深見東州の土曜神業録24(VOL.3)

NさんとM子ちゃん、結婚までのストーリー

こういう一つの大前提の中におきまして、みすずの過去の歴史があったわけです。一つの雛型ができたわけですね。

これが今、堂々と前に座っておられます、NさんとM子ちゃんの二人です。

この二人の結婚式が先般ありました。当然、Nさんの夫婦ができたら、前からいる人が動揺して、そういう世界に心が行くわけです。行くのはいいんですけど、どこへ戻ったらいいか。その世界に心が向いたときに、こうあるべきなんだという答えを、びしっと持たなきゃいけない。その答えが、まだ皆様、不明確なので、今日、お話しするわけなんです。

Nさん夫婦と申しますのは、結婚式の時にちょっと、あと、お披露目パーティーでも言いましたけれど…。

もともとは、NさんのことをM子ちゃんが好きで来たんです。しかし一緒に生活しておりまして、やっぱりNさんだけは嫌だと(笑)。

男性として尊敬できないし、神業仲間としてもあんまり信頼感が持てないし、優秀かどうか考えた場合、はなはだ疑問と感じざるを得ないと。

いい面も、もちろんある。

そのように冷めて見てたわけです。一方、Nさんも、M子ちゃんだけはもう…。

やっぱりちょっと、女の、岡山県の嫌らしさというのがありまして、 M子ちゃんだけは…という面があったんです。

その間、やはり好みがありましてね。ここだけの話でテープに録ってますけども(笑)。

ともかくまあ、何人かの女の子が神業に来たわけです。それでNさんがある女の子と婚約しようという前日のことです。

Nさんは「僕は神様の道に生きる」と、格好よく手紙を書きました。「僕は恋も捨て、何も捨て、神に生きるんだ」という手紙を、突如として出しました。

その、婚約に行くんだという三十分前に京都で私たちの神業をやりまして、やはり、僕は神の道ですということで、その女性と別れたわけです。

その後、今度は、全く別の女性から連絡がありました。「Nさん、実は前から好きだったんです」と、連絡があったわけなんです。

それだったらということで、植松先生も私も新潟まで行きました。だけども、Nさんを養子に欲しいとか、家をきっちり継いで欲しいと。

その彼女は、神様のことに少し触れましても、やっぱり自分の家と家族が大事なんです。

大体、東北県人ってそうなんですね。家族の結束が固すぎて、公に生きることができない。Nさんは、やっぱり彼女もだめだなと諦めました。

二人の女性に共通してたことは、割ときれいでスタイルもよく、女らしい。つまり、Nさんの好みの顔であった、スタイルであったわけです。

そういうふうに、女性の好みが、その本人の因縁なんです。

色情因縁というのは、ついつい自分が女の子に振り回されて、苦労せざるを得ない。そういう女性を選んでしまう。

一見良さそうなんだけど、浮気ばっかりする男性を、ついつい女性も選んでしまう。

こういうふうに、男性、女性の好みというものが、その人の因縁なんです。

ですから、Nさんにとっては好みの女性でしたが、生きていく精神世界が違うので、うまくいかなかったわけです。

それは、Nさんにとっての神試しでした。もちろん、二度、ダブルで来ましたので、彼も、もう、やけくそでありまして神の道に生きるしかないんだと。

私が日々やけくそのように、彼もやけくそで生きておりました。

しかし、親戚縁者から「もう歳だ」と言われまして。三十歳で、もう髪の毛も、はらりはらりと来まして、ユル・ブリンナー化するのは、もう目前に近い(笑)。

そのあたりの焦りもありまして、彼も焦ってたわけです。

植松先生に男神が懸かって…

一方のM子ちゃんは、ある別な男性に、心密かにドキドキしてました。ところが、植松先生が洋間でお話ししてた時、突如として機嫌が悪くなりました。

そしてその時、男神さんが出てきまして、植松先生の後頭部から「NさんとM子を結婚させよ」と出てきたわけです。

M子ちゃんは「もう結婚なんかどうでもいいわ。神の道、修業が大事なんだ」と思ってました。

だけれども、心の片隅では、葛藤、くすぶりがあったわけです。高校時代のお友達が「M子ちゃんのことを、僕は実は好きだったんだ。でも、君は東京に行ってしまったから、他の人と結婚したんだ」ということ風の噂で聞きまして惜しいことをしたと。

