深見東州の土曜神業録2(Vol.3)

なんか、分かったような分かんないようなことを言いますけど、ま、つまり、仏教というものにはないわけです、チョンが。だから、陰気な音がゴーンとしますね。

因縁が深うございましてとか、南無阿弥陀仏、あるいは観自在菩薩、般若心経と。非常にまあ、霊界ですから、暗いですよね。

日本の神道は、カラカラーッとしてますよ。それはこの天御中主の発想、三元の理。こういう発想が日本の神道の中にありまして、それが脈々と血液の中に入ってますから。そういう国民性の違いというものが出てるんじゃないかと。こういうふうにして、神道では言うわけですけれども。

まあ、大体神様と言いましてもいろんな解釈があるんですけれども、これを体系づけるというか整理しますと、こういうことが言えると。日本の神道というのは勉強してもなかなか難しいんですね。古神道のことをひととおり、機会があればお話しすると思いますけども。

まあ、そういうふうにして、神様というふうな定義があったわけです。

仏教とかキリスト教とかいろいろありますが、もっと大きな豊かな、このチョンの発想から、鈴の発想から、今日までの宗教的な歴史というものをね、どういうふうに来たととらえていくのか。ま、こういうふうな、チョンの発想からいいました世界の歴史を、少しお話ししたいと思います。

例えば、バイブルありますね。旧約聖書で、人類は何からできたかと。泥からできましたと。本当にあのカソリックの中でね、信者の人で、人間は泥からできたと思ってる人もいるんですよ。ああ、だからあの泥の美容なんかすると、お肌がきれいになるんだわと(笑)。

人類は泥からできて、土からできたからだと。

あれは、たとえて言ってるわけですね。つまりその、泥の中から再生転生しまして、進化してきて、今日までに人間がきたということを、バイブルでは非常に比喩が多いですから、そういうふうな歴史を、たとえて言ってるわけです。

人間は泥からできてると思ってる人がいるぐらい、バイブルを見ておりまして…。「T原理」なんかは、つまり最初にアダムとイブがいまして、エデンの園がありまして、イブがアダムに、あの木の実、おいしそうだから食べようよと。

蛇がそう言ってたよと。その蛇というのが、あまり神様がイブをかわいがるもんだから、天使長、神様の使いの天使のエンゼルだった者が、嫉妬心を起こしましてイブを誘惑したと。それからまたこのアダムを誘惑しちゃったというので、人間の悪ができたんだと。

悪の根源はそうだったと言うんですけれども、そうじゃないんですよね。

さっきの、鈴の、チョンの発想から言いまして、この目から歴史をもう一度見てみますと例えばなぜ、神様は人を作ったんだと。エデンの園なんて、なぜ作ったんだと。

エデンの園を作ったのは、例えば人間もですね、すばらしいことがあっていいものがあったら表現したいと。

ああ、すばらしいなと感激すると、音楽に表したい、絵に表したい、芝居にしたい。何かすばらしいなと思ったらそれを表現してみたいっていうのが、人間の内在する本性としてありますよね。

神様も、まあ七日間っていうんですが、宇宙をお作りになって、まずは天界をお作りになって、神霊界をお作りになったんですけども、もっとこの物質の、三次元という世界におきまして、そういうものを作りたいと。

すばらしいものを作って、幸せになるものを作って、自らもそれを見て楽しみたいというところで、エデンの園を作りまして、アダムとイブを幸せにしてたわけです。

まあ、最初はそういう形で、神様と人間とが一体ですね。神様と、アダムとイブは、常に交流がよくって、あんまりその人間的な人知なんていうのはなかったわけです。

ですから、これをそのまんま継承してるのが日本の歴史ですね。大体日本は、祭りと言いまして、祭りとはどういうことかって言いますと、神様と人との、人と神様との間を釣り合わせる「間釣り」と、言霊で言いますと。

あるいは、真に人と神が釣り合う。これ、「真釣り」ですね。ああ、この天地自然の恵みは神様のおかげでございますと。そうしたら神様は、よしよし、おまえたちも頑張って作ったんだと神様と人とが一体となる。

そして、その神様と人間との間を釣り合わすのが祭りなんだと。

政っていうふうにさっき言いましたけども、政治にしましても、神様と人間の意志のとおりに社会の政治を行っていくというので、政(祭り事)と言うわけですね、政治のことを。本来はそうだったわけです。日本はずーっとこのまま続けてます。

で、そのお祭りをした後、直会というのがありまして、一緒に神様のお供え物を食べようじゃないかと、飲んで騒いでドンチャン騒ぎするわけですね。神様と神霊も一体となって、飲めよ歌えよ楽しいなと。

こんなふうにアダムとイブも、このエデンの園にいて神様と非常に仲良くしていた。それを、例えばアダムとイブがこういうことがあって、蛇があって、人知が出ましたよと、人の知恵が出てきましたよと。

