深見東州の土曜神業録14(Vol.4)

【第二章】現世における御魂磨き(昭和59年7月28日)

「相乗の気」は蹴鞠の精神

【深見先生】植松先生、「相乗の気」についてちょっとお話したいですね。

これは、「相乗り」と書きまして、別名、バイクに乗せまして、ちょっと相乗の気……………というんじゃないんです。相乗りという意味ではなくて、相乗りは相乗りですけど、蹴鞠けまりです。

蹴鞠の歴史を見てみますと、金毘羅神社に、数百年ぐらい前の蹴鞠をしている絵があります。蹴鞠の鞠は竹でできておりまして、馬の革が上に張ってありまして、だいたいビルの四階ぐらいの高さまで弾みます。

くぜふみひら

私の知り合いに、久世章業くぜふみひらという人がいました。当時、私は学生だったんですけれども、久世章業さんは日本蹴鞠保存会(現・金毘羅宮蹴鞠会しゅうきくかい)の会長でございまして、連続七百七十何回、落とさないでできた方です。

日本一の記録保持者は九百五十何回蹴ったらしいですので、久世章業さんは第二位だったんですけど、当時一位の人はお亡くなりになっていまして、そのとき一位です。連続七百何回続かせることができた方です。この方は、金毘羅権現様の宮司をしていた方です。

蹴鞠とは、いかに続かせていくかです。数多く続けられるのが優秀なんですね。久世章業さんいわく、一度蹴りますと、こう来て、こう来て、こう来て、こう来て……と、四回ぐらい先まで予測できるらしいです。相乗の気で、お互いが続かせていく。

これ、サッカーとの違いです。サッカーはいかに相手の動きを出し抜いて、ゴールに入れるか。競争です。続かせたらだめなんです。

いかにゴールに入れ得点をゲットするか。ところが日本の場合は、どれだけ継続するか。相手がいるところにポーンと投げてあげて、向こうもポーンと投げ返す。

蹴鞠は相手によかれ、相手によかれという気持ちでやりますから、一時間でも二時間でも、やればやるほど元気になるらしいです。私のカラオケみたいなもので、十曲目ぐらいから…(笑)。

講義みたいなものです。第二部、第三部になるに従いまして、絵になってくる。もう、恍惚とするらしいですね、蹴鞠やっていますと。

そして例えば、蹴鞠をしていると、「あれ、君、風邪ひいているんじゃないか」。みんなが、「君、風邪ひいているんじゃないか」、「ちょっと昨日から具合が……」。

一見見たところ、全然気がつかないんですけれども、蹴鞠をやっていると、それを感じてわかってくる。「どうもおかしいな、女房とけんかしたんじゃありませんか?」というように、蹴っていたらわかる。「あいつ、最近……………」と。

続かせようという気持ちで蹴っていますと、気でわかるんです。風邪をひいているとか、昨日奥さんと言い争ったとか。

鰻丼の消化不良でお腹こわしたでしょうとか、わかるらしい。そして恍惚とするらしいです。お互いの続かそう、続かそうという気持ちが一体となって動くのでしょう。

日本の神道というのは、こういうやり方なんです。サッカーとか、ゲームとか、相手を打ち負かそうという競技ではなく、蹴鞠の精神です。これを植松先生は、「相乗の気」とおっしゃっています。例えば、理論的に、ああでもない、こうでもないと議論するのではなくて、気持ちを、パッとこう出しますね。

すると、パッと答える。気持ちのやりとりなんです。

例えば、名前禊ぎ、ありますね。聞いている人は知っている、知らない人は知らないと思うんですけど、例えば日高さん。日高の「ひ」を言霊で言いますと、ちょっとやってみましょうか。

