六祖慧能と神秀
一箇半箇の精神で達磨大師から来まして、五祖まで来ました。そして、五祖弘忍禅師、ここからがすばらしいんですけれども、五祖弘忍には七百人の弟子がおりました。
そうまでしたからです。神通力というか、もうすばらしい闘志と能力とパワーがあった人ですけど、あるとき、慧能という無学文盲、文字も書けない、学問も全然ない、ただ親孝行だけが取柄な人がおりました。
あるとき、道端で坊さんが『金剛般若経』というものをお話ししておりました。何とすばらしい教えなんだろう、私もああいうものを勉強してみたいなと。慧能は、その坊さんに、「金剛般若経、いいですね。私もぜひ勉強したいんですけど、どこで勉強できますか」
「ああ、それは北のほうの弘忍禅師のところに行けば勉強できるよ。でも、遠いところだから、おまえに行けるかな」
「いや、ぜひ、僕はそれを勉強したいと思います。五祖弘忍さんのところに僕はぜひ行きます」というので、野を越え、山を越え、二月、三月かかりまして、慧能は二月、三月と歩きまして、五祖弘忍にそのことを聞きたいと。
親孝行だけの無学文盲です。全然学問も字も書けない人だった。その人が、五祖弘忍のところに弟子入りしまして、初めて五祖弘忍と会った。
「ぜひ入門させてください」
きょうは入門の話が多いんですけど、「おまえ、どこから来た」「はっ、南の国から来ました」
「ああ、あそこは野蛮人の住むところだな。猿が住むところだな、高崎山のように。猿にもわかるのか、禅宗が」と。慧能禅師は、「森羅万象これことごとく仏性が宿ると言われておるそうです。何で猿に仏性がわからないことがございましょうか」、そういうふうに言った。
「うーん、なかなかの法器であることよな。法の器だな、こいつは」と。最初に弘忍禅師が、無学文盲とはいえ、その言葉が気がきいていると。
慧能禅師は、じゃあ、入門を許そうということで、何をしたかといいますと、無学文盲ですから、朝から晩まで米搗きをしていた。
玄米を搗きまして白米七分搗きにする。薪割りをしまして、毎日毎日お掃除して、薪割りと米搗きです。お米をこうやって搗いている。
弘忍禅師も年をとりまして、七百人の弟子の中で、「もうわしも歳をとった。これから達磨大師から受けてきた五代目の跡を継ぐ六祖、わしの跡継ぎを決めなきゃいけないんだけれども、おのおのの者たちの中で、今ある境地を偈に詠みなさい」
要するに、境地を散文的にポエムを詠みなさい。みずからの境地をポエムで詠みなさいと弘忍禅師が言うもんですから、皆さんが先を急ぎまして。
当時七百人の弟子の中で、まずこの人が跡を継ぐだろうと言われておりましたのが、神秀という人でした。この人は道学一体、禅宗も坐禅も非常に深く積んでおりましたし、学問も非常に深い、道学一体となった方でした。
みんなは七百人の弟子の中で、多分神秀が五祖弘忍の跡を継ぐに違いない。あれだけ勉強もしているし、境地も高い、人格もすばらしい、多分間違いなく神秀だろうというふうに言われておりました。
そして、五祖弘忍が言った言葉に応じましてこういうふうな偈を門の前に書きました。この神秀が、五祖弘忍禅師の言った、おのおの偈を詠みなさいというところで、こういう偈を詠んだわけです。
≪板書≫
身是菩提樹 心如明鏡台
時時勒払拭 莫使惹塵埃
「身は是れ菩提樹にして、心は明鏡台の如し。時々に勤めて払拭し、塵埃をしかしむことなかれ」。つまり、この身は、お釈迦様が悟りを開かれた菩提樹のようなものです。「心は明鏡台の如し」、明らかな鏡のごとくすかーっと澄み切った私の境地は、もう台のように揺るがないものです。
明鏡止水のごとくといいます。明鏡止水のごとくしてあるから、私は外交官と会っても一度も失敗しなかったというのは勝海舟。「氷川清話」の中に「明鏡止水の如し」なんていうことが出ております。明らかな鏡、ぴたっと水をとめたような澄み切った心。だから、どういう相手が来てもわかるんだ。それです。
