深見東州の土曜神業録20(Vol.6)

【第三章】言霊秘法応用篇(昭和60年6月1日)

人間の修業のプロセス

【深見先生】言霊秘法のお話の応用編といきたいと思います。えー、ロケット噴射悟り法と、の神様、愛をもって締めくくる法の二つを応用編としてお話ししていきたいと思います。

まず、ロケット噴射悟り法。

今、講義で申し上げましたように、四つの方法が大きく言霊の運用の仕方としてあるわけです。マイナスの最低次元からプラスへ戻っていく、あるいはマイナスじゃなくて、どんどんプラスへ霊的に進歩していく。

人間の修業のプロセスというものは進歩向上していくと行き詰まりまして、また進歩向上していく。こういうふうに階段がありまして、また行き詰まりましてこういうふうに……。

ですから、修業のプロセスは「磐梯」(板書)と言うこともできます。これは磐石ないわおのごとききざはしです。

「梯」は階の意味ですから。神様の道というものは、しゅっと行くのではなくて、階段を一歩また一歩と昇っていく。こういうふうに階段があるわけです。

ヨーロッパ神界になりますとヤコブの階段というのがございます。この階段を上がっていきますと、もっと大きなエンゼルがいる次元の高いところに行く。

天国界の何番目か、六番目か、七番目か、八番目かに、ヤコブの階段というのがあります。ヤコブの階です。

階段というよりも階。霊界の実相の一つです。

えー、神人合一の道も階です。神人合一の階段を昇っているということです。神人合一のエスカレーターではなくて、階段になっている。

やはり一つの境地とか霊的レベルに達するために、神様が計画しているものです。何歳までにこういう修業が何歳までにこういう修業がという形で、御魂の教育プロセスがあるわけです。

それに合わせまして、守護霊さんたちも守護しておられるわけですね。何年何月にだいたいこれだけの修業をさせようというふうに、修業のプロセスが決まっております。

その中に大きな脱皮の時期もあるわけです。人間には大きな人生の変わり目どきというのが何回かあります。四柱推命ですと、四のつくとき、二十四とか。五のつくときと、十五と、三十五、四十五とか。

大きく変わり目どきというのが、それは大運というらしいんですけど。大きな大運が十年サイクルであって。例えば、四十五で大運になりますときに仕事でもご神業でも、この時期が、グーッと行き詰まりの壁にぶち当たる時ですね。

これで悶々といたしまして、自分自身の限界にぶち当たる。自分自身の能力的なものとか霊的なものとか、あるいは経済状況とか、様々な壁があります。

まあ、この葛藤は本人の因縁因果、あるいは家代々の因縁、宿業によりまして、いろいろな葛藤があるわけです。すべて苦しみというのは前世の悪因果でありますし、家の因縁、霊障の一種なんですが、そういう苦しみを乗り越えて、乗り越えて、乗り越えてきて、一つの大きな行き詰まりにぶち当たる。

それを、こう踏ん張りましてパーンと乗り越えるわけです。

私も仕事で、大きく脱皮する時期が何度もあります。まあ、仕事でも、こちらかと思えばあちら、あちらかと思えばあちらで。でも、後から見たら神様の仕組通りにピシッといってたということがわかります。

しかし、神様の与えられました一つのターニングポイントでありますと、非常に苦しいです。白髪もどっと増えますし、何をどうしていいか、もうわからない。

暗黒、まあ、ブラックホールですね。どうやってやったらいいのか。ただ悶々と苦しんで、自分自身の内部の問題ですから。

もちろん経済的なものがあったり肉体的なものがあったり、人によって違うでしょう。そういう苦しみと葛藤の中でやるときに、人間というものは、どうやってバンとジャンプするのか。

