【第二章】誰でも不動の信念が持てる法(昭和60年4月6日)
忍耐の権化・国常立尊様
【深見先生】えー、それでは、パート2は、不動の信念についてお話ししたいと思います。
ご神業に出ておりまする神様でいいますと、いわばその宇宙創造の神様から言って八百万の神様がおありだという風に言いましたけれども。
忍耐の、忍耐の塊のような神様を…。宇宙創造のエネルギーの中で、忍耐力を凝結したら、何の神様になるかと。
それが、国常立尊様(板書)です。
国常立尊様は、忍の権化(板書)ですね。だって、素戔嗚尊様というのは、地球の魂でしょう。地球の魂にのっとりまして地球をこう凝結して、グーッ地球たらしめてるのが、国常立尊様ですから。
国常立大神になりますけどね。地球の働きという場合には大神様になりますけど。この国常立の神様がグーッ地球を凝結させてるわけですから。ま、忍耐して、忍耐して、地球をあの球形に保っているわけですから。それはもうナンバーワンですよ(笑)。
そして、その宇宙の、そういう風な根源的な働きというのは、これは丑寅の東北(板書)の方角にあるんだと。この東北の方角というものにすべてがあって、日本は地球の東北に当たると。
何を基準にしてなのかわかりませんが(笑)。
エルサレムから見れば東北ですけれども。ま、確かに、北のほうの東のほうに、こうね。日本は、その地球の東北に当たるということを言ったのが、大石凝真素美(板書)という、明治初年の神道学者でございます。
この大石凝真素美という人には、明治の初めのころに予言いたしまして。えー、日本は関東大震災とか、あるいはまた日本が日清日露の後、外敵の侵略に困るだろうと、そういう風なことを予言しまして。この人の予言は、まず伊勢神宮とそれから国会議事堂が火事になると予言したんです。
伊勢神宮は天保のころにも一度火事になってるんですけども。その時は、えー、伊勢の本殿が燃えなくって。えー、あそこの橋、神様の橋とか、集会所とか、末社、摂社が全部焼けちゃったんですね。そのときは、その伊勢神宮の本殿というのは、何と申しますか、まさに皇室に当たると。
橋とか摂社、末社は、これはその幕府のことであると。皇室に対して周囲を固めていって、主客転倒していると、本当は皇室が中心でなきゃいけないんだと言うんですけど。伊勢の本殿が燃えなくって周囲が燃えたんで、これは江戸幕府が倒れることなんだということで説明しまして。
その、大石凝真素美が予言しましたように、ピッタリと、伊勢神宮と国会議事堂が火事になったんですね。
人々はそういうふうに、大石凝真素美がそういうふうに警告して、文章なんかでも「伊勢神宮と国会議事堂が火事になる」と。これは日本の、その神仏分離令とかね、その廃仏毀釈なんていうけれども、形の上の神祇官はあるけど、霊的な惟神の道を取ってないと。
そういう霊域に対しての、正しい神道の基礎に基づいてないと。だから神様がこれを警告してるんだという形で、文章でバンバン出したものですから。
火事になったときに、こいつが放火したんじゃないかということで(笑)、警察にとっ捕まりまして。「お前が伊勢神宮を火事にしたんだろう、国会議事堂を火事にしたんだろう」と、散々逃げて、牢屋に入れられたんですけども。
あとで真犯人が出てきまして、悪かったなということで出されたんですけどね(笑)。
それから、あの伊勢神宮の御本殿が全部燃えまして。それもご本殿の御屋根から放火されたんで、皇室というものは屋根から崩れると。
国会議事堂ということは、みんながやってる、要するに大日本帝国が崩壊するんだと、皇室も危なくなるんだということを言いまして。結局、その通りに、第二次世界大戦後ですね、
人間天皇様の人間宣言をしまして、帝国陸軍、海軍、大日本帝国は、全部、根こそぎ崩壊したんだと。という、大石凝真素美翁という方が…。えー、ですから有名な方ですね。
この、大石凝真素美の前には、中村孝道(板書)という、この人が言霊学というものを勉強した方なんです。
江戸の末期なんですけども、非常に霊的な人で。この流れを引きまして、えー、井上正鎌っていう、そういう神道学者がいまして。これを勉強した人ですね。