わかりますね、皆さんも、同じ思いを抱くでしょう。惜しいことした。

でも、私は神の道に来たからいいんだと。

だけども、やっぱり風の便りに聞きますと、一人、じめじめとお台所で泣いてた。

私は毎日泣いてますけども、とにかく、そういうことがあったわけです。だけども、神の道に生きるんだと。

突如として、植松先生の後に懸かりました男神さんがそう言いまして。

植松先生はわあーと、全然関係ないことで怒ってるんですけど、僕はわかりましたと受け取って、結婚させようと決めました。

植松先生は、別のことで怒ってるんだけど、私がその神意を受け取りまして、それでNさんに言ったわけです。神様がこういうふうに言ってたよと。

M子ちゃんは毎朝六時に起きて、夜一時、二時まで働いて、五年、六年、一日も変わることなく続いております。

そのM子ちゃんの精神力と神様に向かっていく魂の素晴らしさ。

一生懸命、植松先生のそばで何年もやり続けてきた。

毎日、その気力と生活パターンが五年も六年も続きました。二十歳で来て、二十五まで続いたのかな。

五年間、毎日休むことなく続いたというのは、普通の人間じゃできないことです。

体力、気力、精神力、頭脳、あらゆる面から見まして、一番頼りになる。

それを見ておりまして、自分が生涯、一緒になるんだったらどうなのか。好みの世界じゃなくて、冷静に、一生の伴侶ということを考えた場合、やはり、彼女が一番いいと思いますとNさんが言うわけです。

まあ、四十億の人口、全員を見たわけじゃありませんけど、ご神業に来てる人の中で一番いいなと、彼もそう思いかけてた頃だった。

しかし、僕が言った。五月の連休以降でないと駄目だから、それまでは辛抱しなさいよ。

M子ちゃんが心密かにふわふわと思ってる人がいて、僕は知ってたから、ちょうどその頃までには迷いが覚めるなと思ったんです。

実は、Nさんが素戔嗚尊すさのおのみことの系統の御魂で、M子ちゃんの御魂というのは、

櫛名田姫くしなだひめさんなんです。八重垣神社に行きましたら、顔がそっくりです。

M子ちゃんとNさんの結婚式の時の硬直した顔が、巨勢金岡こせのかなおかの描きましたあの絵にそっくりなんですね。

本当にそっくりです。

御魂の系統が同じで、岡山、熊山から来た御魂です。

熊山というのは、素戔嗚尊様のお墓がある所です。三万年前の都があった所。

素戔嗚尊の櫛と髪の毛が納まってると言われてるらしいんですけど。

そこへ行った直後にM子ちゃんが来たわけです。岡山のご神業に行ったときに、そこの神縁の御魂が来たわけです。

だから、やはり素晴らしい御魂です。

でも、五月過ぎるまで言っちゃだめだよと言いました。それでNさんも「わかりました、わかりました」と言ったんです。

ところが、そのすぐ翌日に言っちゃったわけですね(笑)。

自分は自信を持ってたんでしょう。彼には幾多の女性が来ましたので、自信満々でアプローチしたんですけども失敗しました。

翌日、M子ちゃんが「深見先生」「どうしたの」「昨日、Nさんからこういうこと言われまして、私、ちゃんとお断りしましたので」って、にこにこって笑ってるんです。

ああ、ばかな(笑)。

はあ、「ああ、そう」と言って、私も返す言葉がなく…。

Nさんは、また明るい顔で「やっぱり僕も諦めます」って。でも、やっぱり神様がそうせいって言ったのにな。だから、五月まで焦っちゃだめだと言ってるのにね。

ところがまあ、M子ちゃんにはほのぼのと思ってる人がいたんですけど、その人の欠点というか、自分の伴侶ということをふと考えて…神様が動かれたんでしょう。

突然、何かの拍子でぱっと自覚しました。私は呼ばれまして「深見先生」「何?」「やっぱり、私、結婚します。一番いいと思います」と言って、M子ちゃんが後から思ったわけです。

