深見東州の土曜神業録2(Vol.5)

師匠も走る師走の頃、みんな、大変だ大変だ、年の暮れだ年の暮れだと。もう、ほんとに年末が来ると、大晦日近いから集金に走りますよ。もう、いい年を越したいですからってんで、大変だ大変だと。

まだまだこれだけの借金があって、年を越せないっていう。必死にみんな走り回りますよ。大晦日大晦日だと。もう、最後だ最後だって言いますよね、大晦日が近いから。

だからその、みんな最後の審判がやって来る、大変だ、大晦日だ大晦日だって言うんですけど、大晦日を過ぎたら元旦が来るわけですよ。

元旦だ元旦だと言うと、みんな楽しい楽しいって言いますから、宗教団体でも信者さんが増えないんで、なるべく大晦日を強調することによって、危機感をそそることによって、みんな、 S会でもT一教会なんかでも、信者を増やさなきゃ、B先生にお金作んなきゃっていうことで、人類の危機が来てると言う。これらは一つの面を、これだけを見てるわけですよね。

しかし、大晦日の後には元旦が来るんだと。素晴らしい年を迎えんがために、大晦日までに借金の返済とか、借財の集金を全部終えようとするわけで、ある程度の地殻変動とか人類の災いってのは、いっぺんには来ないですよ。

全部なくなっちゃうから。大晦日で全部なくなったら元旦来ないです。

理想世界を作ろうと、最初になぜお釈迦様とかキリストがこれを言ったかって言いますと、そのとき全部救われて終結してたら、こういうことは言わないわけです。最後の審判は来なくていいわけですよ。

最終的に、一言で言いますと、精神文明と物質文明と、そういうものがうまくバランスしたような社会に、今来ているわけです。明治以来、日本もそうですね。封建社会が崩れまして、ああうふうな身分差別なく、科学の進歩ってのは特に昭和、戦後は著しい発達ですね。

明治、大正、昭和期と、人類の数千年の歴史の中で、ここ百年間の進歩というものは、それまでの歴史の何百倍、何億倍ですよ。それだけ加速度的に素晴らしく、科学文明が発達している。

宗教も、あの昔の宗教じゃなくて、宗門宗派のような矛盾があるんじゃなくもう少し近代的に・・・。

まあ、教育が行き渡りまして、コミュニケーションが豊かになってきましたんで、あんまり矛盾するようなものは合わないと。要は、精神性におきましても合理性が追求されています。

前にもお話ししましたように、宗教と科学がどこで矛盾するかと。それは、一つは宗教団体。もう一つは神学というものだと。

例えて言いますならば、処女受胎とか、死んだ人間がまた生まれ変わるとか、水の上を歩くとか。まあ、そういう霊的能力がある人もいますけども、科学の立場からいうと、なかなか水の上を歩くというのは、人間の体重と重力からみておかしいと。

何もないのに子供が生まれるということもおかしいと。神学というふうなものを、科学的な立場ではなかなか信用はすぐできないと。これは、宗教と科学というものが合わない分野の一つですね。

もう一つは、宗門宗派です。宗教団体ってものは、科学的な立場から非常に矛盾するわけでして、先程言いましたように、カソリックとプロテスタントは同じく神のイエス・キリストを信じまして、エホバの神様を信じているんですけども、プロテスタントとカソリックと、ちょっと主義が違うというだけで爆弾で殺し合ってる。

教えはいいんだけども、宗門宗派の団というもののエゴイズム、団というものを守っていくために、利害がそこに出てきます。ですから、純一な宗教的な本質と矛盾するようなことを、行わざるを得ないと。

マホメットだってそうですよ、人を殺せなんて言ってません。コーランか剣かって言いますけども、コーランか、剣か、税金かなんですよ。コーランを信じるか、そうじゃなければこれで殺すと、剣で。

ぶち殺されるの嫌だったら税金払いなさいと。税金さえ払えばキリスト教でもユダヤ教でも…。

イスラム教も、ヤーヴェの神様は同じなんですよね。同じくヤーヴェの神だから信じていいよと。だから、百年ぐらいでサラセン帝国というものを、あれだけ大きな領土に広げられたんです。

イスラム教も見てみますとそうなんですよ。なんか、コーランか剣かって厳しいように思いますけども、コーランか、剣か、税金かなんですよ。比較的寛容なんですね。マホメットの教えはそういう大らかな教えです。まあ、あの砂漠の民族に合った形の教えですね。

