深見東州の土曜神業録14(Vol.5)

【第三章】白隠禅師の勇猛心(昭和59年9月29日)

五百年に一度の天才

【深見先生】昭和五十九年九月二十九日、白隠禅師(板書)。

白隠禅師という人がおりまして、知ってる人は知ってる、知らない人は知らないと思うんですけれども、五百年に一度の天才と言われた方です。天災は忘れた頃にやってくると言いますけども、まさに五百年に一度の天才で、臨済宗の中興の祖です。

臨済宗の中で、白隠禅師は書画で非常に有名な方です。「駿河にはすぎたるものの二つあり。一は富士の御山、一は原の白隠禅師」と。白隠禅師は、静岡の原という所に住んでいましたから。

日本の禅宗には、臨済宗と、曹洞宗と、黄檗宗があります。(板書)黄檗宗というのは禅宗をベースにしまして、道教とか儒教とかいろんなものをミックスしている。

なかなかこの黄檗宗は面白い禅宗です。臨済宗には禅問答があります。これを看話禅(板書)、看話と言いますが、要するに問答があるんです。
曹洞宗の場合には、黙照禅と言いまして、ただ黙って座る。問答はありません。ただひたすら座るがために座る。

禅林七部の書と呼ばれる、『臨済録』『碧巌録』『大慧書」「虚堂録』『五家正宗讃』『江湖風月集』『禅儀外文」、これに「無門関」を加えた八冊の代表的なテキストがあります。

中でもこの「無門関」と(板書)、『碧巌録」(板書)、「日に新た、また日に新た、日に新た」とか、「日々是好日」などは、この「臨済録」に出てます。こういう、いわゆる禅問答のテキストになるようなものが、禅七部集です。

白隠禅師の隻手の公案とはどういうものかと言いますと、右の手がある、右の手があって、左の手がある、それを合わすとパチンという音がする。

じゃあ左手の音はどういう音だ、と。考えてもわからないでしょう、左手の音はどんな音です。パチッと音がする、どういう音か。

それは、聞こえずして聞こえるんだなんていうことで白隠禅師は優しい禅問答要するに理論的に考えたら矛盾すること、頭で考えたらわからないこと、例えば、右にも左にも行っちゃ駄目だ。前行っても、後ろ行っても駄目だ、じっとしていても駄目だ、さあ動けと。動けっこないでしょう。

しかし、禅の公案、境地ですから、囚われなかったら、右に動いても左に動いてもいいんです。例えば、理論的な矛盾点を、分別の智恵から、分別の智恵じゃない世界へ戻っていくために公案を通してやっている。そして、座禅を通して、その観念というものを外していこうとしている。

ですから、臨済宗では、公案とか座禅は手段です。黙照禅では、座禅をせんがために座禅をしていますから、これは目的になっているわけです。大まかに分けて、これが臨済宗と曹洞宗の違いです。

「動中の静」は「静中の静」の百万倍難しい

なぜ白隠禅師の話をするかと言いますと…。

二月の二十一日から一週間、植松先生のもとに毎晩ご神霊がお出ましになりました。ある夜、植松先生が目覚めたら、カチンカチンと拍子木みたいな音がする。

この白隠さんが降臨された。パチンパチンと音がするというのは、これ、手の公案です。さあ右手の音と左手の音と、手を合わすと音がするのに、左の音はどうだ、どうだ、どうだと、厳しく追いつめていくという方だったわけです。

非常に身分の低い人でしたけれども、この禅宗というものを最後まで貫き通した。八十いくつで亡くなられたんですけど、この方が私たちのご神業でお出ましになった時に、白隠禅師のテーマというのは「動中の静」、一言で言えばこれです。

では、「動中の静」に対しまして、「静中の静」とは何か(板書)。これは山の中とか禅寺で座禅しますね。

静かなる境地におきまして、静かに座禅しておりましたら、静かな境地になれる。誰でもなれる。これが「静中の静」です。「動中の静」というものは、公務員だったら公務員、絵描きさんだったら絵描

