この北条時宗という人は、じゃあ一体どういう人だったんだろうか。さぞかし文武両道に秀で、非常に肝っ玉が大きな、度胸のある人であったと我々は想像しがちなんですけれども、実際は違っていた。
北条時宗は小さい頃から、どういう青年だったかといいますと、まず、槍は嫌い。こう突いてたらつまづいてこけるのか。
弓は、力が弱いんで引けない。馬術はといったら、ふり落とされまして。とにかく、落馬はするし、槍はだめだし、もちろん剣もだめだと。
剣道、弓道、それから馬術。全部、およそ武士がする身だしなみというんですか、武術は全部だめだった。
北条時宗は何が好きだったか。まずお花が好きだったわけです。あ、きれいなチューリップ、あ、きれいな桜。あっ、きれいな鳥だなあ。それから文学を読むのが好きでして。
「いずれの御時にか、女御更衣あまたさぶらいけるなかに・・・ああ、源氏物語いいなあ」、こういう文学青年だったわけです。いくらやってみても、馬術もだめだし、剣道もだめだし。
しかし、当時の執権は世襲制ですから、七代から、後継ぎはもう時宗だっていうことは決定しているわけですね。
十五、十六の春を迎えまして、鎌倉の武士の上に立ってやっていくなんて、僕なんて到底無理だと。こんな女々しい女みたいな人間で、馬にも乗れないし、剣術もできないし、あんな荒々しい武士の上にたって俺はやれっこなんかないと。
北条時宗はずいぶん悩みました。どうしたらいいんだろうと。到底、鎌倉武士を統率できるような人間じゃないんだ、僕はと。こんなことだったら生まれてこなきゃよかった。同じ生まれてくるんだったら、女に生まれてきたらよかった、女に。
何と女々しい自分であることよと、北条時宗は深刻に悩んだわけです。
その時、北条時宗は悩んだ挙句、ここで無学祖元が出てくるんですね。ここに無学祖元さんがいらっしゃるんですけど、鎌倉の国師で。
この無学祖元という人は、宋の時代ですか、蒙古の軍隊が攻めてきて、お寺ですね。堂塔に入って、火が燃えている中で、首を切るぞと。今や首を切らんとして、ああ切ってくれと。スッパリやってくれと。
「乾坤孤箔を卓するに地なし 且喜すらくは人空、法もまた空 珍重す大元三尺の剣 電光影裏に春風を斬る」と偈を読みまして。
ひとつの剣で自分の首をはねるということは、あたかも春風が、そよっと私の首を吹いたようなもんですよと。どうぞやってください…っていうぐらいな、やれ、やってみろっていうような肝っ玉だった人らしいですね。
とにかくその北条執権にもう決まってという時宗は、女に生まれてきたらよかったと、深刻な思いでここへ相談に行ったわけです。一体どうすればいいでしょうか。自信がないんです。
生まれてこなきゃよかったと思いますと。私みたいな女々しい人間は、女に生まれてくればよかったと思うんです。
一体どうしたらいいでしょうか、教えてくださいと。時宗は責任感で、彼にそう言ったわけです。そうすると無学祖元は、「そうか。それならば答えてあげよう」
「どうすればいいでしょうか」「その、時宗を捨てよ!」
たった一言そう言ったわけです。時宗はポカッとしまして、「エッ、捨てるんですか」
その時宗を捨てなさいとひとこと言われて、「こんな時宗、捨てられるんだったら捨てたいと思います。どうすれば捨てられるでしょうか」と。
「ただ、座れ」と。
ただ座りなさいと。つまり、その、女々しい女々しい時宗を捨てなさいと。乗馬もできなかった、槍もできなかった、剣術もできなかった、弓も引けなかった今までの、その時宗を捨てればいいんだと。
そういうふうに、周章狼狽している時宗ですね、その時宗を捨てなさい。過去の自分にとらわれてた、どうしようもなかった時宗は今までの時宗だと。
そういうこと一切考えないで、只今、とにかくひたすら座りなさい、というんで時宗は、そういうふうな自分はもう捨てたいという気持ちで、言われたとおり、そうすれば自分が捨てられると言われたもんですから、毎日毎日、座禅したわけです。
座禅するというのはどういうことかといいますと、何も考えない。考えないということも考えない。禅宗は無の宗教ですから、無を思うんです。
何も考えないっていうことは、どういうふうなもんなんだろうか、を考えるんですね。まあ、別な言い方しますと、何も考えない。無字の公案っていうものがあります。