そのようにとにかく、宗門宗派というものは、科学的な立場と非常に矛盾すると。今の宗教学の結論は、ですから、その二つさえなければ宗教と科学の合一点が…。

それには宗教的な情熱だと。芸術に生きる者は何か心の支えにするものがいると。これは例えば、アインシュタインもそうでした。パスカルもそうでした。

特に、日本の有名な人で言いますと、土光敏夫さんね。経団連の。あの人は、法華経を毎日毎日読んでるんですよ。

どこの宗門宗派にも入ってません、土光さん。日蓮宗が「ここへ来て入信していただけませんか。もう、どのような協力も致しますから」と言っても、絶対断るんですよ。

自分はその経済界の中で、経済人として少しでも行政改革をして、この世の中を良くしたいと。財界人としてしたいと。その精神的なバックボーンとして、法華経を読んでるんですよ。毎朝毎朝、法華経読んでます。

ですから、生ける現代の日蓮上人と言う人もいます。生きた今の日蓮上人だと。

ですから毎日欠かすことなく法華経を全巻上げて、そして仕事に行ってるんですよ。だからあれだけのパワーと、社会のために貢献していこうというエネルギーがあるわけですね。

それから、亀井勝一郎先生のお話を一度したと思うんですけども、私は親鸞ただ一人の信徒だと。

どこの宗門宗派にも入ってません。それは、亀井勝一郎さんは何々宗教の人、というふうに言われると、文学に生きているのに色が付いちゃいますから、別の宗門宗派の人と矛盾するので、亀井勝一郎さんは絶対に、親鸞は尊敬してても、浄土真宗のどの派にも属さないんです。

私は親鸞ただ一人の弟子だと。私の魂の崇敬する人、それは親鸞だと。

親鸞の心によって私は心が支えられて、文筆活動、評論家活動をしてるだけなんですと。どこにも属さないでいるわけですね。親鸞ただ一人の弟子だと。東本願寺にも、西本願寺にも入ってません。

そのように、こういうふうな世の中がやって来るのに、宗教的なものの合理性が非常に追求されてきまして。宗教団体の矛盾、神学というものの矛盾、科学的な立場、それを合一するのは宗教的な情熱。

宗教的な内面性というものは、科学者もそういうふうなものがあるから、シュバイツァー博士なんかも、ああいうアフリカのジャングルの中に入っていって、病院を建てたりするわけですね。

キリスト教の教えと宗教的情熱がなかったらできないですよ、ああいうことは。神を信じてひたすら世の中に貢献していこうというシュバイツァー博士の心の情熱、それは、イエス・キリストの教えだったんです。それは、人類に貢献してるんですよね。

だからといって、クリスチャンを作ろう、キリスト教を広めようなんていう了見の狭いことは言いませんよ。そういうふうに宗教的な情熱を持って科学を進歩させていく、医学を進歩させていく、芸術を進めていく、学問をもっと進めていって、人類に貢献していこうということ、これは、科学の立場と一致するんだと。

だから、今の宗教学的なひとつの結論というものは、なるべく宗門宗派のドグマ、こういうものをなくしていって、徹底的に合理的な真実を見つめていこうと。

そして合理的じゃないところは、合理的なものとして割り切らないで、それはそのまま、神秘体験は神秘体験、情熱は情熱の世界で受け取っていこうと。これが今の、学問的な宗教学の結論なんです。

ですから今の国連も、世界的宗教者会議というものが、ここ十五、六年ぐらい前から出てきまして、別名TOUというわけですね。テンプル・オブ・アンダスタンディング(Temple of Understanding)、「理解の殿堂」と。

いろん宗門宗派の人たちが集まりまして、やがて全人類が法華経読むだろうとか、やがて全人類がキリスト教だとか、やがて全人類が仏教徒になるだろう、世界の人が拝みに来るなんていろいろ言うんですよ。

だいたい、人類のほとんどの人がイスラム教、キリスト教か、仏教か、三大勢力ですね。それから儒教とかいろいろありますよ。もう、だいたい人類は飽和状態でして、どう鑑みましても、全世界の人が仏教徒になる、まず不可能です。

全宗教の人がキリスト教信者になる、これも不可能です。世界の人がイスラム教になるのも不可能です、これは。

それぞれ予言では、みんなが仏教徒にやがてなるというふうに言いますよ。やがてみんなB先生の教えに、と言いますよ。しかし、まず無理です。だから、自分たちの教えを教えとして、ベースに置いて協力し合うと。

