深見東州の土曜神業録18(Vol.6)

器が大きいということ

それでは、将の将たる器、器じゃない器というのは一体何なんだ。器じゃない器というのは何だと。これ器なんです。「大器」(板書)。なかなか彼は力量があるよとか、器量がいいよとか言うでしょう。不思議ですね。

それから、度量があるよと。彼はなかなか度量があるよと。我々はこういうふうに言いますね、人間に関して。「度」というのは、要するにレベルでしょう。

どれだけの量が入ってくる度合なのかと。つまり、全部器ですよ。

将の将たる器ってのは大器なんです。器はあるんだけども形じゃない。いかなる時にも動じない。一緒に駄目になったら死んでいこうと。マイナスなものとかピンチでも、全然動揺しないでやるだけの堂々とした器です。

これがあると、みんなが安心して、みんなが生きるわけです。

逆に上に立ってる人が、少々のことであっち行ってどうしよう、こっち行ってどうしようか、困ったなあなんていうと下にいる人は大丈夫なんかなあと思いますよね。才能があっても、大丈夫なのかなあと思います。

いいんだと。これでいいんだと。失敗しても成功しても、もうそれでいいんだ。頑張ってやるんだ、と言うと、じゃやろうかと。もうこれで勝負です。

それから、豊臣秀吉ですね。有名な「太閤記』には出ております。

「私が天下を取ったのは、別に小っちゃい頃苦労したわけでもなく、才能があったわけでもない」

「わしに天下を取らしたものは何かと言えば、それは一言で言えば、大気じゃよ、あっはっは」と言って。

前に言いました。豊臣秀吉という人は、とにかく、敵と味方が長い間対峙しまして、一進一退、退くことも逃げることも進むこともできないと。もう城の前で対峙してるわけです。

この時に、豊臣秀吉、突如として陣羽織を着まして。普通、大将というのは奥の方にいるんですけど、こういうふうに城の前に豊臣秀吉がバーッと走って行ったわけです、将軍が。

走って行きまして、「おーい、わしは豊臣秀吉だ」と言いまして。

みんなは「へえー」と驚きまして「これを見ろ、これを」と言って何をしたかって言いますと、こう後ろを向きまして、陣羽織を上にパッと上げて、ぺんぺんぺん「悔しかったら撃ってみろ、ばかめ」と言って、そして「ベエー」と言って帰っていった。

で、一瞬、敵兵は、全部こう、鉄砲で狙ってたわけですよね。「な、豊臣秀吉?敵の大将が何だろう」と思ってこうポカーンと見ていて。

悔しかったら撃ってみろっていう形でお尻こう向けて、お尻ぺんぺんして、行ったわけです。

みんなあぜーんとして、ポカーンとしてるわけです。味方の方も、「へえ?」って。敵兵も、「へえ……」って。

何でそういうふうにしたのかわかりませんが、とにかく事実として、歴史事実です。

私が作ったストーリーじゃありません。歴史の事実といたしまして、豊臣秀吉はこれをやったことがあるんです。やっぱりこれは驚くでしょうね。

ピストルで一発ぽんと撃たれたら終わりでしょう。だけどそれをやったんです。敵兵は、もう、大笑いしたと。味方も。

一瞬唖然としてたけども、いまだかつて、日本の歴史の中で、血で血を洗った戦いの中で、どこの殿様が兵隊の前で、羽織をピッと上げてお尻をぺんぺんとして、悔しかったら撃ってみろなんて言った大将がいただろうかと。

敵に鉄砲で狙われてるのにですよ。味方も敵も唖然とした後、大笑いで腹を抱えて、敵も味方も笑い転げたということが残っております。豊臣秀吉というのは大変な度胸だと思います。

まさに、わしに天下を取らしたのは大気だと、気が大きかったんだと、気が。

ですから、無学文盲で尾張中村の百姓のせがれがですよ、才能もあったかもしれませんけれども、あれだけの運、天運をもらいまして、天からあれだけの大きな運勢をもらいまして、天下を統一できたのは、単なる才能だけじゃありません。精進努力しただけじゃありません。

何をしたかって言うとこれは、大気です。そういうふうなことを堂々とやってのけることができるという度胸と、気が大きかったわけです。

まさに、君子は器ならずと言いますし、将の将たる器と言いますけども、大気だと。気が大きいと。

豊臣秀吉はとにかく、気づいたり卑怯なことをしますと、そんな男のくせにお前卑怯じゃないかっていう形で、面白おかしい歌を贈っております。和歌を読んで。まあ、狂歌ですね。狂い歌を読んで、こんな卑怯なことあるもんかなんていう形で、皮肉交じりに歌を読んでいるんです。

