深見東州の土曜神業録3(Vol.2)

【第一章】只今に生きる(昭和59年7月14日)

【深見先生】本日は「只今に生きる」というテーマでお話ししたいと思います。

えー、いろんな角度から、このことは言えるんですけれども、まず第一に日本の神道ですね。神道の教えというものは、一言でいいますと、「中今の思想」神道の教えっていうのはいろいろな角度から言えるんですが、ひとつの重要なところと申しますと、中今。今の中に生きている思想。

今の中に一生懸命生きていくということは、例えば神社を見ておりましてもわかるんですけれども、誰がお参りしても、あそこは自由ですね。「この氏子さん以外にお参りしてもらっては困ります」というふうな神社はありません。

で、神社によりましては、講がありますね。例えば、四国でございますと金比羅さん。金比羅講という、金比羅神社を崇敬する人たちが作っている会ですね。戎様ですと、西宮の戎様は戎講。

あるいは若人の集まり場所は若戎会なんていいまして、いろいろ、そういう講があるわけです。富士山をお参りする人は富士講ですね。そういう講があるんですけれども、それは拘束されない。

誰がお参りしても自由だし、その地域の人以外の人でもいいわけで、信者さんとか、そういうようなものはないわけですね。

そして、いろんな宗門宗派ありますけれども、神社は基本的にいいますと、教理というものがないと。こういう教えに従わなければだめだということはない。困った時の神だのみでいいと。来て、お賽銭あげて、何とかお願いしますと。

それから月参りと申しまして、一日、十五日ですね。一日、十五日と日にちを決めまして毎月お参りしている人がいます。毎月毎月お参りしてもいい。

なんか困ったときに、神だのみだっていう形で来て、ご祈願してもいい。来ても来なくても、守っていてくれる。来たら来た分だけ、プラスがあります。そういう大らかな思想でございまして。

ですから昔ですと、神仏習合の頃なんかは、神社の前で般若心経をあげたり、神社の前で法華経をあげてる。

今でもいますよ、時々ね。氷川様に私が行った時に、一生懸命ご祈願して、何を拝んでるかっていうと「南無妙法蓮華経」、氷川様に法華経をあげている人がいるんですね。

それでも、「私どもは神道でございますので、ご神前で法華経をあげるのだけはご勘弁願います」と言う人はいないです。法華経をあげる人はあげてますよ。般若心経をあげたり、ま、水子供養なんかする人はいませんけれども…。

とにかく、非常に今の中にいて、今悩んでいる人たちが、とにかく生活が幸せならいいと。非常に生活に密着しております。特に、鎮守様のお祭りといいますと、春、それから秋ですか。

お田植え祭りとかいいまして、稲、食べ物ですね。お田植えをする時にどうぞ稲がたくさんできますようにと。そういうふうにお祭りします。秋のお祭りは、非常に収穫があったと。これも氏神様のおかげ、産土様のおかげで食べ物ができましたと。ありがとうございましたということで、よかったなと。

そういうふうに、常に只今只今が良かったらいいと。只今只今が良かったらいいんだという、神道の思想ですね。

こういうふうな日本の神道の、まあ基本的な思想があるんですけれども。その神道に、日本の歴史を見てみましても、いろいろな・・・、中国とか、インドとか、ペルシャとかいろんな教えが、日本の、そういうふうな土着にあります思想に入ってきたわけですね。

最もその中で近いのは、えー、浄土宗、あるいは浄土真宗でも結構です、と、禅宗。特にその禅宗でも、臨済禅師。

ここのご神業でも臨済禅師がいらっしゃいまして、白隠さん臨済さんよくいらっしゃいますけれども、こないだ西谷さんとも問答いたしまして・・・。

脳の中にいろいろ付着している観念というのがありまして、まず観念がありますと、いろいろな、あーだあーだこうだ、こうすべきだああすべきだっていいますと。今の中にベストな、今日最高に幸せに生きていくベストなあり方というのが神道なんですけども。

「今日ベストを尽くそう」なんてよく言いますけどね。なんかいろんな苦労をして、最終的に私はそういうふうに生きようと思って、決心したという人いますけど、本来日本人の性質はそうでして。

この「只今に生きる」というのは非常に短くて、短いがゆえにいろんな意味を含んでおりますので、ひとつのここの私たち、植松先生から出てきた、出てきたっていう言い方は変ですけども、子供を生むわけじゃありませんので(笑)、しかし、いろんな教えを、まあポイントですね。