宗教人が核戦争をなくすべく努力して握手しようというのがその「理解の殿堂」で、今から十五、六年ぐらい前に国連にできたんですよ、一つの機関としましてね。

ですから、宗教間の交流というものをしてますけれども、だけどもやっぱりキリスト教が一番いい、仏教が一番いいというふうに言うんですけど、進歩的な宗教家のリーダーたちは、時代の移り変わりをやはりよく読んでおりまして、R成会のN・Nさんなんかも、新宗連で、明るい世の中を作る会なんて、これはキリスト教もそういうふうにしておりますけども、やはり今言いましたように、出口王仁三郎という人がそういうやり方をしまして、N・Nさんなんかもそれを勉強しておりますね。

で、こういうふうに宗教も合理的になっていって、科学文明の方が先にね、肉体が先になって、精神は後に発達するというふうにプロセスがありましたけれども、そういうふうに宗教的な面も徐々に徐々に、不合理なものをなくしていこうという大きな神様の仕組があるわけで、そういう方向に動いてるわけです、人類は。

そして政治におきましても、第三次世界大戦があったら人類は滅亡するんじゃないかというところまで言われていますけども、神様が宇宙を創造して、地球を創造されて、メシアを出されたと。

お釈迦さんやキリストさんを出されたということは、初めから全知全能の神は、人類を抹殺しようなんてことだったら、わざわざ聖者なんか出さないですよ。何故、聖者が出てくるかと。人類を滅ぼしたくないと思うから、イエス様も、モーゼも、それからお釈迦さんも、いろんな聖者が出たわけです。

神様が聖者を出したということは、人類を滅ぼしたくないからでして。全知全能ということは、全ての知恵と全ての能力ですよ。全知全能というのは何でもできるということですから、滅ぼすこともできるし、存続させることもできる。

ただ、神様は自然現象を作られましたので、なるべく不自然なことを嫌う。自然の法則を作った神様ですから、自然な形でそういう方向に向かっていく。例えば、どんな寒いところでもできるお米がありますね。いわゆる品種改良。

神様がひとつのお米を改良しようと思えば、いきなりパッとは出さないんです。最初、できの悪いようなお米でありまして、徐々にそれが開発されていって、そういう天命を受けた人が、なんかもっといいお米ができないかなあと思って、一生懸命品種改良して。

あるときパッとひらめいて、こういうふうにやってみよう。幾つかやってる中で、ポッと突然変異が出てきて、それを一生懸命培養して実験に実験を重ねまして…。

東北地方で今、なんとか三号というので、コシヒカリ、ササニシキ以上に美味しいお米があるらしいですね。それは、人というものを通してひらめきとか霊感を与えながら、ひとつのお米というものを進歩発展させて、素晴らしいご飯、お米に品種改良するわけですよ。

それを何十年、何百年かけて…。そのときだけ見たら、パッとできたように思いますよ。

泥をこねて人を作ったって言いますけど、そのプロセスは、自然の法則を神様がお作りになったんで、自然な人、こういう人が現れて、そういう天命を持って、お米を一生懸命何度も品種改良して、いいお米ができたと。

自然な形で進歩発達させていくという法則を神様がお作りになったから、自らあんまり不自然に、何もないところから、あるときポッと空間からいいお米が出てきたというのはあまり好まないわけです。

ですから、物品引き寄せの術とか、ミカンの皮剥けば大黒天さんが出てきたとか、何にもないのに首飾りがポッと出てきたというのは、本来の神様はあまり好きなやり方じゃないんです。

やはりミカンはミカンで剥いて、大黒さんは誰かの手で持ってきて、「ああ重かった。はい、交通費です」という形でするのが自然なやり方ですよね。ほんとの神様はそうなんですよ。

正法に不思議なしって言いますけどね、自然界の法則を神様がお作りになったんで、こんな悠長なことを。

何千年も人類が、生まれ変わり死に変わりしまして、徐々に徐々に今申し上げましたように、宗教的にも徐々に徐々に統一されていって、統一というのは、もう争いをなくしていって。

どう考えても、全部仏教徒なんか無理ですねっていうことを、情報網が発達してきまして、交流が発達しまして、輸送機関が発達し、通信技術が発達し、出版技術が発達してわかってくるわけです。

情報源というのは、交流する密度が高くなってきたから、こうなるということができると思うんですよ。昔みたいに、一年も二年もかからないとアメリカに行けないんだったらできないですよ。

