【第三章】先天の炁が善の根源(昭和60年11月23日)
後天の世界での善悪
【深見先生】それではパート3の講義を行います。何が善で何が悪か。パート2がとても長かったんですけども。
今度は何が善で何が悪かということから発展しまして、老祖様の善悪正邪です。何が善で何が悪かの答えは、これが善でこれが悪だということをいろいろお話ししたわけです。
どうしたらいいんだということまで結論を言いましたけども。
先程も申し上げましたように、神道的に見たら神徳力徳が行き渡っているところが善であって、それが行き渡っていないところが悪だとお話しをしました。
それから悟る前の善悪はすべて悪、悟った後の善悪はすべて善だというお話をいたしました。悟る前とはいかなることかというと、善悪正邪の分別の知恵、分別知がある世界が悟る前という意味でありまして、陰と陽がある世界です。善悪がある世界。
悟った世界というのは、陰陽がある相対的な世界ではなく、いわば太極です。陰と陽が出てくる前の太極の世界が悟った後の世界であると言いました。
悟った後は、分別知を乗り越えまして、深い潜在意識、神智に基づくところにいます。悟った後はさっきの儒教でいう太極であるし、王陽明先生の言う良知の世界なわけです。
ですから、太極の中から来たら全部善であります。
しかしそれでも、絶対の善という神様の目から見たら全部が善ではない形で行くのがいいかもしれません。本人の御魂の天命が、政治家となって善悪正義をはっきり言うというのが、その人の生きてきた善悪であるかもしれません。
善悪正邪もなく物事をするという境地になってしまうのが、必ずしも善とはかぎらないわけで、難しい局面であります。
しかし一般的に、太極の中に入る。分別の知恵を乗り越えたところから、おのずから出てくるところが、より善に近い。それでも絶対の善ということはありません。より絶対の善に近いということです。
こういうことは今日までの話でも出てきたわけなんですけど、老祖様の善悪といいますと、これから先なんです。太極の奥には何があるかということなんです。
今までの物事の見方というものは、この見方全体が後天の見方なんです。これに対しまして先天の見方というものがあります。
この太極というものも後天的なものでありまして、老祖様の言う先天と後天というのは、もっと奥深いわけです。この太極の奥はどうなっているかという世界なんです。
こんなのは聞いたことがないでしょう。太極の奥には何があるか。悟った奥の奥も、実は後天の悟りで悟った奥の奥にも、もっと先天の世界があるのです。先天の世界があって後天の世界に悟った一がある。
一が出てくる前がある。すごいでしょう。これぐらいからがレベルが高いと言えるわけです(笑)。
後天の世界で善に行くように努力する
その前に、後天で言いますと、人間もいろいろな尺度がありまして、さっき言いました六箴四誠の中で出てくる善悪というものは、魂と魄。「魂魄この世に留まりてー」という言葉がありますね。
魂魄。陰陽とも言えますし、鬼と神、鬼神でもあります。人間の心の境涯の中に魂と魄があるんです。
想念の世界が善を思わないと魄が喜びます。魄が喜ぶと、萬邪が競い集まり来ます。いわば、悪霊、悪鬼、邪心、邪霊。
霊的な世界でいう萬邪、いろんな悪魔とか邪の世界が、魄が喜ぶことによって出てくる。この魄の中には、先祖の動物霊とか浮遊霊とかいろいろな霊障が入るわけでしょう。
浮遊霊、たたり霊、動物霊も全部そうであります。魄が喜ぶ。
それに対しまして魂は守護神様や守護霊様や、御魂の働きや先祖霊とかという、いい方へ前向きに向けていく働きを魂と言います。
善なる善根の働き。魂というものは善と考えることができましょう。
絶えず、その善神と悪神というものが善の心と悪の心というのが、魂魄というのが人間の内部の葛藤であります。そして、老祖様の言うのは、魂の喜ぶところを満たしなさいということです。
霊的にいうと、守護神、守護霊様の御心に合う形の生き方をしなくてはいけない。人間の心掛けで生き方として道心として、魂の喜ぶことをしていくと、善を推し進めることになって、聖人、神様の世界にも入っていくんです。
老祖様の言うのはこういうことなんです。これをまた別な角度で言いますと魄の正体は何かと言えば、人心です。魂の正体は何かと言えば、道心です。
