パート2 信じきる力が 「神通力」の元。日蓮に学ぶ
大死一番、精神性で超えてこそ、現実界の行き詰まりを打破できる
【深見先生】 それではパート2のお話を始めます。
パート1では、人間の進歩というものは、「情熱力」を以ってどこまでも、どこまでも、三倍化、四倍化 していく。荒魂、つまり表れ出る御魂が大きくなって、人間の能力は伸びていく。
そして、たくさんのやるべき事があれば、どれを選択するかで悩むのではなく、どうすればすべてをやりこなす自分になれるのか、という方向に持っていくよう発想を変えてみる。そのようなお話をいたしました。
そこでパート2では、「神通力」という言葉を使ってお話したいと思います。 まさにAさんという人がいらっしゃいまして、今、私のラジオ番組の制作でお世話になっている人です。
その人は、 五反田かどこかにある、ナントカ神霊ナントカ協会というところにも関係している人であります。例えば、本や電話帳をビーッと手で破ったり、また一番よくやるのは、割り箸を名刺でスパッと割るらしいです。
皆さん、割り箸って名刺ではなかなか割れないですよ。だけれども、そこの協会でレッスンを受けますと、誰でも割り箸を名刺で切ることができるようになる (一同笑い)。
「すごい!」と、みんな驚くらしいですね。ところが実際にそれを習うと、上級にいくほど料金も高くなって、何十万円だそうです。よくあるコンサルタント会社の企業研修なんていうのも、やはり何十万円ですね。
だいたいその神霊協会で、その力を習得した人は、宴会の余興でそれを使うらしい (一同笑い)。
まぁ、日本の国のために役立つとか、人類の平和に役立つとかではないし、神の道なんていうのにも、あまり関係がない。せいぜい宴会ネタが増えるという、そういうことで習う人が多いらしいです。
しかしですね、これ考えてみると、割り箸を名刺で割るって、なかなか素晴らしいことですよね。親指で折るのも大変ですが、名刺の新しい応用の仕方ですね。 営業で会社訪問した時には名刺を置いてくるわけですが、新しい名刺の使い方が、ここまで明かされたわけです (笑い)。
それはさておき、なぜ名刺で割り箸が割れるのか。皆さんどう思いますか?
不思議だと思いませんか? いっそ今日、家に帰ったらやってみますかね。漆を塗った割り箸では高価で怖いですけれど(一同笑い)。
それは、聞くところによりますと、とにかく結果を信じて、もう割り箸が割れたというシーンを思い浮かべまして、「割り箸はすでに割れている。 割り箸 はすでに割れている・・・・・・」と念ずるというのです。
「すでにお前は死んでいる」 というセリフが「少年ジャンプ」にありましたけれど、とにかく、そういうふうに「割り箸はすでに割れているんだ」と信じて、割れたシーンを思い浮かべて、 そしてエイッと切ると、パッと割れるというのです。
これはまさに、「神通力」というものの一番よい譬えじゃないかと思います。そうやって宴会で、いいネタが披露できるわけですよ。
どうですか? これを聞いて、皆さんはどう考えますか? 「ほう、なるほど」あるいは「そんなことできるのかな」なんて思ったりもしますけれど、 これは、聞いて聞き流してしまえば「そういうもんか」と思うだけです。
しかし実際はたいへんに、神霊界の、例えば「神通力」 とか、 神様が一つの限界をパッとクリアするとか、そういった事に通じる事例、お話と言っていいと、私は思いますね。
だいたい、パート1で言いました「情熱力」というもののない人とか、肝っ玉の小さい人とか、つまり「ああだろうかな、こうだろうかな」「ああじゃな いかな、こうじゃないかな」なんて、ウジウジと思い切りのよくない人もたく さんいるわけです。
柔道の国際試合を見れば分かりますよ。 「投げられやしないか、投げられやしないか」と尻込みしている選手がいます。オリンピックの 試合を見ていてもそうでした。 黒人の柔道の選手っていうのは、だいたい思い切りがないです。
山下泰裕選手や斉藤仁選手は、見ていても堂々としていますよ。 とくに山下選手なんかは泰然としていますね。 柔道はとにかく挑戦だということですね。
ところが外国の黒人選手などは、斉藤選手が組んでいった時に、すでにもう技をなるべく掛けられないように、掛けられないようにと、後ずさりの体勢をしている(一同笑い)。
そうすれば確かに、もちろん掛けられませんけれど、 自分も技を掛けることができないですよね。だからもう、その黒人選手は、あれじゃ絶対に勝てないですよ。
おそらく山下選手は相手をパッと見た瞬間、もうすでに投げていると信じて、 パッとやるのでしょうね。
「アッ」と気がついた時にはもう見事に投げています。 ですから山下選手は全部、一本勝ちです。 優勢勝ちとか、優勢負けなんて、ああいうケチなやり方はしないです。
この柔道の例でも分かるように、例えば一つのことで限界にぶつかったとき、「こうやって怯んだのかなぁ」「失敗したとこもあるしなぁ」「ああだな、こうだな」などと躊躇し逡巡している人は、結局、限界を超えることは、絶対にできません。
以前に「大死一番」というお話をいたしましたけれど、ここ一番という時には、「大いに死した」という気持ちで行ってこそ、障害から脱却できるんです。
何事も同じでございまして、思い切りのよくない人、 肝っ玉の小さい人というのは、なかなか除霊もできないのです。 除霊を経験した人は、 最初のとき、いかがでしたか?