「明鏡台の如し」、こういう境地でございます。だから、時々に、毎日毎日刻々に修行しなかったら、私のこの鏡のごとく澄み切った境地に塵がちらちらとたまります。
それほど私の境地は澄み切っておりまして、悟りのようになっておりますということを神秀は偈で書いたわけです。
みんな、「うわあ、すごい。さすがは神秀だなあ。跡を継ぐと言われるだけあって、すごいなあ」とみんな感激している。
ところが弘忍は、「うーん、この境地ではいまいちだな」と。
そこで、慧能禅師が、「あれ、何書いてあるの?」「こうこうこういうわけだ。すごいだろう」「ふーん。じゃあ、僕も書くよ。ちょっと字が書けないから、あなた、言うから書いてよ」と。
親切な人がいまして、「うん、書いてあげるよ」と言いながら、慧能禅師は、自分は書けないもんですから書いてもらいました。それが、六祖慧能禅師は、代筆を頼みまして、このように詠みました。
≪板書≫
菩提本無樹 明鏡亦非台
本来無一物 何処惹塵埃
「菩提は本より樹なし、明鏡も亦た台に非ず」、この身は菩提樹でも何でもないんだ。「明鏡は台にあらず」、明鏡は台なんてもんじゃないんだ。「本来無一何れの処にか塵埃惹かん」、こういう偈を詠んだわけです、代筆で。
どういう意味か。私の悟り、そういうものは関係ない。「明鏡は台にあらず」。台なんてものを意識しない。「本来無一物」。きれいとか汚いとか、塵とか、きれいなものとか、ごみとか、そういうものはないんだ。
本来は無一物からできているものなんだ。本来宇宙の根源の無一物からできているもんだよ。一体どこに汚らしい「塵埃を惹かん」。塵やごみなんていうのが出てくるんですかと。これは美しいとか、汚いとか、塵とか、悟りの境地とか、そういうものを乗り越した境地なんです。
そうでしょう。「菩提は本より樹なし、明鏡も亦た台に非ず。本来無一物。何れの処にか塵埃惹かん」。有名な文句です。
美しい、きれい、汚い、そういうものを乗り越した境地。一歩高い境地です。皆驚きまして、弘忍禅師、「うーん、真にこいつのほうがよく心底を得ている」。
深見先生、本来無一物を悟る
これにちなみまして西谷さんにお話ししたんですけど、思い出がございます。私は学生時代からもう極端な菜食主義でございまして、玄米を、断食兼玄米食でございまして、朝六時に一杯玄米、夕方一杯玄米、ただし黒ごまかけまして。
海草類が足りないということで、完璧な菜食のお勉強をしまして、菜食主義。一日四時間寝ればばっちりだったんです。そして、お勤めをしまして、セールスやりました。
そのときに、先輩が、「おまえ、何食べる?おれはコーヒーだ、君は?半田君」
「僕はミルクセーキです」「ばかもの、営業マンは同じものを頼まなきゃだめだ」
「すみません。だって、コーヒーは体によくないでしょう。ミルクセーキ、ミルクは体にいい」「君、営業マンはね、お客様と同じものをとりなさい」
「すみません」
それから、「御飯に連れていってあげよう」、今でも覚えています、部長に。「どうだ、うまいだろう。食べろ。血が出るほうがいいんだよ。お肉から血がぽたぽたと」
部長は好意で連れていってくれた。ところが、お肉からぽたぽたと垂れる血を見ておりまして「血が出ているのがこれがいい肉なんだよな。食べろよ食「べろよ」と言うんで食べたら、ちょっとでもお肉食べますと、ここに血がたらーっと、肩がだるくなりました、私。
声なんかも非常に獣声、けものみたいな声が出る。
「ああ、こんにちは。島田さん」(太い声で)って、こういう感じ。お肉を一切れ食べてそうなったんです。非常に霊的にも冴えていました。日ごろおやつがわりに松葉をかじっていましたから(笑)。
