太子は推古天皇に上表しました。
「日本の皇尊で、いまだかつて天神地祇を軽んじた者はおりません。よって、天神地祇を篤く敬うように、人々におふれを出したいと思います」
推古天皇が、ということで、おふれを出してるんです。
「あっ、聖徳太子は世間仮虚唯仏是真、世間は仮で虚しいもんだと、仏のみが真実だというから、仏教だけかと思ってたら、安心しました」と。
私もいまだかつて皇尊で天神地祇を、天津神国津神をおろそかにした人はいないんで、これに従いましょうと。推古天皇が安心してこうおふれを出したと、今でも残ってるんです、歴史に。
ですから、聖徳太子さんは、神様に基づいてやっておりまして、チョンの発想をマスターしたみたいですね。だから、仏教は持ってても、十七条憲法で人の道を説いて、仏様をもって文化の交流、人民の心をコントロールしていって、惟神の道を説いて、天皇制を作ったんですよね。
この頃から日本が、中央集権国家、国家としての形を整えたわけです。今度は、新しくこういう形で神様が、御親元素大御神様で出てきましたんで、御魂の世界というものは、神のこの世界以上なんですね。
例えば、西谷さんという人がいまして。霊体はあるんですね、霊体は。その中に御魂がパッと入りますと、西谷さんに、ピカピカピカピカピカ、燦然と輝いて、芸術的なことがやりたいというような感性が宿るわけですね。生成化育して、やるぞと燃えてる。
霊体はあるんだけども魂が死んでいると、あるいはもう金のことばかり言いますと、凶党霊、キツネとかタヌキがこういうふうに憑きます。顔は西谷さんだけど中はタヌキだと。十年ぐらいしますと顔も似てきますね。
キツネが憑くとキツネみたいな顔になります。御魂の神が宿っているその御魂を、本来の形に改修すると、ピカピカピカピカと。
この御魂というものがない、悪魔が食べちゃってる場合がありますね。それは変な宗教に入ったり、あるいはもうガチガチに哲学なんかしちゃいますと、御魂も霊体も黒くなりまして…。
人間が死ぬ一週間ぐらい前に、御魂がスポッと抜けます。だから顔がもう死んでるんですよね、真っ黒で。もうあなたは死相が出てます、君はすでに死んでいるなんていうマンガがありますけどね。
すでにお前は死んでるなんて。魂が抜けますと、霊体はありますから生きてはいるんですけども、実際は一週間ぐらいしたらもう死んじゃうんですね。それで生きてる人もいますけども、その御魂がもうないわけです。
この御魂とは何なのかと。何度も何度も生まれ変わりして、ここから霊体とか姿が出てきます。ですからこの御魂には過去のものが全部入ってるんです。
再生転生している昔から全部入っておりまして、五次元神界だったときの自分この世界ですから、仏教では絶対に御魂のところまでいきません。神道でもいきません。ですから、五次元以上ですね。
この五次元以上、この御魂の中にもう少し、御魂の奥のいい部分があるんです。
これが六次元神界。昔はダットサン、新しくはブルーバードなんていう車がございますけれども、最近は新しい時代が来まして、モデルチェンジ致しまして、五次元の神様もいったん元へ帰られまして、非常に、超科学的、超芸術的、こういう神界が開いているんですね。
そういう神霊界が開いて六次元神界という、新しい宇宙の空間が開けまして、ここへいろんな神様、元へ戻られまして…。
ですから、神霊界で太古にあった超高文明、昔からあったわけです、第六神界というの。日本の『竹内文献』の古いのに、天皇様のずーっと第六神界が開いたときのことがありましたけども、その第六神界が開いたときに、魂の奥に、潜在意識に、その思い出があるわけです。
科学文明が発達して、それから宗教文明も芸術も素晴らしくあったという理想世界は、御魂の世界に一度あったわけです。ですから、そういう世界に憧れて、憧れてしてるわけですね。
バイブルが出てきた時代というのは比較的新しいですから、もっと前にそういうふうな超高文明が発達した時代があったわけです。まあ現実界におきますとムー大陸とか。