す お あ え い~

ひたむきの 心に宿る天津日あまつひ

神のうてなの まさけき人よ

日高の「ひ」でしょう。今出てきましたような言霊の歌が出てくると、今度は返り歌というのが…、「だ」ですか。

す お あ え い~

だいなんし 心ぞ高く持つ我は

大和の国の 益荒男人ますらおびと

と返り歌が返ってくるわけです、今言ったように。

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例えば、今だったら「ひ」と「だ」で言霊を出しましたけど、一首パッと出しますと、その返り歌がまたパッと出てくる。パッと出したらパッと。蹴鞠のように、境地の受け答えです。

ですから、宇佐八幡へ行った人はご存じですけど、献詠歌けんえいか、歌を神様にパッと出します。即興で今のように「さしのぼる」なんて言うと、神様が「よし」と言って、返り歌が返ってきます。

こちらから出すのは今みたいな音で、神様から来るのは、太い大きな声で。だいたい返り歌のほうが、神様の出す歌でいい歌です。歌の誓約です。

そうやってお互いに高めていく。嫌なことは言いません。素晴らしくよくしていこう、よくしていこうという気持ちの結合がありまして、例えば歌だったら、歌によって上げていく。蹴鞠でしたら、それを高めて高めて、恍惚としていく。

合霊状態に天の御柱が立つ

今までは伽藍がらんとか、仏像とか、御社とか、そういうところにご神霊がいらっしゃったんですけれども、それではなかなか大変です。私たちのご神業では、植松先生のもとに「神は伽藍には降りない」というご神示が降りました。

人の魂、御魂がこれだけそろいますね。それから皆さんの気持ちが、相乗の気で、よかれという気持ちが出てきますと、蹴鞠の動く位置のように、その相乗の気が乗ったところに神霊磁場ができるわけです。

これを「合霊状態」といいます。霊が合する。霊が合したところに、目に見えない天の御柱がサーッと立ちますと、そこへご神霊がサーッといらっしゃる。

ですから、講義をしまして、気持ちを盛り上げまして、蹴鞠をやるごとく、歌合わせなんかを今ちょっとやりましたけれども、そうしてご神霊とパッと一緒になる。

その境地で来まして、歌を詠んでいたら、あんまりがちゃがちゃした気持ちになりませんよ。わあわあわあわあ会話ではなくて、境地と境地がこういうふうに徐々に徐々に高くしていく。そこに神様がサーッとお出ましになるわけです。

過去、Iさんのときも、明け方ぎりぎりにパアッと神様がいらっしゃいまして、御魂がスポッと開きましたら、鹿島神宮の神様がお出ましになった。そうしたら、Iさんの体からエネルギーがウワーッと出てきました。

その前にはUという人が来まして、役者さんですけれども、この人が来たときには、大分の西寒多神社の神様がいらっしゃいました。そうしましたら、天照大御神様の和魂様が、ご神前にウワーッといらっしゃったんです。

もう、カーッと熱い光でした、あのときは。体がぽっぽかぽっぽか、スチームが入っているような感じでした。

鹿島神宮の神様がいらっしゃったときにも、エネルギーがウワーッと出てきたでしょう。お腹が安定しているという感じでしたね、Yさん。

【Y】そうですね。

【深見先生】うん、お腹が安定している。鹿島の神様というのは、それだけの力があります。

だから今日は、それぞれの御魂様を、今日は神様が、一応舞台裏で用意していらっしゃるんです。

雷がゴロゴロ鳴ったりして。今日、鳴っていたでしょう。

神様は準備しておられるんですけど、我々が相乗の気をどのように持っていって、天の御柱をつくるか、不発に終わるか、おっ、お出ましになりましたという感激を味わえるかどうかが決まるんです。

ですから、まずご神業のときには、相乗の気というものをお互いが会話を通して出し合って、合霊状態を作ったら……もう冬のご神業でもそうです。ごく普通の会話の中で講義をしまして、相乗の気ができたら、ご神霊がシャーッと降臨されます。