特に神業に志しまして来た人は、このジャンプの時期というのが何年何年というふうにあるんです。

脱皮の前は絶叫するほど苦しい

えー、白隠禅師なんかは、こういうことを言いました。大悟徹底すること七度八度ななたびやたび。大悟徹底ですね。こうやって霊的にバンバーンと上がっていく。

「大悟徹底すること七度八度。小悟徹底すること枚挙に暇なし」(板書)と。

エビが皮をむきまして、ボーンと新しいエビになるときには、すごい苦しいです。ヘビでもエビでも脱皮しまして本人の殻を打ち破りまして、新しいエビになる。

新しいヘビに生まれ変わるときは、皮を脱いでいくわけですから非常に苦しいはずです。

ご神業の悟りということを考えますと、まあ大きく分けて、こういう感じでしょうか。これが悟りの飛躍時期ですね。

この大悟徹底をするために、小悟徹底が続いて、ポンと上がる。こういうふうな形で階段を上がっていく。

こういう飛躍するときに、どういうふうにしたら人間の行き詰まり、エビとかヘビが殻を破りましてバーッとこう脱皮するかという、このときの過ごし方が大事なんです。

それがロケット噴射悟り法というわけです。ロケット噴射のように、垂直にガーッと上がらないと駄目ですから。

えー、このように階段というのは人間の苦しみとか、苦境とか、悟りなんですが、ある段階で脱皮をするべく悩んで悶々としておりますときに、必ず霊的にいいますと、守護神様が出ていらっしゃるんです。

ふだんは守護霊様がいろいろいろいろ教えて下さいますが、ここ一番というようなときに、守護神様が出てこられる。

で、こういうふうに悟っていきますときのプロセスは階段のような状態なんですけれども、自分の境地でいいますと、この脱却するときというのは、前に七澤さんが講義で言いましたように、断崖絶壁におりまして、あーっという状態です。

これは一歩踏み外すと、もう下がないという、スリルとサスペンスの状態。サスペンスというのは英語のサスペンド(suspend)で、宙ぶらりんの状態で、ハラハラドキドキする状態です。

ぶら下がっている状態ですね。はー、ドキドキ。

こういう状態を、ウーッと乗り越しまして、パッと次の段階にいく。こういう形で、Aの岸からBの岸へと渡るときです。自分自身の境地から言いますと、こういう感じです。

AとBの間に川があるわけです。格差があって、これがなかなかできないわけです。練習につぐ練習をしていても、こっちからこっちへどうしたらいいんだ、渡り方がわからないわけです。

例えば、初めて除霊したときに本当に霊が救済できるのかと思いました。

除霊なんてできるんだろうかなんて思いましたが、思い切ってやってみたら「あ、できた」と。

できない人は、そんなのできるんだろうかと思って、一つの大きな関門があるわけです。

そんなことやったことない、できるんだろうかなんて思います。そういうときには悶々とします。そして、これをヒヤーッと落ちていくときは恐いんですけれども、脱皮できるんです。

境地でいいますと、すべてを捨てて、絶叫しているという状態です。ウワーーッなんていう。

七澤さんも、前の講義で言いましたように自分はどうなっちゃってるんだろうかという、ワーーッと。こういうときにパッと向こう岸へ渡ってしまう。

そういうときは、もうすべて捨てて絶叫しています。

ふだんは守護霊さんが、ずーっと守っていらっしゃるんですけども人生の転機には、守護神様がワーといらっしゃって、パッと本来の、この人の行くべき道のところへ、パッとお連れして下さる場合が多いです。

もちろん守護霊さんも加勢してますけれど、神様の許可をいただいて、スッと次元が変わっちゃうんです。そうすると、やれるようになる。

この脱却するときの、ここに来るまでが、もう悶々として迷いがあります。すべてを捨てて、もう絶叫している。

生死を越えている。羯諦羯諦ぎゃていぎゃてい波羅羯諦はらぎゃてい波羅僧羯諦はらそうぎゃてい菩提娑婆訶ぼうぢそわか、見たり聞いたりするものはない、ないということもないぐらい何もないという、そういう境地になりきったときに、パッとこちらに越せるわけです。

