深見東州の土曜神業録15(Vol.5)

内に修め外に慈しむ

まあそういうものが、怠けの罪というふうになるわけですよ。だから人間は死ぬ一日前まで、一生懸命努力して、学問、魂、御魂を磨く。

御魂を磨きながら、社会へ貢献していく。それが自らに全部はね返るんです。「できてよかった」って満足感ありますね、心の中に。魂が喜んでいるんですよ。だから人のために、社会をよくするということと、自らを向上するという。

自らを向上するということは仏教でいいますと、小乗仏教ですね。それから世の中をよくしようというのは大乗仏教です。もっと大慈大悲から出てる、今度また仏教の話で、これが何度も重複して言いますけど、きょうは霊界の中から見てますけども。

そういう形で、内修外慈ないしゅうがいじ。内に修めて外へ役立つ行いをする。内修外慈内に修め外に慈しむと。内に修め、御魂を向上させる、外のためにやっていく。

あるいは道慈、道を極めて、一生懸命自分を極めていく。慈悲の心によりまして、世のため人のために、社会福祉していく。

道慈一体。小乗仏教と大乗仏教の教え。これは不即不離です。

えー、そういう形で、御魂を向上していく、そういう形で道慈、魂が向上すれば向上するだけ、信仰力、芸術心、学問、これ魂に残ってますけども、いろんな知識とか、自分自身の向上したのは向上した分だけ、世のために、人のために貢献できる度合いも大きいわけです。

逆に、世のため、人のためにっていう気持ちはあっても、自分自身が全然能力がなければ、全然大したことできない。

私は、これはよく譬えで言うんですけど、ミミズに神様が、ミミズに神様がかかった場合には、ミミズだけのことしかできないと。総理大臣に神様がかかれば日本国家がよくできるっていうもんですね。

自らが、本当に向上して、向上して高めていきますと、自分だけのことじゃだめだということが魂の底でわかるから、おのずから世のため人のために尽くしたいと思うわけなんですよ。

世のため人のためにと思ったら、「あ、もっと自分が立派でなければ、世の中に貢献できないんだな」と思って、自らを磨かなきゃというふうに返ってくるんです。そういう意味で不即不離です。

いずれも、内修を極めれば外慈にいきますし、外慈を極めてみれば内修に返ってくるということです。陰と陽、表裏です。

だから、御魂を向上させていくということと、世のために尽くしていくということは、これはもう、裏と表ですから一体のものです。これが、生まれてきた天命なんです。人間が。

そうしてきて、生まれてきたら、肉体がなくなりましたら、そのレベルに合わしまして、霊界へ行くと。だから死で終わりじゃないんです。

三途の川を渡ると……

これで最後の言葉にしたいと思うんですけど、普通、三途の川って言います。三途の川の何とかの、左近寺右京なんて「大江戸捜査網」でやってますけども、三途の川って聞いたことありますね。あるんですよね、三途の川。

もうちょっとさっきの、霊界描写のときに言えばよかったんですけど。

例えば、そういうふうな形で、本来は人生というものは、生まれてきましたし、人生の本義はそこにあるんですけれども、まあ形のない世界、一人旅ですけども、死にますね。

五十日たって行きます。大体その野原へみな歩いて行きます。何にもない野原をこう歩いて。一度死にそうになってまた帰ってきた人なんて、インタビューありますけども。

野原のとこ、とぼとぼとぼとぼ行くんです。何で行くんだか知らないけど歩いてると。野原だなあと。最近このあたりは埋め立てになったのかなんて言いながら歩いて行くんですよ、一人でとほとぼと。一人道。

そうしますと、川が流れてる。三途。あ、川が流れている、三途の川。三途の川があったときに、ここに、こう渡し船があるんです。小屋が。脱衣ばあさんという人がいる。脱衣ばばあ。洋服をすぐ脱がしちゃうんです(笑)。

「洋服を脱げ。ここへ。洋服を脱げ」って、「これを着ろ」っていうんで、真っ白な洋服を着せられる、こう着物。死出の旅路。ですから真っ白な白装束で死にますよね、みんな。

もう初めから白装束で行く人は、もう白装束なんですよね。あれ、ああいう白装束に着がえさせられるんですよ。だから切腹するときも白装束、死出の旅路っていうんで白装束。お遍路さんなんかもみんな白装束ですよ。

白装束でない人は、ユニホームを統一しなきゃいけないんで、脱衣ばあさんが「脱ぎなさい。そういうしま模様とか、そういうチェックはよくない」と、「全部白装束に決まってる、着なさい」と言って、「はあい」なんて言いながら着せられる。

そして、「川を渡れ」っていう形で、三途の川を渡るんですよね。「これが三途の川かあ」なんて言いながら渡るんですよ。

川を渡りましたら、信仰深かった人はその洋服は紫に変わるんです。愛情があった人は温かい赤に変わる。学問のあった人は黄色に変わります。オーラの色と同じです。オーラの色と同じです。

