の気持ちがなかったら、絶対にいくらお願いしてもだめです。これがポイントですから。

自分がお祈りする内容、言葉がどういう気持ちから発しているかを、常に自分で見てほしいんです。これは一番大事なところです。

運転しましても、例えば自分の会社のすべての人たち、あるいは納品先の人たちにどうぞ喜ばれるような、そういう仕事が今日もできますようにと。

運転して事故になりますと相手も不幸ですし、私も不幸ですし、会社にも迷惑掛けますから、どうぞ事故なくできますようにと。

そういうお仕事が今日もできますようにと。そうすると会社で喜ばれて、「やー、坂本君、ボーナスこれだけあげようと思ったけど、君よくやるからね、うちが一番困った時にパッと来てくれるからね、ボーナス、査定一番よくしといたよ」となるんです。

あるいは問屋さんでしたら、「すべての販売先によかったと喜ばれるような、

そういう営業ができますように」と。ところが、販売先だけじゃだめなんです。すべての仕入先もよかったというふうな仕入れができますようにと。

そしてもちろん、会社も潤わないと、赤字になってしまいます。ですから、問屋の場合には、販売先と仕入先と会社の社員のみんなが喜んでくれますように、と三方向で祈る。仕事の内容を祈るんじゃなくて、その三方向の人々に喜んで頂けますように、という気持ちでさせて頂くんです。

自分の魂が出てくる仕事の仕方

「仕事」(板書)という漢字、皆さん見てください。これ、「事に仕える」です。物事に仕えるというふうに書きます。

仕事というのは事に仕えるということなんです。例えば手相の鑑定ということに仕えさせていただく。天照大御神さんの許可を得て、そのエネルギーを頂いて、手相の鑑定をさせていただく。電話の応対をさせていただく。販売させていただく。事務の仕事をさせていただく。

事に仕える、事にお仕えするというそういう気持ちでやるのが、仕事なんです。漢字はうまくできてますね。

どんなことでもいいんです。主婦だったら、家庭で料理を作らせていただいてるという気持ちでしたら、これは本当の仕事なんです。「ねばならない」からするんじゃないんです。

あるいはこの自然の美しさというもの、例えば対象物の木とかお花を写させていただく、描かせていただく、お花の生命をどうぞ描かせてください、本当の美というものを描かせてくださいという気持ちでキャンバスに向かいますと、神様が「よろしい」と言って、守護神、守護霊も動きます。

お花の精も、フェアリーも喜びまして、描いてる画家にフワッと乗りうつりまして、「あ、きれいに描けた」となるんです。描かせていただくという気持ちで対象物を見ますと、自分の魂が出てくるんです。

これは全部そうです。仕事場というのはそういうことです。自分が書いてると思いますと、我力でやりますので、なかなか魂が出ないんですけども、私の人為とか自我がないと、私心がないという無になって、自分の魂が出てくるわけです。

すべて愛を以て帰一してたらそうなるはずなんです。俺がしてやってるんだなんて気持ちはないはずですよね。これが正神界の神様がお動きになる一番大事なところです。

先週、我と慢心の話をしましたけれど。我と慢心というものが出ないように出ないようにっていいますと、防御になっちゃうんです。

我と慢心と怠りが出ないように出ないようにということは、マイナスがないように気をつけるという面なんですけど、普段はそれに気をつけながら、今度は愛で愛で愛で、神様に積極的に向かっていく。

天照大御神様と産土大神様で発展的に攻撃していくんです。愛で、善で、愛で攻撃していくんです。そうすると神様が「よろしい」といって、代表取締役の印鑑くれます。

光明で輝きますので、相手の長所、自分の長所が出ます。要するに活力、エネルギー、発展力をもらえます。そうして全き働きができるわけです。

例えば、商品の販売、絵を描く場合、手相を鑑定する時、ピシッと100%、完璧な働きができるんです。その人の実力と、ねばならない立場相応の働きが、ピシッと100%発揮されるんです。

100%発揮されないのは、自分に我と慢心があるからであって、事に仕える、お仕えするという気持ちでする場合には、パシッとできます。

これが正神界の神様に動いていただく重要な掟神法。愛を以て帰一する、これは大事です。これは絶対、百回なら百回、これがないと動きません。とにかく、十八年の経験から言っても。単なる理屈だけじゃなくてね。

仕事の行き詰まりを打開するには

ここで産土の神様のことをもう少し詳しく言いますと……。代表取締役の許可いただきますと、光明真神ですから、非常に明るいので産土さんも動きやすい。

産土様は身の回りを守りますけども、なるべく具体的に言うことです。「産土神様、これこれこういうわけなんですけども、どうぞお客様に喜んでもらえるような、販売ができますように」。

あるいは絵を描くんだったら、「最後までエネルギーと情熱と集中力が続きますように。絵を描いて、見た人に「素晴らしいね」って言ってもらえるようなそういう絵を、あるいはお師匠さんが、「うーん、君、いい絵描けたね。僕も教え甲斐があったよ」と喜んで下さるような、そういう絵が描けますように」。

それから、事務の人たちだったら「上司にも、同僚、後輩、あるいは販売先、お客様にも喜んでもらえるような、そういうお仕事が今日もできますように。産土様」と。そうしたら、「よろしい」って守ってくれます。

ところが、私はこういう経験があるんです。ねばならない仕事がたくさんありまして……。ねばならないのがあるんだけど、気持ちが乗らない。

ねばならないでやってる。どれもピンとこないで、やってもやってもピンとこない。こうも言えるしああも言える、ああも言えるしこうも言える。

なかなかどれっていうものが分からないから、一生懸命神様にお願いするんですけども、ちんともかんとも動かない。なんの返事も返ってこない。

だいたい、返事が返ってこないっていう時は、我と慢心がある場合が多いんですが、その時は、我と慢心ということでもないなと。執着心も別にない、執着心でお願いしてるわけでもない。