松寿仙がいいなあと言いまして。恥ずかしい話ですけれども。友達同士なんかでも、吉野屋の牛丼ね、食べに行こうという皆行くわけです。
ところが僕は、牛肉だけ残して御飯食べる。変わっているなという(笑)。
「牛丼食べて、何で御飯とお新香だけ食べるの?」「いや、ちょっと」と言って、お肉食べた後むかむかしまして、お水飲んで。
そういうふうな、お酢を飲んだりなんかして。もう苦しんで苦しんで。菜食主義というのは体にいい、しかし、それを続ける限りは営業できない……。
苦しみまして、何とかできないものか、これは・・・・・・。
私が、ですからひそかに、お肉なんか仕方なく食べた後は、松葉を食べまして、どこか出張で桐生なんかに行ったら、桐生は松がいいというので取りに行きまして、乾燥させて食べていました。「何やっているんだ?」とかばん見たら、私が松葉を隠していまして、「営業マンが松葉を食べるなんて……」(笑)。
まあ、植松先生がいたら、ばかな話するなと言われるんですけど。「松葉を食べるのか」と言われまして、「すみません」と。
「もっと平均的なものを食べなさい。ノートに何を書いているんだ?中は天下の大本にして・・・・・・、何だ、これ?」
「部長、あの、「大学」「中庸」のいい文句だから覚えているんです」
「営業マンは、数字、数字、数字、あしたの売り上げと数字ノルマ、これをいかに達成するかだ。売り上げノルマと利益率、これを達成せえ。頭の中も胃潰瘍になるぐらいに数字でやれ。何が天下の大本で…、大学、チュウヨウ?どういう意味だ、それは?」(笑)。
部長にそう言われまして、ああ、朝から晩までというので・・・・・・。私は営業の間に「大学」「中庸」「論語」「四書五経』を読んでいたわけです。
そういう思い出ありまして、何と、この世の中は住みづらい、菜食もできないのかと苦しんだときに、私が、ああ、そうか、これを見たわけです。この物語を。だから、今でもよく覚えている。
「菩提は本より樹なし、明鏡もた台に非ず。本来無一物。何れの処にか塵埃惹かん」菜食主義も肉食主義も関係ないんだ、お野菜もお肉も本来無一物じゃないか。
こんな狭い悟りの世界に自分はいたんだな。そういう敏感な体質というのはいいとは限らない。お肉とかお野菜とか、菜食とか肉食とか、アルカリとか酸性とか、松葉だとか、関係ないんだ。本来無一物だ。
いずくのところにか、うん、乳酸がたまらんやと。いずくのところにかお肉のタンパクが集まらんやと。
私はこれで悟りまして、三日間喜んで喜んで。だから、お肉を食べるときにも、どこでも大丈夫だ、行きましょう。吉野屋の牛丼、はっはっはっは、無一物(笑)。
酸性もアルカリも関係ない。当時、お肉はPCBが話題になったころです。PCBなんか、お寿司屋に行きまして、PCB、ああ、本来無一物(笑)。「お寿司屋さん、きょうのお寿司はおいしいですね。特にこのPCBが(笑)。本来無一物だ」と。
ちょっと行き過ぎの傾向がございましたけど、それほど私にとって一つの境地の変化。それまでは菜食主義でして、松葉を食べまして、睡眠時間も少なくして、霊的にも非常に敏感でよくわかってましたけども、そういう低い次
元でいちゃだめなんだと。
もっと乗り越したところの境地でなきゃいけないという。私は慧能禅師の偈によりまして、非常に自分自身が変わりました。
それから、肉食であろうと何であろうと、それを体の中で消化して出していくぐらいの能力が要るんだ、精神力が要るんだということで、菜食主義の偏っ生活から本来のものへ帰ってきた。
自己本来の面目
ですから禅宗の掛け軸で、よく茶室なんかに行きますと、「本来無一物」という言葉がよく掛かってます。