ここで、ロケット噴射方式のロケット噴射悟り法というのが出てくるわけなんです。

全身全霊で祈って祈って祈りまくるロケット噴射悟り法

こういうとき、どういうふうに神様に訴えればいいかと言いますと、さっき言いました第四番目の、の神様に深々と祈るという法、四番目の方式を使います。

そのときに、単なるお祈りでは駄目なんです。

自分自身はもう暗黒の中にこういて、ウーッとして行き詰まっております。グワーッと、もう体中が悶々としている。

もう煮詰まって煮詰まって、煮詰まって煮詰まってというときですね。煮詰まって煮詰まってというときにロケットがこうやって炎を出しているわけです。

煮詰まって煮詰まって煮詰まって、煮詰まって煮詰まって煮詰まって、煮詰まって煮詰まって煮詰まって、煮詰まって煮詰まって煮詰まって煮詰まって、煮詰まれば煮詰まるほどロケットがウワーッと炎を出すわけです。

そうして、の神様に、第四番目の祈りの形をとります。

の神様、宇宙すべてを思い浮かべまして「全知全能の神様」と。それから、の神様から入りまして、限定しないで神々様を次々にお呼びする。

の神様、神々様、八百万の神々様という形で、もう神様を全部呼び出す。知ってる神様を全部呼び出す。

一度自分が行った神社とか、ご神業で聞いた、いわゆる強そうな神様、すごそうな神様(笑)。すごそうな神様を全部言霊に出すんです。何々の神様、何々の神様、聞こしめせ。何々の神様聞こしめせ、何々の神様聞こしめせ、何々の神様聞こしめせ、何々の神様聞こしめせと。

そうして、の神様をはじめとしまして、天津神、国津神、八百万の神々、天地の神々、守護神も守護霊もみなことごとく聞こしめしませという形で、知ってる限りの神様を呼び出します。

そして、自分自身のエネルギーを身体中にグーーッと蓄えまして、そして「神様、これでございます」と。もう全身から、ウーーッともう絞り出しまして、もうこれ以上叫びようがないと。

要するに生霊の逆だと思ってください。例えば、角を生やすとか、それから牙を生やすとか、恨みのためにヘビになるとかってありますね。

恨みの霊が合体して、恨みのヘビになります。恨みのヘビがグレードアップして、恨みの龍になります。あれの逆です。

「こんちくしょう、あいつは、どんなことがあっても祟ってやるぞー」という、怒りと呪いの怨念霊の逆です。怨念霊逆方式と呼んでるんですけど。

ロケット噴射のように、神様に対して、自分の真心とか「この行き詰まってる現状というものを、なんとか解決できますように」と。「なんとか神様の御心に合うように、これを乗り越すことができますように」と。

もう、ハーハーゼーゼー言ってます。階段を上がってますから。

ハーハーゼーゼー言って、なんとかこれができますようにと。なんとかこれが、こういうふうに成就できますようにと。なんとかこれが、こういういい方に行きますようにーというふうに、もう、自分自身の全身全霊をかけて神様に祈るんです。

全身全霊で。そのときには脂汗が出たり、とにかく身体中がブルブル震えるぐらいに、神様にグーーッと、エネルギーを振り絞るんです。

考えてもみてください。祟りの霊障というものがどれほど恐ろしいか。自殺したりクソーと恨み続けた人間、あるいは、丑の時参りをした人間がどれほど恐ろしいか。

どれほど人生に祟りを及ぼすか。霊障の話を聞いていたらわかると思うんですが。それがプラスになるわけです。

なんとかーという、全身から神様に祈り続け祈り続け、「熱祷」(板書)ですよ。

熱誠とか熱祷ねっとうとかっていうんですけど、グワーーッと。何時間も、一時間でも二時間でも身体中のエネルギーがもう消えていくぐらいに、宇宙創造のの大神様を中心にしまして、深く祈っていく。