無、無、無っていうんですけど、とにかく、何も思わないところから出てくる無か、無だと言わなきゃならないから言っている無かっていう、無の言葉の奥で、パッとお師匠さんはわかるんですね。
だから時宗は朝から晩まで、ただ黙って座る。何も考えないということを、徹したわけです。
そういう時宗でしたから真剣でした。ですから時宗は、それほど女々しい文学少年でございまして、およそ男性らしいところはなかった人で。だからこそ徹底的に、座る修業をしたわけですね。何も考えない。将来のことも考えない。
過去あった自分のことも考えない。只今只今、只今只今のことをただ一生懸命やると。迎えず送らず。とらわれない。
十何年間生きてきたところの自分というものを、常に捨てる。そういうふうに一念を出ずることを、出ないように守ったわけです。
そうして時宗が修業に励んだ結果、それまでは、「やあやあ遠からんものは音にも聞け、近くば寄って目にも見よ」というふうな馬術の達人、剣術も強い、槍も強い、何をやらせてもとっくみあいも強い、いかにも武士だと言われる強そうな武士たちはですね、いざ蒙古が、集団戦法で槍で、爆弾でボンボンボンボンやって、ちょっと違った戦法でやってきたら…。
やあやあ遠からんものはなんて大見得切ってね、家の伝統だとか、「こんな鎧が立派だ」なんていうふうな既成概念と全く違ったようなものが来たらビクビクしまして、オロオロするのみですね。
しかし、北条執権時宗ってのは別にわざわざ、馬に乗れなくてもいいわけです。かごに乗っていけばいいんです。弓なんかひけなくていいんです。弓のひける人に、「おい引け」と言えばいいんです。槍やらなくても、槍いますから、足軽が。朝から晩までそれ専門にやっている人が。
上に立つ将の将たる者っていうことを前にお話ししました。
漢の高祖が、「戦略に関してはお前には負けるし、資金の調達に関してはお前には負ける。広報戦略に関してもお前に負ける。軍隊の戦術に関してもお前に負ける。地理の分析に関してもお前に負ける。果たしてわしはどうして、漢の国ができたんだろうな」と。
漢を作りました高祖がそういうふうに言いましたら、そばにひかえておりました重臣が、「いや、閣下は、将の将たる器を備えておられます」と。こういうふうに言ったといわれておりますね。
とにかくそういう働きのある人を、十二分に活かしてやれるような、そういう器です。自ら働かないという働き。これがその、十字のチョンだと言いましたけれど、同じことです。
北条執権時宗、武士たちの長たるものは、そんな武術なんかいらないんですよね。いざとなった時に動揺しないで、只今なすべきことはひとつなんですか
鎌倉武士の頂点たるもの、外国から来た蒙古、元の国に、日本は降伏するかしないか。相手がどんなに強かろうと、徹底的に戦うのが武士の道ですから。幕府の使命ですから。
迷うことなくできるわけですね。最大限の努力をすればいい。相手がどんな武術であろうと、その弱点があるから。徹底的にそれを究明して、とにかく一生懸命最善の努力を尽くしてやる以外ないんだと。
いざとなったら、馬も乗れない、剣術もできない、槍もとれなかった時宗が、この鉄の肝っ玉。いざとなったら出てくる。将の将たる器ですね。
この時宗がなかったら、日本の歴史を見てみましても、どのように変わっていたかわかりません。これに日本の神々様が感応したんですね。神風が吹いたのはその後です。
およそ神力というものはそういうものですね。いくら神社にお願いしても、いくら神様っていう形で来ましても、只今只今自分に課せられたところ、只今只今成すべきことはひとつですから。
常に過去にとらわれることなく、過去にしばられることなく、ああだったこうだった、過去の自分にとらわれることなく、なすべきことを精一杯やっていく、努力していく。これで初めて、天津神国津は感応して、神力というものを与えるんですね。
禅宗で、まあとにかく、肝っ玉を磨きました時宗に、亀山上皇様は、伊勢へお参りして、天皇様ですから、必死で祈願したらしいです。
蒙古来襲の時に非常なご神力を発揮されたといわれていますっていったことが、日本の官幣大社のあちこちで出ております。この神様は神風の、蒙古来襲の時にお力を出されたといわれていますというお社が、一社じゃなくて、どこに行っても出てるんですね。まあ神々様が総出で行ったんでしょうね。
そういうふうなことがありまして、鎌倉幕府はそのあと、まあ時宗のあとの執権、その次の高時の時に、このことがありまして、恩賞がなくね、日本の国を守ってたもんですから。