それで、楽園を失墜して、女性は出産の苦しみと、男性は労働という苦しみを与えられましたと。非常にその、天地創造から陰気な悲壮感が漂ってますけどね、旧約聖書の場合は。

そのように人知が発達してきて、女性は出産の苦しみ、男性は労働の苦しみがあって、人類はこういうふうにきたんだと。これを元に戻さなきゃいけないというんで、血統転換なんていうことをT原理は言ってるんですけども、それは神様が、先程言いましたように、たとえて言ってるわけですね。

人類の発達、ミロクの世のすばらしい世の中を作っていこうという神様の、まあ、お仕組みっていうんですか、要するに芝居のプロット、ドラマのあらすじです、仕組というのは。

神の仕組はこうなった、神の摂理がこうなったっていうふうにして、キリスト関係で言うんですけども、摂理摂理ってそんなに厳しく言うのは、ユダヤ人的な発想でありまして、もっと端的に言いますと、お芝居の台本、シナリオです。こういうふうにして、人類の歴史がいくように、背後から神様が仕組んだわけ。要するに、映画製作、プロデューサーのようにして。我々はその芝居をしてるようなもんですね。

そうして人知が発達してきまして、戦争を繰り返しまして、今日まで来たわけです。それで、例えば仏教でも、正法、像法、末法の世がやってくると。お釈迦様の教えが正しく伝えられるとき(正法)。

それから、やや伝わらないけど、まだ大丈夫だと(像法)。末法になってきますと、全然お釈迦様の教えが通用しないと。まあ、そのときに、弥勒菩薩が下生して、苦集滅道を説き給うんだと。これ、『弥勒下生経』というお経に書いてあります。道とは何か、法とは何か。人間がなさなきゃならない法則は何か、節度とは何か、礼節とは何なんだと。

本来あるべき人の天地自然の成り立ち。苦集滅道は前にお話ししました。苦しみとは何か(苦)。なぜ苦しみは来るんだ(集)。

どうすれば苦しみはなくすことができるんだ(滅)。どうすれば苦しみをなくし続けることができるんだ(道)。苦集滅道ですね。これをお釈迦様が、なくすために八正道を説かれたわけです。これが四諦、四つの諦観ていかん。四諦八正道というのが、お釈迦様の教えを集約して言ってるんですけども、要するに人生の本義ですよね。苦しみと楽しみはどうしたらいいんだと。

そして弥勒菩薩が、もう今から五十六億七千万年のちに、末法の危ないときに出てくるよと。その頃には、すばらしい世の中が出てくるんだよと。ですか

聖徳太子さんの時代にも、この弥勒菩薩信仰、弥勒信仰というのがあるわけです。

弥勒菩薩、こうしてますね、広隆寺で。何をしてるかというと、どうすれば世の中が救えるかな、どうすれば人が救えるかな、ということを思案してるらしいんですね、こうやって(編注、アゴに指をあてる)。

とにかくそういうふうに、五三八年ですか、仏教が公伝、伝来しましたときから、弥勒菩薩が下生しますよというこの弥勒信仰というのはあるわけです。言わばあの、キリスト教のメシヤ思想というものは、仏教でもあったわけですね。こういうふうな形で言っているんですけども・・・。

人類が堕落しました、だめになりましたというふうにして、この世の中が非常な、大変な世の中がやって来ると。 M文明教団とか、あるいはS明会、T理教なんかが、一生懸命、大変な世の中がやって来るなんていうことを言ってます。

教祖生誕百年祭には、T理教の門の前にはたくさんの死人の山ができるんだと。それまでに道を広めなきゃというんで、一生懸命ひのきしんだなんだっていうんで、お掃除したりなんかして布教してますよ。

お授けだっていうんで病気治したりしてね。そういう形で系譜があるわけです。

そういうふうに、キリスト教のバイブルを見てみますと、人類の人知が発達してきて、世の中が非常に堕落してきたと。そのときに、キリストがまた再臨をして、今度は人類を裁くんだ。

そのとき、イエスの再臨を信じた人は、その聖霊が墓からこう蹴破って出てくるんだ。キリストを信じない人は、そのときに、再臨するイエスに全部抹殺されちゃうんだ。それが最後の審判と言われるもんなんだ。怖いよと。

これがやってくるから、早くB先生の教えを広めなきゃいけないんだと言っている。 T一原理運動ね。だから、一人でもたくさんの信者を増やして、道を広めなきゃいけないんだということで、理論的根拠は大体これだけです。

そして、キリスト教の基本原則から言いますと、マルクスというものは、これは神を否定しております。宗教はアヘンだと。存在というものが先にあって、神を認識してるのは人なんだと。人という存在があるから神があるんだと。宗教はアヘンだって言いまして、キリスト教を非常に批判しております。

だから、T一原理とか、そういうものにとりまして、共産党は敵だと。勝共連合なんて作っておりますけども。キリスト教にとって、悪の化身、サタンだというふうに言ってますね。