想い三年、恋五年の後、五十年一緒の生活が続く現実を見る

ですから、恋しい恋しい、素晴らしい人と衝撃の出会いがあって、ドキドキはらはらしながら交際期間があって、ハッピーエンド。

ハトがパタパタと飛んでいってキャンドルサービス、ルンルンルン。こんな結婚のオーソドックスなプロセスを考えてる人には、到底考えられないことなんでしょうけども、M子ちゃんは自分の理想像よりも、神様にお任せだと思ったわけです。それで、はっと感じる所があって、冷静に、自分の神人合一の道、ご神業を考えた。

自分に一番合ってる所、自分が一番やりたいことができて、人も悪くない。

郷里も同じだし、両親も喜んでるし、どう考えてもいいなと。

そもそも、風土が近いということは、いいことなんです。

その詳しいことは、私の「恋の守護霊」に書いてありますけども、同じような所でとれた人というのは(笑)、産土の神様が近いので共通項があります。

それから、同じような家の格と言うか、生活パターン。サラリーマンだったらサラリーマン、実業の人だったら実業、自営業だったら自営業というほうが、お互いに理解できます。

自営業の家にサラリーマンが来たら、どうも理解できない。サラリーマンの所に自営業が来ても、なかなか理解できない。

どちらも難しいわけです。

似たようなおうちのほうが、パターンが似てますので理解しやすいんです。私、本にも書きました。

想い三年、恋五年、合わせて八年以上は続かないと。

どんなに想い続けても、三年が限度だと。

恋しい恋しいと思いましても、五年以上は続きません。

計八年以上は、一人の人を想い続けるのは、まず無理なんです。

今なんか、想い三ヶ月、恋五ヵ月、合わせて八ヵ月はもたないという時代でありまして。

ですから、八年以上もつのは奇跡なんで小説になるわけです(笑)。

皆さんの近く、あるいは経験でも、一人の女性を三年以上想い続けて、五年以上恋し続けた人がいるでしょうか。

自分の経験、友達の中で、ほとんどいない。

昔から言われてる想い三年、恋五年というのは、うまく言ったもんだなと思います。

じゃあ、八年過ぎれば、どうなるのか。

やはり生活と生活、その人の考え方と考え方、生まれ育った環境と風習、価値観。

これがぶつかり合うんです。

もうこのあたりは、植松先生、Fさん、ベテランが揃っておりますので、詳しいことはお聞き下さればわかりますけども。

人生観と生きている世界が夫婦で違うということが、一番悲しいことです。

大体、結婚と言いますと、結婚式に象徴されます。結婚式の中でも、お色直しの後、ドレスの後のキャンドルサービスの十分間に、ほとんどの女性のイメージは集約される感じであります。

