□ 仏教における絶対者
これに対しまして、仏教ではどういうふうになってるかと申しますと、いろいろな菩薩が出てきたり、如来が出てきます。
仏教では、いろんな角度でいろんな仏様が出てますね
大日如来様が中心になりまして、 胎蔵界には四百九の仏様、金剛界にも千四百四十一の仏様がいらっしゃる。
それだけ沢山の仏様がいる中で、大日如来様が全部の中心で、法界の毘盧遮那、法身仏と言われております。大日如来様は光の光明でありまして、ただ黙って宇宙創造の三千大世界を統率しているわけです。
奈良の大仏様というのは毘盧遮那仏です。 毘盧遮那というのは光明輝くという意味でございます。
毘盧遮那というのは光明輝いている。
しかし、奈良の大仏さんは毘盧遮那仏で、黙って座っておられて言語をちっとも発しなかった。毘盧遮那仏で初めて自らお言葉を出されたのが、大日如来です。
黙っておられました奈良の大仏さんが、初めて言葉を語ったのが、大日如来さんなんです。
真言密教では、大日如来様がすべての仏様を形成されている。 すべての仏の根源です。
それでありながら、ベストだというようなゼウス様とか天照大御神様の概念と、天之御中主的な概念というのがミックスされているわけです、真言密教では。
特に、真言密教の『大日経』の概念というのは、閉じてみれば一神、開いてみたら多神、一神即多神です。唯一神即多神。一神即多神という概念を形成いたしました。
しかし、これは真言密教 『大日経』に書いてある概念でありまして、密教の基礎的な概念を応用したものであります。
一神は即多神であり、多神はすなわち働きに応じて凝結すれば一神だけども、八百万の働きがあるという感じですね。
聖徳太子様の場合には、法華経の精神に基づいていました。「この泥海のような国に、素晴らしいみろくの世が出てきますように」ということで、広隆寺に弥勒菩薩をお祭りいたしました。
仏教伝来の五三八年、もうすでに弥勒信仰は日本へ流入しまして、聖徳太子様も勉強していたわけです。
そういう意味で、法華経というものを咀嚼して、太子は日本の国を良くし、理想社会を建設していこうという法華経精神にのっとりまして、十七条憲法とか、あるいは仏教の興隆とか、古典の文献歴史学をするとか、あらゆる面をなさいました。
特に、日蓮上人はそれをよく研究いたしまして、 この法華経の如来寿量品というところで、「本仏」という概念が出てまいります。
宇宙を創造し、すべての仏様を作っているのは、ほかならぬこの本仏であると。これを久遠実成本仏の釈迦牟尼仏とも言います。 久遠実成本仏の釈迦牟尼仏というのは、人間のお釈迦様じゃない。
人間お釈迦様じゃなくて、お釈迦様と合体したところの宇宙創造の絶対神です。この本仏がすべての宇宙の根源、法界を作っている根源です。
法界とは何かと言いますと、この法界の中に北海道が入ってるわけではございません(笑)。
自然界、大自然。法界の中に霊界もあるし、天地自然、宇宙の全てがある。
宇宙よりもっと広い宇宙なんだ。
この法界という概念を説きま して、これを統率する久遠実成本仏の釈迦牟尼仏、この方が本当の本仏なんだと。
要するに毘盧遮那仏との概念とも重複するんでしょうけども、はっきりと宇宙創造の絶対者、宇宙創造の神という概念で作られている説がこれでありまして、このように宇宙創造の久遠実成本仏の釈迦牟尼仏、絶対者という。
この本仏の化身が阿弥陀如来であるし、大日如来であるんだと。
これに対しまして、真言密教では大日如来とお釈迦様について、どういうふうにこれを説いているかと言いますと、お釈迦様は人間のお釈迦様であると同時に、おでこから白光ほわっと出て宇宙三千大世界のことをいろいろ講義なさった。そのときに大日如来様と合体していたんだと。
だから、大日如来様はお釈迦様と合体してはいたけれども、大日如来の位に立ったときのお釈迦様と、 そうじゃないときのお釈迦様なんだと。
そういうふうな形で、真言宗におきましては、大日如来とお釈迦様との関連につきまして、尊いのは大日如来様と一体となっているところのお釈迦様が尊い。
こういうふうに真言宗では言っているわけです。
そのように真言宗では言っているわけなんですけれども、この法華経におきまして、初めて本仏という概念があって、ここからすべての仏様、阿弥陀如来様も、文殊菩薩さんも、普賢菩薩さんも、大日如来様もこれの化身なんだと。本仏があって大日如来なんだと。
この本仏という、宇宙創造の絶対者という概念が初めて仏教の中で出てまいりまして、仏教を見てみますと、これがヤーベの神に相当するものであるわけです。
中国における最高神
それと、あと出ております概念はですね。 道教、儒教の最高神と申しますのは、天の帝、天帝です。 天帝、天の帝様。
この天の帝様っていうのもどちらかと言いますと、ヤーベの神様の概念と似ております。
ほくしん
天帝はどこにいるかというと、北辰、北斗 (北極星)におります。
天の帝、天帝様。この方が宇宙の創造神。
天がすべてのものを作ったと。その天の帝の前に、道というものがあるんだと。
その道というものから、全てが出てくる。 道から、徳というのも出てきている。
「大道廃れて仁義あり」。大道、大いなる道があれば、人間は天地自然と一体となって、何でもうまくいくんだと。
大道というものがないから争い事が起きる。だから、儒教のように、仁だ、義だ、これを大切にしなきゃいけないということをなぜ言うかというと、大道がないからなんだと。
大道があれば無意識の状態であっても、徳と一体となってる。
仁とも義とも一体となっている。これが大事なんだということが、この道という概念で老子が言っていること です。
でも、やっぱり宇宙創造のそういう概念、大道が全ての根源だなんて言いますけれど、それをよく見てみますと、それを統率している天の帝というものが 中心概念にあるようです。
今、お話ししてきたことは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の絶対者、 日本神道の絶対者、仏教で出てきますところの絶対者、全知全能の神、すべての天地自然をお作りになった創造主。
このように、宇宙創造の神という概念は宗教によって異なりますが、どれも一つの方向性を貫いております。
パート1では、こういうふうに、絶対者というものは宗門宗派で大きく分かれている。ということで、パート1を終わりたいと思います。
どうもありがとうございました。