言霊にどんどんどんどん出して出して祈る。

祈って祈って祈って祈りながら、自分の御魂を発動させながら御魂と言葉の祈りに乗っかります。炎のように燃えてますから。

そして、自分の祈りとか意とか念力を神様にどうぞーという形で、ガンガンガン、ガンガンガンガーンと神様の御胸を叩いて、叩いて、叩く。

叩けよ、さらば開かれんと言いますが、それはコンコンコン、ギーではないですよ。僕の体験では、コンコンコン、ギーなんていうんじゃない。

ガガガガガガガガガガガガーンと叩いて、ギーと開いてくるんです。

だから神様に、なんとか、この断崖絶壁の行き詰まりの、このところのここをガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンと叩くぐらいに、神様と全身全霊で祈って祈って祈って祈りまくる。

全部のエネルギーを凝結させると、そのときに自分の魂がポーーンと飛び上がるんです。御魂がロケットになりまして、パーーッと御魂が飛んでいくんです。御魂のふるさとへ天界の方へ飛んでいきます。

祈るだけ祈ったからもういいという気分になります。それだけ祈って熱祷しましたから、どこか体がホーッとしてるんです。まあ、疲れたということもあるんでしょうけど、魂を神様のほうへポーンとお預けした。

ポーーンと神様の方へ飛んでいったわけです。

そして神様がパッと受けてくださって、何らかの行き詰まり状態というものから脱却できるんです。どういうわけか、ポンと上がることができます、しばらくして「あ、やれるようになった」とか「できた」なんていう。

何かが開くときとか、会得するときというのは常にこういう状態です。

ワーーって叫んだりして、こういうふうにロケット噴射、ロケットみたいに自分がなりまして、噴射してボーーンと神様の方へ飛び上がっていくという、こういう感覚で限界に行き詰まったときにはお祈りするんです。

そして、捨てて捨てて絶叫して、すべてを捨てて捨てて神様にーという気持ちで、神様の御胸へ飛び込んでいくという気持ちでやるんです。

神様の御胸にロケットが飛んでいく。そうすると、カチッと受けてくれまして階段をポンと越すことができるんです。

ロケットを飛ばし過ぎると黒雲が出てくる

ところが、これをあんまりやりすぎますと……。これをやりすぎてるのが日蓮宗。

南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、毎日毎日お題目をあげまして、毎日毎日ロケットが飛び回っているわけです。そうしますと攪乱かくらんしますよね。これがあんまり行き過ぎますと、執着心が出てきます。

これの恐いのは、たとえ善なることを思っていても、世のため人のためになんとか日本の国を救いたまえとか、善なることを愛をもって祈り続けるんですが、なんとか神よ救いたまえ、なんとか病気を治したまえーなんていうとき、母が病気で死ぬなんていうときには、なんとか病気を治したまえっていうふうな気持ちで、必死の必死の思いです。

なんとか神様という、すべて捨てて絶叫という、こういう境地でやってますよね。お母さんが病気とか自分が死ぬというようなときは。

ところが、これが行き過ぎまして、ロケットを毎日飛ばし続けますと、善なることでありましても病気を治したまえということに執着してしまう。執着。

善なることがこうでありますようにという、その事柄に着してしまう。

ですから神様は、そういう場合は受け取ってはいただいているんですが本人の執着心に、ロケットの周りに執着の雲がウワーッと発します。

ウワーッと、黒雲が発し続けますので執着心があるものだから、受け取っているんですけども、神様がお陰を出そう、発動しようと思いましても、本人の執着心で神様がお働きできなくなってしまうんです。

ですから、ロケットというものは、ここ一番というときに飛ばさなきゃいけない。そう毎日飛ばし続けるものではないです。NASAではないわけですから。

ところが日蓮宗系統、日蓮宗の法力のある行者さんは、とにかく南無妙法蓮華経って祈り続け祈り続け、全身全霊祈り続け、全身全霊願い続けて、御宝前ごほうぜんで南無妙法蓮華経とやりながら、ロケットをブンブンに飛ばしちゃっているんです。

