【第二章】ただいまに善を積んでいく(昭和59年12月29日)
再臨御魂・再生御魂とは
それでは、パート2でございます。
神様と人間、特に守護神様、守護霊さん、ありますね。僕は、守護神様、守護霊さんというものとマンツーマンでよくお話しするんですけども、誰でも生まれながらに守護神様、守護霊様がいます。
守護神様というのは、その人の前世もご存じ、今なすべきこともご存じ、そして来世もだいたいご存じです。
この人はどのような可能性があって、どこまでやっていけるんだろうかということを見ておりまして、その人の一生涯を見通した中で、人生の大きな節目時にはパッと現れ出てくるんですけど、普段は神霊界の中で見ておられます。
実は、守護霊さんというのが、普段、間近でいろいろ立ち働いて動いておられる。今まで言っておりますが、そういうのが守護神、守護霊の関係です。守護霊さんはだいたい、十五、六歳頃とか、一生涯のうちに二、三回交替します。
だいたい高校に入る頃とか、大学に入学する時とか、過去いろんな例を見ておりましても、その頃に交替するというのが多いです。
守護霊さんが交替いたしますと、生活環境が変化するとか、急に何かやりたくなったりします。松本道弘さんの場合は、大学出た時から英語を始めました。
「君、油絵じゃあ食っていけないから英語をやりたまえ」と言われて、「英語をやるのなら、日本一の英語をやるんだー」と決心してやり続けて今日まできて、その時から守護霊さんが、ずーっと変わらないできていますね。
そういうふうに、守護霊さんというのは、一つの変化、環境とか志とか、本人が、「こうだ!」と思ったときにパッと交替する。
その人の守護霊さんというのは、ご先祖さんがついて、例えば守護神さんが、この人には今生このような使命がある。
前世こういう徳を積んでいて、来世はこのように生きたい。例えば過去は、仏門に帰依していて尼さんだった。
今度生まれて変わってきたら、ごく平凡な普通の結婚をして、ごく平凡な家庭で仏様を拝みたい。在家仏教でいたいなんて神様にお願いして、本人もそう望んで。ある程度の位まで来ますと、希望がかなえられるわけです。
ですから、神様の絶対的な命令があって、その通りにしなければならないというわけじゃないんです。
これを「神計りに計り、人計りに計り」と言います。前世悪いことをしていた場合には、苦しい環境に無理矢理やられるんですけど、ある程度以上のランクになりますと、希望を聞いてくださるんです。
「私、こうありたい、ああありたい」なんて言うと、「うーん、そうだなー」とおっしゃって、神様の社内稟議あげるんだか分かりませんけど、検討して、じゃあこうしてあげようか、ということで、願いを聞いてくださいます。
例えば、前世は尼さんで、一生かけて、ある程度できた。さっき言った娑婆即浄土、心も慈悲、考え方も明るくて、執着心もなくて、口と心と行いがある程度できていたら、死んでいい霊界に行くわけです。
本人に、「今度生まれ変わってくる時にはこういうふうに生きたい」という希望があって、神様から使命を受けて生まれ変わる。これを「再臨御魂」(板書)と言います。天の大きな使命を受けて、再び生まれるので、再誕御魂とか、再臨御魂と言います。
イエスの再臨とか言いますけど、「再び臨む」というのは、生まれ変わってくるというより、ご神霊が出ていらっしゃるんです。だから、その人の想念がパッと変わるとイエスと一体となって動く。再び臨むというのは、そういうことです。
それから「再生御魂」というのは、やり直しのために生まれ変わってくる御魂。ほとんどの人は寿命を全うするんですけど、生死はある程度本人の自由意志に委ねられておりますので、100%の人が寿命を全うするとは言えません。例外があります。
例えば、この人は八十年寿命があると守護神さんは決めていたのだけれど、早死しちゃったとか、不摂生で死んじゃったとか、自分で命を絶っちゃって、二十四年寿命が残っていた。