学生時代の大きな失敗がありますから。執着心でもないだろう、怠りもないから一生懸命努力してる。怠りがない、我と慢心がない。

じゃあ、なぜ、神様は動いてくれないんだろう。真剣に悩みましたね。行き詰まりました。どん底で、なぜ神様は動かない、反応しない、出ないんだと。

そう悩んだ結果、これですよ。神様がパッと。「あ、そうだ、またポイントを忘れてた。愛を以て帰一していない。仕事のお願いなんかしたのが間違いだった。もう仕事なんかどうなったっていい。とにかくお客様が喜んでくれるようないい仕事ができればいい。

社員のみんなが喜んでくれるような仕事ができればいい。仕入先の人が喜んでくれればいい」と。塾でしたら「父兄や講師や生徒がよかったというような、そういう仕事が、そういう授業ができますように。結果はどうなってもいいから、少なくともそういう気持ちでやりますので、神様どうぞ見守ってください」と。

そう言いますと、諏訪の神様が「それならば守護しよう」と言ってお出ましになったんです。

一生懸命やって煮詰まってましたから、次から次と神様が出てきて、「それならば守護しよう、それならば守護しよう、それならば守ろう、それならば導びこう、それならば智恵与えよう、それならば守ろう、それならば許そう」と、十何柱の神様が一斉にいらっしゃったんです。

全部神様が「それならば許そう、それならば許そう」と言っていらっしゃいまして、見る見るうちに会社が発展しました。

仕事が行き詰まりますと、どうしても一生懸命努力して煮詰まっちゃうんです。どこかっていったら、このポイントを忘れるんです。というのは仕事に心をとらわれるから。

この仕事を何とかうまくやろうという気持ちがあるからだめなんです。自我があるわけ。気負いがあるわけ。

そこに愛がない。仕事をなんとかしようという自我があるんです。物事をうまくやるのが問題じゃないんです。その仕事をすることによって、少しでも人が幸せになって、人に喜ばれて幸福を与えるという、そういうもとから発しなければ、ご神業といえないわけです。神様の御心に合わないわけです。

神様の御心に合う道はどういう道なんだと、お祈りしましたよね、皆さん。神様の御心に合うようなことがしたいと。それで、具体的にはそれはどういうことなんだと、坂本さんも考えましたよね。神様の御心や道に合うのはどういう仕事がいいんだと考えたと思うんです。

誰でも、行き詰まるポイントがあるんです。どういう仕事がいいんだと、仕事の中で悩んじゃうんです。これはだめなんです。ポイントがずれてる。

仕事なんかどうでもいい。とにかく人様に喜ばれて、神様にも喜ばれて、みんながよかったなというそういう仕事ができればいい。そういう仕事ができますようにと祈ったら、それならば守護しよう、それならば許そうというんで、天照大御神様、産土の神様がどんどんどんどん働くんです。

神様がフワッと、いい仕事を自然に与えてくださる。原稿書いてても、ひらめきを与えてくださる。お客様を神様が引っ張って来てくださる。産土の神様が直接動かれるんです。

これがなかったら、いくらお願いしても、いくら朔日参りしてもだめです。神様の道に合わないからです。神様の道に合うのはどういう仕事かといったら、そういう気持ちでする仕事です。

なんでもいいんです。事務でも画家でも商売でも、なんでもいい。そういう気持ちでしていたら、「ああ、この子に合わないな、もう少しいい形にしてやろう」と思ったら、次の仕事を与えてくださるし、いいご縁を導いてくださって、もっとその人の御魂と働きと幸福のために合ったかたちで神様がその人を救うんです。

自分の幸福とかよりも、そういうふうに愛を以て帰一してやっていこうという気持ちの人は、神様がその人を救うんです。

神様に救っていただきたかったら、自分を無くすことです。自分を無くすっていうと無になっちゃうでしょう。無じゃだめなんです。

無の奥に愛がなきゃだめなんです。愛があって初めて、神様がその人を救ってくださる。

だから真心で、お客様が喜ぶようなことができたらいい、仕入先に喜ばれるような仕事ができたらいい、夫や妻や家族に喜んでもらえるような、そういう毎日を送ればいいと、無形の世界で愛に満たされておりますと、それは誠の状態ですから、神様が「よしよし。それならば守ってあげよう」というかたちで包んでくださって、「じゃあ、お客様に喜ばれるような方法を教えてあげよう」と叡智をくださるわけです。

「じゃあ、お客様が喜んでくださるような商品を与えてあげよう」「じゃあ、お客様に喜んでいただくような仕事を与えてあげよう。仕事を与えるけども、どうやったらよりお客様が喜んでくれるか、セールストークを教えてあげよう」「じゃあ、事務所でどういうふうに応対したらいいかを教えてあげよう」。

人の口を通したり、本を通したり、ひらめいたり、夢で見たり。神様は、スイッチが入ると、必ず次のことへと導いてくださるんですよ。もうこれしかない。

具体的に具体的にそれを成就するべく、天照大御神様がいろんな神々様をお遣わせくださるし、産土の神様は、直接に身辺をお守りいただきまして、その気持ちを叶えさせてあげるべく、具体的に道を開いてくださるんです。

これが仕事における神人合一の法なんです。この神人合一の法の一番のポイントはこれです。それぞれの仕事場でこれを行えばいいんです。