法力も出るんですけれども、御魂の世界からバンバン出るんですけれども、どうしても、黒雲が執着心になりまして、黒龍が出てくる。

N寺では寒修行というのがあるんです。荒行というんですけど。毎日、三時ぐらいから水をエイーなんてかぶるんですよ。水をかぶるというのは黒龍です。

龍は水を欲しますから。黒龍が神がかるように水をジャバーン、ジャバーンかぶるんです。

僕はそれを行って見て、写真を見てて「あー、これは黒龍だ」と思いました。そして木剣といいまして木の剣でこうやって、エイッ、エイッ、エイッ、カチンカチンカチンっていうので邪気を祓うなんていってます。

日蓮宗系統には、その法力はあるんですけど黒龍の法力なんです。

毎日毎日お経をあげすぎ続けて、喉もつぶれて体のエネルギーも振り絞りまして、南無妙法蓮華経、お経をカッカッカッ、それも寝不足で一日何時間も寝ないんです。

これが百日間続くんです。ですからやはり黒龍が出てきます。

日本も戦時中、ロケット噴射をやりすぎまして大東亜共栄圏を作るため、日本バンザーイ、バンザーイと言いまして、みんながソレーなんていう形でやりますから、法力も出たんでしょうけども。やっぱり黒龍ですね。

帝国主義のときは、国家全体にこの黒龍が出ちゃいました。

確かに法力とか不思議な力といいますか、神様がパッと飛び越すだけの妙力はロケット噴射で出るんですが、これがあんまりに過剰になりすぎますと黒龍の黒雲が出てくる。

黒雲とは執着心です。念じ続ける念力の執着心です。これは御魂が澄みきって天界に行くというよりも、また別の次元に入っちゃうわけです。

ですから、何事もほどほどでございまして、ここ一番の行き詰まりのときには、ぜひ皆さま、御神前があってもなくても結構です。

の神様に深くお祈りすると同時に、神々様全部に聞こしめせと、天地を震わさんばかりにロケット噴射をやっていただきますとすごい力が出ます。

あるいは、パッとわからなかったことが悟れます。

ワーッとあちらの岸へっていうのは御魂が飛んでいくんです。二、三日したら答えが返ってきます。放心状態になりますね。

ここ一番というときはそれぐらい、やっぱりやるんです。恐らくそうならざるを得なくなると思います、神様の修業ですと。

もう、そういうふうにロケットになって飛ばさざるを得ないときに、必ず何かが開いたなと思います。皆さん、ここにご神業に来た人は体験したらそうだと思うんですけど。

なぜ、あのときに神様は答えをパッと出して下さったり、天界からパッと神様が来たのかというふうに分析してみますと、やっぱりロケット噴射祈り方式に自分が入ってたわけです。

つまり、御魂が行って答えが返ってきて、脱却できたんだと思います。まあ、これも言霊秘法の一つといたしまして、行き詰まりの打開策として、ご自身やっていただきたいと思います。

スの神様、愛をもって締めくくる法

最後に、の神様、愛をもって締めくくる法についてお話ししたいと思います。

えー、これはナンバー4の深く厳かに、イエス・キリストが「天にまします我等が父よ」というタイプで言いましたようにいくんですが。

日常生活では、嫌なことも起きますし腹の立つようなこともあります。ときには人様に霊障がかかっておりまして、あるいは御魂に奥の潜んでおりました動物とか因縁が出てきますとき、「あの人は嫌だわ、今あんなのが出てる、出てる、出てる」と。

「今ああいうのが出てて、こうだ、こうだ」と言いますね。

例えば、タヌキが出てるとしますね。「タヌキが出てる、タヌキが出てる、タヌキが出てる、本当だ、タヌキが出てきた。今日もこういうふうにタヌキが出てた、明日もこういうふうにタヌキが出てた」(笑)。

皆でタヌキの出方について非常に議論が弾みまして。「はっ、すごいタヌキが出てたね」ということで…。

そういうふうに言う一刻一刻と申しますと、自分自身の修業はどうなってるのか。ああいうふうにすればタヌキになるんだなという、反面教師ということもありますけれども。そういうものを見て、みずからが反省するということも大事ですが、の神様の目から見ますと、神様の神法の中で、「すべて愛をも