さわやかな澄みきった真心の人はブルに変わります。だから、ブルーが好きなやつとか、愛情深い人はピンクとかね、そういうのを好むし、澄みきった真心、心というのはブルーの人。

おそら聖徳太子の冠位十二階制、色によってその徳を分けたっていうのは、このあたりの様子を見てたんじゃないかと思うんですよね。そう思います。

そういう形で、衣によりまして色分けするんです。そうして、あ、あなたは、自分だけのことしか考えなかったとか、財産欲。自分のことばっかり考えてた人というのは真っ黒になるんですよ。

それとかその、赤茶けた色とか、こげ茶とか。暗い色が好きで、そういうふうに変色するんですよ、三途の川渡ります

それで、よくない人が死んだら、ぱっと後ろ見たら、あ、川かと思ったけどもヘビのうようよいる上を渡ってたと思うんです。紫とかブルーの人は、ぱっと三途の川を見たら、きれいなせせらぎ、あ、三途の川ってせせらぎだったのかと思うんですよ。真っ黒の人は、三途の川ってヘビの川だったんだーなんて思うんですよね、ほんとに。

そして変色しまして着きましたら、鬼がおりまして、「あ、あなたブルー、はいこっちですね。徳の高い方いらっしゃい」。閻魔大王がここにおりまして、おまえブルーだなと。

真心があったんだなと、閻魔帳を見まして。「ああ、なるほど、よく人を泣かしてるね、君は」。

手相を見たらわかるでしょ、全部あれがあって激しく盛り上がってますねーと言うのと(笑)、非常に障害線に出てますねーと言うのとね、激しく泣いたとか、盛り上がってましたとか障害があったってのは潜在意識で全部出る、手相に。

同じように魂に全部刻まれてますから、まあそれを譬えて言ってるんですけど、閻魔帳に全部ある。

徳を積んだら徳を積んだで出てるんですけど、まあ今度、徳の話します。そういう形で出てるんで、閻魔大王が「あ、あなたは紫色だからこっちだ。いいとこへ行きなさいね」っていう形で連れて行かれて、霊界のいい世界へ行く。「真っ黒だね」と言ったら「お、真っ黒、こっち来い」という形で鬼がこうやって、「黒です」っていう形で「黒、こっち、こっち行け。灼熱地獄だ」。

「おまえは焦げ茶。はい、おまえ行こう、針地獄だ」と。「お前は、あ、怠けの罪だな、これは。ネズミ色。怠け地獄へ行こう」。「ひき臼ね、あなたひき臼、あ、ひき臼。オプションですよこっちは(笑)。

はい、ひき臼さん」。「はい、今度は、はい。この山の上、石転がし。はい、石転がしさん。はい、はい」。色で全部分けまして。フロック・トゥギャザーですよ。類は友を呼ぶ。

大体その制服によりまして、軍団もばっと制服着ますよね、ぱっと。同じです。それが制服になるんです。牢屋に入ると、こう横文字ありますね、縞の。ちょっと違いますけど。そういう感じで、霊界へ連れて行かれるんです。

ここまでわかればもう死んでも丈夫ですよ。そうかということで。顔色は真っ黒でも、真っ白に着がえたらさわやかになります。

ここまでわかったら大丈夫ですよ。いつ死んでも。大分人生設計が、死後できてきました。

一途の川で天国に行こう

普通、三途の川はわかるわけです。そのためにあるんですよ。

霊界に行くに行けなくてうろうろしてるのは、賽の河原っていうんで、子供たちがうろうろしてるので、お地蔵さんが「渡ろうよね、こっちから。渡ろうよ」。

もうこの川を渡り切りましたら、完全な死です。この川のもとで帰ってきたら、もう一度、昏睡状態だったのが蘇りましたっていう人が多いんですよね。もうこの川渡ったらだめなんですよ。

しかし本当は、一途の川というのもあるんですよ。三途の川で全部行くとは限らないんです、五十日たって。ただ、よく死んだ人で、「あ、お迎えがきてあれだー」なんて、ぱあーっとこのあたり、脳から、頭から抜けていく人います。

こういう人はもう非常に生前、本当は死前なんだけど、徳を積んで、非常に温かい心、愛情があって、すばらしい境地で、一生懸命、死ぬ一日前まで精進努力して亡くなった人は、死後の気持ちもしっかり持ってて、「ああ、自分は精いっぱい生きてきたなあ」。

内面性も徳も積んで人も喜ばし、自分自身も才能を努力して開花して、怠けの罪もありませんし、人も恨ましてないし、人を喜ばしてきて幸せにして、自らも向上させてきたと。

この両方が備わった人、死にますと、もうすっと天国に行っちゃう。閻魔大王も服もありません。一途の川。一直線です、天国まで、ぴゅっと。お迎え来て。

言い忘れましたけども、三途の川で閻魔大王が来まして、そういう徳の高いブルーの気持ちを着てった人だとか、すばらしい人が見たら、閻魔大王さんっってニコニコニコして、仏様のような、ニコニコニコした、何と崇高なお顔な、閻魔大王さんて怖いのかと思ったけど、こんなに優しい顔だったのか。