まあ、そういうふうに言ってるキリスト教同士も、プロテスタントとカソリックが、宗門宗派が違うだけで、あちらの方では爆弾を投げ合って殺し合っております。何を信じてるかと。

「汝の敵を愛せ」「右の頬を打たれれば左の頬を打たれよ」というバイブルを信じておりまして、爆弾で殺し合ってるという矛盾があるわけですね。で、キリスト教の側から言いますと、マルクスというものは宗教を否定し、神を否定してますからまさにサタンなんですけども、もっと、先程言いましたチョンの、鈴のチョンの発想から言いますと、本当はその見方というものは非常に狭いわけです。

陰と陽、善と悪とさっき言いましたように、マルクスはもう否定するからこれは悪だと。再臨するイエスは救い主だから善だと。もう善と悪と、はっきりしてるわけですね。これはさっき言いましたような、プラスマイナス、陰陽のはっきりした見方でございまして、このマルチョンの鈴の発想から、もう一度今のことを焼き直して言いますと、本当はどうだったのか。本当にもっと次元の高い歴史解釈はどうだったのかと言いますと――。

この人類の歴史というものを、例えば、子どもが大きくなってくる発達過程として見てみたいと思います。

最初、人間が生まれてきますときには、まさにお父さんとお母さんが愛によって結ばれまして、こういうふう()になったわけですね。それから陰陽が分かれていくわけですけれども。

そして十月十日たちますと、オギャーと生まれてくる。赤ちゃんがワーワーいうときには、あまり人智なんてありません。感性そのものですね。

潜在意識だけで生きてます。おなかの中で、生まれたときにはお乳をしゃぶらなきゃいけないかな、なんて聞いてたわけじゃありません。生まれてきたらもうそれ、お乳しゃぶる。おっぱい飲んだら、結局ちゃんと、出すべきは出すと。別に教えられなくてもやってるわけです。人知はなしです。

ところが、赤ちゃんが発達して今日まできました場合に、このまんま赤ちゃんのままでいるのは絶対無理です。一歳、二歳から言葉を話しまして、五歳、六歳ぐらいからやっぱり、我々の記憶も五歳か六歳ぐらいからは、はっきりしますね。なかには二歳ぐらいの記憶がある人もいますけども。

そして最初はもう、お母さんと赤ちゃんと常に一緒にいるわけですよ。親のもとにいるわけですよ、父と母と。子どもも何もわかんないんですよね。まさにエデンの園にいたアダムとイブのようなものですね。

ところがやはり歳をとってきますと、知恵が出てきます。最初に反抗します。「お母さん、ベー」とか、「アカンベー」とか。「ご飯食べなさいよ」「イヤー」と。「なぜいやなの」「いやだからいやー」とかって言いますよね。反抗しなさいよって別に教えなくても。

「あ、これはこの子が知恵が出た証拠だ」と喜びますよね。親に反抗するということは、知恵が出てきた証拠だと喜びますよね。

これはですから、バイブルに言いますところの、知恵の木の実を食べたということにたとえて言ってるわけです。そして、ある程度の歳をとってきますと、第一反抗期。反抗期が来ます。知恵が出た証拠だと。

最初、子どもはですね、精神的に発達するかと。肉体と精神と、どちらが発達するかですね。やはり、最初は体が大きくなっていきます。スクスクスクスクと。

小学生ぐらいになったら、いたずらがもう大変ですよ。小学校四、五年、中学校の二年生ぐらい、高一から高二ぐらいの終わり。一番の反抗期ですね。勉強して出てくるひとつの節ですね。

そういうふうに、最初、人知がついてきましたら、反抗心が出来てきて、体がスクスクスクスク伸びてくるわけです。で、精神と肉体、どちらが先かって言うと、やはり人間は肉体から大きくなっていきます。

そうして思春期。十六、七ぐらいになりますと恋に目覚め・・・、中には小学校ぐらいから目覚める人もいますけれども。精神的に、人はなぜ生きるんだなんてね、十五、十六、思春期ってありますよね。春を思う。

最近は思春期なんかなくって、すぐに発情期が来る子どもが多いんですけども・・・、まあ思春期。春思う。

春はふと寂しくなりぬ、なんていう歌がございますけど、春はほんとに明るくて伸び伸びするんだけど、どこかふと、こうけだるい、ものだるい。

みんなは、周囲は、何か楽しそうにしてるんだけれども、ふと、そういう周囲のさんざめきの中に入っていけない自分を発見する。自我が目覚め出すと言いますよね。青春とは、ふと寂しくなりぬと。

ふと、そういう中に入っていけない自分、自我が目覚める。私というものが目覚めていく。青春の自我が目覚めますね。

思春期、ハアー、なぜ生きるんだろうか。人生とは何なんだろうか。自分は将来何になりたいんだろう。小さい頃は、パイロット、スチュワーデス。最近は金融業なんて言う人もいますけどね(笑)。

サラ金がいいなんて、子どもでいますけども、何かわかんないで言うんですけども。