「人心これ危うく、道心これ微かなり」ということを前の講義でいたしました。人心というものは人間の煩悩です。仏教で言えば煩悩です。煩悩から出てくるのが人心。道心は仏性から出てくる言葉です。
前にも話しました。親鸞上人の南無阿弥陀仏とお師匠さんの言う南無阿弥陀仏は同じものではないという先輩がいました。
そこで、お師匠さんの法然上人に聞くと、法然上人の南無阿弥陀仏も親鸞のいう南無阿弥陀仏も同じだよと言った。
どちらも、南無阿弥陀仏というふうに手を合わせるということは、阿弥陀如来様からやってくる心だから大して変わりない。だから同じだと言いましたね。これが仏性です。
南無阿弥陀仏と手を合わせる心が仏性と言えます。
これに対して、儒教でいう人心というのは煩悩です。動物的人欲。儒教でいう人心というのは人欲のことでもあります。
ですから、人欲から発してきたことが悪です。人欲から、あるいは煩悩から発して出た言葉、出てくる心が魄のジャンルに入るので、これが悪です。
逆に仏性からの発露、道心からの発露、魂が喜ぶもの、そういう世界の言葉が善なんです。
老祖様の言っているのは私たちの修道するときの心構えといたしまして、道心と人心、仏性と煩悩、善なる心と悪なる心、魂と魄。
こういう対立の中で、人間は魂の方へいくように努力しなきゃいけない。道心これ微かにして、人心これ危うし。微かなる道心、目に見えない価値、神様を信じ、道を信じてやっていこう。努力していこう、精進していこうという、その心。
人欲を乗り越えた、内在する神様の性質、神性、道心。こういうものを磨いて磨いて努力していこう。老祖様の言う誠悪の箴ということは、こういうマイナス的な、魄が喜ぶようなことはやめよう。萬邪が競ってきて人間をだめにしてしまうから、こういうことがないようにしていこうと。
それで、孔子の弟子の顔回なんかは、「非礼見るなかれ、非礼聞くなかれ、非礼言うなかれ、非礼動くなかれ。礼にあらずんば見るなかれ、聞くなかれ、言うなかれ、心を動かしちゃいけない」。
魂を動かすような礼にかなった、神様の道にかなった、美にかなった、道心を磨いていく。仏性を磨いていく。魂が喜ぶ。ものを見たり、聞いたり、話したり、心を動かしたりしなさいということです。
礼にあらずんば見るなかれ、礼にあらずんば聞くなかれ、言うなかれと。
顔回がそう言ったように努力をして魂を磨いていくように、道心を太くするように努力していきなさいと。
これが、悪を戒めて善をもっと出していくようにしなさいということです。老祖様がおっしゃったのは、そういうことです。しかし、それは後天的な努力です。
後天的な面から見ると、そういう努力をしなければいけない。
だけれども、自然のうちに魂が喜んで自然のうちに魄が消えていって、全身に善が満ちてくる、仏性と道心の根源があるんです。
南無阿弥陀仏という心は阿弥陀如来様から来た心だと言いましたけれど、この善なる心、魂、道心、仏性、こういうものが出てくる根源があるんです。それはどこから来ることなのか。
善の根源は先天の炁にある
その根源は、先天の世界の先天の炁胞、炁霊、あるいは先天の炁なんです。この先天の炁というものが、すべての色、形、霊体、魂の根源。宇宙の生成化育された元は、全部先天の炁胞なんです。
この先天の炁というのは、気力の「気」じゃなくって「炁」(板書)と書きます。神仙道とか煉丹術なんかを見てみたら、この炁という言葉が出ています。
至聖先天老祖というのは、先天の炁胞のかたまりです。すべての生命の根源なんです。老子が言いました。
長があるから短がある。美があるから醜がある。美醜を乗り越えた世界にいればいいんだと。それは太極の世界という目で見ればいいんだと言いましたけど、どうすれば太極の世界で見れるかというと、太極が出てくる前の世界のエネルギーの根源。
一言で言いますと炁を充実するということによって、この太極の分別の智恵の前の世界が出てくる。人間の形とか肉体とかが出てくる前の世界、おのずからの世界です。
先天の陰が極まりますと、これが陽になってきます。そして、陰と陽が極まったところ、陰と陽が合体して、一が出てくるわけです。先天の陰と陽が動きまして水気があって、その上に本当の火の気が出てきて、火と水というのが集まりまして、一という世界が出てくるわけです。
ここからが後天の一なんです。つまり、後天の太極の一が出てくる前には先天の陰と陽というものが合体して、次元界がぱっと変わるわけです。