お話はちょっと横道に逸れましたけども、頭山満先生が、何でトップに立つとどんな組織もぴたっと治まるのかと言いますと、今言いましたように目の前でピストルで殺されるかっていう時に、煙草の煙をフーッと悠然と吹くことができる。

なぜ、漢の高祖が天下を取ったのかと。将の将たる器。人々の才能を生かして自分はガタガタしない。何で取れたのかわかんないというぐらいの、それだけの大器を持っておられたんです。

天下を統一するんだという大きな志。豊臣秀吉公もそうです。将の将たる器。

頭山満もやはり器と気が大きい。気の位が高くって、大きかった。気の位が高くて大きかったからではないかと思います。柔術というものは気合です。

相手の気と自分の気のやり合いです。ですから、ぱっと見た瞬間、ビシっと怖気づいた方が負けです。悠然としてますよ。

困難なときほど気の位を高くする

これは、簡単なことですけれども、会社におきましても、除霊におきましてもそうです。

見たこともないような霊、二十メートルか二百メートルの大きな狸がわーっと出た時に、こんな顔した霊が出た時に、「ああ、わりかし、派手な顔ですね(笑)」と言う。

「ぎゃっ怖い!」なんて言うと駄目です。霊にやられます。狐が出てきてグワワッなんていう時に「わりかし、面白い顔してるね」と。相手がどんな恐ろしい形相で出てきても、恐ろしければ恐ろしいほど悠然としてると、狐が怖気づきまして、除霊をしましても、大元帥明王や不動明王が勝つわけです。霊に負けない。

「わー、こんなのどうしようか、できるのかなー」なんて思ったら、もう霊にやられまして、狐に馬鹿にされる。

特に理なんかが出てきますと、こんなでっかい狸でどうなんだろうか、大丈夫なんだろうか。あるいは除霊していて、突如としてはははと笑い出したと。

大丈夫なんだろうかなあなんて思った瞬間に、狐にもう馬鹿にされまして、その除霊師は動物霊に馬鹿にされ、あっはっはーなんて言われて、やってもやっても駄目です。もう気の位で負けている。

気の大きさで負けている。位で相手よりも下に行ってる。だから絶対に除霊できないです。

それから、会社でもそうです。「もう、これで駄目になるんじゃないか」と。「月末のお金がなかったらどうしよう、どうしようか、どうしようか、どうしようか」なんていう形でハラハラドキドキしますと、本当に駄目になっちゃう。月末にはお金が入ってくると。今月なくても大丈夫。

水道止めて、電気を止めて、すいませんでしたと大家さんに五、六回頭を下げればいいんだろうと。

その間に実家に借りに行けばいいんだと。例えばそういうふうにですね、ピンチになればなるほど、気の位を強くして、気を大きくしてやって、ピンチを乗り越すことが出来るわけでございます。

ですから問題があればあるほど、大きければ大きいほど、気を大きくして、非常に難しければ難しいほど気位を高くして、それに負けないと。

除霊でも、会社の経営でも、組織の上に立ちましても、この気位、気の位、気の大きさ、絶対量というものを我々は増やしたり、高くしたりする工夫がなかったら、進歩しないです。そういうプラスの気を持つと、弥益というのは何が益すかというと、神気が溢してくる、弥益ということは。

この逆が気が小さいわけです。才能はあるんだけども、ああなるかこうなるかハラハラドキドキして、もう、気が小さいなあと。

そうすると大したことが出来なくなって、そのままの能力で終わっちゃうんですよ、本当に。霊的進歩というのは、気の小さい人は本当にできないんですよ。

どういうふうな問題でも、ああ、それはやれると。どんな恐ろしい顔した霊が出てきても、ああ、これは可愛らしいと。どんなピンチの状況がきてもこれはもう大丈夫だと。ふーっと。

死ぬか生きるかっていう時に、悠然とふーっと、煙草の煙を銃口に吹けるようでなければ駄目です。頭山満先生。そうして、よく柔に、よく剛に。

柔らかい時には柔らかく、堅い時にはパッと堅くなる。こういうふうに、よく柔に、よく剛にして、気の位というものを常に持っていると、その人が一人いるだけで、組織も国も治まるわけです。