これがマルにチョンをスと読むとかっていうのを、この人が言いだしたことであります。この人が、高天原というのは、これ、高天原三重県説という。
高天原はどこにあったかというと、三重県にあった、琵琶湖にあったんだと。琵琶湖の近くに、という説を唱えている人ですけど。この人もやはり、こういう風に、東北の方角に数奇な正しいものがあって、根源的なものがあるんだと。
この方角が大事なんだということを、ずっと言っておりまして。
そのように、国常立尊様は東北に沈んでおられるので、この度の東北のご神業というのが起きていると。
それは、日本で言えば東北地方。地球で言えば日本がそういう所なんだと。その、忍耐力の権化のような方でございまして、これが初発の天皇様でございまして。
忍耐に次ぐ忍耐、辛抱に次ぐ辛抱を遂げて参りまして、天の時来たりてお外へ出てくると。この国常立尊様は、物事を立て別けしていく、試練を与える神様です。
だけれどもそれは、なぜその忍耐をしてやるかっていったら、愛が大きいから。この大なる善が、大善が極まりまして、悪にも強い。
ですから鬼の顔をしている。鬼のような顔をしているんです。なまはげっていますね。なまはげ(笑)。あまり見ないようにしますけども、なまはげというのは、こういう角を生やして、悪いことする子を頭でガーンとやるっていうね。
ありますよね、なまはげ。東北に。やっぱり鬼がいるということは、この国常立尊様が、国常立一派というのは全部忍耐力の、忍耐力の一派でございまして。忍耐力ファミリというべきでしょうか。
ですから、この大きな善の心を慈しむ心がありますので、それが極まりまして、大きな悪も許さないぞと。金剛心。
国常立が仏界に出ると・・・
で、仏教で現れたのが、この国常立尊様が、えー、不動明王様(板書)になっている。不動明王になってる。ですから不動明王様というのは、こうやってね、この牙を生やしまして、こういうノーマクサマンダ バーザラダンセンダ マカロシャーダ ウンタラソワタヤタカンマンっていう(笑)。
顔はこうやりまして、牙を生やしまして。剣はこれは意志の力です、意志の力。お数珠はこういう形で、教えで人をこう酌量していくと。ですから大日如来様の化身で、大日如来様がすべての悪魔降魔調伏の威神力を持って現れてくるときに、不動明王となるんだっていう。
ところで、不動明王はどこに住んでいるかっていいますと、不動明王様のお経見たらわかりますけど、それぞれの心の中に住んでいる。
あると思えばある、ないといえばあると。自らの心の中に住んでいるという風に言っておりますけれども。
ですから不動明王様は、胎蔵界、金剛界、兜率天界にいらっしゃるんですけれども、私たちの心の中に住んでいる。不動明王の不動の信念を持ってきた時が、その人の顔が不動明王のようになっております。不動明王のような気持ちを持った時に、真の不動明王様と一体になるわけでございます。
ただただ不動明王さん、不動明王さんと、不動明王さんに甘えておりますと駄目でございまして。自らが不動の信念を持って、牙を生やしまして、炎が燃えていますね。
ですから、負けるもんかーと、絶対にやり通すぞーという、その忍耐力の権化が、炎のようになってウワーッと燃えている。
剣は意志の力ですから、こんな悪魔なんか負けるもんかーという風に気持ちで、それをやっているときに、そのうち、その人の中に不動明王様が出てくる。
その人の不動明王様が顕現すると。ですから、不動明王様にお願いしましても、そういう風にならないと意味がないわけでございまして。まさに、その仏教で言いますと、その人の心の中に住んでいる。
ですからその、忍耐力の権化は国常立さんで話しましたけど、これが仏教に出てきますと不動明王様。大日如来様の大いなる善の心が極まりまして、悪を許さない、絶対に悪いものは許さん。
今日はですね、じゃあ、もともと不動の信念がある人はね、ああ、不動の信念だと、うんうん。
不動の信念のない人は、不動の信念だ、不動の信念だって言っても、本当に不動の信念っていいなぁ、不動の信念があればいいなぁ、不動の信念に憧れるなぁと。