そういう場合、霊界に行って「ああ、本当はこういう天命があって、あと二十何年寿命があったのに、しまった。こういう天命があって僕は生まれてきたんだけど、やり直さなきゃ」。
霊界で、息吹戸主神様とかにいろいろ言われまして、「じゃあやり直そう」と言って、生まれ変わってくる。
その人は再生御魂です。もう一回生まれ変わってきて、人生をやり直すんです。そういう場合は、二十四歳の分のやり直しのためだけに生まれ変わって来ますから、すぐに、二十四歳で死ぬんです。
やり直しの分だけやって、霊界に帰っていきます。だから二十四歳が寿命なんです。再生御魂を除霊する場合には、再生御魂であること、やり直しに来たことを教え、なぜ二十四歳で死ななきゃならなかったのかを理解できるようにして、執着心を持たないようにします。
「宿命」生まれつき持つ運・不運
寿命というのは、天の命数というんですけど、生まれてくる時からだいたい決まっています。
天の命数が決まっておりまして、それに応じた年月日、時間に生まれてくるわけです。そういう生年月日に生まれたから、そういう運命になったというのではありません。天命があるから、そういう星のもとに生まれてくる。
ですから、天命に応じた星のもとに生まれて、寿命はだいたいは決まっているんだけども、本人が自覚して精進したとか、世のため人のために活躍した場合は、ある程度寿命は長くなります。
陰徳を積んで、ただいま、ただいまの努力をすれば、寿命は長くなるんです。
ただいま生きていくということ、ただいま生きているという状態はどういうことかと言いますと……。
人には、天の命数があります。そして、前世の徳分などプラスの面があれば、福徳を頂いて運がよくなる。逆に、前世積み重ねてきた悪因縁、さっき言いました、人を苦しめたとか、お金を奪ったとか、人に役しないことをした場合。
例えば女性を苦しめたという場合には、生まれ変わったら女性になりまして、今度は自分が苦しめられる立場になってくる。
除霊の時にいつも言いますけども、これを因果の法則と言います。なぜそういう運命になるかという、前世の因縁があるわけです。
対して、なぜこんなにうまくスイスイ行くかという場合がありますが、これにも二通りあります。現実界的には、「易経」に、「積善の家には余慶あり、積不善の家には余殃あり」という言葉がありますが、善を積んでいる家には、いいものが返ってくる。
積不善、善ではなく悪徳を積んでいる家には、あまり良くないことが起きますよ、ということです。家の因縁があるんです。
なぜそういうお家に生まれるかというのには、理由があります。そういうお家に生まれてくる、生まれつくということは、自分の意志でできることではありません。神様が、その人の因縁に応じて、「この家に生まれてきなさい」と決められるのです。
そういうことで、前世のプラス面とマイナス面がありますので、生まれてきても、運がいい面と悪い面があるわけです。
例えば、学問はできてお金はあるけれども、異性では苦労するとか、異性問題はなんでもうまくいくんだけども、お金が足りないとか、お金と異性はうまくいくんだけども体が弱いとか、生まれつきの運というものは、全部そうです。
同時に、ただいまというものは、プラスの面とハンディキャップの面、言葉を変えますれば、前世の貯金と前世の借金払いがついてまわります。貯金を積んでいる人は、生まれ変わってきたときに貯金を下ろすことができますから、悠々と運気がいいわけです。
前世で借金を積んでいた場合は、返済しなければなりませんから、非常に苦しいわけです。試練です。
すべて、この法則に則って行われています。霊界で修業しましても、もう一度生まれてくる時には、やっぱりその法則にあってるんです。不思議なことに。不運とか、運がいいとか、生まれつくとかいう、いわゆる「宿命」(板書)です。
宿命通力・漏尽通力とは
神通力にも六種類ありまして、天眼通力、天耳通力、自他通力、運命通力、宿命通力、漏尽通力、これを称しまして六大神通力と言います。
天眼通力とは、天眼でなんでも見えること。天耳通力は、神様のおっしゃったことなど、なんでも聞こえること。自他通力は、相手の思ったこと全部分かること。