大体、御魂返ししてますと十六万年ぐらいいきますけど、ま、そういうふうな第六神界が昔あったわけです。これはもう、宗教も芸術も学問も超越した素晴らしくバランスがとれた世なんですね。
ですから、二度目の天の岩戸開きって言いまして、そういうふうなものが、地上に移ってくるように、神様が向かっているわけです。最初に言いましたお話、元に戻るんですけども、これを神霊世界から今、分析してるんですよ。
最初のミロクの世の仕組っていうのは、現実界のこの説を説明しましたけど、神霊界ではそういうふうな第六神界を開きまして、これを地上に移していこうと。
ですから、現代は非常に芸術的な要素がなければ駄目でして、広告の時代って言いまして、芸術的なセンスがなければ駄目だというふうな時代に行ってるわけですね。そういう時代になっていくわけです。
この神霊界が、御魂の奥に潜在意識がありまして、これを開いてきますと、芸術ヒラヒラです。もう芸術も学問もヒラヒラです。もうそういうのが出てますから、そういうのが、どんどんどんどん、現実界に出てます。
で、そういうふうに、時代が来ておりますので、お話が元に戻りますけど、御親元素大御神という名前はないし、形はない。何でもいいんですよ。
たとえて言うならばこういうふうに言って、この御魂返しをしようと。御魂をそれだけ、前世までどんどんどんどん戻りまして・・・、別にその、催眠術でやってるわけじゃありません。
それなりに結果が出てきまして、前世の自分を知って……。前世も勉強してきたことがあるわけです。この御魂には、全部その記憶がコンピューターのように入ってるわけです、
潜在意識の奥の奥にあるものですね。過去、現在、未来、全部知ってるんです。
だから、禅宗では自己本来の面目、王陽明さんは良知。何でも知っている良知。それから、臨済禅師は一無位の真人。まあ今度説明しますけど、例えば自己本来の面目、一無位の真人。陽明学で言うところの良知。日本神道で言うところの分け御魂、それから分霊分魂。
あるいは、そういうふうな潜在的な、コレクティブ・アンコンシャスネス(collective unconsciousness)。エドガー・ケイシーなんか言うところの、潜在的な無意識の世界がありますと。
潜在意識がありますと。ユングとかフロイトが言うところの、潜在意識の奥にある自分だと。本来の自分だと。こういうふうにいろんな人が言っているんですけども…。
これが儒教、仏教ですと、座禅するのに五十年、六十年かかりまして、パッと自分の中が割れたとか、「はー、本来の無一物だ」なんて言いまして、お腹が幸福というふうな感覚になるんですけども。
五十年、六十年たって、おじいさんになりますと、人生の終わりに悟ったというだけで終わるわけですね。それじゃあ、世の中に活躍できないんで、スピード時代ですから。新幹線も三時間で行く時代ですから、神様もスピードアップしまして、早い。瞬間のうちに早く、この御魂を…。
で、ここ(ワールドメイト)では御魂返しという法が出てまして、前世のまそのまた前世の、神代の時代の自分自身の潜在意識を開くことによって、今日まで生まれ変わり、死に変わりした能力が全部今に発揮できると。
今甦らすことができるんだと。御魂がそういうふうにして、生まれ変わり死に変わりして、その法があるわけです。
ですから御魂返しの法というのは、今どこにも出てないと思いますけども、これを植松先生が神様からおっしゃっていただいて…。
この御魂返しをすることによって、芸術家は芸術的な展望ー、もっと別な言葉で言いますと、三次元は肉体、四次元は心、五次元というものはエネルギーと情熱ですね。それから、芸術的な感性です。感覚なんですよ、感性。
芸術的な閃き、音楽的・美術的な閃き、感性。
ですから感性が乏しくなって、もう俺はいいんだと、お金さえありゃあなんとか生きていくんだという人は、御魂がもうないんですよ。御魂がなくなっちゃってるということは、お金か地位か名誉か、そんなものに生きちゃって。