結婚というのは、ホテル、あるいは日本閣とか玉姫殿でも結構ですけども、そういう瞬間に心を燃やすわけです。

しかし、その後、どうなるのか。

その後が大事なんであります。

結局、三十歳で遅れながら結婚しても八十歳まで、平均寿命生きたとしても、五十年一緒ですから、五十年続くかどうか。これを見ていかなければ、失敗しますね。

まあ、二度、三度してもいいわけなんですけど。

この神業のメンバーの中には一回ぐらいはどうってことないという人もおりますし、三回ぐらいの人もいます。

だけども、やっぱり結婚はしてみたら、何だ、結婚生活の現実と現実がありまして、若い頃、憧れてたほどのものでもない。

ぶつかり合いとぶつかり合いの中を、いかに忍耐していくのかと。

一つの志を貫こうと思えば、なかなか、Yさんもそのあたり苦労しました。

結婚してることが手枷足枷てかせあしかせで「お気の毒ですね」という目で見られた時期、ありましたね(笑)。

萩原さんなんかも、ご神業に来たい時に奥さんがいることがお気の毒ですねという目で見られました。

その時は、独身は堂々としておりました。

今はちょっと逆転しているようでありまして、独身、お気の毒ですね。奥さんも大体落ち着きましたので、神業の手枷足枷にはならなくなっております。

そういうふうに長続きして五十年やっていく場合、ぶつかり合いとぶつかり合いになったら、恋なんて八年以上続くはずないです。

乙女時代に抱いた感じと、結婚生活というのは、全然違うわけです。

そう考えた場合、想い三年、恋五年の八年以降、人間と人間の生きている様を考えますと、やはり、内面世界が大事です。

ご神業が価値あるものだという生き方。物質よりも魂、魂もより高度なもの、神様の世界に活動時間をなるべく使いたい。

しかし、そう思いましても、夫は夫で「妻たるものはこうすべきだ」と。

それから、妻は「夫はこうすべきだ」と。そういう中で、Yさんや萩原さんも当初苦しみ、今なお苦しんでるのはFさんでありますし、植松先生であります。

一番いい状態は、梅村先生ご夫婦ですね。

それと、Nさん夫婦もそうです。お互い神業に理解がありますので「明日神業行きます」「あ、どうぞ、行っていらっしゃい」。

温かく送り出してくれるというわけです。

この五十年、長く生きてですよ。六十歳まで生きるとしたら、あと三十年。これをどれだけの時間、神人合一の道と自分の人生の時間に使えるのか。

冷静に物事を考えた場合、これは非常なハンディキャップですし、不満足な中で人生を送らなきゃいけない。

Fさんの嘆きを、皆さんは耳にすることもあるでしょうけれども、ほんとに主人に理解があって、ご神業に来れたらどんなにいいだろうかと。

Fさんは四十数歳になりまして、ああ、これが若かったらな。ああ、神業に理解ある夫だったらなと。

何とか息子、娘を引っ張り込もうと思って、陣営を塗り替えようという、涙ぐましい努力が続いてるわけです。

こういう現実に触れまして、自分の結婚を考えた場合、好きな人と好きな人が一緒になって結ばれるのが、決して幸せとは限らない。

自分の好みの女性、好みの男性というのは、その人の家代々の、あるいは本人の性癖と申しますか、憑いてるものと言いますか(笑)、ご先祖からの伝統です。

だから、どうしても家族の人は同じような傾向があります。

お母さんの像を求めたり、お父さんの像を求めたりします。

あるいはホロスコープの影響もあって、ほっそりタイプの人が好きだとか、スポーティーな人が好きだとか、セクシーな人が好きだとか。

金星やお月様がホロスコープのどこにいるかによって、男女の好みも分かれるようですね。

これが因縁です。

すから、自分の好み通りの人と結婚した場合は、やはり自分の因縁通りに行くわけなんであります。

その因縁が素晴らしき因縁、みんな幸せな結婚をしてるという家庭でしたら、好み通りの人が幸せになる人とイコールの場合が多い。

逆に、夫婦がごちゃごちゃしたり、なかなか縁談が調わなかったり、お父さんとお母さんがいつも葛藤してる家の人は、好みで選んだら、自分も自然にそういう相手を選ぶんです。

自然な感情の赴くままに行くと、そうなるんです。

ですから、親戚縁者や親兄弟を見て、あまり結婚運が良くない人は、自分の意志の力、心の力で、その因縁に引っぱられないようにする。

自らの因縁に騙されないで、本当に自分を幸せにして神人合一の道とか、自分がやりたいという魂の道、やりたいという人生の時間の使い方。

これに一番ふさわしい人を選んでいく、覚めた目が要るんじゃないか。こう考えざるを得ないわけです。

その点、Nさんのカップルは、そういう中で来まして、いわば神様がしたお見合いのようなものですね。

幸せになる結婚の三大条件

今度の「恋の守護霊」には書いておりませんけれども、いつも言いますように、女性は二十七歳までは攻撃の歳です。

そして、二十七歳以降は防御の歳です。

二十七歳まではある程度、こういう人がいい、ああいう人がいいという、理想像を追いかけてもいいでしょう。

それが因縁通り行って不幸になっても、二、三年で別れてもいい。

まあ、ある程度好みがありましても、お花が旬ですので。

まあ、サンマでもハマチでも、ボラでもイワシでも、シーズンの時っておいしいですね(笑)。

ですから、若いというだけで顔の形が少々あれでも、つやつやして若いというだけで、とれとれの良さがありますので二十七歳までは好みをある程度、言っていい歳だと思います。