きさん、ありとあらゆるそれぞれの仕事の中におきまして、変わらない、動かざる境地、自らの中の静寂な境地のことです。これを別名「心座」と言います心の中の座です。

山の中で静かにするのは、誰だってできますよ、と。静中の静だって大変な修業がいるんですけど、白隠禅師は「静中の静に比べて、動中の静は百万倍難しい」と言っておられます。

動中の静、動きの中においても動かざる心、いかなる仕事、いかなる動きをしていても、動かない心のことです。

禅宗では、例えば白隠禅師なら白隠禅師、一休禅師なら一休禅師、そのお師家さんの中で二番目に偉い人、お弟子さんの中でナンバーワンのお弟子さんは何をするかと言いますと、これ典座てんぞと言いまして、要するにお台所、普茶ふちゃ料理を作るんです。

禅宗の普茶料理、常に一定の味、辛からず、さっぱりとしていて、しかも美味しいという味が常に出せるということが、本当の平常心があって、この動中の静を体得しているということだからです。

お料理を一生懸命作っている中でも、変わらない心、静かなる境地、動かない境地。その境地がお料理の味に出るんです。

ですから、禅宗のお寺に行きまして、お弟子さんが何人も何人もいる中で、お料理作ってる人いますね、この人が一番弟子なんです。台所でご飯を作らせていただけるということが、一番弟子だという証です。どこのお寺でもそうです。

これは、四十八則と言いまして、中国で禅宗が弾圧されて、山の中で生活した時に四十八則ということを作ったんです。百丈禅師というお坊さんがいまして、この時に中国で四十八則という、朝何時に起きて薪を割るとか、いろんなこと集められたわけですけど、その典座というものが、お台所の火を使い、水を使いながら一定した同じ料理を作っていく、これが一番弟子になっていくという証拠です。

二番目の弟子は何をするかと言いますと、総務(板書)をするんです。

お寺を運営していくのに、お台所の家計管理するとか、今度の法事ではこうするとか、禅宗の人たちが来た時にこういうふうにやるとか、常に書類関係を管理して運営していくことは、たくさん神経を使います。経理とか総務の雑用の仕事、仕事とか物事とか、その事柄に心が着すわけです。

よほど動中の静を体得していないと、いろいろな動きがあっても、動じない、揺るがない、安定した気持ちがなければ、物事の事柄に心が着してしまうから、心の中の境地が動揺するわけです。

ですから禅宗では、一番弟子はお台所を司ってる人です。二番弟子は総務をやっております。三番目はなんだかちょっと忘れましたけど、お掃除をやるんです。

お掃除は雑念、妄想が湧かないですから、それはそれで一つの静寂な気持ち、静中の静、静かなる、本当の悟った内面の境地を磨けるんです。

それが磨けた人は、なるだけ頭と神経を使って気持ちを乱れさせ、乱れざるを得ないようなところでも、これを保つことができるような深い境地、揺るがない、安定した、魂の安定度というのでしょうか、禅定(板書)を身にすることが大切です。

これでなければ本当じゃないわけです。いくら瞑想しましても、いざお金が苦しくなったら、もうああでもない、こうでもないとおろおろする。

料理を作ったら、乗った時にはおいしいけども、乗らない時には塩辛い。今日は塩辛いかと思うと、今日は甘辛かったりなんかして、一定した味じゃない。しかもゴテゴテしている。

中華料理だけどもさっぱりとした味わいがある。さっぱりしているけども、深い味わいがある。どんなお料理をしても、おいしいものを常に作るというのは、非常に難しいことです。

しかも四季折々なものを取り入れて。単においしいお料理を作るのではなくて、全部それが禅宗の修業になっているわけです。生活禅における動中の静です。

白隠禅師は特にこの動中の静を大切にしまして、あらゆる角度からこれを説いておられます。ですから、お台所、総務。神経をよく使うこの二つの物事を、禅宗の人たちは修業と喜んでやっているわけです。

それができるまで自分たちは修業だというので、洗い物したり、便所掃除したりして、雑念、妄想が湧きづらいようなことをするわけです。後片付けをするとか、お掃除するというのは、あまり考えないでしょう。

静中の静ですと、無念無想、無を勉強するんですけど、禅宗は無の宗教ですから、考えないということはどういうことかを考えるんです。無に徹することによって本来の自分が出てくる。