冬になりますと、北極星が開いて、北辰の神様がお出ましになります。天界が開きますので、特に十二月、一月、二月ごろは、非常に高次元の神様がいらっしゃいます。天母様、老祖様、観世音菩薩様なんかもはっきりお出ましになりますね。

白檀の香りがフワーッとします。それから、目の鋭い人だったら、ご神霊をはっと見たりすることもあります。このあたりに、ピッとこういう十字みたいなものがピカピカと見えたりする場合もあります。

それはもう、私たちが頭で作ってやるわけじゃありませんから、その日によって違うわけです。神様が目に見えない台本をつくっておられまして、我々、来たメンバーが相乗の気をつくることによりまして、気持ちが盛り上がって、盛り上がったところにご神霊が降臨される。

高級神霊というのは高いところから来ますから、こちらの方が盛り上げまして、気持ちが徐々に徐々に上向いていきまして、上から来るのとこちらから行くのがパッと一つになる。

そうして、全員がご神霊と同じ気を体験するのです。そういういい気を体験しますと、例えば、M教団だとかA宗とか、いろいろ参りましても、気が違うなとわかるようになります。

高級なご神気とご神霊を感じましたときと違って、いろんな霊場とかを見た場合には、何か低くて、おどろおどろしくして、澄み切っていないと感じる。ご神気の比較ができるわけです。

相乗の気で天が開く第二章

このようにして、正しいものと、そうではないものを見分ける目が備わりま

すと、いろんな宗門宗派とか霊能者が、正か邪か、どれぐらいのレベルにいるのかということが、もう、ある程度自分で分別できるようになります。

相乗の気で盛り上げていく

ですから、我々が相乗の気を持ちまして、盛り上げていくということが大変大事なことなんです。合霊状態になって天の御柱が立ちますと、ご神霊はパッといらっしゃる。

そこで、植松先生は、「ああ、これは何々の神様ですね」とおっしゃる。気の勉強ですね。本当はそれをしないとだめなんです。

講義というのは言葉ですから。「ああ、そういうものなのか」、「うん、なるほど。諸葛孔明、なるほどなあ」、「神様は祭りか、そうかあ」・・・・・・などと、理論的に考えてはだめです。蹴鞠のように、感情を相乗の気で盛り上げていくというのが大事なんです。

円盤研究会の人ならよくご存じです。円盤を呼ぶのにどうするか。「円盤さ~ん、円盤さ~ん」ってやるんです。

手を出して。山の上に登りまして「円盤さ~ん、円盤さ~ん、来てください」と。「今日は来なかったみたいですね」って、真夜中に。円盤交信会ってありますね、ご存じですか。 S会とか、「円盤がー」なんてやるらしいですけど。

私たちも、以前、円盤と交流したことありますけど、別に円盤さん、円盤さんと言わなくても、冬なんかだったら、こちらが円盤に通信送りましたら、答えが返ってきまして、便せんに何百ページにもわたって出ましたけどね。

円盤が来た場合、何度も話していますけれども、非常に重いです。電気、全員でエレックの中に入りまして、一分ぐらい、チーンなんてされた感じです。

電子レンジの感覚あるでしょう。ガスで料理したものとは違う、電子レンジの味ってありますよね。ああいう感じです。円盤は電磁波というか、非常に物質次元に近いですから、ご神気を受けている人にとっては、一回交信すればもういいやと感じる重い波動です。

とにかく、円盤でも、円盤に来ていただくために、みんなが手をとりまして、輪になりまして、「円盤さ~ん、円盤さ~ん、来てください」と言うんです。山の上の静かな場所へ行きまして、空飛ぶ円盤の交信会というのをやるわけです。

そういう意味で、相乗の気で盛り上げて、合霊状態になって天の御柱を立てるということは、ご神業をする場合に、神様にご神前に来ていただく場合に非常に大事なことです。

和歌などもそうです。例えば神社とか、神様のところへ行きますと、神様に歌をパッと出すわけです。

西谷さんのある友達で、「神様と神様がけんかをしている。神様と神様のけんかするのが世の中が荒れるもとなんだ。だから、毎週行ってお慰め申し上げる」、そういう宗教があるらしいです。