七澤さんは、「ほんとに除霊ができて霊が救済されると感激でしょうねぇ」 なんて言いながら、ハラハラ、ドキドキ、必死でしたよね。躊躇し逡巡して、 なにしろ全然やったことがない限界ですから、そりゃあ、その時はハラハラ、 ドキドキしますよ。最初にやる時は大変です。
けれどもしかし、何度か講義を聞いて「深見先生も、やっているから」「こうすれば必ず、あれで病気も改善 されたのだから」「「あれ、やればできるから」と言っておられるから」と思って、覚悟を決めて、「できるに違いない!」と信じて、「ふるべゆらゆら…」 なんてやってみるわけですよね。
吉川さんも、「へぇへぇへぇ、除霊できたら、ええ、ええ、ええ、いいでしょうね。えへっ、えへっ、えへっ」なんて言っていたのですが、いざ「では、 今から行ってきます」なんて時には、もう顔が引きつっていた(一同笑い)。
しかし、やはり方程式通りにピシッとやりますと、「あ、とれてますね」「ああ、 「そうですか」と。
一瞬、それを聞いた時には、ごく平凡な顔をしていて何事もなかったような顔なのですが、時間が経つにつれ、顔がもう喜びに満ちているのですね(一同笑い)。
初めて除霊できた人って、そのようなものですよ。 初めてのことで、一つの限界を超すのはハラハラ、ドキドキするのですけれど 「あれで除霊ができて取れているに違いない」と、「こうすれば救われているんだ」と、まずは信じるしかないわけです。
そうは言っても、そう信じてやっている人でも、取り残しをした人も多いですけどね(一同笑い)。
とにかく最低限、それだけのこの精神力というか、「これ、できるんだ」と いう信じる気持ちで除霊をやらなかったら、絶対に神通力なんて出ないわけです。
結果を信じて、「きっとそうなる。 きっとできる。そう信じたら、できる」というように心を固めてこそ、霊的な想念の世界では限界をクリアしているのです。
そうやって霊的なものをクリアできると、現実的な限界や課題については、「あっ、クリアできた」というような事実が、やがて後から起きてくるのです。ですから、現実界の行き詰まりを越えるには、まず精神的に常に乗り越えてなきゃダメなのですよ。
肝の小さい人、思い切りの良くない人、現実界の物事だけを見て「ああでもない、こうでもない」と、ぐずぐず考えている人というのは、スパッとした思い切りのない人です。
思い切りのない人というのは、柔道をやっても腰が引いている感じです。一方、山下選手などは、技が思い切りいいわけです。
これはどんなことでも、スポーツでも武術でも当てはまることです。思い切りのよくない人というのは、例えばボクシングでパンチを入れるにしても、思い切ってスポーっと入っていかない。
そういうふうに、絶えず目に見えない霊界というか、想念の世界では、「限界を越したんだ」「きっとやれるんだ、やれるんだ」と、そう信じて、自分を前向きに、前向きにと持っていかなかったなら、絶対に現実界の限界は越せません。
特に霊的な進歩とか、神人合一の道とかということを学んでいる人は、 客観的かつ常識的な世界から見て「どうなんだろうか、どうなんだろうか」なんてやっていたら、絶対に越せないです。
だいたい守護霊の差し替えなんかでも、人類の歴史において、これほどたくさんの人が死んでいるのですから、霊界にはかなり優秀な人もいるのではないかと思っていい。
私たちは「社会のために役立とう」「神業のために役立とう」 という気持ちでやっているのですよ。私たちがそうであれば、霊界には、自分だけで楽しんでいないで、しっかり私たちを守ってくれる守護霊もかなり多いはずなのです。
「私たちも頑張っているのだから、何人かの優秀な霊が霊界から来てくれてもいいじゃないか」と、こういう発想でいいわけですよね。