これに反しまして、白隠禅師も言っておりますのは、どちらかに徹しなさいと。南無阿弥陀仏だったら南無阿弥陀仏でいいんだ。

念仏三昧も同じことだと。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀、朝から晩まで全部これ南無阿弥陀仏で徹しきれば、他のことは全然考えませんから、南無阿弥陀仏に徹することができる。

白隠禅師の偉いところは、禅宗に全然こだわっていないところです。南無阿弥陀仏なら南無阿弥陀仏でもいいんだと。一番いけないのは中途半端なことだとある時は無、ある時は南無阿弥陀仏、これよくない。どちらかに徹しなさいと。

こういう話が残っています。ある人が「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と唱えるんですけど、「あなたは誰ですか」「私は阿弥陀如来でございます」と。

常に南無阿弥陀仏と唱えている人が、阿弥陀如来とは何か。私でございますと言うぐらいに、阿弥陀如来が私か、私が阿弥陀如来かというぐらいに、南無阿弥陀仏に徹している人は、無念無想です。まあしかし、それも静中の静ですが、白隠禅師は、どちらかに徹しなさいと言っておられます。

このように何にもしないという状況よりも、かえって、お掃除とかお洗濯とか、頭を使わないことをして動いておりますと、無になるんです。雑念が消えていく。そうして自分の境地というものが、動いても動かなくても変わらないような禅定に近づいていく。

生活の中で境地を磨いていく

これに対しまして、白隠のことから発展しまして、陽明先生の話をします。皆さんよく陽明学って言いますけど(板書)、吉田松陰先生なんかも陽明学を勉強しまして、明治維新の人たちは皆、陽明学を勉強しました。

この王陽明先生という人は、知行合一(板書)。知というものはすなわち行いによって完成され、行いというものはすなわち知によって完成される。知行合一だと。こういうことをおっしゃった方です。

朱子学というものは、聖人は学んでなりますかということが『近思録」に書いてありますけども、聖人、要するに神人合した素晴らしい人です。

聖人になるためには、学問することによって、みんな聖人になりますと。ところが陽明先生はそうじゃないとおっしゃっています。「学ぶことによって聖人なるんじゃないんだ。人間はもともと聖人なんだ。

潜在意識、潜在能力の中に、聖人は全部、どんな人にも入っているんだ。その人欲が、人の欲が、先天的に宿っている聖人を覆い隠しているんだ。だから無欲になりなさい」

無欲になって、人欲をなくすことによって、本来宿っている聖人、聖が出てくる。潜在能力、潜在意識・・・・・・、それを王陽明先生は「良知」と言いました(板書)。どんなことでも、何でも知っている良知、自分の中にある良知がある。

すべてのことを全部知っている。過去現在未来も全部知っている。潜在意識のことを言っているんです。

ユングフロイトが出る前に、王陽明さんは言ってるんです。

この良知のまにまに従っていけば、どんな生活も全部ポイントを押さえられますと。幸福な素晴らしい本来の天命を果たすことができるんだと。しかしそれは、山の中で座禅をしたり、瞑想したりすることによって、観念とか、人間の欲望を消していくんじゃないんだと。

公務員だったら公務員というその仕事の上において、教師だったら教師という仕事の上において、主婦だったら主婦という仕事の上において、画家だったら画家というその絵描きさんの仕事の上において、舞踊家だったら舞踊家の踊りの上において、人欲をなくし、本来の自分を発揮できるように磨きなさいと。

動中の静。これを言ってるんです。その仕事の刻一刻の上において磨きなさいと。

だから、明治維新のあの時代に、いったい何をすべきなのか、武士たるものいかに生きるべきなのかという時に、人欲をなくして、本来の能力を発揮しなさい、と。

明治維新を支えた久坂玄瑞高杉晋作、みんな松下村塾で、たった一年か二年か、短い間でございましたけれども、吉田松陰先生のこの言霊の「至誠にして動かざることいまだ是れあらざるなり」というあの迫力のある言霊によりまして、明治維新の人たちというのは、わずか数年間の松下村塾の教育でございましたけれども、魂が奮い起きました。