「ああ、自分たちの教えだけかと思ったけども、そうじゃなかったんだ」というのが通信技術、交通技術、そういうふうな情報技術が発達してきて、こういうものが一致してくるわけですね、宗教の方も。

さっき言いましたように、科学の方もそうです。経済もやはり、今言った科学技術の進歩と同時に、合理的な方向に行こうじゃないかと。

今や、核兵器なんかも持っておりますけれども、そういう方向に、精神文明も物質文明も両方が発達した、非常に高度に発達した社会というものを作っていくように、神様は大きく働いておられるわけです。何千年かけて。

それを短兵急に、ひとつの尺度から見てマルクスは悪で、これは善でっていう見方じゃなくて、もっと大きな人類の発達から見たら、それはそれでキリスト教も偏っていましたんで。マルクスというひとつのお薬、お薬は毒ですけども、そのお薬によって、キリスト教のドグマから結局人類が解放されて、物質的な社会が良くなった。

だから、マルクスはパンを持って神を説き、イエス・キリストは神を盾にパンの平等を説いたんですね。キリストは神を盾にしてパンの平等を説き、マルクスはパンを持って神を説くと。

方向は違うんですけど、同じくそういう理想世界、ミロクの世を作っていく悲願のひとつの、いわばメシアですね。キリスト教信者っていうのは、そういう目でどうしても見れないわけです。

ま、こういうふうに見ていますと、精神文明、物質文明、科学文明、こういうものが合理的に追求されてきて、理想社会へやっていこうと。

お話は長くなりましたけれども、そういうふうなチョンの、陰でもなければ陽でもない、陰であるし陽であるしと、陰陽乗り越えた世界から、もうひとつ人類というものを大きく見てみましたら、別にどんな宗門宗派に入ってもいいし、別に入らなくてもいいし。入っていてもそれにとらわれないで、もっと大きく見ようじゃないかと。

科学、宗教、もっと超越した世界にいると。ということは、科学もできるし、宗教もできるということですよね、物事にとらわれないということは。

拒否するということだってとらわれてるんですよ。信じ込むというのもとらわれてるんですよ。とらわれないということは、信じ込みもしない代わりに否定もしないと。いいところだけは吸収しようと、生かそうと。

これが日本神道の考え方ですね。一応こういうのが、神様の仕組んでおられますところのミロクの世の仕組なんです。

ですから、イエス・キリストもお釈迦さんもマルクスも、ひとつのミロクの世のためのメシアなんですよね。メシア、メシアって言いますけども、単体の一人じゃないんです。

これを、ミロクメシアって言うんですね。ミロクの世、素晴らしいミロクの世・・・、まあ、甘露台の世でもいいですよ。

それを作っていく大きな神様のお芝居の仕組の中の、メシアの役で出てきていると。これが、大きな目で神様が人類に出してきたところの、真のメシアです。

何故その禁断の木の実を取ったかっていうのは、人類に人知ができたなんていうことじゃないんですよね。ひとつのプロセスの一部を描いてるだけなんです。これでひとつ、お話の区切りにしたいと思うんです。

…えー、それだけじゃ駄目だって(神様が)言ってますんで…(笑)。

こういうふうなひとつのミロクの世の神仕組という大きなアウトラインはつかんで頂いたと思うんですけれども、ここで大きな変動時期、天意の転換というのがあるわけです。これ、天の意志が転換していくと。えー、もっと今度は霊的な目で見てみたいと思うんです。

明治と江戸時代、今言いました大きな神様の仕組の中で、いろいろな、ヨーロッパにしましても日本も、歴史を繰り返してきたわけなんですけども、その大きな変動がある前に、霊的な世界の中でお告げがあったわけですね。

これは、ミロクの世の時代の変動期に出てきた。日本の宗門宗派で見てみますと、最初に如来教という宗教が出た。如来教。

これは、あるお婆さんが神がかりまして、これから世の中は変わっていくんだよと。大変な世の中がやって来るんだよ。従来の世とは全然違う世の中がやって来るんだよ。琴平権現のお告げだよと。

琴平権現さんのお告げだということで、要するに、琴平別の神様というのは、「事開け行く」ということで、最初に物事を開いていく神様なんですよ。私も一度、琴平神社に行って、琴平権現さんにお会いしたことがありますけども・・・。

交通渋滞とか交通停滞がありますとき、琴平さんにお願いしたらスーッと。一切交通渋滞したことないです。交通渋滞でお願いしたら、スッスッスッスッとどういうわけか、五時間ぐらいかかりそうな渋滞でも、すぐにパッと行けるんですよ。