運命通力は、ああ、この人はこういう運命になるなあ、というのがわかること。今言っている宿命通力は、前世がそういう生まれでこういう因縁を積んでるから、今こういう借金がある、今こういう福徳があるというのがわかること。
前世と今世の宿命がわかって、来世まで見通せる通力です。お釈迦様なんかも、「汝は前世〇〇であった。来世はこれに生まれ変わり……」とおっしゃっていた、ということが法華経に出ています。
宿命というのは「命を宿す」と書きます。女性に生まれついたということは、自分の意志じゃ決められない。
日本人として生まれてきたということも、自分の後天的な努力ではなんともできません。最近は身長を十センチ伸ばすなんていうのがありますけど、身長ですから、二十センチも三十センチも……。
そういう身長に生まれついたという理由があるわけです。
整形手術も最近ありますけども、基本的に骨格、口の大きさなんて、整形手術では、こんな大きな口の人が整形手術でおちょぼ口になったというほど、まだ進んでいませんし、こん大きな頭の、六十八か七十センチぐらいの大きな頭の人が、整形で急に頭が小さくなったなんていうのはありません。
そういう、後天的には変えられないものを宿命と言います。運命は、陰徳とか努力によって変えられますが、宿命というものは、変えられないんです。
漏尽通力というのは、人の苦しみ、悩みごとを解決する能力です。
いくら天眼が見えても、いくら天耳が聞こえても、相手の思ってることが読心術で全部ぴったりわかっても運命が分かっても、宿命が分かっても、だからどうしたというんだと。これらのことが分かった上で、本人の苦しみとか悩みとかというものを解消できて初めて、その人を幸せにできる。
漏尽通力というのは、人々の苦しみとか不幸、悩みごとを解決し、幸せにするという能力なんです。
苦しんで辛酸をなめてきた人、自分がそういう道を通ってきて神様から試練を受けた人は、「資金繰りで苦しみまして」とか、「失恋で痛手を受けまして」という話を聞けば、「失恋、辛いでしょうね」と涙がぽろぽろ出てきたり、「お金、苦しかったでしょうね」と、一言で相手の気持ちが分かるわけです。
つまらない霊能力よりも、そういう経験をしている人は、一言聞けば、ジンと分かるわけです。そういう人の、「あなた、こうしたほうがいいですよ」とか「かわいそうに」という言霊には命が宿っていますから、相手の心を慰めて、奮い立たせて、幸せにできるという能力があるわけです。
ですから、いくら人には見えないものが見えても、いくら運命が分かっても、何年何月に何が起こると分かっていても、その人の幸せにつながるかつながらないか、その人を幸せにできるかできないかという漏尽通力に帰一しなかったら、それぞれの神通力には意味がないわけです。
「あんなこと言われなかった努力してたのに、将来ああなる、こうなるって言われたために焦っちゃって…………」とか、「何月に結婚と言われたから楽しみにしていたのに、結局できなかった。友人はみんな結婚したのに私だけできないなんて、よっぽど不幸なんだな」と落ち込んでみたり。
でもこれは、あくまでこのまま行けばこうなる、ということで、結局は本人次第です。このまま努力していけば何月頃結婚できる、ということになりますと、精進努力する目標ができて、苦しみとか悩みごとがあっても希望が持てて、一生懸命働く。
一生懸命生きているから非常に魅力的になって、結婚が早く決まったりするわけです。
ですから、見えたり聞こえたり、相手の意志が分かったとしても、相手の幸せにつながらなければ意味がありません。ちょっと横道にそれましたけれども、この宿命通力というのもそうなんです。
ただいまに善を積んでいく
因果の法則から見てみますと、みんな、前世の貯金と借金があって、今世は貯金を下ろして借金を返済しながら生きています。そして今度は、ただいま生きるということが、来世の貯金と借金積みをしているわけです。