武士として、今のこの時に何をなすべきかと奮い立ちまして、生きるとか死ぬとかを乗り越して、生きていこうと。その仕事の、事の上において磨きなさいと。この事上磨練じじょうまれんということを陽明先生は言ったわけです。

白隠禅師の動中の静と同じです。山の中で修業や座禅するとか、滝に打たれるとか、あるいはまた、禅寺に籠もって、静かに瞑想して、悟りを開く、それもいいだろうと。

しかしそれから先はどうなんだ。日常生活の動きの中で動かざる禅定、揺るぐことない信念、良知、潜在能力、潜在意識を磨きなさいと。禅宗では一番がお台所、二番が総務でしたけれど、仕事の中でそうしようと思ってする人は、これご神業ですね。

仕事だから、ねばならないと思ってするのは、これ仕事です。いったい神様の修業はどこでするのか。日常生活の事々において磨く以外ないんです。これは、正しい神霊界と接霊し、合霊し、自らの中の良知、自らの中の動かざる動中の静、自らの中の神様の部分です。

自らの中の神様、潜在意識の動かざる心は、日常生活の上においてしか、本当の修業の場所はないんです。

これがやはり、陽明先生の教えにしましても、禅宗の最終的なものにしましても、その生活の中で行われています。

そう思って境地を磨き、自らの中の身の内の神を出して、良知を出して、潜在能力、潜在意識を発掘して生きていこうという人生観と、単に仕事は仕事だけやっていって…というのとは、全然違います。

一人ひとりの中にいる神様、潜在能力、良知。

ここが安らかであり、素晴らしくあって、安心立命して、高い境地で、お料理にしろ、総務にしても動かざる心で、仕事をすばらしく整えていくと。そういう人でなければ、いわゆるここの神人合一とか進歩向上と言いましても、この動中の静をいかに磨いたかというレベルによるわけです。

「動中」ですから、絵だったら絵を描いている中の静、音楽だったら音楽を行ってる中の静、お仕事だったらお仕事をしている中の静、ここが違う。これは滝に打たれたり、座禅をしたりすることの百万倍も難しいと、白隠禅師は言っています。

白隠禅師の修業時代

前にもお話ししたことがあると思うんですけど、とにかく白隠禅師というのは、小さい頃から地獄が怖かった。地獄は怖い、怖い、怖いと思っていた人だったんです。

もうとにかく、地獄の有り様はこうだなんて聞いてから、針の上にやられたり、油が煮えたぎった鍋に入れられるなんて怖い、怖いと、小さい頃から地獄に落ちない方法はないものかと一生懸命でした。

怖くて怖くて寝られなかった。それでいろんなところに行ったんです。法華経に行ったり、禅宗に行ったり、すごいという行者さんを訪ねていっても、直らなかった。

禅宗とか、あるいは南無妙法蓮華経をやれば地獄から救われる、南無阿弥陀仏と言うだけで救われるというのでやってみたけれど、お湯をかけてみたらやっぱり熱いし、針で突いてみたら痛い。やってみても全然だめだった。禅宗でやってみてもだめだと。

ある時、白隠禅師は一生懸命祈願しまして、書物の蔵の中で目をつぶりました。これは弘法大師もそうです。

弘法大師も、自分がどのように勉強していいのかわからない時に自分の故郷のお寺の書物の蔵に入りまして、目隠ししまして、真剣に真剣に祈願しまして「天よ、私の行くべき道を知らしたまえ。私の勉強すべきところはどこなのか、知らしめたまえ」と三日三晩祈りまして、目隠しをして、とにかく何でもいいからぐるぐるぐるぐる回りまして、本をパッと取った。

それが「大日経疏だいにちきょうしょ」という本だったわけです。当時、密教には大日経というものがあまり入っていませんでした。初めて見る『大日経疏』、ああ、これかと。そして、これを本当に勉強しようと思って、中国へ渡ったわけです。