南北朝の楠木正成、新田義貞、後醍醐天皇が来て、幕府の滅亡に。やはりこの時、天皇さまがいなきゃだめなんじゃないかと。
一致団結してやる時にはやはり、幕府もがんばったけれども、我々は日本の国ということはひとつで団結しなきゃならないっていうことで、まあ時宗の方の働きと、亀山上皇の外敵が来た時にひとつにならなきゃということがありまして、尊皇の動きっていうんですか、楠木正成、新田義貞なんかにも影響を与えたみたいですね。
まあそのように、この禅宗でいうところの、臨済禅師のこの、「只今に生きる」という教え。もちろん、神道の中今という教えも同じことです。
つまり、日本の神道の只今に生きていく、教えとか教理とか過去のものにとらわれないで、只今なすべきことを一生懸命やっていくということは、要するに禅宗の、臨済禅師が言うところの「即今目前聴法底人」。
もっと深い意味ですけど。迎えず送らず。過去のものにとらわれない。で、今を尽くすということで、やはりね、イコールなんですね、ある程度。
ですから、日本の神道の「中今の思想」という中に、禅宗が入ってまいりまして、臨済の臨済禅というんですか、こういう教えがやはりあの、茶道とか、それから剣道とか、柔道とか、華道とか、それから弓道ですか、そういうふうなものにやはり定着しておりますね。
ですから禅宗のそういうふうなものが、茶道、華道、武道、いわゆる日本文化、日本芸術というものの、精神的なバックボーンになって。
なぜ日本に定着しているのかって言いますと、日本神道の中今の思想。こういうものとやはり、一致している面があるということが言えますね。
ですから女々しい人、それか男性らしくないという人は、いざとなったら、只今に生きるという努力をしておきましたら大丈夫ですから(笑)。
それから、この只今に生きるという教えは非常に、刻々に移り変わっていく前に老子のお話をいたしました。えー、老子の一番最初にある有名な文句で、「道のいうべきは常の道にあらず」と。「名の名づくべきは常の名にあらず」と。これは、道といわれるものの本質は、みんなが道だ道だっていうところは道じゃないんだと。
皆さんがいっている、常にいっているところの道じゃありませんと。あるいは、道のいうべき本質というものは、刻々に移り変わっていくもので、ひとつとして常なるもの、変わらないものじゃありませんよと。刻々に移り変わっていく、それが道というものですよと。
名の名づくべき、西谷泰人というその名前がついております、西谷さんの名づくべき本質は、ずっと同じじゃありません、刻々と移り変わっているものですよと。
本質というものは、只今只今が実質でございまして、生きている存在、実質というものは、この只今只今だけでして。過去のものはもう自分の想念の中で、あるいは何かの記録の中にありまして、その只今只今がすばらしかったら、過去は、アッ、すばらしい過去だったというふうになる。
只今只今がすばらしかったら、未来はすばらしいものになる。
えー、老子の教えで見ました。老子は本質というものはそういうもので、刻々に生きているもの、移り変わっているもの、これが本質なんだと。文字や教えで出た時には、すでにもうその本質はないんだよと。
ですから文字とか言葉とかっていうよりも、刻々に只今只今で、後片付けをし、お掃除お洗濯を一生懸命やっております時に、生活に一生懸命努力尽くしている時に、只今只今の生きているものがパッパッパッとキャッチできるんですね。
瞬間にこの、ギターを弾いて、一生懸命ギターを弾いている時には「アッ」、音楽の実感というんですか、感覚というんですか。そういうふうな実質があって、そこからメロディとか歌詞を現すんですけど・・・。
これは老子の最初にある有名な言葉ですけども、もうひとつ禅宗で、こういうものがございます。これは有名な「十牛図」といいまして、人間の悟りに至る道。
自分自身の潜在意識を自在に活用するのに、牛にたとえまして、十種類のレベルにこう分けてるわけですね。
弘法大師さんは『十住心論』で、人の心境地というものを十段階に分けておりますけれども。十牛図というのがあります。
最初、その十牛図のうちの牛は…、牛にたとえているんですけど、足跡があると。つまり、本当のものというものは一体どういうもんなんだろうかと。自分自身の本質は何なんだっていうんで、足跡を見るわけですね、牛の。