夢のような理想のような、そういう感性がもうないということは、御魂がもう駄目だと。何歳になっても夢と希望と感性を持ち続けてる人というのは、御魂がピカピカ光っているんですね。ここに前世の記憶が全部あるわけです。
そういう意味で、この御魂返しということによりまして行くんですけども、先程言いましたお話、結論に、今日のお話の結論になるんですけれども、政治の面におきましては、先程言いましたように、人類がもうなんとか戦争がないようにというんで、世界連邦がきっとできると。
まあ神様が作りますよという方向でいるんで、いつなるか。それは、人間が徐々に徐々に行って、もうやがそういうふうになりますんで、たとえどういうことがありましても、大晦日だと騒がないで。
大晦日があっても、お正月が来るんだという希望で生きてけばいいんだと。潰すために神様はメシアを出したわけじゃないんですから。
メシアを出したということは、世の中が別に滅亡しないと。ちょっとお掃除はあるけれども、お洗濯はするけども、大晦日の後には正月があるんだよと。政治面では…。
科学の面では、ますます進歩していきます。これはもう、今の皆さん見ていてもわかりますように、技術が進歩しております。宗教の面でも不合理な面がなくなって、素晴らしくなってきます。
こういう時代が急速に、明治からこういうふうになってきまして。この次、今は、昭和三十七年から「火の洗礼期」という時期に入っております。
昭和三十七年からと言いますと、例えばお釈迦さんとか、あるいはもういろいろな、伝教大師とか、ヨーロッパ、中国、日本、ありとあらゆる世界の素晴らしい御魂というのが、昭和三十七年ぐらいから顕現してきてるんです、もっとその前に生まれてますけども。
そういう素晴らしい御魂が生まれ変わりまして、ごく平凡な人になって生まれ変わっておりまして、本当の神様の道というものを求めるために、あっち行ったりこっち行ったりしています。
素晴らしい御魂が今、生まれ変わっておりますね。昭和五十年から何年の間には、メシアのような聖者が生まれ変わっている年代なんて言う人もいますけど。大体そういうふうに素晴らしい人が生まれ変わっている。
と同時に、火の洗礼期。これはですねえ、地獄の釜も開いているんですよ。
だから、例えばもう、過去ずーっとやってきた、どうしようもない悪玉みたいな、霊界の牢屋ん中にガチーッとこうね、閉じ込められ、霊界での牢屋ですから、そういうふうな地獄界中にズボッと落とされてたのが、もう一度許されて出てきてるんですよ。
そして、いい御魂と悪い御魂をこうフルイにかけてるんですね。まあ、最後の審判もすでに始まってるんですけども。あるときパッと来るんじゃないんですよ、そういう時期に入ってるということで。
ですから、いい御魂と悪い御魂が一緒になりまして、悪い御魂はもう一度改心して改めれば、いいように救ってあげようと。素晴らしい御魂は、もう一度その試練の中に耐えてきて、今度は御魂を完成しなさいということで、いい御魂と悪い御魂が出てこういうふうになってるわけです。
ですから、いろんな怪しげな新興宗教とか、いろんな怪しげな思想なんかが出てきまして。
昔はノアの方舟というのは、大洪水があったときにどうやって生き残ることができるかという舟だったわけなんですけども、現代はと言いますと、いろんなわけのわからない教えとか、新興宗教が出まして、正しい方向はどうなんだということはよくわかんないと。
だから教えの方、要するに方舟っての、こういうふうに書くんですよね。方向性の「方」ですよね、どういう方向に行っていいかわかんないという。方舟っていうのはこういうふうに書きますよ。
ボックスのシップじゃなくって、方舟ってこうなんですよね。どういう方向に行けばいいんだろう、わかんなくなっちゃってると。
だから、素晴らしい御魂は、余計な新興宗教やるところはどうも合わないな御魂が知ってるんですよ。前世そういうふうな、仏教とかキリスト教なんかもある程度マスターして生まれてきて、なんか本当のものはないかというふうな人は、「どうもおかしい、ピンと来ない」と。