これは北極真経で説かれていることです。聞いたことないでしょう。太極が全部の根源ではないんです。天上界から見ますと、天の陽と天の陰というのがあります。この陰陽が合一することによって一となって出て来るわけです。
もうちょっと言い換えると…..。先天の炁の炁というのがありまして、それが卵形で出てきまして、その卵形が広がってきますと、細胞でいうところの減数分裂が起きてきます。
そして卵形が、先の陽と先の陰になるわけです。ですから、老祖様のマークはこういうマーク(
)です。
卵子に精子が受精しますと、陰と陽が初めて出てきたという、そういう世界です。老祖様のマークはこれなんです。
本当は、先天の炁霊が集まって先天の炁胞が出てきて、卵形が大きくなってきますと減数分裂で陰と陽に分かれる。これが先の陰と先の陽です。これが合体しまして、今度は後天の一が出てくるんです。
ですから、この炁というものがすべてのものを司ってるわけであります。
そして、後天的な一が出てきたときには「炁」が気力の「気」という字になってくる。先天の世界では全部、炁が炁胞状態になっているわけです。これが老祖様の説いている次元です。
こういう根源の炁というものが充実して出てくると、おのずから善が広がっていって、悪が小さくなっていく。おのずから道心が豊かになり、仏性が豊かになっていく。
私たちにはいろんな意識があります。例えば、素晴らしい神気を受けてきたら、いいことを連想する。素晴らしい運勢の人といると何でもよくなっていくという善なる心を誘発されます。
逆に、マイナスの気、波動の暗い気を受けますと、暗い想念と暗い世界というものが出てくるわけです。
ロシアにグルジェフという神秘哲学者がいまして、人の心なんていうのはばらばらだ、人格なんていうものはないと言いました。
人間の心なんてころころ変わるものであって、人格なんていうものは社会的な影響力によってできてくるものだと。
子どものころと生まれたころの自分というのが本質というのだと。人間を本質と人格に分けまして人格は後天的な社会との関連において形成されたものであって、ころころころころと社会の環境が変化すると変わっていく。
人格なんていうのもころころ変わるもんだと、グルジェフという人が言ってますけど。自分自身の中にいくつも人間がいる。それはなぜかというと炁なんです。
先天の炁、後天の気、どちらも含めまして炁によって善なる面が出てくるのか、悪なる面が出てくるのか。ですから、先天の炁というものに満たされて後天の陰と陽の善悪というのは、そこから出てくるんです。
太極の中に生きた善悪の前の世界ですけど、それは善悪の根源ではないわけでありまして、先天の世界というのが絶対の善の世界、神様の世界なんです。
ですから、先天の炁霊、先天の炁胞に包まれて生命が充実してきますと、神様の大愛というか、神様の一厘の奥ですから自然にあることが全部つぼにはまって、先天のうちに自然にやることが皆つぼにはまって善になる。
神様の御心のまにまにやれる。神様の御心に最も近い形でやれるんです。先天のうちになすことがすべて中にはまっている。
悟った後はすべて善だと言いましたけど、悟った後に何があるかというと、無意識の奥にある集合的無意識の世界があります。
そして、集合的無意識を形成しているのは、先天の炁胞と先天炁霊から出てくるところの働きなんです。先天世界にあるわけですね。
そして、先天の炁胞が充実して充実して、炁が充実してたまっていきますと、隅々までに炁の神様の力徳が行き渡る。分別の智恵の奥、そのまた奥、そのまた奥の炁を入れますと太極を太らせることができる。
そうすると、善悪というものが全部善に塗り替えて、やることなすこと全部つぼにはまり、やることなすことすべてが善になる。九九・九九九九パーセントまで、善になりきることができる。
これが、老祖様の言っている先天の学問、先天の法なわけです。そうすると、自分自身の中が全部魂で魄がない状態になります。
魄が消えてしまっている。これが神人合一の世界。これが、神人一体、人間が神様になっちゃってるという。神人合一の世界というのは、こういうふうな状態の世界をいうわけですね。
体の中が豊かになってきたでしょう?先天の話をして充実してきましたね。こういう物事のとらえ方があるわけです。
これが、老祖様の善悪正邪の奥の意味であります。これでパート3を終わりたいと思います。(拍手)