龍神様とか、ギリシャ神話の神様もけんかしたりしますが、日本の神様は、みな相乗の気ですから、例えば会議をする場合でも、ああでもない、こうでもないと侃々諤々やらないんです。

みんな、神様の叡智と超能力がありますから、一言で、和歌、「この年は~お米を何百トン作りましょうか~」と言って、何々の神と指名すると、「ほどほどに~作らなければ野菜が値上がりする」なんて言うんです。

一言で、一を聞いて十を知る。ご神霊はそうです。全部歌でやっているらしいです。

神様に来ていただく場合にも、相乗の気が大事です。

祝詞を奏上しますときにも、「海川山野の種々物を横山のごとく・・・」、祝詞というのは、そういう気分になって奏上するわけです。そうすると神様が受け取って、「うん、よろしい」と言って、こちらへご神気を与えてくださる。「ありがとうございました」と感謝する。

だから、まず発願をしまして、「お願いします」と願をかける。神様は、受け取ったということを、何かの結果で見せてくださる。

「ありがとうございました」「よしよし」……………。このように、神様と人とはキャッチボールです。同時通訳というわけじゃないんです。ポーンと投げたら、ポーンと返ってくる。また、ポーンと投げたら、ポーンと返ってくる。

こういう感じなんです。神様と人との交流は。

ですから、祝詞はなぜ上げるのかといったら、人と神様の間の相乗の気で上げるわけです。「恐み恐み申す」。間をとりまして、ドンドンドンと太鼓が鳴るって、厳かな気持ちで神様をお祭りする。

宇佐八幡でもそうでした。神様に来ていただく、お待ちするという気持ちで待っているわけです。

そうして神様がいらっしゃったら、今度は祝詞を奏上する。来ていただく。お願いをする。来たら、今度はお神楽で、みんな、うわーつ、素晴らしいな・・・・・・そういう気持ちが相乗の気です。

人と人、夫婦の間でも「あなた、こうだわよ」、「何を言っているんだ。これはこうじゃないか」、「そう言うけど、こうだわよ」、「そう言うけれども、君はこうじゃないか」、「そう言うけど、あなた、こうだわよ」。これでは相乗の気がないです。リズム的に。

「ねえ君、これはこうだね」「ええ、でもあなた、それはそうだけれども、こういうこともこうだわよ」「うーん、それもそうだなあ」これが相乗の気です。

これがうまくいきますと、夫婦げんかになり始めたときに、パッと気を外して、しばらく黙っていて、収まったなというころ、「君の気持ちもわかるけれども、こうなんだよなあ」…………と。

だいたい男性がこれをうまくやるといいんです。女性はなかなか知性で動きませんし、知性でわかっていても、一通りは言わなければ納得できません(笑)。

ですから、一通り言わせてあげる。口げんかがどこまでもどこまでも続く人、いますね。言えば言うほど……。とにかく両方が相乗の気ということを考えることが大事です。

ダンスもそうですね。いかにバックのメロディーに合わせて踊るか。ふわ~っとメロディーが流れまして、一人こうやって考えて、こうやって……、観念、知性では乗れません、相乗の気は。

パッパッパッパッとバックが流れてきましたら、即興で、「♪摩訶般若密多心経~ 観自在菩薩~(ジャズ風に)」と(笑)。宇佐八幡、ジャズの般若心経がね。

【西谷先生】乗りましたね。

【深見先生】宇佐八幡で乗りましたけれども、まあ、相乗の気で。

【西谷先生】そうなっちゃったんですね。

【深見先生】バックのメロディーに合わせまして、般若心経もジャズでやりますと非常に。

【西谷先生】おもしろかったですねー。

【深見先生】その「乗る」という、相乗の気というものに、神様はウワーッといらっしゃる。夫婦の間でも、この相乗の気が大事です。会話のリズムですね。会話のリズムがいいと仲よくなって、気がついたらたくさん子供が生まれていたなんていう(笑)。こういうのは、やっぱりあります。