あっという間に交通渋滞がなくなるという。私、応用してるだけですけど。

ですから、このミロクの世がやって来る大きな変動時期、封建時代が崩壊していくという明治維新ですね。明治維新のその頃に、ちゃんと出てるんですよ。こういうふうな大きな仕組があって、小さくは琴平権現のお告げだよということで、如来教が出てきたんです。これから世の中は大変だ、全部ひっくり返っちゃうよと。

お婆さんですよ。全然無学文盲のお婆さんに、琴平権現がお告げで教えてるわけですよ。そういう大きな、日本神道の、チョンの神様から見たところの仕組を。

その後ですね、天理教が出てるんですよ。天理、金光、黒住、そして大本教が出てきた。如来教から始まりまして、天理教、天理王命。これからすっか世の中は変わるんだよということ、天理教が出てきております。

教祖が、「百年経ったときには世の中がこういうふうになっちゃうから、とにかくお授けを授けて世の中を救うんだよ」と。天理教が出てきたんですね、中山ミキさん。

その後、金光教が出てきました。金光大神のお告げだよと。みんな病気をいっぺんに治すし、貧乏な人も救われる。これ、天地金乃神。この場合、天理王命ですね、天理王命。天理の、十柱の神様がお出ましになって、一発で病気を治すし、一発で貧乏を治すという。

まあ、ですからこの当時はですね、龍神時代なんですよ。全部これ、龍神さんです。みんな金龍です。金龍さんか白龍・・・、白龍はいないですね。ほとんど金龍か、緑の龍かですね。えー、金光教が来たわけです、天地金乃神。

で、黒住は、黒住大神と。黒住宗忠公という人が、この人はもう、明治政府から爵位をもらってますよ、黒住宗忠公は。嵐の中を、草履履きましてね、宮内庁なんかに行ったときに、パッと見たら全然草履も濡れてないし、白足袋履いて来たんだけど濡れてないと。何故、嵐の中を来たのに濡れてないんだという不思議な人です。

天照大御神様と一体となって、神人合一なんていう。天理、金光、黒住教という形で、やっぱり世の中は変わってくるよとお告げが出て、一般の民衆をそれに添って救わなきゃいけないんだ、ということを言ったわけですね。

そしてやはり、この江戸末期から出てきたお告げのように、大きく江戸の時代の封建制度から明治政府へと変わってきた。それで、明治二十五年に、大本教というのが出てきたわけです。

こういうのは前に説明しましたように、教派神道と言いますね。神道には皇室神道、それから神社神道、民俗神道、教派神道。神道に基づきまして、いろんなキリスト教の教えなんていうのを取り入れまして。新興宗教ですよ。

そして、この大本教におきまして出てきたのが、あの出口ナオと出口王仁三郎という人です。

今も、予言書は数々ございます。しかし、この出口ナオの『お筆先』というものほどよく当たるものはありません。いろいろ予言書はあるんですけど、これが一番、今の宗教書の中でも信憑性が高いと。

つまり、こういう予言がある。「唐と日本と戦いがある。これは、神が守護して日本の勝ち戦だ」と。「その後、露国ともう一戦、これも勝ち戦だ」と。「その後、世界の大戦となるぞよ」、という筆先があったわけですよ。

それは、綾部の屑拾いしていた婆さんが、突如として神がかって言ったわけですね。中山ミキさんと同じパターンです。金光教と同じパターンです。

さっき言いましたように、如来教から始まりまして、天理、金光、黒住、大本教と続いてきまして、変動期ですね、大きな天意の転換。日清戦争も起きまして、全部予言が当たったわけですね。

みんな、出口ナオを馬鹿にしたわけです。唐との戦いになって、日本が勝つわけないだろうと。露国と一戦って、ロシアと戦うわけないだろうと言ってたんですよね。

ところが日清戦争が起きまして、予言通り日清戦争に勝ちました。日露戦争も起きるよという筆先があって、勝ちました。

「後は世界の大戦い」と。第一次世界大戦があったわけです。「これも神が守っているよ」と。で、今度、第二次世界大戦があったときに、「いつまでも勝ち戦と思うなよ。いったん日本の人民、真っ青になるところまで来るぞよ」というお筆先が出て、非常に日本の政府から、こんなものはという弾圧をされたわけですね。