不動の信念だから、ねばならないと思うんですけど、もともとなかった人は、じゃあどうしたら不動の信念になれるか。不動明王様に毎日毎日お願いしときゃいいのかと。国常立さん、すごいなぁと。
ああ、東北に行こう、自分も少しでも、荒魂を養成したい。忍の権化になりたい。守護神様も国常立さんにして欲しいと(笑)、いろいろ思うかも知れません。私もして欲しいなと思うぐらいですから。
で、今日は、具体的にどうすれば、不動の信念を持つことができるのかと。興味深い?あなたも不動の信念が持てる(笑)。
あなたも、この臆するような目ですが、不動の信念ができるということをお話ししたいと思います。聞きたい?あなたも、あなたも、あなたも、みんな不動の信念が・・・。
「信念」とは信じて念じること
不動の信念とは(板書)。
えー、不動の信念とはと。不動の信念とはと言われてみたら、その不動明王だ、どうのこうのとかっていう風に、もっともらしいですね。
宗教的、あるいは文学的、あるいは倫理的、宗教的な言い方をすると、ハーと思うんですが。
もっと具体的にですね、誰でも不動の信念を持とうという風に言いますと、一歩突っ込んで言いますと、不動の信念とは、「背後霊と御本霊を呼び起こし、その力を誘発させる言霊の連発運動である」(板書)と。
昔から、その不動の信念があるとかですね、荒魂の話しましたね。荒魂が大事だ、勇気が大事だという風に言いましたけれども。初めからある人はあるんですよ、ない人は、もう、なかなかないと。
何らかのきっかけで持てるようになるんですけれども。
じゃあどこが、その不動の信念があるかないか、忍耐力を完成したかどうなのかと言いますと、とにかく、こういう人が不動の信念がある人だと気がつきました。
それは、どちらかといえば口数が多い人。あるいは、表面的には口は出さないですが、自分自身によく言ってきかせる人ですね。
ですから陰陽分けまして、表面的にベラベラよく喋る人がいいとは限らないですが、よくポンポンポンポン喋る。
同時に、その、外に出なくっても、内面的にボサーッとしてる人は駄目ですね。不動の信念がある人は常に黙って自分自身に言ってきかせる人、常に自分自身に言ってきかせる人というのが、割かし不動の信念がある人が多い。
えー、もっと具体的に言いますとですね、だいたいその不動の信念というのはですね、本来の御本霊の働きとか、身の内に不動明王様が宿っているんですが。
えー、不動の信念。文字をこれ見ていただきますとですね、「不動」というのは動かざると。「信念」っていうのは、信じて念じると。この信念っていうのは、信じて念じているんですよね、よく見たら。
ですから、信じて念じることが動かないと。ですから、しょっちゅう信じて念じている、そのことなんですよ。簡単に言いますと。
不動の信念とは何かって言ったら、もう、しょっちゅう信じて念じて、信じて念じていると。信じるだけじゃございません、念じている。信念とは何かって、信じて念じ、念じてる。
まず「絶対にできる」と信じる
ですからまず、その信がなきゃ駄目でございまして。まず、どのような困難でもきっと解決できるんだと、まず最初にそう思うことでございまして。
解決できるんだろうかな、駄目なんだろうかな、自分はこうじゃないかな、ああじゃないかなと思ってる人は、もう信念がグラグラきてます。
まず信。絶対できると。例えば背後霊さんも出ますね、守護霊。
これがあなたの守護霊ですとか、これがあなたの守護神ですと。「ああ、そう」という形じゃ駄目でございまして、これを不動の信念に置き換えるためには、私にはこういう素晴らしい守護神がついている、私にはこういう守護霊さんが守護してくれていると。
あるいはご神業に来た人には、自分は
の神様に向かっているから、きっと神様が守護してくれていると。守護神、守護霊だけじゃなくって、宇宙の
の神様が守護してくれているんだと。
深見先生なんかも除霊をしてて、大日如来様の除霊、ああ、ああいう形で除霊ができるということは、霊的に力がなければ除霊できないと。そのような除霊をできるような力がある神様を自分たちも信じているから、きっと間接的に、風だけ来るかもしれないけど、きっと来てくれるに違いないと。