君子は器ならず、大器だと。それが力量であり、器の量であり、人間の度量というものだよと。

この度量に合わせて、神様というものが決定するわけです。いくら最高神を祈願しておりましても、いくら絶対神というものを拝んでおりましても、本人の気が小さかったら、それだけしか気が入りませんから。

大きな神気というものは来ないから、ご神霊でもごくちっちゃいご神霊が来るだけでございまして、あまり大したことができない。

ですから、ミロクの世とか、なるべく私たちの気持ちは広大無辺な気持ちでなければ駄目です。「神は広大無辺にして清涼なり」と言いますけれども、広大無辺の気持ちを稀有雄大な気持ちを持ちまして、ピンチになればなるほど気持ちを大きく、困難になればなるほど気持ちを高く、理想を大きく持ってやれば、困難であればあるほど、ますます大きくなっていく。

ピンチであればあるほどそれがバネとなりまして、さっき言いましたパート2のような、松下幸之助さんのような、一度も失敗したことがないと、ますますに大きくなっていくわけです。

一つの気の配り方ということ。気の位ですね。神法はいくら伝授しましても、それを体得してマスターして運用できる人になるには、これがなかったら駄目なわけです。

会社の資金繰りをいくら頭で知っておりましても、これがないと秘伝というのがあっても活用できない、やりこなすことができないと言えます。

ということで、パート3は気の位、気の量についてお話し致しました。

どうもありがとうございます。(拍手)

【パート3の後の談話】

【深見先生】この間、ラジオで相談事が来た時に思ったんだけど……。

例えば、何やっても駄目な人ってのは、何やっても駄目だと思い込んじゃってるから、ちょっとやれば成功して運勢もいいのに、もう駄目と思い込んじゃってるんですね。

一つ失敗したら駄目じゃないか、駄目じゃないかと思うから、ますます駄目に、駄目がますます駄目になるというサイクルにもう入っちゃってるわけです、心の世界が。

逆に何をやっても成功するんじゃないかなっていう想念でいる人は、何をやっても成功するっていう霊界に入って、何やっても成功するんだよね。

松本先生なんか四十何歳でも、「宮本武蔵だー!」と本人になりきっちゃって、それから「昭和の新渡戸稲造だ」なんて自分でそう思いながら、そのロマンに浸ってるわけです。

だから想念の世界というのは、現状面がどうであっても、気はそういう形で大きく大きく膨らまして、夢と希望でふっくらしてなきゃ駄目ですよ。

仏教の内省的な人は駄目ですね。倫理観念、哲学観念、道徳観念で自分自身を縛りつけちゃってるから。何にも出来なくなっちゃう。

オーソドックスで常識的なことだけは何とか守ってるけども、新しいことってできないからね。ピンチに弱いわけです。おろおろして。

だいぶ盛り上がってきましたね。えっ。熱くなった?

【西谷先生】やっぱり成功した人ってのは、スタートの前にもう成功してますからね。心の中で。

【深見先生】神様を見せるとか、血統を変えるなんて、常識の脳みその中にいたらなかなか…(笑)。思いついても、現実にしようと思ったら、よっぽどスーパーな世界の中に生きてないとできませんよ。

【西谷先生】超、超スペシャルですよ。

【深見先生】いやあ、でもまだまだこんなものは、と思ってるわけです、本当に。

特に霊障の時に、もうすでに霊障は解決されてるというふうにいかないとね。

【西谷先生】やっぱり一番の根本は神様は全知全能だというところですね。

【深見先生】だからもう、坂本さんとか七澤さんは真面目に考える方だから、出来ないんじゃないか、あの人は特別じゃないかと思う傾向がありますね。僕はどこが特別かって言うと、脳みそで限定しないんです。

自分というものは、どこまでもどこまでもやれるもんだと思いながら、二十や三十失敗したら、二百、三百成功すればいいと。二百、三百失敗したら、二千、三千成功すればいいと。

失敗の十倍ぐらい成功が多かったら、やっぱり勝ってるわけです。

そういうふうに気を大きくしたり細心の気配りをしたりなんていうのは、もう小さくも大きくも自由自在に出来るっていうのは、本当の柔軟性です。

ああ、盛り上がってきましたかね。パート1よりもパート2、パート2よりもパート3ですかね。パート4は…。