例えば、一つの目標があったら、百点満点で八十点取れば優をあげるとしよう、六十点から七十点だったら良をあげよう、まあまあなんとか六十点取れれば可と。人は、今世なんのために生まれてきたのかという天命をもっています。
天の命をもって、命を宿すので宿命です。宿った命を運用するのが運命です。命というのはそういうものなんです。
ということで、ただいま、ただいま生きるということはどういうことかというと、いろんな定義ができますけれど、ただいま、ただいまの私たちの生活というのは、前世の借金を返済して貯金を使いながら、来世への借金積みと貯金積みの生活を送っているわけです。
だから、ただいま、ただいまによって善を積み、娑婆即浄土のように自らを向上し、艱難辛苦を乗り越えていく過程で、前世の借金が消えていく。
同時に、艱難辛苦の借金返しとともに、功、神様から見たお手柄を立てれば、「よし、よくやった」と。前世の借金があった分だけの艱難辛苦、苦しみを持ってる家の因果か、あるいは本人の前世の因果か、両方なんでしょうけども、「汝は、よくぞ艱難辛苦を乗り越えて、試練に打ち勝ってがんばったな」と神様が功をくださいます。
御苦労だったねという神様からの功を、御魂の恩頼というのです。神様から御魂のランク、位をいただくんです。神様から、叡智を授けていただくわけです。
娑婆即浄土にもランクがあります。娑婆即第一浄土か、娑婆即第二浄土か、娑婆即第三浄土か。ただいま、ただいま生きてきた、そういうふうなただいまを、どういうふうに生きたのかということを神様がご覧になって、功をくださいます。
よく守護神さんが、功がなんとかって、勲功と言います。お手柄、功、「いさおし」と読むんですけど、「よくぞ功を立てた。試練に打ち勝ってお手柄をした」ということで、神様が、天の爵位とか、御魂の輝きとか、叡智とかをくださる。位が高い人は、そういうふうに霊界向上というもので恩頼を受けてる。
これにも二種類ありまして、功を立てるにも、漸悟と頓悟というのがあるんです。
漸悟、頓悟というのは、禅の言葉ですけども、漸次、少しずつ少しずつ悟っていくというのは漸悟。頓悟というのは、パッと悟ってパッと位が上がっていく、瞬間のうちの悟り。
普通は、漸悟をある程度続けていきまして、行き詰まりがあって、パッと頓悟で繰り返す。またある程度漸悟を続けまして、頓悟でパッと飛び出すと。
六祖慧能禅師は頓悟の名人です。普通は道学一体でいろんな道を学びながら実践して、少しずつ少しずつ御魂が向上していく。
瞬時に悟る頓悟と、徐々に悟っていく漸悟とは、前世の積み重ねの違いが出てくる場合が多いです。前世の御魂の潜在意識がパッと目覚める人と、その意識が足りない人は少しずつ積み上げていくという形で。
天網恢恢疎にして漏らさず
そういうことで、捨て身になったときに、功というのは大きいわけです。さっき言った清水の次郎長さんは、田地田畑を全部スパーンと投げ出して人々に施したので、功が高いわけです。
徳分を積んだわけですが、同時に徳分があるので功を立てる、神様が徳を与えてくださるんです。自分が徳を積むというよりも、口と心と行いが正しければ、天の神様が見ておられますから。
功とか、因果の法則とか、神様が全部ご覧になっていて、宿命が全部宿っていますよ、そういう星に生まれてきますよということが、「天網恢恢疎にして漏らさず」。
天は、疎にして漏らさず、疎ですから、わかんないような形になってるけども、全然漏れないで、神様の仕組と言いますか、網の目のように、張り巡らせている因果の法則から逃れることができませんよ。
天網恢恢疎にして漏らさず。因果を免れるとか、因果を乗り越すとかいう涅槃寂静は、そういうものを乗り越えたところの、神の位に立ちましたら、もう自由に動ける。
天網恢恢疎にして漏らさずということがありますけれども、そういうふうに功と、あるいは悪徳というもの、貯金と借金というのは全部ピシッと計算されておりまして、浄土でもランクが全部決まっています。