臨済宗にしましても、浄土真宗にしましてもやはり、この一言の中に、すべてのエッセンスが含んでいるんじゃないかと。

臨済禅師というのは非常に、あのー、怖い禅師でございまして、まあこの黄檗禅師のお弟子さんが臨済禅師。その臨済さんが言っておりますことは、いわゆる臨済宗というやつですね。えー、常に言っておりますことは・・・。

(板書「赤肉団上しゃくにくだんじょう一無位いちむい真人しんにんあり。常に汝ら諸人の面門より出入す。いまだ証拠せざる者は看よ看よ」)。

このように言いまして、臨済禅師は、赤肉団上に・・・・・・赤肉団上というのは例えば、西谷さんの赤いお肉ですね。

人間の肉体です。赤肉団上。要するに赤い肉体の固まりの上に、一無位の真人があるんだと。一無位といいますと、例えば、ベースを弾いている何々さん、それからドラムを叩いている何々さん、易者の西谷さん、男性の何歳の何々さんというふうな、そういう位がありませんと。

位っていうのは別にね、何々大臣とか、政治家だという意味じゃなくて、ひとつの身分とか、位とか、客観的にその人を区別するようなものですね。そういうものがないと。

男とか女とか、易者さんとかベースギターを弾いているとか、お役人だとか、そういうのはないと。そういうもの以前の一無位の真人。本当のわたくしがありますと。

これは以前、ちょっとお話ししましたけど、有名な六祖慧能禅師は、「自己本来の面目」ですね。自分じゃないところの自分だと。自分じゃない自分。本当の自分。要するに無意識の、潜在意識の、手相に現れ出ようとしているところの(笑)、本質的な自分ですね。

これ臨済禅師は一無位の真人といった。「赤肉団上」、肉体の上に、肉体の中に、「一無位の」、位がない本当の真人がいる。みなさんの、お前たちの顔の前から、ここから出たり入ったり出たり入ったりしているんだよ。「汝らの面門より出入す」と。

「いまだ証拠せざる者」、はっきりとそれを見て、体得していないものがいたら、それを見よ見よ見よと、常に。臨済禅師はこういう有名な言葉が『臨済録』に出ております。

と言うと、そして、前にも言いましたように、例えばT君。君は・・・。例えば臨済さんが、「T君、君は、人間の本質的な生き方についてどう思うか」

「例えば、ベースギターを弾いているときにはこういうふうで…」「そうじゃない!今、只今に、只今だ」「本質的な…..」

「理屈じゃない、只今だ!」「それから…………」「只今だ!」

全くその、音楽もそうですね。時々刻々にひらめいて出てくるもんで、考えて出してるもんじゃないんだと。これはもう刻々に動いているんだと。

例えば、それで臨済禅師は常に、何かを問答しますと、いつもこれを追いつめるんです。

(板書「即今目前聴法底人そつこんもくぜんちょうほうていじん」)

即今目前聴法底人。即今、即今だと。目の前だと。私の目の前にいるT君。法を聴く、私が、法を聴いている底。あなた、あなた、そのあなたというのは、一無位の真人のそれのそれの、それだと。

それが音楽を弾こうかなという気持ちになったり、音楽を弾いていても無意識のうちにパッと弾いちゃう。アッ、知らない間にいい曲を弾いてたなと。

思わず何かをしてしまうという、この一無位の真人というものは、刻々に生きているわけです。

例えばご飯を食べている。アッ、今塩辛が喉に入ったと。アッ、今胃の中に入ったなと。よし…って、こうやりながら消化する人はいないです。

自然のうちにご飯を食べたら、自然のうちに胃が動きまして、自然のうちに腸へいきまして・・・、それ以降は説明しませんけれども、無意識のうちにしている、一無位の真人があるわけですね。

それは只今只今に生きているわけでして、刻々に生きているんだと。常に、臨済禅師はここを言ってるわけです。過去じゃない。それを禅宗では、迎えず送らずと。

将来ああなるんじゃないか、こうなるんじゃないかと、あまり先々のことを自分の方から念で迎えちゃいけない。ああ、過去はああだった、こうだったな。昔のことを振り向いちゃいけません。送らずと。想念を送らない。只今只今に生きるんだと。

その只今只今も、まあ今日精一杯頑張ればいいやっていうんじゃなくて、もっと本質的な、一念が出てくる前。一念の出ずる前です。何かしようかなという出てくる前の存在ですね。これがすべてなんだと。これが真髄なんだと。ということを臨済禅師は言っております。

これを、前にも説明しましたけれど、只今に生きる。禅宗の一番言わんとしているところでして。まあ逆また真なりなんですけども、只今に生きるの逆はですね、(板書の音)「とらわれない」。