皆さん、これから、お茶室に招かれる機会がありましたら、「本来無一物」という言葉が出ておりますけども、これはこういう偈から来た言葉でございます。
また、「本来無一物、無一物中無尽蔵」という言葉もお掛け軸に出てます。無一物のところだから無尽蔵に出てくるんだという意味ですね。「本来無一物、無一物中無尽蔵」なんて言葉が出てきます。
こういう有名な「本来無一物。何れの処にか塵埃を惹かん」という慧能禅師の言葉によりまして、弘忍禅師は「おまえこそ、達磨大師から受けている法燈を継ぐのはおまえしかいない」と。夜に慧能禅師を呼びまして、「これを持っていけ」と。
法燈を継いだ証としまして、銭です。達磨大師が持っていた鉢。それから法衣ですね、衣。「これをおまえに渡そう。ただし、おまえは新参者だ、わずか来て三月か半年もたたない。
それに無学文盲で、米搗きをやっていた人間だ。だから、七百人の弟子の中でおまえがわしの跡を継いだということがわかると、必ずや殺されるか、袋だたきに遭うだろう。
しかし、おまえしか跡を継ぐ者がいないから、夜のうちにこれを持って、ここから逃げ出せ。いいな、わかったか。七年間は山の中に入って、どこにも出ちゃいけない」。そういうふうに弘忍禅師に言われまして、六祖慧能は夜のうちに逃げていったわけです。
明くる日になりまして、神秀とかその一派は、あれっ、弘忍禅師の法燈がない。
既にそれを渡して慧能へ授けたということがうわさになりまして、みんなが、それを返せと。慧能なんてとんでもない野郎だ、ちょっと門に書いた偈が格好いいのを作ったからって、お師匠さんの跡を継ぐなんて許せないという形で、みんな探しに行ったわけです。
そして、慧能禅師が帰るときに、ある弟子が追いつきまして、「おい、慧能。とんでもない野郎だお前は。新参者のくせに、学問もないくせに、跡を持っていきやがって。どういうつもりでいるんだ」と。
慧能禅師は泰然としまして、「そうか。持っていけるもんだったら持っていってみろ」と言った。そうしたら、その鉢と法衣を、そういうんならと持っていこうと思ったら、石の上に置いていたんですけども、それがもう離れない、取れない。
それだけ、慧能禅師というのはばっとその一言で悟ったわけです。だから、ばっと見ていたら、もう体が動かなくなっちゃった。
鉢をとろうと思っても、びりびりっともう動かなくなっちゃって。
この人は、後から追いかけた人間は、もう体が動かせなくなっちゃって、その場でべたっと座りまして「恐れ入りました。どうぞ、あなたが悟られた禅の真髄を私にも教えてください」と。追いかけてきたんですけれども、一瞬、取れるものなら取ってみろという迫力と、その持っている境地のすごさに恐れおののきまして、改心した。
本質というものはどういうものなのか。自己本来の面目。慧能禅師が、このとき追いかけてきた弟子の一人に、これを言いました。
「自己本来の面目こそ、悟りの真髄、仏様の教えの真髄である」。自己、自分本来の面目、自分じゃないところの自分。自己の本質ですね。文字や形じゃないんだ。これを前にお話ししましたように、臨済禅師は、一無位の真人。一つの位のない真人で……。先々週ですかね。
連続のときに言いました。Yさんとか、Hさんとか、それか Sさんという名前も位もない、建設省も作曲家もないという、位のないところのほんとうの、「汝らの面目より出入す。汝らの中でいまだ証拠せざるものは看よ看よ。赤肉塊上に一無位の真人あり」とね。
赤いお肉の塊の上に一無位の真人、何の位もないところの本質的なあなたがいて、顔の中から出たり入ったりしていますよと。これを見よ、これを。
達磨大師が言ったところの本質的な自己です。うわーっと。「何も思わない、思わないということも思わないときに自己はあるのか」と言ったときの、その自己は、うわーっ、これだっという。それは自己本来の面目だと。六祖慧能禅師が言っています。