そうじゃない御魂というのは、なんか知らないけど、これがいいとすがりまして、それがいいと思って、そのままで終わっちゃって。例えばキツネ使いのところなんかにいきますと、死んでまたキツネみたいな顔になりまして、はい、言われた通りにキツネの弟子っていう形になっちゃうんですね。
タヌキなんかのにいきますと、シッポをパッパとやると、そのとおりにいって、タヌキの使い。その宗教を熱狂的に信じまして、そしたら、死ぬとタヌキの弟子っていうんで、顔もタヌキになっちゃって、魂ってのを全部食べられてますね。
T一教会なんかもう、非常にきつい例で、この御魂を駄目にしちゃってます。
ですから感性がほんとに、夢と希望よりも悲壮感をもって、B先生のためにって言うんで、戦いをしたり、ボロボロになってもやっていくでしょう。もう御魂なんてズタズタですよ。
正しい御魂のある人は、よけい、変な宗教に入んないんですよね。入ってても、これはほんとじゃないというんで、転々としまして。ほんとじゃない、ほんとじゃないと思いながら、やってもどっかが満足できないと。
自分が前世、魂で勉強してたものとどっかが違うと、わかるんですよ。どこが違うかわかんないけども、どうも合わないというんで、そこから抜け出してくると。
そういうことで、素晴らしい御魂がもう一度神試しにあいまして、来ている時代なんだよと。
そして、もっと端的に言いますと、この火の洗礼期をもちまして、今のこの時代は何かと言いますと、そういうふうな、世界連邦ができたり、政治の面、宗教の面、科学の面、ありとあらゆる面がマッチしたミロクの世が、やがて何百年か、まあ何千年もないです。近々ですね。
何十年か何百年の間に、世界連邦もできて、科学宗教、本当に人間が長生きして、素晴らしい科学文明も、教育も通信技術も進歩した、ミロクの世というものが出てくるんです。
このミロクの世というのは、どういうところかと言いますと、科学文明とか、物質文明と精神性が非常に高度に進歩してるだけじゃなくて、ここで、ミロクの世で活躍してる人はどういう人かと言いますと、一言で言いますと神人合一した人なんですね。神と人とが一体となった、神人合一した人。
別に、みかんの中から大黒様を出すような人じゃないんですよ。そういうふうなんじゃなくて、本当に高度に霊的にも芸術的にも、学問的にも科学的にも高度に発達した、人知とかけ離れてるような能力のある人。物事が来る前にわかるような人。
神と人とが一体となったような素晴らしい人が、結局は科学文明が極度に進歩して、物質文明が、コンピューターとか発達するわけですから、そういうのは全部機械がやっちゃうんで、そうじゃない世界のもの、よく未来のことがパッとわかるとか、素晴らしいものを作っていこうという時代で、そこでは五カ条が実践されている。
そこでは信仰心がみなありますと。そこは全部愛念がありますと。秩序がありますと。調和がありますと。平和の心がありますと。五ヵ条の御誓文じゃございませんけども、こういう五ヵ条が、このミロクの世になりますと整いつつあると。
これ、信仰心と言いましても、別に何々宗、何々宗を信じてるじゃなくて、音楽なら音楽で、もう命懸けて音楽やってると。美も、美がその人の信仰心ですね。
もう学問なら学問に打ち込んで、なんとか人類に役立つような素晴らしい科学を、これを発明してやるんだなんていう人は、その科学が、その人の宗教ですよ。
そういう意味での、広い宇宙とか神様とかというものを崇敬していくような、そういう信仰心がある人じゃないと、これ駄目なんですね。
神人合一と言いましても、先々のことがよくわかって、労働する代わりに全部予知能力でやっちゃうと。楽をしながら金もうけするという、そういう能力じゃないです、神人って言いましても。
神人合一というのは、まずそういう意味での信仰心、大きな意味での信仰心があって、それから愛念があると。常に相手のことを思うような、良かれというような真心とか、愛念があると。