それで、いい人がいればいいと思いますね。

ところが、二十七歳を過ぎたら、防御の歳になる。

防御の歳とはいかなることかと言いますと、嫌いでなかったら結婚する。

好きだから結婚するんじゃないんです。嫌いでないから結婚するんです。

もちろん、嫌いでなければ、誰とでも結婚するというわけじゃなくて、相手がぜひして下さいという人です。

二十七歳過ぎて、相手が結婚したいという人がいて、自分も嫌いでなかったら、結婚すべきだ。これが防御の歳だという意味です。

そうでなければ、二十七歳以降で結婚するのはなかなか難しい。

あれよあれよで二十九歳です。あれよあれよで三十代。三十過ぎたら、もうやけくそで、ずるずるっと行きます。

三十四歳になったらほぼ絶望的で、三十七、八。もう、再婚の人を狙うかどうするか。断崖絶壁に立たされた日々で、もう私はいいんだというのが四十歳。

一人、独身の生活で聖職者になろうかしらなんて思う頃ですね。

ですから、二十七歳過ぎてる人は好みというよりも、相手が「ああ、ぜひ」という形で、嫌いでなかったら結婚する。

特に、自分の好きな結婚じゃなく、幸せになる結婚ということを考えました場合に、私は三つの条件を挙げております。

一つは、その人の家の因縁が離婚をしたり、家がガタガタして別居したり、そういうことがないおうち。

親戚縁者を見ましても、絶えず二号、三号を置いてる人なんかいない。

それは、結婚運のいいおうちなんです。

結婚運のいいおうち。そういう因縁です。

ですから、自分も結婚したら先祖の守りがあって、幸せな結婚ができる。

それから一つの物事を十年続けてる人。

仕事を十年ずっとやり続けている。

若い人、二十代の人で結婚する人は、十年もお勤めしてませんけれども、子供のころから十年、特技か趣味を続けてる人。

これはもう嫌だなと思ったり、飽きたなと思ったり、あっちしたい、こっちしたいという誘惑がありましても、何とか克服して十年続けるというのは、自分が飽きたと思ってもやっぱり継続してるという、継続力があるわけです。

こういう人は、奥さんに飽きたなと思いましても、すぐあっちの女、こっちの女に行きません。

まあ、十年続けてる人でも、そうなる人もいますけども音楽家でなければ大丈夫だと思います。

とにかく、十年、趣味なり、特技なりを継続して続けてる人は物事を続かせる力がありますので、飽きたからといって、すぐに女性をあっちこっちしません。

少なくとも最低限は、粘れるわけであります。

三番目は、性格がすごく明るいということです。性格が明るい男性は、霊層が高いし、いい運気を持ってます。

先祖の因縁も軽い。大体、悩んで苦しんで、執着深く、不幸のどん底で、性格が明るいっていう人はあんまりいません。

やっぱり、明るい人は軽いし、楽天的ですし、霊層も高いし、守護霊の働きもいい。ですから、明るい性質の男性が、何よりもいい因縁を持ってる人です。

このように、明るくって、十年続けてて、家族を見ても悪い結婚運じゃないという、三大条件が満たされておりましたら、ほんとに喜んで結婚すべきです。

もちろん、一緒にいると虫唾が走る人は別です。虫唾が走って、見るのも耐えられないなんていう人は、いくら運がよくても、あれでしょうけれども……。

でも、虫唾が走るというのは、霊障の場合もあります。よっぽど顔の形がちょっととか、鼻が上についてるとかでない限りは、相手がぜひと言えば、結婚すべきです。

せっかく、幸せになる結婚運がやって来てるのに自分の好みを追いかけてる人がいます。それは霊障です。

その人の中にある霊障。

それで、幸福になる結婚が逃げていくわけです。二十七歳過ぎたら、そういう結婚観を持たざるを得ない。持つべきだと私はいろいろ見てて思うわけです。

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