そういうことがありまして、六祖慧能は、八年間山の中に籠もっておりまして、猟師やっていたわけです。パンパンパン。どこから見ても、とにかく字も書けない、無学文盲ですから、山の中に入りまして、ポンポンポンと猟師やっていたわけです。
あっ、スズメが。あ、鳥だと。鳥をあんまり殺しますとやられますけどね(笑)。六祖慧能禅師は、山の中に籠もりまして、誰にもわからないように隠れて、隠れて、隠れて、猟師の生活をしておりました。
そろそろもうよかろうと、七年、八年たちまして、何かを感じまして、慧能禅師は山から降りてきました。
山から降りてきましたときに、こういう逸話があります。Aという坊さんがおりまして、旗がひらひらなびいておりました。
中国国旗はどうだかわかりませんが、坊さんが「あっ、旗がひらめいているな」Bという人が「何を言っているんだ。あれは風がたなびいているんだ。風がたなびくから旗が揺れる」
「違う。何を言っているんだ。旗がなびくから風があることがわかるんだ。たなびいている本質は旗だ」
「旗はあくまで風によって動かされているだけで、たなびいている本質は風なんだ」
「いや、風だ」「いや、旗だ」「いや、風だ」と言い張っているときに、慧能禅師が来まして「揺れ動くものは、おまえたちの心じゃよ」と一言ぱっと言いました。
どきっとしまして、そうだな、すごい。その一言で、このAという坊さんと
Bという坊さんは「揺れ動くものはおまえたちの心じゃよ」と一言ぱっと慧能禅師に言われまして、すごすごと帰っていきました。
「今、道で、私たち、こういうことを言っていましたが、一言ですごいことを言う坊さんがいました。驚きました」
そこの禅の坊さんは「はあ、それを言えるだけの人というものは、七年間、八年間、消息をくらまして、いまやどこへ行ったかわからないと言われた、ひょっとしてあの慧能禅師かもしれない。五祖弘忍の跡を継いで身をくらましていなくなってしまった彼かもしれない」ということで、お迎えに行ったわけです。
生活禅を確立した慧能禅師
先ほど申しました神秀という者も、それだけの立派な人でしたから、これは北伝の禅宗となりまして、非常に身分、地位、位の高い人、宮中の人たちとか、学者たちの間にもその神秀の教えは、五祖弘忍の跡を継いで、法燈は継いでおりませんけれど、それなりに立派な人でしたから、政治家さんたちに非常にファンがいたわけです。
しかし、政変が一度二度ございましたら、全部、神秀の伝えましたところの北伝のこれは全部滅んでしまいました。
慧能禅師の伝えましたのは、南伝の、南のほうに伝わっていきましたところのあれでございます。実質上、この慧能禅師から中国禅と言われているものです。
達磨大師、慧可で中国へ来たんですけれども。というのはどういうものかといいますと、慧能禅師は先ほどもお話ししましたように無学文盲です。
学問もなければ字も書けない。何やって悟ったかといいますと、薪割りと米搗きです。
そして、二祖慧可の間でも仏教を排斥しようなんていう動きもございましたので、山の中に入りまして、散々苦労したわけです。慧能禅師のこのころも、とにかく学問じゃないんだ、インド的な空の想念とか、そういうヨガ的なものじゃないんだと。
もっと生活に密着した形の、生活禅というのでなければほんとうじゃないんだよということで、この後禅宗が発達しまして、百丈懐海とか、いろんな禅宗の跡を継いだ人がおりまして。
百丈懐海は、百丈清規というのを定めました。禅を勉強する坊さんは、朝はこう起きて、こういう風に生活するという。
典座といいまして、一番徳の高いお師匠さんの二番目に高い人は何をするかといいますと、これはお料理をつくる。その次に高い人は何をするかというと、総務です。お料理というものは、常に同じ境地で、同じ味を出すというのは非常に難しい。