私なんかも時々変な想念しますと、「一過」というのが出て……。守護神さんが、「一過」、一つの過ち、一つの汚れをカウントするんです。
すいませんでしたって、一生懸命、人を助けて、ああ、よかったと、その人はわかんなくてもよかったら、今度は、何度、何度、何度、何度と計算していくんです。何度、過ちを増すと一過、二過、これを積みますと、業が何度何度となります。
そういう法則で見てみますと、例えば○○家とか□□家とかというのは、六千何百業とか、何万業と、家の業の数字を神様が教えてくれるんです。
因縁が深いといっても、どの程度なんだという疑問が湧くでしょうが、例えば質屋とかサラ金とか、先祖代々ずーっと人を苦しめたり悪いことをしてきたという場合は、一過、二過なんていうもんじゃありません。何千業という単位です。前世、村上水軍とか河野水軍だった人なんかもそうです。その時は義理と人情に生きておりましたけど、義理と人情で略奪して、殺していた。
海賊といっても、今の海賊じゃありません。海に生きる武士ですから。義のため、信義のためといっても、やっぱり略奪して人を苦しめたわけですから。現実問題として、ある程度ルールはもっていたんでしょうけども。やられた人たちは、やっばりものすごく苦しんだ。
除霊をしていますと、前世、河野水軍や村上水軍で、いくつも船を乗っ取ったり、殺したという霊が出てきます。船を沈めたり、略奪したり、人を殺しているから、今度は女に生まれ変わって、みじめな思いをしたんだということを伝えると、「そうか」と悟る。前世の因縁、宿命がわからなければ、どうして若くして死んだのかと思うだろうし、どう考えても癪に障る、どう考えても恨めしいと思うでしょう。
そうして因果の法則を知って、なぜ苦しまなきゃいけないかということを悟って、本人が変わる。そして、明るい慈悲の心と、明るい気持ちと、悟りの心を持って、執着心とか怨念がなくなって、要するに法が解けるから仏になるんです。ですから成仏して、霊界のいいところに行くわけです。
いくら神様がいい霊界に連れていきましても、本人の霊が納得していなかったら、またポトンと落ちてきてしまいます。天狗とか、龍神のいる行者さんとか、霊力のある人がいい霊界に連れて行きましても、本人が仏になってないから、二月、三月したらまた帰ってきてしまうんです。
一月ぐらいで帰ってくる場合もあります。怖いから、しばらくあっちに行ってみようと。よく考えたら……とまたぐずぐずぐずぐず思いまして、しばらくしたら、またその念が復活しますから。
因果の法則を明らかにして、その人が「そうだな」と納得して、本当に法が解けたのでなければ、霊も本当の意味で救われない。
生きている時にそれがわかっていますと、死後すぐに霊界に行くんですけど。私の除霊は、そういうかたちでしております。見てる人はご存じだと思うんですけど。
そういうことで、功も業も、因縁が深いと言いましても、本人の業、あるいは家の業、何千業という形で、数値で換算されるんです。不思議なことに。
ですから何千業もある人は、それを帳消しするだけのことが必要になります。
例えば、清水の次郎長さんがなぜああなったかということをもっと突っ込んで解説しますと、何千業に匹敵するだけの何万徳というんですか、人々に役する口と心と行いの発すところもよくて、徳を積んだ、その功によって、もう少し寿命が延びて、天の命数もあるんだけども、それが変化する。なぜ徳を積むと変わるのかということを考えてみます時に、そうでないでしょうか。
「情けは人のためならず」と言います。最近はこれを、「情けをかけては人のためにはならない。だから、情けなんかかけてはいけなんだ」と解説する参考書がありますが、そうじゃありません。
「情けをかけて人のためにしたことは、やがて自分に返ってくるんですよ」という意味なんですけど。最近の問題集に、そう書いてあったのがありましたね。
【植松先生】そういう人たちには、わかんないわよね。
【深見先生】まあ、そういう、とにかくそういうことで。
【植松先生】小学生なんか、みんなそう思ってんのかしら?恐ろしいわよ。