相乗の気で天が開く

このように、相乗の気ということを、ご神業に行きますときには……。

例えば、「宇宙の神、八百万の神様は、宇佐八幡がこうで・・・・・・」、「そうかなあ」「階段がとんとんとんと百段ありまして……」「百段かなあ」「五十段かもしれないけれども」というふうに、一人が乗らないと、その人が波長を乱すんです。

お話はそうなんですが、それに乗っていくんですよ、この場合。

「ああ、階段、そうかあ」、「宇佐八幡が暑かった」、「うん、暑かったなあ」。ばかみたいですけど、そうして気持ちを乗していくわけです。

メロディーに合わせまして、音楽に合わせまして、乗っていく。乗ってきましたら、即興でほんぽん出るでしょう。そういうものです。そうするとご神霊が、さっとこのあたりに来たり、パッとこのあたりに来たりするんです。

前に、磐梯山にご神霊がいらっしゃいますので行ってきまして、

「うわーっ、磐梯がああだったね」、「そうだったね」、「お山が緑でこうだったね」「そうだったわね」、「川魚がこうで、取ろうと思ったけど逃げちゃったね」「そうだわね」、「そうだったね」「あそこのコーヒーが少し苦かったわね」、「苦かったね」って気を乗せて。

「もうそろそろ、このあたりに地震がうわーっと来ちゃって、このあたりが」……………相乗の気です。「磐梯の神様は、ね、もうじき来ますよね」なんて言ったんです。

「このあたりかな。もうじき来ますよ、ね、皆さん、気が乗っているから、神様がさあーっと来ますよ。行きますよ」なんて言ったんですよ。

「もうそろそろかなとか言ってね」「例えばこのあたりに来ちゃったりなんかして」なんて言ったときに、本当にグラグラグラグラグラグラグラグラッ、地震が来ました。震度四ぐらいですか、もう、止まらなかったんです。

ご神霊がいらっしゃったときに、ズドーンと地震が来ました。

何度もそういうことはあります。雷がゴロゴロ鳴ったり、このお家の周囲だけ雨が降っていまして、車で来ても、あれ?全然雨がない。

お家の半径五十メートルぐらいですか、五十メートルか百メートルぐらいだけに雨が降っていまして、外は全然降っていない。そんなことが何度もありました。今でも覚えています。

前に相乗の気という話をしたときに、磐梯の神様が降臨されて、ほんとうに地震が来たんです。そこでご神示が出るわけです。

皆さんが「こうでこうで、ああだこうだ」とお話ししていますと、その神様の気がありますから、フワーッとした幸福感というような、仏法でいうところの阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだい阿羅漢あらかん状態です。

お風呂に入っているような、何とも言えないいい気持ちで、もうこのまま死ねればどんなにいいだろうな、というような感じです。

ご神霊がふわ~っと降臨されて、ご神霊の中に入ったときは、何ともいえない幸福感です。もう、一日、二日寝なくてもいいという感じです。もう地位も名誉も要らない。この幸福感が続くんだったら、もう、どんなことをしてもいいなというような気持ちなんです。

そういうご神霊の気を知らない人というのは、いろんな別な方向に幸せの道を求めるんですけれども、本当に神様の気に包まれたことのある人は、もう男女交際なんかつまらなくなったりします。

まあ恋愛の気というのは、胸がもやもやと、キュッと来ますけどね。そんなものの比較じゃありませんよ。神様の気というのは、すがすがしくて、爽やかで、充実感、恍惚としまして、幸せ~っていう感じです。

そういう体験を積んでいただかないと、やっぱりここの良さがわからない。だから、行く先々でそのような体験をするわけです。だから、盛り上げようというので、宇佐八幡でも二晩連続で・・・・・・、