白隠禅師も真剣に求めまして、目隠ししまして、書物の蔵の中に入って、ぐ
ぜんかんさくしん

るぐる回りまして、取りました。これが『禅関策進』という本です。白隠禅師は、その本を読みました。

『禅関策進』というのは、古人はどのようにして禅宗を勉強してきたのかということが書いてある本です。古人は、天井に糸を通しまして、先に尖った針、尖りました刀みたいなやつを乗せまして、膝の上にちょこっと乗せて、ちょっと血を垂らしながら座禅していた。

つまり途中で眠らないようにしていたわけです。武野紹鴎はお茶飲みましたけど。とにかく座禅して座禅して、古人はそのようにして悟りを、境地を、座禅を学びました、このように座禅の坊さんは苦労しました、といった内容が書いてある本だったわけです。

ああ、自分は浅はかだった、中途半端なことしかやらなくて、お湯をかぶってみても熱くないようにできないかとか、禅宗やってても地獄から救われないなんて思って、浅はかだった。

本当にそこまで極めなければウソだ。それを読みまして、白隠さんも糸を吊るしまして、居眠りしないように針でチクンと刺して、血をたらたら流しながら座禅していた。徹底的にやったわけです。そうして悟ったわけです。白隠さんが二十四歳の時です。

こうして白隠禅師は悟ったんですけれど、どこへ行っても白隠が問答すると勝つんです。そこまでやりましたから、どこへ行っても、問答に勝つわけです。

それで、これほど悟った人はいないんじゃないかと言うので、正受しょうじゅ老人(板書)という方と問答をすることになりました。

正受老人は、幕府のご指南番だった方なんですけど、田舎にこもって百姓をやっていました。よくいますね、坊さんが、晩年は自らの境地を楽しむというので百姓をしていた。白隠は、その正受老人と問答したわけです。

とにかく、無の、無字の公案を出した時に白隠がやったんだけど、瞬間のうちに正受老人は、白隠禅師の鼻をこうやってパッと掴んで、「無じゃない。ここにおまえの鼻があるじゃないか」とつかまりまして、「そこにおれは悟ったという鼻がある」と。

で、蹴り飛ばされまして、すみませんという形で、白隠さんは半年間、正受老人のもとで修業されたわけです。

我大悟徹底すること七度八度 小悟徹底すること枚挙にいとまなし

それだけ磨かれた白隠さん、五百年に一度の天才ですから、いろんなことを勉強しておられますけど、その白隠禅師が法華経を一度見たことがあります。

法華経を勉強しました時、なんだこの法華経はと。例えば、例えば、例えば、例えば、例えば斯くの如し、例えば斯くの如し、例えば斯くの如し、どこまで見ても斯くの如し、斯くの如し、例えば、例えば、例えばばかりで、神髄がない。

法華経の教えはラッキョウにさも似たり。剥けども剥けども実のあらずと。どこまでむいても実はないじゃないか。法華経は全部例えば、例えば、例えばで終わっている。白隠禅師はそう思いまして、何だ、この法華経は、と捨ててしまった。

禅宗の人と言いますのは、不立文字、文字や言葉を乗り越えたところに神髄があると言いますけれど、文字じゃない、言葉じゃないと言いますけど、一番よく本を読んでるんですね。

一番出版物の多いのが禅宗です。文字や言葉じゃないということを、一番本が多くて一番よく本読んでます。文字や言葉じゃないから、あらゆる文字や言葉で学ぶことができる。

そのように、白隠禅師は、とにかく法華経を一度捨てたわけです。しかし四十二歳の時、正受老人に鼻を折られてまた修業をしていた時です。

秋の頃でした。鈴虫が鳴いているわけです。白隠禅師は法華経をもう一度見ていたわけです。白隠禅師の息、いくばくの息の、吐く息と吸う息と、この庭で鳴いている鈴虫の声とが、白隠禅師が息を吐けばリーン、吸えばまたリーン、吐く息と吸う息に合わせて鈴虫が鳴いている。

そういう境地です。ずーっと法華経を見ていた。瞬間に、パッと白隠禅師はわかったわけです。それから涙、涙、涙、涙が滂沱ぼうだと出て、三日三晩、その涙が泣きやまなかった。涙が流れて流れて流れて流れて、三日三晩、止まらなかった。