そういうことで、普茶料理とか、そういうふうなお料理が出てきまして、お師匠さんの次に偉い人はお料理をつくる。お料理をつくるということは、お師匠さんの次に境地の高い人だという証拠なんです。
その三番目は総務です。総務って、いろいろイライラするでしょう。
よほど境地がしっかりしなかったら、書類つくるのにどうなっちゃってるんだろう。今度の料理はどうなんだっていうことで、いろいろイライラします。それを平然とした境地でやれるのは、よほど境地が座っていなきゃだめだというので、三番目は総務になるわけ。
この慧能禅師が、日本の臨済宗も、曹洞宗も、すべて日本の禅宗はこの慧能禅師から来てるんです。曹洞宗も、黄檗宗も、この慧能禅師から脈脈と伝わってるもんなんです。
ですから、日本の臨済宗も、曹洞宗も、黄檗宗も、すべてこの慧能禅師を一つの流派の開祖という形で仰いでおります。
今、禅宗に行きますと、四時ごろに起きまして薪割りしているでしょう。なぜ薪割りしているのか、どうしてそういうふうになってきたのかというのは、慧能禅師のそのことがあったから。お掃除をしたり薪割りをしたりして、境地を磨こうとしているんです。生活に生かした形。
五祖までの禅は、どちらかというと哲学的です。入門するとか、体得するというのは非常に、この道心のすごいことは、慧可にしましても、道信にしましても、弘忍にしましてもすごかったんですけど、慧能禅師から変わっているんです。
例えて言いますならば、私どもの師匠、植松先生。植松先生は慧能禅師のような方です。神様から、「見ちゃいけない、聞いちゃいけない、読んじゃいけない」と
本を読もうかと思ったら、電話がリリーンとかかってきて読めないと。新聞を見たことがないんですよ。新聞読もうかなと思ったら、「ちょっと~」とかという形で、絶対に読ませない。
見たものは忘れなさい、聞いたものは忘れなさい。本も十何年間全然読んでいません。新聞もわからない。
時々「婦人画報」なんか見たりして、お料理はこうだなと。洋服はこうだなという柄を見るだけでね。文字見たら気分悪くなると。だから、全然見ないです。
ただし、今世の中はこうなっているなとか、境地はこうだなということは、どこにも行かなくても全部わかっちゃう。僕はいつも思うんですけども、ああ、慧能禅師は植松先生みたいだな。
神秀は僕みたいだと。何とか菜食主義を脱却できましたけども、なかなかね。
ですから、最終的な境地とか、御魂返しとか、御魂の奥の世界へ行きますと、やっぱり見たり聞いたりするものではない、真髄の極致を行っている人でなきだめです。
禅宗では、おもしろいことに、不立文字、教外別伝、直指人心、即身成仏と四つの柱をお話ししましたけれど、文字や言葉で言えないんだと言っている禅宗がですね、最も本が出てます(笑)。
たくさんの本が出ておりまして、一番本が多いのはやっぱり禅宗です。一番よく勉強してるのは、禅の坊さんです。というのは、文字や言葉に言えないというものは、文字や言葉を無視しなさいというんじゃなくて、どんな言い方でもできるわけです。
こちらからも言えるし、こちらからも言えるし、こちらからも言えるし。自由自在に言葉を通して言っている。お釈迦様が、あれだけの方便、一切経、大蔵経典を語られまして、その境地を語ったように、禅宗の人たちも、たくさん本も書いておられますし、読んでおられます。
しかし、絶対その言葉にとらわれない。文字や言葉にとらわれないで、文字や言葉の本質を見て、文字や言葉を通して本質を伝えよう。教外別伝です。
不思議ですね。文字や言葉じゃないという禅宗が、一番本が多いです。一番よく勉強しています。このあたりをよく見ていただきたいんです。