一人で盛り上がっておりましたけれども、そういう気分になったんです。相乗の気を持っていくわけですから、そうしたら、バッと感応するんです。和歌でも、音楽でも、ダンスでもそうです。

【植松先生】天が開くのよ。

【深見先生】天が開くんですね。

【植松先生】自分が開く。

【深見先生】相乗の気で、天が開くんですね。天が開かないかなあ、早く。

【植松先生】そういう気で行くから、そういう気を持ってご神霊に額ずくでしょう。だから、そういう気を持って迎えられる。それが、相乗りね。そうしたものしか開かない。相乗の気もそうですし。相乗の気でもって、そういうの、すべてね。

【深見先生】皆さん、今から積立しまして、希望者だけですけれども、伊勢神宮に行きましょう。第二の宇佐八幡に行ったら、第一に行かないと。伊勢神宮に行きますと、すぐには出ないんですけれども、三ヶ月、四ヵ月しますと、三倍から四倍ぐらい運気が上がってきます。

【植松先生】大きいからね、働きがね。

【深見先生】大きいです。何ヶ月かしますとがらっと変わります。もちろんいい意味でです。また、守護神さんとか守護霊さんとか御魂様に、大きなことを、相乗ですから、大きく、明るくなります。

伊勢を前にしたときというのは、そのときは中にいますからわからないんですけど、時間を経るに従って、すばらしく、特に現実界の面でも、内面的な面でも、人間のいい面が出てきて、悪い面が去っていきます。伊勢の神様というのは素晴らしいです。

その伊勢は、もともとは奈良にあったんです。奈良の三輪大社のすぐそば、大和笠縫邑やまとかさぬいむらというところに、崇神天皇様がお祭りされていました。

神様が倭姫やまとひめ様に命じまして、「もっといいことに変わりたい、引っ越したい、吉方に向かって引っ越したい」なんて言いまして、倭姫さんが探しまして、今の鳥羽の場所へ向かったんです。

それまでは、天孫邇邇藝能命てんそんににぎのみこと様のところに、天照大御神様は「我を見るごとく、これを拝せ」とおっしゃって、三種の神器、鏡と剣と勾玉をいただきまして、天皇様は一緒に寝ておりました。

同床共殿、同じ床に、ともにしなさいと。ですから、天皇様が行くところ、常に三種の神器を持ち歩いていたんですけど、出張が長くなったりしますと、お粗末になったり傷ついたりするというので、初めて、お鏡を大和笠縫邑に置いた。

崇神天皇のころです。それから倭姫様になって二千年間、今の鳥羽から変わっていません。

今度、皆さん、伊勢神宮へ行きましょう。また前日に盛り上がりまして、そのときには、いろいろなネタ、前回お見せしなかった天皇陛下の英語の物真似とか、文学全集シリーズ、世界国づくしシリーズ、こういうのはまだ見せてないでしょう。

ウルトラマンシリーズ、ジャズのシリーズ・・・・・・、ぜひ完成したいですね。

それから、コガネムシ合唱団というのを私は作っておりまして、ベース、バリトン、アルトとソプラノと四部合唱で、主旋律は「♪コガネムシは虫~カブトムシも虫~ミズムシタムシは虫じゃない終わり~ン~」、これ全部四部合唱なんです。和音を使いまして。

二番、三番あるんですけど、二番、三番はお楽しみです。四部合唱で、きれ$301Cいにハモる。まじめな顔しまして、「♪コガネムシは虫~」(笑)、盛り上がりますね、激しく盛り上がりますね。相乗の気です。

それで神様に向かいますと、神様もうわーっと喜んで、「あ・ま・て・ら・「す」という感じで出てきます。ほんと。伊勢神宮へ参りましょう。

何のお話をしていたのかと言いますと、相乗の気です。このように神様に接していくというのが、昔からの習わしでございまして、法則です。

これが、相乗の気という一つのテーマです。(拍手)