って帰一するを真心となす」という教えがありました。

そういうときに、タヌキだタヌキだって言いますと、自覚しますし認識しますから、本人もタヌキに占領されてしまいます。

一人だけがタヌキだったらいいんですけれども、皆さんもタヌキだタヌキだと言いながらタヌキになって、自分の内在するちっちゃいタヌキが出てきたりなんかして。

こっちの人は、眼鏡かけたのが出たり、こっちの人はひげ生えたのが出たり。タヌキの世界というふうなのが出てきまして、皆が自分の持ってるタヌキも誘発されまして出てきます。もうタヌキ地獄ですね。

キツネちゃんの場合「キツネが出てる、キツネが出てる」と。「本当にあれはキツネだ」。「今日のってこういうキツネでしたね」と言えば本当にますますキツネが出てきて(笑)。

キツネ地獄ができまして、いっぱいキツネを呼んじゃうわけです。

こういうときというのは自分自身の仕事も怠りますし、霊的進歩というのが少し止まっているんです。

そういう言霊を出したときというのは、その言霊が積み重なりますと、自分自身の心の中に愛とか真心とか霊的進歩とか、善なる気持ちの発動ということを忘れてしまう。

そちらの方にどうしても内面性が占領されてしまいますので。体の中がそういうものでいっぱいになっちゃうんです。

ですから、そういうふうに出てきたときは、必ず「だけれども、愛をもって帰一しよう」と。

「だけれども、それが善なるものにいくためのプロセスなんだ」と。「きっとそのタヌキが抜けてよくなるだろう。よくなって欲しい」というふうに、そういうときでも愛をもって締めくくりをしなかったら、自分自身の御魂が汚れてしまうわけです。

自分自身の霊格が落ちてくるわけです。ここが気をつけなくてはならないところなんです。

ですから、そういうときは第四番目の方向で、やー、今日もこういうふうにタヌキだったっていう形で帰ったあと、布団の中、あるいはトイレに行きまして、四番目のお祈り、深く、の神様に「どうぞの神様、の神様」、祝詞をあげてもいいです。

の神様に深くお祈りして、「○○さんのタヌキ、あるいは○○さんのキツネが出てきておりましてこういう状態ですが、神様の道に歩もうと思ってきた人たちですから、どうぞ一日も早くタヌキが取れて、一日も早くキツネちゃんがポッと抜けて、本来の御魂の素晴らしい部分が出てまいりますように」と祈るんです。

「本来のの神様の御心に目覚めまして、天命を全うすることができますようにお願いいたします。そういうふうにしてあげてください」というふうに、の神様に対してそういう言霊を使います。

そういう言霊を出しまして、タヌキ暴きとかキツネ暴きのあとに、の神様に愛をもって締めくくるという、言霊の納めがいるわけです。

またその次の日にタヌキが出たら、タヌキはタヌキで御祓いするんですけど、帰ったら「今日もまたタヌキが出て、まだなかなかいるようです」と。

「今日もまた、キツネちゃんが出ているようです」と。「ああだったら本人もかわいそうですし、周囲の人も大変ですから、の神様、一日も早く本人も気がついて、除霊ができて悟りまして、御魂の癖が取れて、立派な神人になっていただきますように」と。

「立派に御用ができる人になっていただきますように」と。その張本人に対して愛で締めくくりますと、自分も救われる。自分の中にタヌキちゃんが巣くってたものが消えていくんです。

こういうふうに、毎回毎回、毎日毎日、一日というものを愛で締めくくる。

愛でなかったところを発見しまして、愛で締めくくりますと本人の御魂は清浄で、人にやられない。人の邪気にやられないんです。

やられましても、これを跳ね返すことができる。神様が守護してるわけです。本人の御魂は汚れません。

こういうことが、一つ大事なことでございまして、第四番目の、深くの神様に祈るということで、自分もそのことによりまして、何か悟るところがパッと出てくるわけです。

皆さんも毎日毎日、の神様に感謝して、愛でなかったところを見つけて、一日を愛で締めくくって頂きたいと思います。

どうも、ありがとうございました。