とにかく、まず信じて、信じて、信じるんですよね。これがないと駄目です。ですから、守護神、守護霊が出た人は、もう私は守護神様に守護されている、守護霊様に守護されているんだと。まず、どこまでも信じるということが大事でございます。
これが一番典型的な例で、素晴らしいと思ったのは、若尾文子さんですね。若尾文子さん、守護神、守護霊が出て、こういう方ですと。
えー、今度の、ええと、何とかという、建礼門院のあれ(芝居)するときに、どういうわけか、やる気が出てきた。
やる気が出たとき、今までは、すごくイライライライラしてたらしいんですが。お芝居するときにHという非常にわがままなワンマンな監督がいて。
しかし才能があって素晴らしい方らしいです。その人が監督してて、昨日こうしなさいって形で練習したのに、明くる日になったら、「何やってるんだ、お前」。
「でも、そういう風に、昨日はこういう風に言えとおっしゃったんですけど」「そんなこと、覚えはない。こうしなさい」っていう形で言って、みんなブイブイブイブイ言いながら。
もう、一日経てばコロリと変わると。「お前、このあと来い、何やってんだ」と。「でも、昨日は」「そ、そんなこと言った覚えはない」と。昨日、一昨日、毎日変わるらしい。だからもう、ヒーヒー泣くらしいんですけども。「やろう、今から一日始めるから時間厳守だ」ときてから二時間ほど待たされるらしいですよ(笑)。普通みんな、もう参ったよという風に言うんだけども。
普段だったらイライラしてたんだけども、文子さんはあれ(守護霊鑑定)からずいぶん変わられて。「なに、あのHは、ちょっと何か変なのが憑いてるんだ、あの人。私の守護霊のほうが強いんだ」と。そういう風に思いながら、
悠々と待ってる間、本を読んでると。そういう風に、変わったんですよって言って。
だから非常に、そのお芝居やるのに意欲が出てきて。その人よりも私の守護霊のほうが強いんだと(笑)。信じて悠々としてイライラしないんですって。で、しょっちゅうコロコロコロコロ変わってても、ハイハイって言って。
お芝居もやっぱり準備がどんどん進んでいってますって言って。それから、守護されてるんだと思うもんだから、こういう風に演技やるのにもね、パッパッパッパッと閃くんですって。
役作りという形で、例えば台本見たときに、これ、どういう風に役作りしていいか。
こう、暗澹たる、暗黒があるんですってね。それからフワッとどこかの糸口が掴めて、そしてこの役作りができるらしいんです。それがすぐに、こう役作りがパッパカパッパカ閃くらしいですよ。そういう風に言ってたらしいですね。
だから、若尾文子さん、やっぱりさすがだなと思うことは、そういう風に、やっぱり自分自身を仕向けていってるわけですね。
お芝居をするときでも、やっぱり自分はもう建礼門院だと思いこんで。本当は若尾文子なんだけど、前は恋愛ものしてたんだけどとか、こう思いますと、建礼門院になりきれないわけですね、役者というのは、それになりきらなきゃいけないと。自分は建礼門院だーと、建礼門院、建礼門院と思う。
ですからね、お芝居見てたら、平家の、あの亡霊が憑いてたぐらいですから(笑)。
まさに植松先生と西谷さんと観に行って、頭がガンガンしまして。若尾さんにお会いしたら、どういうわけか、先週ぐらいから、どうもお芝居してた人たち、全部風邪を引きましてっていう。
ああ、全員が風邪引いたんですってね。何週間か前から皆、下痢をして、風邪を引いてって言うけども。もう、あったま痛くなっちゃって。平家の亡霊が憑くぐらいに、やっぱり信じてらっしやった。
そうですよ、それぐらいに演技が常に(笑)。立派でしたよね、やっぱり涙が出て。
後ろのおばさんなんか、エーン、うるさいって(笑)。演技見ててもワンワン泣いてるからね、何だと思って見たら、ウッ、ウッ、ウッ、ウッて泣いてる(笑)。うるさくって、こんなことで泣くかなと思うんですけども、その演技力で。やっぱり、さすが素晴らしいです。
ですから、私の守護霊は強いんだあと信じて、平家の亡霊にも負けずに、立派な演技をやっぱりなさった。やっぱりさすがですね。一つのことにやっぱりそれだけ活用できるわけで。