だって日本が負けるということですから。しかし、日本はいつまでも勝ち戦じゃない、真っ青になるとこまでくるよと。

ということで、お筆先が日清戦争、日露戦争と当たりまして、第二次世界大戦の敗戦も、戦争が始まる何十年も前に予言してたわけですね。

その筆先というものは、一お婆さんに神がかって・・・、無学文盲、字も書けないんですよ。

しかし、真っ暗なとこでも書いているんで、一定の字があるわけですね。それがもう全部、西谷さんの手相じゃありませんが、百発百中だと、『お筆先』は。だから予言書として、日本の教派神道の中では最も信憑性がある。

そして、大正何年かに、また筆先があったわけ。大正十何年に世の立て替え立て直しがあるぞよと。大変な大きな立て替え立て直しだということですが、その大本教のところに、出口ナオと出口王仁三郎という人がいたわけです。最近有名でよく出てきますけど。

この人が、筆先に則りまして、今のパターンもそうですね、全然字も見ちゃいけない聞いちゃいけない。おばあさんでしたよ。

この出口王仁三郎は、何でもやれる万能の人です。非常にまあ、龍神時代ですから龍神さんをうまく使ってたんですけれども。

それで、大正十何年に大変な世の立て替え立て直しがあるっていうんで、この側近にいたのが、あのMT。Sの家の教祖ですね。

それから岡田茂吉、世界救世教の岡田茂吉さんという人から、世界救世教から神慈秀明会も出ておりますし、それから世界真光文明教団も出てるわけですね。だいたい今は、

日蓮宗系と大本教系というのが、今の新興宗教の中で最も力を持っております。 PL教団は、黄檗宗という禅宗の一派から出ておりますけれども。

そういうことで、M・Tさんも出口王仁三郎のそばにいまして、大正十何年に大変な世がやって来ると。浅野和三郎という、日本神霊協会の…今の神霊の本なんかよく書いてます。

亡霊の写真とか、エクトプラズムでね。こういうのを出すというのは、浅野和三郎という人が日本神霊協会を作りまして、神霊界の非常に不可思議なものを勉強した。

そのMTさんが、大変な世がやって来ると。大正十何年には大変な世がやって来る、筆先にも間違いない。

筆先で全部、日清日露も、第一次世界大戦もちゃんと当たってると。だから大正十何年にも大変なものがやって来ると言って、全部食糧集めまして、山の中にこもったわけですよ。

田地田畑売りまして、疎開しまして。大正十何年に地震が来ると、大変な天変地異だというんで、リュックサックしょいましてですね、田畑も売って山の中に逃げたわけですよ。

M・Tさんは、全くこれは間違いないっていうんで、非常に筆が立った人ですから、出版物で論を成して、大正何年に世の立て替えが来るぞって言うんで、何万人という人達がこれで、山の中に逃げたんですよ。

ところが、さあ来るかと思ったけども、何にも来なかったんですね。それで、何だということで、M・Tさんはいたたまれなくなりまして、Sの家を立てたんです。

これが、大本教から別れた大きな発端だったんですね。ですから、ベルクソンの生の哲学と、この大本教の教えの・・・。約八〇パーセントぐらいはこの教えを吸収しておりまして、Sの家は作ってるんですけども、これが実態ですね。

岡田茂吉さんの方がまだ出典明らかでございまして、『お筆先』にこういうふうにありますという、筆先に曰くという出典を明らかにしてます。

ですからやっぱり神様に近くって、ここから世界救世教真光文明教団。救いの手なんです。霊障が出てくるとか、聞いたことがあるでしょう。真光文明教団もここから出てるんですね。

その間に、岡本天明さんの『日月神示』が出ました。神様の、未来の世のお告げですね。岡本天明『日月神示』。これから出てきましたのは、K・Hという人が岡本天明の『日月神示』をお習字のお手本にしまして、N習字教育連盟なんて作ってますね。

変な人ですけど。邪気ですけども。そうやって、昭和のこの時期に、霊的に迎えてるわけです。

ところがその、大正十何年に何も来なかったって言いますけども、立て替え立て直しという天変地異は来なかったんです。神様は、天変地異なんてのは、そういうふうにして一挙にガラガラと来るもんじゃないんだと。

「筆先というものは大きな意味があるから、人間の勝手な解釈は良くない」というふうにし王仁三郎がストップしたんですけども、M・Tさんが、いや私の霊的に見るところ間違いないっていうことで、そうなっちゃったんですよ。

これがM・ Tさんの、おかしなところの出発点ですね。ですから凶党霊がグニャグニャして…。