「ご苦労だのう。天国に行ってしっかりやりなさいね。絵も描きたかったら描きなさいよ」。「閻魔大王さんていい人だねえ」なんて言いながら行くんですよ。

ところが、こげ茶とか、真っ黒の人は、閻魔大王ってクワーッとこんな口が裂けて、「おのれは生きてた時にろくなことせずに、閻魔帳見たら、損益分岐点の計算も見てみたら、赤字じゃないか」と(笑)。

メリットよりも赤字が多いね。徳分と、それから悪をした業、プラス・マイナスすると悪が多い。

「その分だけおまえは地獄だ。よくぞ人を苦しめたな」と、こんな顔で見たら、「怖い!」と。ぱっと顔見たらぞーっとする。

そういう人が、閻魔大王が怖いというのは、地獄行きの人から見た印象です。そういう、いいとこに行く人が、閻魔大王さん見たらぱっぱっぱって変化するんですよ。想念の世界ですから。一途の川の人は、すっと天国。

ただし上とは限りません。もう極悪非道。例えばもう極悪非道の、石川の五衛門。あるいはもう、ほんとに殺人鬼とかもう、よくその、『大江戸捜査網」か「遠山の金さん」に出てくるのいるでしょう。

大店おおだなの悪徳商人が。これで、略して多くの人を苦しめてる。そういう人はもう問答無用、真っ逆さまにずばっと地獄です。

根底の国一発、「あああーっ」て死んでいく人います。「落ちる、落ちる、落ちる、あーっ」なんて言ってね。一発です。

一途の川、一直線、三途の川必要ありません。あまりにも大きな、重い重量あるんで、ずぼん。あまりにも軽いんでぱっ。

極悪の人、極善の人は、一途の川で行くんです。ぜひ極善の人で行きたいですね。だいたい神上がりする人ってそうです。三途の川の四次元の世界なんか渡りません。

ぱっとすぐに御魂の、神様の世界。神様のいらっしゃるすばらしい世界にぱっと行くんです。こういうふうに一途の川で行きたいもんです。

死後の世界を見据えた人生観

えー、そういうことがありますので、まあちょっと今日は、玉串の基本の話からちょっと霊界のほうになりましたけど、そのように人生の本義というものは御魂を向上するということと、それから世のため人のために、社会に貢献する。その職業を通して貢献する。

だから神様、神様って言いながら、神様の名を騙って、ほとんどのその坊さんとか、新興宗教とか神官ってのは、地獄いきます。

「生前おたく何をしてましたか」、一途の川、地獄真っ逆さま。「おたく、何をしてましたか」。

「M教団……」、言っちゃあいけませんけども(笑)、例えば何とか学会とか、言っちゃあいけませんけども、何とか会とか。何とかのお寺を作りまして、駐車場経営なんかも上手くしてね、法事のお金なんかもふだんよりも割高にして、檀家の人たちに何にもせずにね。

そういう、坊さんとか、宗教団体つくった人ってのは、みんな、すごい地獄ですよ。こういうふうに、鎖でがんじがらめでこんなんですよ。

大体、地獄の真っ逆さまのインタビューしたら、職業は大体、坊さんか、新興宗教をつくった人。大勢の人を迷わせてますから。罪深いですよ。

まあそういうことで、ちょっと関係ない話になりましたけども、そのように、現実界の只今只今に生きるということは、そういう認識があって生きなきゃだめだと。

死後の世界は、やはりあって、準備したほうがよほどいい。生きてるということは、善悪正邪の分水嶺。刻々の念によりまして、只今只今の生き方によりまして、一途の川で天国のほうへサーッと行く死後の世界。死んでからまた来世へと、学問、芸術、信仰心ですか。持って行ければ、霊界、さらにその次の世界。生まれ変わってきても幸せです。

刻々の只今が、霊界と来世を約束するものでありますし、今度は逆に、前世から持ってるものありますけども、只今只今が、地獄のほうへ落ちてって真っ逆さまの不幸と。

こういうふうに、人間というものは生まれてまいりまして、どちらでも行けますよというふうに選択権が与えられてるんですよ、生きてるということは。だから、命は大切にしなきゃいけない。

人生というものは一度しかないから、大切にしなきゃいけない。只今只今を一生懸命生きなきゃいけないっていう結論になるわけです。

結論は簡単ですけども、簡単な結論になるまでのプロセスが、どういうふうな内面性と人生観、人生の意義、気持ちを持って生きるかによって、大きく違うということを、まずその基礎の研修のお話といたしまして、まあ一区切りしたいと思います。

どうもありがとうざいました。(拍手)