「あ、守護霊さんだ、守護神だ、嬉しい」なんて言って、何でもおすがりするという形では、軟弱で、甘えが過剰で。
不動の信念になるために、活用ができてないんですよね、それ。ましてや守護神、守護霊さんでも、来て頂いてるんだあと信じないと力が出ないように、
の神様ですから、きっとできるんだあとまず前向きに、いかなることがあっても信じているということが、先に来ないと駄目でございます。
不動の信念とは言葉数の量
その次に大事なのが、この念です。念っていうのはどういうのかと言いますと、「あーじゃないか、駄目かな」、自らの念にしくじるんですよ。
不動の信念のない人はどういう人かって言いますと、いろいろと誘惑とか迷いですね。「こんなことでいいんだろうかな、私「は」とか、「私なんかにできるんだろうかな」とかね、「ほんとなんだろうかな」とかね、「縁談があるって言ってても、ほんとなんだろうかな」とかね。
ほんとにそういうことができるんだろうかななんて気持ちで、疑心暗鬼の念とか、あるいは疑りとか、あるいは、そのご神業を潰そうという悪魔の入るのは、とにかく内部分裂、内部崩壊。
お互いがちょっとしたことで言い合いをしたり、ちょっとしたことで亀裂を生じまして、これを潰していこうと。
外から来る圧迫には比較的強いんですね。あ、試練だから、皆で忍耐していこうと。邪気とか邪心というのは、お互いの疑心とか疑心暗鬼で、不信感を持って潰していこうとするわけですね。
ですから、どんな不信感が起きても、絶対に、「あ、これは不信感というのは邪気だ」と。信じてる、信じてる、信じてる、信じてるという風にして、この圧倒的な言霊の量で勝つと。
私はいろいろ考えたんです、不動の信念とは何かと。まず信じるんだけども、もっと大事なことは、やっぱり言葉数が多いほうが勝つ。
これはもう、イタリア人の喧嘩見てもわかります。イタリア人の喧嘩はですね、どこで勝負が決まるかっていったら、内容じゃないんですね。
言葉数の多いほうが勝つ。言葉の数、だから夫婦喧嘩でもそうですよ「あーだこーだあーだこーだー」っていう形で理屈にならないような言霊をバンバン出したほうが勝ちですよね。この間の邪気なんかも、もう、その言霊の数が多い邪気に、ウンウンウンと聞いてたらやられましたからね(笑)。
「あ、何を言うんだ、これはー」ってことで、言霊の数が多かったら、相手も、「じゃあ、すいません」と帰っていったわけですが。一方的に言霊を受けましたので邪気を受けたという経験がありますね、あれは言霊が多かったですね。
まず、その不動の信念ということは、マイナス的な想念に打ち勝つ。打ち勝つのに余りあるだけの言葉数の量、これが私の不動の信念の正体。言葉数、言葉数の量だと思っています。
ですから信念のない人というのは、何も考えないで、ボーッとしてると、やられますよ、これ。だから、その言葉にですね、やっぱり背後霊様というのを呼び起こすんですね。
例えば具体的に、不動の信念を出すプロセスを、私は今からやってみます。え、不動の信念を出すプロセスね。
あー、こんなことで会社はやっていけるんだろうか、ご神業をやっていけるんだろうか。
僕みたいに経験もないし、力もないし、やってみたって世間様には立派な経験もあるし、資本力もあるし。こんなことでやれっこないやと。みんなそれぞれも欠点だらけだし、経験もないし、できっこないや。
ハーという、もう、これでやめちゃおうかな、仕事なんて。もうやめる、できませーんと。そうするときにですね、後ろに因縁とか、霊障とか、天の邪気が「そうだ、お前にはできないんだ、お前は駄目なんだと、お前は騙されているんだ」と。
こういう状況に来たから、もうやがて潰れてしまうと。潰れてしまう前にお前は離れていくほうがいいんだと。いくらお前がやってもできっこないんだということで、呟きが聞こえる。
どこで聞こえるかっていいますと、だいたい悪魔とか邪気の呟きというのは、だいたい胸、お腹ですよ、ここでブツブツプツプツ、そうだそうだと。
もう一つは、この後頭部ですよ。後頭部で、あれはああじゃないか、こうじゃないかと。Sさんなんかも運転してて、こっちへ曲がれって言うから、声でもってパっとこっちへ曲がって。