そして秩序。天地自然は、春の後すぐに冬は来ません。夏、秋、冬という順番をもって来るんで、社会秩序とか人間性とか物事、その秩序を大切にするような人でありますと。
それから調和。例えば音楽にしましても、日常生活にしましても、不調和なものを嫌うと。物事を調和していこうと。
それから平和の心。例えば、信仰心がありました、日本の戦争中は。天照大御神のもとに、なんてやりまして。それから、みんな五人組で行こうよというんで、愛念もありました。
秩序立っておりました。天皇様のために秩序立っておりました、調和をもっておりました。
そして、大東亜共栄圏のためにというんで、戦争したわけですね。ここまであったんですけども、戦争をするために日本は一丸となんなきゃいかん、なんていうんで、平和の心でなかったんです。ですから最終的には、五カ条をもったような形の、そういう神人合一した人が
リーダーシップをとっていく時代ですね、ミロクの世っていうものは。
で、今、この時期というものは、神人合一の人を作っていく、まあ種人作りって言うんですか、そういう今のプロセスに、時代に入ってるわけです。神人合一の世、ミロクの世の大きな、江戸時代から明治、大正、昭和の初期という形で、大きく変動してきました。
今、天意の転換の大きな変動期ですね。宗教の方もいろいろ淘汰されまして、宗教団体でも、まだピンとこない、どこが本当なんだろうかと言いながら、御魂がそういうふうに目覚めている時代ですね。
で、今、ここのところで、例えば本当の正しい教えを自分なりに、別にどこでもいいんですよ、ここが全てだとは言いません。どこでも、それなりのものを体得して、音楽なら音楽、学問なら学問であればいいわけですよ。
そういうふうに今世、神人合一の元を勉強して、徳を積んで、世のため人のために、神様のそういう仕組に合ったことをしておりますと、今度ミロクの世になったときに、こういう時代に生まれ変わることができるんです。ミロクの世の前の最後のときなんですね、今は。
ですから、五十、三十でも二十でも何歳でもいいんですけども、そういう時代が来るよということを予見して、神人合一した人でなきゃいけないんで。生きてる今勉強しなかったら、死んでからじゃできないんですよね。
生きているときというものは、素晴らしい御魂にとっても完成時期ですし、駄目な御魂は、もう一回最後の敗者復活戦をしてる時期ですから、昭和三十七年から。
ここで得た人は、もう一度許されて、ミロクの世に生まれ変わる権利ができる。
ゴルフ場の会員権を、あまりいい譬えじゃありませんけども、そういういいゴルフ場をね、ゴルフができるという会員権を買うことができるか、できないかというものが、今の、今世の、ここ数十年間の今世に、どれだけの功を立てたか、どれだけの善行を施したか、どれだけ正しいもの勉強してマスターしたか、修得したかと。
本当に正しい矛盾のないところの宗教の神髄、科学の神髄、どれだけ勉強できたかと。
これによって、今度ミロクの世が、すぐ近くですね、まあ十年二十年じゃありませんけど、そのときに生まれ変わってくることができるという権利を獲得することができるという時期なんです。
大きく神様が言いました。ミロクの世の大きな仕組ね、チョンから発想しましたものと、特に天意の転換、江戸時代の末期から明治維新を通しまして、如来教、天理、金光、黒住、それから大本教が来まして、道院で出てきまして、この御魂の世界ということがここで出されまして、神人合一の世というものを、これから出して近づいていると。
ま、そのために皆さんは、何だか知らないけれども、平々凡々の人に生まれておりまして、素晴らしい御魂ほど結局社会の上にあんまり立ち過ぎますと、御魂が汚されまして、例えば、それだけの世界で終わっちゃうんで、これからは、建物の伽藍とか、仏像とか、そういうものに降りるんじゃなくて、神様は直接人に降りますよと。
いわばムービングシュラインですね、動く神社。御魂返しをしますと、天界にいる御魂が、神霊がパッと来ますから。
ですから、昔はそうだったんですよ、太古は。神社なんかは、昔は日本神道でも、神籬とか磐境って言いますけど・・・。