何を白隠禅師は泣いたのか。何に涙を流したのか。白隠禅師は、お釈迦様が法華経を説いた時の境地がわかったんです。

ああ、お釈迦様というのは、これほど例えば、例えば、例えばと言って、方便をたれて、懇切丁寧におっしゃったほど、衆生を愛しておられたんだ。

大慈大悲の心だったんだ。これだけ大きな慈悲だったんだと。何とお釈迦様の慈悲というものは偉大で大きいんだ。そこまでの慈悲の心であったからこそ、これだけ例えば、例えば、例えば、例えば、と言っていたんだ。

衆生に対して法華経を説かれた時のお釈迦様の境地がわかった。その慈悲に感動して、白隠禅師は三日三晩、涙を流し、流して止まらなかったと。

普通、法華経は南無妙法蓮華経、さっきもお話ししましたけれど、皆、読んだり、解説したりしております。 R正会とかR友会とか、先祖供養だとか言って先祖に聞かせていますけれど、白隠は、お釈迦様が法華経を説かれたお釈迦様の境地を悟った。

そして、それと同じき境地で、「遠羅天釜おらてがま」とか、「お多福女郎粉引歌たふくじょろうこひきうた」とか、いろんな、やさしいやさしい本を、白隠禅師、衆生に対して書いております。

あまりにユーモアがあるんですけども、しかし難しい禅宗の学問、高い境地の学問の本も書いておられます。

それだけたくさんの本を出すということは、それほど衆生に対して隅々まで慈悲の心があったということです。果たして法華経を読む人で、お釈迦様が法華経を説かれた境地がわかって、涙を流したという人がいるでしょうか。

白隠禅師の素晴らしいところです。四十二歳の時、お釈迦様の大愛、大慈大悲という御心を悟られた。

白隠禅師はこのように言った。

「我大悟徹底すること七度八度ななたびやたび、小悟徹底すること枚挙にいとまなし」(板書)と。法華経見て、三日間滂沱と涙していた、大悟徹底でしょう。大いに悟り徹底したこと七度八度。小悟徹底、小さなことを悟って徹底したこと、枚挙にいとまなし。

例えばこのご神業でもそうです。悟りといいましても、ブワッと一度に行くわけではありません。ランクがあります。

ある程度進んで行き詰まる。どうやって行ったらいいんだ、パンと境地が直りまして、今度はまたこういうふうに・・・・・・、こうして悟っていくんです。このようにして伸びていきます。

一つのことを悟った、という形で勉強しております。エビの脱皮と同じです。

白隠は自分では悟ったと思っていて、正受老人に鼻を折られたわけですが、今度はそれができてきますと、殻が固くなってきますね、エビは。

そうなりますと、ある時以上に成長して成長して伸びていこうという時、しばらく本当に苦しんで苦しんで苦しんで、ギリギリまで、境地の上で、内面的に煮詰まりまして、そして何かひらめいた時はパッと殻が割れる。

今言ったように、白隠禅師が四十二歳で法華経を読んだ時に、三日間滂沱と涙を流したということは、境地がわかったというぐらいまで行ったわけでしょう。それと同じように、エビがその殻をパリッと破って脱皮したわけです。苦しみと努力は、ある瞬間にパッと昇華されるものなんです。

そしてまたしばらく進むと、エビはまた色が濃く、濃くなってきます。白い色からこげ茶になってきて、こげ茶からもうカチカチになって、殻ができてしまっています。

三十年生きてきたという、西谷さんという殻がある。三十五年間生きてきた、Aさんという殻がある。それを、殻だけ割れるみたいに、大悟徹底すること七度八度して、パーッとまた飛び出して行って、エビの殻のように何度も何度も脱皮する。

死ぬまで、そのエビの殻を抜けて、殻を打ち破って打ち破って、死ぬまで大悟徹底し、大きな殻を七度八度、小悟徹底すること枚挙にいとまなしというぐらいに脱皮する。

一つの固定した自分というものを作らないで、またそれも脱皮して、新しい自分を常に自捨新生(板書)、自らを捨てて、新しくよみがえる。常に自捨新生、今まで何歳か着てきた自分の殻を打ち破って、新しく自分を作るのです。