そしたら「あなた、何やってんの」って言われてまたこっちへ曲がる、あっちへ曲がるって、フラフラフラフラ。ここで出てくる声に影響する、フラフラフラフラ、翻弄されるんですよ。
「あら、こうじゃないか?」とひらめいて言ったのが、それはもうお腹と後頭部に邪気というのが、ほとんど、こう呟きますよ。
ですから台詞が出てくるんですよね、そういう台詞がグチャグチャグチャグチャ、お前はああじゃないか、もっとあれだけのものじゃないか、もっとあれだけのことで、こうだ、きっとこうに違いないっていう風な言葉の台詞が出てくるわけですよ、今みたいなね。
ああ、こうじゃないか、到底できっこないよ、こんなこと。僕なんかにやれっこないやと、こういう状態ですよ。
こっから不動の信念が出てくるプロセス。いや、自分には守護神、守護霊がついているんだと。どのみち人間は五十年か六十年ぐらいで、もう死んだあとで霊界に行くんだし。
形あるものが、まぁ、どうのこうのっていうことないと。自分は力はない。しかし、僕を守護してる守護神、守護霊は立派なんだと。その守護神、守護霊様が守護してる限り、つまり我と慢心が出ない限り、きっとやれるんだ。
きっとやれるんだ。やれるに違いない。そうだ、自分は守護神、守護霊に導かれている、この精進を待っている人がきっといる、絶対にできるんだ。
どんなことがあっても自分は神様に志したんだから、死を決してでもやったんだから、絶対にできるできないなんか結果関係ないと。駄目だったら駄目なまま、そのまま寿命が尽きれば終わりだと。
しかし命ある限り、神様に志した限りにおいては、必ずや守護されてるのに違いない、結果を考えないんでやるんだ、やるんだ。そうだ、絶対にやるんだ。やるんだ、やるんだ、やるんだ、やるんだと。
もう、お腹の台詞とか、後頭部の台詞以上に、言葉数が多くって、そういう念が出ないぐらいに、二時間でも三時間でも五時間でも六時間でも、そうだ、絶対にそうだと信じて。その言葉のまにまに、フワッといくんですよね。
そうすると、言った先で奇跡が起きるんですよ。だいたい、その不動の信念ということは、信ですから信じて、ほんとに言葉通りに。信じて念じ続けることが動かないということは、毎日信じて、俺はきっとやるんだと、俺はきっとやる。
これはですからマーフィーの出世する原理とかありますよね。天井の上に、この文字を貼りまして、何度も何度も呟くと。「目標、何とか何とか何件、俺はやるぞ、これをやるぞ」という形で、よくありますね。
それから、ヒットラーですね。ヒットラー政策というのは、あのラジオで、もう、どこのチャンネル聞いても、ハイル・ヒットラー、ハイル・ヒットラー。
テレビはなかったですが、どこの新聞見ても、どこのラジオ聞きましても、ハイル・ヒットラー、ハイル・ヒットラーですよ。
音楽も、ハイル・ヒットラー、ハイル・ヒットラーで行進してるから、みんなも、ハイル・ヒットラー、ハイル・ヒットラー。そうだ、ヒットラーだと、ヒットラーによって、その、ほんとにドイツ帝国、ナチスを、エイエイオーなんていって。
戦争負けましたらですね、ハイル・ヒットラーよくなかったって言うんですけど、当時は熱狂的になったわけですよね。そういう英雄が出てこないかという状況でございましたので、まぁ、ヒットラーの政策は、もう全部どこ見てもヒットラー。どこを見てもナチスだったわけです。
日本でもそうですよ。あれだけの軍歌と天皇様をちっちゃいときから教育されまして。
口を開けば、天皇陛下万歳をみんながやってるから、そうだ、天皇陛下、万歳、万歳、万歳と。そうだ、天皇陛下のために死ぬんだ、死ぬんだ、死ぬんだと。みんなが志を一つにしまして、そういう風に呟く、呟く、どこまでも。
そうだ、天皇陛下のために死ぬんだ、死ぬんだ、死ぬんだと思いながら、みんなも言ってるし、自分もそういう風に呟くから、そうだといって死んでいくと。
不動の信念とは、結局言霊ですよ。言葉数、量、その真剣味。
そういう風にして、そうだ、やるんだ、守られてるからやるんだ、やるんだ、やるんだと。台詞を、マイナス的な想念を、パッと打ち消しまして、もうその想念が死んでしまうぐらいに。