何事にもとらわれない。ですから、過去にもとらわれないし、将来にもとらわれないし、只今只今にあることを精一杯やっていく。

これも、いろんな角度からこれは説明できるんですけども、例えば、過去の自分がこうだったから、ということがございますけども、とらわれない。

過去の自分にとらわれない。只今只今を生きていこうと思うんだったら、昔はああだった、私はああだった、将来のことはああだったああだったというふうなこと、過去の経験とか、未来の憶測とかっていうことにとらわれますと、この只今只今に生きることはできない。

これに関しまして、ひとつの有名なお話がございます。

あんまりお固いお話ばかりではあれなんで、お話をもう少し……………。皆さんよくご存じのように、鎌倉時代―お話は鎌倉時代なんですけれども、鎌倉時代に北条執権時宗。第八代ですね。

その北条時宗の時に、蒙古来襲がございました。蒙古来襲の時に北条時宗がいなかったら、この日本の国は、蒙古民族の支配を受けていたんじゃないかと。

と申しますのは、神風が吹いたんですけれども、何度も何度も蒙古の使者が来ました時に、日本の鎌倉幕府は挑戦したわけです。戦いまして、何度も何度も来て、最高の彼らなりの努力をして、最後に神風が吹いて助かったんですね。

で、日本の歴史上、北条時宗は、鉄の肝っ玉だと。鉄の肝っ玉というふうに言われておりました。と申しますのは、蒙古が日本に攻めてまいりまして、フビライ・ハンの時代ですね。

蒙古の使者がまいりました。北条時宗よ、降伏しなさいと。

蒙古軍はですね、元の軍隊はどうかといいますと、こういう長い槍なんですね。こういう大きな長い槍でブスッと突くもんですから、日本人の槍とずいぶんこの、長さが違うと。

もっと大きな違いを言いますと、大砲をもっていたわけです。大砲。ドーンという大砲です。当時の日本の戦はどういうふうな戦かといいますと、馬に乗りまして、「やあやあ、遠からんものは音にも聞け、近くば寄って目にも見よ」と、こういうやり方ですね。「我こそは、鎌倉の武士なにがしがなにがしか・・・」と名乗りをあげるんですよね。

蒙古軍にもそういうふうにやった。最初。「やあやあ、遠からんものは音にも聞け……」。ドーン。一発爆弾を飛ばされまして、吹っ飛んだしだいでございます。

集団戦法を使いまして、長い槍とか、ジャンジャンジャンジャン大きなドラを叩きましてですね、馬に乗りまして、大砲をボンボンやるわけです。

火薬を発明してましたから、当時の鎌倉武士は驚いたわけです。狼狽しまして、どうしようと。博多のあたりまで来たんですけれども、蒙古の使者がまいりました。みんなおどおどおどおどして、日本はどうなるんだと。

で、北条時宗に降伏を迫りました。北条時宗は、ああそうかと。わかったと。すぐさま返事をなされという形で、向こうの使者が来たんですけども。

即刻その場で、スパーンと首を切っちゃうんですね。これが返事だと、送り返したと。ハーッとみんな驚くわけ。すごい肝っ玉、でかいですね。

また使者が来るわけです。もうやられる一方ですね。また使者が、「降伏しなさい。返事をききたい」「返事か、わかった」

スパッ。また首を切るわけです。何度来てもためらうことなく、すぐに首を切って使者を返した。絶対に負けてはならないと。

鎌倉の武士たちというものを叱咤しまして、海岸べりを完璧に防御したわけですね。海にあがってきたらダメだから。水際作戦をとろうと。

一旦上がってきたらもう大砲にやられちゃうから。集団戦法でやられちゃうから。海にあがる前にやっつけろというような形で、鎌倉武士は知恵をしぼりまして、北条時宗が陣頭指揮をしたわけです。そして、何度も何度もそれをくり返しています時に、当時亀山上皇ですね。伊勢へお参りしまして、何とかこの国をと。

その前後ですか、日蓮上人が、「未曾有の国難が来た」と。「我、日本の柱とならん」というようなことで、日蓮上人なんかも、法力でがんばった頃ですね。

そして、そういう戦いを何度も何度もしている中で、神風が吹いて、まあ助かったわけですね、日本は。(蒙古は)全部やられちゃったわけですね。

ですから北条時宗がそれでがんばってなかったら、神風が吹く前にもうやられてる。この北条時宗という人は、鉄の肝っ玉。もしあの時に時宗でなかったら、日本は危なかったんじゃないかと言われている人です。