「そうでなきゃならないはずだ」「よし、やろう」「もうできた」 「やれる」と思い込んでみる。そう信じる。五分前までは、どうやっていいか分からない。
三分前になってもどうやっていいか分からない。 二分前、一分前まで分からないけれども、「きっとできるはずだ」と信じておれば、三十秒前ぐらいになると、パッとやり方が分かるものなのです。
そうしてスーツを被りまして、やっている間に良い守護霊を連れてきまして、守護霊の差し替えが成功するわけですね。
「確かに守護霊、差し替えしたっ!」と、そういう結果になるのです。 最近は、遺伝子の組み換えとか、それから人工授精とか、そういうことも科学でできる時代なのだから、「神霊世界でも、優れた技ができているんじゃないか。うん、きっとできるはずだ」と信じるのです。
だいたい四柱推命なんていうものがありますが、たまたま生まれた時のバランスによって、何で人生が全部決まらなきゃいけないんだと思いますよね。「地球のために生きよう、 神業のために生きよう」という人ではありますが、 たまたま運が悪かっただけなのです。 そんな運は、差し替えてしまえばいいのです。
大天中殺の中にわずか二十人が入っていたから言うだけであって(一同笑い)、そのほかの多くの皆さんが、その人の悪運のために引っ張られてしまう。
運勢が悪い人が神業に加わったために、ほかのほとんどの皆は運が良いのだけれど、その悪運の人の担当するところだけ星の運が悪いから、皆が足を引っ張られる。
「そういう状態では、まさに神様に申し訳ないではないか」という発想で、星の運は変えるべきだと考えてしまえばいいのです。
星さえ変わればいい。いや、変える以外にないではないか。そう信じてみたら、やはり星を変え 秘法がちゃんとあって、神様がちゃんと教えて下さったわけです。
たまたま十干十二支のバランスで、体格が太かったり細かったり、婚期が 早かったり遅かったり、湿疹ができやすかったり、そうでなかったり……。
そんなことで体質が決まっちゃうのだとすれば、こんな十干十二支なんか自由自 在に変えていいじゃないか、ということです。今やコンピューターなどは、フロッピーをピュッと差し変えるだけで新しい作動をする時代なのですから、できないことはない。
そういう発想で 「十干十二支を変えちゃおう」と思ってやりましたら、ちゃんと十干十二支を変える神様がやって来まして、「こうやって変えるんだ」と教えてくださった。
この十干十二支をバラバラに組み替えて、一番いいほうへ、パッとセットする。 すると、もう体質も変わってしまうというわけです。こういう“十干十二支自由に入れ替え秘法〟というものを、私は神様から教えていただいたのです。
ですから、「やりましょう」という時には、まさに「もうできた」と信じてやれるのです。
「こうでなければ良くならないはずだ」と信じて、善なる気持ちでやったものは、パッと好結果にいくのですよ。限界の一つを越すのも、 三つ越すのも、五つ越すのも、それほど労力は変わらないのです。
そういう大きな場面や転機がやってきたり、とんでもない状況がくればくるほど、「やれるんだ!」という気持ちで前向きになる。
そして自分自身、やっぱり神様を信じて、神様は全知全能だと信じて、「善なる心でやれば、きっと叶えて下さるんだ」と信じて、私心をなくして当たっていく。
すると、見事に、きっとやれるものです。これ、素晴らしいことですよ。人も良く、我も良く、みんなが良かれという事は、きっとできるのですね。
「どうぞ、してくださいませ、神様」と、どこまでも、どこまでも神様を信じてやっていくときには、必ずその力が湧き出てきます。
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深見東州の土曜神業録25(VOL.3)