で、人という言霊は、これはこうですね、霊がありまして、霊と。キリスト教でもあります。神の霊がその人にとどまっていると。
イエスという主が現れると、その主は天の父の霊を宿す、とどめる人だというふうにして、バイブルにもございますけども。ヒト(人、霊止)という言霊が昔から日本にはあるんですよ。ヒトという言霊は、その霊、神霊がとどまっていると。
肉体はあるんですけども、肉体の中に御魂がスポッと入りまして、御神霊がピカピカ光ってる、例えば西谷さんになるんですけども、同時にその天界から来る神霊も、その御魂の、大きくここ(肉体)にいるわけですね。
だから、その人はどこへ行っても何しても、御神霊と一体となっていますよ。芸術家は芸術的な働きをするでしょうし、宗教家は宗教的な活動をするでしょうし、学問をする人は学問するでしょうし。
お芝居をする人だったら、なんと素晴らしいお芝居を、バレエをしてる人だったら、バレエの神様がいらっしゃいますし、芸術の神様がいらっしゃる。
その感性というものが、なんだか知らないけど、ビッと感じる世界ですから…。芸術の究極的なものですね。
ペインティングと絵の違いはそうですから。うまく技術をやっている看板屋の絵と、簡単に描いてるけども、ジンとくるような名画というものの差は、感性ですから。そういうものがここにあるわけ。どこへ行っても、もう人、そういう時代ですから…。
まあ、お話は大分あれでしたけども、ひとつの大きなミロクの、どういうふうな中で、我々はこうしてきてるのかということで、今まで来た宗門宗派というのはなぜ出てきたのかと。
そういう矛盾点というものを、別な角度から見まして、これからミロクの世、神人合一の世がやってくるんで、神人合一の道をここ(ワールドメイト)では、いろんな角度で教えています。それで神人合一の道を、あらゆる角度から見ていきます。
仏教から見てもいいし、弘法大師さんとか、お釈迦さんとか、イエスさんも過去神人合一した人です。神人合一をした人がメシアとなってるわけですけども、(ワールドメイトは)神人合一の道というものを、いろんな角度から勉強していくような会ですね。
バイブルだったらバイブル、キリスト教の角度がありますけども、一流一派、宗門宗派にとらわれないで、私たちはいろんな形の神人合一の道を研究しようと。仏教だったら仏教もいろんな宗門宗派あります。
その原点に立ち戻りまして、いろんな方法で。ヨガだったらヨガでもいいです、神道だったら神道と。
例えば、仏教系だったら仏教系、世界はひとつだなんて言いましても、やはり仏教と。
キリスト教ですと、やはりキリスト、世界はひとつだって言いましてもやはりキリスト教がというふうになるんですけど、我々は松下電器のように、後発でございまして、宗門宗派の問題点がありましたんで、御魂の世界ですから、何でも説けるわけです。
一応この、陰と陽がありまして、陰でもなければ陽でもないと。陰でもなければ陽でもないけども、陰でもあるし陽でもあるって言いましたよね。御魂の世界はそういう世界ですから、キリスト教でも仏教でも儒教でも何でも、神人合一の道という面におきまして、あらゆるものが勉強できるわけです。
そういう勉強会をこれから広めていきまして、どこかの宗門宗派のドグマに陥らないように、少しでも合理的な宗教のあり方を見ていこうと。こういうふうな会と研究をしていこうじゃないかと。
そして本来は、その神人合一の道を説きながら、神人合一の人を少しでも作っていくような形で、高級神霊と、芸術家が芸術的感性を開いていくような形で、その神人合一の道を研究していくと同時に、神法としての御魂返しがありますので、前世のまた前世まで戻って、潜在意識をフルに活躍できていくような人を、宗教という枠を取りまして、原点に戻りましてやっていきたいと。
まあ、今日までの講義が部分的にいろいろ出てきましたんで、集約的に、今日はお話をしまして終わりたいと思います。
どうもありがとうございました。(拍手)