あっ、ここに、牛の足跡がある。きっとここに牛がいたに違いない。
この牛はこちらの方に向かっているから、多分、こちらの方にあるんじゃないかと。いうんで、『守護霊を持て』なんていう本を見まして、Kさんのところに行ってみようかと。それからGさんの本を見て、あっ、これいいんじゃないかなと。
ところがGさんにしましても、もっと有名な老子でもお釈迦さんの教えを見ましても、全部その足跡ですね。
足跡を見てみましても、方向はわかるわけです、まず。本を読んでみた、お話を聴いてみた。こちらの方じゃないかと。牛の足跡を見まして、その方向がわかる。
ところがよく見てますと、まあ例えばゲタですね。ゲタの言うべきは常のゲタにあらず。ゲタの名付くべきは常のゲタにあらず。たとえば雪の上に、これと同じ例を言いますと、こういうふうに、二の字二の字とゲタの足跡があるわけです。
ゲタの本質はどこだと。アッ、ここにゲタの跡がある。そうすると、向こうの方にゲタがあるんだと行きます。どこまでもどこまでも、この足跡を見てみますと、ゲタの本質というものは、方向性はわかりましても、ゲタはキャッチできないわけです。
どういうことかって言いますと、足跡というのは、ゲタが踏んでいます時はつかないわけです。踏んだゲタがですね、ポッとはずして次へいった時にできるわけですね。
ゲタの本質というものがピタッと踏んでいる時というのは、足跡はないわけです。雪の中からゲタが離れた時に足跡はできるんです。
ですからあくまで、その牛というものはどこなのかを見てみましても、ゲタの名づくべきは足跡にあらずと。踏んでいる時は足跡はないわけですから。
書物とか、教えというものをいくら見ましても、ぎりぎりのところまで来ましても、その本質は、いつまでたってもそこにはないわけですね。
ですから本を読んでたり、いくら書籍で見てみましても、本質は体得できない。
そうしてひとつの牛の足跡を追いかけまして、書籍を見たりお話を聴いて、こうだと。今度は牛を発見するわけですね。あ、あちらの方に牛があるなと。牛の姿を、あの方向じゃないかと発見することができる。
で、その次に、牛を発見しまして、今度牛に近づいてまいります。本当の牛は、あの方にあるんじゃないかと、こういう方向じゃないかなというんで発見した後、時々この牛をつかまえるわけですね。
牛を時々つかまえた。これが牛だと。しかし牛はウロウロ移動しますので、なかなか牛というものをつかまえましても、じっとしてないと。
本質的な自分をつかんだと思っても、すぐまたウロウロウロウロ逃げちゃうもんですから、今度はその牛というものを何とかこれを乗りこなさなきゃ、つかんだだけじゃだめだっていうんで、牛ヘパッと飛び乗るわけですね。
ところがずーっとこれを乗り続けていますと、乗ったり落ちたり乗ったり落ちたりしておりますけども、慣れてきて、今度はその牛というものは、全然何もしなくても、お昼ご飯が出てくるころだなというと、あっちにいても帰ってくる。
夕ご飯だなと思ったら帰ってくる。夕方その門を閉めますよという時には、自動的に牛の方から帰ってきて、ピタッと。たまには遊んでおりましても、牛というものはもう…「生」というんですけど、このあたりを。
牛というものをもう完全に飼いならしまして、自分というものを常に発見できて、本来の自分を常に一体となって、使いこなすことができる。
そうしますと今度は、自分を意識しなくても、本来の、さっき言いました一無位の真人ですね。一無位の真人。自己本来の面目。本質的な自己。
こういうふうなものが本質的な自己の方から、帰ってくると、常に。そう乗りこなしているわけですね。一体となっている。
(次の場面では)今度は牛がパッと消えちゃうんですね。もうその、本質的なものだとか、本来の自分というのはもう意識しない。もう一体となって、牛っていうのは消えちゃうんです。
そうして、最終的に・・・これもうあと何個かあるんですけど、要するに結論を言いますと、これは例えば本質的なものは何かと。こういう方向があるなと。
あっ牛を発見した。牛を触ってみた。牛に乗った。逃げたり落ちたりして今度は牛を飼いならす。
飼いならすと同時に一体となって、向こうの方からもう帰ってくると。今度は牛が消えます。そうしたら最終的にはどうなるかって言いますと、平々凡々な普通の人間に帰っていくと。お百姓さん。
